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検索対象: バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)
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1. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

制にはり切った顔になった。急に幼く、ひたむきになったのに驚かされた。 「この頃は、事件が起きると皆で寄ってたかって原因を分析するんです。ほじくって分析し て、あれが悪い、 これが悪いと指摘する。多分、その指摘の幾つかは当っているのでしよう。 しかし、指摘が当っていたとしても、問題はその先にあるんです。ではどうすれ。よ、 ということですよ。そのことについて誰も考えない。考えているのかもしれないけれどわか らない。わかっていてもいえない そういう修次を、喰いつくように凝視していた円の目が浮かぶ。 「今のマスコミは枝葉の情報を流し過ぎて、人が考えるのを邪魔するんです。考える前にみ んな、興味本位に流されてしまう。何となく考えたような気になって、批評ばっかりして、 自分は何をすればいいのかということについて考えるのを忘れてしまう : : : 」 円は無言だった。その無言は何よりも、修次の言葉がまっすぐに染み込んで行っている証 拠のように思えた。 「ほくが・をやめたのはそんな自分に気がついたからです。テレビメディアの中で飯を 食っていて、それに反対する理念を口にしているわけこよ、 冫をしかないんです」 修次は大きく肯く円に、言葉を重ねた。 「今はみんなが、食べて行くためにそうするんだ、といういし 、わけを口にしては、ごま化し てやっている : : : 食べて行くため : : : 」 修次は次第に情熱的になって行く自分を感じながら、止めようのない力に押されていって

2. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

えただけで胸苦しくなる。 「昨夜からおかしいね。どうした ? 何かあったの ? 」 坂口は円の髪を撫でながらいった。 「何もない : 「ただ ? なに ? 「イヤになったのよ : ・ 口から出まかせをいった。 「イヤになった : : : 何が ? ・ほくたちの関係かい ? 「ちがう。仕事 : : : 」 「仕事 ? どうしてさ。順調に行ってるじゃないか。スポンサーは気に入っているし、そり や、視聴率は上ったり下ったりするさ。そんなことを気にする君でもないだろ、オレが君に イチャモンをつけることだって、あれはスタッフに対するデモンストレーションも多分にあ るんだから : : : 」 「でも、つまんないの : : : この頃ね、ラジオの・やってる時の方がよっ。ほど楽しかった とよく思うのよ。あの頃は生身で勝負してたわ、自分でも生き生きしてるって実感があった ロ減 の。それがテレビに来てからは、へんにおとなになったっていうのかな : : : つまりいいカ にやってるのよ。いしたいことなんか何もいってない。私はいうなら、お取り次ぎの役よね。 あなたが考え出して、ディレクターが作ったものを、私は視聴者に取り次いでるだけだもの

3. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

199 雪の夜 「お邪魔してもいいでしようか。上らせていただいても」 「どうそ」 無気力にいって右手のドアーを開けた。 「家政婦もいませんし、私、ひとりきりですの : : : 毎日、朝から晩まで待っているんです。 電話を : : : 」 誰の電話を待っているのか。郁也からの電話か、夫からの電話か。愛人の立川からか。 「郁也くんは。ほくの友人の河合という女性の家へ移ってもらいました。この人は・テレ ビの女性アナウンサーですが、一人暮しだし、とても面倒みのいい、優しい人なので郁也く んには悪くないと思うんです」 「まあ、そうですか。いろいろご心配かけて : と頭を下げたが、なぜ修次の所から出ることになったかについては訊ねない。 「元気にしておりますか ? 」 とってつけたようにいっこ。 「ええ、元気です。大分落ちついて来ましたが、火事の件はやはり自分がやったんじゃない、 といいつづけてます : : : 」 「そうですか。本当でしようか」 「奥さんはお信じになれませんか ? 」

4. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

優しくせずにはいられなかった。醜い顔は涙が嘘ではないことを語っているように思えたか ら。こっこ。 まだ夜明けには間があったが、修次は布団を蹴るようにして起きた。女のことで気持を乱 された自分が情けなかった。 電話の音に修次はまどろみから醒めた。机に肘をついた格好のまま、両手で頭を支えて眠 ってしまっていたのだ。僅か五分か十分のことだった。その間に夢を見ていた。花子と結婚 している夢だった。海浜のホテルにでもあるような広い芝生を眺めながら、コーヒーを飲ん ちょう でいる。芝生の上を白い蝶がいつばい飛んでいる。いつの間にか花子が横に座っていて、唇 にワインカラーの口紅を塗って修次にしなだれかかっている。 「ねえ、しあわせ ? ねえったら : : : しあわせ ? 」 ああ、・ほくはとうとう、この女と結婚したんだな、しかし花子はこんな色の口紅を塗るよ うな、そんな女だったのか、と思っている。 その時電話のベルが聞えた。 「もしもし、加納です : たゆと 眠りの余波がまだ頭の中に揺蕩うているために、その声はくぐもっていた。花子の夢を見 ていた時だから、花子からかもしれないとぼんやり思った時、 「私です。矢部です」 という低い、機嫌の悪そうな声がいった。 わす

5. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

いになるの ? と訊いた : : : 修次は降りつづける雪の中を歩きながら、何度もそのことを思 きつもん った。あの時、円の顔はまるで修次を詰問しているようだった。一片のごま化しも見逃すま いとしているように、怒ったような鋭い視線をまっすぐ、修次に当てていた。修次は思わず にはいられない。 きれいたった、と。 なぜ私を信頼するのかと問われて、修次が答えられなかったのは、その顔に惹きつけられ て一瞬、我を忘れたからだった。その修次に円はたたみかけるようにいった。 「私があなたを愛しているから ? 」 円は黙っている修次にじれたように、目を光らせてもう一度いった。 「私が愛しているからですか ? 」 「そんな : : : つけ込むようなことは : : : 」 ぶざま 修次はその自分の返答の不様さを思うといたたまれなくなる。円はいった。 「ーーでもいいの、つけ込んで下さい 何という女だろう、と修次は思わずにいられない。円と会うたびに修次は意表を突かれ、 年その分、惹き寄せられる。円と対すると無愛想になるのは多分そのためた。 円は郁也の母を追うことはやめる、と約東してくれた。しかし、それは、一介のテレビキ 少 ャスターには至難であることは修次にもわかり過ぎるほどわかっている。 でも大丈夫、頑張るわ、と円はこともなけにいった。まるで中学の運動選手みたいに単純

6. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

聞えなかったのは旭が悪いからじゃない。。 タイアルを廻すのに夢中になっていた円の方が 悪い。円にはそれがわかっていた。 がくぜん これが嫉妬なんだ、と思い、円は愕然とした。 私が嫉妬している 今まで円は、自分の中にそんな醜い情念が隠れているとは夢にも思っていなかった。どち らかといえば、淡白な性質だと自分では思っていた。そんな自分が気に入っていた。学校時 うらや 代もラジオの・時代にも、他人を羨んだり嫉んだりしたことは一度もなかった。人に負 けまいとして必死で努力したことはなかった。自分なりの自然さでやっていれば、それなり に認められてきた。ひとのことは気にならなかった。坂口がいったことがある。 「君の魅力は女つ。ほく濁っていないところたなあ。竹を割ったようなところがある。そこが いいんだ」 それから坂口はこうつけ加えた。 「しかし、男と女の関係になるとね、そこがよくもあり、もの足りなくもあるんだなあ。っ まらない愚痴や蔭口をグジャグジャいわないという美点がね、その美点が、いったん恋人と いう関係になると、ラクなんだけれども、もの足りないんだなあ・ : : 。たまにはヤキモチく らい妬いてもらいたいとね、男としては思うんだよ : 勿論、贅沢な不満なんだけどね、とつけ加えながら坂口はいったのだ。 だがその円が今、嫉妬に巫られてダイアルを廻していた。同じことを他の誰かがしていた ぜいたく しっと ねた

7. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

る。円は加納修次に洗脳されたのだ。坂口はそう思う。それまでの円は自分の才能に誇を持 っていた。この仕事が気に入っていた。この仕事を天職だと思っていたから、彼女にとって 恋愛は二次的なものだった。円が坂口にヤキモチをやかないのは、恋よりも仕事の方に気持 を奪われているからだーー坂口はそんなふうに理解して彼女と自分の間柄をそれなりに満足 していたのだ。 今の円は少しも倖せでない : 坂口は円にそういってやりたかった。君は気がついていないけれど、倖せじゃないんだよ。 自分では倖せだと思っているかもしれないが、しかし倖せじゃない。俺にはそれがわかる 円が輝いていないのは、自信を失ったからだ、と坂口は思う。円は自分の才能などたいし た価値のないものだと思うようになり、この仕事を無意味たと思うようになっている。 坂口はそう指摘したかった。しかし円がそうなったのは、加納修次への恋のためであるこ とを思うと、坂口は言葉を失った。もう坂口の神通力は通用しなくなったのだ。円は坂口を 愛さなくなっただけでなく、批判的になっている。彼が児玉博道のコメントを取りたいとい 乱った時の、円の目の色がそうだった。 「それにどういう意味があるんでしよう ? 」 他人行儀に、呟くようにいった。そんないい方もかっての円にはなかったものだ。 「一度、ゆっくり話そう」

8. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

「私たち : : : どうなるのかしら」 つぶや と呟いてしまった。 「え ? と修次が訊き返すのに、 「いつまで : : : 」 とロの中でいった。 「なに ? 」 「ううん、ごめんなさい : : : 何でもないの、独り言 : 「どんな独り一言 ? 聞かせてほしいな」 「あのねー 円は思わず、取り縋るような気持になって修次の腕に手を置いていた。 「今、ふと思ったの。私たち、いつまでこうしていられるのかしらって : : : 」 修次は黙ったまま、左腕にかかった円の手を右手で軽く握った。 ろ「ぼくは以前、自分が軽蔑していた男と同じことをしてる : : : 」 暫く黙っていた後で、修次は呟くようにいった。 の 顔「あの連中はよく平気でああいうことをしていると思ってた : : だが、自分がそうなってし まうと、案外、苦しまないんだなあ : : : あの連中は毎日、どんな気持で女房と顔を合せてい るんだろう、たまらないだろうと思っていたんだが、自分がそうなってみると、思ってたほ ようや けいべっ

9. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

たこともあった。そのうちに円はディスクジョッキーの花形になっていった。「いい間違え の達人ーといわれながら、なぜか人気が出たのだ。生れ故郷の北海道弁を半ば意識的に使っ まじめ たのも、若者に親しまれた原因のひとっかもしれない。若者の投書に対してクソ真面目に答 えているうちに、突然ストンと冗談になっている。面白半分ふざけているのが、いつの間に かムキになっていて、説教をしている。熱烈な若者のファンが出来た。 坂口はそんな円に強い関心を抱くようになった。はじめて女に惚れてしまった、と酔うと いうようになった。坂口は円のすべてを自分のものにしたい 、といった。円が坂口を許した のは、彼が円を欲しがって子供のように懇願したからだ。 もしかしたら、彼が大男だったからかもしれないわ、と円はこっそり思うことがある。 大男が懇願する姿には、 いうにいえない哀感があるものだ、と。 君をオレの手でスターにしてみせる、いや、させてくれ、と彼はいった。オレのいう通り にしたら、間違いなく、必ず君はスターになれるのだ、といった。若者向けの週刊誌や芸能 新聞などから、写真やインタビ = ーの依頼がたえず来るようになったが、坂口は円にそれを 断らせた。 「あんまり安売りするな」 というのがその頃の彼の口癖だった。テレビ界にデビーする時に新鮮さがないと困る、 と彼はいうのだった。矢部円とはどんな女か、どんな顔をしているのか、声と才気のファン が、それを知りたくて我慢出来なくなるまで、そいつはしまっておかなくちゃ、と彼はいっ

10. バラの木にバラの花咲く (集英社文庫)

306 花子は立ち上り、 「私から加納さんに、今のこと伝えておきますわ。多分、今夜も電話があると思いますから。 円さんに連絡をつけるように、っていえばいいんでしよう ? 」 うなす 惨めな敗北感の中で、円は肯いていた。 昨夜から降りつづいている梅雨の雨が漸くやんでいこうとしているのか、やんだ雨がまた あんうつ 降り出そうとしているのか、灰色の暗鬱な空が大きなガラス窓に貼りついていて、昼か、タ 方か、それとも夜明けなのか、円にはわからない。 そうだ、局へ行かなければ、と跳ね起きようとして、今日が日曜日であることを思い出し た。そしてべッドに寝ている自分が、昨日のワン。ヒースのままであることに気がついた。 明け方近く酔って帰って来て、シャワーも使わず、着替えもせず、カーテンも引かずにそ のままべッドに倒れ込んで寝てしまったことが思い出されて来た。時間を見ようとして寝返 じようはく よみがえ りをうっと、右の上膊に鈍痛を覚えた。突然、鮮明に記憶が蘇った。右腕の鈍痛は坂口と あか 揉み合った時に傷めたものだ。坂口の酔いの出た赭ぐろい顔が近づいてくるのを、力いつば い押し退けた。その腕を坂口が捻じ上げたのだ。 おっくう 坂口と二人で何軒の酒場を飲んで廻ったか、思い出そうとするのも億劫だ。坂口に誘われ て「フランス亭」で食事をしたのは、もしかしたら修次のことを聞けるかもしれないと思っ