で死んじまうという。まあそういわないで、もう 「五人女」の好色 少し先に行けば知り合いがあるから、そこでゆっ には遊びがない くり一駸よ、つと一一一一口、つと「・めら、、つれしい」と一一一一口って 元気になるんだ。男はああ言われたって、それし 吉行『好色五人女』の好色、これはしろうと やがんばろうとは言わんよ ( 笑い ) もうこれ以上、 女の好色ということになりますね。 また今夜までがんばらされたらとても死に切れね 実作者の悪い癖で、どうも歴史的に作品を見る え ( 笑い ) 。やつばりそこが男と女の違いだと思い のを忘れる癖がありまして、たとえば芥川龍之介 ますよ。 にしても、文学史的な意味を加味して考えないと、 吉行年齢の問題もあるかもしれないけども ( 笑い ) 。 たいした作家しゃないとしか思えない。西鶴も今 それからお夏が処女を失なったとたんに「思いな 回だいぶまとめて読んでみまして、あれだけ評価 しかやお夏腰つきひらたくなりぬ」これなんかよ されるはどかな、とちょっと思いたくなるわけで くとりあげられていますけれど。ああいう言い方 す。ただ「五人女』や『婉久一世の物語』はいい の色気。 ですね。『五人女』は、全体としてさほど長くも 暉峻なんとなくわいせっしゃないけど、なま ないし、何人もの話を集めているという感じはな なましいね。 いですね。モデルがいるんですか。 吉行ストレートに行くところは、たとえば「ふ 暉峻みんなモデルがいます。 んどし動かし」とか、ああいうふうに、ユーモラ 吉行作品にひとつの流れがあるし、彼の作品 スに処理していますね。 のなかでもできかいいんでしようね。こちらの好 暉峻だからわいせつ感がなくなるんですよ。 色の意味は、つまりこれは男女関係であると。 吉行『一代男』と『五人女』の好色の差は、 暉峻まともな、普通の、 いつの世も変らぬ男 はっきりしている。 女関係。 暉峻そう、『五人女』には遊びがないという 吉行あの時代は秩序、道徳のワクを破ると死 こと。 罪になっていましたから、それを破ると好色であ るというわけですね。 「一代女」の好色は 暉峻簡単にいえば、「一代男』では、いくら セックスそのもの れても銭を払わなければどうにもならん。「五 人女』は木戸銭のいらない愛、恋、セックスなん 吉行『一代女』の好色は、ほんとうの今でい しいねえ、木戸銭のいらないセックスなん ですね。 です。 う好色ですね。 吉行『五人女』には独特な表現がありますね。 ていうのは ( 笑い ) 。でも木戸銭がないから清十郎 暉峻ほんとうのセックスですね。愛がないわ 「暦屋おさん」で、ふたりが逃げて行くところ、 けじゃないけど、愛よりもセックスのはうが、彼 が打ち首になったりする ( 笑い ) 。 西鶴は『五人女』を書くにあたって、おれは五茂右衛門がおさんを背中におぶってやって、もう女においては比重が大きかった。外部からの事情、 すぐそこだからと、一所懸命ささやきかける。 人の女をこう見ているというところを持っている。 それでかせがなければならぬということと、彼女 暉峻おさんは、私はもう息が続かない 五人の起こしたそれぞれの事件をなぞっていては、 自身がひとりでは寝られないという性質。 しようがない。書くことによって、結果としては 告発しているんだな。駈落しなければしようがな いだろう、一緒になりたければ。みんな命がけな んだ、まじめに必死に生きている。だけど結果と してはこんなことになってしまう 一種の告発 刊 享 本 版 女 人 五 色 好 153
00 っ 0 00 ・ 00 好色五人女万の文反古 世間胸算用西鶴置上産 吉行浮之介 好色五人女 川、 かむろ 迎えにきた禿を従えて廓に向かう伊達男若侍と禿作者不詳 だておとこ
好色五人女 世界文化社
好色五人女 、グフフ「ツク版
好色五人女 グラフィック版 0 ・个 . 0 マト← /
好色五会 好色五人女 巻一お夏清十郎物語 巻一一樽屋おせん物語 巻三暦屋おさん物語 巻四八百屋お七物語 巻五おまん源五兵衛物語 万の文反古 ~ 示にも田フよ , フなることなし : 御限みを伝えまいらせ候 世間胸算用 よろす せけんむねさんよう ふみは 目 〈ロ絵〉西鶴自筆島原大門ロの図若侍と禿七人遊女七態図・菱川師宣筆蚊帳中読書図・伝菱川師房歌舞伎図 屏風・菱川師宣筆吉原若年遊女の図・鳥居清春筆男舞図 吉行淳之介。
図版目録 もあるだろう 。『好色一代男』の江戸 盛行をみるに至ったが、桃山期からは、 ・盆踊りの図英一蝶筆 : : 引・天理図書館蔵吉田・花鳥・タ霧・ 歌を記さす、純粋に各種職人図として、版に、師宣が西鶴の図にしたがって描 ・神宮徴古館農業館蔵旅の道具 : 吉野太夫俳諧女歌仙より : いたが、師宣は西鶴、半兵衛たちより 風俗画の一部となり、やがて単独に職 ・サントリ ー美術館蔵四条河原風俗・東京国立博物館蔵新吉原座敷拳す も、人物が大ぶ 人尽絵が登場してくる。職業の種類も もう古山師政筆・ りになり、群像描写も絵巻・ すっと巧みになる。西鶴の自画と、師 増え、その用具、技法がさまざまで、 ・京名所図屏風 : : ・驕・滴翠美術館蔵ぶりぶり・うんすん 絵画のモチーフとして興味が高まった かるた : ・京より瀬田への道東海道分間図絵 こともしめしている。 ・東京国立博物館蔵白地鷹衝立模様 ・西鶴作品版本の挿絵・ ・東京消防庁蔵火災図 : 友褝染小袖 ( 部分 ) ・白地斜縞歌文字 イろ / 7 ー . 0 4- 7 ー LO っ・つ ( ・・つ 0 ・好色五人女 : ・東京国立博物館蔵菊次郎のお七・ 模様小袖・白地叉手網模様小袖 : C.D . 0 . 4 . 7 ・ - . つ 挿菊五郎の吉三郎 : : 花・昭和女子大蔵道ゆき疋田染小袖裂 つな . 1 ー . 0 . つ - -0 8 . 加賀友染夜着裂・黒茶地宝尽縫腰蓑裂 代・東京国立博物館蔵中村松江の八百 0 ・ 0 ・万の文反古 : 色屋お七 : ・世問胸算用・ ・東京消防庁蔵歌舞伎狂言「八百屋・サントリ ー美術館蔵秋草蒔絵提重 ・西鶴置土産 : 一鶴お七」歌川豊斎筆・ ・好色一代男・ ・興福院蔵街角の往来都鄙図巻よ・久保克敬氏蔵難波西鶴翁芳賀一 っ ) 8 ・男色大鑑 : 宣の「大和絵のこんげん」 ( 『好色一代 品筆・ り住吉具慶筆・ ・好色一代女 : 男』の絵本化 ) などを比較すれば、そ : ・国立国会図書館蔵好色五人女版本 ・三井文庫蔵貞享ニ年江戸図 : 西鶴の著作のうち、「好色一代男』 の相違はあきらかである。 表紙 : ・縁先髪結図 : らっかん と『諸艶大鑑』は落款がないけれども、 後の絵師で自著自画で傑出している ・天理図書館蔵「役者笠秋のタに見・天理図書館蔵西鶴自筆短冊・ 西鶴自画の挿絵とされている。はかの のは、奥村政信、北尾政演 ( 山東京伝 ) ・暉峻康隆氏蔵貞享三年大坂図 : つくして」独吟百韵自註絵巻より 著作には吉田半兵衛その他がかいた 等、まったくないわけではない 。しか井原西鶴筆・ 当時、上方の代表的な絵師であった半し政信、政演等の人々は絵師として自 ・野郎・茶屋・太夫・天神・鹿恋・端・撮影ー c.D . 1 ー 兵衛の生涯ははっきりせす、たぶん西立し得た。かならすしも文筆専業では 女郎好色訓蒙図彙より・ 市瀬進 / 木下猛 / 小宮東男 / 関孝 / 成 0 ・ 0 なかった。そういうあたリから振りか 鶴と同し頃、没したと思われる。が、 ・安達瞳子氏蔵化粧道具・櫛 : 瀬友康 / 松野等 / 世界文化フォト / フ とりわけ西鶴のためには『好色一代女』えるならば、西鶴は自画自作においても ・角屋蔵香枕・鏡台・ 「好色五人女』『武道伝来記』『日本永輝かしい先駆者であったといえよう。 ・三和銀行蔵両替店諸道具 : ■編集協力■ ■その他■ ・師走の図 : イ蔵』『本朝桜陰比事』等の挿絵をか 稲垣史生 / 木村東介 / 郡司正勝 / 小鯖 ・若侍と禿 : 『本朝二十不孝』も半兵衛がか : 5 ・国文学研究資料館常香盤・筆屋の 英一 / 三和銀行 / 昭和女子大 / 角屋 / いたのではないかと一言われている。 看板・味噌屋の看板 : ・蚊帳中読書図伝菱川師房 : ・ 8 ・ 9 早大図書館 / 東大図書館 / 橋本澄子 / 西鶴の絵は半兵衛の影響を受けてい ・東京国立博物館蔵歌舞伎図屏風 : ・日本民芸館蔵たばこ盆・秀衡椀・ 日比谷図書館 / 便利堂 / 吉田漱 るか、かなり巧みで、こまかくみれば、 熨斗文蒔絵重箱・卵殻張重箱 : ・地図作製・ 0 00 0 1 ′ 個性的な表現もみられる。半兵衛にく ・早大演劇博物館蔵大阪絵看板「お 蛭問重夫 らべて、泉に卩ら 払がすくなく、人物の夏狂乱」葦国筆・ ・滋賀大経済学部史料館蔵ちょうち・髪型イラスト■ 石津博典 表情もやや幼いところがある。しかし ・出光美術館蔵春秋遊楽図菱川師ん・きせる入れ : ■図版監修■ 自作自画だけあって嗇 ~ 図するところが平筆・ : ・角屋蔵楊弓・雙六しだれ柳より ・柳孝氏蔵川遊びの図 : また悪達者でない雅趣 よく表現さし 中村溪男 / 宮次男 167
ーマと題材は、「粋」という当代上方プル女』を書くことになった。たぶんショッキしようとしたのは自然のなり行きであっ ゅう ~ ・う ひっち ジョアジーの「遊興の美学」を描くことングな恋愛事件を、独自な筆致と解釈でた。 こうきょ ~ わ であり、当然その主要な舞台は公許の廓再生し、かってない新しい恋物語を提供戦国時代から引き続いて武家社会で公 像であった。彼がどこまで人間性の解放もするというくらいの、軽い気持で書いた認されていた衆道を主として、前半四巻 肖 ふぎみつつう ひそう のしくは愛欲の自由について考えていたか ものと思われる。だが不義密通というそではその意気地と面印を守る劇的な悲壮 年わからないが、そういうテーマを設定ししりや、死罪という極刑を前にして、愛美を、きわめて唯美主義的に描き切って いる。だが後半四巻では、彼が俳諧その 最てリアルに形象化しようとすれば、廓をする事に身命を賭した三人の町娘や二人 こくはっ 。一ヲ、いい . か西舞台とせざるをえなかった。というのは、 の町女房の物語は、期せすして告発の文他を通して表裏を知りつくしていた、 町 桜もちるに嘆き、月はかぎりありて封建的な身分制度や家族制を守り抜く 学たりえているところに、西鶴の西鶴た人たちの職業的な男色の相手である歌舞 入佐山、ここに但馬の国かねほる里めに、一般社会では道徳的にも法的にもるゆえんがある。 伎若衆のみしめな生態を、暴露的に描い ふぎみつつう めんつう のはとりに、浮世の事をはかになし自由恋愛は不義密通、姦通罪は死罪とい すくなくとも『五人女』における西鶴ている。知っているのにきれい事でごま て、色道ふたつに寝ても覚めても夢うことになっていたからである。そこへは、その悲劇的結末にもかかわらす、愛かせない西鶴であった。 ・ . もわ 介と替名よばれて : いくと廓は肉体の市場であったとはいえ、欲を肯定的に描いている。ところがその ほ・フ・らっ 中期の作風 はかない自然よりも人間の愛欲をとい そういう道徳や法律の通用しない放埓の四か月後に出版した『好色一代女』にお う、この冒頭の一節こそ、おらんだ流のエス世界だったからである。 いては、商品化せざるをえない女のセック 一六八六年 ( 貞享三年 ) は、西鶴にと プリであり 、俳諧を捨てて小説を書かざ しかしその世界は、浪費の上に成り立スをようしゃなく描いている。だからそって記念すべき年であった。というのは るをえなかった必然性を物語っている。 っ粋という美学が君臨する世界であった。 れは家庭の人とならない限り、社会人と第一作の『一代男』から、この年の六月 たゆう 最高級の太夫と、貴族や大身の武家や一して生きる余地がはとんどなかった封建に出た「一代女』までの諸作品は、すべ 初期の作風 流町人のみが享受しうるハイソサエティ社会を女ひとりが生き抜くために、みすて地元大阪の本屋の単独版であった。そ 小説を書きはしめてからわすか十二年であった。だから「一代男』では、ますからの性を切り売りせざるをえない運命れがこの年十一月刊の『本朝二十不孝』 よのすけすい で死んでいるのだから、初期も晩年もな主人公の世之介が粋人に成長する過程をを、あますところなく描いた警告の文学から、江戸と大阪の合版となり、その後 たゆう さいかくおきみやげ いのだが、なみの作家の二、三十年分を描き、後半において太夫相手の粋生活をとなっている。 は最後の作品『西鶴置土産』に至るまで、 ′」ういん この期間に畳みこみ、はげしく変化成長強引に描き切ったのであった。だが西鶴現象の肯定面のみを描くことをせす、 ) 大阪と江戸、もしくは大阪・京都・江戸 べんぎ しているので、その変化をたどる便宜上、という作家は、肯定面だけに安住するこその否定面をも描いて、総合的に認識しの二都版または三都版になっているから 初期・中期・晩年と区分するのである。 とのできない目と心の持主だったので、 ようとする西鶴の創作パターンを、我々である。 / イソサエティ ということは、一大阪のローカル作家、 その初期とは、一六八二年の処女作、第二作の『二代男』では、、 はすでに『一代男』と『二代男』におい 『好色一代男』をはしめとし、続編の『好以外の、それが大部分である廓の否定面て見た。そのパターンを一つの作品の上地元大阪の出版ジャーナリズムだけにそ とうび に目を向けたあげく、 色二代男』 ( 一六八四 ) 、「好色五人女』 ( 一 いすれにせよその に小したのが、好色物シリーズの掉尾のの商品価値を認められていた西鶴が、三 は わくでき なし・ ( おおかがみ なん . , 、おお票み 六八六 ) 、「好色一代女』 ( 同 ) 、『男色大鑑』世界に惑溺することは、町人にとって破作品『男色大鑑ズ一六八七 ) である。『一都版すなわち日本の流行作家として認定 めつ さっ ( 一六八七 ) 等の好色物シリ ーズである。滅以外の何ものでもないという告をも代男』の第一章で、「色道二つに寝ても覚されたということである。かくて注文殺 って結ばざるをえなかったのである。 ーズではなく、 もちろん計画的なシリ めても」と言っておきながら、男女の愛到、もう今までのように気の向くままに なおき ーし力ない。直木賞作 作ごとに次のテーマを考えた結果なので そうして彼は一般町人社会の愛欲に目欲を主として描いてきた西鶴であったか書くというわけによ、、 しどう あるが、最初に彼が自発的につかんだテを向けて、モデル小説である「好色五人ら、男同士の衆道 ( 男色 ) を最後に総家になったようなものである。もちろん 0 7 すい しんめい めんよく 162
日本の占典 10 グラフィック版 好色五人女 発行所 電話 振替 編集兼発行人 用製印 紙本刷 ◎一九七五 0503 製函 株式会社世界文化社 し 東京都千代Ⅲ区儿段北四ー一一ー 東京 ( 〇一一 l) 一一六一一ー五二一 ( 大代表 ) 東京一七三八六儿 鈴本 共同印刷株式会社 小高製本工業株式会社 ネ崎製紙株式会社 山陽国策パルプ株式会社 日本紙業株式会社 千住製紙株式会社 文京紙器株式会社
しじようがわらふうぞく 0 四条川原風俗京都四条川原は都随一の繁 みずぢやや 華街である芝居の劇場水茶屋見世物小屋 などが軒を並べ見物人はひきもきらなかった 屋おさん物語 の 好色五人女巻三 美女の品定め 和一一年の暦に、「正月一日、書きぞめ、万によし。 二日、姫はじめ」と書いてある。いざなぎ ・いざなみの 尊の頃から、男女の交りを鶺の交合で教わり、今に至 、、 - うじゃ るまでやむことがない さてここに、経師屋の長の美人 女房といって評判高い女があった。都のたくさんの男の ぎおん 心を動かし、祗園祭の月鉾の三日月にも劣らぬ三日月の まゆ きよみず 形の美しい眉をもち、姿は清水の初桜がこれから咲き初 くちびる たかお もみじ めるようなういういしさ、唇のうるわしさは高雄の紅葉 むろまち の盛りの色と眺められた。室町通に住み、新趣向の衣裳 よそお で身を装い、当世風の美人の随一、広い京都にもこれに 匹敵する女はいない。 しやま 人の心の浮立っ春が深くなって、東山の安井の藤が今 を盛りに紫の雲のようで、松の緑でさえ色褪せて見え、 夕方になると藤見帰りの連中が群をなし、東山の上に美 女の山をつくっている。 丁度そのころ、京都で評判の極道仲間の四人組で、風 〔木も人にすぐれて目立っ連中がいて、親ゆすりの金のあ おおみそか るにまかせ、元日から大晦日まで一日も色の遊びをしな はなさき い日かなかった。昨日は島に、もろこし・花崎・かお ひってき みこと る・高橋の太夫たちと夜を明すかとおもえば、今日は四 じようがわら たけなカきちさぶろう からまっかせんふじたきちさぶろうみっせさこん 条川原の竹中吉三郎・唐松哥仙・藤田吉三郎・光瀬左近 かぶき あんばい なんしよくによしよく など歌舞伎の役者買いをするという按配に、男色女色夜 は - フし」 - フふけ ひるの見さかいもなしの放蕩に耽っている。芝居のはね みずぢやや たタ方から、松屋という水茶屋にすらりと並んで腰をか 「ムフ日 / \ らい きれいな素人女が出ていることはない。 ひょっとすると、自分たちの目にも美しいと見える女が いるかもしれない」 と、役者の気のきくやつを目ききの頭にして、藤見の 帰りの女たちを待っ夕暮、これは変った趣向であった。 しかし、大半は女駕籠に乗っているので、姿が見えない のが残念である。三々五々群がって歩いてくる女たちに は、厭なのもなかったが、これぞと思うものもない しい女とおもったものだけ書きとめておこ と、飃とりよせて書き写していると、年の頃 = 一十四、 頸すしがほっそりと長く、目がば 五の女が目につい ぎわ っちりして、額の生え際は化粧しないでも美しく、欲を いえば鼻がすこし高いけれど、それも我慢できる程度で しらぎぬすそ あさぎ ある。下の小袖は白絹の裾まわし、中に浅黄色の裾まわ つきばこ せきれ、 おさ ふう たゆう