たばこ入れ 「このたびは何やかやとご厄介になりまして」 と、礼を言って別れて行った。 これでおせんは自分のもの、と久七はおもい ろのみやげ物を見立てて買ってやった。 らすま 久七は日の暮れるのも待ち遠しいので、鳥丸の近くに 知人かいるのを訪れようと出かけているあいだに、婆は きよみずてら 、急いで宿を おせんをつれて清水寺へお参りするといし ぎおん 出た。祗園の新趣向の弁当屋のすだれに付け紙がしてあ って、目印に錐と鋸の絵が描いてあった。この家におせ たるや んが入ってすぐさま中二階へ上ると、樽屋が出迎えて、 さかずき 末々までの夫婦約束の盃を取りかわすと、婆は梯子を 下りて階下に坐り、 「ここはほんとに水がよくて、お ~ 余がおいしいこと」 と、分り切ったことを言いながら、せんじ茶を何杯も 何杯も飲んでいた。これがおせん樽屋のはしめての契で あって、樽屋は昼の舟で大阪へ帰って行った。 ・はばあ 「今すぐ帰りま 婆とおせんは宿に帰ると、にわかに、 しよう」と言えば、「ぜひ二、 = 一日は都枷」と久七が 引医」とめたか 「いやいや、奥さまに男ぐるいしたなど とおもわれては困るから」 ーったっ と、出立した。久七はすっかり、ふてくされて、 ふろしきづつみ 「風呂敷包は、ご苦労ですが久七さん、お願い」 と一一一口って、も、 「肩が痛くて」 ふしみいなり と言って持たない。方広寺の大仏・伏見稲荷を過ぎ、 わりかん ふじ - もり 藤森神社で休んだときの茶代は割勘で払って、大阪へ帰 ってきた。 みトみ - フ—•J やっかい んは胸の火のたきつけで新世帯 「伊〈参るなら参ると、そう言「てくれれば、通し駕 のりか 籠か乗掛け馬で行かしたものを、もの好きにも抜け参り なぞして。こんなみやげ物は、誰の金で買ってきたのだ え。夫婦連れ立ってのお伊勢参りでも、とてもとても、 そろ そんなことはしないものなのに、よくもよくも、二人揃 って帰ってきたものだ。これ久七、お参りから帰った祝 あれはなにも いに、おせんの寝床をとってやるがいい むじやき 知らぬうぶな女なのに、久七がそそのかして、無邪気な ものに男の味を知らせたというわけだね」 りつぶく と、お内儀さまはご立腹で、久七の申し訳けはすこし も聞き入れてもらえす、罪のないのに疑いを受けてしま ひま った。やむなく、九月五日の年季明けをまたすにお暇を 貰「て、それから後は北の娵屋という米問屋に奉公 はすつばんな やつはし して年季を重ね、八橋の長という蓮葉女を女房にした。 やたをこ・フド ) すしゃ この頃では、 ト各で屋をして世を暮し、おせんのこ ・ー / ロ広ん由川 とはいっとはなしに忘れてしまっている。人間はみな、 うつりぎ 移気なものである。 おせんのはうは別に変ったこともなく奉公をつづけて たるや 心もそ いたが、樽屋とのかりそめの契が忘れられない らにばんやり日を送って昼も夜もわからす、女がしなく 容姿が てはいけない身だしなみもしぜんにしなくなり、 みすばらしくな「て、しだいしだいにれてしま「た。 おおがま 丁度こういうときに、鶏がとばけてタ方に鳴き、大釜 がしぜんに腐って底が抜け、桶に仕込んで朝夕の食膳に うちくらのきば かみなり 出す味噌の風味が変り、雷が内蔵の軒端に落ちかかるな
吉祥寺にあるお七と吉三郎の比翼塚 ( 東京・文京区 ) 円乗寺にあるお七の墓 ( 東京・文京区 ) きらじようじ ひょくづか えんじようじ う。気おくれしたように噂されるのも残念だ」と、腰の 刀に手をかけたので、法師たちがその手に取っき、いろ いろ制止して、 「どうしても死ななくてはならぬのなら、長い年月親し くしてきたの人にも別れを告げ、長老さまにもその わけをよくお話した上で、最期を遂げられるがよい いう訳は、そなた様と衆道の契りをなされた方からの頼 みでこの寺にお預りしたわけで、そのお方にも申し訳け なくわれわれも迷惑、あれやこれや考え合せられて、こ れ以上悪い評判の立たぬように」 と、諫めたので、吉三郎も道理至極と自害をおもいと どまったが、 いずれにせよ浮世に生きながらえるつもり ちょうろう その後、長老にその気持を伝えると、驚きなされて、 ル、み : っ 「おまえの身は、兄分の人に切に頼まれて愚僧が預かっ まっ - ま・ん たものだ。その人は今は松前に行っておられ、この秋ご ろにはかならすここに戻ってくることを、この度もくれ もんちゃく ぐれも申し越されている。それなのに、その前に悶着が あったなら、さし当って迷惑するのは自分なのだよ。兄 分の人が帰ってみえてから、どのようにでも身の振り方 をつけるがよろしかろ、つ」 と、いろいろ意見をなさったので、日頃のご恩と思い 合わせて、 いカト小、つに 9 もお一一一口葉に " 低い土ー ) よ、つ」 ちょうろう しっち と承知申し上げたが、長老はそれでもまだ心配されて、 刃物を取上げ沢山の見張番を付けられたので、仕方なく 並日段の居間に入り、人々にるには、 はもの
ー , ・しクンノ / 一奣 酒屋お使いにきた子どもにひしやく で量り売りをしている酒の生産はこ のころ大きく伸び大阪・伊丹・池田・西 宮などの特産地があらわれた図左上 の杉の葉を束ねた " 杉玉 " は酒屋の看板 はか 2 すぎだま と言うので、しめたとおもし 、、約束をかため 「一段とよい逢曳き場所を考え付いたよ」とささやいて、 「八月十一日に誰にも知らせす伊参りに立ち、その道 すがら契をかわし、末長くお互いにいとしさかわいさの ねものたり 変るまいと寝物語をしみしみするのも悪くはあるまい おとこ、ま・ん しかも相手は、よい男前なんだよ」 と、恋心を起こさすように言えば、おせんもまだ会わ 忍び逢い京の水ももらさぬ仲 あさがお 「朝顔の花盛りを、朝早く眺めればさぞすがすがしく感 じられるだろ、つ」と、宵の、っちから奥さまがおっしやっ すまい かきね て、住居を離れた裏の垣根に腰撮をならべ、花模様の毛 じゅら・ばこ - ぎめしつまようじ 氈を敷かせ、「菓子入れの重箱と焼いたり飯、妻楊枝、 ちゃびん ちずい 茶瓶を忘れないように。朝の六時のすこし前に、行水を かたびらひろそて しますよ、髪は簡単に三つ折に結って、帷子は広袖のほ - みじゅす うを、桃色の肌着を出しておいて。帯は鼠繻子の丸形模 様のもの、それに飛び模様の白いお腰。こういうように いろいろ注意するのは、隣家から人も見ることだから、 下々のものにも継ぎの当っていないかたびらを着せなさ てんじんばし 天神橋の妹のところには、いつもの起きる時刻に、 女駕籠を差しむけなさい」 と、なにごともおせんに委せられ、ゆったりした蚊帳 にお這入りになると、四つ角の玉の鈴が鳴って、眠りに 入られるまでは腰元が替り番に邯いの風を静かに送る。 ぬ前から男に焦がれ、 びんかっこう 「無筆者ではありますまいね、鬢の合好は当世風にうし ざ・ ~ - う ろ下りですか、坐業の職人とすると腰がかがんではいま - もり ~ 、・つひらカた せんか。この土地を出立した日は、守口か枚方に昼から 宿をとって、蒲団を出させて早く寝ましよう」 と、あれこれ話し合っているうちに、中棹のくめの声 がして、「おせんさん、奥でお呼びですよ」というので、 「それではたしかに十一日に」と言い残して帰って行っ せん ふとん すみ
ばん 「小判を知らない休み茶屋」おさんは茂右 衛門に背負われて逃げて行く道中の休み茶 屋は小判を金と知らぬほどの山奧である辛 たん きれど 苦の末丹後の切戸に落ちつくがやがて行商 人の噂からばれニ人は捕えられ処刑される うわさ と、深い考えもなくその場のがれにそう言った。たと え山奧にしても、どこも欲の世の中だから、伯母は持参 金に眼をつけ、 「それは丁度よいことがある。息子にまだ嫁がきまって いないのだよ。おまえもわたしとは親戚の仲だから、ぜ ひわたしの息子に」 と申し出され、なんとも困ったことになった。おさん はこっそり涙を流し、いったいど、つなることだろう、と もの思いにふけるところに、その男が夜更けて帰ってき その風体は凄ましいもので、人並はすれて背が高く、 ちぢ ひげ 頭の毛は唐獅子のように縮み上り、髭はまるで熊のよう、 眼は血走ってぎらぎら光り、手足は松の木そっくりであ さきおり ひなわ る。割織を着て、藤蔓で編んだ帯をして、鉄砲に火縄を とせい う・をたきのぞ 持ち添え、かますからは兎や狸が覗いている。猟を渡世 いわとびゼたろう としているようである。その名をきけば、岩飛の是太郎 といって、この村で評判の乱暴者である。都の女との縁 組のことを母親が話すと、むさくるしいその男はよろこ 「善は急げだ。今夜さっそく」 びん 、小さな鏡を取出して、鬢のほっれを直すのは、し おらしいことだった。 、ろしおづ ーうげん 母親は祝言の盃の用意をと、鮪の塩漬けにロの欠けた さカーこ′、り そろ 望うぶ 冫徳利を取揃え、莚屏風で畳二枚敷ほどの場所をかこい、 ひばち うすべり 木楸二つ・薄縁二枚・横縞の掛ぶとん一つ・火鉢に松の ーうげん 薪をもやして登々に替え、祝言のタに景気をつけるので あった。 おさんはかなしく、茂右衛門は途方に暮れ、 しい加瀲のことを言ったばっかりに、こんなことにな いんカ ってしまった。身の因果と覚吾はするものの、この口惜 おうみ しさ、こんな憂き目にあうくらいだったら近江の湖で死 ふうてい すさ ふじつる しんせき てつぼう
世間胸算用 ぜにりようがえ そろばん 0 銭両替勘定でもあわないのだろうか階下 おやじ では算盤片手に親仁が何やら首をひねってい ししルう ニ階の職人は布の刺繍におおわらわであ る る小さな両替店ではこのように兼業すると とど ころもあり扱う金額も少額に止まっていた 毎年煤払いは十二月十三日に定めていて、菩提寺の笹 作を縁起物として、月の数の十二本貰い、その葉で煤を 払ったあと、板ぶき屋根の押え竹に使い、枝のはうは束 ねて箒につくり、どこも無駄にはしない、すいぶんと物 おおみそか もちのいい人かいた。去年は十三日が忙しくて、大晦日 すす に煤払いをし、年に一度の風呂をわかしたが、五月の粽 はす ばん の殼、お盆のときの蓮の葉までもつぎつぎと蓄めて置き、 湯のわくことには違いはないと、こまかい事に気をくば って、無用の出費について人並みはすれて頭をめぐらし、 利ロぶった顔をする男があった。 いんきょ 同じ屋敷の裏に、隠居所を建てて母親が住んでおられ たか、こういう男をお産みになった母親であるから、吝 うるしぬ 嗇なことはたいへんなものだった。漆塗りの下駄の片方 を風呂の下で燃やすとき、しみしみと昔を思い出し、 「はんとにね・ この下駄はわたしか十八のときこの 家に嫁入りしたとき、長持に入れてきて、それからは雨 世間胸算用 ねずみふみ 鼠の文づかい すす なかもち おさ せけんむねさんよう すす ささ りん の日も雪の日も履いたのに歯がちびただけで五十三年に なります。わたしの生きているあいだは、この一足だけ で済まそうとおもっていたのに、惜しいことに片方を野 はんば 良大めにくわえて持って行かれ、半端になったので仕方 かない。今日けむりにしてしまうことなのです」 な、ち と、愚痴を四、五回繰返したあとで、釜の中に投げ込 み、今ひとつ、なにやら物思いの風情で、涙をはらはら とこばし、 しやっき 「まったく月日の経つのは夢のようしゃ。明日は一周忌 になるか、あれは階しいことをしました」 と、しばらく嘆きやまない。丁度、隣りの医者か風呂 に入っていたが、 がんたん 「とにかく明日は元旦という目出度い年の暮ですから、 がんじっ ところで、元日にどなたが死な 嘆くのはおやめなさい。 れたのですか」 と、尋ねると、 いくら愚かなわたしだといっても、人が死んだくらい でこんなに嘆きはしませんよ。わたしが階しがっている のは、去年の元日に妹が年始にきて、お年玉の銀一包を くれまして、すいぶんと嬉しく、神棚に上げて置いたと ころ、その夜に盗まれました。そもそも、勝手の分らな ねんし ちょうど かみだな ふ也い かね 、っそく 112
つば 「木端は胸の火のたきつけで新世帯」樽屋 とのかりそめの契りがおせんの胸に火をつけ た奉公先へ戻ったおせんがあの一夜を忘れ ふしん かね次第にやつれてゆくのを不審に思った主 人は樽屋の噂を聞きニ人に世帯をもたせる ど、不吉なことが続いて起った。これは皆、天然自然の ことなのだが、 ~ かかりにおゞマつ、っちに、誰が一一戸っと 9 っ 「おせんに恋こがれている男の執念が、今にいた るまで続いていて、そのせいだろう。その男というのは、 ・つわさ たるや 樽屋ではないか」と噂が立ち、おせんの主人がそれを伝 え聞いて、「何とかしてその男におせんを呉れてやろう」 と、横丁の老女を呼び寄せてひそかに相談すると、 おっと 「平素からおせんは、良人を持つのに職人はいやだと言 っているから、心もとないことです・」 と、婆はとばけて言い、主人は、 か - う とんな稼業でも、 「そんな選り好みをしてはいけない。。 っ一一 - フ 世渡りさえできれば結構なことだよ」 といろいろ意見して、樽屋に縁談を申し入れ、結納を そてわきふさ 取りかわして話をきめ、ほどなくおせんの袖脇を塞いで つめそて 吉袖にし、おはぐろを付けさせて、嫁に行く用亠思をとと ゆいのう きじ きも・じっ のえ、吉日をしらべ、中位の木地のままの長持ひとっ・ はみばこ ふしみ 伏見三寸の小葛籠一対・紙張りの挾箱一つ・奥様おさが あかねぞめ りの小袖二つ・夜着ふとん・茜染の縁の蚊帳・昔風の染 かずき めの被衣など、仕した品数二十三に、銀二百匁を添え て樽屋に輿入れさせた。二人は相性がよく、仕合せに暮 し↓・ - も し、夫は正直に秘に精を出し、妻はふしかね染の縞木 綿を織ることを覚え、せっせと稼いだので、盆の前の日 おおみそか と大晦日にも借金取りを避けて家を留守にするほどのこ 一応の暮しは立っていた。おせんは特別に夫 を大切にして、雪の日や風の吹くときは飯能をくるんで 冷えないようにし、夏は寝ている夫の枕もとで扇を離さ すにあおぎ、夫の留守のときには夕方から門口を閉め切 り、外の男にはゆめゅめ目を向けす、二言目には「うち むつま の旦那様が」とのろけになり、年月が経っても睦しい夫 婦の中に、子供が二人産れた。そして、子供ができても、 一層夫のことに気を配った。 うつりぎ ところで、女というものは移気なもので、うまくつく こ・フとんばり ってある色ごとの話にうつつをぬかしたり、道頓堀の作 り狂言を見て実際にあったことのようにおもったりして てんのうじ る、っちに、 いつの間にか心を乱し、天王寺の桜の散る かんのんどう 前や観音堂の藤の梛の盛りに出かけて行って、眉目よい 男に浮気心を起し、家に帰ると一生養ってくれる亭主に りふじん 嫌気を起している。これほど理不尽なことはない。そう なると、倹約の心はすっかり無くなってしまい、下女が 無駄な薪をどんどんくべている竈にも注意せす、塩は湿 ( らび いらぬ所に油火をともすの 気を引いてどろどろになり、 もかまわす、身代がすくなくなって、離縁されるのを待 だんな たるや こきき けんやく しんだい ながもち
「雪の夜の密会」寺をひきあげたあと母親 の厳重な監督でニ人は仲をさかれたある雪 の日吉三郎が野草を売る里の子にはけてやっ てくる土問にうすくまる里の子が吉三郎と あけがた 気づいたお七は部屋に招じ明方までを過ごす しカ まド と、首筋に獅噛み付いた。そして、いつの間にか交り むす そて を結んでしまい、お互の袖を敷き合って濡れそめたから には、この恋の終るときは命の終るときと誓い合った。 あけカた ゃなかかんのう 間もなく明方近くなり、谷中感応寺の鐘の音を聞けば こいしかわ えのき 、いせわしく、小 石川村の榎の木に朝の風がはげしく鳴っ 「うらめしいことだ、もう寝てぬくもる間もなく別れな くてはならぬのは残念だ、広い世界のこと、昼を夜にし ている国かないものか」 とうて と、到底できぬ相談をしながら、くよくよ考えている と、母親が探しにきて、これはと驚き、お七を引立てて なりひらあそん 連れて行ってしまった。おもえば昔、業平朝臣が雨の夜 に女を鬼に一口で喰われてしまったときの心持がして、 ほうゼん 吉三郎は哀しい心で呆然としていた。 こばうず、よい 一方、小坊主は宵のことを忘れす、 こんや 「さっき約束した三つの物を呉れないなら、今夜のあり くびすじ さまを一一一口い触らします・よ」 と言う。母親は戻ってきて、 「どんな事か知らないけれど、お七が約束した品物は、 わたしが引受けました」 と、言い残して帰っていった。浮気な娘を持った母親 の辛さ、およそのことは聞くまでもなく承知して、お七 よりも一層気をきかせて、翌日はやく手なぐさみの品々 とりそろ を取揃えて贈ったということである。 雪の夜の密会 油断ならぬこの世の中で、なかでも見せてはいけない はだみ ものは、旅行しているとき肌身につけた金、酒に酔った わきざし ばうず かたわら 人に脇差、娘の傍に生ぐさ坊主だと、お寺を引あげてき か・んし」′、 てからは、きびしく監督してお七の恋を裂いたのである。 れん しかし、下女の情で、手紙だけは数多く取りかわし、恋 物の情をお互いに報らせ合った。 しさフろ あるタ方、梗喬の宿にちかい里の子らしいのが、松露、 カて 土筆を手籠に入れて、生計の糧に売りにきた。お七の親 の家で、呼びとめて買った。その夕暮は、春だというの なんぎ に雪が降りやます、その子は村まで帰るのが難儀だと弱 っていた。 お七の父親は気の毒がって、何気なく、 「ちょっと土間の片隅を使って、夜が明けてから帰るこ とにー ) た、ら」 ごばうだいこんむしろ と言うと、里の子は喜んで、牛蒡・大根の莚包みを片 こしみの 寄せ、竹張りの小笠で顔をかくし、腰蓑を身にまとって つくし
糸巻 おおみそか 「この家のように、大晦日に碁など打っているようなと ころでは売ってやらないよ」 と言い返して帰った。その後、誰が言うともなく世門 すみ に知れて、そのうち狭い土地なので隅から嵎まで、「足切 はちすけ り八助」と名がひろまり、生計が立てられなくなったが、 これも自分の心がけのせいである。 おおみそか ところで、大晦日の夜の有様は、奈良では京大阪より はすいぶんと静かで、すべての掛買いの代金も、有金で おおみそか できるだけ済ませ、「この大晦日の払いは、これ以上はで 抖取 ~ も聞いてくれて、二 きない」と断わりを言えば、圭 ) 度はこないなにやかにやで四つ ( 午後十時 ) のころには、 奈良中その年のかたがついて、もう正月の気分、家ごと 釜をかけて火をもやし、台所の土間 にかまどをつく ーし、、・わの に敷物をして、その家中のものが旦那も召使いも一緒に いつも使っている居間はあけておいて、土 気楽に坐り、 もち 地のならわしで、竹の輪に入れた丸い餅をかまどの火で さてまた、 焼いて食べるのも、おっとりとして福々しい 奈良の都のはすれにいる宿の者という男たちは、大乗院 けらいさっさ 御門跡の家来佐々時という人の家に、毎年の例として とみ おレャ 祝いはしめに訪れてから、「富々、富々」といって町中 もちせに をかけまわると、家ごとに餅に銭をそえて渡した。これ やくばら おおみそか はつまり、大阪などで大晦日の夜に、厄払いの芸人に米 や鎤を渡したのと同しである。ようやく夜も明けて元日 はんぎ たわらむか の朝に、「俵迎え / \ 」と売っているのは、板木で刷った えびす えびす たいこくさま あけはの 大黒様である。二日の曙に、「恵美酒むかえ」と恵比須 びしやもん さまの絵を売りにくる。三日の明方には、「毘沙門むかえ」 さん と売りにくる。三が日の間、毎朝福の神を売るのである。 ごもんせき だんな あしき がんじっ さて元日の家々のしきたりといえば、年始まわりはやめ さんけ かすがたいみさフじん ておいて、ます春日大明神へ参詣するのだが、一家一 から遠くの親類までも引き連れて、さざめいている。こ そとめ のとき、一門の多いはど、外目をそば立たせる。どこの 土地でも、金持はうらやましいことだ。 ごふくや さて奈良特産のさらし布は、一年の間京都の呉服屋に 掛売りして、代金は毎年大晦日に取り集め、大晦日の夜 中から、仕事の終り次第にわれさきにと京都を立ち、松 まっ 明をともし連らね、このとき奈良に入ってくるさらしの 代金は何千貫目か計り知れない。奈良に帰り着くと、み な夜明けになっているので、金銀をそのまま蔵に入れ、 正月五日からそれぞれ収支決算をするのが、毎年のきま やまと りであるこの銀荷に目をつけて、大和の片田舎に隠れ住ん すろうにん でいた素浪人たちが、年を越せないことのなさけなさに、 死罪覚悟で四人が打ち合わせて追剥ぎに出た。その荷が みな三十貫目とか、五十貫目とかの嵩ばるものばかりで、 手頃の端た金かないので、あれにするかこれにするかと 「酒を飲む金だけ出せ」とも言いかね 見比べていたか、 くらカりとうげ た。道をかえて暗峠に出て、大阪からの帰りを待ち伏せ、 月男かかついでいる菰包みをみると、 「うまい具合にかついでいるな、重いものを軽く見せか けているのは、金が隠してあるのに間違いない」 と、押えつけて、取って逃げ去ると、その男が声を立 「明日のお役には、とても立つまい立つまい」 と言う。そこで、四人であけてみると、数の子だった。 これはこれは、いやはや。 かね おおみそか かず 121
0 「両手に花の若衆が姿を消す」源五兵衛の 庵に彼に惚れこんだおまんが若衆姿に身を やっしてやってきた夜遅く帰ってきた源五 せん 兵衛の両手には先のニ人の若衆の幻がとりす がっているおまんが出て行くと幻は消える 川舟を仕立て賑やかに遊ぶ若衆たち職業的 わ力、一从な 男色の相手としては役者の内でも特に若女 わかいがた 方・若衆方の美少年クラスがもてはやされた 月の頃で、男の姿に身を替え思い詰めた女ごころではあ すぎ るか はるばると来て人の教えてくれた杉林に入ると、 うしろには荒々しい岩がえ、西の方は洞穴が深い穴を 開き、その中に魂が吸い込まれそうである。朽木のあぶ なかしい丸太を二つ三つ四つ並べて渡した橋も恐ろしげ で、下を見れば川の急流が岩に砕けて飛び散り、魂がこ なごなになる気持。やっとわすかの平地に出ると、粗末 のきば な小屋があって、軒端にはいろいろの蔦かすらが這いか すいてき にわかあめ かり、葉末をしたたる水滴は、まるで俄雨のようであった。 のぞ 南側に明り取りの窓があって、中を覗いてみると下々 りゅうきゅうとらい の家で見かける「ちんからり」とかいう琉球渡来の焜炉 が一つ、まだ青い松葉が焚き捨てになっている。天目茶 わん 碗二つのほかには、杓子さえも見当らす、 「これは惨めなこと。こういう所に住んでいればこそ、 仏の、いにも叶、つことなのでありましよ、つ」 と見まわしたが、主人の法師の姿が見られない。おま んはがっかりしたが、何処へ、と訊ねる相手も松よりほ 力にはなく、帰るのを待っことにした。戸が開くのをよ しよけんだ、 いことに入ってみると、書見台に書物が置いてある。奥 のぞ しゅどう まつよ、 もろそて 床しいことと覗いてみると、「待既の諸袖」という衆道 おうぎ までもこの の奥義を書いた本であった。「それでは、い 道だけはお捨てにはならない」と、潦五兵衛の帰宅を待 ち兼ねていると、間もなく日は暮れて文字も見え難くな り、燈火をともす手だてもなく、しだいー、 こ淋しくなって きたが、 それでも独りでここで夜明しをしよ、つという気 持。それも恋なればこそ、こうやって我慢していること ができるのである。 はずえ かな っ てんもくぢや は コンロ
おおみそか 京大阪のせわしなさに比べ奈良の大晦日はゆ ったりとしている ういう土地柄では追い はぎまでも問が抜けているらしい素浪人四 人が大晦日の夜旅人から菰包みをとって逃 げたが開けてみるとなんと数の子であった むかしから今まで、すっと同し顔がやってくるのも趣 のある世の中である。この二十四、五年も、奈良に行商 にくるさかな屋があったが、いつも一品だけにきめてい て、蛸のほかの品は売らなかった。そのうち人も蛸売り はちすけ の八助と呼ぶようになって、顔が売れ、いろいろと得 さき 先もでき、一家三人の暮しはゆっくりと立った。といっ おおみそか ても、大晦日に五百文持って年を越したことは、一度も お : フに ない。食べるだけで精いつばい、元日の雑煮がロに入る 程度である。この男、平素世渡りにぬかりかなく、ひと ひばち りだけ存命の母親にたのまれて奈良の火鉢を買ってくる こうせん まして他 ときにも、ロ銭を取ってただでは済ませない。 さんば 人のこととなると、産婆を呼んできてやるという一刻を 世間胸算用 にわかまい」 奈良の庭竈 0 おもむき 争うときにでも、茶漬をご馳走にならなければ動かない わんぶっしんじゃよりあ いくら欲の世の中といっても、念仏信者の寄合いのため ならぎらし に奈良晒の布をついでに買ってくるときにも手数料を取 るなどは、まったく「死んでしまえ、目をくり抜いてや モざ ふるま る」の諺どおりのひどい男である。こんなに振舞っても 食うに精いつばいというのだから、天の咎めがあるとい うのは本当のことだ。そもそも奈良に行商に行ってから すっと、日本国ではの足は八本ときまっているのに、 一本すっ切り取って足を七本で売ったが、言 隹もこれに気 かっかないのでそのまま売っていた。 切り取った足は、 まつばらむら 松原村にある売り屋でその都度まとめて買うものがあ る。さりとは恐ろしい人の心である。 一「おざ 物には七十五度という諺があるように、かならす露見 するときがくる。去年の年の暮に、足を一一本すっ切って まぎ 六本足にして、あわただしさに紛れて売ったところ、こ のときも気ついて調べる人がなく、売って済ませていた。 ハレー」カ 4 て力い っ 手貝町の中はどで、菱形の竹垣をした家から声がかか たので、鰤を二つ売って帰ろうどしたとき、頭を剃った いんきょ 隠居姿の親仁がしろりと見て、碁を打ちかけにして出て くると 「なんとなく裾のあたりが淋しい蛸だな」 と、足の数を調べはしめ、 六本足とは神代の昔 「これはどこの海で捕れた蛸だい。 いままて から、どんな書物にも出てこない。気の毒に、 には奈良の者全部が、一ばい食っただろう。魚屋、その 顔は見覚えたぞ」 と一一戸っと、 おやじ すそ ちそ・フ かみよ 118