美輪 - みる会図書館


検索対象: こんなふうに死にたい
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1. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい この日に違いない。だがその武将とは果して何者だろう。 とい、つ。にしい美輪さ 美輪さんは「お経を上げてあげるから今、すぐいらっしゃい んがすぐにいらっしゃいというからには、この霊、ただ者ではないのかもしれない。 私は家を走り出てタクシーで美輪さんの家へ向った。 「あーら、いらっしゃい」 えんぜん と美輪さんは婉然と笑って出迎えてくれる。こういう時の婉然たる笑顔は意表を突い かえ て却って頼もしい。 「おどろいたわねえ、よりにもよって蒙古のヘイタイさんまでくつつけてくるなんて 美輪さんは婀娜つほく笑う。 げんこ・つ 「そうねえ、このヘイタイさん、やつばり元寇の役の時の人でしようかねえ。肩から袈 裟がけに斬られてるわ 「えつ、袈裟がけのが憑いてるんですかー 「玄海の海をさまよい流れてたのね。七百年くらいかしら : : : その間流れてたんだわ 七百年、さまよい流れているところへ私がノコノコ行って、歌を歌った。 あだ

2. こんなふうに死にたい

大きな墓石を置いたのだという。 私は死後、消えずに残っている霊魂のあることを信じないわけによ ( いかなくなった。成仏 していないのは戦場で無念の死を遂げたアイヌの兵士ばかりでない。何の悪意も迷いもなく 死んだ四歳の童女でも、成仏出来ずにいるということがあるのだ。 そのうち、更に驚くことが起きた。ある日私は美輪さんにお経を上げてもらっていたのだ が、その後で美輪さんにこういわれた。 = 「佐藤さん、お父さんが成仏していらっしやらないわ」 私は声が出なかった。美輪さんの言葉はすべて信じるという気持になっていた私だったが、 なこのことだけは信じ難かった。前に書いたように、父は死の床で苦しんだ後、ある日突然起 なむあみたぶつ こき上って手を合せ、「南無阿弥陀仏」と三度唱え、それ以後は静かに眠ったまま死の日を迎 えたのである。安らかに眠ったまま息絶えた父だ。今の今まで私は父は大往生を遂げたと思 い決めていたのだ。しかし美輪さんはいった。 「それが不思議なのよ。私もあの世の人のいろんな姿を見て来たけれど、こういうのははじ めて」 美輪さんに見えた父の姿というのは、一人の男性に父がからみついて、 ( あたかも大木に

3. こんなふうに死にたい

次から次と毎日のように不可解なことが重なる。目に見えぬ悪意が、これでもかこれでも か、と私に迫ってきているように思える。そ、ついえば、と娘がいいだした。その前年 ( 家が 建ち上った夏 ) 娘は先遣隊として何人かの友達とこの家へ入ったのだったが、その時深夜に 家のまわりを突っかけを引きずって歩く人の足音が聞えたり、水道のないところでザアザア 水音がしたことがあり、その時は皆で騒いだが、それきり忘れていたのだという。不思議な 現象は最初から始まっていたのだ。 みわあきひろ ついにある日、私は美輪明宏さんに電話をかけた。美輪さんはたいへん優れた霊能者だと 死 ういうことを聞いたからである。 ふ 「もしもし、美輪さんですか。実は」 ん と説明を始めようとすると、美輪さんは、 「佐藤さん、あなた、たいへんなところに家を建てたわねえ : : : 」 さえぎ 遮っていった。 「景色は素晴しいところだけど、あなたの家の建っている山の右肩の空は、どんなに天気の いい日でも、そこだけはくろーく沈んで不吉です : 電話だけで美輪さんには私の家のたたずまい、附近の景色、海の色、草原の様子、遠い集

4. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい ったからだ。それがなかったら、私はまだ丘の上にいて痩せこけていたにちがいない。東京 へ帰った私は、早速美輪さんに会いにいった。そうして更に新しい事態が私の前に開けてい ったのだった。 美輪さんは私に、あなたの先祖は武士でしよう、といった。その通り、佐藤家の先祖は たいりき 代々津軽藩の藩士である。何でも何代目かの先祖に大カ無双のなっという女性がいて、ある すりうす 合戦の際に敵が堀を泳いで来て城壁に取りついたところを、上から大石摺臼を投げて打落し、 ろくたか その妻の功績によって夫は禄高が増えたという、そんな話を子供の頃に兄から聞いたことが あった。 女房の働きで加増されたなんて、恥かしい先祖なんだよな、と兄はいっていた。私はその ことを思い出し、武士は武士でもたいした武士じゃない、足軽だと思いますよ、と美輪さん はず ぶぎよう に答えた。すると美輪さんは、いや勘定奉行がいた筈よ、という。美輪さんにはそれが見え る。がっしりと背の高い、勘定奉行らしいのが私に憑いているという。それだけでない、そ じようぶつ の他にも沢山の先祖の霊が重なり合うように私の背中に乗っているから、これを成仏させな ければ肉体も精神も荒廃してしまうと私はいわれた。 しかしどう考えても我が佐藤家にそんなエライ侍がいるとは思えないのである。だがその ころ

5. こんなふうに死にたい

と美輪さん自身が幼女の身ぶりでいい出したのだという。 「その時、佐藤さんとご先祖の話をした後だから、これは佐藤さんに関係のある霊が来たん だな、と思っていたんだけどというのが美輪さんの説明であった。 「まりちゃんーが、いったい何をいいたくて出て来たのかわからない。しかし、美輪さんは 確かに「まりちゃん」という名を口にしたのだ。明治四十年代に生れて三、四年生きただけ で死んでしまい、我が家の古アルバムの中のたった一枚の写真でしかその存在を示し得ない わずら それからまた、やはり私とは腹違いの、胸を患って十八で死んだ喜美子という姉の姿も美 な輪さんには見えた。美輪さんが見えるという少女の容姿と、古アルバムの中の喜美子とが一 ん こ致したのである。その後、私は長兄の娘にその話をしたところ、彼女はすぐいった。 「パパが死んだとき墓地をいじったのよ。まりちゃんや喜美子さんのお墓を全部取り去って、 ( 墓石は一人ずつ別々に建っていた ) 『サトウハチローの墓』という墓石の下にひとまとめに 入れてしまったのよ。それでじゃないの ? その後わかったことによると、「まりちゃん」と喜美子はキリスト教式の埋葬をされてお り、そのため遺骸は焼かずにそのまま埋められていた。その骨を拾わないで、そのまま上に に「まりちゃんーの名を。

6. こんなふうに死にたい

んなふうに死にたい おめみえ 〈勘定人ニ加勢サレルモソノ後無調法アリ。御目見以下御留守居番組へ役下ゲサレル。ソノ 後再ビ勘定人ニ加勢サル〉 朝になるのを待ちかねて私は美輪さんに電話をかけた。 「ありました ! 勘定人という人がいました : : : 」 美輪さんはいささかも動じずにいった。 「ありましたか。そ、つ : 美輪さんがいうには、綱五郎という人のその「無調法」というのは、自分の責任ではなく 他の者の無調法の責任をとらされたもので、その無念さが残って成仏出来ないのだという。 「武士の家系というのは、みな成仏出来ないんですよ。人を殺しているから」 こと美輪さんはいった。そういえば、なっ女も平右衛門も加増されるほど人を殺している。 そうそぽ 私の曽柤母に当る女性も気丈な人らしく、夫が勤番登城して留守の夜、抜刀の強盗が押し入 あなど しった って来たのを見て、一刀をかざして「女と見て侮るな」と叱咤しつっ切り結び、賊は斬りま てしよくとも おびただ くられて逃げるを手燭を点して追跡すれば、観音堂の老松のあたりに夥しい流血が漂うてい こうしんづか た。あるいは強盗は死んだのかもしれないと思って、そこに庚申塚を建てた、という話も記 されている。 き

7. こんなふうに死にたい

こんなふうに死にたい 「佐藤さんが元気なので、頼もしいと思ったんじゃないの、 どきよう さあ、ではお経を上げましよう、と私は奥の祭壇に案内され、そこで読経が始まった。 ず・きょ・つ 美輪さんの誦経は実に素晴しい。読経というものはまことに世界に比類のない芸術で ばうず あると思わせられる誦経である。葬式坊主のお経は短いほど有難いが、美輪さんのお経 は、いつまでも終ってほしくない、い つまでも両手を合せて聞いていたいという、安ら かなそして謙虚な気持にさせてくれる。 さ 一時間近くつづいただろうか。読経は終って、夢から醒めたように私は我に返った。 美輪さんは何ごともなかったような、い つもと同じ淡々とした口調でいった。 「あの鎧冑の武将は佐藤さんのご先祖でしたよ」 「えつ、先祖 ? でも私の先祖は代々奥州津軽藩の武士ですけど」 「先祖といっても直系一筋だけじゃないでしよう。色々な人があちこちに散らばってい ますからね」 「なるほどねえ。でもなぜ、私の先祖だということがわかるんです ? 「お経を上げていたら、ご先祖がずーっと出てこられたのよ」 「はあ : ・

8. こんなふうに死にたい

き返った人というのは、死の世界に入ったのではなく、入口近くまで行って戻って来た人で あるから、死の世界がこういうものであるとはいい切れないのである。 見聞録はなく、考えてもわからない世界について考えてもしようがない、無だと思い決め るのが簡単で、自由に生きていくのに都合がいいから無だと考えるーーーー・おそらく死を無と考 えている人の根拠はかっての私を含めてそんなところなのにちがいない。 ある時、私は美輪さんから突然、 「佐藤さん、まりちゃんって人、誰ですか ? 死 むね と訊かれた。「萬里子」というのは私の母が女優をしていた時の芸名である。その旨を答 なえると、まりちゃんという、小さな女の子に、い当りはないか、といわれた。そこで考えてみ ん こると、私の腹違いの姉に当るのだが、四歳ぐらいで死んだ女の子が「まりちゃん」と呼ばれ ていたことを母から聞いていたのを思い出した。古い写真アルバムに、おかつば頭の、着物 に三尺帯を締めた幼女の写真があって、それが「まりちゃん」だと聞いていた。 美輪さんは私からそれを聞くと、「やつばりね : : : 」といってこう説明した。その数日前 に私と美輪さんは電話で話をしたのだったが、その電話を切った直後、 「あたい、 まりちゃんよ、あたい、まりちゃんよ」

9. こんなふうに死にたい

美輪さんはそんな家は売ってしまいなさいという。しかし何も知らずに買った人はどうな るのか。それを思うと私には売ることが出来ない。それなら住まずに戸を閉し、立ち腐れに してしまうか。私の人生は損つづき。損をすることに馴れつこになっている人間だから、家 を立ち腐れにすることを昔しいとは思わない。だが美輪さんに聞くと、たとえ住んでいなく むしば ても名儀が私の名前になっている限り、やがて私の健康は蝕まれ不運に見舞われていくだろ うという。不運の方は馴れているからいいとしても、健康でなくなるのは困る。 いったい私はどうしたらいいのだろう ? 死 さすがに向う意気の強い私も進退窮まった。美輪さんはとにかく東京へ帰っていらっしゃ ふ その時に相談しましようという。家の問題だけじゃなくて、佐藤さんに頼っている霊が ん こあなたの背中に重なり合っているのが見える、そのことも何とかしなくてはいけないでしょ 、つとい、つのである。 だがなぜか、私は帰らなかった。なぜか帰る気にならないのである。怖い怖いといいなか ら丘の上にいるのだ。手伝いの文学少女もいなくなり、娘も学校が始まるので東京へ帰って しまった。私は一人である。東京には住み馴れた家があるのだから、ここにいなければなら ない理由は何もないのだ。なのに私は帰らない。なぜか帰ろうと思わないのである。 きわ

10. こんなふうに死にたい

んなふうに死にたい かげ 皿アイヌの女性は総じて穏和で表立っことなく、常に男の蔭で家事にのみ携わっているものな のだが、 この女は男のように馬に乗って戦いに出ていき、敗れ死んだのだ。アイヌ民族は馬 に乗らないのに、なぜ馬に乗っているのかしらねえ、と美輪さんはいった。 美輪さんの霊視力にはもうすっかり馴れて、何を聞いても驚かなくなっていた私だが、 「先祖の霊」のほかに「前世の霊」というものがあったことにびつくりした。しかし、先祖 の姿と前世の姿の違いが、いったいどうしてわかるのだろう ? 「どうしてといわれても、それは : : : 要するに : : : わかるのよ : 美輪さんはどう説明すれば納得させることが出来るかを、考え考えいった。 「人の顔を見た時、あ、この人は中曽根さんだ、この人はレーガンだ、と誰でもすぐ思うで まゆ こしよう ? 中曽根さんの眉はこうなっていて、鼻はこういう形である、だからこれは中曽根 、 0 、ミ ノラを さんだ、という順序で認識するわけじゃない。見た途端に、中曽根さんだ、と思う 見て、すぐにバラだ、と思うのと同じ。花ビラが何枚あって、トゲがあって : : : と調べた上 で、だからバラだ、というふうに田 5 うわけじゃないわね ? それと同じようにアイヌの女か 見えた時、「あ、佐藤さんだ』と思うのよ。ご先祖の方は佐藤愛子さんじゃない。佐藤家の 人だけど、愛子さんとは別の人なの