137 私の暮らし方 上等の雛人形のようにとりすましていないからいいのよ」 「まあ、素朴な味があるといえばいえないことはないけれど 母は仕方なく妥協するといったように笑ったのであった。 ちゃだんす 雛の季節がくると娘は、その雛人形を今でも茶の間の茶簟笥の上に飾っている。 「よく見るとホントに可愛いねえ : といって眺めている。 その時、私は胸を絞られるような気持ちになる。な。せもう少しマシな雛人形を買ってや らなかったのだろう、という後悔が胸を噛むのである。買おうと思えば買えないことはな かった。多少の無理をすれば ( ローンを組めば ) 箱入りでなくても買えたかもしれない。 「わたしね、トモ子ちゃんの雛まつりに呼ばれた時、びつくりしたの、こんな立派なお雛 うらや さまもあるんだなあ : : : って : : ・・羨ましかったなあ : : : 」 いったったか娘がいった一言を、私は忘れられないのである。今二十六歳の娘は「この というけれども。 お雛さまの方がいいのよ。この素朴さはとてもいし この間、あんな夢を見たのはそんな後悔が私の胸底に沈んでいるためなのだろう。
頃では、木造の三階建ては珍しかったのだ。 しかし実際に私は海を見たことがなく、姉が本当に見たのかどうかもわからなかった。 私はまだ一度も海へ行ったことがなかったから、海とはどんなものかもわからない。 絵本で見る海は、ただ一色の明るい紺色で、真っ直ぐな横線で空と区分されている。そ れと同じ紺色の海を私は想像しようとしたが、うまく頭に描くことが出来なかった。絵本 の空間は限られているが、現実の空間は際限なく広がっている。 どこからどこまでどんなふうに存在しているのか、私に想像出来ること は、その明るい紺色だけなのだった。 「うみて、どんなん ? と私は姉に訊いた。姉は私の質問にうまく答えることが出来ないで、 「どんなんいわれたって、海は海やー と突き放す。 「海はなあ、そら広いんでっせ。ざぶりーん、ざぶりーんと、波が岸に寄せてきますね と「はるやーと呼ばれていたお手伝いさんがいった。三階の窓からは、その「ざぶりー んざぶりーんと波が寄せてくる」様子も見えるのだろうか ? 「アホ ! そんなもん、見えるわけないわ」
ていないから、そうですか、というほかないのである。 私は疑うことが嫌いである。面倒くさい、といってもよい。疑うよりも信じた方がらく だから信しる。そのために私の人生は損をすることが多かった。招かなくてもすむ災難を 始終背負い込むことになったが、人は背負い込んだことによって力が出るものなのだとい う確信を持つに到った。だからますます疑わない。損をしてもかまわないのである。その 損から新しいものを産み出せばいいのだ、と考えれば、少しも傷は残らない。 そんなわけで私はお不動さまが守って下さっているということをすぐに信じた。それで、 あいさっ 朝、晩、お不動さまにご挨拶をする。だいたいが無信仰の家に育った身であるから、ご挨 拶といっても正式のご挨拶は知らない。ただお守札に向かって、 「南無大聖不動明王」 三度、念じて感謝するだけである。 「どうしてそんなに簡単に信じられるのかしら」と友達はおかしがった。 はんらん 私は六十年生きて来て現代に氾濫している言葉や批評や分析や「科学の進歩」というも のに疲れたのである。子供のように単純に生きたいと願うようになったのだ。大いなる存 在の下で、ちつ。ほけなものとして生きているーーーそんな自分であることの方が、らくだと 思うようになったのた。 信しることは勇気である :
202 怒ってもしようがない 「あのう、私、小説家になれるでしようか」 ついに私はアタマにくる。 そんなことを他人に聞いてどうするのだ。会ったこともない人の、しかも書いたものを 読みもしないで、なれるでしようか、と聞かれても、実のある返事は出来っこない。それ くらいのことがどうして考えられないのだろう。甘ったれるな。 「さあ、ムリなんしゃないですか」 「ムリっ・・ やつばり佐藤さんもそう思いますか ? 」 ししたいことを心のままにいえたら、キモチいいだろうと思って」 ししたいことって : : : どんなことをいいたいの」 「それはいろいろありますけど」 「いろいろある、そのうちのひとつを書けばいいんですよ」 「そうですか : : : 」 この「そうですか」は理解した「そうですか」ではないことは声に力がないのですぐわ かる。
さこんな暮らし方もある佐藤愛子 佐藤愛子 こんな 暮らし方もある 角川文庫 佐藤愛子作品集 子 一番淋しい空 は、た餅のあと 忙しい奥さん 朝雨女のうでまくり 悲しき恋の物語 アメリカ座に雨が降る 黄昏夫人 九回裏 総統のセレナード 束の間の夏の光よ 忙しいダンディ 加納大尉夫人 さて男性諸君 躁鬱旅行 或るつばくろの話 憤激の恋 一天にわかにかき曇り こんな幸福もある 愛子の小さな冒険 枯れ木の枝ぶり むつかし、世の中 こんないき方もある 日当りの椅子 老兵は死なす こんな考え方もある 愛子の新・女の格言 マドリッドの春の雨 タベっ ( ナ / 」、べっ【ナて、 虹が また、日 ( ま ; 暮オしュ こんな暮らし方もある 何がおかしい 工 S B N 4 ー 0 4 ー 1 ろ 5 9 5 2 ー 5 C 0 1 9 5 P590E 定価 390 円 ( 本体 379 円 ) 9 7 8 4 0 41 5 5 9 5 2 7 こんな暮らし方もある 忙しい日常生活の中て、出遭う様々 ハプニング な疑間や出来事。見て見ぬふりをし たり、流されてしまったりすること、 ありませんか ? それが -- - 一番楽なこ とだと知っているから・・ そんな生き方に活を入れるべく、 愛子女史の彳卸登場。不器用だけれど まっすぐな視点て、、社会、教育、恋 愛・・謎の身近なテーマを痛快に斬 りまくります。 怒り、笑い、涙、そして人生の機 徴をたつぶりと堪能させてくれる、 好評工ッセイ「こんな・・ ズ、第四弾 / 1 91 0 1 9 5 0 0 ろ 9 0 0 角川文庫 角川文庫 カバー早川良雄 カバー旭印刷
170 真実 ある人が急死した。すると一人の人がいった。 「あの人はよく死にたい死にたいといってました。だから自殺です」 別の人がいった。 「あの人はいつも朗らかでした。日曜日はドライブの約束をしていたのに、その人が自殺 するわけがないでしよう。殺されたんです」 死にたいという一一〕葉をストレス解消の手段として口にしている人もいるし、胸に絶望を 抱えて朗らかにドライブを約束する人もいる。死の衝動が唐突にやってくることもあるし、 絶望しているのに衝動がこない人もいる。 「あんないい人がそんな悪いことをするはずがない」と隣の人がいったり、「あの人はヘ ンな人でした」と同居人がいったということで、疑惑がかかったり晴れたりすることがあ 真実
音も相当なものだ。階下の奥さんはたまりかねて上の家へ文句をいいに行く、といい出し だんな 「うん : : : しかしなあ」と旦那の方は浮かぬ声で返事をしぶる。 「しかしなあって、何 ? 何がしかしなあなの ? 」 「子供にじっとしておれといっても、無理な話だしなあ。子供で静かなのがいるとしたら、 それは病人だしなあ・ : 「じゃあ、あなたは六時前からドスンドスンやられて、睡眠不足になっても我慢するとい うの ? 」 「しかし、上と下に住んでいて、気まずくなるのはいやだろ。始終顔を合わせるんだし 「あなたは困らないというの ! 我慢出来るというのー 「困ってるよ。困ってるけど : : : 」 のそんなことをいってるから、あなたは会社でいつも人に追い抜かれてるのよ、と奥さん は余計なことまでいって、「平和に暮らす権利」を主張しに上の階へ上がって行った。 男そこで大女の奥さんが出て来て、どういう論争になったのか。亭主は寝転んでテレビを 見ながら、女房の帰りを待っている。 「行ってきたわ : : : 」
146 「ええ、どんなふうにして贅肉退治をしていらっしゃいますか、お聞かせ願えたら有難い んですけどー それを訊くならその前に、下腹に贅肉がついているかどうかを確かめてから訊くべきで はないのかー とちょっとムッとするが、訊くまでもなく、確かにごってりついているの だから、それを咎めるのよ、 。ししカカりというものになるだろう。 「贅肉なんて、そんなもん、つけっ放しですよ ! 」 思わず語気が鋭くなるのが情けない。 「つけっ放し ? お気になさらないということですねフ 「いや、それは気にしないといえばウソになります。スカートが年々、キッくなって行く のは贅肉のためなんですから、不経済ですしね」 贅肉が気になるのは、スタイルをよく見せたいという、俗つぼい欲望からではないとい いたいのだ。そういわなければ沽券にかかわる、といった気持ちがある。 「どっちにしたってもう来年は六十なんですよ。贅肉なんかの問題よりも老眼がひどくな って来たこととか、歯が悪くなって来たこととか、記憶力減退とか、仕事や生活の上での 支障がだんだん増えて来ているんですから、とても贅肉の心配なんかしているどころじゃ ないんです : : : 」 「はあ、なるほど。そういうものですか」 とカ
134 ぜん 小さなお膳のものを食べるそのことが嬉しかったのだから。 私の家の雛人形はいっ買ったものか、もの心ついた時、それは既に私の家にあった。母 が「嫁人りの時に持参した」というような、そんなたいそうな家柄ではないから、もしか したら古物商か何かから買ったものかもしれない。 だいりびな びようぶ それは屏風の前に内裏雛が並んでいるのではなく、青銅の大屋根のある御殿を組み立て たその中の壇上の間に内裏雛、回廊に三人官女、回廊から下る階段の左右に右大臣左大臣 を侍らせるといった、重々しく立派なものだった。 つか その御殿の大屋根が部屋の天井に支えるので、雛壇の壇数は五段にしなければならない。 友達の家はみな七段で、ふだん可愛がって遊んでいる人形まで全部飾っている。私はそれ うらや が羨ましく、 「あんたのところ何段 ? 」 と訊かれ、 「五段」 と答えなければならないのが、口惜しかった。 先日、こんな夢を見た。 私が育った家に私 ( 子供の私ではなく、今の私 ) と娘がいて、私が娘にいっている。 「そろそろお雛さまを出そうか ? 」 はべ
た。お父さんが慄えたり、泣いたり、あたふたすることがあるとは、子供たちは夢にも思 ばんじゃく わなかった。どんな時でも磐石のごとく、私たちを守ってくれる人だった。だからやたら と子供むに思っていた。 に怒っても仕方がない、 よろい その頃の日本の父親は、親という権威の鎧を着ていて、滅多に正体を見せなかったのだ。 かたひじ うん ! と踏んばって、肩肘張って頑張っていた。それがキモチよかったのか、辛かった とにかノ \ 、ハ乂 のか、私には分からない。お父さん自身にも分からなかったにちがいない。 親というものはそうしなければならないと思い込んでそうしていたのであろう。しかし、 子供にとっては、そんな父親がやはり辛かったことは間違いな、。 地肌を隠さぬ親 先ごろ、あるタレント夫婦が離婚して、夫の方が記者会見に応じた記事がスポーツ紙に すわ 掲載されていた。その記者会見の席には、当の夫のほかに、彼の長女がっき添いとして坐 確っており、彼女は「私はどちらの味方というわけではありません」などと語っている。私 私はそれを見て、驚くというよりは感心してしまった。 つい何年か前までは、親が離婚騒ぎを起こしたりすると、子供は別室で泣いていたもの だ。親というものはどこまでも子供を不幸から守らねばならぬものであったから、その子 ふる つら