こんなふうに死にたい 退けてやっと立ち上った。部屋には節子さんが持ってきてくれていた塩と線香がある。 つか 私はもうャケクソで線香をひと掴み香炉に突っ込んでマッチで火をつけた。それから皿 に盛り上げてあった塩を撼んで力委せに部屋中に撒き散らした。 なむみようはうれんげきよう 「南無妙法蓮華経 : : : 南無妙法蓮華経 : まさに絶叫、大怒号である。一つ置いた向うの部屋にお客がいるらしかったが、そん もうも - っ ・つ - す↓ま なことはかまっちゃいられない。線香の煙は濛々と立ちのばり、天井にぶつかって渦巻 いている。煙のために部屋の中の調度品もかすんでいる。 「ゴホン、ゴホン、南無妙法蓮華経 : ひそう ものすごい騒ぎ。それもひとりでやっているという悲愴さである。 へトへトに疲れて声ももう出なくなり、そのまま倒れるように布団に入った。布団の 中は撒き散らした塩でザラザラしていたがそのまま引きずり込まれるように眠ってしま った。何時だったかもわからない。 トイレの水を勢よく流す音で目が醒めた。時計を見ると七時前である。チェッー 早くからザアザア水を流しやがって ! と腹が立ったが、考えてみれば先方は南無妙法 蓮華経の大怒号に驚いて跳ね起きたまま、ついに眠れなかったのかもしれないと思い直
てはず ているのだ。資料はこの後も続々送られてくる手筈になっている。 しかし、今到着して炬燵に入ったばかりで、部屋を替えて下さいとはいいにくい。しかも 宿の女主人は、この旅館で一等上等の部屋を格安の料金で貸してくれているというのにだ。 しず 私は我することにした。お題目で鎮められるかどうか、やってみようと、いに決めたので ある。そのうち、地元の女性で、この旅館を紹介してくれた知人が来て一緒に食事をした。 その間気をつけていると音は時々鳴ってはいるが、さっきほど強くはなくなっている。遅く ころはとん よもやまばなし にまでその人と四方山話をし、彼女が帰った頃は殆どラップ音のことは忘れていた。風呂へ入 りテレビを見、寝床に入って少し本を読んでから電燈を消した。 ふ と、まるで静かになるのを待っていたように、 ん ギョッとするようなものすごい音だった。この音を、さっき女客がいるうちに立ててくれ しばら たらよかったのに、と思うような音だ。暫くじっとしていると、またバシッー 琵琶の時と同様、眠りに入りかけると起そうとするように鳴るのだ。あのときのように 私は起きてお題目を唱え始めた。お題目を上げている間は鎮っているように思うが、それは もしかしたら私の声の方がラップ音よりも大きかったためかもしれない。鎮ったと思って布 ふろ
つきといわれた。二階の病室へ上っていくと薄い空色のパジャマを着て、小さくなってし まった川上さんの遺骸がべッドに仰向けになっていた。顔はとても小さく、顔の皮膚は青味 くちびるかす がかってツルツルしていた。特徴のある薄い唇が微かに開いていた。誰もいなかった。 私は一人、そこに立ち、川上さんを、いや川上さんの遺骸を見ていた。涙は出なかった。 ばうぜん その気配もなかった。私は呆然と立っているだけだった。私の目の前に横たわっているのは、 川上さんではなく、 川上さんの「遺骸」だった。そうだ、その時私が感じたのは、それはⅡ 上宗薫の「ヌケガラ」だという実感だった。 死 私は手を合すことをしなかった。部屋へ入って来た由美子さんの手前もそうしなければ、 なと思いながら、何もせずに立っていた。出来なかった。 ん こそして私は感じていた。川上さんが十畳ほどのその部屋の右手の ( なぜか右手の ) 天井の あたりにいて、そこから私を見ていることを。それは父の死に於ても、母や兄の死に於ても 感じたことがなかった感覚だった。 川上さんはあすこにいる : と私は田 5 . い、立ちつづけていた。見られているという意識が私を縛っていた。川上さんが あわ ひいき 贔屓にしていたレストランのマスターが慌ただしく入ってきて、私の前に立ち、遺骸に向っ 122
私は自分の死後について考えるより先に、成仏出来ずにいる父母、先祖、アイヌ兵士たち の霊を鎮めなければならなかった。 とい、つ 、と。知った以上は捨てておけない、 私はそう田 5 った。そうしなければならない よだいじ 持だった。とりあえず私は提寺の住職にすべてを話して相談した。しかし住職はいった。 「そ、ついうことはあまり気になさらない方かいいと思いますよ」 にちれんしゅうそうりよ それだけだった。また近くの日蓮宗の僧侶に相談したところ、こういわれた。 「宗旨を変えていただかないと、私の方では何もしてあげられません」 死 その頃、私は講演や取材で地方へ旅をすることが多かったが、その旅先の宿でかってはな びわ なかった経験を再三するようになっていた。最初の経験は北海道から帰ってすぐに行った琵琶 こ湖畔のホテルでのことである。仕事を終えて部屋に入って間もなくから、部屋の天井とも 壁ともっかぬ、どこかわからぬ掴みどころのない空間から激しいラップ音が聞えて来て、そ れはひっきりなしに鳴り、眠ろうとする私を起すのである。 ラップ音は北海道の家で聞き馴れてはいたが、それとは比較にならぬほど大きな強い音だ。 早朝東京を発ち、一日中仕事をして私は疲れ果てている。とにかく眠りたい。なのにとろと ろとしかけると、ラップ音は激しく鳴って起すのである。 つか
爲故障したのかと思って別の部屋で験してみるとっく。では寝室のコンセントの故障かと電気 まくら ッとっく。かと思うと枕もとの電源を切ってある加湿器が深夜、 スタンドをつけてみると、 とも 水音を立てる。電源が切ってあるのに水がなくなった印の赤ランプが点っている。やがて例 の心臓の異常感、脱落感、不安感がやってきた。 おんりよう 浜玉の怨霊は小林さんのカで成仏した筈である。侍が涙を流して礼をいったという話は小 林さんの幻覚だったのだろうか ? 丁度娘はパリへ行っている。異常を訴える相手もいない。 手伝いの娘にそんなことをいっても困惑させるばかりだ。そのうちに私は気がついた。小林 死 しオ月林さんが落してくれたのは礼をいって さんはあの時、「何体も憑いています」と ) っこ。、 な消えた武士だけで、後がまだ残っているのではないか ? ( その侍は私の部屋の、あのラップ ん ぬし こ音の主で、岸岳城とは関係がなく、その旅館の建っている土地に埋められていた武士である らしいことを後に知った ) 私は渾身の力を奮い起して、追われるように起き上ると線香を立てた。美輪さんに書いて いきりよう もらってあった「死霊生霊成仏祈願、南無妙法蓮華経」の半紙を壁に張ってお題目を唱え 始めた。声に力が入らないのを、無理やりふり絞った。ここで気力を奮い起さなければ負け しか てしまう。美輪さんからは、こういう時は大声で叱りつけるようにお題目を唱えて相手 ( 怨 ため
こんなふうに死にたい しかし、そう考えているうちにも、物音はひっきりなしに私を脅かす。苦し紛れに私はい つか小声でいっていた。 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経 : : : 」 こんばい いいながら、疲労困憊して私は眠ってしまった。どれくらい眠っていただろう。十分か二 十分か、あるいは二分か三分くらいのものだったかもしれない。気がついたら私は眠ったま ま、ロの中でまだ南無妙法蓮華経といいつづけているのである。ラップ音は間遠になってい た。音は低く弱くなり、まるで人の足音が部屋を出て廊下を遠ざかっていくように次第に小 さくなって、やがて消えた。 おびや
のカーベットの上が、直径三十センチほどの丸さにぐっしより濡れている。踏むとスリッパ の縁まで水が上ってくるほどだ。 「誰 ? こんなところに水をこばしたのは : と私はいった。村田さんは立って来て、 「私がお風呂から戻って来たときはありませんでしたよ」 レ」し、つ 「なかった ? 死 「ええ。それにさっき帰ってきてから、こっちの部屋にはお水もお茶も持ってきてません。 なファンの騒ぎでお茶も飲まずに坐って相談してたんですから : ん 村田さんと私は何もいわず、互いの顔をマジマジと見つめるばかりである。そこへ娘が風 呂から上って来たので、私は早速その水について訊いた。 「あなた、お風呂へ行く時、この水、あった ? 「あった : ・ 娘は簡単に答えた。 また 「あったけど、拭くのが面倒くさかったので、跨いで行ったのよ」
こんなふうに死にたい と私はいっただけだった。 「でも、本当に、はっきり、人が歩く足音だったんです、本当です」 彼女は真顔で力説したが、私は「そうなの」というしかない。否定も出来ないが肯定も出 来ない。 「おかしいねえ」 といって舌は冬っこ。 ところがそのうちに私がその足音を聞いたのである。やはり夜中の三時頃だった。私が書 斎兼寝室にしている部屋の真上で、ゆっくり人が歩く音がして目が醒めたのだ。 この話を聞く人は皆、一様にうさん臭そうな顔になる。そうでない人は、 「はあ・ : ・ : 」 あぜん といって唖然とする。 「ほんとですか」 といって怖そうな表情になる人もたまにはいるが、たいていが冗談にしたいが、話手が真 面目にしゃべっているから、ここでおちゃらかしては失礼に当ると思い直して神妙さを作っ ているという趣で、心の中では私をバカにしていることはありありとわかるのである。
こんなふうに死にたい 「私も昨夜、とっても気分が悪かったんです。昨日、茶園の平へ行きましたでしよう。 あの時、急に右の耳がガーンと殴られたみたいに鳴って、それが夜中まで取れなかった はんにやしんぎよう んです。あんまりキモチが悪いので、夜中に般若、い経を上げたらやっと取れたんですけ ど」 私は節子さんを見つめて絶句した。 「私の知ってる人で、こういうことに力のある人がおられます。女の人ですけど、その 人に訊いてみましようか」 節子さんはそういって部屋を出ていったが、暫くすると上ってきていった。 「先生、やつばり憑いていますって : 「えっ , と私はいったきりだ。 「よく見える方なんですよ。あんたにも憑いてたけど、あんたは自分で落したねってい いなさって。そして先生には何体も憑いておられますと : : : 」 背中が総毛立った。 「それじゃあ、やつばり、岸岳の :
んなふうに死一たい 私がはじめて「死」について考えたのは、小学校へ上っていたか、いないかの、ごく幼い こ時だった。春だったか、秋だったか。とにかくタ方だった。家の中にはなぜか誰もいなかっ またが た。私は子供部屋の低い窓べりに跨ってばんやり庭を見ていたのだが、その時である。突然、 「人はみな死ぬという思いか頭に浮かんだのは。 こ人はみな死ぬ。必ず死ぬ。天皇陛下でも死ぬ。世界中の、どんなえらい人、カネモチでも 死ぬ。お父さん、お母さん、みんな死んでいなくなり、自分も死ぬ : 唐突に訪れた絶望感に押しつぶされそうになりながら、私は必死で立ち直ろうとしていた。 ゝ、ムにはどんな方法もわからない しかし立ち直るには、死について考えることをやめるほカ禾 のだった。 の 頭の中から「死」を払い退ける 父の死から学んだこと