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検索対象: こんな暮らし方もある
145件見つかりました。

1. こんな暮らし方もある

136 なかった。それゆえ必然的に私はケチだった。ケチだったがもの心ついた娘のためにお雛 デ。ハ さまだけは買ってやりたいと思い トへ出かけて行った。雛人形売場をあっちへ行 あきら ったりこっちへ来たり、値段を見ては考え、迷い、諦め、はじめは後をついて来ていた売 場の人も、もうそうつき合ってはいられぬとばかりに向こうへ行ってしまった後、やっと 覚悟を決めた。 一番安いのを買おうー 忘れもしない、 一番安い雛人形はガラスケースも一番小さく、人形もまたそれに従って 小さい金三千五百円也のものたった。 その人形のお粗末なことといったら、もしかしたら人形師の弟子のその弟子か、あるい みまね は子供が見よう見真似に描いたものとしか思えない顔で、丸いのあり平べったいのあり、 ひとつひとつがみな違う。目鼻、ロの形も違うのだ。 私がそれを買ってくると、母は呆れていった。 「可哀そうに : 多分三歳か四歳になっていた娘、彼女の孫を憐れんだのだ。 「でもよく見たら、これはナカナカのもんですよ と私は自分を励ますようにいオ こも 「この雛人形には実に純な心が籠っているわ。不器用だけど、その不器用さが無邪気でし あき あわ

2. こんな暮らし方もある

私はガーンときて、『でも何時間も並んでやっと買えたのに』というと母は、『パパは夜 遅くまで働いているつうのに、子供はあんなくだらないことに金を使いやって恥を知りな さい、恥を ! 』と私をぶつので私は「わかりました』と涙でぐしょぐしょの顔をしてチケ ットのキャンセルに遠い所まで戻りました。 『ああ、私のモ ートンに会えなくなった』と私がグチをこ・ほすと母は、『あんたの教育を 間違えた。もっとお金のありがたみのわかるように厳しくしつけるんだった』とにらみま す。これ以上厳しくされたらどうなるのよ、と、 しいたくなります 誰のおかげで生活できるー その夜、彼女は三つ年下のイトコに電話をする。イトコも厳しいお母さんを持っ彼女と 「同類の女の子」だという。 「イトコは私に同情をし、『まったく、なんで家のママたちはあんなにス。ハルタなんだろ う』とため息をつきました。彼女はこの間、高校へ行く前に「行ってきます』といわなか ったためにひどく怒られたそうです。 『朝はニコニコとして行ってきますっていうのは当たり前でしょ ? ええッ ? 』と腕をギ ュッとっかまれて怒られたのです。その痛さ ! 私もよくわかります。本当に後で真っ赤

3. こんな暮らし方もある

「お帰り。どうだった ? 」 「話はついたわ。出来るだけ静かにしますって」 「そうかい。ごくろーさん」 その日から上の階のドスンドスンはなくなった。子供も棚のものが倒れるような騒ぎ方 はしなくなった。 「私が行かなかったら、こんなに寝坊はしていられなかったでしよう」 日曜日の朝のべッドで女房がいう。 「うん、そうだ。確かに」 亭主は素直に感謝して、持つべきものは女房だ、という。今や強くなった女房は、 まか 「お前に委せるよー といえば、何でもしてくれるのである。 マンションの管理事務所へ要求事項をつきつけに行くことも、町内会へ意見をのべに行 くことも、金策、ローンの組み方、子供の学校問題、教育費の捻出。 「うーん、困ったなあ : : : どうするかねえ : といってあとは黙っていれば、女房は「やるつきゃない」という気になってやってくれ る。何しろ意気さかんであるから、カがある。無能のふりをしていれば、らくが出来るの である。 ねんしゆっ

4. こんな暮らし方もある

144 「お酒、煙草の方は ? 」 「煙草は吸ったことがありませんしね、お酒もたいして好きな方じゃないので、つきあい 酒の程度ですし : 「コーヒーとか甘いものは : 「コーヒーも嫌いなんです。甘いものといっても、あれば食べるし、なければ食べないし : わざわざ買いに行くほど食べたいとは思いませんのでねえ : 「はあ・ : ・ : 」 しばら 相手は気が抜けて暫く絶句した後、 「では、健康法は何もしていらっしやらないんですね」 不機嫌に念を押す。 「何もしていませんのよ、すみませんー 自分の問題なのだから謝る必要もないのについ謝ってしまう。 考えてみれば私は自分の血圧が幾つなのかも計ったことがないので知らないのである。 「血圧ぐらい知っておきなさいよ」 とよくいわれるが、わざわざそのために病院へ行くというのも面倒くさい。おそらくは 低血圧であろうと思うが、それがわかったとしても私にとって格別どうということはない のである。

5. こんな暮らし方もある

それは私にも、多分そうだろうという程度にわかる。しかし悲しいことには、仕込みの モトデがない。考えてみれば今まで、だいたいにおいてそういうパターンをくり返してい るようで、つまり株が高騰して行くと、一緒にこちらの気分も高揚して、買いたくなって しまう。 毎日、新聞の株式欄を見るのが楽しみで、 x 円上がった、また上がった、と喜んで儲け たような気分になっていると、ある日、どかっと下がる。あるいはジリジリと下げはじめ て、そのうちに戻ります、大丈夫です、という証券会社の人の励ましを ( ほかにいう一一一一口葉 がないからそういっているだけであるとは思わず ) 唯一の慰めとしているうちに、どうに もならない状況に陥り、新聞を見るのもイヤになってくる。 しかし新聞を見るのもイヤという時期こそ、とっくり見て仕込みにかかる時なのであろ う。こういう時のために資金を用意しておくのが株の名人というものだ。 そういう名人は私のような者を見ると、勇んでお説教をはじめるのがいやらしい。イマ 耳てもわからない。またすぐ忘れてしまう。 しイマしいのでよく聞かない。門い 暮な・せ私は株をやるのだろう ? 私損をした、させられたと怒りながら、自分は熱心に研究しようとしない。株をやること にいったいどんな意味があるのかと人に訊かれると、私は考え込んでしまう。 それは多分、道楽のようなもので、男の人が、なぜ浮気をするのか、浮気の意味は ?

6. こんな暮らし方もある

私だけが知らない海 私が少女時代を過ごした家は、木造の三階建ての借家だったが、その三階はいつも雨戸 が閉ざされていて一度も使われたことがなく、特に子供は上がることを禁じられていた。 しかし四つ違いの私の姉は、近所の遊び友達に、 「うちの三階から海が見えるねん」 とよくいっていた。それで私も遊び友達に向かって、 「うちの三階へ上がったら海が見えるねん」 信 確といった。五歳か六歳ぐらいの頃だった。 私海は私の家のある集落からはほど遠く、海へ行くには小さな路面電車に十五分ほど乗っ て行くのである。たから海が見えるねんという時の姉の抑揚には、海が見える三階建ての 家を自慢している気配があり、だから私も同じ気分になった。鉄筋の家などなかったその 私の海

7. こんな暮らし方もある

まみ出し、その一個でタ、、ハコとチョコレートとクッキーという大収穫を得たという。 私はそんなことまで思い出して、そのへんにいる人の、ズボンの折り返しに指輪が入っ ているのではないか、調べさせてもらいたくなったりした。 といって走って行ったが、手を洗う時 搭乗便の出発は迫る。娘はトイレかもしれない、 は確かに指輪はあったのだ。外して手を洗って、またクスリ指にさしたことをはっきり記 憶している。 娘が化粧室へ行った後、私はがつくりべンチに坐ると、思わず口を衝いて出て来たのが、 「南無大聖不動明王 : : : 」 やがて向こうから娘のにこにこ顔がやって来て、叫んだ。 「あった ! 」 「あったの ? どこに ? 」 「トイレの床に転がってたよ。洗面台の前に」 「へーえ、よく拾われなかったねん 信 確では手を洗った後、帯を締め替えた時に抜け落ちたのだろう。ほっとすると同時にいっ の 「これもお不動さまのおかげです。ママは今、お不動さまを念じていたから見つかったん だわ。 : お不動さま、有難うございます : : : 」

8. こんな暮らし方もある

トクをするのは誰 そび 家庭の頂点に聳えていて主導権を握り、女房子供を従え守るという責任を負っていた頃 の男たちは、その苦労の代わりのように権威をふるったものだった。今、男たちは権威を らくに暮らそうという気になって 捨て、女のカの陰に身を置いて、威張れなくてもいい、 の来ているようだ。 ちやわん 、よ、いいよ、早くおやすみ。明日は早 「いいよしし 、よ、 ~ 余碗はボクが洗っとくよ。いし 男いんたから、洗濯はボクがしとくよ」 優しくそういわれると、奥さんの方は無邪気に喜んで、ますます頑張って働かねば : という気になって行く。男と女の差なんかあってはならないのです。男女は平等です。も 出産計画のコントロールに失敗しても、「あなたのせいよ、どうするのよう」などと、 しつ妊娠したの 昔の女房のように泣ぎ声を出して責めるだけ、というようなことはない。、 か、いつ中絶したのかわからぬうちにちゃんと始末がついており、「こうだったのよーと 事後報告があるだけなのは、寂しいというよりはやはりらくなのである。 ( ま、中には自 分のタネでない子供の始末が、知らぬうちにスイスイついている、ということもあるかも しれないが )

9. こんな暮らし方もある

盲腸もまた無用の存在とされて簡単に切り取られる。外国へ行くので切り取っておいた とか、何かの手術のついでに取ったとか。しかし私は盲腸が何の役目も負わないで存在し ているとはどうしても思えない。親しいお医者さんにそういうと、盲腸はなくてもいいも のですと断言され、「尾骨だっていらないのにあるじゃないですか」と逆襲された。いや 尾骨だってきっと何かの役に立っているのだ。今はそれを知らないで無用呼ばわりしてい るが、将来、盲腸と尾骨に謝る時がくるにちがいないと私は確信している。 変人 私が滅多に薬を飲まないのは、薬嫌いというよりは、あまりに今の薬がよく効くことへ かのう の怖れのためだ。頭痛、発熱、化膿など、あっという間に直ってしまう。こんなに早く苦 痛が癒えてしまっては、我漫をする時がなくなってしまうではないか。人は笑うが私は本 気でそう考えているのた。 人は元気なうちにしておかなければならないことが沢山ある。我慢の力を養っておくの もそのひとつだ。私は月 髜来、重病になって苦痛と戦わなければならなくなった時のことを よく考える。薬の力も及ばない苦痛に襲われた時は、我慢の力が頼りである。元気な時か ら苦痛を逃れることばかり考えていると、その時になって七転八倒しなければならない。

10. こんな暮らし方もある

「何をしてることたか ! 」 と父はよく、吐き出すようにいっていた。ハチローは不良少年としてっとに有名 ( ? ) だったが、もうその頃は「少年」と呼ばれるような年齢ではなかったから ( 二十四、五 歳 ) 「不良青年」ともいうべき生活をしていたのだろうか。とにかく定職というものはな もら こづか かった。時々、東京からフラリと現われると、小遣いを貰って帰って行った。兄はソフト ないい声をしていて、よく縁側に立っては歌を歌った。 「からたちの花が咲いたよオ しろいしろい はーなが咲いたよオ : 兄が歌うと父は怒った。 「何た、その柔弱な歌は ! からたちの花が咲いたのがどうした ! 」 兄が『爪色の雨』という処女詩集を出した時も、父は怒っていった。 「爪色 ? 爪とは何だ、爪とは ! 爪みたいなチッポケなものじゃなく、もっと大きなこ とを考えろ ! 」 つぼ その頃、父の書斎に黒と茶色の人り混じった汚らしい壺が飾ってあった。それはハチロ りゅうきゅう ーが持って来て、五円で売りつけていったものだったが、ずっと後になってそれは琉球の これ シビンだったことがわかった。父はよく怒る人だったが、こういう時には怒らない。 つめいろ