こんないき方もある 私は自分の過去をふり返って好きなように生きて来たと思っている。私は私の好きなように したのだ。私はやむをえずそうなったのではなく、選んでそうした。普通なら忍耐するべきと あきら ころをしなかった。諦めるところを諦めなかった。それで私の人生には波立ちが起きた。 夫の会社が倒産したので私は借金を背負った。一一千四百万である。読売新聞では私を奇女だ と書いていた。流行作家でもない女が、五年かかってそれを返そうというのだ。まさに奇女な りという文章である。私はそれを読んで思わず笑った。運命が私を押し流すのではなく、私の 気質が私を押し進めるのだ。 「あなたの身から出たサビやからしようないね」 と母は私に一片の同情もない。まさに私の人生は、身から出たサビの連続である。 てもと 身から出たサビーー手許のことわざ事典をくってみると「自分で作った原因からその結果に 苦しむーとある。しかし私は別に苦しんではいない。身から出たサビと思って勇躍して戦う。
別種の愛情というのは、肉親者、きようだい愛、とでもいうような愛情である。 私たちは別れ、夫はいま、別の女性と一緒に暮らしているが、私たちは友人としてつきあっ ているのである。 よく人は私に向かっていう。 「あなたは。ハカよ。離婚した男の借金を代わりに背負うなんて、どうしてそんなことをした 私はその返事にいつも困る。 実際、他人の目から見れば、私のしていることは不可解なことなのにちがいない。リ 男の女と 一緒に暮らしている男の代わりに、一生懸命に働いて借金を返しているのだから。 しかし私が今日、こうして作家としてまがりなりにも生活して行けるようになったかげには、 かっての私の夫の力があったのだ。少なくとも私はそう思っている。 学歴も特別の文学的教養もない私が、ここまでこられたのは、同じように文学を志していた 夫の指導があったおかげなのである。 時 の 共に文学の勉強をし、同じものを目ざし、同じように励んでいた時代につちかわれたものが、 福 幸まだ私の中に生きているのだ。 私はそれを感じる。だから私は、彼のために数千万の借金を払いつづけることを無駄なこと とは思わない。 のー
私はハッチャンが飴玉をくれると、彼の見ている前でそれを他の子にやってしまったりしま した。みんなの先頭に立って、 「イロハのハッチャン、 ハッたろかア」 とはやし立てたりもしました。ハッたろか、というのは関西弁で殴ってやろうか、というこ とで、初太郎という名前にかけているのです。また私は ( ッチャンが私のために悪戯っ子とわ たり合い、簡単につき転がされるのを見ては、わざと笑いこけたりしました。その他、私はハ ッチャンに対していろんな残酷なことをしたのです。 けれども私はハッチャンが嫌いだったわけではありません。いや正直にいうと、私には、ツ チャンをいとおしむような気持があったといえるでしよう。私が彼に残酷だったのは、彼が汚 けんか なかったせいでも喧嘩に弱かったせいでもありません。彼が私を好きたったからなのです。 彼は私に献身し、私がいくら意地悪をしてもへこたれずに私のために尽くそうとしたからで す。もしハッチャンが私に無関心であったなら、彼は私からそんな意地悪をされすにすんだに ちがいありません。 男にとって女が神秘的に見えるのは、あるいは女のなかにこうした悪魔的な残酷性が潜んで いるからではないでしようか。 男にとっておそらく、この女の意地悪ほど不可解で始末に負えないものはなく、それゆえ、 女を魅力的で神秘だと誤解してしまうのかもしれません。ニイチェは女の残酷さについて、 「女と男の間の喧嘩のあとでは、男は相手に苦痛を与えたという思いに苦しむが、女が苦し いじめ
愛がわかったころに、人は死んでいく 愛の形というものは、年を加えるに従って変化していくものだと私は思っている。 十代の頃、私は愛することより愛されたいという欲望でいつばいだっこ。 、つとはなしに少し それから二十代、三十代と年代を経て、四十代の後半にはいるまでに、し ずつ、愛されることより愛することのほうに幸福を感じるようになってきたように思う。 私は三年前に十五年あまり連れ添った夫と離婚した。 その直接の原因は、夫の事業の失敗である。その失敗の混乱を収拾するためには、私たちは 戸籍上の離婚をする必要があった。しかし、そのとき私たちは戸籍上の離婚などたいして問題 ではないという考えを持っていたので、たとえ離婚はしても私たちの夫婦としての愛情は変わ らぬという自信を持っていたのだ。 つぐな 私は夫の事業の失敗を償うために、私の身としては過大な借金を背負った。そしてその借金 きんこう を返すために働きまくっているうちに、私と夫との間にあった均衡がいっとはなしに崩れて行 って気がついた時は、形式ばかりでなく、夫婦としての愛情が変質していたのである。 それで私たちは今度は実質的にも別れた。実質的にも別れたが、私たちの間には夫婦、恋人 としての愛情ではなく、別種の愛情が生まれていることに気がついた。
私は子供の頃、小心者の意気地なしであった。表へ行く時はたいてい女中か四つ年上の姉と 一緒で、人から何か話しかけられると、もうそれだけで涙ぐんでしまうという風であった。そ こうじ んな私はガキ大将の目から見ると好餌であったにちがいない。学校の帰り道、必ずガキ大将が 待ち伏せしていて、私は虐められた。 「こらっ ! とガキ大将は私を見るといっこ。 「こらべツ。ヒン ! 」 子供の頃、私はなかなかの美少女であったのだ。しかしべツ。ヒンという一一 = ロ葉は今でも私には みだ ホメ言葉としてではなく、何か淫らな下品なニュアンスをもったいやらしい言葉として印象づ けられている。 といわれると私は泣き出しそうになった。世界中で一番いやらしい侮辱をこめた一言葉に感じ た。私は夢中で走り出す。ランドセルの中で筆箱や弁当箱がコトコトと鳴る。曲り角まで来る と我が家が見える。そこまで来ると私はふり返っていった。 さんしたやっこ 三下奴の悲しみ
私は最近、婦人の知識層を対象としているある有名婦人雑誌が、ある若い女流作家の手記を 掲載しているのを読んだ。 「女に生まれたことは私の幸運だった。私は生まれつきの怠け者であり、クズである。何も しないで怠け放題に怠け、虫よく生きていきたいというのが私の望みだ : : : 」 そういう書き出しで書かれた手記は、クズと自称している二十六歳の女が経て来た「女であ だま るというたけで、につこりすればすぐに欺される男ーを相手のクズの生活ぶりが紹介され、 可ひとっ買わなくたって暮らして行け 「私の部屋は彼らからの贈り物でいつば、だ。私はイ る」 と書かれ、 からだ 「身体をはってその代償を手に入れたのだろうなどと安つ。ほい想像をしてはならない。私は たの それらを毎日、ひたすらにこにこして愉しげにしていることで得たのた。そしてこんなこと は私でなくても誰にだって出来る。女でさえあれば」 たいだ と書かれ、「また来世も女に生まれて、せいぜい怠惰に生きて行きたいものであるー と結ばれている。 これを読んで私が腹を立てたのは、自らクズと称するこの女流作家に向かってではない。私 はこういうクズの文章を掲載したその婦人雑誌の編集者の見識のなさに対して腹が立ったので ある。この作家は作家である限り、その主張 ( ? ) を創作作品として提供するべきだったと私 は思う。クズの女が存在価値を持つのは、それが創造の苦しみを経て新しく誕生した時だけな
「さあ、お空に向かってサンタクロースのおじいさんにお礼をいいなさい」 といったとき、何も知らないような顔をして、 「サンタクロースのおじいさん、ありがとう といってみせた。それはまだ幼稚園へ上がるか上がらぬ頃のことだったと思う。そのとき、 そういった私の中には、父に対するサービスの心があったことをはっきり覚えている。おとな は は子供というものは何も知らないと思っているな、としばしば私は思ったものだ。来客の禿げ だんこ あたま 頭に紙ツ・フテを飛ばしたのを、父は断乎として私のしわざだとは信じなかった。そのときも私 とうとっ はおとなは甘い、と思ったことを記憶している。私は唐突に、あれは私のやったことた、と告 白した。すると父は、格別、驚きもしないでこういったのである。 「えらい この子は正直者だ。感心、感心 : : : 」 そのあとで、私は父が母にこういっているのを聞いた。 「だいたい、あの禿げようを見ては、どんな子供だってほうっておけぬ気持になるよ」 母親になった私が親・ ( 力になれないのは、ひとえにこうした父に育てられたせいなのだろう と私は思う。 よもやまばなし あるとき、女の友だちが集って四方山話に興じていたとき、一人の人が私に向かって、ほと ほと感にたえぬようにいったことがある。 「あなたとっき合って長いけど、あなたが子供のことを話すのを、まだ一度も聞いたことが ないわ」
というものである。私はこれが大嫌いである。。ハグダットの盗賊じゃあるまいし、「開けゴマ」 といえば ( いや、いわなくても ) 、歩いて行けばひとりでにドアーが開くとは、人間の堕落も 極まったという感じがする。 つばっても引 / コっ ある時、私は新幹線でドアーを閉めようと一生懸命にノッ。フを引っぱっこ。 つばってもドアーはビクともせぬ。ムキになって足を踏んばり、「うーむ」とカんだがそれで そば すわ も閉まらぬ。するとそのとき、傍の座席に坐っていた男性が、ポソボソというのが聞こえた。 「ンドウ : : : ンドウ : : : 」 私には何のことやらわからない。またもや「うーむ」とカんでノップを引っぱる。すると、 彼はまたいった。 「ジドウ : : : ジドウ : るやっと私は気がついた。ジドウとは自動ドアーのことなのだ。一歩下がればドアーは難なく もスルスルと閉ったのである。傍の座席の男は、「フン ! 」という顔をして窓から外を見た。私 きは完全にアホウだと思われたのた。 またある日、私はホテルに行こうとして歩いていた。ロビーで待ち合わせている人があり、 ん おおまた 時間が少々遅れている。私は大股の急ぎ足でツカッカとガラス扉の方へ歩いて行き、突然ガチ ャン ! とガラス扉にぶつかった。私は出口と書いてある方へ向かって歩いて行ったのである。 文化生活というものは疲れるものだ。私はつくづくそう思う。片時も神経を遊ばせていられ
「アホ ! 」 すてぜりふ それが私が捨台詞というものを使った最初だったと思う。 捨台詞というものは、本当は芝居の中で役者が退場する時に、その場の雰囲気を生かすため くや にいう短い台詞のことをいうのだとある人が教えてくれたが、私は経験上弱虫が口惜しさ悲し さいつばいになってカ及ばぬ相手に投げつける言葉であるという風に感じて来た。 ところで、ある日、弱虫の私は突然、変貌した。私は弱気を捨ててガキ大将になろうとした のだ。ャケクソの奮起力とでもいおうか、ある日、私は突如、男の子をつき飛ばし、ブン殴っ たくみのかみ きらこうずけのすけき て泣かせたのである。いうならば浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に斬りかかったようなも のだ。力をふるってみて、案外、男の子なんて弱い者たということがわかった。それ以来、私 は女のガキ大将になって行ったのだ。学校の帰り、私は弱虫の男の子に向かって怒鳴った。 「こら、ションべンたれ ! 」 るその子は授業中に便所へ立てなくて、おシッコを洩らしてしまったことがあるのだ。その子 いちもくさん あ ーも は一目散に走り、曲り角まで行ってふり返ると叫んだ。 方 「お母ちゃんにいうたんねン」 なそれはかっての私の「アホ ! 」と同し悲しさとロ借しさに満ちた叫びであったろう。その気 こ持は私によくわかった。 かいりきむそう その後、私は村芝居でこういう場面を見た。大男の怪カ無双の暴れん坊にチビの三下奴がや も ろうか ふんいき さんしたやっこ
身を削る 女学校時代からの友たちで、さんという人がいる。どこの学校にも″変わり者〃といわれ る人間がいるものだが、私の通っていた学校では、私とさんが変わり者の双璧という感じで 存在していた。そうした″変わり者。といわれている者同士が、お互いに抱く友情といったも のを持ち合っていた。 私とさんは変わり者と見られていたが、もし変わり者にも真贋があるとしたら、さんの ほうはホンモノの変わり者で、私のほうはニセモノだったと思う。私は自己顕示欲の強い少女 で、人を驚かせたり、注目させたり、笑わせたりすることばかり考えて暮らしていたといって もいい。私はわざと、穴の開いたズックの靴から親指をのそかせて通学したり、授業中に大ク もサメを連発して先生を怒らせたりした。 きさんのほうは私に劣らず身に合わないダブダブのスカートをはき、授業中にとてつもない 質問をしたりしては、クラスメートを笑わせたりするのであったが、それは私のように自分を こ目立たせたいからではなくて、彼女としてはしんそこまじめに、一生懸命にしていることが、 人を笑わせたり驚かせたりする結果となるのであった。 たとえば彼女はある日、黄色と黒のダンダラの靴下をはいてきて皆を驚かせた。通学用の靴 しんがん そ、つへき