とおで 0 花見の宴日頃遠出することの少ない女た ちにとって四季の行楽は大きな楽しみだった 「獅子舞が太鼓に寄ってくる」お夏と清十 郎はやがて愛しあうようになるが家内の監視 あいびき が厳しいので花見にかこつけて外で逢引を するつれの女たちが獅子舞に見とれている 間に幕の内でニ人はあわただしく結ばれる て幕の人見の穴から目を離さす、兄嫁の目がこわく、う しつねん しろの方のことは失念していた。 やがて、起き上ってふ しばかりおとこ っと見ると、柴刈男か背の荷をおろし、手にもった鎌を 握りしめ、ふんどし動かし、これはどうしやという顔を して、心持良さそうに眺めていた。そうとは知らなかっ あたまかく しり・か′、 ことわざ たとは、まったく、頭隠して尻隠さすの諺どおりである。 せいじゅうろう さて、清十郎が幕の中から出てくると、獅子舞は、肝 じん 心のおもしろいところを途中でやめてしまったので、見 きようざ 物の連中は興覚めて散って行った。愉しみ残したことは かすみ 山とある心持だが、山に霞がふかく、日も落ちてきたの ひめじ で、すべて片付けて姫路へ帰った。おもいなしか、男を 知ったお夏の腰つきが、平たくなったようだ。清十郎は すこし遅れて、獅子舞の芸人に、 「今日は、おかげで有難う」 と言っているところをみれば、この大神楽はたくらん だもので、大神楽を手くだに使おうとは、神様もご存知 あさぢえ あるまい まして、浅智恵の兄嫁なんぞに、分るわけが 、、 0 なっ だいかぐら かま かん
たき ! 酢屋酢・酒・味噌・米・薪などの日 常品は現金買いではなくたいてい節季 払いの掛売りが多かった 常品の経費をいかにうまく倹約するか が町家の女房の腕のみせどころだった つイー第レ かかり 自分の家の裏にある草花を見るのさえ、このような有様 である。 ったいに世間の女が浮わっいてはではでしいことは、 これにかぎったことではない。女房がこれだから亭主は し上・・は・ら しんまちおぎのだゅう 一層の贅沢をして、島原の野風太夫、新町の荻野太夫、 c ようてんびん みどう この二人を毎日両天秤に買い、今日は朝早く北の御堂ま かたぎぬ いりということで、肩衣を持たせて家を出たが、そのま ま大門が開くのを待って廓に行く気配が見え透いていた。 八月十一日の明方前に、あの横丁の老女の板戸をひそ 力に咄き、「おせんでございます」と言い終りもしない ふろしきづつみ うちに、必要な品をまとめた風呂敷包を一つそそくさと 投げ入れて立去った。入れ忘れたものがあるかも知れな いと気がかりになり、火をともして検べてみると、銀一 め こ亠艮 月お金が十八匁もあろ 匁に一文銭をつないだもの五つ、 うか、白米三升五合はど、観節一つ、守袋に挿櫛一対、 あわせ いろいろの色に染め分けたしごき帯、銀すす竹の袷、扇 を流した模様の着くたびれた硺々、裏をほどきかけた木 わらじ 綿の甅袋。草鞋の紐はきっちりと仕上っておらす、加賀 てんまほりかわ すげがさ 名産の菅笠に「天満堀川」と書いてあるのは無用なこと すみ と、汚れないように老女が墨をおとしているとき、入口 の戸を咄き、「かか様、先に行きますぞ」と、男の声が して立去って行く。 そのうちおせんが身をふるわせてやってきて、「お家 の都合は、今が抜け出すのに一番よいとき」といえば、 老女はその風呂敷包をさげて人目につかぬ道を走りなが かみしんじん おっくう 「年寄のわたしには億劫なことだけど、神信心のことだ から、伊まで付添って行「てあげよう」 と言うと、おせんは厭な顔をして、 「お年寄に長道中は、どう考えてもご無理でしよう。わ よぶね ふしみ たしにその人を引合わせて、ともかく伏見から夜舟でお 帰りなさいませよ」 ろうば もう老婆をまいてしまう気持になって、気のせくまま ほうば 、、 - うばし に急いで行くうち、京橋を渡りかかったとき傍輩の久七 さんきんこうたい に出会ってしまった。久七は、今朝の参勤交代の行列を いちもんせん ひも
世間胸算用 ぜにりようがえ そろばん 0 銭両替勘定でもあわないのだろうか階下 おやじ では算盤片手に親仁が何やら首をひねってい ししルう ニ階の職人は布の刺繍におおわらわであ る る小さな両替店ではこのように兼業すると とど ころもあり扱う金額も少額に止まっていた 毎年煤払いは十二月十三日に定めていて、菩提寺の笹 作を縁起物として、月の数の十二本貰い、その葉で煤を 払ったあと、板ぶき屋根の押え竹に使い、枝のはうは束 ねて箒につくり、どこも無駄にはしない、すいぶんと物 おおみそか もちのいい人かいた。去年は十三日が忙しくて、大晦日 すす に煤払いをし、年に一度の風呂をわかしたが、五月の粽 はす ばん の殼、お盆のときの蓮の葉までもつぎつぎと蓄めて置き、 湯のわくことには違いはないと、こまかい事に気をくば って、無用の出費について人並みはすれて頭をめぐらし、 利ロぶった顔をする男があった。 いんきょ 同じ屋敷の裏に、隠居所を建てて母親が住んでおられ たか、こういう男をお産みになった母親であるから、吝 うるしぬ 嗇なことはたいへんなものだった。漆塗りの下駄の片方 を風呂の下で燃やすとき、しみしみと昔を思い出し、 「はんとにね・ この下駄はわたしか十八のときこの 家に嫁入りしたとき、長持に入れてきて、それからは雨 世間胸算用 ねずみふみ 鼠の文づかい すす なかもち おさ せけんむねさんよう すす ささ りん の日も雪の日も履いたのに歯がちびただけで五十三年に なります。わたしの生きているあいだは、この一足だけ で済まそうとおもっていたのに、惜しいことに片方を野 はんば 良大めにくわえて持って行かれ、半端になったので仕方 かない。今日けむりにしてしまうことなのです」 な、ち と、愚痴を四、五回繰返したあとで、釜の中に投げ込 み、今ひとつ、なにやら物思いの風情で、涙をはらはら とこばし、 しやっき 「まったく月日の経つのは夢のようしゃ。明日は一周忌 になるか、あれは階しいことをしました」 と、しばらく嘆きやまない。丁度、隣りの医者か風呂 に入っていたが、 がんたん 「とにかく明日は元旦という目出度い年の暮ですから、 がんじっ ところで、元日にどなたが死な 嘆くのはおやめなさい。 れたのですか」 と、尋ねると、 いくら愚かなわたしだといっても、人が死んだくらい でこんなに嘆きはしませんよ。わたしが階しがっている のは、去年の元日に妹が年始にきて、お年玉の銀一包を くれまして、すいぶんと嬉しく、神棚に上げて置いたと ころ、その夜に盗まれました。そもそも、勝手の分らな ねんし ちょうど かみだな ふ也い かね 、っそく 112
にわかばうす 「事情があっての俄坊主」お七が恋のため に我身を焼いてしまったのを知らない吉三郎 はその百か日にお七が死んだことを知る 墓の前で命を断とうとするのをいさめられた 彼はその後出家してお七の後世をとむらう 「まったく、自分で起こしたことながら、世間の悪評は わかーう 無念なことだ。まだ若衆の道を立てている身でありなが ら、ふとした女のあだ情にほだされたばかりでなく、そ 。しゅレ ( - フ の上その人の身の不幸、この身の悲しさ、衆道の神も仏 も自分を見捨てなさったのだろう」 かんきわ と、感極まって涙を流し、 「ことに兄分の人が帰られてからのことを考えると、面 印の立ちょうがない。その前に、早く死んでしまいたい。 したかみ 首を吊ったりするのは、世間 といって、舌噛切ったり、 ふびん の聞えも潔ぎよくない。不におもって、腰のものを貸 してください どうせ生きていても甲斐のない命です」 と、涙ながらに語るので、一座は涙をながして深く同 情を寄せるのであった。 めん このことをお七の親のほうで聞きつけて、 「そのお歎きはもっともに存しますが、お七が最期のと きにくれぐれも言い置いたことは、吉一二郎様にまことの ーうは 情があるならば、浮世を捨て、どの宗派でもかまいませ ぬ、ともかく出家なされて、こうして死んでゆくわたし とレら のあとを弔ってくださるなら、どんなにか嬉しくおもう えん しいますが、そうしていた でしよう。夫婦の縁は二世と ) だければその縁は朽ちますまい。そのように言い置いた のです」 と、いろいろ言ったけれど、吉三郎はなかなか聞き分 したかみき いよいよ覚悟を定めて、舌噛切る気配のとき、 お七の母親がその耳もとでしばらくささやいていたが、 なにごとを言ったのだろう。吉三郎はうなすいて、 「それでは、ともかく」 と、思いとどまった。 ′」・フり その後、兄分の人も帰ってきて、道理を尽した意見を まえドみ 言ったので、吉三郎は出家することになった。この前髪 かみみ、り の散るあわれさを見ては、得度の僧も剃刀を投げ捨て、 満開の花が一瞬の嵐で吹き散らされるようで、思いくら べると吉三郎は命はあるものの、お七の最期よりももっ びそう ここんまれ ていはっ あわ と哀れである。さて、剃髪してみれば、古今稀なる美僧 で、あたら僧になってしまったことを、惜しまぬものは レ ( ・フーし・れ なかった。しかし、総じて恋の果に出家した者は、道、い - まっ・まえ 固なものである。吉三郎の兄分の人も、故郷の松前に すみぞめころも 帰り、墨染の衣をまとう身となったということである。 なんしよくによしよく さてもさても、男色女色入り乱れての恋であり、あわれ な話である。はかないことである、夢である、幻である。
です。薩摩の国は昔から勇武の国だから、さむら をしのびしのびにぬく手元勘忍ならす」いやもっ 広諂石村 20 ー第顰事 1 心入 いの若いのが女の子と仲よくすると、仲間はすれ ともだと思う。でも今ならなんでもないね。三十 第え′ 4 学 4 悪、まをみ になる。あの野郎、柔弱な奴だと。 位だと思ったら六十のおばあちゃんよくいるよ はがくれ ー第 吉行そうですかストリツ。、 ー位しゃないで 吉行『葉隠』というのは : △をーを は於、マを第ス物夕、当 すか ( 笑い ) 。 暉峻あれはちょっとあとですね。享保ごろ。 吉行以前うかがったことで、『五人女』は、 だって、年を絶対いわない 暉峻 可ー = 4 れをタノ 全部悲劇で、最後の「おまん源五兵衛」だけは、 現代の作家 これは吉行さんに伺いたいのだが、 実説は、い中しているのに、作品ではハッピエ / は、読者をどの程度予想し、もしくはどの程度サ ドになっている。しかも非常にアプストラクトな ービスするのか。その前に、サービス精神がある 形て。これはどういうことかと伺った。そうした のかないのか ら、あれは連歌の習いで、最後はめでたく落とす 吉行これは人さまざまなものですから。 というのがきまりだからその形をとったとおっし 暉峻現代の場合は、自分がはんとうに書きた ゃいましたけれども。 いものを書けば、読者は喜んでくれるんだという 年 四 暉峻あの時代は、本はだいたい正月出版なん 意味の予想はあるでしよう。 十 禄 です。お正月早々に売り出して、松の内はひまだ 吉行しかし、週刊誌とか新聞の場合は、そう 4 第衂ー、なを からみんなが読む。新春早々に悲劇的な結末のは はいきませんね。やはり読者を意識しないと。 付 売れないんですな。 暉峻そうでしようねえ。その点西鶴はサービ 吉行そういえば他の作品でも、最後のところ ス精神が旺盛だったといえます。たとえば『一代 し从を 1 がめでたいものが出てきますね。ははあ、あれは 男』は、一番最後の部分に、世之介が天和二年神 3 ー村 なづき を・よ お正月に関係あるんですか。なるはど。 ョい山 無月 ( 十月 ) に伊豆下田から船出したと書いてあ じゃなかった男男関係において、アクテイプと。、 る。そのあとの刊記に、天和二年十月とあります。 暉峻発売の時期を考えていますね。後期にな シプとが決まっているわけですか。 っての草双紙もやはりお正月出版です。新春読物そうすると読者は錯覚を起こすんしゃないでしょ ) い、つ , わ十 , 。、 暉峻決まっています。元服するとね、役者は うか。ちょうど買ってみたら、いまは天和二年十 しまでも、週刊誌やなんかの新春増 そ 頭を剃っておとなの頭になるんです。その時から 刊号には、そう悲劇的なものは出てこない 月、西鶴が書き終ったころは、世之介は伊豆の大 わんじゃ 念者、兄分になるんです。役割がばっと切りかえ 吉行十二月号に注文の多い作家というのもい 島あたりに行っているんしゃないかなんて。あれ るしね ( 笑い ) 。 はやはり日付けをあわせているんですね。 られる。いつまでも私は若衆でいたいというのは 吉行それも当然あると思いますが、ただね、 いないんだ。年をとって元服すると、きようから 読者を意識した 同時に作品のなかの趣向として自分がどう納得す おれ念者、兄分になって若衆をかわいがろう、そ 西鶴の小説技法 つ、うルールがあるんですね。 るかという、西鶴自身の納得のしかたということ よろずふみはうぐ もからんでいる。一方的な百 % のサービスかどう 吉行『五人女』の「おまん源五兵衛」ですが、 吉行あれおかしかったですね。『万の文反古』 か。ひとつの小説技法ともいえますね。 この源五兵衛も最初は男色ですね。彼の身分は何の「京にも思うようなることなし」、あのなかで でしたつけ。 暉峻ええ。ひとつの手法かもしれません。過 もらった女房が二十七、八だろうと思っていたら 去を過去のものとして扱わないで、現在の時間の 暉峻町人です。薩摩の両替屋かなんかの息子 暉峻五十いくつだった。 「毎日の仕事に白髪 156
まさか、こんな物は盗んでもこられまい」 しんそこ ~ 、 と言、つ。心底口惜しいのだが、とんでもないそんなこ せけんてい とは、と銭を受け取り、やっと世間態を酒でごまかした。 この酔のいきおいで、中の一人が言い出した。 どうとんはり 「どうも今宵はもたもたしたな。明日は道頓堀に出て、 ざもと 中の芝居の座元のところで、私の奢りで御馳走しましょ かたしけない」 と、約束をして別れ、その翌日、 い、か来わに 「すぐに、おあとから参ります」 と答えて、金のかかる心配も無いことであるから、そ の男めかしこんで、前夜濡らした着物の皺を伸ばし、樺 はやり 色の平帯を締め、柄の長い流行の刀を一本さし、折目に くすれのない大鶴屋の扇を持つ。見かけだけは、今でも だいじん ぞうりとり とうざん 大尽である。今日一日だけの雇いの草履取に唐桟の風呂 やごう のれん 敷をかつがせたが、その中に屋号を染め込んだ暖簾をた たんで入れ、人目には替着物に見えるつもりだが、さす こんたん がにその魂胆が恥すかしかった。 しんさいばし 心斎橋通りを南へ急いで歩いて行くと、芝居が丁度終 こんざっ こまものや って往来に大勢人が出てきて混雑している。 」間物屋の うちみず 男が打水しているのに、ぶつかり、腰から下へかけて、絞 れるほどに濡れてしまった。着替えのない身か悲しくて、 心中腹を立てて眼の色が変ると、そこの主人が走り出て きて、 せんばん 「お怒りはごもっとも千万でございます。この男めは、 やまと 、まっちけ 大和から二三日前に私どもへ参ったばかり、未だ土気の おおづる つか いよいト小、仍いの使 しわ さそ
い者が盗むことではありません。その後いろいろの願を あちこちの神にかけましたけれど、その甲斐もありませ ん。また山伏に祈濤を頼みましたところ、『この金が七 ごまたん 日以内に出てくるとすれば、この護摩壇の上にある御幣 と - フみよ・つ か動き、お燈明がしだいに消えてゆきます。そうなれば、 、ました。そのとおり、 願いごとが叶、つしるしてす・』といし とうな - うはのお 祈りの最中に御幣が揺れはしめ、燈明の焔も小さくなっ て消えました。これはまだ末世ではない、神も仏もいら っしやる、ありかたいことだとおもい、お賽銭を百二十 文もあげて、七日待ったけれど金が出てこない。ある人 に話しますと、『それは盗人に追銭のようなものだ。 しかけやまぶし まどきは仕掛山伏といって、いろいろ護摩の壇にからく とさ りを施し、白紙を人形に切ったものに土佐の念仏踊りを てじなし まつだ させてみせるなどします。この前、松田という手品師か してみせましたが、人々がみんな利口になり過ぎて、か だま えって手近なことに欺されます。その御幣の動きはしめ たのは、それを立てておく台座の下に壺があって、その じゅず 中に生きた鰌を入れてある。数珠をさらさらと押し揉ん どっこ とな ー ) 、“うぶつだん で、東方に西方にと唱えながら、独鈷、錫杖で仏壇を荒 荒しく打っと、鰌がこれに驚いて、上を下へと騒ぎ、御 幣の串にぶつかるのでしばらく動くわけで、仕掛けを知 らすに見れば恐ろしい また燈明のことは、台の下に砂 時計の仕掛けをして、油を抜き取るのです』と、この話 を聞いてしまうと、ますます損を重ねました。わたしは この年まで、銭一文落したことなく暮してきたのに、今 おおみそか 年の大晦日は、この金が見つからないので胸算用が違っ て、気がかりのまま正月を迎えるので、あれもこれも面 ほどこ やまぶし どじよう さいほう ぜにいちもん まっせ そん おいせん さいせん 113
を、ツす鑿ノ、 えもん さんけい 京名所図屏風左上にのちにおさんと茂右衛門が参詣した石山寺がみえるその前がニ人が身投げしたとみせかけた琵琶湖 いしやまでら 男やもめの生活も気楽なものではあるが、しかしお内 儀のいないタ暮れ時は、一しお淋しいものであった。さ だい、、・うじ なに力し てここに、長年やもめ暮しをしている大経師の某という 男があった。さすか都だけあって、なりふりに数寄のか じんびんようほう ぎりをつくす女も多い中で、人品容貌のすぐれたものを 望んだので、なかなか気に入る女が出てこない。わが身 わび てづる を侘しくおもい手蔓を求めて探しているうちに、今小町 という娘の噂を聞いて見に出かけたのであるか、例の四 ー ) じよ・つ めき 天王がこの春に四条に居並んで関をつくり、女の目利き をしたときに、藤をかざしてなよなよと歩いていた女が けたその姿の美しさ、一点非の打ちどころもない。白じ 4 に上 6 - むし ゆすに墨絵模様の肌着、上は玉虫色のしゆすに孔雀の形 の切抜きを縫い付け、それが見え透くようにその上に唐 糸の網をかけるという、趣向を凝らした小袖に十二色の は、」 40 の かみお とうせいはやり たたみ帯を締め、素足に紙緒の履物で、当世流行の笠を はなぶさ あとから下女に持たせ、花房のたくさん付いている藤の ふぜい 枝をかざし、まだ藤見に行かない人のためという風情で ある。今朝から見た数多くの美女も、この女に気圧され て影が薄くな「た。その名を知りたく聾ねてみると、 い↓ 6 一 ) まち - おののこ↓ 6 ち・ むろまち 「室町のある人のお嬢さまで、今小町、小野小町の生れ 替りという評判」 と、供の者が言い残して行く ずいいち この女が今日随一の美女であったが、この女が浮気女 とは、後になって思い合わされたのである。 してやられた枕の夢 てんのう 55
「木屑のようにはかない命」訪問先で棚 から鉢が落ちておせんの髪がほどけてしまう 乱れた髪にこの家の主人との間を疑われお せんはそれならいっそのことと開き直って本 当に不貞を働こうとするが発覚し自殺する して災難なことだ。おせんは迷惑なおもいですっと聞流 していたが、 こ、みね ぬれぎぬ 「おもえばおもうはど、腹の立っその心根。どうせ濡衣 うきな を着せられて浮名が立ったからには、もう是非もない。 あの長左衛門殿に誘いをかけ、あんな女の鼻をあかして ぜひ やろ、つ」 と田 5 いはしめてからは、すっかりこれまでの亭主孝行 ) 、ほどなく本気で恋するよう とは別の心になってしまし になり、そっと打合わせて、いっかよい機会をと待って じよう、、・う 貞享二年一月二十二日の夜のことである。女たちが正 月のたのしみに福引をしたりいろいろ遊びをして夜がふ けていった。座は乱れて、負けて止めてしまうものもあ り、勝ちつづけても飽かすに遊んでいるものもあり、わ れ知らすをかいて眠「てしまうものもあ「た。樽屋の ともし火は消えかかっており、亭主は昼の疲れで鼻をつ ままれても分らないくらい眠り込んでいた。 おせんが家に帰るのをつけてきた長左衛門に、 「かねての約束を果すのは、今だ」 と言われて、断ることもできす、おせんは男を家に引 したおび 入れた。これが二人の恋のはしめで終りであった。下帯 たるや した - ひも 下紐を解き去りもしない、っちに、樽屋が目を開き、 「見付けたからには逃さぬぞ」 と声をかければ、長左衛門は着物を脱ぎ捨て、丸裸で ふじだな 魂を飛ばし、はるか谷町の藤棚のほうの知人のもとへ命 からから飛ぶように逃げて行った。 やりかんな おせんはもはやこれまでと、かねて覚悟のこと、槍鉋 アよ、、が・ら むなもと で胸元を刺し通し、死んでしまった。その亡骸は、処刑 しおきー された長左衛門と並んで、仕置場にさらされた。おせん えん うたざいもん 長左衛門の浮名は、さまざまの歌祭文につくられて、遠 てんばっ 国までもったわったのである。悪事は天罰をのがれす、 あなおそろしい世の中である。
右質屋着物を持ってきた町方の女房と番 頭のかけひきうしろの質草の中には武士の 刀もみえその幅広い利用者層がうかがわれる 左餅屋釜で蒸した餅をひねってまるめて も昔も作り方は余り変らないようだ し、るフ すいぶん と言って泣く。主人も女も随分と意地を張っていたか、 今は前後も忘れて、涙になった。 誰 9 もしばらくは、物一言、えないて 「さては、あの子はたった一枚の着物で、着替えもなく てのことか。親の身として子を可愛く思わない者はない のに、よくよく暮しか苦しいからこそ、このよ、つな辛い 目に会せているのだなあ」 歎きか先に立って、言葉も出ない。各々が帰るとき、 三人でささやき合って持合せの少々の金を取り集めて、 いち京きん ぎわてんもく 一分金三十八枚と小粒銀七十匁ばかりを、立ち際に大目 ちやわん 茶碗に入れて、それとは告げないで出て行った。亭主も 送って出て、 「さよ、つな、ら、さよ、つな、ら」 と、夕暮れの深くなった道を急いたところ、あとから またあの金銀を持って追いかけてきて、 「これは、どういうことか。筋の通らぬ金をどうあって し力学なし」 9 も世只、つ . わけ・に、 と、人の言い訳も聞かす投げ出して立帰った。仕方な く、三人は立去った。それから二、三日過ぎて、人手を 借りて女房のところへ持たせてやったところ、もはやそ の あきや の人は田舎へ立退き、その住居は空家となっていた。 ゆくえ ろいろ探したが行方知れす、三人ともにこれを歎き、 じよろうぐる 「おもえば、女郎狂いも迷いの種だ と言い合せて、道楽をやめてしまった。世の中ではど あだ んなことが起るか分らなし 、。妙な事が仇となって、当時 うすぐも い 4 っカ′、 だいぶん の薄雲、若山、一学という三人の女郎が、大分の損をし たとい、つことてある こつぶぎん 0 っ じよろう 135