坂口 - みる会図書館


検索対象: バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)
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1. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

に、近くの公園まで行く。公園の入口に公衆電話があって、人通りも多くない。 「俺が出ようか ? 坂口はいった。冷たいが余裕のある声だった。 「出てもいいよ。出て、彼にし 、、こ、。俺は坂口だ。ずっと円を愛して来た。今も、これ、 らも愛して行きたい、って : 円は坂口を睨んでいった。 「それなに ? 脅迫なの ? 」 「いわれては困るかい」 知らなかった坂口の一面を教えるように、坂口のロもとに薄笑いが広がった。 くち′」も 円はロ籠った。 困らないわ、少しも。 といいたかった。しかし何も知らない修次は、それを知ったら円から離れて行くだろう、 と円は思った。修次がその程度しか円を愛していないということではなく、修次はそうい 男なのだと円は思う。 電話は鳴っている。坂口が見つめている前で円の手は受話器を取った。 「もしもし」 公衆電話の信号音が終るのを待ちかねたように、せつかちな、心配そうな修次の声がい にら

2. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

298 つづく少年たちの力にならなければなりません。それは私たちの務めだと思います : : : 」 台本を閉じると、円は暫くの間、・ほんやりと椅子に座っていた。九十分の放映時間をこん なに長く感じたことはなかった。 「お疲れさま。じゃ、お先に」 と大矢が声をかけて立って行った。ミキサー室からの階段を坂口が降りて来る。出来映え に満足した時に見せる、ステップを踏むような足どりだ。円はす早く立ち上ってスタジオの 出口に向ったが、廊下へ出たところで大股の坂口に追いっかれてしまった。 「なかなかよかったよ」 坂口はこの前の電話のことなど忘れたように機嫌のいい笑顔を見せる。 「最後のシメがきいてたな。やつばり、君の郁也への真情が出てるんだ。こわいもんだね。 大矢が百万一言費したって、胸にズシーンと来ないもんな。要は真情があるかないかなんだ な」 坂口はずんずん歩いて行く円に歩調を合せながら、笑いを含んだ低声で囁いた。 「怒ってるのかい ? まだ」 黙殺しようと思いながら、つい、円はいってしまった。 「怒ってはいません。ただ自分が情けないだけー 「情けない ? 何が ? こ そむ と顔を覗き込む。機嫌をとろうとする時の坂口の癖だ。円はその顔から露骨に顔を背けた。

3. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

107 ライノ 「だから愛しつづけます : : : 」 画面にあでやかに微笑した円が大写しになっている。まるで報われぬ恋を抱きつづけるこ こうぜん とを誇るかのように、昂然と頭を上げて、カメラを見返した。 「さすがねえ、矢部円。意表をつくわねえ : : : 」 ためいき 民枝は溜息をつき、 「でも嘘じゃないわね。あれは本音ね ? たいした人だわねえ : : : 」 修次は黙ったまま答えなかった。 同じ頃、円は旭と一緒に自宅の居間で同じテレビを見ていた。その録画は去年の十二月、 押し詰ってからのもので、円が一方的に修次に電話をかけた翌々日の録画である。画面の円 の目がキラキラしているのは、修次に拒絶された口惜しさのためか、燃え上った負けん気の ためだろう。愛情を告げた相手から冷やかな気持しか持たれていないとわかった途端に円は カッとなった。落胆するよりも逆に燃え上ったのだ。傷口を癒すためには引き籠ってじっと 耐えるよりも、戦闘的になる必要があった。そしてそうすることが却って傷口を広げるかも しれないのに、苦痛に駆られて暴れ廻る獣のように振舞ってしまったのだ。 「どうしたの、お姉ちゃん、こんなこといって : : : 坂口さんと喧嘩でもしたの ? 」 テレビを見ていた旭が驚いたようにいった。坂口は年の暮から来ていない。彼は妻と二人 の子供を連れてハワイへ行った。

4. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

げる時間だ。それで旭は金曜日には、突然坂口が訪ねて来てもいいように、坂口の好きなサ ーモンを買い、ワインも用意しておく。坂口はときどき円の寝室に泊って行く。二晩つづけ て泊ったことがあったが、坂口が帰った後で円は旭にいった。 「あーあ、やっと帰ってくれたわ ! 男がいるとうっとうしいわねえ : : : 」 うっとうしい、という一一一一口葉に旭はびつくりした。坂口が思っているほど、円は坂口を愛し ているわけではないことに旭が気づいたのはその時である。 「お姉ちゃん、もう坂口さんに飽きたの ? 」 旭が訊くと、円はいっこ。 「飽きるほどはじめから打ち込んでいないわ」 それで旭の、坂口をステキだと思う気持に少しヒビが入った。そしてその代りに坂口を気 の毒に思う感情が新しく生れた。それで旭は坂口が来ると、以前にも増してサービスをよく するのだった。 今日は金曜日だから、旭はサーモンを買い、料理の本を広げてタンシチ = ーを煮込んでい た。円が帰って来て、またシチューなの、という。 「だって、今夜は坂口さんが来るんでしよう ? この前 シチュー作ったら、おいしいって 喜んでくれたもの」 「名プロデ、ーサーってのはね、初心者をおだてるのがうまいのよ。でもそれははじめのう ちだけ : : : 」

5. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

「私はイヤです。絶対にイヤ。お断りするわ」 興奮のあまり涙が滲んだ。その涙の向うに坂口の呆気にとられた顔があった。円はどうな ってしまったんだ、何が起ったんだ、とただ驚いている。その坂口が急に気の毒に思えた。 円の気持はとうに彼から離れている。いや、離れているというよりも、最初から密着したこ とはなかった。坂口の妻に嫉妬を覚えたことは一度もない。 この人は奥さんとのときも、こんなことをするのかしら、と彼の愛撫を受けながら思った ことはあるが、そのために心が乱れることはなかった。二人でいる時の坂口よりも、局の中 おおまた を大股にあちこちして、大声を上げている坂口の方が好きだった。確かにそんな坂口は魅力 的な男といえた。彼にを力がある。円が惹かれたのは多分その力に対する自信だった。だが 今は彼の力は円の鼻につく。 「お断りするって、君 : : : 」 坂口はいった。君には断る権利があるのか、とあとの無一一 = 口がいっていた。 「命令ですか ? 」 と円はいっこ。 乱「今は相談の段階だがね」 坂口は穏やかにいって、改めてこの事態を考えようとするように煙草に火をつけた。 「今は相談の段階だけど、次第によっては命令に変更するーー ? 」 坂口は答えすに、ゆっくり煙草の煙を吐き出して目で追った。 しっと あっけ

6. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

こうのって、批評は出来ません : : : 」 番組終了後の反省会で、円は終始沈黙していた。 「矢部くんはどうもここんとこ光彩がなくなってるな」 ディレクターの片桐にいわれたが、それにも黙っていた。 : これはすごい特ダネなんだから、それに対してもっ 「郁也は児玉博道のタネでなかった : と、受け手がエキサイトしてくれなきや、七郎さんだって立っ瀬がないよな」 坂口はロを引き結んで片桐の一 = ロ葉を聞いていた。片桐の意見は当然だと坂口は思っている。 しかし坂口には、黙っている円の心のうちがわかる。円は郁也の出生の秘密を天下に晒した 大矢七郎に腹を立てているのだ。円が腹を立てる気持も坂口にはわかる。 しかし、それがわかるからといって、坂口は円を認めることは出来ない。大矢七郎が今日 投げた小石は、来週は高い視聴率となって返って来るからだ。この仕事にたずさわっている 以上、それがすべてではないか。 ないのか 「君はいったい、やる気があるのか 坂口はそう いいたかった。だがいおうとすると加納修次の顔が浮かんだ。坂口の批判はも 乱う円の胸には届かない。それが無駄であるからというだけでなく、そういうことによって円 がいっそう離反して行くのが坂口にはわかっているのだった。 混 その夜、坂口は前ぶれなしに円のマンションへ行った。もしかしたら修次が来ているかも しれないと思ったが、それでもいいと思った。この何年かそうして来たように、タクシーを

7. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

「坂口さんはどうなるの ? 」 その言葉が聞えなかったわけではないが、円はまるで何も聞えなかった人のように口を噤 んで・ほんやり旭を見返したままである。 「坂口さんをどうするつもりなの ? 」 旭はくり返した。そうして円の表情にしっと眼を止め、 「お姉ちゃん、坂口さんを裏切ったのね」 低く非難するように呟いた。 「坂口さんと別れるつもりなの ? それとも : : : 」 別れないで欺しつづける気なのかという質問を、旭はロに出来なかった。 「お姉ちゃん、しつかりしてよ」 旭はべッドに近づいて来て、円と並んで腰かけた。 「坂口さんが今までお姉ちゃんにしてくれたことを考えた ? 坂口さんのおかげでお姉ちゃ んはスターになったんじゃないの。お姉ちゃんはいつもそういってたわね ? ここまで来れ たのは自分の力だなんて思ってないわって。自分の力があるとしたら二〇。ハーセント、あと 乱の八〇。ハーセントは運とそして坂口さんの力だって」 「そういったわよ。今でもそう思ってるわ。いや、自分の力なんか二〇。 ( ーセントもない、 五パーセントか一〇パーセントだと思ってる なお 「そんなら尚のことよ。坂口さんへの恩義ってものを」 だま

8. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

る。円は加納修次に洗脳されたのだ。坂口はそう思う。それまでの円は自分の才能に誇を持 っていた。この仕事が気に入っていた。この仕事を天職だと思っていたから、彼女にとって 恋愛は二次的なものだった。円が坂口にヤキモチをやかないのは、恋よりも仕事の方に気持 を奪われているからだーー坂口はそんなふうに理解して彼女と自分の間柄をそれなりに満足 していたのだ。 今の円は少しも倖せでない : 坂口は円にそういってやりたかった。君は気がついていないけれど、倖せじゃないんだよ。 自分では倖せだと思っているかもしれないが、しかし倖せじゃない。俺にはそれがわかる 円が輝いていないのは、自信を失ったからだ、と坂口は思う。円は自分の才能などたいし た価値のないものだと思うようになり、この仕事を無意味たと思うようになっている。 坂口はそう指摘したかった。しかし円がそうなったのは、加納修次への恋のためであるこ とを思うと、坂口は言葉を失った。もう坂口の神通力は通用しなくなったのだ。円は坂口を 愛さなくなっただけでなく、批判的になっている。彼が児玉博道のコメントを取りたいとい 乱った時の、円の目の色がそうだった。 「それにどういう意味があるんでしよう ? 」 他人行儀に、呟くようにいった。そんないい方もかっての円にはなかったものだ。 「一度、ゆっくり話そう」

9. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

256 泣きじゃくる円を胸に抱えたまま、坂口の欲情は萎えて消えて行った。それでも坂口は円 の顔を上げさせ、唇に唇を押しつけた。円は素直にそれを受けたが、坂口が唇を離すと茎の 折れた大輪の花のようにまた、もとの胸の中に崩れ込んだ。坂口の唇に、円の涙の味が残っ 「加納は : : : 」 仕方なく坂口はいっこ。 「加納は河合花子と、恋愛してた時があるのかい ? 」 円は黙って首を横に動かした。 ぼくねんじん 「それなら何も心配することはないしゃないか。だいたいあの男は朴念仁だから、そう器用 なことは出来ないだろう」 坂口は自分の妙な役廻りにしらけながらいった。 「でも、親しくしてたわー 駄々をこねる子供のように円はいっこ。 「加納さんも決して嫌いじゃないわ」 「だって、二人は仕事で行ってるんだろう ? 温泉へでも行ったというのならともかく 嗄れた声でそういうと、円は坂口の胸にかじりついて、声を上げて泣いた。 しやが

10. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

216 そういうと、大矢はじゃあ、待ってますから、といって、電話を切った。 円は坂口を見た。坂口はもう立ち上っていた。 「児玉数子が死んだんです。自殺ですって」 坂口は電話の前に立って、ダイアルを廻した。 「少し間を置かないと、怪しまれるわよ」 「なに、大丈夫だ : : : 」 「でも : : : 早過ぎるわ」 円はいったが坂口はかまわず、もしもしといった。 「あ、大矢くん、坂口だ。児玉数子が死んだんだって ? 」 「訪ねて行った人間が見つけたらしいんですよ」 「やったのは何で ? 」 「ガス。見つけた時はもう駄目だったそうですよ。それがね、もと・にいた加納修次っ て男なんです」 「加納が ! 」 坂口は大声を上げた。 「加納が見つけた ? 」 「ぼくの弟が警視庁詰の新聞記者でしてね、今しがた報らせてくれたんです。委しいことは 追って報らせて来ると思いますがね。明日の『円の朝』に間に合うようにと思って : : : 」 くわ