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検索対象: 科学のアルバム 砂漠の世界
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1. 科学のアルバム 砂漠の世界

タッシリ・ナジェールー新 、アカ・・テ、ス サ / 、ラ ひろ せかいさいたい アフリカ大陸の北部に広がるサハラ砂漠は、世界最大 めんせき こっ要んやく の砂漠です。面積は印本の約二十七もあります。サハ ラの大地が乾燥しはしめたのは、今から約二百万年前の まんねんまえ ことといわれています。しかし、今から約一 5 十万年前 ) - は、緑の大地だったこともあるのです。 ひょう サハラ砂漠の中央に、タッシリ・ナジェールとい、つ標 こ、つす、つひやく とち 高千数百メート ルの土地があります。この土地の岩壁に は、たむかしの人びとがえがいた絵がのこ 0 ています。 今から約五千五百 5 八千年前のものと考えられる絵の ルと土 みすへ 工かんなかに、なんとカバやゾウ、キリンなど、水辺や草原、 ジ髷豆せ どう気っ ひと ナのま森にすむ動物と、それを狩猟する人びとがえがかれてい 緑き よね たのです。それだけではありません。これらの動物の骨 シつが ひと ツか像 や、そこにすむ人びとの生活のあとものこっていました。 タ - , そ相 ~ つがも やく ねんまえ ち也 た立ち地て また約三千五百 5 四千五百年前の絵には、シカを狩猟 えと土と びの したり、ウシを飼う人びとの姿がえかかれていました。 スそこは しだい がのと 圓語石けたさらに時代が新しくなるとウマに乗った人びともえかか ならっ きだだ れていました。そして、今から約一一千年前の絵によ、 大岩ち地 あたら らゆうおう ひと ー ) ゅリよう せいかっ ねんまえ すかた ひと ひやくまんねんまえ どう気っ ー ) A リよう

2. 科学のアルバム 砂漠の世界

・あとがき ねんまえ 今から十五年前、ヒッチハイクをしながら、はじめてサハラ砂湊を旅行しま した。砂漢のなかで砂のわにしっとうすくまって、いつくるかわからない車を 待ちつづけました。イワシのかんつめをあけ、石のようにかたくなったパンを かじって待ちつつけました。このまま待っていると、砂のなかでひあがって、 おも 死んでしま、つのではないかと思ったこともたびたびありました。 一か月後、ようやく砂凝をこえて、たきな川のほとりにある樺にきました。 とうとうと海れるい水と緑の森を見たとき、一瞬気がくなりました。わす あいた か一か月あまりの間に、身も心もからからにかわききっていたのです。 がわ「て、しみしみと思い出すことがあります。それは、とても生活で とち こころゆた きそ、つにもない土地にも、たくましく、心豊かに生きている人かいたとい、つこ とです。食べるのもやっとの人びとが、 りかかりの橘人に食事を出し、貴重 な水をめぐんでくれ、橘の評を褫 0 てくれたのです。枷町のなかで、わ ひとおも たしたちがややもするとわすれている、人を思いやる心を、これら砂漢にすむ ひと か読どう 人びとが、あたりまえのようにもっていたことに、わたしは深く感動しました。 しかし、今、この地方にすむ人びとは、干ばつで生の危険にさらされてい しよう」しよう しんいてき ます。そのきっかけが異常気象にあるにしても、人為的な自然破壊が被客を 像以上にたきくしていることを知ると、心かいたみます。 片平孝 こころ ひと こころ ひと かたひら よ、」、つ たかし

3. 科学のアルバム 砂漠の世界

かたひらたかしせんせい 片平孝先生 みやぎけん 一九四三年、宮城県に生まれる しようねっ 一九六九 5 七三年、青春の多感な情熱を燃 やす場所を求めて、サハラ砂漠を旅する しお この間、ハウサ族の塩のキャラバンに同行 しせん き力し する機会を得、きびしい砂漠の自然とそこに みリよう 生きる人びとの姿に魅了される その後も世界各地の砂漠を旅しながら、砂 ・ヤんしよう 漠特有の自然現象や、不毛の大地でたくまし く生きる人びとの姿を取材しつづけている。 ちよしょ 著書に「雪の一生」「塩ー海からきた宝石」 ( あかね書房 ) 、「雪の形」 ( フレーベル館 ) な どかある らよう ちょナんなはししつば 現住所千葉船橋市坪井町七六三ー四六 すがた

4. 科学のアルバム 砂漠の世界

・貴重な水を得るためのくふう △フォガラの地上部に は , 井戸の囲いが一 列にならんでいます。 ー < 井戸の中をのぞくと すいろ 水路がみえます。 フォガラ ( 断面図 ) ナツメヤシ畑 へ、、めんす フォガラ ( 平面図 ) 乾燥のはげしい砂漠では , 山ろくの地下水が豊富な すいろ ところから , 地下に水路をほって水をひつばってくる 方法が , むかしからおこなわれてきました。このよう す、、ろ な水路を , サハラでは " フォガラ " とよんでいます。 、、っていカ、ん 一定間かくでたてあなをほり , 地下で横あなをほっ すいろ ち力、す、、ろ てつなげて水路をつくります。地下水路だと , 蒸発で みす 失われる水が少しでもへらすことができます。 さん かわりに農作物を買い、食料にすることもあります。 さばくしゅうへんみどり ゅうくみん 遊牧民をささえているのは、砂漠周辺の緑です。 どう きせってき ゅうばくみんみどり 遊牧民は緑をもとめて、季節的に移動しながらくら しゅうへん してきました。砂やその周辺にすむ人びとは、砂 しぜん 漢の自然のしくみをよく知っていて、たくみに利用 なんびやくねん しながら、何百年もくらしてきたのです。 ぼくちく 牧畜 のうさくもっ 農耕 しよくりよう △あるオアシスの町では , 今も土 でできたかまどでノヾンをやいて います。 ( サハラ砂漠 ) ほくちく さばくい ) うへん 0 砂漠周辺の土地から生まれた牧畜や農耕 さはくい ) うへん そうけん にんけ - ん そのむかし , 人間は砂漠周辺の草原にくらす野生のヤギ にんけ - ん ! くせった やウシをてなずけて家畜にしました。人間が直接食べるこ ちら とができない草も , 家畜の胃を通すことによって , 乳や肉 えいよう のような栄養のある食べ物になるのです。それに家畜とい っしょにくらせば , いつでも食料が手にはいります。 さーまくしルうへん そうけん また , 人間は砂漠周辺の草原にはえていたイネ科の雑草 さいはい のなかから , ムギの先祖をみつけました。ムギは栽培すれ ばたくさん収穫でき , 保存もききます。粉にひいて加工す れば , ノヾンなどにして食べることもできます。