若衆 - みる会図書館


検索対象: グラフィック版 好色五人女
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1. グラフィック版 好色五人女

友褝小袖を着た遊女若年遊女の図鳥居清春筆 一あ一」舞う歌舞伎若衆 = = 0 0 の 12

2. グラフィック版 好色五人女

4 す , 、す 「たば」を長くし、前髪をつけた端々 西鶴は四十三歳。『好色一代男』で一用絵師と町絵師とがはっきり分化し、 彖■函表ー 金松竹梅湯嶋掛額「八百屋お七」月岡躍、作家的成功を得て急上昇中であっ町絵師たちが、美人画をかいて特色を しいあで姿は、元禄以前の絵画にこと に目立つ。 円熟した師宣がこの『好色一代男』 しめすのはほば寛文年間である。これ 目芳年筆東京消防庁蔵 ■函裏■ の江戸版の挿絵をかいているのも、なを寛文美人図とよぶ。 これは若衆歌舞伎が熱狂的に迎えら 版 にやらめでたい時代の重なりである。 元禄期の貨幣三和銀行蔵 ひるがえってこれを武家社会と比較れた事情と同しで、舞台上の若衆姿、 ■表紙裏見返し■ その描く女性はゆたかな頬とあご、 すればその特色はいっそう明暸になる。 また女装した美少年が大衆をひきつけ 図 下里寂照宛西鶴自筆書翰貞享元年 堅肥りを思わせる小柄な、健康な姿態武家には女性美をそのまま受け入れてた。これらの美少年の役者たちは芸を ちょうしんやせいた 天理図書館蔵 鑑賞する基盤がなかった。市民社会で見せるよりもむしろ衆道の対象になり である。その後の浮世絵が長身瘠形、 ・片かんのんロ絵■ あるいは猫背の女性と変転してゆくのは逸楽の対象としてであっても、女性やがて幕府によって禁止された。 島原大門ロの図井原西鶴筆独吟百を思うと、官能の表現もまた健康、素美を認め、のちにはその人間性を男性 この若衆歌舞伎の舞台は初期肉筆歌 韵自註絵巻より天理図書館蔵 朴であった江戸初期の風を写し伝えてと対等にみようとする姿勢をしめす。 舞伎絵に描かれているが、舞台と関係 さて寛文美人図にかぎらす、浮世絵 なく独立して描かれるようになった。 ■菱川師宣■ 師宣は安房の保田村の縫箔師、菱川版画の世界がひらけるまでは、すべて奥村政信あるいは宮川長春などにすぐ 6 . 7- ・七人太夫七態図・ : 吉右衛門の子として生まれる。俗称吉肉筆で一図一図ていねいに描きこまれ、 れた作品がある。大柄で華美な着物の ・四季風俗図巻出光美術館蔵・ 兵衛。元禄七年、芭蕉の死に四か月先その精緻さと色彩美は初期の素朴な版柄は、この時代の特色であって、大き ・男女相戯図 : 立って亡くなった。 画では及びもっかぬものであった。ゃな紋や、書絵の小袖が流行、色彩も中 ・町人の女房・洗濯・伸子針 り和国■美人図■ 間色の桃色、藤色、水色、紺色、鶯茶 がてその版画も多色摺りの錦絵の世界 百女より東洋文庫蔵 : 4- ・ L.n などかはやった。 ・美人三幅対のうち京広瀬重信筆 いわゆる浮世絵の巨匠たちが ・見返り美人東京国立博物館蔵 : 東京国立博物館蔵・ : 3 つづく。しかしそれらの間にも一貫し ・職人尽図・ ・若衆川遊び・揚屋の遊興浮世続絵 ・江戸吉原若年遊女鳥居清春筆吉て肉筆美人画は描かれた。師宣のよう ・呉服屋・本屋都鄙図巻より住吉 CO 1 / 4 . 8 尽より東洋文庫蔵・ 川観方氏蔵・ に両方に作品を残す絵師と全く肉筆し具慶筆興福院蔵・ ・太夫文書図 : ・唐土太夫絵姿角屋蔵 : か描かない絵師とかいた ・酒屋・酢屋・粉屋・料理師・八百屋・ ・吉原の体東京国立博物館蔵 ■若衆図・ 質屋・餅屋人倫訓蒙図彙より : 8 っ【 ・つ 0 ・男舞図中村溪男氏蔵 : ・脱穀・侍農絵づくしより東洋文庫蔵 ・若衆訪女図伝田村水鴎・ : ・具足師・両替屋・竹細工師職人尽 ・形見の水櫛・人には見せぬ所大和 ・柳下三人若衆図 ( 部分 ) 田村水鴎 図屏風より柳孝氏蔵・ 絵のこんげんより東洋文庫蔵 ・経師屋 : 「大和、つきょ絵とて世のよしなしこと 美・若衆盆踊図 : ・職人尽図かるた滴翠美術館蔵・ ・白衣美人中村溪男氏蔵 : をその品にまかせて筆を走らしむ」 ・水仙を持っ若衆山崎女竜筆出光 にこ、つ聿日きつけた 「絵本浮世続絵尽」 ・鳥持美人に籠持娘鳥居清倍筆東美術館蔵 : 職それぞれの働く姿を冊田、 才したものは 師宣は当代の代表的な絵師であった。 京国立博物館蔵・ : 引・脇息にもたれる若衆・ 歴史的にかなリさかのばる。その初め まっリ一一し一 うきょ絵に「大和」と冠したのも、唐 ・蚊帳美人宮川長春筆中村溪男氏 美人図とともに、初期から元禄にか は庶民の姿を知る政のはからいから、 様の絵ではなく大和絵の流れを汲む新蔵・ けて私たちの眼をひくのは若衆図であ雲上人の座右にそなえられたものであ しいスタイルの絵という自負がのぞい ・遊女弾琴図角屋蔵 : る。女性風俗でいえば、髪形が根をきろう。したがってこれに和歌を添え、 ている。六十四歳で没した師宣はこの 繊細優美な一人立ちの美人図が確立 ) っと詰めた「根結いの垂髪」か、「玉歌合わせとしたものが、平安期から作 時五十四歳。円熟した時期であった。 られていた。時代が下るにしたかい したのは江戸期に入ってからだが、御結び」までの時代、女羅と同しように ゞ 0 50 に 166

3. グラフィック版 好色五人女

てんな おおみそか 「大晦日は心の闇」天和ニ年の大火の折 ( の ちに八百屋お七の火事といわれる ) お七は母 きらさぶろう 親と寺に避難するいあわせた寺小姓吉三郎 の手のトゲを母に替って抜いてやり手を握 りあったことからお七の恋情は燃え上った 0 江戸では毎日のように火事があった火消 てんすいおけ つじ 制度ができ辻ごとに天水桶が積み上げられ ひとたび たが一度出火すれば木造の家並にはあっと いう問に火が廻った人々にとっては火事は 人災というより天災運不運のものであった ちょうど とな ロのなかで一心にお題目を唱えていた。 丁度そういうと わかーう き、上品な若衆が銀の毛抜きを片手に、左の人差指にさ しさフじ さった小さなトゲを気にして、障子を開いてタ方の光の 中でそのトゲを抜こうと苦心していた。 母親はその様子 を見かねて、 ク / ク 0 / だいもく 4 「抜いてあげましよ、つ」 と、その毛抜きを持って、しばらく試みてみたけれど も、老眼の頼りなさ、トゲを見付けることができなくて、 困り切った様子である。お七はそれを見て、自分なら良 く見える眼ですぐに抜いてあげられるのに、とおもいな から、馴々しく近寄ることもできすにんでいると、母 親から「これを抜いてあげなさい」と声かかかって、心 かリんだ さっそくその手をとってトゲを抜き出すと、若衆はお もわずお七の手を強く握った。その手を離したくなかっ たが、母親が見ているとは情ない。仕方なく、離れたが、 そのときわざと毛抜きをそのまま持ってきてしまい、そ れを返さなくてはと後を追って若衆の手を握り返し、こ れでお互いの気持が通し合った。 お七は恋のおもいがつのり、 「あの若いかたは、どういうおかたなのですか」 なっしよばうず と、納所坊主に訊ねると、 「野雌三郎とお 0 しやる素姓正しいご浪人衆ですが、 それはもうやさしく情のふかいおかたです」 と教えてくれたので、一層恋心がつのり、恋文を書い てこっそり届けると、それと入れ違いに吉三郎のほうか らも胸のおもいを書きつらねた恋文を送ってきた。この : フ一し - う・あ・、 文の入れ違いで互いの心が分り、これを相思相愛の仲と いうのであろう。二人とも返事を書くまでもなく、浅か らぬ恋仲になり、よい機の来るのを待っているもどかし さは、ままならぬうき世である このようにして、大晦日は恋のおもいの闇に暮れてゆ なれなれ おおみそか

4. グラフィック版 好色五人女

0 「両手に花の若衆が姿を消す」源五兵衛の 庵に彼に惚れこんだおまんが若衆姿に身を やっしてやってきた夜遅く帰ってきた源五 せん 兵衛の両手には先のニ人の若衆の幻がとりす がっているおまんが出て行くと幻は消える 川舟を仕立て賑やかに遊ぶ若衆たち職業的 わ力、一从な 男色の相手としては役者の内でも特に若女 わかいがた 方・若衆方の美少年クラスがもてはやされた 月の頃で、男の姿に身を替え思い詰めた女ごころではあ すぎ るか はるばると来て人の教えてくれた杉林に入ると、 うしろには荒々しい岩がえ、西の方は洞穴が深い穴を 開き、その中に魂が吸い込まれそうである。朽木のあぶ なかしい丸太を二つ三つ四つ並べて渡した橋も恐ろしげ で、下を見れば川の急流が岩に砕けて飛び散り、魂がこ なごなになる気持。やっとわすかの平地に出ると、粗末 のきば な小屋があって、軒端にはいろいろの蔦かすらが這いか すいてき にわかあめ かり、葉末をしたたる水滴は、まるで俄雨のようであった。 のぞ 南側に明り取りの窓があって、中を覗いてみると下々 りゅうきゅうとらい の家で見かける「ちんからり」とかいう琉球渡来の焜炉 が一つ、まだ青い松葉が焚き捨てになっている。天目茶 わん 碗二つのほかには、杓子さえも見当らす、 「これは惨めなこと。こういう所に住んでいればこそ、 仏の、いにも叶、つことなのでありましよ、つ」 と見まわしたが、主人の法師の姿が見られない。おま んはがっかりしたが、何処へ、と訊ねる相手も松よりほ 力にはなく、帰るのを待っことにした。戸が開くのをよ しよけんだ、 いことに入ってみると、書見台に書物が置いてある。奥 のぞ しゅどう まつよ、 もろそて 床しいことと覗いてみると、「待既の諸袖」という衆道 おうぎ までもこの の奥義を書いた本であった。「それでは、い 道だけはお捨てにはならない」と、潦五兵衛の帰宅を待 ち兼ねていると、間もなく日は暮れて文字も見え難くな り、燈火をともす手だてもなく、しだいー、 こ淋しくなって きたが、 それでも独りでここで夜明しをしよ、つという気 持。それも恋なればこそ、こうやって我慢していること ができるのである。 はずえ かな っ てんもくぢや は コンロ

5. グラフィック版 好色五人女

いんとん 暉峻そう、決して隠遁しない 吉行ばくはその辺から考えて、裏側から書い たのかな、とちょっと思ったんですけれども。 暉峻あれはまともにがんばったんだと思いま す。作品の上で、何よりもテーマはテーマとして おもしろがらせようという了見、やはり談林の俳 諧ですね、あれは。そんな発想法だから、おもし ろいのは『一代男』の初めのほう、女が行水つか いながらマスタベーションをしている、それを世 ! ようず、一 女の行水を望遠鏡でのぞき見る世之介 之介が望遠鏡でのぞき見て、おまえあとでおれの ころにあるんですか。 わかしゅうどう 言うことを聞けと。あれは世之介がまだ九歳か十 暉峻若衆道です。 歳位ですよ ( 笑い ) 。 吉行そうすると、今おっしやったようにモラ 吉行あの描写は原文で何と、 しいましたか : ルがはいってくる、だから世之介が、女が何人、 たらいの「湯玉油ぎりて」あれはうまいですね。 男が何人とおおっぴらに言えるわけですね。世之 暉峻「それよりそこらもぬか袋に乱れて」な 介の場合は、最初は若衆から始まるわけですものね。 んてね。この九歳の坊やが、夜忍んで行くと女が 暉峻ええ、自分が若衆になる。 こまっちゃって、起きあがりこはしとかいろんな 吉行われわれの感覚からいうと、最初に掘ら おもちやを出してやる。そうすると「こういうもれちゃうと、人間の形成にエ合が悪いんしゃない のは、おまえとおれに子供ができたとき、泣きや かとい、つよ、つな感しを受けますけども、そ、つい、つ ますものにしよう。この起きあかりこばしが、そ のはあたりまえのきまり かまわないことだと。 なたに愡れたかして倒けかかる」といいながら、 暉峻男色、衆道が盛んになったのは、江戸、 じよう′」や 膝枕する ( 笑い ) あれがおかしい。 大阪、京都といった歌舞伎の常小屋のあったとこ ろです。町人の男色の相手は、大体歌舞伎若衆で わかおんながたわかしゅうがた 町人の男色の相 若女形と若衆形、これははたち前後まで。 手は歌舞伎若衆 若衆というのもこれが重労働なんですよ。小屋 は昼間ですから。芝居は大体明け六つ ( 午前六時 ) 吉行男色、これはいまの時代のホモセクシュ から始まって、夕方五時ごろまでです。役者買い アルとは、まるで違いますね。 をするやつは昼間芝居で見ておいて、あれがいい 暉峻全然違います。信長、秀吉の戦国時代ま しゅどう だろうというんで、日が暮れてから芝居町のそば ではほんとうの男色だった。だから衆道というこ の茶屋に呼んで、大体夜中過ぎまでつき合うんで とばが無いです。戦国時代の男色は、ほんとうは すから。ほんとうのセックスですよ。だからねえ、 代用品なんです。女房連れて行けないものだから。 役者はたいへんですよ。昼夜兼行。 戦なんか、ばちばちと二、三日で終わるものしゃ なんしよくおおかがみ ないでしよう。半年位がんばっている。その間大 西鶴の『男色大鑑』を見ていると、色若衆とい もりらんまる って、男色の相手として非常にはやるのと、あま 将の身の回りの世話をするのは、森蘭丸だとか、 こしよう りはやらないのかいる。はやるのはだいたいはた 前髪だちの小姓たちだけです。これは強くなけれ いざというときは、主君を守って討 ち前後で出家するか、さっとやめて、お白粉屋と か扇屋とかの風流な商売にうつる。あまり夜のは 死する。だからボディガードを兼ねた男色です。 うは繁盛しなかったけど昼のはうの芸が熱心なや ところが江戸時代になると、平和になってきて、 かかがた さむらいの男色は秩序がなければいけない。それ つは、今度は若女形から、嚊形という年増役に変 で衆道なんて言い出したんです。だから今度はモ 身して、 しく。こういうのは五十、六十位までがん ラル入りになってくる。 ばっています。 吉行衆道ということばの語源は、どういうと 吉行女形としてのルールがあって、男女関係、 なんしよく しろ 155

6. グラフィック版 好色五人女

髪型 元禄期の 6 一 元禄のヘャースタイルは、胡蝶の ようにかろやかで自由だ 遊女の髪型からして、後世のこ とく人工をきわめた堅油で塗りか ためた大形のものでなく、華やか さを意図しても、清楚であり、 般女性とのちがいが、それほどは 目立っていない。年齢、身分によ さげがみ って、下髪とか御所風とか町方の ちがいがあるが、傾城町の髪にや はりいろいろと工夫がみられる。 こうド、はげ 嶋田とか笄髷とか兵庫など後世ま で、その影響を残している。 男性も、女性に負けぬぐらいス タイルをもっているのも、さすが に伊達風を誇った元禄時代の風潮 を反映している。それでも女性に 比べて、年齢・階級のちがいが厳 しいのが髪型にも現われている しかしなんといっても、若衆美を 誇示したものに変化もあり種類も 多いのが、元禄の特色で、 治な若衆たちの髪型に対して、成 人の男性の髪が、やや粗野で、野 性味を残しているのも、奴風が喜 はれたこの期の特徴である。 さかやき 浪人風の月代を立てた立髪に頬 ひ : イ 鬚や、奴僕の坊主頭に近い糸鬢に かまひげ 鎌鬚、金持ちの大尽さえ月代を大 やろうあた一 きく剃った野郎頭であったから、 遊里に遊ぶときなどは大黒頭巾を かぶったのである。 ( 郡司正勝 ) さげがみ 〔下髪〕上流階級の女性の髪お すべらかしにちかい長い髪を下げる 〔若衆〕十六、七歳位までの前髪に 〔禿〕遊女につく 女児の髪子供ら しくもませている 〔嶋田〕 一般女性も遊女もひろく 用いた髪型いろいろな種類がある たて等 〔立髪〕成人男性のやや気負った スタイル六方風の伊達男が好んだ 〔遣手〕遊里で遊女と客とをとり もった仲居・遣手などの年増の髪型 164

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はこの上なく喜び、 「あなたはどういうご出家なのですか」 いちしじゅう と訊ねたので、われを忘れて一部始終を話すと、少年 は心を乱して涙ぐみ、 しゅしよう 「そのための御修行とは、一層そのご殊勝な気持をお察 そまっ しいたします。今夜はぜひ、粗末ですがわが家にお泊り ノ \ たさい」 と引とめられたので、なれなれしく連れ立って行くと、 こんもり茂った森の中にきれいな邸宅があって、馬のい 寺不狽、カ ななく声がする。武具を飾った広間をすぎると、家リ えんがわ 脇息にもたれくつろいで本を読む若衆 ! ようそく 第、 - ま・ささ わたりろうか ており、熊笹かむらがっ ら渡廊下がすっと向うまで続い から・はし」 し」りか ~ 」 ているその奧に大きな鳥籠があって、はつがん・唐鳩・ きん ' 金鶏などの鳥のさまざまな鳴声がしている。やや左手に 四方を見晴す中二階があって、棚の書物も奥床しく、こ こは普段の書斎ということで、この部屋に坐ると、召使 の誰彼を呼び寄せ、 「この旅の僧は、わたしの素読のお師匠さまであるから、 大切におもてなしするように」 、エうお・つ い、かずかすの饗応のあげく、夜になると、しめ と一一一口 ちぎりかわ しゆい、・フ いっとなく衆道の契を交し、この一夜 やかに語り合い を千夜にもしたいと心をくだいた。 夜が明けると、別れを惜しみ、 こころざし こ - フやも - フ 「せつかくの高野詣でのお志ですからお引きとめしませ んが、お帰りのときにはかならすもう一度お立寄り さい」 と、堅い約束をかわし、互いに涙をこばし合い、人目 に付かぬようにその邸を出て、・村人に訊ねると、「これ はこの地の御代官のお邸」と、くわしく話してくれた。 さてはそういうお方かと、少年の情うれしく、うしろ髪 ひかれるおもいで都にのばる足もはかどらす、死んだ八 わかーう 十郎を思い出し、またあの若衆のことばかり思い出して 仏の道はそっちのけになったが、ようやく弘法大師の みやま しゆくば - フ 御山に登り、南谷の宿坊に一日滞在しただけで、奥の院 さんけ にも参詣しないで、故郷鹿児島に帰った。そして、約束 したあの若衆のところへ行くと、この前見た姿のままで 出迎えてくださり、一室に入って、つもる話を語り合い やしき おくゆか

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ひきやく 過ぎに、飛脚に届けさせた小判、さては、田舎の遊び馴 、ろざと れぬ男なのであろう。なににしてもこの色里は、ああい うものをやらないではどうにもならぬ所だ」 と、思っているうちに、揚屋の女房がひねり文に五両 ほどの金を持ち添えて、 はんく 「わたしの方へも半九様よりお手紙をいただきました。 やり 御返事のときによろしくお礼を申してくださいませ。遣 手まかせで金にかまわないのは昔の事、今の二十両は、 昔の二千両にも当ります。殊に北国の方はそういう手紙 じまん ひとまろつらゆき を自慢してみせびらかして、人麿や貫之の筆よりも、貴 ~ ら女方の書捨てられた物を大切にし、紙がいたむのを嫌い 裏打ちして巻物になさるとか。それに引きかえ、京の方 なかやど 方は手紙など終りまでお読みにならす中宿に放って置か ひきうす れ、それが挽碓の敷紙になって、太夫さまのお名を小麦 りふじん の粉によごすのも理不尽なことです。それに又、今頃の きぐらい だいじん 京のお大尽は気位が高いばかりで金になりません。どの 道勤めのお身としては、男ぶりの選り好みはおやめにな たとえ訛がひどく、遊び馴れてはいなくても、こう いうお手紙を下さる方が、お大尽なのですよ。だいたい じよろ、つ 粋というのはお女郎がたの得にならぬもので、すいぶん おとこじまん しゃれ 辿一 洒落た男自慢の人は、京大阪堺にもたくさんいますがね、 あげや 無分別に金を使い果し、しまいには、揚屋の門ロも具合 まわ が悪くなって、廻り道をして通るようになるのは、生れ じよろうぐる ろ一巾 . もロ ついてのたわけ者です。女郎狂いだけにしておけば末な わかしゅう がく遊ぶこともできたのに、若衆にまで色の道をかけ、 しんだい ぶち むざむざ身代をつぶし、若い盛りにあてがい扶持の生活 になってしまう。うしやらうじゃらと生きていて、なん たゆう ぶみ すえ 130

9. グラフィック版 好色五人女

「笛吹く息も哀れや絶えぬ」薩摩の国鹿児 島は武張った土地柄で男色の風が盛んであ る美男子源五兵衛は今夜も長年愛してき た若衆と笛を吹きつつ春の一夜に共に歓を あけがた 尽すしかし突然明方に若衆は死んでしまう な人しよく ど、、・う おりかけどうろう 折掛燈籠の火がばんやりともり、読経の声せわしく、迎 おがら え火に燃やす苧殼の光も消えた十四日の夕暮時、お寺も よ・フしゃ 借金は容赦せす取立てる声がうるさく、 門一則い ~ は盆踊り・ の太鼓がひびきわたる。ここもまた、俗つばくて嫌にな こうやさん 、そこで一度高野山へお詣りしようという気持になり、 すみぞめころも 翌日の七月十五日、故郷を出発してからは、墨染の衣も 拭、つ涙で白茶け、袖は朽ちるほどになった。 もろ 脆い鳥差しの命 はぎ ふゅごも 村では冬籠りの用意をして、薪に枯れ萩まで貯え、雪 の降らぬうちに雪除けなどこしらえ、北向きの窓を締め ころも 切り、衣打っ砧の音もやかましかった。野外に出てみる り、ら と、紅葉した林に塒あらそう小鳥をめがけて、十五か六 水色の 十七にはまだならぬ少年が鳥差しをやっていた。 きんつば ちっはばおび あわせかたびら 袷帷子に、紫の中幅帯を締め、金鍔の脇差を一本差し、 むぞうさ ちやせん 髪は無造作に茶筅に束ね、その豊満な美しさはまるで女 のようである。 ざお もち竿の中ほどを持って構え、いろいろの鳥を幾度も 狙うのであるが、一羽も捕えることができなくて残念そ うな様子である。しばらく見とれて、さても世の中にこ んな美少年がいるものか、年の頃は亡くなった八十郎と 同しくらい、美しさはそれを上まわるものである、と道 しん 心も忘れて日が暮れかかるまでその少年を眺めていた。 かたわら とうとう、その傍に近寄ると、 「自分は出家の身だが、鳥を差して捕ることが上手です。 さお その竿をこちらへ借しなさい」 と、片肌を脱いで、 「そこらの鳥どもめ、この少年のお手にかかって命を捨 しゅレ ( ・フ てるのが、なんで階しいのだ。し ) やはや、衆道を知らぬ ぶすい 無粋者め」 わかーゅう と、僅かな間に、沢山の鳥を取って上げたので、若衆 わず わきざし

10. グラフィック版 好色五人女

森田座の楽屋で出の仕度をする歌舞伎若衆 ( 西 鶴作「男色大鑑』のさしえより ) 人々の男 色に対する関心は現代人よりすっと強く男 色は公然と行なわれていた色子である役者 の姿絵入評判記がひつばりだこで読まれた なんしよくおおかがみ あさっゅ る寺で暮し、朝露の置いた草花をせめては草葉の陰の人 しー。う かのこしば にヤ向けよう」と、刺繍や金銀箔のある衣装、鹿子絞り の衣装を出し散らかし、「これも不要のものだから、寺 きしん てん力い に寄進して天蓋・幡・敷物にしてもらおう」と、ロでは 言いながら、その着物の袖が小さくて流行遅れになって いるのを気にしている。世に、女ほどおそろしいものは そらた去・だ ない。何事でも、引止める人のいるところでは、空涙を 流してその手を振払おうとしてみせる。そういう次第だ から、世の中に化物と後家を立て通す女はいないのであ のち る。まして、男が女房を三人や五人死なして、さらに後 ふう 添いを迎えても悪いことではあるまい。そういう世の風 にゆ・つ ) こ - フ - わかー ) ゅ、つ 潮とは違い、源五兵衛入道は若衆に二人まで死なれると 0 「 ほだい いう悲しい目にあい、真実の菩提心から、人里離れた山 そうあん ごせあんらく 陰に草庵をつくり、後世安楽の道だけを祈り、色恋の道 しゅしよう をふつつりやめたのは、まことに殊勝なことであった。 さつま りゅうきゅうやなにがし その頃、薩摩の浜の町というところに、琉球屋何某の 娘におまんというものがあった。年の頃は十六、十六夜 の月も妬むほどの美しさで、気立てもやさしく、色気ざ かりの最中、その姿を見た人でおもいをかけぬものはな , 刀た この娘は、去年の春から源五兵衛の男盛りの美しさに 愡れ込んで、たくさんの恋文に思いのたけを書き込み、 人目につかぬようにこっそりと届けた。しかし源五兵衛 は一生女色を思い切り、ちょっとした返事さえ寄越さな いのを悲しくおもい、日夜恋のおもいばかりで暮してい た。あちこちから縁談を申し込まれるのが嫌で、とんで びよう もない仮病を使い、人の嫌がるうわ言など言って、まっ たくの気違いに見えた。 源五兵衛が出家したのも知らなかったが、あるとき人 が話 しているのを聞き終りもせすに、 「それは情ないこと。いっかよい折に このおもいを果 すみぞめ そうとたのしみにしていた甲斐もなく、その人が墨染の ころも 衣に姿を変えてしまったのはうらめしい。ぜひその人を 探し出して、一言この恨みを言わなくては」 と思い立っとすぐに、これが浮世の別れと、人々には 深く隠して、自分で程よく髪を切り、月代を剃り、衣類 わかしゅう も前もって用意してあったものか、うまうまと若衆に身 を替えてこっそり出かけて行った。恋のために、女の身 やまじ ねざさ で馴れぬ山路を、根笹の霜を払いながら歩いてゆく。十 さかやき