人気天岬 崕昔十 を眸 なんど 「おまえさんには、納戸にあるいろいろのお菓子をお盆 に盛合せてもらいましようか」 と言われたので、手元の品々を見合わせ、まんしゅう・ 御所権・梛は・藩歴・にの実・樛欅枝、これをざ「と数 を合わせて取合わしているとき、亭主の長左衛門が棚か 、れこばち ら k 子鉢をおろそうとして、おせんの頭の上に取落した。 きれいに結い上げた髪の結目がたちまち解けて、主人は このことを気の毒がると、 「すこしもご心配にはおよびません」 と言い、簡単にぐるぐる巻にして台所へ出てきた。麭 みとカ 一ノっ屋の獻儀はそれを見咎めて気をまわし、 「おまえの髪は、つい先刻まできれいに結ってあったの なんど に、納戸でにわかに解けたのはどういうわけなのだい」 と言った。おせんは身に疚しいところがないので、物 ー ) 亠 9 かに、 「旦那様が棚から道具を取落しになって、こんなになり 、イア / ました」 と、ありのままに言ったが、一向に納得せす、 いれこばち 「さてさて昼でも棚から入子鉢が落ちることがあるとみ えるね。色気たつぶりな入子鉢だこと。枕をしないであ わただしく寝れば、髪はほどけるものさ。よい年をして 親の法事の最中にこともあろうに : と、人が苦心して盛りつけた刺身を投げ散らし、何に ー威 つけ彼につけ、一日中この事ばかり言いつづけていた。 ~ - うざ 聞き耳を立てていた人も、あまり執っこいので興醒めて しまった。 い堂 しっと 、阪 こんな嫉妬深い女を女房にしているのは、亭主の身と
まさか、こんな物は盗んでもこられまい」 しんそこ ~ 、 と言、つ。心底口惜しいのだが、とんでもないそんなこ せけんてい とは、と銭を受け取り、やっと世間態を酒でごまかした。 この酔のいきおいで、中の一人が言い出した。 どうとんはり 「どうも今宵はもたもたしたな。明日は道頓堀に出て、 ざもと 中の芝居の座元のところで、私の奢りで御馳走しましょ かたしけない」 と、約束をして別れ、その翌日、 い、か来わに 「すぐに、おあとから参ります」 と答えて、金のかかる心配も無いことであるから、そ の男めかしこんで、前夜濡らした着物の皺を伸ばし、樺 はやり 色の平帯を締め、柄の長い流行の刀を一本さし、折目に くすれのない大鶴屋の扇を持つ。見かけだけは、今でも だいじん ぞうりとり とうざん 大尽である。今日一日だけの雇いの草履取に唐桟の風呂 やごう のれん 敷をかつがせたが、その中に屋号を染め込んだ暖簾をた たんで入れ、人目には替着物に見えるつもりだが、さす こんたん がにその魂胆が恥すかしかった。 しんさいばし 心斎橋通りを南へ急いで歩いて行くと、芝居が丁度終 こんざっ こまものや って往来に大勢人が出てきて混雑している。 」間物屋の うちみず 男が打水しているのに、ぶつかり、腰から下へかけて、絞 れるほどに濡れてしまった。着替えのない身か悲しくて、 心中腹を立てて眼の色が変ると、そこの主人が走り出て きて、 せんばん 「お怒りはごもっとも千万でございます。この男めは、 やまと 、まっちけ 大和から二三日前に私どもへ参ったばかり、未だ土気の おおづる つか いよいト小、仍いの使 しわ さそ
吉祥寺にあるお七と吉三郎の比翼塚 ( 東京・文京区 ) 円乗寺にあるお七の墓 ( 東京・文京区 ) きらじようじ ひょくづか えんじようじ う。気おくれしたように噂されるのも残念だ」と、腰の 刀に手をかけたので、法師たちがその手に取っき、いろ いろ制止して、 「どうしても死ななくてはならぬのなら、長い年月親し くしてきたの人にも別れを告げ、長老さまにもその わけをよくお話した上で、最期を遂げられるがよい いう訳は、そなた様と衆道の契りをなされた方からの頼 みでこの寺にお預りしたわけで、そのお方にも申し訳け なくわれわれも迷惑、あれやこれや考え合せられて、こ れ以上悪い評判の立たぬように」 と、諫めたので、吉三郎も道理至極と自害をおもいと どまったが、 いずれにせよ浮世に生きながらえるつもり ちょうろう その後、長老にその気持を伝えると、驚きなされて、 ル、み : っ 「おまえの身は、兄分の人に切に頼まれて愚僧が預かっ まっ - ま・ん たものだ。その人は今は松前に行っておられ、この秋ご ろにはかならすここに戻ってくることを、この度もくれ もんちゃく ぐれも申し越されている。それなのに、その前に悶着が あったなら、さし当って迷惑するのは自分なのだよ。兄 分の人が帰ってみえてから、どのようにでも身の振り方 をつけるがよろしかろ、つ」 と、いろいろ意見をなさったので、日頃のご恩と思い 合わせて、 いカト小、つに 9 もお一一一口葉に " 低い土ー ) よ、つ」 ちょうろう しっち と承知申し上げたが、長老はそれでもまだ心配されて、 刃物を取上げ沢山の見張番を付けられたので、仕方なく 並日段の居間に入り、人々にるには、 はもの
後世に芝居になった「八百屋お七」瀬川菊 次郎のお七尾上菊五郎の吉三郎十六歳の うたざいもん お七の恋物語は人々の涙をしばった歌祭文 にうたわれ講釈師によって語られ芝居の演目 となりその名は知らぬ者もないほどだった めまつおまっ か′」↓・つ き、夜が明ければ新しい年のはじめ、女松男松の門松を 一工み 立て飾り、暦を見ると二日のところに「姫はしめ」とあ るのも味なものだ。しかし、この二人にはよい機会がな わか くて、この日も枕を共にすることができず、君がため若 ななくさがゆ 菜摘む七種粥の日もおわり、九日十日も過ぎ、十一日、 まっ 十二、十三と日は移って、一月十四日の夕暮、これで松 の内もおわりになって、ただ浮名だけ立っているのも情 ないことであった。 かみなり 君をおもえば雷も恐くない ゃなぎはら 春の雨が降る十五日の夜に、柳原のあたりから参りま かイ した、といって外門をあらあらしく咄く音がした。寺の 僧はみな目を覚まし、出てみると、 ながわずら 「米屋の八左衛門、長患いをしておりましたが、今夜亡 くなりました。則からそのことは覚吾しておりましたの ほ・つむ で、夜のうちに葬ってしまいたいのです」 という使いであった。 はれま 出家の役目であるから、雨の晴間も待たす、沢山の僧 侶を従え、手に手に傘を持って寺を出て行った。そのあ ばばめ とは、七十を越した飯炊き婆が一人と、十二、三の小僧 が一人と赤大が残っているだけである。折しも、松を渡 はつはるかみなり ってくる風が淋しい音を立て、初春の雷がひびき渡った。 みな驚いて、婆は年越しの夜の煎豆を出してきて雷除け 力さ めした いりまめ
い者が盗むことではありません。その後いろいろの願を あちこちの神にかけましたけれど、その甲斐もありませ ん。また山伏に祈濤を頼みましたところ、『この金が七 ごまたん 日以内に出てくるとすれば、この護摩壇の上にある御幣 と - フみよ・つ か動き、お燈明がしだいに消えてゆきます。そうなれば、 、ました。そのとおり、 願いごとが叶、つしるしてす・』といし とうな - うはのお 祈りの最中に御幣が揺れはしめ、燈明の焔も小さくなっ て消えました。これはまだ末世ではない、神も仏もいら っしやる、ありかたいことだとおもい、お賽銭を百二十 文もあげて、七日待ったけれど金が出てこない。ある人 に話しますと、『それは盗人に追銭のようなものだ。 しかけやまぶし まどきは仕掛山伏といって、いろいろ護摩の壇にからく とさ りを施し、白紙を人形に切ったものに土佐の念仏踊りを てじなし まつだ させてみせるなどします。この前、松田という手品師か してみせましたが、人々がみんな利口になり過ぎて、か だま えって手近なことに欺されます。その御幣の動きはしめ たのは、それを立てておく台座の下に壺があって、その じゅず 中に生きた鰌を入れてある。数珠をさらさらと押し揉ん どっこ とな ー ) 、“うぶつだん で、東方に西方にと唱えながら、独鈷、錫杖で仏壇を荒 荒しく打っと、鰌がこれに驚いて、上を下へと騒ぎ、御 幣の串にぶつかるのでしばらく動くわけで、仕掛けを知 らすに見れば恐ろしい また燈明のことは、台の下に砂 時計の仕掛けをして、油を抜き取るのです』と、この話 を聞いてしまうと、ますます損を重ねました。わたしは この年まで、銭一文落したことなく暮してきたのに、今 おおみそか 年の大晦日は、この金が見つからないので胸算用が違っ て、気がかりのまま正月を迎えるので、あれもこれも面 ほどこ やまぶし どじよう さいほう ぜにいちもん まっせ そん おいせん さいせん 113
「木屑のようにはかない命」訪問先で棚 から鉢が落ちておせんの髪がほどけてしまう 乱れた髪にこの家の主人との間を疑われお せんはそれならいっそのことと開き直って本 当に不貞を働こうとするが発覚し自殺する して災難なことだ。おせんは迷惑なおもいですっと聞流 していたが、 こ、みね ぬれぎぬ 「おもえばおもうはど、腹の立っその心根。どうせ濡衣 うきな を着せられて浮名が立ったからには、もう是非もない。 あの長左衛門殿に誘いをかけ、あんな女の鼻をあかして ぜひ やろ、つ」 と田 5 いはしめてからは、すっかりこれまでの亭主孝行 ) 、ほどなく本気で恋するよう とは別の心になってしまし になり、そっと打合わせて、いっかよい機会をと待って じよう、、・う 貞享二年一月二十二日の夜のことである。女たちが正 月のたのしみに福引をしたりいろいろ遊びをして夜がふ けていった。座は乱れて、負けて止めてしまうものもあ り、勝ちつづけても飽かすに遊んでいるものもあり、わ れ知らすをかいて眠「てしまうものもあ「た。樽屋の ともし火は消えかかっており、亭主は昼の疲れで鼻をつ ままれても分らないくらい眠り込んでいた。 おせんが家に帰るのをつけてきた長左衛門に、 「かねての約束を果すのは、今だ」 と言われて、断ることもできす、おせんは男を家に引 したおび 入れた。これが二人の恋のはしめで終りであった。下帯 たるや した - ひも 下紐を解き去りもしない、っちに、樽屋が目を開き、 「見付けたからには逃さぬぞ」 と声をかければ、長左衛門は着物を脱ぎ捨て、丸裸で ふじだな 魂を飛ばし、はるか谷町の藤棚のほうの知人のもとへ命 からから飛ぶように逃げて行った。 やりかんな おせんはもはやこれまでと、かねて覚悟のこと、槍鉋 アよ、、が・ら むなもと で胸元を刺し通し、死んでしまった。その亡骸は、処刑 しおきー された長左衛門と並んで、仕置場にさらされた。おせん えん うたざいもん 長左衛門の浮名は、さまざまの歌祭文につくられて、遠 てんばっ 国までもったわったのである。悪事は天罰をのがれす、 あなおそろしい世の中である。
右質屋着物を持ってきた町方の女房と番 頭のかけひきうしろの質草の中には武士の 刀もみえその幅広い利用者層がうかがわれる 左餅屋釜で蒸した餅をひねってまるめて も昔も作り方は余り変らないようだ し、るフ すいぶん と言って泣く。主人も女も随分と意地を張っていたか、 今は前後も忘れて、涙になった。 誰 9 もしばらくは、物一言、えないて 「さては、あの子はたった一枚の着物で、着替えもなく てのことか。親の身として子を可愛く思わない者はない のに、よくよく暮しか苦しいからこそ、このよ、つな辛い 目に会せているのだなあ」 歎きか先に立って、言葉も出ない。各々が帰るとき、 三人でささやき合って持合せの少々の金を取り集めて、 いち京きん ぎわてんもく 一分金三十八枚と小粒銀七十匁ばかりを、立ち際に大目 ちやわん 茶碗に入れて、それとは告げないで出て行った。亭主も 送って出て、 「さよ、つな、ら、さよ、つな、ら」 と、夕暮れの深くなった道を急いたところ、あとから またあの金銀を持って追いかけてきて、 「これは、どういうことか。筋の通らぬ金をどうあって し力学なし」 9 も世只、つ . わけ・に、 と、人の言い訳も聞かす投げ出して立帰った。仕方な く、三人は立去った。それから二、三日過ぎて、人手を 借りて女房のところへ持たせてやったところ、もはやそ の あきや の人は田舎へ立退き、その住居は空家となっていた。 ゆくえ ろいろ探したが行方知れす、三人ともにこれを歎き、 じよろうぐる 「おもえば、女郎狂いも迷いの種だ と言い合せて、道楽をやめてしまった。世の中ではど あだ んなことが起るか分らなし 、。妙な事が仇となって、当時 うすぐも い 4 っカ′、 だいぶん の薄雲、若山、一学という三人の女郎が、大分の損をし たとい、つことてある こつぶぎん 0 っ じよろう 135
つく。そんな程度の身代なのだもの、貧乏人には用なし の物参りだこと」 か ( た、ち と、思いながらも、主人の命令なので、門口まで送っ て愛想よく別れた。 だいじん この大尽は、昔はちょっと京に出るにも、堺から六人 肩の夜駕籠で、一人七匁のきまりで四十二匁出すと、駕 よど らゆう 籠は宙を飛び、まだ夜が深いのに淀の小橋の橋詰にある しまばら ちょうちん うそ 偽の仁兵衛の所に着き、そこまで島原から提灯を持たせ よど みずぐるま た迎えを出させる。淀といえば、その水車がまわるよう に人を意のままに動きまわらせて使ったものだが : かどぐち 淀の辺をうち眺め、その家の門口を少し足早に編笠を前 下りにかぶって通り過ぎた。島羽の辺りの馬や牛を避け ートフじ せんばんどお るのもずいぶんと面倒で、間もなく東寺から千本通りへ くるわ あげや 別れ、島原の廓を塀越しに、揚屋町の裏を行く。なんと ざしき かしわや ものび いっても都だけに、物日の座敷着が柏屋、丸屋の二階に ちらちらみえる。衣裳はとにかく赤いのが、目立つもの ばち である。小哥が聞えて、三味線の撥の音も聞えるが、手 の届かぬところのこと。 「もう一度千両だけでも未練気なく、ここで遊んでみた すきま のぞ と、八文字屋の裏の壁の崩れた隙間から覗いてみると、 じよろ、つ 見知らぬ女郎が、座敷を離れて凉み場所にとしつらえた じよろ、つ 置床に、枕もせずに寝転び、今時分、女郎の手には珍し い無垢の小判を五両すっ四か所に並べて積み、うれしそ うに眺めて、分り切っている勘定を何度も数えているの いかにも咸しかある 「これは、京の客が金を遣る時期ではない。九月二十日 しまばら ころ しやみせん さわ、 あみがさ 129
下鯛をさばく料理人鯛などはめったに庶 民のロにはいるしろものではなかった当時 の大阪の遊女たちはお腹いつばい食べてみ たいものとして真鰹の刺身・くるみあえの 餅・鶏の焼肉・山芋の煮しめなどをあげている 物ー ー立亠イ : 、 5 、 この後、竹屋町の古道具屋の娘で、器量も人並みで、 持参金三貫目ついて、季節の着物もある程度はもってい ーうせんや るとのことで、手数料一割取る周旋屋が仲人に立ちまし た。これは好都合と家に入れましたところ、月に二、 まるはだか 力」た、・つ 度ずつ頭かおかしくなって、丸裸で門口に飛出るのに閉 ロして、そのまま送り帰しました。 当地は女はすいぶん沢山いるところですが、縁組とな ると思うようなことはございません。私も十七年のうち に二十三人、女房を替えてみましたが、皆気に入らない 点がございまして、実家に帰しました。私がすこしは持 いまでは っておりました金銀も、この祝言に使い尽し、 むいちもっ 無一物になってしまいました。もう女房をもっ力もござ ふしみ いませんので、竹田通の町はすれにある、伏見に近い裏 オ・・けがさ 長屋住いをして、菅笠の骨をこしらえて、その日暮しの 身ですが、それでも死ねない憂き世でございます。 これほどなさけない身になりましたが、そちらの女房 にはほんのすこしも心が残っていないとは、よくよく むざん が合わなかったことです。この無残な心の底をよく話し てやって、はやく再婚するように、お頼み申します。 京も田舎も、住み辛いことは変りません。夫婦は力を まの身の 合わせて暮してゆくものだと分かりました。い 上に比べれば、むかしの仙台での暮しがまだましだった とおもいます。都にいながら桜を見す、凉みにも行かす ふた、じる さカまったけ 秋の嵯峨松茸も口に入らす、雪の時期の鰒汁も味わえす、 鳥豺に帰る車の音を聞いてようやくここが都だとおもう だけです。遠くにある京にまできて、女房を取り替えて しんだい 身代をつぶしてしまいました。おはすかしいことです。 き 0 よう 103
0 「両手に花の若衆が姿を消す」源五兵衛の 庵に彼に惚れこんだおまんが若衆姿に身を やっしてやってきた夜遅く帰ってきた源五 せん 兵衛の両手には先のニ人の若衆の幻がとりす がっているおまんが出て行くと幻は消える 川舟を仕立て賑やかに遊ぶ若衆たち職業的 わ力、一从な 男色の相手としては役者の内でも特に若女 わかいがた 方・若衆方の美少年クラスがもてはやされた 月の頃で、男の姿に身を替え思い詰めた女ごころではあ すぎ るか はるばると来て人の教えてくれた杉林に入ると、 うしろには荒々しい岩がえ、西の方は洞穴が深い穴を 開き、その中に魂が吸い込まれそうである。朽木のあぶ なかしい丸太を二つ三つ四つ並べて渡した橋も恐ろしげ で、下を見れば川の急流が岩に砕けて飛び散り、魂がこ なごなになる気持。やっとわすかの平地に出ると、粗末 のきば な小屋があって、軒端にはいろいろの蔦かすらが這いか すいてき にわかあめ かり、葉末をしたたる水滴は、まるで俄雨のようであった。 のぞ 南側に明り取りの窓があって、中を覗いてみると下々 りゅうきゅうとらい の家で見かける「ちんからり」とかいう琉球渡来の焜炉 が一つ、まだ青い松葉が焚き捨てになっている。天目茶 わん 碗二つのほかには、杓子さえも見当らす、 「これは惨めなこと。こういう所に住んでいればこそ、 仏の、いにも叶、つことなのでありましよ、つ」 と見まわしたが、主人の法師の姿が見られない。おま んはがっかりしたが、何処へ、と訊ねる相手も松よりほ 力にはなく、帰るのを待っことにした。戸が開くのをよ しよけんだ、 いことに入ってみると、書見台に書物が置いてある。奥 のぞ しゅどう まつよ、 もろそて 床しいことと覗いてみると、「待既の諸袖」という衆道 おうぎ までもこの の奥義を書いた本であった。「それでは、い 道だけはお捨てにはならない」と、潦五兵衛の帰宅を待 ち兼ねていると、間もなく日は暮れて文字も見え難くな り、燈火をともす手だてもなく、しだいー、 こ淋しくなって きたが、 それでも独りでここで夜明しをしよ、つという気 持。それも恋なればこそ、こうやって我慢していること ができるのである。 はずえ かな っ てんもくぢや は コンロ