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検索対象: こんなふうに死にたい
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1. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい はなんほお嬢ちゃんやとて、イヤやとはいえませんのや」 わがまま 「なんぽお嬢ちゃんやとて」と乳母がいったのは、私が我儘の限りを通していた子供だった からだろう。その言葉は幼い私を抉った。私は父の強い庇護によってイヤなことはすべて避 けられると思っていたのだ。 「ふーん」 とだけ私はいったような気がする。それ以上の質問が私には布ろしくて出来なかったのだ。

2. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい さくそう わからないほどに錯綜しているのだという まゆ 後にこの話を人にすると、やはりたいていの人は眉ツバという顔をした。そうでない人は ゃぶ こ直面して、すぐに信 面白いお話を聞いたように笑った。 ~ 數から棒にこ、ついう根拠のない話し じる人というのはまずいないだろう。しかし、私はすぐにそれを信じた。死は無ではなかっ たのかと思うゆとりもなかった。それを信じさえすれば、私の経験したもろもろの不可思議 はすべて納得出来るのである。納得したいために私はそれを信じた。 0

3. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい 八月二日 手紙来らず。一時驟雨来る。看護婦代る。手紙来らず。電報を書いたが止む。 夜、福士と生活を議す。徹底論。一時就床。 八月三日 ゅううつ 手紙来らず。憂鬱。手紙を書く。電報も打たす。 大阪へ行こうと思う。とめられる。手紙を出す。すべて三通。三時臥床。 八月四日 きざし 余は疲労の兆あり。余を疲らすものは恋なり。手紙を書く。手紙出したという電報来る。 昨日の電報に対してなぜ昨日返電せぬか、訝かし。 八月七日 えんこん 十時起床。郵便函へ百度参りす。憤然、怨恨。 げんさい 彼女は余の精力の一半を減殺す。 きた しゅ・つ・つ がしょ - っ や

4. こんなふうに死にたい

佐藤家の過激な血脈 不思議なことを経験した時、人はなぜ「不思議だねえ」とだけいってすませてしまうこと ほとん が出来るのだろう ? 世の中の殆どの人は、不思議を不思議のまま放置して落ちつき払って いる。それが私には不思議でならない。 死 北海道に建てた家に不思議な現象が次々に起きた時、私はそれを解明しようと努力したが、 な解明出来ぬままに、神と霊魂の存在を信じた。それを信じれば、すべてが納得出来るのであ こる。納得したいために私はそれを信じた と前に私は書いた。だが私が信じたのは、単に 「納得したいため」だけではなかった。「納得せずにはいられない」解明が、美輪明宏さんの 霊視から開けて行ったからである。 私がこれから語ることを、おそらく読者の大半はナンセンスだというだろう。なぜなら現 代に生きる大部分の人は、目に見えるもの、耳に聞えるもの、科学的に分析実証出来るもの しか信じないからだ ( かっての私もまたその一人であった ) 。

5. こんなふうに死にたい

さいやく を生きてきた。そのための苦難災厄に遭うことが予想されていても、それをやめることが出 来ないのである。それが私にとっての「生きる」ということだった。死後を考えることによ って、私のそんな生きざまは変るだろうか ? ゆる 私は毎朝、神仏に手を合せつづける。しかし今のところ宥しや救いを神仏に乞うているわ けではない。まして健康や繁栄を願うことは、考えてもいない。私の生き方は神の意に添う あいさっ か添わぬかわからない。私はただそこに存在するものに対して親しみと敬をもってご挨拶 にをしているのである。挨拶をしつづけているうちに、私の中に自然に変化してくるものがあ るのか、ないのか、それも私にはわからないが。わかることは、死後への思いと今生の暮し なとの間で私は揺れ始めているということである。 ん こすべては死が来た時、その時にはじめてわかることである。 その時まで私はもの書きとして生きつづけるしかない。 「私の自然 , に生きて、まっすぐ霊界へ行くことが出来なければ、私は死に変り生き変り輪 廻転生をくり返す覚悟を決めるだろう。 144

6. こんなふうに死にたい

私に出来ることはそれしかなかったから、私は懸命にほかのことに思いを逸らそうとした。 ひとけ ひざ きぎ しかし私の目は人気のないタ方の庭の、優しい日射しを受けている樹々に注がれたまま動か ず、自分が死んでもこの庭はこのままありつづけ、日は照り、人々は生きている、自分ひと りだけがいなくなるのだという思いに打たれ、いても立ってもいられずその場を逃げ出した のだった。 その頃の私にとっての死とは、世界は生きつづけるのに自分ひとりがいなくなるという孤 に独の恐怖だった。その中には父母と別れなければならないという恐布もあっただろう。死が いちどきに父、母、私たちすべてを襲うのならまだいくらか救いを感じたかもしれない。た なった一人で死んでいく。この世からいなくなる。死とはひとりほっちになることなのだ。そ ん ひし これが私を押し拉いだのだった。 それにしてもおとなたちは、どうしてどの人もみな、死ぬことに対して平気でいるのだろ 私はそれが不思議だった。 「八百屋のおじいさん、死にかけてはりますねんて」 しばら と平気で話をしている。暫くすると、 ころ

7. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい 私に霊的体験が始まったのは、昭和五十二年の夏である。この項を書こうとして、そのこ とら とに気がっき、ふと私は「なぜ ? という思いに捉われた。 なぜそれは「五十一一年」だったのか ? 五十二年という年に、何かの意味因縁があって、それが私に訪れたのだろうか ? 霊の存在について考えることはおろか、すべて生物は死ねば無に帰すものと思い込んでい た私に、唐突にそれがやって来たのはなぜだろう ? かえりみ この十年間を省て、私はそんな思いに捉われずにはいられない。私にわかることは、北海 道に家を建てたのがはじまりになったということと、その前年、 , ハ年間の恋愛に終止符を打 って、身も心ももう、一一度と男に捉われることはなくなったということである。 それは今から思うと私の人生の、何度目かの転機だった。何か大いなるものの意志が私を ばくぜん そこへ 北海道へ運び、私の恋愛を終らせた : : : 漠然と私はそう感じる。だがその「大い 大いなるものの意志

8. こんなふうに死にたい

落の一部まですべてが見えるのだった。 「今はタ焼がとてもきれいねえ : : : 素晴しいタ焼だわ : 「はあ、その通りです , 私の心臓は珍しく高鳴っていた。私にとって生れてはじめての経験が始まろうとしていた。 ちよとっ 私は猪突猛進、布いもの知らずに生きて来た人間だ。「人は負けると知りつつも戦わねば ならぬ時がある」という父の信条を、私の信条として生きてきた。いかなる時も困難から逃 にげずに進めば、必ずや道は開けると信じてやってきた。 しかし今、その信条をもってしても乗り越えることの出来ない事態が私の前に立ちはだか なったらしいのである。 ん こ「あなたはとんでもないところに家を建てたのよ。どうしようもないところ。すぐに売りな 美輪さんはいった。私の家のある丘、ここは多分、アイヌ民族の古戦場だったこと。ここ には戦死して成仏出来ない霊がうようよしていること。その上にこの丘はこの集落を守る神 さまの丘であって人間が住んではいけない土地であること。私の家に起っているさまざまの 現象は、どれが成仏出来ない霊魂の仕業でどれが神さまの怒りなのか、もうこんぐらがって じようぶつ

9. こんなふうに死にたい

さるしばい であるとしたら、あなたはとんだ猿芝居をしていることになる、という人がいた。それに対 して私は返す言葉がない。私がお題目を唱えるのは、知識によるからではなく、「経験」が そうさせるのであるから。 もともと私は単純な人間である。自分で自分を「知的」だなどと思ったことは一度もない。 私は知的な人間であるからもの書きになったのではなく、ただ苦し紛れにもの書きになった 人間だ。さまざまの苦難の経験と ( 美点か欠点か ) 正直さが私をもの書きにさせただけだ。 とどろ に私はものを書くことによって栄誉を受けたいと思ったこともないし、世に名声を轟かせたい と念じたこともなし ( 、。まかに出来ることがないから文章を書き、誰にも気かねなくいいたし なことをいえるこの仕事が性に合っていると思って喜んでいる。それだけの人間である。もっ ん こと深くものごとを考え、てず推理してから行動しなさいとよく人からいわれる。それさえ 留意していれば、もっと平穏に損をせずに暮せる筈だと。 げきやす 私は過去の苦難がすべて私の激し易い性格と単純さにあることを知っている。十分に知っ てはいるか、しかし私は少しもそういう自分を改めようとは思わずにきた。改められないと いうよりは、私は単純に生きることが「好き」なのだった。たとえそれが苦難を呼ぶことに なろうとも、である。疑、つことによって身を守るよりも、信じてひっくり返ることの方が私 月しわ

10. こんなふうに死にたい

大きな墓石を置いたのだという。 私は死後、消えずに残っている霊魂のあることを信じないわけによ ( いかなくなった。成仏 していないのは戦場で無念の死を遂げたアイヌの兵士ばかりでない。何の悪意も迷いもなく 死んだ四歳の童女でも、成仏出来ずにいるということがあるのだ。 そのうち、更に驚くことが起きた。ある日私は美輪さんにお経を上げてもらっていたのだ が、その後で美輪さんにこういわれた。 = 「佐藤さん、お父さんが成仏していらっしやらないわ」 私は声が出なかった。美輪さんの言葉はすべて信じるという気持になっていた私だったが、 なこのことだけは信じ難かった。前に書いたように、父は死の床で苦しんだ後、ある日突然起 なむあみたぶつ こき上って手を合せ、「南無阿弥陀仏」と三度唱え、それ以後は静かに眠ったまま死の日を迎 えたのである。安らかに眠ったまま息絶えた父だ。今の今まで私は父は大往生を遂げたと思 い決めていたのだ。しかし美輪さんはいった。 「それが不思議なのよ。私もあの世の人のいろんな姿を見て来たけれど、こういうのははじ めて」 美輪さんに見えた父の姿というのは、一人の男性に父がからみついて、 ( あたかも大木に