みす すかた 會円 74 年 7 月 28 日の爆発でむざんな姿になった焼山 ( 2 , 400 m ) 。火山灰がどろ水 になって流れた山はだは , 木ぎの緑が根こそぎきえうせてしまった やけやま 力、さんはい はくはっ わん やま すいしよう」はイ、はっ 水蒸気爆発ーー焼山 一九七四年夏、山のいただきをま やけやま ー、かたけん たつにさいて、焼山 ( 新潟県 ) ・はノ、はっ が二十五年ぶりに爆発しました。 やま みす 山の斜面には、どろ水となった火 オ、カ 山灰がはげしく流れでました。しか レ玉、つかん し、溶岩はでてきませんでした。 やけやま ちか 焼山のように年とった火山の地下 すいしようき には、マグマからわかれた水蒸気や、 ちかすい マグマに地下水があたためられてで すいしようき きた水蒸気がたまっていることがあ すいしよう医、 ります。この水蒸気が、ある日とっ ぜん山をふきとばしてでてきたので すいしようきはくはっ しいます す。これを水蒸気爆発と ) ざんはい しやめん ね ねんなっ やけやま かさん 38
かざん ひ力い : ! い , 〔ひとたびおこるとたいへんな被害をおよばす火山。むかしから、 かざん 人びとは火山のはかりしれない力をおそれてきました。 ようがん ばくはっふんか かざん 火山によるは、おもに爆発、噴火ででてくる溶岩や火山灰、火 ざんだんかるいし 心山弾、軽石などによってひきおこされます。なかでもおそろしいの ・け - んしよう こうおん カ→ 0 いー ) かざんばい は、火山灰や軽石などが、高温のガスにまし「て海れだす現象です。 一これを熱雲とよんでいます。 はや びようそくすう せんどちか ねつうんおんど り、秒速数十メートルもの速さで、な 熱雲の温度は千度近くもあ とおみち しやめん やま だれのように山の斜面をかけおりてきます。そのため、通り道にあ 、 : にたるものはことごとくやきはらわれてしまいます しよと、つ ねん 一九〇二年、西インド諸島のマルチニーク島にあるプレー火山が ールの町をや 噴火しました。このときの熱雲は、ふもとのサンピエ カ火もとりわ訪冖活のでる いのら まんせんにん ん噴うのさ去す諏山山んわ 一瞬にして二万八千人もの命をうばいました。 い大でこを。か火か火すか ねんあさまやまふんか てんめい につん の灰。い島たな 日本では、一七八三年 ( 天明三年 ) 浅間山の噴火のさいに、熱雲 ん山跡墓はつわ発はこ あっ どしやすいぶん しやめんがんせき 」年カ火のとな活でそ冖活 田島びとなぐが山の斜面の岩石や土砂、水分をまじえて、熱いどろとな「て海れ か化りせ瀬人い島うるすの 〕 ( 文じの之で人よ , とました。ふもとの村では、五百人近くの人が死にました。 ( まわ訪か火む無のてがび き、」う ふんか 」年石す諏噴間い島しん人 このときの噴火は、さらに気候までくるわせ、大ききんの原因に ロ軽たの」年せ頼をげる じよう′トっ かざんばい そらたか のれき間。之動き もなりました。空高くあがった火山灰は、しばらく上空にとどまり たいようひかり 太陽の光をさえぎって弱めたために、不作がつづいたのです。 * 火山の災害ど恩けい ひと ふんか やま いっしゅん ねん ちから ふさく と、つ かざんばい まち かざん
めいしようカ { んリゅう 明治ラ谷石莎しの一一音 5 。絽 84 年 め、、し ねん ねん ~ 絽 85 年 ( 明治ロ ~ 絽年 ) 。第 / ようがん た、、」、んか なが の大噴火でう充れでたラ容岩は ひかくてき なカー しれるな、 : = ま、 比較的やわらかく , さいに なわをよじったり , かたら たわらをかさねたような形 になってのこった いち 一火山のつくりだした地形 「な球の長い歴史からみると、多くの火山が ちか せいめい 地下からもたらしたいろいろな物質は、生命 はんえい よ、つかん の繁栄の舞台をつくってきました。溶岩や火 ざんばい だいち たいき す・いじよう」 ガスや水蒸気は大気や ' 一一山灰は大地をつくり、 、つみ かんが 海をつくってきたと考えられています。 とち かざん 一三 ~ しかし火山が「く「た土地は、一方では雨 かたち ) ( 一 ' ) 風によってけすられて、形をかえていきます。 やくひやくまんねんまえ しまから約百万年前にたん 諏訪之瀬島は、、 かんか ごなんど 生したと考えられています。その後何度もは ふんか あめかぜ げしい噴火をくりかえし、一方では雨風にさ かたら げんざい らされながら現在の島の形ができてきました。 しま かざんかつどう 島のいたるところに、火山活動によってでき たとくちょうのある地形がみられます。 しよう かせ っぽ、つ ふっしつ っ工、つ あめ
せん ねん 會 0 場所・ = 火 0 底 0 変化。右 , 、 000 年月 , = , 、 0 年 0 月。 = 0 前 後 0 0 ~ , 火 0 底 0 = 半年問、 = 約、 00 。 0 上昇、 0 、 0 = 0 。・ = 。 ↓溶岩湖 0 、昇後 , 連日数秒き 0 = = 。ー = 噴火 ( 、 000 年 0 月 ) 。黒。 0 = 0 、部分 この下にどろどろにとけた溶岩湖がある。 ようがん はかたまった溶岩。 がつ
かざんかんそくしよ あそさん 會阿蘇山にある火山観測所。 , こでは火山 かざん 活動によっておこる地震や地形の変化を 力、つどう しらべて , す あ が と る か、 あ も に カゝ す わ 地ち 土と て っ た し に る かざん カつどう 火山の活動をみはっている。 は、 の 噴 が お る 力、 み お を て ク ) れ ら を 火ゕ科かが 学 的 し ら る と よ て い ど の い て ノ ク し て い る よ な も の で す ま た マ グ マ カゞ の ば つ て ん ば ん お り ま す れ は 地ち 下か の マ グ マ カゞ へ よ っ と 噴オれ 火かる 間まな 火かし 努どを 火ゕカ 少 ! 現 火かれ 地ちに 噴科ゕ さあ た と ば 浅を 山 の よ っ な 山え て、 噴え の 月リぇ 表小をす さ し ) 地じ 震 が 大鶚 き く な ら い よ っ に カゞ づ ら て ま し め し そ っ な 山え し ら べ て し で 火ゕ ノくい あ と お そ ろ し ) 火力 で す が 在ミ で - 子・く せカ式、 かざんさいがい きろく 0 世界のおもな火山災害の記録 0 タンボラ火山 ( インドネシア・スンパワ島 ) わん 田年の大噴火は史上最大といわれている。 はくはつおん えんは。う かさん一よい 爆発音はし 700 遠方まできこえ , 火山灰のた めに 500 はなれたところでもまっ暗になっ た。この噴火で 2 , 400 あった山は , 直径 6 深さ 700 の巨大なカルデラとなった 噴火で 92 , OOO 人もの人が死んだ。 ロクラカトア火山 ( インドネシア・スンダ海峡 ) かざんはい 絽 83 ~ 絽 84 年の大噴火でふきだした火山灰は ねん力、ん 70 ~ 80 の言さにのばり , 地球を 2 年間にわ せかいてき たってまわった。このため世界的な気候不順 はくはつ をおこした。このときの爆発でおきた津波は 高さ 20 にもなり , まわりの島じまをおそっ たために , 36 ′ 4 ロ人もの人びとが死んだ。 につは・ん ぶ、くしまけん 磐梯山 ( 日本・福島県 ) めいし ねん 絽 88 年 ( 明治幻年 ) , とっせんおきた水蒸気 ーまくはつ 爆発のために山の 3 分の 2 がふきとばされた。 このとき流れた土砂でⅡの村がうまり 460 人 が生きうめになって死んだ。また土砂で川が せきとめられ , 多数の湖ができた につ : i•ん 椄島 ( 日本・鹿児島県 ) わん 四年 ( 大正 3 年 ) の夫噴火は , 山の中履を ようかん さいて , 20 億トンものラ容岩がでてきた。 , ようカ【ん おおすみはんとう 溶岩は大隅半島と島のあいだをうめつくし , 椄島は陸つづきになってしまった。ふもとの かざんはい 多くの府むらが火山灰でうもれた。 ししようさーーたい ひと ねん ひと If んだいさん わん すいしようき みすうみ しまけん ねん おお ばくはっ とめ湖の一つ , すがた 檜原湖からながめた姿。 會爆発のあとがなまなましい磐梯山。せき はんだいさん
0 富士山の生い立ち 鷹山 ( すそ野の二蔀 ) みたけかざ人 小御岳火山 ( 2 , 350m ) 御坂山地 やまなしけんかわ しすおかけんカ・わ 山梨県側 静岡県側 みたけかざん まんわんまえ ①小御岳火山の噴火時期 ( いまから約 200 万年前 ) 舌富士火山 みたけかざん 小御岳火山 わんまえ てんけいてきせいそうかさんふ ②古富士火山の噴火時期 ( いまから約 2 万 2 , 000 年前 ) 會典型的な成層火山富士山。火口の位置をかえ かざんはい ようがん ることなく溶岩や火山灰を交ごにふきだすと , 富士山 ( 3 , 776 m ) かざん 美しい円すい形の火山ができる。しかし長い 小御岳火山 ふしさんおや 目でみると , 富士山も親子何代かにわたる火 かさん おお ざんカつどう 山活動の結果 , 現義のような大きな火山に成 せいそうカーさん らよう 長した。ふつうひとつの成層火山では , この かざん ような大きな火山はできにくい。たいてい , かざん げんさい やくま人わんまえ その下に古い火山がかくされている。 ( ①現在の富士山の噴火 ( いまから約 1 万年前よりはしまる ) る ふ 数を あ 基き的ー ば だ ら 美 そ よ ま 本児な な る ま り い き 十 ふ や あ し と 形 だ 万 り ナ形 つ っ た ノ ) の / い い す 年 っ あ た な が よ め い が が だ ク ) て ク ) 場ば円え多鶚 マ 多鶚年き溶 め 噴え け あ と 死し り ( こ 所望す く グ い を ひ ま で い ん : 石・ん を マ 溶 せ 単 の わ ま と で と 火ゕ 後ご 独ぎす 山え 形 性 な ′っ つ 火かっ ん つ の し、 一石・ん た 質与 あ か も 山え の を つ ま て く の に カゞ の の の 成な く の け い ま だ 火ゕ で ば 火ゕ よ 層 す 山え 里碆ま み 形る で か はつ、 あ が す も て よ っ 火ゕふ な の が に 山え く し く っ な な わ ま と は 場ばる ふざ さ に る わ ぇ お 日ヨ 少 ! 所道発 き ヨ : じ な みれ に 0 こ つ つ 叩 て あ か も り な 山え な の な は て る 火ゕ て つ ーっ 山えか 山は 形 か ま れ き ら い わ す だ 数 て ま で き ら と た の の の 取ミす す 万活 に は 形基 き て 基き で つ 初 本す 5 動 は い な は て しかざん うつく みたけかさん 古富士火山 おお かつどう
おお らようしよう 頂上に大きなまんじゅう カーた よう力「ん おか たるまえ 形の溶岩の丘をもつ樽前 やま け 山い , 024 ) 。ねばり気の ようがん あるラ容岩・カく火口にでてき て , そのままかたまった もの。 たるまえやま しようわしんざん かわった噴火ーー樽前山・昭和新山 一九〇九年、頂上に大きなまんじゅう かたちおか たるまえやま のような形の丘をつくった樽前山、一九 一 ( 〕第 ' ~ ・四四年から一年あまり 0 あ〔だに、四百 + トカ せいちょう しようわしんざん メートルもの高さに成長した昭和新山は、 ふんか ちょっとかわった噴火をしました。 かざん これらの火山は、ねばり気がとても大 せきえいあんざんがん りゅうもんかんようかん きい石英安山岩や、流紋岩の溶岩をだし ち・しよう よ、つかん ました。溶岩は地上にでてきても流れす、 ⅵ昭もか すでにほとんどかたまっていました。そ のまだがる らノノノ、 幵しはス ちひょう じめん た。茁ガてれは地面をもちあげたモグラが、地表に せ ) ぬやし らき気だ を如き蒸き 頭をちょっぴりだした姿ににています ね ( め水ふ かざん カオ 力山さ こうしてできる火山は、つりがね形や ん新だはん っメ和まらか と、つ かたち 先のとがった塔の形をしています。 あたま さき ねんちょうじようおお すがた おお
たい : よくはつ あさまやまはくろく おにおした ようかんリゅう ねんてんめい なが ねん 會浅間山北麓の鬼押出し溶岩流。 ロ 83 年 ( 天明 3 年 ) の大爆発のときに流れでた ようかん なカー ねばり気のあるラ容岩は , 冫ルれるうちにごっごっした大きなかたまりになった。 ひし一う力、さんたん かま ↓火口付近のパン皮状火山弾 ↓お釜とよばれる火口の中。直径約田 0 の ようかん ホットケーキのようなラ容岩が横たわる。火 表面から早く冷えかたまるの ロの深さは溶岩の上昇とともに変化する。 で , 表面にわれ目ができる。 おお ねばり気の多いラ容岩に多い。 ら一つけ、、やく ひ : うめん はや ひ : うめん おお ようかん
・あどがき か一」、つ かざんかんそく わたしが諏訪之瀬島の火口で火山観測をはじめてから、今年でもう十年目に かざん か一」う かざん うちがわ すがお なります。ふもとからながめる火山とはちがい、火口の内側には火山の素顔が ひょうじよう か、ヤっ ひと あります。火口はおこったとき、やさしいときなど、まるで人の表情のように、 へんか たえす変化しつづけています。 か一」、つ 火口をのぞきこんでいると、こわいこともたくさんあります。けれども、火 こう かんどう ロでくりひろげられるドラマは、こわさをはるかにうわまわる感動となって、 か一」、つ わたしを火口にくぎつけにしてしまいます。いまでは、火口はわたしにとって、 なっかしい友だちにみえるのです。 ざんねん じー ) んけい かんそくきぐ 残念なことに、わたしには地震計のような観測器具がありません。そのかわ じぶん カ びんかん かんそくき 、自分の目や耳、鼻、つまりからだのすべてが敏感な観測器のつもりで、火 ざん かざん 山とむかいあっています。これからも、このようなからだを通しての火山との つきあいは長くつつくことでしよう。 ほん すわのせじま かごしまだいがく たかはしてつやくん この本をつくるにあたり、 諏訪之瀬島のみなさま、鹿児島大学の高橋哲也君 かんしゅう とうきようこうぎようだいがく おさかじようよせんせい にはお世話になりました。また東京工業大学の小坂丈予先生には監修をしてい あっ れい しよばうおかざきっとむ ただき、厚くお礼を申し上げます。おわりに、あかね書房の岡崎務さんには、 みどうよう わが身同様にお世話をいただき、ありがとうございました。 あきら 青木章 一九七七年早春 せわ ねんそうしゅん とも すわのせじま め みみはな せわ ーマっ あ 力、」、つ 、」とし つう あおき ねんめ カ
ち心うおう よう力、ん こうおん 會溶岩の中央部は , はげしくふきだす高温のガスのために赤くもえている。 みどりいろ ねん がっ このとき緑色のほのおもみえた。い 974 年 9 月ロ日夜 ) 写真には写っていないが はくはっ ようカ ' んしようしよう ・溶岩上昇後 , 爆発でふきとばされた ふんえん ・桜島南岳の噴煙。爆発によって地下 溶岩が , 山の斜面にとびちっておき やまかし のエネルギーがはきだされる。 ねん い 972 年月 2 日夜 , 鹿 た山火事。 児島市内より ) にちよる ばくはっ さくらしまみなみたけ かよる がっ 、を