マージャン - みる会図書館


検索対象: こんないき方もある
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1. こんないき方もある

結婚・その城の幻影がくずれるとき ある日、知りあいの若い奥さんから手紙が来て、その最後に一行、「現実暴露の悲哀を感じ ている今日この頃です」とあった。その奥さんは結婚してまだ一年にもならぬ新婚夫人だった ートに立ち寄ってみた。そしてよく話を聞いてみると、 ので、私は所用のついでに彼女のアパ 彼女のいう「現実暴露の悲哀」とは、ご亭主が土曜日というと、徹夜マージャンに出かけて行 って、日曜日の昼すぎにならないと帰らないということなのである。 「私はなにもマージャンをやるのが悪いとはいわないわ、折角の土曜と日曜日を、妻と過ご すよりもマージャン友達と過ごす方が楽しいということが、ロ借しいのよ、情けないのよ : そういう一言葉をきっかけとして、彼女は延々数時間にわたって、彼女の結婚に対する夢が、 みじんくだ ーマン夫婦にとって土曜日の午後と日 微塵に砕かれてしまったことを嘆いたのだった。サラリ 曜日は、どれほど貴重な時間であるか、そしてまたいかに妻はその日を充実させるためにいろ : ところがどう いろと楽しいプランを心に練り、その日のご馳走のために倹約をしているか : だろう。夫は自分の楽しみだけを追うエゴイストだったのだ。いや、本当に夫がマージャンを それほど好きなのならば、妻たる者は夫の喜びのために耐え忍ぶであろう。だが本当は、夫は

2. こんないき方もある

170 る人も少なくない。 たた 「なにが面白いのかしらねえ。お揃いのどてら着て、お酒飲んで歌を歌って手を叩く。あと はマージャンして寝る : : : 。実際、 ハカ・ハ力しい旅行ったらないわー かげ という具合だ。その言葉の蔭には、もしゃ温泉芸者と : : : とか、女子社員の誰かと : : : など という疑惑が、暗い雲を呼んでいるのである。 山登り、スキー、競馬、マージャン、とこう並べて来ると、日本の家庭では確かに男ばかり が楽しんで、主婦はいつも留守番、という場合が多い。だがしかし、もし一人の夫が妻に向か って次のようにい、えば、どういうことになるか。 「なるほど男は確かに自分勝手に遊んでいる。たから女も負けずに遊べばいい。 さあさあ遊 びなさい、遊んで来なさい。どこへでも好きな所へ行って思う存分、遊んで来なさい すると妻は何と答えるか。 うれ 「あら、そう。嬉しいわ、じゃあ、行って来まアす : : : 」 と直ちに答えることの出来る妻は、果たして十人に一人いるか、二十人に一人か、いや、五 十人に一人いるかいないかくらいの率ではないだろうか。彼女たちの大半は、こう答える。 「そんなお金、どこにあるの」 それからこうた。 「そんなお金があったら、テレビ買い換えるわ : : : 。あなたの夏服だって作らなくちゃなら ないし、靴も痛んでるし : カーテンだって色褪せて来てるし : ・ あれこれ思うととても いろあ

3. こんないき方もある

138 そのとき居合わせたおかあさんたちはいっせいに笑った。その笑いはたしかに「まあ、なん てオロカなことを先生は心配していらっしやるの」という笑いだったはすだ。ところが発表会 うずま が終わってみると、去年と同じ色々とうるさいことが、子供のまわりを渦巻いたのである。 「つまりヒトゴトの場合は笑っていても、自分がかかわると、たちまち変わってしまうんで すねえ」 と園長先生は嘆息していわれた。女が男に及ばぬ点は、女には客観性が持てぬことだとよく いわれている。 しかし厳密にはその客観性なるもの、自分がかかわっているのではない限りにおいては、な かなか見事に働く場合もあるのである。 「女房のやくほど亭主もてもせず、よ。ご亭主のご面相をしつくり見れば、どういうことか わかりそうなものなのにねえ : などと笑っていたさる夫人、自分の旦那さんが一夜帰らなかったのは、マージャンにきまっ ている、うちの主人はああ見えて女にはあまり関心ないのよ、としごく淡々としたものである。 ところが、その旦那さんは二年も前から女が出来ていたという。すると前記のヤキモチ夫人笑 って曰く、 「あのご主人が女に関心ないなんて、どこを押せばそんな風に思えるのかしら : : : ホントに お人がいいわねえ : : : 」 いわ

4. こんないき方もある

でも通用させられるという不思議な考え方がある。徹夜マージャンをするのも、「仕事のため」 なら、はしご酒も「出世のため」である。そして妻や子供は「おとうさんのため」にがまんす るのが美風とされて来た。そこで男性は「仕事のため」という大義名分をふりかざしては、好 き勝手をやるというテを使う。 「会社のつきあいの大事さが、お前にはわからんのか ? 」 この一声は万雷の重みを持って女房に響くことを、彼はよく知っているのである。 「男は、女に対して欲望しか持ちえない。 これは、女をがっかりさせる。女は、男に対して は愛情しか持ちえない。 これは男をうんざりさせる」 かくぜっ フランスの作家アンリ・ド・ モンテルランは、男と女の根本的な隔絶について、そんなこと をいっている。たしかに男性の中には女を愛し愛されることの喜びよりも、女を自分のものに すぜん することの喜びの方が多くふくまれているように思われる。日本にも昔から「据え膳くわぬは 男の恥」という一言葉があるほどで、女にとっては愛情のともなわない肉体関係は考えられない が、男は愛情とは無関係に、 いくらでも関係を結ぶことができるのである。 わたしはあの人を信じていた、人も羨むほど愛しあっている恋人同士だったのに、あの人は わたしを裏切って他の女にイロメを使って : : : と裏切られた女がくやし涙にかきくれて大騒動 へいしんていとう を起こすことがよくある。そんな時、男はどうにも弁明のしようがなくて、ただただ平身低頭 するばかりである。たが平身低頭したからといって、彼がもう他の女に関心を持たないとは、 うらや

5. こんないき方もある

女房のやきもち 嫉妬にもいろいろあるが、世の中で最も愚劣な嫉妬は女房のやきもちだといった人がいる。 そういうことをいう人はもとより男性で、しかも夫としてよからぬ振舞いの多い人にちがいな も、フ さいぎ いのだが、彼にいわせると女房のやきもちの愚劣さは、事実のあるなしにかかわらず猜疑、妄 そう 想にかられてやきもちをやくことにあるという。 そういわれてみるとなるほど私の身近にも夫の帰宅時間が遅いとすぐに浮気と結びつける奥 さんがいて、翌日は旦那さんのワイシャツの匂いを嗅ぎ、ハンケチを調べ、マージャンをした という友人宅へ確認の電話をかけるというさわぎ。私も女房族の ( シクレであるから女の猜疑 れ こうではないかと思い、あれ 哀むの始末の悪さについては経験がある。ああではないかと思い 女これ想像をたくましゅうしているうちに、それらすべてが事実のように思われてくる。やきも 銘ちの苦しさは、事実を完全に掌握したときよりも、猜疑心が無から有を、シロからクロを見出 ちょ - つり・よう さんとして跳梁するときであろう。 と 、張らねばいい張らぬでそれまた 妻相手が事実無根をいい張ればいい張 0 たことが怪しく、いし 怪しからぬと思う。そのときの女の心の中には、自分が作り上げたさまざまな仮構が入り乱れ はとん るのだが、ふしぎなことはそれが妄想であってほしいと願うよりも、事実であることを殆ど期 しっと にお

6. こんないき方もある

それほどマージャンが好きというわけではないのだ。夫は誘われると断れない人なのだ。つま り夫は妻への愛情よりも友人の方を大切に思っている男なのだ : ・ 実際に彼女がしゃべった一 = ロ葉は、ここに書いた一一 = ロ葉の数万倍にも達していると思う。だが、 その言葉の中からは、彼女が持っている結婚生活の理想というものが、「土曜日と日曜日を夫 婦二人きりの楽しい時間とする」ということだけであるかのような印象を私に与えたのであっ 「あなたの結婚生活の理想はどういうことにあるの ? 改めて私がそう訊くと、彼女は即座 「夫の喜びを妻の喜びとし、妻の苦しみは夫の苦しみとなゑ一心同体の夫婦」 と答えた。なるほどこれは確かに理想的な夫婦の一つの型にはちがいない。たが、それに近 づくということは、米粒を一粒二粒と畳の上に並べて行くような、日々の積み上げを重ねて行 くということなのだ。まだ米粒が二十粒か三十粒並んたあたりで「現実暴露の悲哀」を感じる いっちょういっせき のは気が早すぎる。理想というものは、そう一朝一タに手に入るものではない。結婚生活とい そろ 間うものが相対的なものである以上、夫婦が足並揃えて同一の理想に向かうということにはさま のざまな困難が横たわっているのだ。 幸 私のところへは色々な女の人がやって来て、ご亭主のおのろけをいったり、悪口をいったり して帰って行くが、そうした話を聞いていつも感じることは、女生というものは、目的に対し

7. こんないき方もある

が好きならば家内中、それを認めぬわけには行かぬ、という意味である。昔の女は夫が猿芝居 の猿太夫のように、赤い烏帽子をかぶっているのが恥ずかしくてたまらなくても、夫がそれを 好んでいる限り、猿太夫に我慢したのである。 つりかわ ところが今は、″女房の好きな赤烏帽子〃だ。トックリ脚にミ = スカートはいて電車の吊皮 を持てば、ビンクの。 ( ンティが丸見えという女房でも、我慢して横に並んで立っている。そう ののし かいしよう して夜は夜で、女房からやれ甲斐性なしたの、インポテンツだのと罵られるのが怖くて、わざ とマージャン屋で時間をつぶしたり、こっそり医者に相談に行ったり、同病者相集いて婦人雑 誌の″夫婦生活のしおり〃などを恨み、嘆き、慰め合うという有様。 から 「うるさいッ ! さわるな ! 」ぐらい一喝すればどうかと思うのだが、せいぜい空イビキを たぬき かいて、狸寝入りするのが勇気のある方た、という。 こんな男性を掴まえて、どうして「レジャーにおける男性横暴論」などをぶつことが出来よ う。世の中にゴルフウイドウとかいう一一 = ロ葉があるそうだが、これなどは″レジャーにおける男 本 そろ の性横暴れを表わす筆頭の言葉たといった人がいる。なるほど夫婦揃ってゴルフを楽しむことの 出来る人は、特殊な階級の人に限られているようで、一般市民の家庭では女房は留守番ときま 本っているようだ。 男 「ほんとに男はいいわねえ。家のことは妻に委せきりで、自分は好き勝手なことが出来て : とブツ。フッいっている奥さんは、確かに沢山いる。また夫の会社の慰安旅行に腹を立ててい つか ら いっかっ たくさん まか