私はハッチャンが飴玉をくれると、彼の見ている前でそれを他の子にやってしまったりしま した。みんなの先頭に立って、 「イロハのハッチャン、 ハッたろかア」 とはやし立てたりもしました。ハッたろか、というのは関西弁で殴ってやろうか、というこ とで、初太郎という名前にかけているのです。また私は ( ッチャンが私のために悪戯っ子とわ たり合い、簡単につき転がされるのを見ては、わざと笑いこけたりしました。その他、私はハ ッチャンに対していろんな残酷なことをしたのです。 けれども私はハッチャンが嫌いだったわけではありません。いや正直にいうと、私には、ツ チャンをいとおしむような気持があったといえるでしよう。私が彼に残酷だったのは、彼が汚 けんか なかったせいでも喧嘩に弱かったせいでもありません。彼が私を好きたったからなのです。 彼は私に献身し、私がいくら意地悪をしてもへこたれずに私のために尽くそうとしたからで す。もしハッチャンが私に無関心であったなら、彼は私からそんな意地悪をされすにすんだに ちがいありません。 男にとって女が神秘的に見えるのは、あるいは女のなかにこうした悪魔的な残酷性が潜んで いるからではないでしようか。 男にとっておそらく、この女の意地悪ほど不可解で始末に負えないものはなく、それゆえ、 女を魅力的で神秘だと誤解してしまうのかもしれません。ニイチェは女の残酷さについて、 「女と男の間の喧嘩のあとでは、男は相手に苦痛を与えたという思いに苦しむが、女が苦し いじめ
愛にひそむ残酷さ 小学校の一、二年の頃、私と同じクラスにイロハのハッチャンという男の子がいました。 みようじ 「イロ、 という屋号の肉屋の子供で、正式の苗字は何とか初太郎というのでしたが、誰も彼 のことを正式に呼ぶ者はなく、もつばらイロハのハッチャンで通っていました。イロハのハッ ししかに、もひょ、つ」 チャンのほうが語呂がよかったし、また彼はそう呼ばれるのにふさわし、 んな気の軽い子供でした。 イロハのハッチャンはどうやら私のことを好いている様子でした。もちろんそれを感づいて いるのは私ひとりで、もしかしたらハッチャン自身でもそうした自分の感情に無意識だったか もしれません 。ハッチャンはお弁当を持って来ないで、いつも学校前の。ハン屋でパンを買って あめだま いましたが、そのときにパン屋がくれるオマケの飴玉一個を、自分は食べないでそっと私にく 日 れるのでした。また ( 〉チャンは私が運動場で飛びや「リつきなどをしているときに、邪魔 のをしに来たりする悪い子供がいると、必すどこからか走って来て奮戦してくれました。しかし からだ 幸ハッチャンの腕力は弱く身体も小さく、いつも勢いばかりよくてすぐに転がされてしまうので みずばな つめえり した。彼はいつも水洟を垂らし、霜ふりの詰衿を着、坊主刈りの頭は伸びて、どことなく橋の ひょしまる 上に寝ていた日吉丸を連想させました。
むのは相手に十分、苦痛を与えなかったという思いである といっていますが、女が残酷なのはなにも憎しみや怒りや嫉妬にそそられたときばかりでは かちゅう ありません。女は常にたとえ愛の渦中にあっても残酷さをに潜めて暮らしています。意識す るとしないとにかかわらず、それは女のやわらかな胸の下でその優しさや親切や無邪気さや忍 耐と同じようにはぐくまれ育っています。男が残酷になるためには、怒りや憎しみの力を借り ねばなりませんが、女のそれは微笑やクスクス笑いといっしょにそこにいるのです。ふと彼女 がその気になれば ( ああ、このふとがまた、男を悩ませるものなのですが ) 、魔法使いのコビ トがあらわれるように、もうそこに来ているのです。そして彼女はそれをたのしみます。それ とたわむれたり、いじくりまわしたりして、笑いながら ( あるいはすました顔で ) 男の胸を突 き刺すのです。 ハッチャンと二人きりで遊ぶとき ( 私たちは幼稚園からの友達で家も近くでした ) 、私は優 しく親切でした。彼はときに応じてママゴトのお父さんになったりお客さんになったり、また みつぎもの 間赤ン坊になったりしました。ときとして彼は王様に昇格し、家来である私の手から貢物を受け のたりするかと思うと、急転直下、犬にさせられました。彼はワンと一声吠えてビスケットを貰 幸ったり、またいつまでもおあずけをさせられたりしたのです。しかしそうかといって私はハッ チャン以外の男の子にもそんなことをしたわけではありません。私は恥ずかしがり屋で齪 0 、 傷つきやすい子供でした。私が残酷になることができたのは、ハッチャンを〈自分のもの〉だ ふと , 」ろ もら
単細胞夫人 ある幼稚園で、毎年一度、園児の歌や劇を父母に見せる発表会というものが開かれるが、こ の発表会のあと、毎年、 ( ンで押したように起こる事件がある。何かというと、園児が演しる もんちゃく 劇の配役について、おかあさんたちの間で色々と悶着が起こるというのである。 がら うちの x 子は〇子ちゃんより柄もあるし、声も大きいのに、幕のかげで歌を歌うだけだ ったのはどういうわけかとか、〇子ちゃんの家は寄付を沢山なさったからねとか、そのうち何 も知らぬ子供にまでト。ハッチリが行って、 「 x 子、しつかりしなくちやダメじゃないの、。ホャツーとしているからこんなことになるの れ の 女 と子供を泣かせるさわぎ。そこでついに園長先生、意を決して、ある年の発表会の前におか の 銘あさんたちを集めて説明した。 「発表会の役について、決して決して子供に何かいうようなことはしないでくたさい。賢い と 妻 子、カのある子がいい役をもらうとは限らないのです。恥すかしがらない子供さん、声の ( ッ キリしている子供さんなどが、どうしても重要な役をもらいますが、そのことで子供の将来と か能力をとやかくいったりきめたりしないでくたさい」 たくさん
キリキリまい夫人 月に二千円ずつ貯金をしようと思いきめた奥さんがいた。それを実行しはじめてから何か月 かたって、預金通帳を見るのが奥さんはたのしみである。 ところがある月、夫の身内に不幸が起きてそのために出費がかさばり、貯金ができないこと になった。すると奥さん、カッとなった。 「せつかくここまでひと月も欠かさず貯金して来たのに、 x x さんのためにメチャメチャに されてしまったわ ! 」 とご亭主に向かって激怒した。貯金の金が全部なくなってしまったわけではないのだ。ただ れ 哀一か月、ぬけたたけなのだ。だがご本人はもうすべてがうちこわされてしまったように思いき 女め、怒りに怒るのである。 ささい 名 この話は何でもない、ありふれた些細な出来事である。しかし私たち女のまわりには、これ とに似た出来事が案外、満ちているような気がする。 妻 たとえば教育ママといわれ、ジャーナリズムから攻撃されたりからかわれたりしている一部 の現象も、本質的にはこの貯金の話に似ている。子供の成績がクラスの三番以内でないと、そ の子供の人生にヒビがはいってしまうかのように思い込む人がいる。このごろの若いおかあさ
106 かって妻と呼ばれる身であったころ、私は朝にタに夫に対して腹を立て、怒りののしってい る妻であった。その原因は大ていの場合、夫がいかに家庭の建設に対して非協力的であるか、 いや非協力というより時には破壊者であるか、というようなことであった。 例えば夫は時間 ( ことに帰宅時間 ) を一切守らぬ。出先はいわぬ ( 留守中、私が死したら どうなるか ! ) 。家計に無関心。むだづかい。家計費を持出す。ふろ場が白アリに食われよう とタナが落ちて来ようとどこ吹く風 しかし、こんな私の夫も極悪亭主というわけではなく、およそ日本の夫婦の九割までは、同 ふんまん じようなモメごとにかかずらっており、ほとんどの妻はこういう不満、直懣を終始、夫に対し て抱きつづけ、夫はその憤懣を投げつけられて閉ロ、あるいは閉ロしたフリをして今日に至っ ているのであろう。 まいしん 女房という存在の哀れは、彼女が″家庭の建設〃という大義名分に向かって一心不乱に邁進 する点にある。私は女房をやめて、ハッキリそれがわかった。まじめに、ひたむきにキッと目 的をにらんで進む勇敢な兵士のようなひたすらな猛進の中に、何ともいえぬ哀れがある。本当 女の哀れ
まことの男 先日、さる若い男性と話をしていたら、突然、こんなことを訊かれた。 「佐藤さんは女にサービスする男はダメな奴だといわれているけど、なぜですか ? 」 丁度酒の席であったが、一瞬、私はグッとつまり、思わず目をシロクロさせた。このとこみ ちょうだい 私は " 男性評論家。などという珍奇な肩書きを大まじめな編集者から頂戴するほど、世の男 に対してアレコレとイチャモンをつけるのを商売として来た。 例えば車に乗るのにいちいち女を先に乗せる必要がどこにあるかとか、 = レベーターに女が 乗るとシャッポをぬぐろくでなしがいるのは清けない、とか、女の荷物を持って歩くやつは屮 世せんとか、日曜サービスにはげむ男はグウタラであるとか、腹が立ってるのに女房を殴らわ かいしよう 男は甲斐性なしである、等々 : : : である。 たいとう 顔私は大正末期に生まれ、明治初年生まれの父に育てられ、軍国主義の抬頭の中で少女期を語 ち ごし、戦争の中で青春時代を送った。私の父は日本がアメリカと戦争をはじめたとき、こう 男 んた。 「日本は勝つにきまってる。女の機嫌ばかりとって来たやつらに何が出来るー 実際は女の機嫌ばかりとっていたやつらが勝って、女に機嫌をとらせていた日本の男子は
212 そうくん 川上宗薫のこと 川上宗薫と知り合ったのは、同人雑誌「半世界」の同人会であった。十年前の初夏の頃だっ たと思う。私はかたく織ったウールのサックドレスを着ていたが、宗薫は開口一番、サックド レスというものは大へん結構なものだ。服の中の空間に女のオッ。ハイや腹やらがありありと感 じられるのがよろしい、という意味のことをいった。宗薫は目をキョロキョロさせ、自分が並 外れた女好きであることを、むしろ誇示している風があった。が、後から思うとそれは私の思 いすごしで誇示ではなく、無意識のあらわれだったようである。 その後、宗薫はときどき私の家へやってくるようになった。来るとたいてい食事をした。よ その家で食う飯ほどうまいものはない、といって、わざわざ昼食ヌキでやってくるのたった。 しな あんまり食べるので私は宗薫がくると、いつもおかずの品を落とした。やってくると泊るか深 夜までいて、夜食の催促をする。野菜などもあまりよく洗わず、残り物をぶちこんでおじやを 作ると、「こんなうまいおじやを食ったことはない」といってよろこんで食べた。宗薫が来る と我が家の食物は大根のシッポまでなくなってしまう。そこで私はいった。 「川上さん、自分のノミシロくらい持って来なさい」 彼は素直にサントリ ーの角ビンを持って来た。私はその瓶に「川上用」と書いて戸棚にしま びん とだな
うずま しし / 、刀ュノ 独占欲の渦巻きの中にアップアップするようになるのだーーー私は先輩ぶってそう、 とら のだ。目に見えぬ力があなたを動かす、いくら逃れようと思ってもそれはあなたを捉えて放さ ない。自分で自分をどうすることも出来なくなってしまうのだと。 しかし私のその言葉は、そのときその一座の中で、何やら陳腐で場ちがいな感じを残して消 えてしまった。若い人たちは私のいったことを黙殺し、そうして一人がこういった。 「とにかく、いかに傷つかずに人を愛するか、その技術をマスターすることよ。だって愛す さみ る人がいないなんて、やつばり淋しいもの」 すると別の一人がいった。 「契約恋愛なんてどうかしら ? 二年とか三年とか契約して、恋愛を楽しむのよ。契約ギレ の時が来たら、多少の未練があっても別れるのよ。別れもまた楽しからずや、というわけよ。 それ以上飽きがくるまで一緒にいたらお互いに失望を味わうだけつまらないわ」 当世はまことに合理化の時代である。料理を作るのがいやならインスタント食品を買えばよ りゅうびじゅっ 間い。暑ければクーラーを、山登りに自家用車を、鼻が低ければ隆鼻術、ハゲ頭にはカッラ : のという具合に、さまざまな形で我々は苦痛を排除することができ、自分の好む快適さを手にし しいほどで、こうした生活の中 幸ている。現代人にとっては幸福イコール生活の快適といっても、 では、最も贈まれ嫌われるものは何かというと、「苦痛」ということなのである。 苦痛への抵抗力を失った人間は、肉体の苦痛ばかりでなく、心の苦しみに対しても弱くなっ