「どんどん燃えよう」 数日前、私は日帰りで岡山へ行った。日帰りであるから飛行機をつかったのだが、それ うれ がプロペラ機だったので驚いた。驚くと同時に嬉しかった。 「あら、おなっかしいー お元気でしたか」と話しかけたいような気持ちだった。 ・フルルンブルルン、ブル。フルブル、と空を飛んで行く。昔はその音をうるさく思ったも のだが、今はそれが懐かしい。 さっぽろ 岡山まで一時間五十分。ジェット機なら東京から札幌まで一時間三十分である。札幌へ 行くよりも時間をかけてブルブルブルルンと岡山へ向かうのが何とも心楽しいのであった。 飛行機の窓から見る五月晴れの岡山市周辺は、麦の青みどりが輝いて美しい。空港の建 物が昔ながらに小ちんまりしているのも嬉しく、丁度土曜日のことで市内は人影もまばら、 車の数も少なく「ああ、なんて穏やかなんでしよう。疲れが洗い流されるようです」と案
内の人に話しかけている折しも、大きな看板が目に人った。 「燃えろ岡山。県民運動」とある。 「″燃えろ岡山〃というのは何ですか」と訊くと、「今、岡山県では″燃えよう運動〃とい うのをやっているのです」という。 のんき 「どうも岡山というところは、隣の広島をはじめ、どの県と比べても活力がなく、暢気と えば暢気、積極性がないというか、怠け者というか、自足しているというか、・ほんやり 沈滞しているんです。飛行機だっていまだにプロペラ機が飛んでいるのですから。これで はならぬ、〃皆、燃えろ〃ということになったんです」 しいじゃないですか。だからここへくるとほっとするん 「沈んでいる ! 活力がないー です。ほっとする県がひとっくらいあったっていいじゃないですか」 私はそういったが、その言葉は相手の耳には届かず、「ですから近々、ジェット機が発 着出来る飛行場を造ることに決まっています」とはり切っておられるのである。 「ジェット機が飛ぶようになれば、東京から一時間とちょっとで来ますー 信 確「しかし、そうなってもたかだか四十分ばかり短縮されたということじゃないですか ? 」 私〃その四十分にどんな意味があるのか〃ときくと、相手の人は困ったように笑って、 「とにかく、どんどん燃えなくてはならないんです」というのであった。
「それはそうですねえ : : : 」 うなず と肯きつつ、 「しかし、隣の広島は繁栄しているのに、うちは沈滞しているわけにはいきませんよ」 ″自分ばっかり働いて、ヒトには働くなというなんて、ズルイよ、ズルイよ〃 といわんばかりなのであった。 どうして日本人はそんなに働くのか。 昔、貧乏国だった頃の習慣が取れないんだろうという人、遊びの楽しみを知らないんだ という人、いや、働くことが楽しいんだという人、いろいろな答えがあるが、もしかした ら我々は「トナリ」を気にかけ過ぎるのかもしれない。 トナリが働くからうちも働く。 トナリが残業するから自分も残業する。 トナリの子が大学に行くからうちの子も大学に行かなくてはならない。 トナリが働いているのに、のんびり昼寝をするには勇気が要るのである。 信 確ところで、岡山でこんな話を聞いた。岡山では「燃えろ岡山」をお向かいの香川県に呼 私びかけたところ、香川県からお断りを喰った。 香川県はトナリ近所を気にしない県なのかと思ったら「いえ、香川県は火災発生率が高 い県ですので」という答えであった。
なぜそんなに働く うら このところ、日本人の働き過ぎが外国の怨みのタネになっているようで、日本人はこれ 以上働くのをやめてほしいという声が上がっている。確かに日本人はアクセクよく働く。 働くことは美徳であった時代は過ぎているというのに、まだ働きつづける。外国人にそれ を指摘されて、 「まったく、我々はどうしてこんなに働くんだろう ! 何が楽しくてアクセクしているん だろう ! 」 と同感するのだが、同感しながら働くのをやめない。 いいながら残業している。 「どうしてこう働くのかねえ、我々は : : : 」と けいべっ そうして世界のにくまれ者になり、軽蔑され、恐れられ、まったく外国人にとっては不 気味でしようなあ、我々は : : と認めて、カッカと燃えて働くのをやめない。 「せめて岡山くらい、燃えない県があってもいいんじゃないですか。のんびり、その日そ の日、自足して暮らしていられる幸せを大事にした方がいいじゃありませんか。燃えたた めに失うものは沢山あるんですよ」 私がそういうと相手の人は、