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検索対象: 世界の大思想1 プラトン
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1. 世界の大思想1 プラトン

413 解題 ここに訳出した大部な「国家」は、今日のそのような著 作に見られる目次をもっていない。ただそれだけではな 、本文の章わけも、もちろん、著者自身の手によるもの ではない、そしてまたその巻わけもあるいはそうであるか も知れない。しかしそれでは何につけても不便であるか ら、後の人々によってそのような区分が試みられ、さらに 近ごろの多くの訳書では目次、または梗概がつけられるよ うになった。私も解説にかかるに先きだち、大体アーベル ト ( 後出 ) によって、その内容の簡単な鳥瞰図をつけてお 序三二七ー三三一、一巻、一章ー五章 場景の描写、ケパロスとの対話、その対話をきっかけ 。フラトン国家 PIaton 】 Respublica 解題 山本光雄 に、ソクラテスは正義とは何かという問題を提出する。 第一部〔序曲〕三三一ー三五四、一巻、六章ー 二四章 正義について世に行なわれている見解に関する討論。 1 ソクラテスとポレマルコスとの対話。三三一 三三六、一巻、六章ー九章。 正義はそれそれの者に借りたものを返えすことであ るというポレマルコスの定義に関する討論。 2 ソクラテスとトラシュマコスとの対話。三三六 ー三五四、一巻、一〇章ー一一四章。 トラシュマコスの、正義は強者の利益であり、また 不正義は正義より強力で、幸福なる生活をもたらす、 それゆえに有利であるという主張に関するいろいろな 方向からの討論 ( 三三六ー一二四七 ) 。これに対し ソクラテスは、正義は徳であり知恵であって ( 三四七 ー三五〇 ) 、それは幸福をもたらすもので、有利 であると主張する ( 三五〇ー三五四 ) 。 第ニ部三五七ー四四五、一一巻、三巻、四巻 正義の定義の探究 イグラウコン、アディマントス、ソクラテスによって 以後の探究のためになされる提案。 1 グラウコンは世間の一部の人々の正義観を代弁し て、正義の起原 ( 社会契約説 ) と本質 ( 正しいこととは 法によって規定されたこと ) とを説明し、人々が正義を

2. 世界の大思想1 プラトン

「いや、そんなことは誰も考えないでしよう」と彼は言っ早に、ある神様のおはからいで、正義の源や跡型とい「た ようなものに偶然出遇ったらしい、とわれわれの言った 「では、また神殿掠らしも窃盗も、また個人的には仲間〔四 四一一三曰推量のことなのだがね」 「ええ、全くそうです」 の、公けには国の裏切も、この人のかかわりないことじゃ 「だがね、実は、グラウコン君、それは、何と、正義の映 ないか」 だからこそまた役にも立 像といったものだったんたよ 「かかわりないことですー ったのだが、ねーー本性上の靴屋は靴を作って、何か他の 「それからたしかにまた、誓いやその他の約東に関して ことをせず、また大工は大工をするのが正しい、その他も も、決して不実ではないだろう」 そういう風であるということはね」 「ええ、もちろんのことです」 「そのようですー 「まして姦通や両親の遺棄や神々の礼拝懈怠は、余人はい ざ知らす、この人には決して似つかわしいことではない」 「だが、本当のところを言うと、どうも、正義はなるほど 「ええ、たしかに」と彼は言った。 何かそのようなものであったが、しかし自分のことを外的 になすことに関するものではなくて、むしろ内的になすこ 「すべてこれらのことの原因は、彼においては彼のうちに あるもののそれそれが支配と支配されることに関して、自 とに、つまり、本当の意味での自分自身や自分自身のこと 分のことをなしているということではないか」 に関するもののようだ、詳しく言えば、正しい人は自分の 「ええ、たしかにそのことです、決して他のことじゃあり うちにあるそれぞれの部分が他の部分のことをすること ません」 も、あるいは魂のうちの類が互いに余計な手出しをするこ 「それでは、君はなお正義が、人々や国々をこのようなも とも許さないで、むしろ本当の意味での家事をよく処理し、 のにするその能力より何か他のものであることを求めるか 自分で自分を支配し、秩序づけ、自分自身に親しいものと なって、ちょうど、文字通り、音程の三つの項、高音、低 「絶対に」と彼は言った、「私は求めません」 音、中音のそれのように、三つある部分を調和させ、また 国 それらの間に中間音が何かその他にもあれば、それらすべ 一七「それでは、われわれの夢は実現されて完成したわけてを一緒に結び合わせ、そして多くのものから、一つのも だ、その夢というのは、国をわれわれが建設しはじめた早のに、すなわち節制のある、調和のとれたものになって、 ゲノス

3. 世界の大思想1 プラトン

245 国家 の性格はどんなものか、またそれはいくつの種類に分れてものがあるところのものそのもののそれそれについては、 いるか、さらに、この道はどんなものか。というのはこのさきの技術とは別に、あらゆる場合に道によってそれを捕 道は、もう、私の見るところでは、そこへ到着すれば、い える方法が何かあるということだがね。しかしその他の技 わば道の休息所と歩行の終わりがあるような場所へ導いて術はいずれも、あるいは人間どもの臆見や欲望に関係を持 いくものでしようからね」 ち、あるいは生成や構成に、あるいは生じてくるものや構 「もはや」と私は言った、「遺憾ながら、グラウコン君、 成されるものの世話にすべてが向けられているものである 私としては 君は随いてくることはできないだろうよ。 のだ。また他方、有るものをいくらか掴えるとわれわれの 熱意を欠くことは少しもないのだけれどねーーそして私は 3 言った残りの技術、すなわち、幾何学やそれにつづく技術 君に、もはや、われわれが語ろうとしているものの似姿で は、われわれの目にするところだが、有るものについて夢 はなくて、真実そのものを示すだろう。真実と言っても、 は見るけれど、しかし正気で見ることはそれらの技術には 私にそうだと見えるものにすぎないがね。 しかし本当できないのだ、それらが仮設を用いながら、その仮設につ にそうであるかないか、それをきつばりと断言するのは、 いて説明を与えることができすに、それを不動のものとし もはやよろしくない。しかし何かそのようなものを見る必て許しておく限りはね。だって、もし或る人のたてた始め 要のあることは強く主張しなければならない。そうじゃな 〕がその人の知らないものであり、またその終わり いか」 〕もその中間もその知らないものから組み合わされ 「もちろんです」 ているなら、それらのものの間のそのような一致和合が、 「それならまた、問答の力だけが、われわれの只今述べた いっか知識になり得るなんてことが、どうして有り得よう もろもろの技術に経験のある者になら、それを示すだろう が、しかし他の者には断じてそれは不可能だということも「決してあり得ません」と彼は言った。 強く主張しなければならぬのではないか」 「ええ、そのことも」と彼は言った、「きつばり断言して 一四「それなら」と私は言った、「ただ弁証術的研究だけ よろしいことですー が、そういう風に、つまり仮設を廃棄しながら初めそのも 「ともかく次のことを」と私は言った、「われわれが言うのへ向かって進んでいくのだね、それによってそれの成果 場合、誰も反対する者はいないだろう、それは、それそれのを確実にするためにね。そしていわば異境の泥土の中に埋

4. 世界の大思想1 プラトン

でいく、そしてこの運んでいく人々のうちには、きっと、 人が真実なものと信じるのは、それらの人工的なものの影 四話をしている者もいれば、黙っている者もいる」 以外の何かではないだろう」 「それは奇妙な比喩、奇妙な囚人です、ね」と彼は言っ 「それは非常に必然的なことです」と彼は言った。 「それでは考えてみ給え」と私は言った、「彼らの縛めか 「われわれに似た者だよ」と私は言った、「だって、先すらの解放や無思慮からの治療はどのようなものだか、もし 第一に、君はこのような人々が自分自身やお互いのものは、 次のようなことが人間の本性に一致して彼らに起こるとす 洞穴の正面に火によって投ぜられる影以外に、何かを見たればね。すなわち、人が解放されて、そして突然立ち上が ことがあるだろうと思うかね」 って、首を廻し、歩いて、火の光を見上げることを強制さ 「しったい、どうしてできましよう」と彼は言った、「彼れ、そしてそれらすべてのことをなすのに、苦痛を感じ、ま らが生涯その頭を不動にしておくことを強制されている以ぶしい光のために、あの時見ていた影の本体をよく見るこ 上は、ね」 とのできない場合、もし彼に、あの時彼の見ていたのはっ 「しかし運んでいく人々については、どうだ。これも同じ まらぬものだったが、しかし今は、有るものに一段と近づ じゃないか」 いていて、一段と多く有るものの方に向かわせられている 「もちろんです」 ので、一そう正しく眺めているのだ、と言い、そしてまた 「ところでもし彼らが互いに対話することができるなら、 通り過ぎていくものを、それぞれ彼に指差しながら、それ 彼らが有るものだと信するのは、彼らが見ているちょうど は何だと訊ねて答えることを強制するなら、彼は何と言う そのものだ、とは考えないかね」 だろうと君は思うかね。彼は途方にくれて、あの時見られ 「それは必すそうです」 ていたものの方が今指差されているものよりも、一そう真 「しかし、もしその牢獄がまた正面から反響してくるとし実だと考えるだろう、と思わないか」 たら、どうだね。通りすぎていく人々の誰かが話をする時 「ええ、それはすっと多く真実だ、と考えるでしよう」 いつでも彼らがその話をしているものだと考えるのと彼は言った。 は、通りすぎていく影以外の何かだろうと思うかね」 、え、私は断じてそうは思いません」と彼は言った。 一一「それなら、またもし光そのものの方を見るように彼を 「それでは全くのところ」と私は言った、「このような人強制するなら、彼は限に苦痛を感じ、彼のよく見ることの

5. 世界の大思想1 プラトン

163 国家 「それでは、子供たちも生まれてくる度に、そのことのた は血気盛んなものから生まれなければならない、とわれわ 〕」と私は言った。 めに任命された役人が、それが男のそれであれ、女のそれれは言 0 た矼 であれ、またその両方のであれーーというのはその役も女「ほんとうに」 と男とに共通なものだろうからーー受け取って : 「ところで君にもまた同じく、血気盛りの適当な期間は女。 「ええ」 にとっては二十年、男にとっては三十年だと思われるか」 「優れた人々の子供は、思うに、受け取った上で、飼育所「どのような二十年、どのような三十年でしよう」と彼は へ連れていき、国の或る部分に離れ住んでいる子守たちに 一一一一口った。 托するだろう。しかし劣った人々の子供たちは、それから 「女にとっては、二十歳から始めて四十歳まで、国のため 他の人々のでも、不具者が生まれたなら、当然のことなが に生むのが適当だし、男にとっては、竸走の一番早い盛り ら、秘密に闇で始末するだろう」 をすぎてから、以後五十五歳まで、国のために生ませるの 「いやしくも守護者たちの血統が純粋であることを願うん が適当だ」と私は言った。 でしたらね」と彼は言った。 「それがたしかに、両者の身体と思慮の盛りです」と彼は 「また養育の面倒をも、この役人たちは見るのではなかろ言った。 うか、母親たちが乳の張る時には、彼女たちの誰一人自分「それらより年とった者か、若い者かが、公共のための出 の子供に気づかないように、あらゆる手段を講じた上で、 産に手出しをするなら、その過ちは敬虔なことでも、正し 彼女たちを飼育所へ連れていき、また母親だけで足りない いことでもない、とわれわれは言うだろう。というのは彼 時には、他の乳の出る女たちを伴っていって。また母親た が国で播いた子種は、もしそれが発見されないなら、それ ち自身についても、彼女たちがほどよい時間だけ乳を呑まそれの結婚に際して男の祭司や女の祭司やまた国の全体 せて、寝ずの番やその他の骨折りは、乳母や子守たちに任 が、優れた人々から常に一そう優れた子供たちが、また有 せるように面倒を見るのではなかろうか」 益な人々から一そう有益な子供たちが、生まれてくるよう 「それだと、守護者たちの妻にとって、子供作りは非常に にと祈りながら捧げる犠牲や祈願の許に、育ったものでは 容易になりますよ」と彼は言った。 なくって、むしろ暗闇のもとで恐るべき放縦からできたも 「それがふさわしいことだからね。しかしわれわれの提案のとして、生まれてくるだろうからだ」 した次の問題を論じることにしよう。ところで、子供たち「それは正当です」と彼は言った。

6. 世界の大思想1 プラトン

たものであると驚嘆されるのである。そしてこのような論 トン主義の歴史と共に古いと言うことができるだろう。そ 争は、。フラトンの影響力の大であることを示すものとも解れはアリストテレスの批評と共に始ま 0 ているとも考えら されるであろう。また。フラトン哲学自体が、それら異なるれる。それは両者不和の伝説として、二世紀後半の学者ア 解釈を可能にするような多面性をもち、歴史の変遷が、そィリアノスの書物に見られるようなものが、両者没後のア カデメイアとリュケイオンの間の対抗意識から、ゴシッ。フ のような可能性の一つ一つに、その時その時の照明を当て るというふうにも見られるだろう。古典とはそういうもの の形で言い伝えられて来ている。それは中世ビザンチオン なのである。 の学者ポチオス (Photius) とハルマトロス (HarmatoIos) との対立となり、それがまたルネサンス期のイタリアにも 輸入されて、多くの学者を論争の渦中にまきこむことにな った。プラトンとアリストテレスとをむしろ調和的に理解 カール・ポッパ ーという人が『開かれた社会とその敵』 しようとするのは、新プラトン派の注釈家たちの大多数の という書物を出して、ヘラクレイトス、プラトン、ヘーゲ ル、マルクスの四人を、今日に到るまでの不幸な全体主義態度であり、現代における発展史的解釈の一般的傾向とも 思想の元凶として、特にその歴史主義を攻撃したことがあ見られるのであるが、しかしこれをあくまでも対立的に考 えようとする人も、シリアノス (Syrianus) 以来あとを絶 った。今はもう遠い昔の空想として忘れられてしまったか とも思われた。フラトンの政治思想が、第一一世界大戦前後のたないのである。ひとは。フラトン主義者であるか、アリス トテレス主義者であるかの、どちらかであるというような はげしい政治的経験のなかで、もう一度読み直してみる ことが言われたりするが、それは意味の取りようで、どち と、異常に生々しい現実性をもってよみがえって来て、こ らにもなるとも見られるし、また思想より気質の相違とし の亡命学者の闘志をかき立てたというわけである。このこ とはプラトン主義の生命の永さを示すものとも言えるだろて受けとられることもある。あるいはプラトン主義者であ ることは、いわば努力と緊張の持続が要求されるので、ひ う。プラトンはマルクスと同じように、現代に生きている とは休息がほしくなるのだというふうに説明することも行 危険思想の源泉だったのである。ポッパ ーの批評そのもの は、むしろ欠点の多いものであるが、異常な時代の異常なわれている。 しかしプラトンとアリストテレスを対立させたり、時に 反応として意味があると言うべきであろう。しかしポツ。 ( はプラトンとソクラテスを区別したりする仕方で、。フラト ーのような攻撃は、別に珍しい現象ではなく、それは。フラ

7. 世界の大思想1 プラトン

ドレイアの学者アリスト。ハネス ( 前一一五七ー一八〇年頃 ) あるが、これはプラトンの「パルメニデス」第二部の最初 に出てくる一者に結びつけられ、『国家』第六巻の「善の 4 によって、三部作形式による編集が考えられていたという から、プラトンの全集による研究も、既にこの頃から始ま イデア」と、存在も知性も超越する点において、全く同し っていたとも言われるだろう。 だとされている。第二段階に来るのは「ヌウスー ( 知性、 直知 ) で、これは「チマイオスーの「デーミウールゴス 四 ( この世界をつくる者 ) に当るとも言われる。万物の範型 新プラトン派の哲学は、このようなプラトン研究多年のをなすイデアは、この知性のうちに内在して、知性的世界 蓄積と高まりの上に結実したものであって、プロチノスををなすと考えられる。アリストテレス流に言えば、直知す 読む者は、かれがいかにプラトンを熟読し、その片一 = ロ隻るものと直知されるものは一体となって、かの「知の知」 句にも注釈家的な深い読みをしているかに気づくであろ ( ノエーシス・ノエーセオース ) をなすわけで、イデアは う。従って、かれら新プラトン派の人たちのプラトン解釈神の思考するところのものであるという考えにもなる。こ こから更に第一二段階の「プシューケー ( たましい、 が、それ以後のプラトン主義哲学に決定的な影響を及ぼし たとしても、別に不思議はないのである。。フロクロスやオち ) が出てくるのであるが、これは。フラトンの「チマイオ ス」において、デーミウールゴスが。フシューケーをつくる リュン。ヒオドロスなど、この派の人たちが書いたプラトン というのに対応すると考えられている。「たましい」 ( いの 対話篇の注釈書は、今日に伝えられているものが少くな ち ) が、デーミウールゴスによってつくられるということ ところで、その新。フラトン派の哲学はどういうものか というと、それは専門研究者の立場で見ると、いろいろな は、プロチノスの場合、イデアと一体化された知性から、 問題があって、そう簡単には言えないところが出てくるよ世界や人間など一切の生命と精神が生み出されるというこ うであるが、後の時代に受けとられ、影響した面だけで考とであろう。そしてこの一者、イデアと一体化された知 えれば、ある一定の線が出てくるのではないかと思う。万性、たまし、 しいのちの三者が、上下の階層をなしながら、 物は上下の階層をなしていて、低い存在は高い存在が、も一つになるというわけであろう。そして上から下への移行 の惜しみしない充実性から、これを生み、これを照すとい は、光源からの光の流出などにたとえられるが、しかしそ う仕方で、存在せしめられ、支えられている。その上下のれによって上位のものは、少しも自己を失うことはなく、 階層の最高のところに、言語道断の一者が考えられるので不変であると考えられ、下位の存在もまたつねにその根源

8. 世界の大思想1 プラトン

「まあ、こういった風にだ。そういうふうに組織された国 X36 〕をその一辺とするものなり、他の調和は、一つの同 は変革され難い。されど生者にはすべて滅あるゆえ、かか じ方向においては二辺相等しきも、相異なる方向において る組織といえども、未来永劫に留まるを得ずして、破壊されは二辺相異なる矩形数なり、すなわち、その一辺は、五の ん。その破壊や次の如し。大地の中なる植物のみならず、 有理数的対角線数〔 ~ 、に最も近い有理数ⅱⅡ 7 〕の平方 大地の上なる動物においても、周転によりて諸々のものの数の百倍に足らぬこと百なる数〔 7 100 ー 100 Ⅱ 4900 ー 100 ⅱ ために起点と終点と相結びて、円の周辺なるや、その時霊 488 〕、もしくは、五の無理数的対角線数〔、当〕の平方数 魂と肉体との豊穰と不毛現わる。この周辺の道程は命短きの百倍に足らぬこと二百なる数〔 ( 、当 ) 。 X100 ー 28 Ⅱ 5000 ー やから ものには短く、命長きものには長し。而して汝ら人間の族 200 Ⅱ 4800 〕、他の一辺は三の立方数の百倍 3X100H27X100 278 〕なり〔従って、この矩形数は 488X278 12 , 960.08 の良き出産と悪しき出産とは、汝らが国の指導者として教 育せし者、如何に知恵ありと雖も知覚を伴える計算を以て にてさきの正方形数と同数〕。而してこの幾何学的数はそ しては、よくこれを射当っぺからす。いな、それは彼らをの総数〔それを構成する個々の項数ではなくて〕がかかる しか もの、すなわち善き出産と悪しき出産を左右する主人な 逃ゑされば彼らは然すべき時ならざるに、子供らを生ま り。これらの出産につきて、汝らの守護者たち、もし知らず しむることもあらん。生まれし神の族〔星 もろもろの〕こは ~ 兀吐 して時宜に背き花嫁を花婿に婚せしむれば、素姓善き児も を示す数の限られたる周期あり、また生まれし人間の族に も或る数に限られたる周期あり、その数とは、同様と不同仕合わせ善き児も生まれ出でず。これらのうちにて秀逸な 様、隆盛と衰頽とをもたらす数〔 5 〕が根となり、一一一る者を先任者は職に任ぜんも、その職にふさわしからねば、 父祖の権勢の座に彼らの来たるや、守護者たるに拘らず、 方向とそれを限定する四つの点を受け取ることによりて、 その根倍のまた根倍に成長してできし最初の数 + 4 ・ + 先ず音楽文芸の事、次いでは体育の事に、それ相応の思い ミュ 1 ズの 216 〕として、一切のものを互いに話しの通ずるもの、 を致さず、以てわれら〔 女神たち 〕を無視し始めん。かかる がゆえに、汝らの若者たちはミューズに縁無きものとはな 通分し得るものとなすものなり。而して根なる数のうち、 四と三が五と嫁合わされし後〔 3X4X5 60 〕、次に三度成るべし。而して、これらの若者どものうちより、守護者の その任務は。 長すれば〔 60X き X60X60H1 ド 960 , 000 〕、一一つの調和をもた任務に全然堪え得ざる支配者任命されん、 へシオドスにおけると同様また汝らにおける種族、すなわ らす。そのうち一つの調和は等数の等数倍〔 380 x 3600u これこれ 3600 『 12 , 93P08 〕なる正方形数、すなわち百の是々倍〔 100 ち金、銀、銅、鉄のそれを試験するにあり。されど、鉄が浦 ハルモニア