アメリカ * リンゴさいばいの歴史 カスピ毎 、ンノ、 中国 コーカサス地方 ンゴも、もともとは小さな野生の 大きく、あまい ながねんげつ ーンゴから、長い年月をかけて改良されてできあがっ たものです。 北アメリカ、アジア 野生のリンゴは、ヨーロッ の三大陸に分布しています。このなかで、カスピ海の ちかくにあるコーカサス地方の野生リンゴが改良され ひんしゅ て、現在の品種がつくられたといわれています。 はしめは、古代ギリシア、ローマ人によってヨーロ ッパにったえられ、おもに北ヨーロッハでさいばいや りよう 改良がなされました。ヨーロッパでは、実を食べるだ けではなく、 の県料としてもこのまれ、いまでもさ まざまなリンゴ酒がつくられています。 せいき しまから約三百年ほど前の十七世紀 アメリカには、 ) てに、スペイン人の移民によってったえられ、改良やさ せいき ゃいばいがはしまり、十九世紀になると、西部のワシン はってん らゆうしん トン州を中心に大規ばな産業に発展しました。 おお みん さんぎよう きた ねん まえ リよう りよう
丿ンゴさいばいの歴史・ ひんしゆかいりよう 丿ンゴの品種改良・ ~ , マみゴバチの利用・ ねん えん リンゴ園の一年・ ちす くだもの地図・ くだものの実験・ あとかき一・ 構皮 / 驂 ) 」ろ、つ その イラスト / 園五朗 かみやまひろみつ 、神山博光 わたなべようじ 渡辺洋一一 じっナん
につ一一ん やせ、、 會アメリカからはいってきたリンゴは , 改良されて , 8 月 會日本の野生リンゴ。おもに しゆるい しルうかく おお だ、、ぎ からⅡ月まで多くの種類が収穫できるようになった。 つぎ木の台木に利用される。 万 ′つ せいさんり : う ・全国のリンゴさいばい地と生産量い 973 年度 ) ト 年 2 て 北海道 50 , 200 トン 月 森 . 440 , 000 っ し ) 石 手 ぐ 万え 引 , 000 ば 形 山 60 , 000 秋 田 42 , 000 宮 士成 8 , 000 後ごん の 福 島 47 , 000 長 里予 200 , 000 だ あ ん 群 馬 3 , 700 山 梨 3 , 400 2 , 4 00 茨 城 900 ーっ、 な カ の ま ま た 産 た 百 四 近殳 力、いりよう カーっ 青森 秋田 . ー岩手 北海道 ・・宮城 野霹馬 : 、 届弄彡′ 島 ー、らき 石川 / . ・・茨城 : 山梨 : ・ 愛知 : 一 0 (D っ 0 ( 0 潟耒山卓ち知 〔新 f, 栃と富き岐」愛 約 5 万トン
かお ←子どもの顔ぐらいの大きさになる 「世界一」。 せ力、、 おお おお せ力、い、、ち ・きり絵は「世界一」の実物の大きさ ひんしゅ この方決だと、新しい品種ができあがるまでには、 ねんいしよう 十年以上もかかります。 力いりよう 印本では、おもに交配育種で改良がすすめられてい ひんしゅ ます。「ふじ」「陸奥」「あか・ね」・・という品種は、日本で おお うまれた品種です。実が大きくなることと、収穫して しようひち さんち からも保存がきき、産地から都会など、消費地へおく られたころにもっとも味がよくなるので、外国でも注 目され、各国にそのなえ木が輪出されています。 ま、つま、つ かっこく びつくり′ . おばけリンゴ おお メロンのよ、つに大きなリンゴをつくれな、 こんなねがいをみのらせ ものだろうか・ 廿一・月し、 たのが、ジャンポリンゴ「世界一」です。 あか これは、テリシャス ( 赤くてしまがある ) 医、いろ ールデンデリシャス ( 黄色く のめしべに、ゴ おお て大きい ) の花ふんをつけてできたたねを、 植えて育てたなかからできた品種です。 ひとつの実が、ふつうのリンゴのおよそ三 、約一キログラムにもなります。まだ生産 みせさき 量がわすかですが、数年後には全国の店先に な、りべられるよ、つになるでしよ、つ。 あたら すうねんご ぜん、一く
では、日本ではいつごろからリンゴのさいばいがよ 4 ゴ原しまったのでしよう。 きろく えどじだい 古い記録によれば、日本でも江戸時代に「日 , 下リンゴ」 用ス なまえ ちゅうこく 酉ド という名前でさいばいされていました。これは、中国 スカで林檎とよばれる野生リンゴが、印本にったえられた ものと考えられています。 日本にヨーロッ ハのリンゴがったわったのは、江戸 きろく 時代の末に、アメリカからもちこまれたとい、つ記録ゞ ョ %h ありますが、さいばいとまではいかなかったよ、つです。 明治八年 ( 一八七五年 ) 、政府はアメリカから七十 ひんしゅ 五品種のリンゴをとりいれ、各県にくばりました。こ ほんかくてき あおもり れが本格的なさいはいのはしまりです。やがて、青森 けんらゆうしんと、つほく ほっかいどう らゆうふちはう さんがくちたい 県を中心に東北、北海道、中部地方の山岳地帯などの さむ ちほ、つ 寒い地方に、どんどんさいばいがひろまりました。 びよう」 かいちゅう 力し とちゅう、病気や害虫のひ害、戦争などによって、 一時はさいばいがへったこともありました。しかし、 びよう医」 ぎじゅっ しんひんしゅ 技術の進歩や、新品種の改良で、病気に強く、そして、 あまいくだものにしたてあげることかできるようにな さけよう ふる すえ かんカ ねん ねん りよう せんそう
・あどがき ふゅ ふかゆき 冬のあいだ、 深い雪にうもれてねむっていたリンゴの木が、春のあたたかい しろ わかめ 日ざしをうけて、みどりの若芽をふきだし、やがて白い花でうまるとき、きび きたぐにひと かん だいしぜん ふゅ しい冬をたえてきた北国の人びとは、大自然のめぐみと生きるよろこびを感し ることかできます。 あき 秋、えだいつばいにみのったリンゴは、とてもきれいなものです。しかし、 の、つか ひと 春からやすみなくはたらく農家の人びとはたいへんです。少しでも手をぬくと、 びようらゆうがい 病虫害にやられてしまいます。この本をごらんになったみなさんは、このよう えん なリンゴ園の四季のすがたを知っていただけたかとおもいます。 、 ) 、つだい えん せいさんこく せ力い わたしは、世界一のリンゴ生産国フランスと、プルガリアの広大なリンゴ園 ひんしつ を見てまわったことがあります。でも、日本で見るようなよい品質のリンゴは につん せ力いいち ありませんでした。 「世界一」という、一キログラムもある日本のリンゴを見 けんきゅうしゃ かお て、おどろいたプルガリアの研究者の顔がおもいだされます。 ぎしゆっ えん ンゴ園から、よ 日本のリンゴをつくる技術は、世界一といえます。せまい / ) りよく ひと おおせいさん ーしけんしようの、つか ひんしつ い品質のリンゴを、より多く生産するために、試験場や農家の人たちが努力を ぎじゅっ ひんしゆかいりよう けんきゅう してきたためです。そして、いまも品種改良や、さいばい技術の研究はつづけ られています。このことも知っていただければとおもいながら、この本をつく こいけひろお り士ー ) た。 小池洋男 せ力い ほん はる
カーっしようしゅん 5 月上旬 冖月 * リンゴ園の一年 しろ 白い ~ 化がえだというえだにさき、 ンコ園にあまいかおりがただよ、つ。 ンゴ園のもっともいそがしい時 じん、」う 、ごこ、人工 期。みじかい花期のあしナ ( 漲をおわらなければならない とりだしておいた花既を、鳥の豺 などで、花のめしべの頭につけてま わる。 改良をくわえられてできあがったリンゴの木は、ていれがたいせつ えん です。大きく、あまい ーンゴをつくりあげるために、 ンゴ園では一 ねんしゅう せわ 年中、リンゴの木や実の世話をしています。 いつごろ、どんな世話をしているのか、 を、もう一度のぞいてみましよう。 花のつばみがほころびはじめる。 つづいて葉になるもほころぶ。 ほころびきったつばみをもぎとり、か月 おしべのやくだけをあつめて、かん そうさせ、やくの中でつくられた花っ をとりだしておく。生のハチを 7 既 し′ル一」、つに」ゅ ンゴ園では、人工受 利用できないリ ん 粉のじゅんびがたいせつな仕事だ。 力いりよう えん おお いちど 冖月 すっかり成長して、だんだんあま 味・をましてくる。 ふくろをかけてあったリンコは、 たいよ、つ ひかり ふくろをはずし、太陽の光にあてて、 らやくしよく あか 一赤く着色させる。 葉かげになっていると、色がっか かじっ ないので、果実のまわりの葉をつみ とったりして、日光にあてる。 果実の直径は六 5 七センチ。すっ かりリンコらしくなってき - た。 かじっ おお 果実が大きくなってくると、えだ は重みをささえきれなくなって、お れてしま、つ。えだがたれさがってき たら、太いば、つでささえをしてやる。 たい、つ しばしば、台風が上陸して、木が 根こそぎたおれてしま、つことがある。 おも まいにち えん ンゴ園のいそかしい毎日 かじっ ふと せいちょう