一に正義を人々はどのようなものであり、またどこから生 いたりするものがほかに何があろうか じてきたと言っているか、第二にそれを求めている人々は 「ええ、全くその通りです」と彼は言った、「じや私が第一 皆不本意ながら止むを得ざるものとして求めているのであにお話しようと申したものについて、お聞き下さい、それは って、善いものとしてではないということ、第三に彼らが正義はどのようなものであり、またどこから生じてきてい そうしているのは当然であるということを語りましよう。 るのか、という間題です。つまり人々はこう言っているの 何故なら人々の言うところによれば、不正な人の生活は正です。本来不正をなすのは善いことであって、不正をなさ しい人の生活より、遙かに優っているというのですから。 れるのは悪いことである、そして、不正をなされることの 尤も、ソクラテスさん、私には決してそういう風には思わうちには、不正をなすことのうちにある善いことよりもた れませんがね。けれどもトラシュマコスさんやその他無数 くさんの悪いことがある、従ってお互いに不正をなしたり の人々からそれを聞かされたために、全く耳がつん、ほにな不正をなされたりして善いことと悪いことの両者を味わう ってしま 0 て、困 0 ているのです。しかし正義は不正義よ時、一方を避け他方を捕えることのできない人々には、お りも優 0 ているという正義のための言論は、まだ誰からも互いに契約をして不正をなしも不正をなされもしないとい 私が聞きたいと望んでいるような仕方では、聞かされてい うことにする方が、得がいくと思われるようになる。宀大に ないのですーーー私の望んでいるのはそれ自身としてそれだ こういうところから法律を定めお互いに契約をし始める、 けで賞讃されるのを聞くことですがーーしかしそれを、あそして法律によって規定されたことを合法的で正しいこと なたから一番多く聞かせて貰えるだろうと思います。だか だと呼ぶ。実にこれが正義の起原と本質であって、それは ら一生懸命になって、私は不正な生活を賞讃しながら話し最善であるものと最悪であるものとの中間に位する、前者 ましよう、そしてそういう風に話すことによって私はどん は不正をなして罰を受けない場合のことであり、後者は不 な仕方でまたあなたの方が不正義を非難し、正義を賞讃さ正をなされて復讐する力のない場合のことである。正しい 家れるのを聞きたいと望んでいるか、あなたに示すことにな ことはこれら両者の中間に位するものであるから、善いこ りましよう。ともかく一つみて下さい、私の提案している ととしてではなくて、不正をなす力の無いところから、尊重 国ことはあなたの望まれるところかどうか」と彼は言った。 されることとして愛されるのである。何故ならそれをなすト 「それはもう何にもましてだ」と私は言った、「だって心 ことのできる人、すなわち真の男子は決して誰とも、不正 のある人なら、これより以上に、喜んで幾度も語ったり聞をなしもしなければ、不正をなされもしないという契約を、
ころ、正義のうちにあくまでも止まり、敢えて他の人々のしようから。では人々の言うのは、こういうようなことで ものから手を控えて触れないほどに道徳堅固なものは誰一す。 人ありますまい、彼には市場から何でも欲するところのも のを、恐れるところなく取ることも、また家の中に入りこ 四しかしわれわれの語っている人々の生活についての判。 んで誰とでも欲するところのものと一緒に寝ることも、ま 定そのものは、というと、もし最も正しい人と最も不正な た誰をでも欲するところのものを殺すことも、牢獄から解人とを対置するならば、正しく判定することができるでし 放することもでき、またその他神に等しい者として、人間 よう。でなければ、できません。それならその対置は何で のうちにあって何でもなすことができるのに。そしてこうあるか。それはこうです。不正な人の不正義からも、また いうことを為す点において一方の人は他方から少しも異な 正しい人の正義からも何一つ引き去らないで、両者それそ らず、両方とも同じところへ赴くでしよう。たしかにこのれを自分の生き方にかけては完全無欠なるものと仮定しま ことを大きな証拠として、人は主張するでしよう。誰一人しよう、すると、第一に、不正な人は、優れた専門家のよ 自ら進んで正しくあるのではない、むしろ正義は個人的に うに振舞わしめなくてはなりませんーー例えば一流の船長 は善いものではないから、強制されてである、何故なら各や医者は、その技術における不可能なことと可能なことを 人は不正をなすことができるだろうと思うところでは、、 見分け、後者は企て、前者はよす者なのです。が、また、咄 つも不正をするものであるが故に、と。というのは実際すもしひょっとして過ちを犯すなら、それを矯正するに足る べての人々は不正義は正義よりも個人的には遙かに多く得者ですーーそういう風に不正な人も不正事を正しく見分け のいくものであると思っているからです。しかもその思うて、それを見つからないように企てさせなければなりませ ところは、このような種類の言論について語った人の言うん、もし極端に不正な者であるべきならば、ですね。しか し捕えられる者はヘまな奴だと考えなければなりません。 ところによれば、本当なのです。何故ならば、もしひとが というのは事実そうでないのに、正しい者であると思われ 家このような自由を手に入れながら、不正なことは何一つな すことを決して欲せず、また他人のものに触れないなら、 るということが極端な不正なのですから。だから完全に不 国それを知る人々は彼を最も惨めで最も考えのない者だと思正な人には完全な不正義を与えなければなりません、そし て何一つ引き去らずに、最大の不正事をしながら正義に関 うでしようが、しかし不正をなされることに対する恐怖の ために、お互いの前ではお互いに欺し合って彼を賞めるでする最大の名声を自分にもたらす者であることを、許さな
解することができる限り、あなたの言論を調べながら、怯しろ正しい人は正しい人より、余計に持っことを求めも欲。 しもしないが、不正な人よりはそうかどうかということな まず攻撃しなければなりません。というのは私には、トラ シュマコスさん、あなたは今は全く冗談ではなくて、〔不のです」と私は言った。 「うん、それはそうだ」と彼は言った。 正義や不正に関する〕真理についてあなたに思われること 「では、しかし不正な人はどうですか。正しい人や正しい を、言っていられる、と思われるからです」 行為より、余計に得ることを求めますか」・ 「しかし君に何の違いがあるか、私に思われていようが、 いまいが。むしろその言論を君は反駁するのではないの 「もちろんだよ」と彼は言った、「あらゆる人々より、余 計に持っことを求める彼だもの」 か」と彼は言った。 「いや、決して」と私は言った、「それよりか次の点を、ト「それでは不正な人は、また不正な人間や行為よりも余計 以上のものに加えて、なお、私に一つ答えるようにしてみに得ようとし、また竸ってすべての人々のうちで一番多く こを手に入れようと、努めはしないでしようか」 いくらかでも余計冫 て下さい。正しい人は正しい人より、 「それはそうだよ」 持っことを欲するだろう、とあなたには思われますか」 「決してそういうことはない」と彼は言った、「そうだっ たら、今日のように、お上品で、お人好しではないだろう一 = 「それではこう、われわれは言いましよう」と私は言 った、「正しい人は同じような人よりは余計に取らないが、 からね」 同じようでない人よりは余計に取る、然るに不正な人は同 「しかしどうです。正しい行為よりよ正しいことより以 じような人よりも、また同じようでない人よりも余計に取 「いや、また正しい行為よりも、そうすることはない」と る、と」 彼は言った。 「しかし不正な人よりは、余計に得ようと求め、そしてそ「君は実に立派に言ったよ」と彼は言った。 家れを正しいことだと考えるでしようか、それとも考えない 「しかし不正な人は思慮深くて善くあるが、正しい人はそ でしようか」 のいずれでもないのですか」と私は言った。 「それも、うまく言ったよ」と彼は言った。 国「考えるだろう、そして求めるだろう、しかしできないだ ろう」と彼は言った。 「それではまた、不正な人は思慮深い人や善い人に似てい 「しかし私の訊ねているのはそのことじゃありません。むるが、正しい人は似ていないのではありませんか」と私は
てくれる神々の子供たちも言っているところでは、ね」 ないなら、あるいは神々が人間のことを少しも気にかけな いなら、われわれの方でも気づかれるこどを、何故気にか ける必要があろう。しかしもし神々がいて、われわれのこ 九すると、なお、どんな言論を根拠にしてわれわれは正 とを気づかっているなら、われわれが神々のことを知った 義を最大の不正よりも択ぶことができるでしようか。この うわべ り、聞いたりするのは、法律や神統譜を語った詩人たち以不正は上部を体裁よくつくろって、それを手に入れるな 外のところからでは決してない、然るにこの同じ詩人たちら、神々の許でも人間のもとでも、われわれは心にかなっ が言っているのは、神々が、犠牲や温和な祈りによって た振舞いを、生前死後を通じてできるのですから、多くの も、また供物によっても、買収されて誘惑されるようなも大家たちのだと言われている言論によりますればね。とこ のであるということである。この二つのことは詩人たちの ろで、以上に言われたすべてのことから考えてみて、ソク。 言うところを孰れも信じなければならぬか、あるいは孰れラテスさん、魂なり、金銭なり、身体なり、氏族なりのカ も信じてならないかである。しかしともかく、もし信じなを、いくらかでも持っている人が、正義を尊重する気に、 ければならぬなら、われわれは不正をして、その不正によ いや正義が賞讃されるのを聞いて笑うまいという気に、な って得たもののうちから、儀牲を捧げなければならない。 るなんてことが、そもそもできるものでしようか。だから というのは正しい者であるなら、ただ神からのみ罰を受けして、きっと、人はたといわれわれの言ったことが偽であ ずにすむだろうが、不正からの利益は失うであろう。然る るということを、証明することができて、正義が最善のも に不正な者であるなら、利益を得るであろう、そして掟をのであるということを認めたにしても、思うに、不正な人 しや、むしろ神的 破り罪を犯したことに対しては祈りによって、神々を説得人を大目に見て怒りはしないでしよう。、 して罰を受けずに免かれることができるだろうからであな生まれつきによって不正をするのを憎んでか、あるいは 知識を受け取ってか、それから遠去かる人の場合を除いて る』『しかしだね、黄泉の国においては、この世で犯した は、他の人みのうち誰一人として自ら進んで正しい者であ 家不正なことの償いをすることになるだろうよ、われわれ自 るのではなくて、女々しさや老齢や何かその他の弱さのた 身なり、子孫たちなりが』「しかし、君』と青年は勘定し めに、それをなすことができないので、不正をすることを 国てみて言うだろう、『ところが秘儀や浄めの神々は大きな 力を持っているんだよ、強大な国々も、また詩人や神々の非難するのだ、ということを知っています。そしてそれが 御旨の解釈者として現われて、それはそうであると報らせそうだということは明らかです。というのは、このように
である正義より有利であると、あなたは主張されますか」気づかれなければ、有利なものである。しかしそれは語る 「全くだ、そう主張する、そしてその理由もすでに語っ に足らない、むしろさ 0 き〔」 . 。〕私の言 0 たものがそう た」と彼は言った。 なんだ」と彼は言った。 「それが、あなたの言おうと思っていられることだという。 「ではどうです、それらのものについて、次の点ではどう 仰っしゃいますか。思うに、そのうち一方を、徳と、他方ことは、わからなくはありません」と私は言った、「しか を悪とお呼びでしよう しこの点は不審です、つまり、不正義は徳と知恵の部分の 「もちろんだ」 うちに置かれるが、正義はその反対のもののうちに置かれ 「では、正義は徳と、不正義は悪と、お呼びになるのでは るのが」 ありませんか」 「いや、全くそういう風に置くのだ」 「こりや面白い、さもありなんだ、私がまた不正義は有利「それは、あなた、もう余りに難かしすぎて、本当を言う であるが、正義はそうでないと、言っているからにはね」 と、もはや何とも言うべきことが、なかなか見つかりませ と彼は言った。 ん。というのは、もし不正義は有利ではあるが、しかしそ ったい、何と」 れは悪いものである、あるいは醜いものであると、他の多 「おやっ ! それでは他に、い 「あべこべだ」と彼は言った。 くの人々のように、承認なさるなら、何とか言うべきこと 「本当に正義を悪と、ですか」 もあるでしよう、世間で信じられているところに従って言 「いや違う、むしろ全くお上品なお人好し、とだ」 えますので。しかし今、あなたは明らかに、それは美しい 「それじゃ、不正義はお人悪ると呼ぶのですね」 ものでもありカ強いものでもある、と仰っしやることでし 「いや、違う、むしろ才覚よし、とだ」と彼は言った。 よう、そしてその他、われわれが正に属せしめるのを常と 「きっと、また不正な人々は、トラシュマコスさん、思慮していたことでも、それに属せしめられることでしよう、 があって善い者だと、あなたには思われるでしよう」 あなたがそれを徳や知恵のうちにすら、敢えておかれる以 「完全に不正をなすことができ、国表や人間どもの種族を上はねーと私は言った。 自分たちの支配下におく力のある人々なら、ね。しかし君「君の予言は全く本当だ」と彼は言った。 は、私がおそらく巾着切りのことを言っているのだ、と思 「しかしそれでもーと私は言った、「あなたが心に思って っているんだろう。そうだ、こういうような者でも、もし いらっしやるちょうどそのことを、ロにしていられる、と
どうだね、ぼくたちの主張は、これかね、それとも、これというのは、世の多数の者が主張しているように、正しい 皿ではないかね。 ことなのだろうか、それとも、正しくないことたろうか。 クリトン クリトン それだ、ぼくたちの主張は。 それは決して正しいことではないよ。 ソクラテス ソクラテス それなら、どんなにしても、不正を行なってはならない つまり、人に害悪を与えるということは、不正な目にあ ということになる。 わすということと、ちっとも違ってはいないからた。 クリトン クリトン 無論、そうだ。 そうだ、きみの言うことは本当だ。 ソクラテス ソクラテス そうすると、たとい不正な目にあっても、世の多数の者 そうすると、仕返しに不正をしかけるとか、害悪を及ぼ が考えるように、不正の仕返しをするということは、とにすとかいうことは、世の何びとに対しても行なってはなら かく、どんなにしても、不正を行なってはならないのだと ないのであって、たといどんな目に、かれらから会わされ すると、そういうことも許されないことになる。 たとしても、それは許されないのだということになる。そ クリトン してそこのところで、クリトン、ひとっ気をつけてもらい それは明らかにそうだ。 たいのは、これらのことに同意を与えて行くうちに、むに ソクラテス もない同意をすることのないようにということだ。なぜな ところで、どうだね。害悪を加えるということは、クリ ら、ぼくはよく知っているのだが、こういうのは、ただ少 トン、なすべきことなのかね、それとも、なすべからざる数のひとが考えることなのであって、将来においても、そ ことなのかね。 れは少数意見に止まるだろう。だから、ちゃんとこう考え クリトン ている人と、そうでない人とでは、一緒に共通の考えをき 無論、なすべからざることだと思うね、ソクラテス。 めるということはできないのだ。お互いに、相手の考える ソクラテス 案を見て、軽蔑し合うにきまっているのだ。だから、きみ で、どうかね。害悪を受けたら、仕返しに害悪を与える もよくよく考えてみてくれたまえ。きみはぼくと共同して
て、そうしてやらねばならぬのに、ふいてやらず、お蔭で このような人がこのような人と共同する場合には、何処で 君ときたら、羊と羊飼の見分けもっかぬからだよ」と彼は でも、その共同関係が解体する時に、正しい人が不正な人 一一一口った。 よりもより多くのものではなくて、より少ないものを手に 「ええ、そんなことを、一体全体、なんで仰っしやるんで入れるのを見出すだろう。第二に、国に対することにおい すか」と私は言った。 ては、何らかの献納をする時には、正しい人は等しい持物 「それは、君が羊飼や牛飼は羊のための善や牛のための善のうちからより多くのものを献納し、他方はより少ないも のを献納する、また支給がなされる時には、一方は少しも を探求して、主人や自分のための善より他のものを目当て にしてそれらを肥らせ養っていると思い、そしてまた本当手に入れないが、他方は多くのものを獲得する。その上ま。 た、両者が何らかの役につく時には、正しい人々は、たと に支配者であるところの国の支配者は人が羊に対して抱く い他に損害は受けなくとも、自分の財産はなおざりのため 気持ちとは何か違った考えを被支配者に対して持ち、彼ら 自身がそれから利益を挙げ得るところのことより何か他の駄目な状態になるが、しかし正しい人間であるため国庫か ことを、夜昼通しで探求すると考えているからだよ。そしらは一文も儲けない、それに加えて身内の者や知人たちに て正しいことと正義、また不正なことと不正義について如 は、彼が正しさに背いて彼らに少しも奉仕する気のない時 には、憎まれることになる。然るに不正な人にはこれらと 何にもご造詣が深くて、正義や正しいこととは、実は他人の 善、すなわち強者で支配している者の利益であるが、服従はすべて反対のことが起こることになる。というのはここ に不正な人というのは私がさっき言ったちょうどその人、 して奉仕している者の身に蒙る損害であり、不正義はこれ と正反対であるということ、そして支配者は、本当にお人すなわち大がかりに多くのものを取ることのできる人々の 好しの正しい人々を支配し、被支配者たちは強者であるそことであるから。だからこの人を考察して見給え、もし不 の男の利益をなし、その男に奉仕しながら、彼を幸福にす正であることが自分にとって個人的には、正しい人に比べ、 るが、しかし自分自身を決して幸福にしない、ということどれだけ多くの利益になるかを判断しようと、君が思うな をご承知ない。しかし、ソクラテス君、君は大変のお人好らば、ね。そしてそのことを何にもまして最も容易に学ぶ ことのできるのは、不正を犯した者を最も幸福な者にする しだが、こういう風にして、正しい人が不正な人よりあら しかし不正を働かれて、しかも不正をなすことを欲し 、カ ゆるところで損をするということを考えてみなければなら ない。第一に、お互いに対してなされる商契約においては、得ない人々を最も不幸にする最も完全な不正の許に行って
ん、敵であることになりますが、正しい人は友人であるこ されたカであるということ 〕ようでないということは、わかり とになります」 ます。しかしまた正しい人々が、不正な人々より善く生活 「言論のご馳走を堪能し給え、ご遠慮なく。私としては君して、より幸福であるかどうか これは後で考察するこ・ に反対するつもりはないんだからね、ここにいる人々に嫌とを提案した問題震駟巴ですが、それを考察しなければ がられることのないようにさ」と彼は言った。 なりません。ところで、われわれがさきに言ったことか 「それでは、さあ」と私は言った、「どうか、ご馳走の残ら、私の思うところでは、今でも彼らはそうだとみえま りをも出して下さいよ、今と同じように、お答えになっす。しかしそれでも、なお一そうよく考察しなければなり ません。というのはこの言論は有りふれたことにではなく て。ところで、正しいん々の方はより知恵もあり、またよ り善くもあり、また事をなす力も一そうあるが、しかし不て、どんな仕方で生きなければならないかということに、 正な人々はともどもに事をなすことさえできないというこ関しているのですから」 とが明らかですーーーしかしまたわれわれは実際、或る人々。 「それじゃ、考察し給え」と彼は言った。 ・、不正なものでありながら、ともども共同してなにかをか 「考察します」と私は言った、「で、私に仰っしやって下 って強力に為したと主張しますが、それは本当のことを言 さい。あなたには何か馬の仕事があると思われますか」 っているのではありません、というのはもしたしかに彼ら 「そうだ」 が不正であるなら、お互いに手を控えてなんか、いやしない 「では、馬にせよ、その他の何ものにせよ、人がただそれ でしようから、いや、明らかに彼らのうちには、一種の正のみを用いてなすか、あるいはそれを用いて最も善くなす 義があって、それが彼らをしてお互いに対しては言わずも かすることがあれば、それをそれの仕事だとなさるでしょ がな、また同時に彼らが襲った人々に対してまでも、不正をうか」 働かせなかったのです。また彼らのなしたことは正義によ 「わからないね」と彼は言った。 ってなしたのです、しかし不正なことを目ざして突進した 「いや、こうです。眼より他に、それを以てあなたが見る のは、不正義によってであって、彼らが半端やくざだった ことのできるものが何かありますか」 からです、何故かと言うと、全く悪い者で完全に不正な者「もちろん、ない」 なら、また為すことも完全に不可能な者だからですーーと 「しかしどうです。耳より他のもので、聞くことができま もかくこれらのことがこうであって、あなたが最初に主張すか」
非難する人々は、誰でもが力を手に収めるや否や、直ちに これらのことを、ソクラテスさん、いや、おそらくまた できる限りの不正をするからです。そしてこれらすべてのもっとこれらよりたくさんのことを、トラシュマコスさん ことの原因は他でもないあの事情なのです、つまりそこかや誰か他の人が正義や不正義について弁じるでしようよ、 ら出発して、この男〔グラウコン〕の言論も私の言論もその少なくとも私の思うところでは、無躾けにそれらの力をあ 全部が、ソクラテスさん、あなたに向かって語られることべこべにすることによりましてね。しかし私としましては あなたに何も隠す必要がないので言いますが・ーー・あなト になった事情なのです。それはこうです、『何と驚くでは たから彼らの言うのとは、反対のことをお聞きしたいと思 ないか、その言葉が今日まで残っている昔の英雄神たちか って、できる限り一生懸命になって語っているのです。だ ら初めて、今日の人間にいたるまで、正義の賞讃者と称して いる諸君のうち、誰一人としていまだかって不正義を非難からわれわれのために言論によって、正義は不正義よりも し、正義を賞讃するのに、それらから生じてくる評判や名優れているということだけではなく、その両者はそれを有 している者をそれ自身としてそれ自身によって何にするが 声や褒美を云々する以外の仕方によったものはなかった。 しかしその両者のそれそれがそれをもっている人の魂のう故に、一方は悪いものであり、他方は善いものであるかとい うことを、示して下さい。つまりグラウコンがお願いした ちにあって、神々にも人間たちにも気づかれない場合に、 ように、思われを取り去って下さい。というのはもしあな 自分の力によって自分としては何をなすかということを、 たが両者から真実に一致した思われを取り去り、真実に反 つまり一方不正義は魂がそれ自身のうちに有しているすべ ての悪のうちで最大のものであり、他方正義は最大の善でした思われを付け加えようとなさらないなら、あなたは正 あるということを、誰一人としていまだかって詩においてしくあることではなくて、正しくあると思われることを賞 讃し、また不正であることではなくて、不正であると思われ も世間の話においても、言論によって充分に論じた者はな かった。というのは、もしそういう風に最初から諸君のすることを非難するものであり、また不正であることに気づ。 べてによって論じられて、われわれを若い頃から諸君が説かれないことを奨励するものであり、そしてトラシュマコ スさんに同意して、正しいこととは他人の善であり、優者 得していたなら、不正をしないようにお互いを警戒し合う ことはなく、却って各自が不正をなして最大の悪の同居人の利益であるが、不正なこととは自分には益のあるもの、 になることを恐れて、自分で自分を最もまく警戒したこと 利のあるものであるが、劣者には益のないものであるとい であろうから」 うことを認めるものだ、とわれわれは主張するでしよう。
「ご尤も」と彼は言った。 うです」と彼は言った。 「ところが、君、裁判官は魂を魂によって支配するのであ「また善い裁判官でもあるよ、これが君の訊ねたことだっ って、その魂が若い頃から悪い魂どもの中で育てられ、そたが。というのは、善い魂を持っている者は善い者なんだ れらに接して、それ自身があらゆる不正をつぎつぎに犯し から」と私は言った、「しかしあの上手な、邪推深い煮 てきて、その結果他人の不正を、ちょうど身体の場合の病自分自ら多くの不正を犯した、抜け目のない、そして自分 気のように、自分に徴して鋭く推し測るということは、許を知者だと思っている者は、同じような者と接する時に は、自分のうちの典型を打ち眺めて、用心するので、達者 されないのだ。むしろ、それ自身は若い頃には悪い性格に なものであることを示すが、しかし善くて年取った人々に は無経験で、そしてそれに染んでいないものでなければな らない 、もしそれが将来立派な善いものでありながら、正近づくや否や、逆に愚者たることを示すのだ、このような しいことを健全に裁こうというのであれば、ね。だから実人の典型を持っていないから、健全な性格を不当に信じな かったり、知らなかったりするので、ね。しかし立派な人 際また、立派な人々は若い頃には人が好くて、不正な人々 によって騙され易いものであることを示すのだ、それは自人よりも、悪い人々の方に出会うことが多いので、彼は、 分自身のうちに悪い人々の典型と同じような性質の典型を無知者ではなくて、知者だと信じ、また他の人々にも、そ う思われるのだ」 持っていないからなのだ」 「ええ、全く以てその通りですーと彼は言った。 「ええ、たしかにそうです、全くそんな目に彼らは遇って いますーと彼は言った。 「だから、実際」と私は言った、「善い裁判官は若い者で 宅「それでは」と私は言った、「善くて知恵のある裁判官 はなく、老人、それも不正がどのようなものであるかを、 として求めなければならぬのは、このような者ではなく 年とってから学んだ者で、自分の魂のうちに不正が自分のて、さきの者である。というのは悪は徳をも自分自身をも ものとしてあるのを感じたことがなく、むしろ他人の魂の決して知るときはないだろうが、しかし徳は、本性が教育 うちに他人のものとして、本来それがどのような悪であるせられれば、時の経つうちに自分と悪との知識を同時に、 かを、長い年月をかけ、自分の経験ではなくて、知識を用受け取るだろうから。だから知者になるのは、私の思うと・ いて見分ける稽古をつんだ者でなくてはならない」 ころでは、この者であって、悪い者ではない」 「ともかく、そのような裁判官は非常に高貴な裁判官のよ 「私も同じくそう思います」と彼は言った。