ばんだい きらさぶろう 「君を思えば雷も恐くない」お七は吉三郎 会いたくてたまらないがその機会がない し人ら、、 春雷の夜お七は吉三郎の寝所に忍んでゆく 香を継ぐ子坊主に見つかったのをうまく買収 わどこ 吉三郎の寝床に入りニ人は契をかわす てんびんばう 0 町角の往来今しも天秤棒から盤台をおろ あみがさ した魚屋が商いをしている編笠や扇で顔を 隠した武士がのぞきこむ遊女屋の脇には天水 おけ やぐら 桶が積んである手前の屋根の上の櫓は の家が公認の遊女屋であることを示している しんじよ てんすい すぐすしているのがお七には待ち遠しい。ようやく小坊 あさはか ずしんじよ 主が寝所に戻ってくるのを待ち兼ね、女の浅墓な思いっ きで、髪をばらばらにし、恐ろしい顔をつくって闇がり おど から脅かすと、さすがは肚ができていてすこしも驚く様 なじ 子がなく、 「汝元来、帯ときひろげて、世にまたとない はら 淫奔女である。すぐさま、消え去れ。また、この寺の大 黒になりたいなら、和尚の帰られるまで待て」 くちょう いんどう と、引導を渡す口調で、目をむいて言った。 お七はてれくさくなって走り寄り、 「おまえを抱いて寝にきたのよ」 こばうず . と言うと、小坊主は笑いなから、 「吉三郎様のことなら、おれと今まで足を差し合わせて 寝ていたんだよ。その証拠はこれさ」 と、沁れの僧の裾をお七の顔の前にかざすと、白 菊などという鑵の香木を焚きこめた移り香が匂ってきた。 カまん 「とても我慢できない」 みもだ と、身悶えしながら、お七がその寝間に入るのを見て、 小坊主が声を上げ、 「やあ、お七さまが、よいことをなさる」 と一言うので、驚いたお七が、 「おまえの欲しいものはどんなものでも手に入れてあげ るわ、だから大きな声を出さないで」 と、一一一一口、疋ば、 あ・さ′、さ 「それならば、鉉八十と、松葉屋のかるたと、浅草の米 いま欲しいものはこれだけ」 まんじゅう五つと、 と、言、フので、 「それこそたやすいこと、明日さっそく用意してあげる から」 と、約束した。小坊主はすぐに寝てしまい 「夜が明けたならば、三つのものを貰うはす、きっと貰 、つは亠 9 」 と、うつらうつらして言いながら寝入って静かになっ すそ
ロづけをかわす男女 そうなれば思いのままで、吉三郎の寝姿に寄添って、 言葉も出すに、しどけなくもたれかかれば、吉三郎は眼 が覚めてお七を認めたが、身をふるわしてもう一度蒲団 にもぐりかけ夜着の袂をかぶりかけた。それをお七は引 き除け、 「髪が崩れますのに」 こんわく と言えば、吉三郎は困惑して、 「わたくしは、十六です」 といえば、お七、 「あたくしも十六になります」 と一一一一口い 吉三郎がかさねて、 ちょうろう 「長老様がこわい」 と言う。お七も、 「わたしも、長老様がこわい」 なんともこの恋は、手はじめがはかどらすもどかしい ことである。そういうだけで、二人とも涙をこばし一向 ぎわかみなり に埓があかない。そのうち、また雨の上り際の雷があら あらしく鳴りひびいたので、 「これは、ほんとにこわい」 ついたことである。自然と と、お七が吉三郎に卩 やみがたい情も胸にこもってきて、吉三郎が、 「手足がすっかり冷えているよ」 と、お七を肌近く引寄せると、お七は恨み言をいし 「あなただって贈くはおもわないからこそ、あのような 手紙をくださったのに、こんなに驅を冷たくさせたのは、 誰のせいなのでしよう」 らち ふとん
「雪の夜の密会」寺をひきあげたあと母親 の厳重な監督でニ人は仲をさかれたある雪 の日吉三郎が野草を売る里の子にはけてやっ てくる土問にうすくまる里の子が吉三郎と あけがた 気づいたお七は部屋に招じ明方までを過ごす しカ まド と、首筋に獅噛み付いた。そして、いつの間にか交り むす そて を結んでしまい、お互の袖を敷き合って濡れそめたから には、この恋の終るときは命の終るときと誓い合った。 あけカた ゃなかかんのう 間もなく明方近くなり、谷中感応寺の鐘の音を聞けば こいしかわ えのき 、いせわしく、小 石川村の榎の木に朝の風がはげしく鳴っ 「うらめしいことだ、もう寝てぬくもる間もなく別れな くてはならぬのは残念だ、広い世界のこと、昼を夜にし ている国かないものか」 とうて と、到底できぬ相談をしながら、くよくよ考えている と、母親が探しにきて、これはと驚き、お七を引立てて なりひらあそん 連れて行ってしまった。おもえば昔、業平朝臣が雨の夜 に女を鬼に一口で喰われてしまったときの心持がして、 ほうゼん 吉三郎は哀しい心で呆然としていた。 こばうず、よい 一方、小坊主は宵のことを忘れす、 こんや 「さっき約束した三つの物を呉れないなら、今夜のあり くびすじ さまを一一一口い触らします・よ」 と言う。母親は戻ってきて、 「どんな事か知らないけれど、お七が約束した品物は、 わたしが引受けました」 と、言い残して帰っていった。浮気な娘を持った母親 の辛さ、およそのことは聞くまでもなく承知して、お七 よりも一層気をきかせて、翌日はやく手なぐさみの品々 とりそろ を取揃えて贈ったということである。 雪の夜の密会 油断ならぬこの世の中で、なかでも見せてはいけない はだみ ものは、旅行しているとき肌身につけた金、酒に酔った わきざし ばうず かたわら 人に脇差、娘の傍に生ぐさ坊主だと、お寺を引あげてき か・んし」′、 てからは、きびしく監督してお七の恋を裂いたのである。 れん しかし、下女の情で、手紙だけは数多く取りかわし、恋 物の情をお互いに報らせ合った。 しさフろ あるタ方、梗喬の宿にちかい里の子らしいのが、松露、 カて 土筆を手籠に入れて、生計の糧に売りにきた。お七の親 の家で、呼びとめて買った。その夕暮は、春だというの なんぎ に雪が降りやます、その子は村まで帰るのが難儀だと弱 っていた。 お七の父親は気の毒がって、何気なく、 「ちょっと土間の片隅を使って、夜が明けてから帰るこ とにー ) た、ら」 ごばうだいこんむしろ と言うと、里の子は喜んで、牛蒡・大根の莚包みを片 こしみの 寄せ、竹張りの小笠で顔をかくし、腰蓑を身にまとって つくし
きになったら」と下女が言うのを聞かぬ顔をして近くに つぶ ~ - う 寄れば、肌につけた兵部卿の匂い袋の香りがなんとなく 奧ゆかしい。笠を取除けてみると、上品な横顔でしっと びん りと打ち沈んだ有様、鬢も乱れていない。お七はしばし 見とれ、吉三郎と同し年頃と思い及んで、袖に手を差入 あさぎはぶたえ れてみると、浅黄羽二重の下着をつけている。これは、 と気をつけて見直すと、吉三郎であった。お七は人が聞 いているのもかまわず、 かっ、 ) - フ 「これは、どうしてこんな合好をなさっていらっしやる のです」 と、獅噛み付いて、泣き出した。 吉三郎もお七の顔を見詰め、しばらくの間ものも言え なかったが、 ややあって吉三郎が、 「このように姿を変えて、せめてあなたを一目でも見た いとおもったのです。この夜の辛いおもいを察してくだ さし」 ちくいち と、逐一くわしく話したので、 「とにかく、こちらへお入りになってください。そのお 、つらみごと 9 つお聞医いたー ) ましよ、つ」 と、手を引いてあげたが、からの寒さで身内が痛み、 動くこともできないのは、あわれであった。 て ~ ま ようやく下女と手車を組んでそれに載せ、お七の寝間 に連れて行き、手の力がつづく限りは驅をさすり、いろ いろの薬を飲ませると、すこし笑い顔が出るようになっ たのがうれしく、 「お酒をくみかわして、今夜は胸にあるかぎりのおもい を五り尽しましよ、つ」
にわかばうす 「事情があっての俄坊主」お七が恋のため に我身を焼いてしまったのを知らない吉三郎 はその百か日にお七が死んだことを知る 墓の前で命を断とうとするのをいさめられた 彼はその後出家してお七の後世をとむらう 「まったく、自分で起こしたことながら、世間の悪評は わかーう 無念なことだ。まだ若衆の道を立てている身でありなが ら、ふとした女のあだ情にほだされたばかりでなく、そ 。しゅレ ( - フ の上その人の身の不幸、この身の悲しさ、衆道の神も仏 も自分を見捨てなさったのだろう」 かんきわ と、感極まって涙を流し、 「ことに兄分の人が帰られてからのことを考えると、面 印の立ちょうがない。その前に、早く死んでしまいたい。 したかみ 首を吊ったりするのは、世間 といって、舌噛切ったり、 ふびん の聞えも潔ぎよくない。不におもって、腰のものを貸 してください どうせ生きていても甲斐のない命です」 と、涙ながらに語るので、一座は涙をながして深く同 情を寄せるのであった。 めん このことをお七の親のほうで聞きつけて、 「そのお歎きはもっともに存しますが、お七が最期のと きにくれぐれも言い置いたことは、吉一二郎様にまことの ーうは 情があるならば、浮世を捨て、どの宗派でもかまいませ ぬ、ともかく出家なされて、こうして死んでゆくわたし とレら のあとを弔ってくださるなら、どんなにか嬉しくおもう えん しいますが、そうしていた でしよう。夫婦の縁は二世と ) だければその縁は朽ちますまい。そのように言い置いた のです」 と、いろいろ言ったけれど、吉三郎はなかなか聞き分 したかみき いよいよ覚悟を定めて、舌噛切る気配のとき、 お七の母親がその耳もとでしばらくささやいていたが、 なにごとを言ったのだろう。吉三郎はうなすいて、 「それでは、ともかく」 と、思いとどまった。 ′」・フり その後、兄分の人も帰ってきて、道理を尽した意見を まえドみ 言ったので、吉三郎は出家することになった。この前髪 かみみ、り の散るあわれさを見ては、得度の僧も剃刀を投げ捨て、 満開の花が一瞬の嵐で吹き散らされるようで、思いくら べると吉三郎は命はあるものの、お七の最期よりももっ びそう ここんまれ ていはっ あわ と哀れである。さて、剃髪してみれば、古今稀なる美僧 で、あたら僧になってしまったことを、惜しまぬものは レ ( ・フーし・れ なかった。しかし、総じて恋の果に出家した者は、道、い - まっ・まえ 固なものである。吉三郎の兄分の人も、故郷の松前に すみぞめころも 帰り、墨染の衣をまとう身となったということである。 なんしよくによしよく さてもさても、男色女色入り乱れての恋であり、あわれ な話である。はかないことである、夢である、幻である。
人間は誰しも煙になることから免れられないものだが、 かわいみ : フ とりわけ可哀相なのはこのお七の最期である。 すずもり それは昨日のこと、今朝見れば鈴の森には塵も灰もな たびびと くて、松に風が鳴るばかり。旅人もお七のことを聞いて え - ) ・フ すどお とら 素通りはせす、かならず回向して亡き跡を弔った。処刑 ぐんないじま の当日お七が着ていた郡内縞の小袖の切れ端まで、世間 まごこだい の人は拾い求めて、孫子の代までも物語の種にしようと おもった。 えん、 ) 何の縁故もない人さえ、四十九日までの忌日にはしき とら ちぎりかわ みを供え、お七を弔ったというのに、深い契を交した若 衆はどうしてお七の最期にも立合わすその跡も弔わない うわさ のか、不思議なことだと皆で噂していた。一方、吉三郎 はお七を思い詰めて病気となり、意識がばんやりして、 今にも死にそうで回復の望みすくなく、夢うつつの状態 がつづいているので、お七の埴期を知らせたならばきっ と死んでしまうだろう、と周囲の人々は気を配り、「一言 葉のはしはしにも覚唐があらわれ、身のまわりの始末ま でして埴期の時を待っていたのに、人の命は分らぬもの かっ・ ) ・フ でふとしたことから助命になった」と、合好よく言い繕 って、「今日明日のうちにあの人がここにおいでになっ て、おも、つままに会、つことができますよ」などと言いき かせると、吉三郎は一段と気を取り直し、与える薬はす こしも飲ます、 「君よ恋し、あの人はまだ来ぬのか」 と、うわ言を言っているうちに、「早いもので、今日 とり はもう三十五日」と、吉三郎に隠して、お七を弔った。 四十九日にお七の親類は、餅を供えて、お寺に詣りにき まぬが わか
0 縁先で髪を結う女お七は処刑の前にも 「この女思ひ込みし事なれば身のやつるる まいにら くろかみ 事なくて毎日ありし昔のごとく黒髪を結 はせてうるはしき ) 虱情・・・」であったという やぐら 0 火の見櫓にかけのばるお七 ( 函表紙参照 ) をんなおも お - ・ 0 かげ - 濡れて乾かぬ墓石こそ亡き人の面影か、とあとに残った 「せめてお七の恋人に会わせてください」 親の悲しさ。人生ははかないというか、親が子を弔うと たんカん と、嘆願した。 はさかさまの姿である。 寺の僧は吉三郎の様子を語って、 「またも悲しさを増すばかりですから、まあまあそのま 事情があっての俄坂主 まにして逢わすに : と、理を尽して話したので、 人の命ほど頼りにならぬものはなく、そのくせ死にた 「さすがに、素姓の正しいお人のことですから、お七の いとおもっても寿命がこなければ死ねないものである。 ことを聞いたならば、きっと生き長らえてはおられまい 吉三郎は、死んでしまえば、かえって限みも恋もなくて 深く隠して、病気も直って元気になられた折に、お七が 済んだのに、お七の百か日に当る日に、病の床からはし 言い残したことなどもお話して慰めてください めて起上り、竹の杖を頼りに寺の中をそろりそろりと歩 かたみ せめて、わが子の形見に卒塔婆でも立てて、気晴らしに いていると、卒塔婆の新しいのが目に入った。気を付け でもいたしましよ、つ」 て見ているうちに、そこに書いてある人の名に驚き、「自 そな と、卒塔婆を書いて立て、手向の水を涙ながらに供え、 分は知らぬ事だったのだが、人はそうとは言わないだろ にわかま - フず .
吉祥寺にあるお七と吉三郎の比翼塚 ( 東京・文京区 ) 円乗寺にあるお七の墓 ( 東京・文京区 ) きらじようじ ひょくづか えんじようじ う。気おくれしたように噂されるのも残念だ」と、腰の 刀に手をかけたので、法師たちがその手に取っき、いろ いろ制止して、 「どうしても死ななくてはならぬのなら、長い年月親し くしてきたの人にも別れを告げ、長老さまにもその わけをよくお話した上で、最期を遂げられるがよい いう訳は、そなた様と衆道の契りをなされた方からの頼 みでこの寺にお預りしたわけで、そのお方にも申し訳け なくわれわれも迷惑、あれやこれや考え合せられて、こ れ以上悪い評判の立たぬように」 と、諫めたので、吉三郎も道理至極と自害をおもいと どまったが、 いずれにせよ浮世に生きながらえるつもり ちょうろう その後、長老にその気持を伝えると、驚きなされて、 ル、み : っ 「おまえの身は、兄分の人に切に頼まれて愚僧が預かっ まっ - ま・ん たものだ。その人は今は松前に行っておられ、この秋ご ろにはかならすここに戻ってくることを、この度もくれ もんちゃく ぐれも申し越されている。それなのに、その前に悶着が あったなら、さし当って迷惑するのは自分なのだよ。兄 分の人が帰ってみえてから、どのようにでも身の振り方 をつけるがよろしかろ、つ」 と、いろいろ意見をなさったので、日頃のご恩と思い 合わせて、 いカト小、つに 9 もお一一一口葉に " 低い土ー ) よ、つ」 ちょうろう しっち と承知申し上げたが、長老はそれでもまだ心配されて、 刃物を取上げ沢山の見張番を付けられたので、仕方なく 並日段の居間に入り、人々にるには、 はもの
「この世の見おさめの桜」お七は朝夕吉三 郎を思いつめ火事がおきればもう一度会え るかとついに放火をしてしまう捕まったお 七は少しもわるびれることなく静かに処刑の 日を待ちゃがて鈴の森で火刑に処せられた と、よろこんでいるところへ、親父が戻ってきたので、 またまた辛い目にあうことになってきた。 吉三郎を衣桁のかげに隠し、なにくわぬ様子で、 「確かに、おはっ様は母子ともにご無事でしたか」とお 七が訳ねると、親父はよろこんで、「たった一人のな ン第ー ので、あれこれと、い配していたが、これで重荷をおろし じようきげん と、上機嫌で、産着の模様の相談を持ちかけ、 「万事めでたい物すくめで、鶴亀松竹の模様に金銀の箔 を擦りつけてはどうだろうか」 と言、つので、 「そんなにお急ぎにならないで、明日になってゆっくり 落着いてからになさっては」 と、下女もともども言ったが、 「いやいや、こういうことは早いほどよいのだ」 きまくら ひながた と、木枕を台に、鼻紙をたたんで雛形を切りはじめた のには、、フんざりしてしまった。 うぶぎ ようやく産着騒ぎもおさまり、いろいろ騙しすかして 寝かしてしまい さて積るおもいを語りたいのだが、、父 ふオまひとえ 親の部屋とは襖一重の仕切りなので、話し声が洩れてゆ しトフカ くのがおそろしい。燈火の下に、硯と紙を置いて、胸の うちを互いに書いて見せたり見たりして、おもえばこれ が唖、ではない鴛鴦のというものであろう。夜通し書 あけカた きくどいて、明方の別れとなったが、この上もない恋心 を衄り尽す・ことかできなかったとは、さりとは辛い、つき 世である。 この世の見おさめの桜 口には出さす、明暮思いつめている女ごころははかな いものである。吉三郎に逢う方法がないので、風のはげ しく吹くある日の夕暮、お七はいっか寺へ逃げて行った うぶぎ あけくれ つるかめ
てんな おおみそか 「大晦日は心の闇」天和ニ年の大火の折 ( の ちに八百屋お七の火事といわれる ) お七は母 きらさぶろう 親と寺に避難するいあわせた寺小姓吉三郎 の手のトゲを母に替って抜いてやり手を握 りあったことからお七の恋情は燃え上った 0 江戸では毎日のように火事があった火消 てんすいおけ つじ 制度ができ辻ごとに天水桶が積み上げられ ひとたび たが一度出火すれば木造の家並にはあっと いう問に火が廻った人々にとっては火事は 人災というより天災運不運のものであった ちょうど とな ロのなかで一心にお題目を唱えていた。 丁度そういうと わかーう き、上品な若衆が銀の毛抜きを片手に、左の人差指にさ しさフじ さった小さなトゲを気にして、障子を開いてタ方の光の 中でそのトゲを抜こうと苦心していた。 母親はその様子 を見かねて、 ク / ク 0 / だいもく 4 「抜いてあげましよ、つ」 と、その毛抜きを持って、しばらく試みてみたけれど も、老眼の頼りなさ、トゲを見付けることができなくて、 困り切った様子である。お七はそれを見て、自分なら良 く見える眼ですぐに抜いてあげられるのに、とおもいな から、馴々しく近寄ることもできすにんでいると、母 親から「これを抜いてあげなさい」と声かかかって、心 かリんだ さっそくその手をとってトゲを抜き出すと、若衆はお もわずお七の手を強く握った。その手を離したくなかっ たが、母親が見ているとは情ない。仕方なく、離れたが、 そのときわざと毛抜きをそのまま持ってきてしまい、そ れを返さなくてはと後を追って若衆の手を握り返し、こ れでお互いの気持が通し合った。 お七は恋のおもいがつのり、 「あの若いかたは、どういうおかたなのですか」 なっしよばうず と、納所坊主に訊ねると、 「野雌三郎とお 0 しやる素姓正しいご浪人衆ですが、 それはもうやさしく情のふかいおかたです」 と教えてくれたので、一層恋心がつのり、恋文を書い てこっそり届けると、それと入れ違いに吉三郎のほうか らも胸のおもいを書きつらねた恋文を送ってきた。この : フ一し - う・あ・、 文の入れ違いで互いの心が分り、これを相思相愛の仲と いうのであろう。二人とも返事を書くまでもなく、浅か らぬ恋仲になり、よい機の来るのを待っているもどかし さは、ままならぬうき世である このようにして、大晦日は恋のおもいの闇に暮れてゆ なれなれ おおみそか