科学のアル′ヾム 11 野生ウマの生活 ・著者 しみすようこう 清水洋香 ・発行者 岡本雅晴 ■印刷 株式会社精興社 ー写植 田下フォト・タイプ 中央精版印刷株式会社 ■発行所 株式会社あかね書房 101 東京都千代田区西神田 3 ー 2 電話東京 ( 263 ) 0641 ( 代 ) 1990 年 9 月発行 ◎ 1971 printed in Japan 著者との契約により検印なし NDC 清水洋香 489 野生ウマの生活 あかね書房 1 9 9 0 54P 23E ( 科学のアルバム 11 ) 8340 ーー幻Ⅱー 0027
・あどがき 、つ みさきそだ わたくしは都井に生まれ、ミサキウマのすむ岬に育ちました。 おさな みさき ひとざと わたくしの幼いころの都井岬は、バスもない人里はなれた、さいはての地で とよッ あさゆう あそ した。友だちといえば、朝夕、さきに遊びにくる、野性のウマたちだけ。そ おとす のころの岬は、訪れるひともなく、ひと恋しさによく泣いたものです。 こう、 ) う しようカノ、 らゆうが′、 かぎよう こくみんしゆくしゃ 小学、中学、高校と、わたくしは岬をはなれていましたが、家業の国民宿舎 しようわ ねんはるみさき かえ しやしん をつぐために、昭和二十八年の春、岬に帰りました。ウマの写真をとりはしめ たのは、このときからで、も、つ二十年ちかくにもなります。 おさな 「このままだと、幼いころから友だちだったウマたちがほろびるかもしれない せいかっきろく しやしん ウマたちをまもり、ウマたちの生活記録の写真をのこそう : かぎよう おも こう決心したわたくしは、家業のひまをみつけては、重いカメラバッグをか みさき むちゅう ついで、岬のウマたちをおっかけました。あまり無中になりすぎて、がけから おお ころがりおちて、大けがをしたこともありました。こうしてためたウマたちの しやしん しようわ ねんあき とうきようぎんざ しやしんてんまっぴょう 写真を、昭和四十一年秋、東京・銀座のフジフォートサロンの写真展で発表す にっぽんしゅう ることかできました。岬のウマは日本中に知れわたるようになりました。 さいごに、出版にあたり、 写真家の叫由讎氏と、家業をおろそかにして、 つままゆみ かんしゃ ーしょま、つへんしゅうちょう いちばんの負担をかけた、妻真由美に感謝するとともに、あかね書房の編集長 やましたはるおし 山下明生氏にあっくお礼をもうしあげます。 みさき ふたん しゆっ・はん と みさき れい と とも みさき ねん 0
しみすようこうせんせい 清水洋香先生 写以、家か 四も ロ 真後ご業 : ン を 九宮ぐ時し で 九を、の九 担年崎 : 代を九 マ 撮と岬ミ国を五 当与串こ県を 保ょ都 民 す 間ま立 - 。 りの 護ご井。、年 2 っウ 宿年る 市し岬言年 2 山甲不火一プ ~ を 舎都と 立南 2 の 呂ゃ 呼ょ野や の井。、 けた 都と高ウ 崎 : び生東与るち 経中ぅ プト、 0 与 マ 県 か馬 、子 中第学を : と 都と の 呂 0 銀え け 生 校 5 学を , 校兄井。、 た写座ざ 活弯た を 校を 弟を岬 ; 真の 記きす退こ に卒の に 勤え業 : よ 展えフ 録さ 職 3 生ぅ を 務む わ っ ま の 岬言 る ひ の フ の れ 美びち く る ヨか 市え の り と す子こ つ 野やサ と 年き 体九 ど みさき
合風ーー都弗岬は しようりン、 京う 台風がまともに上陸 や尭 することが、たびた 山 ラ るびあります。五、六 ようふ、つ 十メートルもの暴風 先雨のときは、ウマた ふ、つ、つ ちは山かげの風雨を たしのぐことのできる タチバににげこみま をーち あらし 嵐の夜、にげおく ・れたウマが、群れを 呼んでいなないていることが、よくあります。 あき すく ふゅ 秋ーーウマたちは、エサの少ない冬にそなえて、もりもりたべます。 ざっそう 冬ーー応のの芝がかれると、ウマたちは、林のなかには、 しりこみ、雑草、 木の葉、カズラの葉、シダ類など、たべられるものはなんでもたべます。 しゅうせい 野性ウマには、このほかおもしろい習性があります。 はるさ は・くそう やま よる みさき
みさき 岬の野生ウマ 都井岬に、ウマがすみついたの げん いまから二百数十年もまえ ( 元 そだ ろくねん あきづきはんぐんば 禄十年 ) 、秋月藩が軍馬を育てる まきは ために、岬に牧場を作ったのか、 はしまりです。 ま医」は 牧場とはいっても、ウマたちは ねるところも、たべるものも、み なじぶんたちのカでさかさなけれ ばなりませんでした。なかまかふ えると、グルーフごとのなわばり かてきるよ、つになりました。 岬のウマたちは、こうして、野 生ウマとなったのでした。 みさき みさき みさき ひやくす、つねん ちから 純 , 。都と 粋ー井、 な山甲 ウは 白ウを”第朝夕 毛げマ . 響曾をに、 がと あよいイな りば第 んい ウマの白骨。死場所はきまっていません。 みさき はっこっ
ちち イ・子ウマの年翁の見わけかた、 ほしがります。はしめて乳を飲むときは、目かよ ・・生まれてすぐ・ー・ 尾の話がちぢし 、六かーーー尾が一まだのびきって。 ( ん。 - 、 : く見えないので、をならしておかあさんウマの 一歳ーー・からだのうぶ毛がぬけ、おとなの毛かはを ちぶさ 、第乳房をさがします。 ちち ニ歳ーーー毛はかんぜんにはえかわりま : ) 、つど、つ「第 二か坪もすると、乳のほかに、やわらかい 群れとおなし行動をするよ一つになり しはすこ 三歳 , ー、ーおなじ年のなかまと、カ、ら 芝を少しすっ食べるようになります。一歳をすぎ 四歳以上ーー・もう、 下ても、弟や妹が生まれなければ、やはりウ「の くさ ちち 乳を飲んだり、草を食べます。もちろん、子ウマ は芝草だけでも生きられます。 ちら すうねん 数年まえ、三歳もすぎたウマが、乳を飲んでい つるのを見たことがあります。母ウ「は、大きくな ちち , 孑をたつぶり飲まれてしま、つので、 った子ウマに、 よそ すっかりやせ紐っていました。 群れのなかで は、子どもたちょ はおなし年に生 ' < バ , 「気籌ィまれたものどう しで、なかよく : 当。、笙まれてまもない赤ちゃ " んウマ。 あそ 遊びます。 からだはぬれています。母ウマ なめてかわかしてやります。 おとうと おお
* 野生ウマの成長 ウマの出産期は、春ごろ しといわれています。ところ か、ミサキウマはあたたか とち しゆっさんき まため、出産期も一月から八 月とはばがあります。その 一がなかでも、いちばん多く生 まいねん す。毎年、十五、六頭生ま 生まれたばかりの子ウマ ころ ドは、野大に食い殺されたり ながあめ 梅雨の長雨のときに死んだりして、生きのこるのは十頭ぐらいです。毎年、死 おな かす おお んでゆくウマも同しくら ) しいます。生まれる数より、死ぬのが多いときもある すこ ので、岬のウマは長いあいだのうちに、少しすっへってきました。 じかん 子ウマは、生まれて一時間もすると、歩きはしめます。そして、すぐに乳を みさき なが がっ やけん しゆっさんき がっ がっ と、つ、つ おお よる がっ
呂、之浦 ー・、ひうかなた 日向灘 第↓第一第 ←串問へ といみさきとうだい 都井岬燈台 Li2 やま 扇山 1 らい ・くみんいくしゃ あリあけわん 有明湾 といみさきちす 都井岬地図 たにがわ ・谷川の「水クレ」 ・「タチノヾ」 しるし - ・印ば一〒水レ」のある鷸所 みす あいよう を、大いに愛用しています。 あさひ ウマたちは、朝日がのばると、ね どこの林から、丘にのばり、芝を食 みす みす 水がほー ) ノなると「水クレ」に 出かけてゆくのです。 はやし
* 岬のウマ地図 みさき た、、へ、、よう 太平洋 こまつがつじお ) ぎやま 岬のなかで、ウマたちがよく集まるところは、小松ケ辻と扇山とよばれるふ くさ おか たつの丘です。丘にはウマたちのすきな草がたくさんはえています。しかし、 きけん 危険がせまると、ウマたちは林のなかににげてしまいます。 はやし ) くつもあります。これはウマ オのなかには、「タチハ」とい、つところかし あんぜんちたい たちの安全地帯です。 みす みす 「水クレ」とよばれるウマの水のみ場も、 いゆしせし てけ 殺か たんか しサさら はめし野や ほのて大まウたろ ろ をだマりが んすウ退をまは でみマ治しだ天ー少 ! 落ぉ いよたしし然しち ついちたっ記きすて て場ばがりか今ね . し、ん一つタヒ し所し り物ぢへん まを う作んをた 指してり でった走保ほ定こき してちる護こさた野や よやだ自しをれの大 うらけ動与・うてでに なで車けいすお け生、、をてま そ れき匍にいす わ ばて限ま れ やせい みさき ・岬には野生のニホンサルもいます。 珱、お豆第のきぃ みささ みささ はやし いくつかあります。これは、人間か たにがわ 作ったものです。ウマたちは、谷川 みず みすすく の水が少ないので、この「水クレ」
みさきまきば ねん あきづきはん げんろくねんがっ ミサキウマは、元禄十年八月 ( 一六九七年 ) 、秋月藩が都井岬に御崎牧場を作 ノ、しまちほ、つ あきづきはんぐんば ったのがはしまりです。そのころ、串間地方には、秋月藩の軍馬をそだておぎ まきば なうために、たくさんの牧場があったといわれています。 まきば ひと めいじねんがっ 明治七年十月、都井にすんでいた人たちの手にこの牧場がわたったときには、 と、つ メス一一七頭、オス六頭ものミサキウマがいました。それか、エ在では、わす か五十頭ほどになってしまいまー ) た。 すぎぞうき みさき ぜっぺき たいへいよう 都井岬は、太平洋につきでた、絶壁だらけの半島です。半島は、杉と雑木の 、でおおわれています。 一たわすか、小松辻と、扇 おか 山という丘だけが、「 けばになっています。こん ・なわけで、ウマたちはが * 都井岬の野生ウマ あめかぜ じゅみよう 雨や風にあたってもへいきです。寿命もふつうのウマよりながく、二〇歳すぎ ても、子ウマを生むことができます。 かちく ろ、つじんはなし とち 土地の老人の話では、家畜として使っていたころ、四〇歳まで生きたウマが いたということです。ウマの四〇歳は、人間でいえば、百二十歳くらいにあた ります。 つか はんと、つ ひやく はんと、つ みさき