る目的にしている。掃除のおばさんまでがいった。 「円さん、視廰率、・を抜いたんたってね、おめでとう : : : 」と。 「マスコミとはゼニで転ぶ商売だよ」と坂口が笑いながらいったことがあった。「泣く子と スポンサーには勝てぬ」というのが口癖だ。その口癖を楽しんでいるふうがある。収益の殆 どを広告費用に依存している商業放送では、広告主が視聴率を目安とする以上、それがすべ ての価値を決めるのはやむを得ないことたと坂口はいう。 「視聴率なんか何だといいながら、視聴率に左右されている奴が多いけど、オレはちがう。 力にしながら引きずられるのなら、いっ オレは視聴率にイノチを賭けることにしたんだ。。ハ そ、命がけになった方がいい」 それもひとつの生き方だと、これまでの円は認めていた。中途半端よりも徹底した方が潔 じちょ、つ へんに醒めて視聴率にこだわる己れを自嘲して見せ、そのくせ引きずられている連中よ りは単純な分だけ男らしいと思っていた。 いいたいのよ、そんなこといってみた 「自嘲してみせることで、オレはわかってるんだ、と ところで、人間が上等になるわけでもないのに : 年と円は坂口に同調していったものだった。 いのしし だが今は、そんな坂口が無目的に突進している猪のように思える。視聴率を上げて、ス 少 ポンサーに気に入られて局内で羽ぶりがよくなって、そうしてそれが何だというのだ。鼻先 に秣をぶら下けられて懸命に走る馬みたいなものではないのか。 まぐさ
164 「いやだなあ、こんなウソいうの」 「だって上手にしゃべってたじゃないの。北海道から高校時代の友達が来たなんて : : : そん な余計なウソまでつけ加えて : 「そんなこというけど、本当らしく聞えるようにしなくちゃと思うと、どうしても一言葉数が 多くなるのよ」 「私だったら却ってビンとくるわ。いやによくしゃべる、怪しい 「そうかしら ? 」 と旭は少し心配そうな顔になる。 「だって悪いわ。なにもウソいわなくても、今日は疲れてるから失礼するっていえばいいの そういわれてみればそうだ、と思う。しかし坂口という男は、疲れているといっても、自 分が来たいと思えば遠慮しないで来る男だ。そして今までは坂口のそんな所が魅力たったの あの夜以来、坂口が煩わしい。それは坂口には何の責任もないことた。だが坂口の。 ( イタ リティが鼻につくようになった。坂口はいったい、何を考えて、何を目ざしてあんなにもあ くせくしているのだろう ? 今までは頭に浮かんだこともなかった疑問が芽生えて来た。視聴率視聴率というのはいっ はとん たい誰のためなのか。坂口だけではない。テレビメディアに携る殆どの人間が視聴率を生き
えただけで胸苦しくなる。 「昨夜からおかしいね。どうした ? 何かあったの ? 」 坂口は円の髪を撫でながらいった。 「何もない : 「ただ ? なに ? 「イヤになったのよ : ・ 口から出まかせをいった。 「イヤになった : : : 何が ? ・ほくたちの関係かい ? 「ちがう。仕事 : : : 」 「仕事 ? どうしてさ。順調に行ってるじゃないか。スポンサーは気に入っているし、そり や、視聴率は上ったり下ったりするさ。そんなことを気にする君でもないだろ、オレが君に イチャモンをつけることだって、あれはスタッフに対するデモンストレーションも多分にあ るんだから : : : 」 「でも、つまんないの : : : この頃ね、ラジオの・やってる時の方がよっ。ほど楽しかった とよく思うのよ。あの頃は生身で勝負してたわ、自分でも生き生きしてるって実感があった ロ減 の。それがテレビに来てからは、へんにおとなになったっていうのかな : : : つまりいいカ にやってるのよ。いしたいことなんか何もいってない。私はいうなら、お取り次ぎの役よね。 あなたが考え出して、ディレクターが作ったものを、私は視聴者に取り次いでるだけだもの
「だって、君ほどの女が、全く自信を持っていないんだもの。それが本気の証拠だ」 「そうかしら : : : 」 そういわれれば、こと彼に関する限り、円にはどんな自信も成算もない。彼は円に対して、 全く、カケラほどの関心もないのだと円は思い決めている。彼が優しくしてくれたことがあ っても、それは円に対しての特別の優しさではなく、優しいのは彼の性分なのだろうと思っ てしまう。彼以外の男から優しさを示された時は、すぐにそこに男の野心を見てしまうのに。 , 加納修次は一か月前に・テレビ局のプロデ = ーサーを退職した。退職の理由につ いては、彼が何もいわないので、誰もがよくわからなかった。漠然とわかっていることは、 プロデ、ーサーとしての彼の働き場所が・テレビにはなくなって来ていたということだ った。彼の作る番組は、いつも視聴率が低迷していた。にもかかわらず、彼はそのことを気 に病むふうがなく、い つも泰然としていたので、そのために会社上層部は刺激を受けるのだ っこ 0 加納修次がいてくれる限り、自分の番組の視聴率が最下位になる心配はまずなかったのに、 これからはたいへんだとみんな困っているよ、と坂口が笑いながらいったので、円は彼がや めることを知ったのだった。 その翌日、偶然円は加納修次とエレベーターで一緒になった。エレベーターの中には円と 彼の二人しかいなかった。二人きりだと思った時、円の身体の奥の方から強い衝動が湧き上 ってきた。その衝動の中には思い切った言葉、今でなければいえない言葉が爆薬のようにこ
「安心して見ていられるんだな、彼女の場合は。聞き役に徹しているから」 と腕組みをほどきながら丸川がいった。彼はそういう時に合の手を入れるのがうまいので、 企画力は皆無だが積極的に会議に参加している錯覚を人に与える。 「でもいっかおっしやったことがあるわ、丸川さん。視聴率の上り下りがないということは、 番組に活気がない証拠たって : : : 」 円が切り返したので丸川は気弱く、 「そうだったかなア : と首をかしげて見せ、坂口が、 「矢部くんのいうことはいつも正論なんだよ。だが、人間てのは、その正論で押しまくって いるのを見ると、カチンとくるんだな。そこんところを、ほどほどに、ポャかしてやってく れればいいのさ ととりなすようにいっこ。 「わかりました、気をつけます : : : 」 あっさりと円は譲歩し、 「来週から、ホンワカスタイルでやってみるわ」 朝 の「たのむよ」 坂口はこれ以上の言い争いは本意ではないというように笑っていた。 ディスクジョッキーの時はよかった、と円は思わずにはいられない。収入と知名度は今は
教育されてまいりましたものですから」 「命令を聞く以外に、批判するとか、疑問を抱くとか、そういうことは : : : 」 「ハイ、いたしませんでした。私の務めは、家庭を平和に保つことだと存じておりましたか その結論として円はカメラに向っていったのだった。 「日本の若い女性は強くなった、とよくいわれていますが、ただ我慢するだけの強さでなく、 これからは、その強さの中に正しい認識力や判断力、冷静な批判精神といったものをつけ加 えたいものでございますね」 「あれがどうしてやり過ぎなんでしよう ? 」 円は坂口に顔を向けた。しかし今更、どうして ? と訊かなくても、それがインタビ = ア の埒を越えたことであることはわかっていた。 わかっているが、し 、ってしまう。 いってしまうのはそれが本当こ、 冫ししたいことだからなのか、ただの自己顕示欲なのか、円 にもよくわからない。 「この頃坂口さんは、やつばり高田のぶ代みたいにカマトトふうに、何でも感心して首をふ ってるのがいし 、と思いはしめていらっしやるみたいね」 「彼女の人気は、ともかく安定しているからね。この三年、視聴率の上り下りが全くない」
184 修次はす早い理解を見せていった。 「確かにそれはいえますね。今は教育問題たけを切り離して考えているから、いくら考えて もどうどう廻りするだけなんですね」 「でも、坂口さんのその論旨は単なる大義名分でしよう。本音はスキャンダルにあることは 見え見えですよね。私、それが我慢出来ないの。そのごま化しが。い っそ、視聴率を上げる ひとみごくう ために人身御供が要るんだとハッキリいった方がまだいいわ」 「いや、それはいけない。そこまで居直ってハッキリいうようになってはおしまいですよ。 まだ大義名分を探している分だけ、良心が残っているってことなんですー 修次はいった。 「それにしても、困ったなあ : : : 郁也には今が大事な時なんだがなあ」 「もうひとつ、困ったことがありますのよ。郁也くんがいまだに家へ帰らないのは、匿って る人間がいるからにちがいないって坂口さんがいい出してるんです」 修次は目を光らせて円を見た。 「それで加納さん、あなたが目をつけられたのよ」 「ほくが ? ・どうして ? ・」 「お会いしたでしよう ? 児玉邸の前で。加納さんが丁度、門から出てらした。仕事じゃな 、個人的な知り合いのようだった、って藤木さんがしゃべったんですよー 「それでビンときたのか : : : さすがだなあ : : : 」 かくま
「ーーでは最後に、私、視聴者を・ : と矢部円はいっこ。 「加賀谷先生におねいたします , 円の左側にいる加賀谷淳平を、二カメが正面から捉えようとして、進んで来た。それを見 届けて、円は切り込んだ。 「先生は男性も女性も平等に、自由な愛を享受すべきであるとおっしゃいました : : : 」 「そうです。日本の女の人は、まだまだ解放されていません。いや、・ほくにいわせると、男 も解放されていませんよ。たいていの男が、妻に隠れてコソコソ浮気をするんですから。妻 たの のも夫も、もっとおおらかに愛を愉しめばいいんですよ。今はまだまだ捉われていますねえ 円 と加賀谷淳平が受けた。 「円の朝」 まどか いえ、全女性を代表しまして」 とら
314 「矢部円は硬派のキャスターの第一人者。それで十分やないか。あんたの悩みは第な悩み ゃ。視聴率のために他人を切り売りするのはイヤゃなんて、今どき高校生でもそんなことい わへんがな」 そういうと佐久間はインスタントコーヒーを入れて円に勧めた。 「加納が・—をやめる時もあんたと同じようなことをいうて相談に来たが、あの男がやめ るのはぼくは賛成した。あの男は偏屈や、本質的にテレビ界では生きられん男やと思たから ねー 円はドキンとしたが、さりげなくいった。 「どうしていらっしやるのかしら、加納さんーーー」 「ああいう夢喰うて生きてる奴はこういう時勢では苦労する。しかし好きで苦労しとるんや からしようがない。今も速達で金の無心や」 佐久間は無造作にデスクの上の葉書を取って、読み上げた。 「表記のところへ来ています。暫く一人になって考えたいことがあるので、女房にも行く先 をいっていません。例の仕事も行き詰り、また別の行き詰りもあって、暫くはここに隠れ棲 んでいたいと思っています。ついてはまたか、といわれそうですが、若干拝借したく、金額 は申しません。船宿、といっても漁師の家ですが、ここでは一日千円で賄ってくれます。あ と、十日ほどいたいと思っているのですがーーー」 まかな
こうのって、批評は出来ません : : : 」 番組終了後の反省会で、円は終始沈黙していた。 「矢部くんはどうもここんとこ光彩がなくなってるな」 ディレクターの片桐にいわれたが、それにも黙っていた。 : これはすごい特ダネなんだから、それに対してもっ 「郁也は児玉博道のタネでなかった : と、受け手がエキサイトしてくれなきや、七郎さんだって立っ瀬がないよな」 坂口はロを引き結んで片桐の一 = ロ葉を聞いていた。片桐の意見は当然だと坂口は思っている。 しかし坂口には、黙っている円の心のうちがわかる。円は郁也の出生の秘密を天下に晒した 大矢七郎に腹を立てているのだ。円が腹を立てる気持も坂口にはわかる。 しかし、それがわかるからといって、坂口は円を認めることは出来ない。大矢七郎が今日 投げた小石は、来週は高い視聴率となって返って来るからだ。この仕事にたずさわっている 以上、それがすべてではないか。 ないのか 「君はいったい、やる気があるのか 坂口はそう いいたかった。だがいおうとすると加納修次の顔が浮かんだ。坂口の批判はも 乱う円の胸には届かない。それが無駄であるからというだけでなく、そういうことによって円 がいっそう離反して行くのが坂口にはわかっているのだった。 混 その夜、坂口は前ぶれなしに円のマンションへ行った。もしかしたら修次が来ているかも しれないと思ったが、それでもいいと思った。この何年かそうして来たように、タクシーを