118 けんか 出来ようそ。喧嘩好きの人間には、喧嘩となると逃げ一方という人のキモチがわからない のと同じである。 「弱虫 ! なぜ逃げる ! 」と怒っても仕方がない。 弱虫は弱虫なのである。怪しからんといわれてもそうなのだ。気の優しい人に、キック なれといっても、一朝一タになれないのである。私は数学の低能で、子供の時から六十二 歳の今日に到るまで、数 ( ものの値段、金勘定 ) に関したことになると、何と人から説教 ののし ひど され、怒られ、罵られ、損つづきの酷い目に遭ってもどうすることも出来ない。別れこ、 のに別れられない人というのは、このようなものかもしれないと私は想像するのである。 だがそんなことばかりいっていても仕方がないので、なぜ、その人は別れたいのに別れ られないのか、その理由を考えてみることにする。 ます第一に考えられることは、その人は気が弱すぎる、あるいは優しすぎるということ もちろん だ。勿論、この場合、相手の愛盾は冷めていないのであって、こっちの気持ちが冷めつつ あって別れることを考えているとは夢にも思っていないのである。この「夢にも思ってい ない」ということが、この場合ガンなのである。相手の信頼、愛情はゆるぎなく ちが揺らいでいるのがわからないくらい 自分を包んでいる。その信頼、愛情をいきな り打ち破るに忍びない、その勇気がない、 というのが、たいがい気の優しい人が別れられ
本製薬に買い替えなさいという電話である。 がん なんでも癌の特効薬がいよいよ臨床実験に入るとかで、数日中に暴騰するという。一方、 いったん 住友金属鉱山は金を掘り進むうちにお湯が湧き出て来て、一旦は解決の道を講じたものの、 どうにもしようがない。今売れば x 百万の損が出るが、それは大日本製薬に買い替えるこ とで十分、償われるというのである。 「そうなの、そんならそうしましょ と私は賛成して、大日本製薬を五千九百円で買った。その後、住友金属鉱山はいくら上 がり、大日本製薬はいかなる惨状にあるか、諸氏のご承知の通りである。 あき この話を聞く人は皆、呆れて笑い出す。 つもいってるでしよ。証券会社のいうなりになるなっ 「だからいわんこっちゃない。い 皆からそういわれて私は一言もない。 方 し な・せ私は証券会社のいうままになるのか。 暮考えてみるとどうやら私は、証券会社の人が身につけているあの明るい「確信」に負け みじん 私るのである。その確信には人をカモにしようなどという悪意など微塵もなく、ただたた信 けさせてやろうという熱意に満ちているように、その時の私には思えてしまうのだ。 困ったことに私は明るくてものにこだわらない人間が好きなのである。だから気を許し
「デッサンって、どうすればいいんですか と重ねて訊くのである。そこで、 「ます、小説を沢山読むことですよ」 というと、これが必ず、 「誰の小説を読めばいいでしよう ? 」 という質問になって返ってくるのである。 「だから、はじめは片っ端から読むんですよ。そのうちに好きな作家、好きな文体が見つ かって来ます。そしてその影響を受けて行く。その文体を研究し、真似してみるのも一つ の勉強だと私は思っていますけれど」 私の場合でいうなら、まず最初井伏鱒二先生の文体を真似し、三島由紀夫を真似し、そ 味れから ( ミングウイ ( といっても、福田恆存先生の訳文だが ) を真似し : : : という具合 に真似に真似を重ねてやっと、その中から自分の文体らしきものを作って来た。いうまで ぎつばく : とは似ても似つかぬ雑駁な文体にな 人もなく、井伏先生、三島由紀夫、ヘミングウ = イ : てってしまいはしたが。 し そしかしそれよりも前に、なぜ小説を書きたいのか。何を書きたくて小説家になろうとし ているのか、そこのところが最も大切な点なのである。 「なぜ書く人間になりたいのですか ? 」
り込む道ならプロダクションを探せば何とかなるかもしれませんよ。運がよければチャン スに恵まれるかもしれない。しかしあなたの場合は目的が〃自己表現〃でしよう。〃真実 の探究〃にあるのたということになるとこれはむつかしいですよ。 何よりもまず、共通の目的意識を持っている仲間が必要ですね。それから演じる舞台、 相棒、照明、装置、そして何よりもお金が要る。それに自分も食べていかなければならな 。その金を作るために演劇青年たちはどんな苦労をしているか。例えばタクシーの運転 手、スナックの。ハーテン、酒場のポーイ、皿洗い、女はホステスやモデル、歌の歌える人 はキャパレーで歌わせてもらったり : : : そのうち生活に疲れて、初心を失って行く。もう 真実の探究も、自己表現もヘッタクレもなくなるんです。お母さんが反対なさるのは母の 立場として当然です。説得の方法はないかといわれても、私には説得なんか出来ません」 来「そうですか。わかりました」 9 と彼女は素直にいった。もしかしたら私の大演説に閉ロしたのかもしれない。 人「考え直すことにします」 新 て もしかしたらほんとうは彼女は有名になりたかっただけなのかもしれない。芝居が好き そで好きでたまらなかったのかもしれない。しかし彼女はそういわずに「自己表現」をした いといった。そういう方が何となく高尚に聞こえて、もっともらしくなると思ったのかも しれない。「お手伝い」として働くというよりは「人生勉強をしている、といった方が
「そうなんだって : という彼女の声からは力が抜けている。 「ということは、つまり : : : 」 ムよ、つこ。 「新人類の母親らも問題があるってことねー はず 「そうなのよ、旧人類の筈なのに : ・ 「ということは、つまり、旧人類が新人類に侵されて来ているってことなのかな。それと も新人類を作ったのは、旧人類だってことかな」 旧人類にとって新人類は爪先に落ちて来た文鎮みたいなもので、腹は立つが、文鎮相手 に殴りかかってもしようがないので、ムカつきながら我漫するのだと副編集長はいったそ うである。しかし私は、文鎮というよりは、ビールスのようなものではないのか。旧人類 は自信を失ってビールスに侵されつつあるのではないか。 「むつかしいねえ」 「ほんと、むつかしい : そういったあと、続く一一一一口葉が見つからなかった。 つまさき
144 「お酒、煙草の方は ? 」 「煙草は吸ったことがありませんしね、お酒もたいして好きな方じゃないので、つきあい 酒の程度ですし : 「コーヒーとか甘いものは : 「コーヒーも嫌いなんです。甘いものといっても、あれば食べるし、なければ食べないし : わざわざ買いに行くほど食べたいとは思いませんのでねえ : 「はあ・ : ・ : 」 しばら 相手は気が抜けて暫く絶句した後、 「では、健康法は何もしていらっしやらないんですね」 不機嫌に念を押す。 「何もしていませんのよ、すみませんー 自分の問題なのだから謝る必要もないのについ謝ってしまう。 考えてみれば私は自分の血圧が幾つなのかも計ったことがないので知らないのである。 「血圧ぐらい知っておきなさいよ」 とよくいわれるが、わざわざそのために病院へ行くというのも面倒くさい。おそらくは 低血圧であろうと思うが、それがわかったとしても私にとって格別どうということはない のである。
128 わがたった一つの慰め 北杜夫さんから電話がかかって来て、 「アイコさん、もう株はおやめなさい」 というので、私は、 「何をいうのよ、今ごろ ! そういうあなたが株好きのバイキンを私にうっしたんじゃな し北さんも相変わらず と大声になった。それからお互いに目下の損失の状況を話し合、 損をつづけていると聞いて私は満足した。 こよしみじみと親愛 人が儲けたという話を聞くとシャクにさわるが、損をしたという話冫 感が湧くのも清けない話だ。 「株はゼッタイ、証券会社のいいなりになってはいけないよ。これは鉄則です」 と北さんはいうが、そういって自分で選んでいる北さんは、やはり損をつづけているの ていう通りになりたくなる。 しかし考えてみると、こだわらない人間であるために、彼らは平気で私に損をさせるの である。
好みが合わないと : この十数年、精神的にも物理的にも花見をするようなゆとりのある暮らしからほど遠い ところで生きなければならなかった私は、折角の花の季節も夏や冬や秋と同じに走り抜け て来た。 講演旅行の乗物の窓から、ああもう桜が咲いている ( あるいは散っている ) と気がつい て、過ぎて行く春に感傷をそそられることはあっても、花の下にゴザを敷いて酒をくみ交 しわすといったことはついそしたことがなかった。花見の宴がくりひろげられている傍を、 おぼ 暮所用を抱えて忙しく通り過ぎながら、場違いの者が紛れ込んだような居心地の悪さを憶え 私たこともある。 花見というものは、好みを同じうする人と一緒にするべきものだと私は思っている。例 えば酒を飲んで歌うのが好きな人、そういう人をただ眺めていたいという人、あるいは渋 花の下で何をする
このごろ川柳に凝っているという女子学生が遊びにきて、のつけから川柳の話になった。 彼女が気に人っている川柳は、たとえば、 腹を切ることも教えて可愛がり ふうし という句で、「武家の非人間性をあますところなくえぐった痛烈な諷刺句である」点に 感心します、という。この川柳は私も決してきらいな句ではないが、「あますところなく えぐった痛烈な諷刺」などといわれると、急にこの川柳の面白さが色あせてしまうのであ る。彼女はまた、 おやという二字と無筆の見よ、 方 の句も、悲しくかっ面白い、という。文盲の親がたぶん、道楽息子にお説教をしている し 暮んでしようね。「お前は親という字を忘れているんじゃないか」なんていうつもりで、「お 私やという一一字」といってしまう。おかしく悲しいとはこの句ですわね、と説明されると、 これもまた私の好きな句だったのだが、にわかに興ざめしてしまうのだ。 川柳の面白さを楽しむときは、あんまり、講釈や説明はしないほうがいいのではないか。 川柳の味わいかた
母の口癖 「お父さんのことはよく書いておられますが、お母さんのことはあまりお書きになりませ んね」と、私はよくいわれる。そういわれてみると、確かに私は母のことをあまり語って し子 / ーし 私の父は我が儘で短気な激情家だったが、陽性の人間だったので、その我が儘や短気に あいきよう どことなく愛嬌があり、従って語り易い人だったのだ。母はそんな父とは正反対、父の陽 に対して陰の人だった。感情が顔に出ず、心のうちを口に出さない。苦痛も訴えない代わ り、喜びも表現しない。父はよく母のことを、 うれ 「何をしてやっても嬉しそうな顔をしない。感謝ということを知らない女だ」 といい、母は母で、 「男というものは口先ばっかりチャラチャラとうまいことをいう女が好きなんや」 といっていた。 私たち子供も、母から優しい言葉をかけられたという記憶がない。母は滅多に外へ出ず、 すわ いつも茶の間の長火鉢の前に坐ってつまらなそうにじっとしていた。家事は何もしない。 やす