Ⅷなのである。我執、エゴが優れた芸術を生むことがあるではないか。社会の発展も際限ない 人間の欲望によってなされてきた。欲望こそが人間が生きる活力の源泉なのである。人はな ぜかくも一心不乱に欲望を追うのか。死ぬことがわかっているのに。 造物主は人間をそのように造られたのか、人間がそのようになってしまったのか、私には わからない。私は神の存在を信じるが、私にとっての神は、そのように人間を造り、その後 は人間のするがままに委せて、ただじっと見ているだけの存在なのである。神は罰しもしな 、。申の意に添う者も、添わぬ者も同じように、 、。申の愛を私は信じなし彳 にければ救いもしなしネ う神はただ見ているだけだ。あるいは神は既にこれからの人間がどうなっていくかを知ってい て、そして沈黙しているだけかもしれない。 とうみようとも ん こ十年前の北海道での経験の後から、私は毎朝、神棚に手を合せるようになった。燈明を点 かん めいもく して拝む。何も願わないでただ手を合せて瞑目し、「神ながら、神ながら、神ながら」と唱 えるだけだ。神には何も願ってはならないと私はひとりで思い定めている。気を籠めて合掌 かす ほのお し、顔を上げると時たま燈明の焔が揺れることがある。微かに揺れはじめて、じっと見てい あたか ると恰も私の凝視に答えるかのように次第に大きく激しくなる。燈明は二つあるが、その片 方だけのこともあれば、片方が先に揺れ出すと、それに誘われるようにもう一方も揺れ出す かみだな
んなふうに死にたい ムにはただ、それを なるもの」とは何か、神という言葉を使うべきか、仏というべきか、禾 「大いなるものの意志」としかいうことが出来ない かって私は運命論者ではなかった。今でもそうではないと考えたい。「人は負けると知り つつも戦わねばならぬ時がある」というバイロンの言葉を人生の信条として生きた父から、 同じ信条を受け取って私は生きてきたのである。私は自己過信の強い人間として、しばしば ひんしゆく 世間の顰蹙を買ったが、人に頼らず妥協せず、一人で生きてきたという自負によってその顰 蹙を蹴飛ばしてきた。意志の力と努力が人生を切り開いていくという固い信念を私は今でも 捨てていないのである。 美輪明宏さんはいった。 こ「佐藤さんの先祖の因縁が因縁を呼んで、どうにもならないところまで因縁が脹れ上ってし まっている。本当はそれをお父さんがきれいにしなければならなかったのに、お父さんはし なかった。それで佐藤さんがしなければならなくなっているのよ」と。 しかし、と私は田 5 、つ。 しかし、なぜ、それをするのが「私」なのだろう ? 私には兄が四人もいた。姉もいる。 なのになぜ、「私」なのか ? そしてなぜ、それは「今」なのか ?
さるしばい であるとしたら、あなたはとんだ猿芝居をしていることになる、という人がいた。それに対 して私は返す言葉がない。私がお題目を唱えるのは、知識によるからではなく、「経験」が そうさせるのであるから。 もともと私は単純な人間である。自分で自分を「知的」だなどと思ったことは一度もない。 私は知的な人間であるからもの書きになったのではなく、ただ苦し紛れにもの書きになった 人間だ。さまざまの苦難の経験と ( 美点か欠点か ) 正直さが私をもの書きにさせただけだ。 とどろ に私はものを書くことによって栄誉を受けたいと思ったこともないし、世に名声を轟かせたい と念じたこともなし ( 、。まかに出来ることがないから文章を書き、誰にも気かねなくいいたし なことをいえるこの仕事が性に合っていると思って喜んでいる。それだけの人間である。もっ ん こと深くものごとを考え、てず推理してから行動しなさいとよく人からいわれる。それさえ 留意していれば、もっと平穏に損をせずに暮せる筈だと。 げきやす 私は過去の苦難がすべて私の激し易い性格と単純さにあることを知っている。十分に知っ てはいるか、しかし私は少しもそういう自分を改めようとは思わずにきた。改められないと いうよりは、私は単純に生きることが「好き」なのだった。たとえそれが苦難を呼ぶことに なろうとも、である。疑、つことによって身を守るよりも、信じてひっくり返ることの方が私 月しわ
アイデンティティ形成に役立っ他人は、人生のなかで変化してゆく。父親から配偶者に、 あるいは自分の子どもに、そして時には、会社とかの組織にまで変化してゆく。自分は xx 会社に属するということが、アイデンティティ形成の強い要素になっている人もある。しか し、考えてみると、それらはすべて死に、うつろいゆくものであり絶対ではない。そこで、 自分のアイデンティティを真に確立するには、そのようなことでは間に合わないのである。 人間にとって「絶対」なことは、誰も死ぬということである。従ってこの「絶対」との関 の連によって自分の位置を見定めるならば、そのアイデンティティは相当ゆるぎのないものと テ イなるはずである。自分の生を真剣に考えようとするかぎり、人間は死のことをどうしても考 テ ン えねばならなくなる。 ア死との関連でアイデンティティを深化させようとするためには、人間の意識を深化させる ことが必要となる。このような「下降」を試みるとき、人間の意識は通常のそれと異なり、 いろいろと不思議なことを体験する。屋根の上を何ものかが歩く音が聞こえてくるのなどは 序のロである。ラップ音が聞こえるし、カーベットが知らぬ間に水びたしになったりする。 それに加えて、それらの現象に先祖の霊や、その他の死者の霊の話がびったりと符合して、 納得をせざるを得なくなる。深層心理学者のユングが共時的現象ーーー意味のある偶然の一致 147
時の眼差しは、ひねくれていびつな作家の眼さながらに、人間達を斜めに観ていた。 そして、やがて無理が通れば道理が引っ込む軍国主義の理不尽な世の中になった。おまけ に御丁寧な事に仕上げが原爆と来たものだ。私は地獄を見た。この世に神も仏もあるものか と云う私の思いは決定的なものになった。物心ついた頃から、、い清らかな娘達が様々な事情 すさ で女郎や芸者に売られて来て、真赤に泣き胴らした眼がやがて荒んで痩せて行く過程を見て 育ち、この世にはこんな哀れな人達を助ける神様や仏様と云うものはないんだな、もし本当 頂に神仏が在わすならばこんなに純な人々をこれ程不幸なままで放って置かれるわけがないも るのーーと、思い続けていた私に原爆は最終的な答えを出してくれたのである。 はいきょ れ まで 圦そして戦後の焼け跡、闇市。建物ばかりか人の心も文化迄もが灰燼と帰した廃墟の中を、 おかげ を人々は弱肉強食の獣と化して生存競争を始めた。だが私は素晴らしい上級生の御蔭で芸術の つかま 世界へ逃げ込む事が出来た。私は醜い現実から逃避して夢の中で生きた。が、それも東の間 長崎より上京し国立音大の附属高校へ入った私は一年で中退し再びこの世の地獄へ戻った。 ゆいぶつろん 山谷暮らし、行き倒れ、ポン引き、数々の雑多な水商売、私の無神論、唯物論の信条にいよ いよ筋金が入った。 その後、幾年かの不遇の時代を経てやがて神武景気、私もスターとして絶頂期がやって来 151 かいじん
もうそう のたま の妄想か、精神の疲労か混乱から来てるんですよーと高所から宣うのである。だが私が、 さよ・つ 「はい然様で御座んすか、それ程、科学様は御偉くて万能でオールマイティーでいらっしゃ るんですかね。科学様がお認めにならぬものは一切この世にあってはならぬものなんですか ね」とやり返すと大方の人は黙ってしまう。 からた この字宙、この世界、この国、この町、この家、この躰、これ等の事共のどれ程を人間が 、 . し あ 知っているというのであろうか。或る医大の教授が、「今の科学じや人間の体の仕組は未だ 直 三十。ハーセントも解っちゃいないんですよ」とおっしやっておられたが、これは正直で謙虚 るな方である。通常の医者や科学者は、超常現象や己れの無知なる部分を認めれば沽券にかか 圦わる、それを認めれば科学者として医師としての負けだ。それ等を否定する事こそ立派な科 を学者で常識ある人間だと思い込んでいる。この姿こそ小心翼々とした哀れむべき根性である。 そうめい 頑迷と云う事は愚か者だと云う事である。聡明なる御仁は素直で謙虚である。「超常現象な んてあるわけはありません」とそれに対する勉強も研究も体験もせず何の知識もない癖に頭 から否定してかかるのが傲慢なる愚者の発言であり、「この世の中には自分が知らない事は まだまだ山の様にあります。私には知識も経験も無いのでわかりません」と発言する人が聡 明で謙虚な人なのである。いささかくどい様ではあるがこれは声を大にして云わせて頂きた 153 ま
美輪明宏 私は十代の頃は、無神論者であった。神や仏や、諸々の霊なぞとうものは、他カ本願の に宿り木の如き弱虫のたわ言で、しゃんとしたマトモな人間の云う事ではないのだ、地獄も極 楽もあの世なんぞもあるものか、地獄極楽はこの世にこそあるのだ、と確信していた。 じよじようみ ふ 戦前のエログロナンセンス、抒情味たつぶりなアール・デコの時代に長崎市の色街に生ま ん ふろ これ育った私は、生家がカフェ、料亭、風呂屋、金融業を手広く営んで居た縁で、種々な人間 たたず 達の本音と建て前の佇まいを、擦枯らしの女郎の如くクールに観ていた。私にとって霊験 あらた あば 灼かなる法力とは神仏のそれではなく酒と金こそが、この世の人間共の全ての本性を発きた てる神通力だと信じ切って居た。白日の下で、どれ程行ない澄ました聖職者や学者や権力者 よいやみ くすぐ であろうと、宵闇せまり紅燈の下ではヤッコラサと仮面を脱ぎ捨て、両頬を札束で擽られ、 たちま あら 酒を浴びさせられれば忽ちへロへロと本性を露わし女の股間で狂態を演じる。正に私の幼少 150 霊を受け入れる柔和質直な心 ころ す み ほお いろいろ
た。そしてその時、同時に四次元の世界から見学の招待状もやって来た。視覚・聴覚・触覚 以外の感覚で物事が見え、理解出来る様になった。私の唯物主義、無神論は徐々にゆらぎ始 ためがんめい め、長い時間をかけてゆっくりと溶けて行った。そして地獄を見過ぎた為、頑迷で曲りくね っていた私の心も少しずつ軌道修正され素直になって行った。あたかも辛酸を味わい尽くし た水商売の女が世の荒波に角々を削られて丸い玉になるが如き態であった。この世の種々の 辛苦を知る者は次第に謙虚となる。いかに己れが此の宇宙の諸事を知らぬ者であったかと云 ごうまん う事に眼覚めるからである。故にこの世の辛苦をさして感じた事のない者は傲漫なる人間が 多い様である。中には例外で苦労知らずでほんわかとして、生まれながらに仏性そのものと まれ な云う柔和質直で、物事に疑いの心なぞさらさら無い御仁もたまには居るが、それは全く稀で こある。 もうまい 粗方の苦労知らずは、この世の事共も又知らぬ。知らぬ者は、無知蒙味の輩であり例外な たぐい はんば く傲慢である。傲漫なる者は己れの卑小さに気附かずに居る。この類の人間は主に中途半端 な小者のエセインテリに多く見受けられる。科学者だの医者だの学者だの文化人・知識人と 呼ばれるジャンルの人間達であるか、はたまた実利一方主義の無教養で頑固な蛮族である。 「そんな馬鹿な、この近代科学の世の中に、科学で実証出来ないものを信じるなんて、貴方 あらかた やから
落の一部まですべてが見えるのだった。 「今はタ焼がとてもきれいねえ : : : 素晴しいタ焼だわ : 「はあ、その通りです , 私の心臓は珍しく高鳴っていた。私にとって生れてはじめての経験が始まろうとしていた。 ちよとっ 私は猪突猛進、布いもの知らずに生きて来た人間だ。「人は負けると知りつつも戦わねば ならぬ時がある」という父の信条を、私の信条として生きてきた。いかなる時も困難から逃 にげずに進めば、必ずや道は開けると信じてやってきた。 しかし今、その信条をもってしても乗り越えることの出来ない事態が私の前に立ちはだか なったらしいのである。 ん こ「あなたはとんでもないところに家を建てたのよ。どうしようもないところ。すぐに売りな 美輪さんはいった。私の家のある丘、ここは多分、アイヌ民族の古戦場だったこと。ここ には戦死して成仏出来ない霊がうようよしていること。その上にこの丘はこの集落を守る神 さまの丘であって人間が住んではいけない土地であること。私の家に起っているさまざまの 現象は、どれが成仏出来ない霊魂の仕業でどれが神さまの怒りなのか、もうこんぐらがって じようぶつ
こんなふうに死にたい 142 れているものに関心かいく。それをどうしても見届けたいと思う。見ようとしていないのに 見えることもある。見た以上、黙っていられなくなる。 私の作品には私小説の系列のものが少くないが、私は書くことによって現実生活の中での おうと はんもん 煩悶を晴らしてきたといえる。嘔吐することによって食中毒を癒すように、書くことで、傷 を癒してきた。自分の傷を書けば当然、傷つけた人間を書くことになる。自分が傷つけた人 を書けば、己れのエゴを書くことになる。しかし己れの傷もエゴも、書き上げた時には私の 中で昇華している。 考えてみると私は、読者を意識して書いたことはあまりなかったように思う。編集者への たの 義理や友情から気が乗らぬままに書くことはあっても、書いているうちにそれが「娯しみ」 に変っていることに気づく。私はいつも「自分の満足」のために書いてきた。人間を裁断し 料理し、手を入れて傷口を開くようなことをした。その娯しみのために傷つけた人のことを 忘れた。まるで性欲に負けて女中部屋に這い込む男のように、私は書いてきた。 私は瀬戸内さんとの対談で布ろしいことをいっている。 「どうしても書きたいと思うのに、書いてはならない、書けない時がある。そんな時、いっ そ死んでくれたら ( 書けるのに ) と思うことだってある」と。