的 - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想11 カント<下>
506件見つかりました。

1. 世界の大思想11 カント<下>

索 わち ~ 引 ・・・ 3 熱 95 . , 110 , 115 , 242 理性の道具すなわち ~ 117 個体 (lndividuum) ・・・・・・ 2材 国家 ( Staat ) ・・・・・・ 450 古典的 ( klassisch ) ・・・・・・ 1 1 f. 後天的 ( a posteriori ) ~ に感官を通して与えられ る・・・・・・ 246 言葉 ( 言語 ) (Sprache) ・・ 54 * , 204 幸福 (GlückseIigkeit) ~ は浮動する概念・・・・・・ 9 , 391 ~ は単なる観念・・・・・・ 3 田 ~ は経験的に制約される 399 * , 429 ~ は人間の最後の主観的目 的・・・・・・ 389 , 412 ~ は理論的には未解決的 ・・・ 430 ~ は自然の目的にあらず ・・・ 339 * , 412 ~ には絶対的価値なし・・・ 13 , 411 , → ( 395 * , 425 ) 民衆一般の ~ 394 ~ と ( 人倫 ) 道徳・・・・・・ 429f. 合法則性 ( Gesetzmässigkeit ) 実践的 ~ の原理は形而上学 的・・・・・・ XXVIII , XXX, XXXIX, 154 , 434 自然の ~ 原理は先験的・・・ XXIXff. 自然の ~ は反省的判断力の 主観的格率・・・・・・ XXXIV , XXXVIIf. , 269 快の感情と結合せる ~ XXXVIIIf. 単に主観的 ~ ・・・・・・ XL Ⅱ I , ( → XLIV, LI, 3 ) 統整的原理としての ~ ~ の区分 1 ) 形式的 ( 主観的 , 直感 的 ) ~ と 2 ) 実在的 ( 客 観的 , 論理的 ) ~ とへの 1 ) 直感的 ( 美的 ) 自然の XLVIII は自由のうちにある判 断力の合法則性・・・・・・ 119 ( → 118 , 207f ” 252 ) XLII- 形式的 ~ ・ XXIX, 自由な ~ 悟性の ~ 203 ・・・ 69 ・・・ 69 , 146 , 28 , ・・・ ( → 44 ー , 55 ) ( → 282f. , 298 , 300 ) a) 外的 , 相対的 ~ の区分 279ff. , 295ff. , 371 , 379f. , 経験的実在的 ~ 279 実質的 279 * 形式的な ~ ~ 427 ) ・・・ 1 , 271 , ・・・ 27 Ⅱ f ” ・・・ 275 321 , 323 , 4 , 447 主観的および客観的 ~ 直観的 ~ および論理的 ~ ・・・ 257 根拠 (Grund) ・・・ 趣味原理の ~ ・・・ 2 f. 合理主義 ( Rationalismus) ・・・ 319 ー 323 自然の ~ を処理する諸体系 仮説的 ~ ・・・・・・ 2 四 技巧的 ~ 純粋知性的 ~ ・・・・・・ 123 , 173f. 最高の ~ の理念・・・・・・ 60 333 ー 339 対する批判的原理・・・ 客観的 ~ は反省的判断力に 269 f. 客観的 ~ は統整的・・ 251 客観的 ~ の実在主義・・・ XLIV, 36f. , 118 , 277 目的なき ~ ・・・ 44 , 61 , 69 , 170 , 247 , 274 主観的 ~ の単なる形式・・・ 37 , 恥 ( → 8 Ⅱ f. , 115f. , 118 , 132 , 13 1 , 150 「 . , 156 , 1 , 236 , 245 , 247 , 252 , 267 ) の観念主義・・・・・・ 246 ー 254 2 ) 客観的 ~ 自然の ~ ~ 268ff. の論理的表象・・・ XLVIII—LIII 善は , ~ ~ すなわら対象と 目的との関係を前提する 13 道徳的 ~ →道徳的 自然の貫徹的 ~ ・・・ 313 目的による ~ 268 法則なき ~ 69 合目的性 (Zweckmässigkeit ) 事物の形態の ~ とは , 目的 に従ってだけ可能なその 事物の性状とその事物と の合致・・・・・・ XXVIII 一般・・・・・・ 32 ー 34 偶然的なものの法則性すな 感性的なものの ~ は超感性 根源 (Ursprung), あらゆる 存在者の ~ ・・・ 273 根源〔的〕存在者 (Urwesen) スヒ。ノザの ~ ・・・ 323 ~ の偶有性・・・・・・ 325 , 326 ~ の理念・・・・・・ 336f. , 401 ( → 413f. , 4 f. , 7 , 469 , 475f. )

2. 世界の大思想11 カント<下>

働く ( 能動的 ) ~ と目的 ~ 289 , 291 意図に従って働く 3 , 5 , 374 , 397f. , 421 * 4 四 , 7f. 趣味の主観的 ~ XLVII, 143ff ” 259 , 312 道徳の客観的 ~ ・・・・・・ 259 , 313 道徳法則の主観的構成的 ~ ・・・ 429 , 437 技術的・実践的 ~ , 道徳的・ ・・・ 316 ・・・ XV , 304 ・・・ XXIX ・・・ XIIIf. 高貴 ( Edel ) ・・・・・・ 122 , 123 コ 目的原因の ~ 超感性的 ~ 先験的 ~ 実践的 ~ 根源的 ~ 生産的 ~ 建築的 ~ ・・・ 317 , 372 産出の ~ 叡知的 ~ 超自然的 ~ 理性的 ~ ・・・四 2 , 372 , 421 ・・・ 407 叡知による ( 悟性的 ) ~ 326 原型 (Archetypon) ・・ 建築術 (Baukunst) ・ 2 f. 現実性 (WirkIichkeit) ・・ 340f. , 452f. ・・・ 207 ・・ 42 , 道徳的 ~ ・・・・・・ 121 333f. 主観的および客観的 ~ 314 構成的および統整的 ~ 目的論的 ~ ・・・・・・ 296 自然科学の ~ ・・・ 2 f. 原則 (Grundsatz) 245 , 6 , 352 , 474 XVIII, XLII, 3 , 2 , ~ と物自体との対立・・・ 感官の客体としての ~ ・・・ XV Ⅱ 可能な経験の対象としての 現象 (Erscheinung) 謙譲 ( Demut ) ・・・・・・ 108f. , 1 悟性 (lntellectus) 原型的 ~ ( I. archetypus) と模型的 ~ ( I ・ ectypus) ・・・ 350f. 悟性概念 (Verstandesbegriff) ~ は経験に内在的・・・・・・ 0 9f. ~ は理念と対立す・・ ・・・ XXIV 純粋 ~ ( 先天的自然概念 ) ・・・ 235 ~ は証示されうる・・・・・・ 240 合規則性 (Regelmässigkeit) ・・・ 70 ー 72 考古学 (Archä010gie ) ・ 4 , 9 , 3 , 385 * 悟性 ( 叡知 ) (Verstand) 概念の能力としての ~ XLIV, , 74 , 131 , 155 , 242 , 277 , 8 , 347 ~ は自然に法則を指令する ・・・ IV ( → VII, XXV, LIII, LVf ” LVIII, 313 , 339 ) 普遍的 ~ 法則 ( 自然法則 ) ・・・ XXXVIII ~ は直観を概念の規則にも たらす・・・・・・ 1 ~ は普遍より特殊に至る ・・・ 347 , 348f. ~ と理性との関係・・ XVII f ” XXI, XXVI, 339 ~ と構想力との関係・・・ 構想カ ~ の格率・・・・・・ 160 , 314 ~ の先天的原理・・・・・・ 147 推理的 ~ ・・・・・・ 347 直的—X XVII, 340 , 341f. , 345f. , 7 ~ は全体より特殊に至る ・・・ 349 12 構成的 (konstitutiv) ・・・・・・→ 原理 構想カ ( Einbi ldungskraft) ・・・ XLIV, 146 表出の能力すなわち ~ 74 直観の能力すなわち ~ 生産的 ~ 69 , 193 再生的 ~ 57f. , 69 多様を総合する ~ 65 , 69 , 1 空間を規定する ~ 155 ・・・ 28 , ・・・ 276 原理 (Prinzip) 先天的 ~ XXX, 113 ・・ III, XII, 規定的および反省的 ~ 経験的 ~ 構成的 ~ ・・・ XXII*,XXXI ・・・ V, 260 , 270 , 301 , 342 , 3 盟 f ” 350 ・・・ XXIX f. 形而上学的 ~ 統整的 ~ 四 4f f, 339 , 342 , 3 轗 f ” ~ と悟性との関係・・ 69 , 74 , 1 四 , 144 , 192 孖 . , 205ff ” 9 ~ の自由な合法則性・・・・・・ 69 ~ の自由 ( 自由のうちにあ る ~ ) ・・・・・・ 146 , 161 , 199 , 252 , 259f. , →自由 ・・・ 302 夢における ~ ~ の数学的および力学的情 理念に対する適合の感情と しての ~ ・・ , 93 ,

3. 世界の大思想11 カント<下>

認識 (Erkenntnis) 経験的・・・・・・ 150 形式的・・・・・・ 147 XXXIf. 神の ~ 判断 (Urteil) 美的 ( 直感的 ) ~ ・・・・・・→美的 ・・・ 257 , →神 先天的綜合 ~ 認識する (erkennen) ・ 479 ー 481 認識能力 (Erkenntnisver- mögen) ・・・・・・ Vll, XXlIIf. 上級〔位〕 ~ ・・・・・・ 243 叡知的なものに一致した ・・・ 147 ネ 151 ~ の自由な活動・・・ . ・・ 28f. , ~ と客体との関係・・・・・・ 454 ~ の制限・・・・・・ 339 熱情 (Enthusiasmus) ・ 121 , 124 sches Prinzip) ・ 発見嚮導的原理 87 , 91 , 93f. , 98f. g ) ・・・・・・ XLIV , XLVIII, 把握〔捉〕 ( 覚知 ) (Auffass- ・・・ 355 (heuristi— 133 XXXVII 反省的自律性 (Heautonomie) →判断力 反省的 (reflektierend) ・・ ・・・ 118 , 形式に関する ~ 118 直感的判断力の 直感的 ~ ・・・・・・ XLV 仕 判断力の ~ ・・・ XXXVf ” 反省 ( Reflexion ) 373 汎神論 (Pantheismus) ・・ 2 , →天才 範〔典〕型 ( Muster ) ・・・・・・ 2 開 f. , 花 ( Blume ) ・・・・・・ 49 , 61 * 先天的 ~ 規定的 ~ 感覚 ~ 認識 ~ 趣味 ~ ・・・ 147 , 150 ・・・ , 331 , 3 f. ・・・ IV , 147 ・・・→認識 ・・・→趣味 論理的 ( 理論的 ) 4 , 5 , 74 , 140 , 142 , 147 道徳的 ~ 客観的 ~ 反省的 ~ ・・・ 21 , 25 , 170 ・・・ XLVIII, 74 , a) 美的 ( 直感的 ) ~ VIII, IX, XLVIII, LII, 79 , 152 , 2 , 252 は形式的合目的性を 判定する能力・・・・・・ Lff. の批判・・・・・・ 3 ー 2 b) 目的論的 ~ は客観的合 目的性を判定する能力 目的論的 ~ は反省的 ~ ・・・ LII 反省的 ~ は単なる統整的原 は規定的 ~ と対立す ・・・ 311 , 313 は単に主観的な反省の 原理を含む・・・・・・ 312 , → は目的論的・・・・・・ 295 , 387 , 391 , 407f. , 470 , 147 , 3 純粋 ( 趣味 ) 151 * , 170 感官 ~ ・・・・・・ 24 , 74 , 231 ・・・ 89 , 119 , 目的論的 ~ 132 , 189 , 283 , 303 * , 3 合理的 ( 理性を含む ) ~ 231 , 231 * , →詭弁的 判断力 (Urteilskraft) 常識 ( 健全な悟性 ) としての ・・・ VII 判断する能力としての ~ ・・・ 145 特殊を普遍の内に含まれた ものとして思惟する能力 ・・ XXV, すなわち ~ 経験的直観を概念に包摂す る能力すなわち ~ 349 , → VII 悟性と理性との中間項を形 づくる ~ ・・・ V , XXf. , LII-LVIII 先天的に立法的な能力たる ・・・ XXVf. ~ は自然概念と自由概念を 媒介する・・・・・・ LV , LV Ⅱ ~ は哲学体系の一部門では ない・・・・・・ VI , X ~ の区分 20 理論的反省的 ~ 430 , 4 , 474 ・・ 418 , 反省的 ~ と規定的 ~ XXVIf. , XXXII, XXXVIIf. , XLI, 269f. , 301 , 308 , 311f. , 316 , 318 , 3 四 , 330 f. , 333 f. , 350 , 357f. , 0 , 365f. , 387 , 431 , 433 , 437 f. , 446 美的 ( 直感的 ) ~ と論理的 ~ ・・・ 152 ( → 4 , 5 , 18 ) 知的 ~ ・・・ 160 , 168 ・・・ 18f. 弁証論的 ~ 自由な 119 純粋 ~ 先験的 ~ ・・・ XXVI ・→先験的 ~ の二律背反・・・・・・ 312 仕 ~ によって概念を図式と象 徴へ適用・・・・・・ 2 ~ の格率・・・・・・ 160 ~ の形式的制約・・・ ... 151 * 152 ~ の主観的制約・・・… 18f. ,

4. 世界の大思想11 カント<下>

偶然性、したがって偶然性と区別さるべき必然性などは、こ必然性に対立することになる。すなわち道徳的には絶対的に うした存在者の表象へまったく入り来たりえないであろう。 必然的な行為が、物理的自然の側ではまったく偶然的と見な われわれの悟性が、その概念をもってしても理性に張合うこ されるのである ( すなわち、必然的に生起すべきものが実際 とのはなはだ困難であるわけは、理性が客体に属するものと にはしばしば生起しない ) 。それゆえ道徳的法則が命令とし して原理とするその同じものが、人間に属するものとしての て ( また道徳的法則に一致する行為が義務として ) 表象され 悟性にとっては経験を超絶するもの ( すなわち悟性の認識のねばならないこと、ならびに、理性がこの必然性を存在 ( 出 主観的制約にしたがっては不可能なもの ) であるという事情来事 ) によってではなく、在るべしという当為によって表現 なのである。 ここでは「客体の認識が悟性の能力を越えすることが、われわれの実践的能力の主観的性質にだけ由来 る場合に、われわれはあらゆる客体を、われわれの ( すなわすることは明瞭である。もし理性が感性 ( 理性が自然の対象 ち人間的な ) 本性に必然的に付随するところの、それらの能 へ適用されることの主観的制約としての ) をはなれ、自己の 因果性にしたがって、すなわち道徳的法則と完全に合致する 力の運用の、主観的制約にしたがって考える」という格率が つねに妥当するのである。そしてそうした仕方によって下さ叡知的世界における原因として考えられたならば、このよう なことは起こりえないであろう。なぜなら、そうした叡知的 れる判断は、客体がどういう性質のものであるかを規定する 構成的原理ではありえないとしても、 ( 経験を超絶する概念世界においては「当為」と「行為」の間に、もしくはわれわ に関して事情はそうあるのほかはない ) 、しかし認識能力のれによって可能であるものについての実践的法則とわれわれ によって現実的であるものについての理論的法則との間に、 運用にとって内在的であり、人間的見地には適合していると 何ら区別は存しないであろうからである。だがしかし、一切 ころの、確実な統整的原理であることを失うものではない。 理性は理論的に自然を考察するにあた「て、自然の始源的のものが単に ( ある善いものとして ) 可能であるがゆえに現 根柢の無制約的必然性という理念を想定せざるをえないのと実的であるような叡知的世界は、またこうした世界の形式的 同様に、実践的考察においても、自己の道徳的命令を意識す制約としての自由でさえも、われわれにとっては経験を超絶 批ることによって、理性に固有な ( 自然に関して ) 無制約的因する概念であって、それはおよそ客体とその客観的実在性と 断果性、すなわち自由を前提する。ところでここでは義務としを規定すべき構成的原理たるに適しないけれども、しかし、 判 ての行為の客観的必然性は、そうした行為の根拠が自然のうわれわれの ( 一部分感性的な ) 本性と能力の性質の上からい って、われわれにとっても、感性界に関係するあらゆる理性 ちに存して、自由 ( すなわち理性の因果性 ) のうちに存しな いとした場合に、単なる出来事としてその行為がもっ客観的的存在者にとってもーーそうした存在者がわれわれの理性の

5. 世界の大思想11 カント<下>

道徳的感情・・・ 道徳的関心・・・ 道徳的感能・・・ 道的原則・・・ 道徳的狂信・・・ 道徳的教養・・・・・・ 211 道徳的決断・・・ 道徳的根拠・・・・・・ 197 277 道徳的心情・・・ 道徳的性格・・・・・・ 281 道徳的カ・・・・・・ 265 道徳的動機・・・・・・ 1 72 , 74 , 76 , 77 , 101 , 109 ー 127 , 117 , 1 , 245 , 2 128 , 134 , 135 , 1 , 137 , 142 1 , 147 , 148 , 149 , 160 , 189 210 ー 213 , 224 , 225 , 228 , 0 238 , 2 , 249 , 257 ー 266 , 271 , 252 , 257 ー 261 , 2 , 幻 9 ー 290 272 , 274 , 1 , 283 , 284 , 285 169 , 174 , 226 , 251 人間・・・・・・ 15 , 87 , 108 , 1 , 145 ー 148 , 150 , 1 , 155 , 156 , 193 , 209 , 210 , 2 , 231 , 237 , 241 , 269 , 270 , 271 , 274 , 279 , 280 281 , 2 , 2 , 2 田 分析論・・・・・・ 31 , 72 , 73 ・・・ 21 , 29 , 122 , 159 ・・・ , 69 ・・・ 261 , 272 , 2 ・・・ 67 ・・・ 167 , 238 ・・・ 18 , 151 , 153 ・・・ 287 道徳的実質・・・・・ 3 , 274 , 275 , ・・・ 272 , 281 , 2 道徳的必然性・・・・・・ 226 道徳る国・・・・・・ 147 , 262 道徳的理念・・・・・・ 230 道徳的立法・・・ 道徳的本性・・・・・・ 28 ・・・ 66 , 四 4 道徳的法則・・・・・・ 53 , 57 , 58 , 59 , 64 ー 67 , 71 ー 75 , 79 , 81 , 82 , 道徳律・・・・・・ 5 , 6 , 7 , 10 , 54 , , , , 87 , 98 , 的 , 110 ー 115 , ・・・ 165 , 235 227 , 231 ー 234 , 237 ー 241 , 247 , 197 , 205 , 2 , 217 , 218 , 219 ー 168 , 173 , 177 , 178 , 189 , 1 % , 139 , 142 , 1 , 151 , 158 , 167 , 118 , 122 , 124 ー 133 , 137 , 138 , 213 , 228- 1 , 幻 0 ー 279 徳・・・・・・ , 150 , 151 , 198 ー 209 , 道徳論 ( 説 ) ・・・ 独断的・・・ 内在的・・・・・・ 31 , , 189 , 240 内官・・・・・・ 173 , 175 , 210 内感・・・・・・ 41 , 102 , 142 ナ ・・・ 17 , 1 内面的・・・・・・ 210 , 2 内的立法・・・・・・ 51 内的直観・・・・・・ 9 内的・・・・・・ 68 , 69 , 70 内面的自由・・・・・・ 287 二律背反・・・ ・・ 4 , 27 , 53 , 193 , 204 ー 207 , 214 , 239 247 , 255 , 2 , 263 , 265 , 263 , 285 , 2 認識能力・・・ 認識根拠・・・・・・ 7 , 203 人間性・・・ 2 , ・・・ 276 , 279 ー 284 , 288 認識・・・・・・ 6 , 31 , 73 , 86 , 99 , 159 , 190 , 203 , 216 , 218 , 233 , 240 ー 245 , 2 , 249 , 2 , 269 判断・・・・・・ 18 , 101 , 132 , 218 , ・・ 27 , 37 , , 47 , 93 , 被制約者・・・・・ 1 , 187 , 192 , 9 , 10 , 94 , , 115 , 判断力・・・・・・ 119 ー 125 , 275 , 2 238 , 193 必然性・・・ 必然的・・・・・・ 21 ー 26 , 63 , 99 , 172 , 224 , 225 , 8 ー 244 , 251 , 257 1 的 , 203 ー 207 , 214 , 218 , 220 , 263 否定的・・・・・・ 133 , 139 必然的存在者・・・・・・ 259 5 表象・・・・・・ 16 , 29 , 40 ー熱 評価・・・・・・ 4 , 2 批判的道徳論者・・・・・・ 13 批判・・・・・・ 3 , 7 ー 13 , 193 , 1 , 2 不快・・・・・・ 39 , 42 ー 45 , , 102 , 103 , 105 , 109 ー 112 , 129 不可欠条件・・・・・・ 235 福・・・・・・ 104 , 105 福音 ( 書 ) ・・・・・・ 149 , 150 , 153 , 230 服従・・・・・・ 143 , 1 269 , 四 1 , 2 不死・・・・・・ 4 ー 8 , 22 , 26 , 2 , 8 , 246 , 249 , 257 普遍的立法・・・・・・ 49 , 50 , 54 , 70 弁証論・・・・・・ 31 , 114 , 187 , 192 , 分析的・・・・・・ 19 , 26 , , 90 , 200 , 203 193 , 1 法式・・・・・・ 14 , 122 ホ 法則・・・・・・ 36 ー 41 , 45 ー , 55 ー 61 , 方法・・・・・・ 269 , 284 229 , 246 , 264 , 283 本性・・・・・・ , 1 , 210 , 228 , 星の輝く空・・・・・・ 2 方法論・・・・・・ 31 , 269 , 2 田 211 , 212 , 213 , 264 , 287 102 , 107 , 109 , 1 , 208 , 210 , 満足・・・・・・ 41 , , , 45 , 恥 , マホメットの楽園・・・・・・ 217 本体的原因・・・・・・ 85 , 97 , 175 95 , 的 , 1 , 206 本体・・・・・・ 10 , 11 , 73 , , 新 , 94 ,

6. 世界の大思想11 カント<下>

おいてさえもこの感情の変化による要求の相違に関係があをえて苦をさけるために自らが用いねばならない手段に関し る。したがって、主観的に必然的な法則 ( 自然律として ) は ても全く同じであると仮定するとしても、自愛の原理がかれ 客観的には極めて偶然な実践的原理である。この原理は異な らによって実践的法則と呼ばれることは絶対にありえないで った主観において甚だしく異なったものでありうるし、またあろう。というのは、このような一致はそれ自身偶然である そうなければならない。したがって決して法則を与えること にすぎないであろうから。そのような規定根拠は常に主観的 はできない。それというのが、幸福に対する欲求において問 に妥当するにすぎないであろうし、単に経験的であるにとど 題となるのは合法則性の形式ではなく、単に質料である、すまるであろう。そしてあらゆる法則において考えられるよう なわち、法則にしたがうに当ってわたくしは満足を期待すべ な必然性、つまり、ア・プリオリな根拠からくる客観的必然 きであるかどうか、そしてどの程度に期待すべきであるかと性をもたないであろう。一体、そのような主観的必然性はぜ いうことであるから。なるほど、自愛の原理は熟練と一般的んぜん実践的ではなく、単に自然的なものといわれるよりほ かないであろう。つまり、他人があくびするのを見てあくび 法則 ( 意図に対する手段を見つけだすべき ) を含んではいる ( 原注 ) が、その場合には単に理論的な原理であるにすぎない。たとするのと同じように、行為はわれわれの傾向性によってどう してもわれわれに強制されることになるであろう。絶対に客 えば、パンを食べたいと思うものが製粉機を想いうかべねば ならないようなものである。けれども、自愛の原理に基づく 観的なそして単に主観的でない必然性をもっていて、経験 実践的な指図は決して普遍的ではありえない。というのは、 ( 経験的にはどれほど普遍的であろうとも ) によってではな その場合には欲求能力の規定根拠は、普遍的なものとして同く、ア・プリオリな理性によって認識されていなければなら 一の対象に向けられたものとは受けとれない快不快の感情に ない実践的法則の段階にまで単に主観的な原理が高められる 基づいているからである。 よりは、むしろ、実践的法則などはぜんぜん存在しない、 存 原注七数学や自然科学などで実践的と呼ばれる命題は本来技術的 (techni ・ sch) と呼ばる・ヘきである。というのはこれらの学問が問題にするのは、ぜん 在するのはわれわれの量望に対する忠告だけだと主張したほ うがいいかも知れない一致した現象の法則でさえも、現に ぜん意志規定ではないからである。それは、或る結果をもたらすのに十分な、 ア・。フリオリに認識されるか、われわれの洞察がより深く及卵 いろいろな可能的行為を示すにすぎない、したがって原因と結果の結合をい い現わすあらゆる命題と同じように理論的である。そこで、その結果を求め ぶならば、客観的根拠からア・。フリオリに認識されるであろ る人は原因をも承認せざるをえないのである。 うと思われる ( 化学的法則の場合のように ) かする場合には、 自然律 ( たとえば、力学的法則 ) と呼ばれる。しかしながら、 けれども、もし有限な理性的存在者が、なにを快もしくは 苦に対する自らの感情の対象と考えるかに関しても、また快単に主観的な実践的な原理にあっては、その根柢に客観的で

7. 世界の大思想11 カント<下>

自然が特殊的法則にしたがう諸々の生産物において悟性に合れわれの判断力と上述のように合致すること ( それはわれわ 致することの偶然性が、それに対しては見出されないようなれの悟性にとっては目的の媒介によってだけ考えられる ) を 悟性なのである。しかもわれわれの悟性に、自然の多様なもわれわれは必然的と表象しうるのである。 のを認識の統一にもたらすことをば至難にしているものこそ われわれの悟性は、その認識にあたって、たとえばある生 その偶然性なのである。われわれの悟性は諸々の自然特徴を産物の原囚の認識にあたって、分析的に普遍的なもの ( 概 われわれの概念の能力に調和 ( その調和がはなはだ偶然的で念 ) から、特殊的なもの ( 所与の経験的直観 ) へ進まざるを ある ) させることによってだけこの仕事を果しうるのである えないという性質をもっている。したがって吾性は、この場 が、直観的悟性ならばそうしたことを必要としないのであ合に、特殊的なものの多様性については何ごとをもまったく る。 規定せず、むしろ判断力に対するこうした規定を、経験的直 したがって、われわれの悟性はわれわれの悟性による認識 3 観 ( 対象が自然生産物ならば ) が概念に包摂されることか において、普遍的なものによって特殊的なものが規定されら、期待しなくてはならない。ところでわれわれの悟性のよ ず、したがって特殊的なものが普遍的なものだけからは演繹 うに推理的ではなくして直観的であるがために、総合的に普 されない、という特質を判断力に関してもっている。にもか遍的なもの ( 全体者そのものの直観 ) から特殊的なものへ進 かわらず自然の多様性のうちに存するこの特殊的なものは、 むような悟性、 いいかえれば全体から部分へ進む悟性をも考 普遍的なものヘ包摂されうるように、普遍的なものと ( 概念えることができる。したがってこのような悟性と全体につい と法則によって ) 合致せねばならないのであって、この合致てのそれの表象とは、全体についてのある規定された形態を は、そうした事情のもとにおいてはなはだ偶然的であり、判可能にするために、部分の結合における偶然性を含むとい 断力に関して規定的原理を欠くものでなければならない。 うことはない。そういう偶然性がわれわれの悟性に必要とな けれどもなお、自然事物と判断力とのそうした合致 ( われるのは、これが普遍的に思惟された根拠としての部分から、 われはこれを偶然的な合致として、したがって特にこれに向それに包摂さるべき帰結としての種々の可能な形態へ進ま けられた目的によってだけ可能なものとして表象する ) の可ねばならないような悟性であるからである。われわれの悟性 能を少なくとも考え得ようがために、同時にわれわれはあるの性質にしたがえば反対に、自然の実在的全体は、諸々の部 〔われわれの悟性とは〕異なる悟性を考えなければならな分の起動力の共働の結果と見なされねばならない。したがっ ししいかえれば、そういう吾性に関して、 しかもそうてわれわれの推理的悟性にかなって、全体の可能を部分に依 いう悟性に帰せられるあらゆる目的以前にーー自然法則がわ存的と表象するのでなく、直観的 ( 原型的 ) 悟性の標準にし

8. 世界の大思想11 カント<下>

満足の対象は関心を生むがゆえにその点においてふたたび美 同じことは人間の形姿のうちの崇高なもの美しいものについ 〔直感〕的満足とは一つにし難い。すなわちその関心は、表 てもいわれうる。すなわちここでは、人間の肢体のすべてが そのため存在しているところのさまざまの目的の概念を判断出が美〔直感〕的判定において満足と調和すべきものとすれ の規定根拠として顧慮してはならない。また、それらの目的ば、われわれが表出のうちにこれと結びつける感官の関心を と四岐との一致にわれわれの美〔直感〕的判断を左右する影介してでなければ決してあらわれえないものであり、しかも 響をもたせては ( そうであ 0 ては美〔直感〕的判断はもはやそうなれば知性的合目的性は毀損せられ不純となるのであ 純粋な美〔直感〕的判断ではない ) ならない。もっとも肢体る。 純粋で無制約的な知性的満足の対象とは、われわれの内部 が目的と撞着しないことももちろん美〔直感〕的満足の一つ において道徳律に先行する心情のあらゆる動機の上にその成 の必要な制約ではあるが。美〔直感〕的合目的性とはその自 由のうちにある判断力の合法則性なのである。対象について力を揮っている道徳律である。この威力は本来儀牲を捧げる の満足はわれわれが構想力を入り込ませようとする関係に依ことによってだけ直感的に知らされるのであるから ( それは たとえ内面的自由のためとは 存するものであるが、ただ構想力はそれ自身として心情を自何ものかの剥奪ではあるが いえーーしかしそのかわりこの超感性的能力の底知れぬ深さ 由な営みのうちに維持して楽しませるのでなければならぬ。 を、そのわれわれの眼に見透されない遙かなものへまでおよ これに反し、感官の感覚であれ、あるいは悟性概念であれ、 ぶ結果とともにわれわれの内部に啓示するものである ) 、そ 他の何のかが判断を規定すれば、その判断は合法則的では の満足は美〔直感〕的側面からは ( 感性に関係しては ) 消極 あっても自由な判断力の判断ではない。 それゆえ知性的美とか知性的崇高性とかを口にするなら的であり、すなわち感性の関心に背いたものである、しかし ば、まず第一に、こうした言葉は完全には正しくないのであ 知性的側面から考えれば積極的であって、ある関心と結合し る。なぜなら美や崇高性は、もしわれわれが単に純粋な知性ている。このことから続くのは、知性的なそれ自体として合 的存在者であったならば ( あるいは単に頭のなかでそうした 目的的な ( 道徳的 ) 善は美〔直感〕的に判定されるとき、美 としてより、むしろ崇高と表象されねばならぬこと、したが 資格へわれわれをおいて考えても ) 、われわれのうちにまっ ってそれは愛と親しい愛着の感情よりもむしろ尊敬の感情 たく見出されないであろうような直感的表象様式であるから である。第二には、この両者とも知性的 ( 道徳的 ) 満足の対 ( 魅力を軽んずるところの ) を喚起することである。なぜな ら人間の本性は、自発的にではなく、かえって理性が感性へ 象として見られるとき、関心に基づかないかぎりにおいては 加える強力をとおしてだけこの善と調和するからである。 直感〔美〕的満足と相容れうるとしても、知性的 ( 道徳的 )

9. 世界の大思想11 カント<下>

( ルテンシ、タインにしたがって、 nach をそのすぐあとに加えて訳してお的実在性が与えられる。が、ただそれは実践的に適用される 実在性にほかならない。けれども、この対象の理論的認識、 (= ) フォルレンダーはこの「理論的」と「規定的」とを逆にしたほうがい すなわち、純粋理性によるこの対象の本性についての知識に いといっている。 対しては、これを拡めようとしても、少しもきき目はない。 もしわたくしがヒュウムと共に実践的に用いる場合の客観 事実これから後の章でわかることであるが、それらの範疇は 的実在性を物自体 ( 超感性的なもの ) に関しても感覚の対象 いつもただ知性としての存在者に、この存在者においてもた に関しても原因の概念からうばってしまうならば、その概念 だ意志に対する理性の関係に、したがっていつもただ実践的 はあらゆる意味を失ってしまい、理論的に不可能な概念とし なものにだけ関係する。そしてそれ以上こよ、 、よる認識に て全然用いることのできないものとされてしまうであろう、 も手を出すようなことはしない。しかし、このような超感性 そして、なんでもないものを用いることは全然できないか ら、理論的に空しい概念を実践的に用いることは全く不合理的な物を理論的に表象する仕方に伴 0 ているいかなる性質が なおそのほかにこの範疇と結びつけられるにしても、これ となるであろう。ところが、経験の制約を受けない因果の概 らのものはすべてその場合、知識とは見られないで、それら 念は理論的には空しい ( それに対応する直観がなくては ) も を想定し、前提する権利 ( 実践的な意図からいうと極めて必 のであるけれども、やはり可能なものであり、不定の対象に 然的な ) と見られる。これは、超感性的な存在者 ( 神として繝 関係する。がその代りに、道徳律においては、したがって実 の ) を類推によって、 いいかえれば、感性的存在者に関して 践的な関係においては、この概念に意味が与えられる。そこ で、わたくしはこの概念に対しその客観的な理論的な実在性われわれが実際につか 0 ている純粋理性の関係によ「て想定 を規定する直観はも「ていないが、それにも拘らず、具体的四する場合でもそうである。そこで、実践的な意図からではあ っても、超感性的なものにかく適用したからといって、純粋 に意向とか格率とかにおいて現わされるように、現実にそれ 理論理性が極端なものに熱狂することを少しも助けてくれる を適用する。つまりそれは指摘しえられる実践的実在性をも 「ている。以上のことは本体に関してさえもこの概念を認めわけではない。 、・、、、レテンシュタインこしこ ( ) 原典には「想定する」という字はなしカノ / るのに十分である。 がって補った。 けれども、このように、超感性的なものの範囲内での純粋 悟性概念にひとたび客観的実在性が与えられたのだから、今 後このほかのすべての範疇にも、純粋意志 ( 道徳律 ) の規定 根拠と必然的に結びついている限りではあるが、やはり客観

10. 世界の大思想11 カント<下>

も、死後における人格の存続または非存続についても、われなわち、証明されねばならぬものの直接的な経験的提示によ われの全理論的認識能力による思弁的根拠からは認識を拡張「てなされる証明であれ ( 対象の観察あるいは実験による証 する規定的判断が断じて可能でないということである。した明の場合のような ) 、あるいは理性によって先天的に原理か がってここでは、一切のことがらが実践・必然的見地におけらなされる証明であれ、すべてそれは説服するものではな るわれわれの存在の目的論的判定と、理性によって絶対的に 確信させるもの、あるいは少なくとも確信に導くもので われわれに課せられた究極目的に必要とされる制約として なくてはならぬということである。すなわち、論拠なり推論 の、われわれの死後の存続の想定とに、委ねられるのであなりは、賛同を単に主観的 ( 直感的 ) に規定する根拠 ( 単な る。そこでつぎのような効益も同時にここに示される ( これる錯覚 ) なのではなく、客観的に妥当的であって認識の論理 は一見すれば損失のように思えるものであるが ) 。すなわ的根拠であるということである。なぜなら、そうでなければ ち、神学がわれわれにとって決して神智学となりえないよう悟性は籠絡はされても説得はされないからである。自然神学 に、合理的心理学も断じて認識を拡張する科学としての霊魂において挙げられるところの証明は、恐らく意図において良 学となりえないのと同様、他方ではそれが唯物主義に堕しな いとしても、故意にその弱点を隠蔽しつつなされるところの、 いことが保証されていること、合理的心理学は、むしろ単に そうした錯覚的証明の種類に属している。自然神学は、諸々 内的感官の人間学、 いいかえれば現実の生活における思惟的の自然事物の起源の証拠となるあまたの例証を目的の原理に 自我の知識なのであって、理論的認識としては単に経験的な したがって持ちだし、人間理性の単に主観的な根拠を利用す 科学にとどまること、これに反してわれわれの永遠の存在に るものである。すなわち、矛盾を冒さずになされさえすれば、 ついての問題に関しては、合理的心理学はまったく理論的科 多くの原理のかわりにただ一つの原理を採用し、ある概念の 学ではなく、道徳的目的論からの一つの結論に基づくもので規定に必要とされる条件の一つ、もしくは若干のものがこの あり、この心理学のあらゆる使用も、われわれの実践的規定唯一の原理のうちに見出されるならば、爾余の条件を付加し のために、単に道徳的目的論にとって必要であるに過ぎない て考え、このようにして恣意的な補足によって事物の概念を ということである。 完全にしようとするところの、人間理性に固有な性癖を利用 するものなのである。思うに、ある叡知的原因をわれわれに 九〇神の存在の目的論的証明における信憑の種 暗示するような多数の産物が自然のうちに発見される場合、 類について われわれはそうした原因として多くの原囚を考えるよりはむ およそどのような証明にもます要求されることがある。すしろただ一つの原因を考え、しかもその唯一の原因について