亭主 - みる会図書館


検索対象: こんないき方もある
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1. こんないき方もある

139 妻という名の女の哀れ ご両人とも他人のご亭主のことだけはズ・ハリ見ぬいている。 「女は単純で主観的だから、まったくやりきれないときがあるが、しかし、その弱点をうま くねらえば、だますのは案外簡単たよ」 とはさる不良亭主の言葉。奥さま方ご用心を。

2. こんないき方もある

も面白くないのねえ、とかげ口をきかれたりしているのである。 ところが一方、あの人が来ると面白い、と歓迎されている夫人がいて、何が面白いのかとい うと、亭主の悪口をしゃべりたてるからだという。最近の傾向では、ノロケ組は悪口組に圧倒 されわれもわれもと悪口組はふえる一方。 「あの人ったら、ダンナの自漫ばかり 。バッカじゃないかしら」 とついに良妻はティノウあっかい。一座は次から次からくり出される夫の悪口に酔い痴れ、 キャアキャアワアワアと歓声をあげ白熱して時のたつのを忘れる。 にごり水一が吐 思う存分、夫の悪口をいい尽くすと、あたかも井戸がえをしたあとのように、 き出されてサツ。ハリするものだが ( それは私もしばしば経験している ) 、よその亭主の悪口を りゅういん 聞いて溜飲が下がるというのも、考えてみれば妙な心理である。 れ 哀 、いム虫 うちの亭主だけかと思ったら、そうでなかったのだ。ああ、仲間がいたのだー の 女仲間 , 名 と雪山遭難者なみの心理なのかもしれないし、 よくそ言ってくださいました。それそ、私の言いたかったこと , と 妻 と、物価値上がり反対演説者への共鳴に似た心理なのかもしれない。 ぐち かっての妻は実家 ( さと ) の母への涙のたよりの端でわずかな愚痴をもらし、井戸端のヤナ ギの下で洗濯しながら「女ってつまらないわねえ」と同病相あわれんで、みずからを慰めた。 せんたく

3. こんないき方もある

いる現代のご亭主族が歩む道は、責任は少なくてすんでいるかわりに、違った面での不足があ ることは当然である。利ロな男性たちはいうまでもなくそのことをよくよく知っておられるの だ。そこで、彼らは沈黙する。 彼らは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで遊園地へお供をしたり、お中一兀の買物について歩 いたりする。世のなかでなにが気の毒といって、奥さんの買物について行っている旦那さんほ ど気の毒なものはない。同じ買物に行くなら、奥さんを引きつれて行ってもらいたいものたが、 どういうわけかこの節はついて行っている、という感じの旦那さんが多い。こういうご亭主族 を、愛妻家たなどと思って、喜んでいるようでは、女もまだまだだめである。こういうご亭主 にかぎって、かげでなにをしているかわからない。 男がいくじなしになったから、女が強くなったのか、女が強くなって来たから、男が弱くな っていったのか、この卵と鶏式の問題を打ち切る時期はもうそろそろきてもよさそうなものだ 音と思う。それには目下のところ図に乗っている女に期待するよりも男性の奮起を待っことだと の思う。男性の本来の本能であった闘争本能を、復活させてもらうことたと思う。 子供を産むのに月給の額と首っぴきで産むなどというやり方は、合理的だかなんだか知らな のいが、なんというおもしろ味のない人生たろう。抵抗のない人生、計算のなかにおさまった人 男 生を男が好んでいる限り、男生はいつまでも女の尻についてうかぬ顔で買物に歩いていなくて はならないであろう。

4. こんないき方もある

114 世の奥さんがたにご亭主がたのことを話すとき、ふしぎなことがひとつある。それはノロケ をいうか、悪口のどちらかにかたよることで、その中間がないということである。 むかしの妻は世の中へ出ることもなく、モグラのように家の中でゴソゴソしているたけで、 たまに出ることがあれば、夫のかげで小さくなっているのが良妻とされ、威厳をつけるために ロヒゲなどをはやしたご亭主から、オレサマは偉いんだそ、お前を養ってやっているんだそ、 と恩にきせられると素直にそういうものと思いこみ、ひたすら夫を尊び従い 「ソ・ハは〇〇にかぎる」 といわれれば〇〇以外は決して食べず、 げすげろう 「金をためるやつは下司下郎」 といわれれば、うちが貧乏なのは夫が上等の人間である証拠と思いこみ、 「 x x 部長は無能無才だ」 と聞けば、早速そのことをいいに隣の奥さんをたすねたりして、ホントは無能無才は自分の 夫だったりすることがままあった。 女同士の雑談の席でも、主人がねえ、主人がねえ : : : を乱発して、あの人の話って、ちっと ささやかな進歩フ

5. こんないき方もある

138 そのとき居合わせたおかあさんたちはいっせいに笑った。その笑いはたしかに「まあ、なん てオロカなことを先生は心配していらっしやるの」という笑いだったはすだ。ところが発表会 うずま が終わってみると、去年と同じ色々とうるさいことが、子供のまわりを渦巻いたのである。 「つまりヒトゴトの場合は笑っていても、自分がかかわると、たちまち変わってしまうんで すねえ」 と園長先生は嘆息していわれた。女が男に及ばぬ点は、女には客観性が持てぬことだとよく いわれている。 しかし厳密にはその客観性なるもの、自分がかかわっているのではない限りにおいては、な かなか見事に働く場合もあるのである。 「女房のやくほど亭主もてもせず、よ。ご亭主のご面相をしつくり見れば、どういうことか わかりそうなものなのにねえ : などと笑っていたさる夫人、自分の旦那さんが一夜帰らなかったのは、マージャンにきまっ ている、うちの主人はああ見えて女にはあまり関心ないのよ、としごく淡々としたものである。 ところが、その旦那さんは二年も前から女が出来ていたという。すると前記のヤキモチ夫人笑 って曰く、 「あのご主人が女に関心ないなんて、どこを押せばそんな風に思えるのかしら : : : ホントに お人がいいわねえ : : : 」 いわ

6. こんないき方もある

あるじ 取っているのではないだろうか。昔の夫は一家の主という権威の上にアグラをかき、地震、雷、 火事の次に位して女子どもを睥睨していた。その代わりに何かことがおきたときは、妻は、 「おとうさん、たのみますよ」 と一言いえばそれでよかった。しかし今の夫婦は違う。昔のご亭主のようにいばらないかわ りに、今のご亭主は、 「おい、何とかならないか ? お前もすましてないで何とかしろよ」 という具合である。 「うちの女房は偉いんた。オレの収入の倍も取ってるんだ」 などと、女房の自尊心をあおっておき、さて自分の収入はチャッカリと小遣いに使ってしま うという寸法である。 ′」うき : とか、・女ごとキ」が : 謹厳実直とか、豪毅な精神とか、男たるものは : : とかいう考えや威 音厳が男性からなくなっていったのは、男性が男女平等の見地からそれをなくそうと努力したか のらではなくて、それがないことが彼らにとって最もらくな生き方であることに気づいたためで はないだろうか ? いばっているおかげで、何もかもを一人で背負って家族を養っていく苦し 音 本 い人生よりま、 。いばらないで女に助けてもらった方がトクなのである。低姿勢、恐妻、悲しき 男 。、。ハなどと自らいっている男に限って、そういう隠れミノのかげに隠れて、おおいにしたいこ 7 とをしているようである。 元来、男性は女性よりも強いエゴイズムを持っているものである。なぜなら社会の中で生き

7. こんないき方もある

168 女房は理解がなさすぎるのではないか、という問題を提出して来たのである。 なるほど七時に起きて牛乳一本飲んだだけで出勤し、夜中の一時に。ハーの招待を勤め上げて 帰って来るまで、寸刻の暇もない働きぶりである。いったい何のためにこんな風に働きまくら ねばならぬのか、愛社精神のためか、出世主義のためか、乗っかったベルトコンべアーのせい か、その理由は私にはよくわからないが、とにかくそのスケジュール通りに働いているとする 、ようのない労働である。 と、す」いとしかいし こんなに働いているのだから、家へ帰れば大きな顔をして、おい灰皿、おいお茶、とアゴで 女房を使えばよさそうなものなのに、自分の脱いだ背広はきちんとハンガーに掛け、台所へ立 ってコップで水を飲み、ついでに灰皿の中の今朝の吸殻を掃除して、やっとテレビの前で一服 する、という男性が少なくないのである。 自分が好きで、そうしておいて、かげで・フックサ愚痴をこ・ほしている。女房が自分に対して 理解がないというのだ。三食昼寝つきで感謝もせずにでかい顔をし、その上、疲れて帰って来 た亭主に向かって、隣近所の面白くもない話をしゃべり立ててますます疲れさせる、という。 それがそんなにやりきれないのなら、「うるさい」と一一 = ロ、怒鳴ればいいのだ。それでもゴチ ャゴチャいうようなら、ゲンコの二つ三つ、飛ばせばいいのだ。 どういうわけか、今の男性はそれが出来ない。昔、私の子供の頃にあったイロハがるたに あかえばし ″亭主の好きな赤烏帽子〃という文句があったが、それはたとえ異様なものでも、一家の主人

8. こんないき方もある

ゴキプリ亭主 めでたし、めでたし 男たちの顔 「父親」この気楽でか弱いもの 現代紳士の条件 カックイ男 まことの男 夫の無抵抗主義を排す そ、フくん 川上宗薫のこと もりお 北杜夫のこと こりあん 哀愁の狐狸庵 勇気ある男 ″ガンコおやじ〃歓迎 中山あい子一三九 一九五

9. こんないき方もある

131 妻という名の女の哀れ 昨日ハ五円ソンシタトナミダヲナガス : 日本の主婦の明け暮れはだいたい、 こうした奮闘に貫かれているがそれが突如、衝動的に爆 発するときがある。ロのうまいセールスマンが、シワとりクリームなどを売りに来たときで、 きのう十円きよう二十円の涙ぐましい節約が、あっという間に三千円のクリームとなって消え うつ うせる″魔の時間〃である。かくて″魔のとき〃が過ぎると何となしに心が鬱してき、その結 果、夕飯のスキヤキがコロッケに変更になったりする。かくて最大の被害者は子供と亭主とい うことになるのである。

10. こんないき方もある

146 くりかえし夫人 男にはなくて、女によくあるタイプに感心夫人というのがある。性善良にして単純素朴な人 に多しが、人の話を聞いては、 「ほんとにまあ、おえらいわねーえ」 とため息をつく女性である。 主婦で小説を書いているからおえらいわねーえ、子供の着るものは自分で仕立てるからおえ ト・タ らいわねーえ、 x 万円の安月給で結構身ぎれいにしているからおえらいわねーえ、 イムで五千円かせぐからおえらいわねーえ、浮気亭主に辛抱しているからおえらいわねーえ、 という調子た。 ひとしきり感心したあとは必す、 「さあ、あたしもポャポャしてはいられないわ。何かしなくちゃ ! 」 と反省のお時間。 「いまのうちに何か打ち込むことを捜して老後にそなえなくちゃ」 「こんなにダラダラしていないで、子供のセーターくらいは編まなくちゃ : といろいろいうが、どういうわけかその反省と決意の言葉のあとにつづくものが一向にこな