「 : : : お前、なに言ってるんだ・ : ? し ひねり出すようにコメントしたら、百太郎はいつもどおり のテンションで、「だって ! 」。 「もうすぐ卒業式っすよ ! 凛先輩、卒業したらすぐオース トラリアなんすよね ! ? そのまえに告白しておいた方がい いっすよ、ゼッタイーこ 「いや、あのな、御子柴 : ・」 「おんなじ遠恋でも、カタオモイとリヨーオモイじゃ、全然 違うと思うんでー・」 聞く耳持たずって感じだ。いったいこの後輩が何でこんな ことを一言ってるのかサッパリだけど、とりあえずそのとき宗 介は。 「いいからさっさと片付けろ」 くるりときびすを返して、プラシがけを再開した。 「ちょっとー・マジメに聞いてくださいよお、山崎先輩ーこ まだぎゃあぎゃあ言ってる背後の百太郎に、ため息をつ く。本当にこいつ、わけわからん。 それで終わったかと思いきや、理解不能な後輩は諦めなか った。宗介がひとりの時を狙ってはやってきて、「告白しな いんすか ? 」「しましたか ? 」「いつまで迷ってんすか ! 」の 応酬。こっちもそろそろ疲れてきた。 宗介はきよろきよろとあたりを見回して、誰もいないのを 確認した。寮の談話室。室内も無人だ。端っこのソフアに腰 掛けて、持参した缶コーヒーを開ける。 今日はまだ、うるさいラッコに会ってないあいつが毎日 毎日、どこからともなく現れては騒ぐから、洗脳されかけて いる。おかげで今日は凛に妙なことを聞くところだった。危 凛先輩に告白しないんすか 告白も何も、好きだなんて考えたこともなかった。凛はず っと親友で、ライバルで、この夏、かけがえないチームメイ トになった。それ以上なんて。 ソフアに深く腰掛けて、背もたれに首まで預ける。 そうか、確かに。かけがえないと思ってた。だけど。 「告白ねえ : : : 」 「やっとする気になったんすかー
今日一日で、彼の頭の中がどんなに空っぽで、目の前のこ とに夢中になる人間なのか分かったから。 宗介がこれから水泳部に入れば、練習漬けの毎日になって しまうことは目に見えているし、彼は彼女作りを頑張ると宣 言していたのだ。 らしくもない自分をあんなに引き出しておいて、このまま 別れて、彼は彼女を作り、宗介のことも忘れてしまうのだろ う。そんなの、あまりにもずるい 子供のような嫉妬。 そして、思いっき。 今日は自分らしくいられなかった一日なのだから、最後ま で自分らしくないことをしてしまおう。 これからの行動を全て目の前の彼のせいにすると、宗介は 大股でオレンジ色の背中に近づいた。 「・ : あのさー 一一 = ロ葉と同時に振り向いた彼は、宗介の気配に振り向いたの ではない。けれど、おかげでわざわざ振り向かせる手間が省 けたなと、目を細めて彼の顔を見下ろす。 振り向いた先に宗介が立っていて、彼も驚いたように宗介 を見上げた。 大きく見開かれた瞳と目が合うと、今日何度目か分からな い頬の筋肉が緩む感触。宗介は両手を伸ばすと、手のひらで 簡単に覆ってしまえる小さな頬を包み込む ぽかんと小さく開いたロ。まぬけ面、と心の中で呟くと、 その小さな唇を自分の唇で塞いでやった。 彼の初めてのキス。 よく考えたら、宗介だって誰かとキスをするのは初めてだ った。彼の初めてを貰って、自分の初めてもあげたのだか ら、きっとこれでおあいこだ。 大きいと思っていた瞳が、より見開かれていく。頬が桜の 色からリンゴの色になるまでその様子を楽しむと、やっと固 くなった身体を開放してやった。 「 : ・つ、な、な、ななななツーこ 「良かったな、夏休みまでにキス出来て」 「は、はあああああ ! ? 」 「じゃあな」 顔を真っ赤にして固まる彼に背を向けると、宗介はゆっく りと桜の中を歩いて行った。 真っ赤になった頬と限界まで見開かれた瞳は、今日見た彼 の表情の中でも一番面白かった。
今日は、鮫柄学園の入学式だ。 三年の自分がわざわざ入学式にまで顔を出さねばいけなか ったのは、今日から宗介もこの学園に通うから。 入学式に出席するわけでもないのに、わざわざ来る必要も ないのでは ? と思っていたが、職員室に顔を出せと教師に言 われてしまえば、特にそれを断る理由も見つからなかった。 こんな変な時期に転校してきた自分を、きっと親友は笑う かもしれない何故、どうしてと、勘のいい彼はきっとすぐ に疑ってくるだろう。けれど、その質問に上手く答えるだけ の嘘は既に考えてきてある。嘘をついてでも、宗介はこの夢 に縋るしか、自分の存在を確かめる方法がなかったのだ。 大切な夢を無理やり剥ぎ取られ、抜け殻となってしまった 自分がやっと見つけた希望のかけら。 ほんの一瞬でも、叶わなくても、縋ってみたいと思ってし まった。縋るしか、もう何も手元に残っていなかった。 自然と俯いてしまっていた顔。ふと目を凝らすと、足元に 散らばる無数の白い花びらに気が付いた。 穏やかな風に釣られて視線を上げた先には、目の前を覆い つくすほどのピンク色の景色。 至るところに植えられた桜の木が、ピンク色の花を満開に 咲かせて風に揺れている。一つ一つの花びらは白に見えるの 、たくさん集まるとこんなにも鮮やかなピンク色になのか と、そんな当たり前のことに、純粋に目を見開かせた。 思えば、東京でのニ年間、こんなにきちんと桜の木を見る ことはなかった。通っていた学校の校内には桜の木は植えら れていなかったし、毎日部活と自主練で忙しく、寮に住んで いた宗介は滅多なことでは校舎の外へ出なかった。 だからだろうかとても長い間、桜を見てこなかったかの ように久しぶりに感じる 眩しいくらいのピンク色の景色に囲まれると、一一年前、一 人でこの地を離れ、夢を真っ直ぐ見つめていた時の自分が目 の奥に蘇った。後ろなんか振り向けない不器用で真っ直ぐな 自分は、なんて眩しいのだろうか 今度は、わざと桜から目を逸らすように顔を俯かせる。桜 の中に囲まれて、重くなっていた足はどんどん鉛のように固 く、動かなくなっていく。 早くこんなところから離れて、家に戻ってしまいたい。や つばり、一人でこんなところまで来るんじゃなかったと、宗 介は重いため息をまだ冷たい風の中に吐き出した。
「うわっー・ ? 」 後ろから飛び出してきた百太郎に驚いて、コーヒーを落と しそうになってしまった。慌ててふり返る 御子柴百太郎、いつの間に。 「御子柴、おまえ : ・ 「告白するんすか ! ? するんすね ! ? いつつすか ! ? 」 先輩の話なんぞ聞いちゃいない。ぐるっと宗介の前に回っ てきた百太郎は、ソフアの肘置きに手をついて乗り上がらん ばかりの勢いで迫ってくる。 「やめろってのーこ 「いっ告白 ! ? いつですか ! ? 」 「しねえよーこ 迫り来る身体を押し返し、立ち上がる。談話室から出よう と入り口に向か一つけど。 「なんでしないんすかあー・」 ジャージを思いっきり掴まれた。こけそうになって声を上 げる。 「あつぶねえな ! 」 「先輩が全然一言うこと聞かないからっすよーこ 言うこと聞かないってなんだ。俺が先輩だぞ、一一年もー 「お前なあ、なんでそんなにしつこいんだよ」 のびるからやめろ、と裾を掴む手を振り払い、嘆息する。 だけど百太郎は相変わらずの勢いで。 「なんで告白しないんすか、わけわかんないっす ! 」 「わけがわかんねえのはこっちだ。お前が毎日毎日押し掛け てくるから、妙な気持ちになるだろうが」 「妙な気持ちって ? 」 「告白しなきゃなんねえのかなって : ・」 そこまで言ってから、しまったと思った。だけど前 = = ロ撤回 できない。案の定百太郎は目をキラッキラに輝かせ 「告白するんすね ! ? 」 「だからしねえってー・」 不覚にもこっちまで声が大きくなってきた。振り回されま くってる。この後輩に。 だんだんイライラしてきて、がしがし頭をかいた宗介に、 元凶である後輩は不満そうに唇を尖らせる 「なんでしないんすか。大体俺がこんなに : : : あ ! 」 ぶちぶち言ってた百太郎が、突如、ロを O 型にひらき、ぼ ん、と手を打った。 ・ : なんだよ」
「あのな。お前の言う通り、俺はたぶん、凛のことが好きだ った」 そう一言ったら、百太郎の顔がくしやりと歪む。 「それならーこ 「いいから聞けってーこ 強い語気で制したら、百太郎がしゅん、と肩をすくめた。 まったく、手のかかる後輩だ。 「だけどな、そんなもん自覚もしてなかった。俺にとって は、毎日、水泳が一番だった」 あのころの恋心はそういうものだった。凛への気持ちは、 水泳を思う気持ちとよく似てた。だから前に進まず、消えて しまった。だけど。 「でもな、違ったんだよ。お前のことだけ」 : え」 百太郎が見開いた目の端に涙が浮かんでる。泣かせたんだ な、と思って、ちょっとだけ心が痛む 「お前が追いかけてくるようになってから、ずっとお前のこ とばっかり考えてる。面倒くせえと思ってたはずなのに、来 ねえと気になって仕方なかった」 「・・ : : 先輩」 「進んでるんだ、お前のことは」 恋とはサメのようなもの。お前はラッコだったつけ。だけ ど、進み続けたことに違いない 少しの沈黙の後、ロを開いたのは百太郎だった。おすおず と、もしかして、と切り出す。 「もしかして、なんですけど」 「なんだよ」 「先輩 : : : 俺のこと、好き、なんすか ? 」 上目遣いで伺ってくる目元が赤い泣いたからか、それと も別の理由か う、と = = ロ葉に詰まった宗介、すこし考えてから顔をそらし て。 「 : : : わかるだろ」 「わかんないっすよ、全然わかんないー・先輩の考えてるこ となんか、一ミリもわかりません ! 」 「そこまで言うか ? 」 「いまだけでいいから、ちゃんと言ってほしいんすよー お、俺のこと、す、好き : : : なんですよね ? 」 また風が吹いた。まだ冬の気配を残す風。だけど、微かに 春の匂いがする。ニ人の間をするりと通り抜ける。
「俺はあんたなんかフラられればいいと思ってるーこ 「はあ ! ? 」 「そしたら、俺にもチャンスがあったのにーこ フラれる ? チャンス ? 何の話だ ? すっかり反撃する機を逃して絶句した宗介を、百太郎が睨 む。その目に涙が浮かんでいて、ぎよっとした。泣いてる ? 「お、おい、御子柴 : : : 」 「俺はずっと、山崎先輩のことが好きだった」 「でもあんたは凛先輩のことばっかりだからー・だからさっ さとフラれちゃってほしかったんですよーこ 予想外に継ぐ、予想外。これはどういう展開だ ? 「お前、なに言って : : : 」 「だけどもう、 しいっすー・山崎先輩のアホー・バカー・早く卒 業しろーこ 「ちょっと待て : : : つ、おいー・」 咄嗟の制止も聞かず、談話室から百太郎が飛び出してい がらんとした室内に一人残され、宗介。 卒業式当日、晴天なり。 人気のない裏庭で、花壇の縁に腰掛けて、宗介はぼんやり 景色を眺める。 ここ数日の好天と暖かな陽気で、桜の花がほころびかけて いる。入学式までもつだろうか。去年、自分の人生を変えた 出会いの季節。今年も桜が咲いていたらいいけど。 うーんと伸びをして、空を見あげる。淡々と流れていく、 静かな午後。 百太郎とのあの一件からニ日。一度も顔をあわせてない それまでは毎日どこからともなく現れて、告白しろって迫っ てきてたから、このニ日間はいやに静かに感じられた。 先ほど堅苦しい式は終わった。感動の担任挨拶もつつがな く終了。同級生たちはみんな思い思いの場所でしきりに記念 撮影したがって、だけど、あいにく自分には、この学校にそ : うそだろ」 一」んな展開、うそだよな ?
嫌な予感がする。もとい、嫌な予感しかない。 「さては山崎先輩、びびってるんすね」 予感的中。こいつ、ますます面倒くさい方向に猛進しだし 「バカ一一をつな」 ーえー・びびってるに決まってるっすー・凛先輩は海外に 行っちゃうし、卒業式は明後日だし、相変わらず先輩たちは 寮の同室で毎日会ってて、なのに告白しないなんておかしい っすもんーこ 絶対びびってますー・と断一言されて、怒りボルテージはぐ んぐん上昇中。なんだ、こいつ。人の気も知らないで 「・・ : : 御子柴、いいカ、冫 ロ咸にしろよ」 「怖いかもしんないっすけどー・日本男児たるもの当たって くだけろっすよ先輩 ! 」 「なんでくだけてんだよ」 「粉々になってもいいじゃないっすか ! 思いの丈をぶつけ ましようーこ こいっさっきから全然話を聞いてない聞いてないくせに 勝手な主張はしてくるし、大体こっちは凛のことを好きだな んてまだひとことも言ってないのに、告白とか遠距離とか挙 句の果てにくだけろとか、一体なんなんだ。 宗介の苛立がマックスに達しようとしたその時、百太郎が がっしと宗介の肩を掴んで。 「早く告白してくださいー・好きだって言うだけっすか 「うるせえなーこ 思わず声を荒げて、その手を振り払う。さすがに百太郎は 驚いたみたいで、大きな瞳をばちくりさせた。 「お前、この間から何なんだよ、しつけえんだよ」 叱り飛ばした宗介に百太郎が黙っていたのは一瞬のこと で、すぐにこちらを強く睨み返し、それから思いがけないこ とを一一 = ロった。 「先輩のせいじゃないっすか」 「はあ ! ? なんで俺のせいなんだよーこ 「先輩がはっきり告白してくれたら、俺だってこんなこと言 わなくて済むのにー・」 いよいよ訳が分からない。何を言ってるんだ、こいつは。 「俺の告白とお前は関係ねえだろー・」 「あるー・」 はっきり言いきられて、面食らった。その隙に、百太郎が
恋はサメのようなものって、なんのセリフだったつけな。 鮫柄学園の広いプールに、仰向けでぶかぶか浮かびなが ら、山崎宗介はぼんやり遠い天井を見つめた。 たまたま見た古い映画で言ってた気がする。恋とはサメの ようなものだ。その心は。 「前進しないと死ぬ : 小さく呟いた。耳元でちゃぶちゃぶ水が揺れる。 前進してないと死んでしまうのはマグロじゃないのか、サ メもそうなのかと感心した記憶があるけど、それなら、と、 宗介は思う。 俺があいつのことを好きだったとしたら、とっくに死んで るってことになる。だって前進なんて、これっぽっちも。 「おい、さっきから全然進んでねーぞ、お前」 突然頭上から声がふってきて、目線だけそっちにやった 恋とはサメのようなもの 蓮むかい 、り 「なにやってんだよ」 呆れ顔の凛が、プールサイドに立っていた。宗介はゆっく り足を降ろして、水中に立つ。 「お前も来たのか、凛」 「あんまり肩冷やすなって医者に一言われてんだろ」 どうやらこの心配性な親友は、呆れてるんじゃなくて怒っ てるらしい。大丈夫だ、と言いながら、近寄って、宗介。 「心配すんな、さっき来たところだ」 だけど、凛は相変わらず眉根を寄せたまま。 「なにやってたんだよ、今日は部活オフだぞ」 「お前だって来てるだろ」 「そうだけど」 まだ不満げな凛の横に上がり、今いた場所をふり返る きらきら光る水面。アクアプルーのプール。たった一年し かいなかったのに、思い出の詰まったこの場所。 「卒業前にお別れを言いたかったからな」 お前もだろ ? と横を見たら、凛はやれやれと嘆息した。 「まあな」 それから困ったように笑う。その顔を見たら、さっきまで
「ここどこだよーーこ まるで、宗介の心の声を代弁するかのような声は、真後ろ か、づ 振り向いた先には、白い花吹雪の中にくつきりと浮かんだ オレンジ色。よく目をこらすと、それが同じ白い学ランを着 た少年で、明るいオレンジは髪の色なのだと気付いた。 満開の桜の中で、その少年だけがまるで綺麗な絵本から抜 け出して来たかのように浮きだって見える。前髪の隙間から 覗いた黄色い瞳は、キラキラと太陽の光を浴びて、昼間に見 る眩しい太陽の輝きそのものだった。 その眩しすぎる瞳が自分を捉えた瞬間、大きく心臓が跳ね た。自分を後ろめたく思っていたのを見透かされたような、 咎められるのではないかと思ってしまう妙な居心地の悪さ けれど、少年は大きな瞳の上に乗った眉をハの字に曲げる と、後ろ頭をポリポリと掻きながら宗介に近づいてきた。 宗介の目の前で立ち止まった少年は、近くに来ると幼い顔 に似合わず意外と身長が高いのだと気が付いた。きっと、男 子の平均的な身長よりも高いのだろうが、幼い表情とクリク リとした目が、彼の印象を幼くさせる。 「あの 5 、ちょっといいっスか ? 」 「・ : なんだよ」 申し訳なさそうに伺い見てくる瞳。何を聞きたいのか、先 ほどの独り言と態度でなんとなく予想はついてしまう。 「ここ、どこですかね ? 」 「今日初めて来たから、分からん」 予想通りの一言葉に、用意していた一言葉を口にする。 正直、初めてでなくても、こんな入り組んだ校内の構造を 覚えられる自信なんて宗介にはないのだけれど。 「なーんだ ! じゃあ、俺と同じだーこ 彼が「同じ」だと言ったのは、きっと宗介が彼と同じ入学 式に出る新入生なのだと間違われられたのだろう。急に砕け た言葉遣いと態度に、まるで彼の頭の中が透けて見えるよう に考えていることが分かった。 おろしたての大きめの固い学ラン。着慣れないのであろ う、制服に着られている着こなしと余った肩幅。 彼がこの鮫柄学園の新入生なのだということは、明らか
「入学式ー・ : って、もう終わってるじゃーんーこ やっと校舎に戻って来た頃には、もうとっくに入学式は終 わってしまっていた。正門に大きく掲げられていた入学式の 看板も、大勢居た新入生たちの姿もなくなり、朝に見た時の 喧騒は嘘のようだ。 「お前が遊んでるからだろ」 「ひつでー ! 俺がここまで連れてきてやったんだろーこ 「ぜってー兄ちゃんに怒られる 5 ーこ 正確には、本当に海に大を散歩しに来た地元の住民に道を 聞けたからだ。きっと、彼は宗介が道を尋ねなければ、また 海に飛び込むつもりだったに違いない 宗介がじと目で訴えた視線は、頭の軽い彼には通用しない らしい。がつくりと肩を落とすと、入学式の看板が撤去され た正門をくぐって行った。 宗介もその後を追いかけるように進むと、またあのピンク 色の花びらと穏やかな風の世界が広がる。 大きな煉瓦造りの正門と、多くの桜の木。そこは、数時間 前に見た景色と、まったく違う空間に見えた。 その真ん中を歩いていく小さな、そしてキラキラ光る後姿 は、何故か初めて会ったときよりも輝いて見える。絵本から 抜け出してきたように見えた少年は、もう手を伸ばせば触れ る距離にいる。そう思えば思うほど、輝きは増す一方だ。 あと数時間もすれば日も落ち、辺りはタ焼けに包まれるだ ろう。けれど、きっと太陽が隠れてしまっても、この少年の 瞳は太陽の輝きを纏ったままだ。 「ねえ、あんたもこのまま寮行くの ? 」 「いや・ : 俺は、今日は実家に帰る」 人を笑顔にしてしまう、不思議な力を持っ少年。 それは、宗介だけに有効な力だったのかもしれないが、そ のことにこれから他の人間が気付いてしまうかもしれない事 が、悔しかった。彼に最初に会ったのは、自分なのだ。 今にでも寮へ向かい走って行ってしまいそうな軽やかな 足。手を伸ばせば引き止める事は簡単なのに、その先に続く = = ロ葉がまったく思い浮かばない。 新入生ではない自分は、もう彼と会う機会もなければ、そ んな暇もなくなる。きっと、暫く会わないでいたら彼が自分 を忘れてしまうのなんてすぐだ。