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検索対象: 世界の大思想14 スミス 国富論<上>
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1. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

しばしば世界の最遠隔の隅々からくる ) を、よせあつめるた じことになるが、大量のかれらの財貨の価格と、交換しうる めに使用されねばならなかったことか。これらの職人のうち のである。かれはかれらに対して、かれらが必要とするもの のもっともいやしいものの、道具を生産するためにも、なん をゆたかに供給し、かれらはかれに、かれが必要とするもの とさまざまな労働がやはり、必要なことだろう。水夫の舟 をおなじように十分に、調達し、こうして、一般的豊富が、 この社会のさまざまな階層のすべてに、くまなくいきわたる縮絨工の縮絨機のような複雑な機械についてはなにもいわぬ として、あるいは織布工の織機についてさえいわぬとして、 のである。 文明開化し、繁栄している国における、もっともふつうのただ、あのきわめてかんたんな機械、すなわち羊かいが毛を 手工業者または日雇労働者の生活条件を観察しよう。そうすきる鋏を形づくるのに、どれほどさまざまな労働が必要かと いうことだけを、かんがえてみよう。坑夫、鉱石をとかす熔 れば、かれにこの生活条件をあたえるのに、どんな計算もお よばぬ数の人々が、かれらの労働の一部を ( きわめてちいさ鉱炉の建設工、材木の伐採者、熔鉱場でつかう木炭の炭やき な部分であるけれども ) 使用されていることが、わかるであ工、煉瓦つくりエ、煉瓦つみ工、熔鉱炉がかりの職人、機械 すえつけ工、鍛造工、かじ工のすべてが、それらのものを生 ろう。たとえば、日雇労働者のからだをおおう毛織の上着は、 どれほど粗末であらいものにみえようとも、非常に多数の職産するために、かれらのさまざまな技術を結合させなければ ならない。おなじようにしてわれわれが、かれの衣服と家庭 人の結合労働の産物なのである。羊かい、羊毛選別工、梳毛 工または刷毛工、染色工、あらすき工、紡績工、織布工、縮用具のさまざまな部分のすべてを、点検することになれば、 絨工、仕上工およびその他おおくのものが、すべて、この質すなわち、かれが膚につける粗い亜麻のシャツ、かれの足を 素な生産物を完成するためにさえ、かれらのさまざまな技術おおう靴、かれがねるべッドとそれを形づくるさまざまな部 を結合させなければならないのである。そのうえ、どれだけ分のすべて、かれが食物を調理する台所の金網、そのために かれがっかう石炭 ( それは地底からほりだされ、おそらくな おおくの商人と運送人とが、この原料を、これらの職人のう がい海路とながい陸路の輸送によって、かれのところまでは ちのあるものから、その国のたいへんとおい部分にすんでい こばれる ) 、かれの台所のその他のすべての道具、かれの食卓 ることがおおい他の職人のところへ、輸送するのに従事しな ければならなか 0 たことか。とくに、なんとおおくの商業とのすべての器具、ナイフとフォーク、かれが食物をもりわけ てすすめる陶製または白蝋製の皿、かれのパンとビールを調 航海が、また、なんとおおくの造船工、水夫、製帆工、ロー 。フェが、染色工によってつかわれるさまざまな薬剤 ( それは製するのに使用されるさまざまな人手、熱と光をいれて風と

2. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

大させるであろう。 体が一人か二人によって独占されていたとしたばあいより 小売商人の資本は、かれが財貨を購入するおろし売商人の も、やすくうって、しかもたかくかうように、させる傾向を もつにちがいない。おそらく、かれらのうちの若干は、とき資本を、その利潤とともに回収し、そうすることによって、 おろし売商人がその事業をつづけることを可能にする。それ には、よわい顧客を誘惑して、かれが必要としていないもの が使用する唯一の生産的労働者は、小売商人自身である。か を、かわせるかもしれない。しかしながら、この害悪は、き れの利潤のなかに、それの使用がその社会の土地と労働の年 わめて重要性のすくないものであって、公共の注意にあたい しないし、かれらの数を抑制することによってかならず阻止年の生産物につけくわえる、価値の全体が、あるのである。 おろし売商人の資本は、かれが取引する粗生産物と製造品 されるものでもないであろう。もっとも疑惑をかけられてい ウスの数のおおいことが、ふっとを、かれが購入する相手の農業者や製造業者の資本を、か る例をあげれば、エール・ハ うの民衆のあいだでの、泥酔をこのむ一般的気分をひきおこれらの利潤とともに回収し、そうすることによって、かれらが すのではなく、他の諸原因から生じるその気分が、必然的それそれの営業を継続するのを可能にする。かれが間接に、 に、多数のエール、 ・ノウスに業務をあたえるのである。 その社会の生産的労働の支持とそれの年々の生産物の価値の て 人々の資本が、それら四つのやりかたのどれかで使用され増加とに、役だつのは、主としてこの寄与によってである。 にていれば、かれら自身は生産的労働者である。かれらの労働 かれの資本はまた、かれの財貨をあるところから他のところ 齲は、ただしく適用されれば、それが投じられる対象あるいは へ輸送する水夫や仲継業者を使用し、そしてそれは、それら の財貨の価格を、かれの利潤の価値にくわえてかれらの賃金 販売可能な商品に、自己を固定し実現する。そして一般に、 すくなくともかれら自身の維持と消費との価値を、その価格の価値だけ、増大させる。これが、直接にそれが活動させる 性につけくわえる。農業者、製造業者、おろし売および小売の生産的労働のすべてであり、直接にそれが年々の生産物につ の 商人の利潤は、すべて、まえの両者が生産しあとの両者が売けくわえる価値のすべてである。それらの双方の点で、それ 資 の作用は、売商人の資本の作用に、かなりまさっている。 買する財貨の価格からひきだされるのである。しかしなが 二ら、その四つのちがったやりかたの、それぞれにおいて使用 親方製造業者の資本の一部分は、固定資本としてかれの営 される、ひとしい諸資本は、生産的労働の非常にちがった量業用具に使用され、それらの用具をかれが購入するある他の を、活動させるであろうし、また、それらが属する社会の土手工業者たちの資本を、その利潤とともに回収する。かれの 地と労働の年々の生産物の価値を、非常にちがった比率で増流動資本の一部分は、材料の購入に使用され、かれがそれを

3. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

240 分な保証が存在するところで、ある人が自分の支配しうるすはその土地の所有者に譲渡されてしまっていないかぎり、後 べての資財を、それがかれ自身のものであろうと他の人々か者にぞくするとはみなされなかった。それは、金銀鉱山とお らかりたものであろうと、これらの三つのうちのどれかひと なじ立場におかれたのであって、それらは、特許状のなかの つの方法で使用しないとすれば、かれは完全な気ちがいであ特別の条項がなければその土地の一般的譲渡証書のなかにふ るにちがいない くまれるとは、けっして想定されなかった。ただし、鉛、銅、 人々がつねに、かれらに優越するものたちの暴力をおそれ錫、石炭の鉱山はそれらより重要性がすくないものとして、 一般的譲渡証書のなかにふくまれるものとされたのである。 ているという、不幸な国々では、たしかに、かれらはしばし ば、その資財の大部分をうすめたりかくしたりするのであっ て、それは、自分たちがたえずさらされているとかれらが考 第二章社会の総資財の一特定部門とみ えるさまざまな災難のうちのどれかに、おびやかされたばあ られる貨幣について、すなわ いには、身につけてどこか安全な場所にはこぶために、たえ す手もとにおこうというのである。これは、トルコにおいて、 ち、国民資本を維持する費用に インドスタンにおいて、そしてわたくしの信じるところで は、アジアの他のたいていの政府のもとでの、ふつうの慣行 であるといわれる。それは、われわれの祖先たちのあいだで、 封建的統治が猛威をふるっていた時代の、ふつうの慣行であ 第一篇では、つぎのことがしめされた。すなわち、大部分 ったらしい。その時代には、発掘された財宝は、ヨーロッパ の商品の価格は、三つの部分に分解するのであって、そのう の最大の主権者たちの収入の、無視することのできぬ部分だちのひとつはそれらを生産して市場にもってくるのに使用さ と、みなされた。それは、地中にかくされていたのが発見された労働の賃銀を支はらい、もうひとつはそれに使用された れ、いかなる特定の人もそれにたいしてなんの権利をも証明資財の利潤を支はらい、第三の部分はそれに使用された土地 しえないような、財宝のことであった。これは、その時代に の地代を支はらうということ、価格がこれらの部分のうちの は非常に重要な物件とみなされていたので、つねに主権者に 二つ、つまり労働の賃銀と資財の利潤だけからなる、若干の そくするものと考えられ、そして、かれの特許状のなかの明商品が存在するのはたしかであるし、しかもきわめてわずか 白な条項によって、それにたいする権利がその発見者あるい な商品においては、価格はまったくひとつの部分、つまり労

4. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

が支はらう能力のある最高のものである。賃貸借の条件を調 土地の地代は、地主が土地の改良に投下した資財の、妥当 整するにあたって、地主は、生産物のうちから借地人の手も な利潤または利子以上のものではないことが、しばしばであ とに、種子を供給し、労働に支はらい、家畜その他の農耕用ると考えられるかもしれない。たしかにこのことは、若干の 具を購買し維持する、資財を、近隣地方における農業資財のばあいには、部分的に事実であろう。というのは、それが部 通常の利潤をともなって存続させるにたりるよりもおおくの分的事実以上のものであることは、めったにありえないから わけまえを、のこさぬように努力する。これはあきらかに、 である。地主は、改良されない土地にたいしてさえ地代を要 借地人が、損失者になることなしに満足しうる最少のわけま求するのであって、そして、改良の費用にたいする利子また えであり、地主はめったに、かれにこれよりいくらかでもおは利潤と称するのは、一般に、このもとの地代への追加なの おくを、のこそうとはおもわない。生産物のうちどれだけの である。そのうえ、それらの改良は、つねに地主の資財によ 部分が、あるいは、おなじことだが、その価格のどれだけの ってなされるとはかぎらず、ときどき借地人のそれによっ 部分が、このわけまえをこえたとしても、地主はとうぜんに て、なされるのである。それにもかかわらす、借地契約が更 それを、かれの土地の地代としてかれ自身に留保しようとつ新されることになったときには、地主は、それらの改良がす とめるのであって、それはあきらかに、その土地のじっさい べてかれ自身の資財によってなされたかのように、地代の同 の状況において借地人が支はらう余裕のある、最高のもので 一の増加を要求するのがふつうである。 改ある。たしかに、ときどきは、地主の気まえのよさのために、 かれはときどき、人間による改良がまったく不可能なもの というより無知であるための方がおおいのだが、この部分よ についても、地代を要求する。ケルプは一種の海草であって、 りいくらかすくないものを、かれは承認することになる。そそれをやくと、ガラス、石けん、およびその他いくつかの目 カ 産して、ときどきはまた、まえのばあいよりもまれにではあっ的に役だっ、アルカリ性の塩がとれる。それは、グレート・ の ても、借地人の無知のため、かれはいくらかおおくを支はら ブリテンの若干の部分、とくにスコットランドにおいて、満 うこと、あるいは、近隣地方における農業資財の通常の利潤潮時の海面下にあって毎日二回は海水におおわれるような、 よりも、いくらかすくないもので満足することを、約東せざ岩のうえに生育する。だから、その生産物は、けっして人間 第 の勤勉によって増大させられなかったのである。それなの るをえなくなる。しかしながら、この部分はやはり、土地の 四自然地代、すなわち、土地の大部分がそれだけで貸しだされに、この種のケルブ海岸に境を接する所有地の、地主は、か ると、とうぜんに考えられる地代だと、みていいであろう。 れの穀物畑にたいするのとおなじ額の地代を、それにたいし

5. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

たとえば、うまくいかない戦争で、敵が首都を占領し、し 金とおなじようにして、すべて死蔵資財である。それはその たがって、紙幣の信用をささえていた財宝を占領したという 国の資本の、非常に価値ある部分であって、その国になにも ばあい、全流通が紙幣によっていとなまれていた国では、そ もたらさないのである。銀行業の賢明な操作は、この金銀の うちのおおきな部分を紙でおきかえることによって、その国の大部分が金銀によっていとなまれていた国においてより も、ずっとおおきな混乱がひきおこされたであろう。通常の がこの死蔵資財のうちのおおきな部分を、活動的で生産的な 資財すなわちその国になにかをもたらす資財に、転化するこ商業用具が、その価値を失ってしまったので、物々交換か信 とを可能にする。どこの国でも、流通している金銀貨は、公用かによるのでなければ、どんな交換もおこなわれえない。 道にたとえるのがきわめて適切であるだろう。公道というもすべての税は紙幣で支はらわれるのがふつうだったので、君 のは、その国のすべての牧草と穀物を流通させて市場にはこ主は、かれの軍隊に支はらうにも、軍需品を調達するにも、 購買手段をもたぬであろう。そしてその国の状態は、その流 びながら、それ自身はどちらのひと山をも、生産しはしない。 通の大部分が金銀であったばあいよりも、はるかに取りかえ 銀行業の賢明な操作は、これほど乱暴な比喩をつかっていし しのつかぬものとなるであろう。その領土をつねに、もっと ならば、空中をとおる車道のようなものを敷設することによ て も防衛しやすい状態において維持することを、熱望する君主 って、その国が、いわばその公道のうちのおおきな部分をり っ は、この理由から、紙幣を発行するその銀行自体を破減させ つばな牧草地と穀物畑に転化するのを可能にし、それによっ てその土地と労働の年々の生産物を非常にめだ「て増大させるような、紙幣の過剰増加にたいしてのみならす、銀行がそ の国の流通の大部分を紙幣でみたしうるような、紙幣の増加 ることを、可能にする。けれどもつぎのことはみとめられな にたいしてさえも、阻止につとめなければならない。 、くらか増大させ ければならない。その国の商業と産業は、し 各国における流通は、ふたつのちがった部門にわかれたも 性られるではあろうが、このようにいわば紙幣というデダルス の の翼にささえられているばあいには、金銀という堅固な大地のとみなしていいであろう。商人相互のあいだの流通と、商 のうえをあるきまわるばあいとまったくおなじように安全人と消費者とのあいだの流通である。紙であれ金属であれ同 冫。いかないのである。それらは、この紙幣一の貨幣片が、ときには一方の流通に、ときには他方の流通 二だ、というわけこよ 第 に、使用されうるにしても、両者はたえす同時に進行してい を管理する人々の不手際から、さまざまな事故にさらされる のにくわえて、その人々の慎慮も手腕もふせぐことのできるのであるから、それそれをいとなむためには、ふたつの種 類のうちのどちらの貨幣であれ一定量のたくわえを必要とす ぬ、他のさまざまな事故にみまわれやすいのである。

6. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

れよりすくない精密さしか必要ではないだろう。それでも、 に、金属の量を比例させることができたであろう。 さまざまな金属が、さまざまな国民によって、この目的のもし貧乏人が、一ファージングのねうちの財貨を売買する機 ために使用されてきた。古代ス。 ( ルタ人のあいだでは、鉄が会があるごとに、一ファージングのおもさをはからなければ 商業の共通の用具であったし、古代ローマ人のあいだでは銅ならないとすれば、われわれは、それが途方もなく面倒であ ることに気づくだろう。純度をはかる操作は、もっとむずか が、またすべての富裕で商業的な国民のあいだでは金銀が、 そうであった。 しく、もっとたいくつであって、しかも、その金属の一部分 がるつ、ほのなかで、適当な熔剤とともに、十分にとけないか これらの金属は、もともとは、刻印もなく鋳造もせすに、 組製の棒のかたちで、この目的のために使用されていたらし ぎり、そこからひきだされうるどんな結論も、極度にふたし 、 0 かである。しかしながら、鋳造貨幣がもうけられるまでは、 そこで、プリニウスがレメウスとよばれる古代の一著作 者を典拠として、われわれにつげるところによれば、セルウ人々は、このたいくつでむずかしい作業をやりとげるのでな イウス・テュリウスの時代まで、ローマ人は鋳造貨幣をもたければ、つねにもっともひどい詐欺瞞着にさらされていたに ずに、刻印のない銅棒を、かれらが必要とするすべてのものちがいなく、かれらの財貨と交換に、一ポンドの重量の純銀 を購買するのにつかった。だから、これらの組製の棒は、当または鈍銅ではなくて、もっとも粗野でやすい材料でつくら れながら、しかし、みかけは銀や銅ににせられた、不純な合 時にあっては貨幣の機能をはたしたのである。 こういう弊害をふせぐた この未開状態における金属の使用は、ふたつのたいへんお成物をうけとったかもしれない。 おきな不便をともなった。それは第一に、それらのおもさをめ、交換をよういにするために、それによってさらに、あら ゆる種類の産業や商業を奨励するために、改良にむかってい はかるのに手数がかかること、第二に、これらの純度をはか るのに手数がかかることである。量がすこしちがうと価値のくらかでもとるにたりる前進をとげたあらゆる国では、それ おおきなちがいが生じる貴金属については、適当な正確さをらの国で一般に財貨の購買に使用されていた特定の諸金属 もっておもさをはかるというしごとでさえ、すくなくともきの、一定の量に、公的な刻印をおすことが必要だとわかって わめて精密なおもりとはかりとを必要とする。とくに金のおきた。ここに鋳造貨幣の起源があり、造幣局とよばれる役所 もさをはかるのは、あるするどい識別を必要とする操作であの起源があるのであって、それらは、毛織物や亜麻織物のそ る。もちろん、ちいさなまちがいがたいした結果をひきお一」れぞれの検査官と、まったくおなじ性質の制度である。それ らはすべてひとしく、公的な刻印によって、それらのさまざ さない、もっと粗悪な金属においては、うたがいもなく、こ

7. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

を獲得した人およびそれを手ばなすかなにかほかのものと交 第五章諸商品の実質価格および名目価格換しようとのそむ人にとってもつ、真実のねうちは、それに よってかれ自身が節約しうる苦労と手数であり、それが他の について、あるいは、それらの労 人々に課しうる苦労と手数である。貨幣または財貨でかわれ るものは、われわれ自身の身体の苦労によって獲得されるも 働価格とそれらの貨幣価格につい のとおなじく、労働によって購買されるのである。その貨幣 て あるいはそれらの財貨は、たしかに、われわれからこの苦労 各人は、人間生活の必需品、便宜品、娯楽を享受する能力をのそいてくれる。それらは、一定量の労働の価値をふくみ、 それをわれわれは、そのときに等量の労働の価値をふくむと が、どのていどあるかに応じて、富裕または貧乏なのである。 考えられるものと交換する。労働は、すべてのものにたいし しかし、ひとたび分業が十分におこなわれるようになってか て支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣 らは、それらのうちで、かれ自身の労働がかれに供給しうる 部分は、非常にちいさいものにすぎない。それらのうちの圧である。金によってでも銀によってでもなく、労働によっ て、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、 倒的大部分を、かれは、他の人々の労働からひきださねばな らす、かれが支配しうるその労働の量、すなわちかれが購買それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人 する能力のあるその労働の量に応じて、かれは富裕であり貧人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配 乏であるにちがいない。したがって、ある商品を所有し、みさせうる労働の量に、正確にひとしい。 ずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の しかし、労働がすべての商品の交換価値の真実の尺度であ 諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、 るとはいえ、それらのものの価値がふつうに評価されるの それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとし は、それによってではない。ふたつのちがった労働量のあい い。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺 だの比率をたしかめるのは、しばしば困難である。ふたつの 度なのである。 ちがった種類のしごとについやされた時間だけが、かならす あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しょ しもつねに、この比率を決定するのではない。たえしのばれ うとのそむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得たつらさと、はたらかされた創意との、程度のちがいもまた するさいの苦労と手数である。あらゆるものが、すでにそれ同様に、計算にいれられなければならない。一時間の困難な

8. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

415 訳注 し、かれの労働が収集もしくは生産するものの一部分を、地主に ひきわたさなければならない。この部分、あるいはおなじことで あるがこの部分の価格は、土地の地代を構成し、そして大部分の 商品の価格において第三の構成部分をなすのである。 ( 哭 ) 〔このパラグラフは初版だけ。〕 六 ( 四 0 価格のさまざまな構成部分のすべての、実質価値は、そ れらがそれぞれ購買または支配しうる労働の量によってはかられ る、ということに注意すべきである。 第七章 一 ( 五三 ) たたちに、この人々のあいだで競争がおこり、市場価格 は、不足のおおきさあるいは競争者たちの富や気ままなぜいたく が、たまたまこの競争のはげしさを増大させる程度におうじて、 おおくあるいはすくなく、自然価格をこえるであろう。富とせい たくにおいてひとしい競争者たちのあいだでは、商品の獲得がた またまかれらにとってもつ、重要性の大小におうじて、おなじ程 度の不足がひきおこす競争も、はげしさがちがうのがふつうであ る。 第八章 一 ( 六四 ) * これは一七七三年に、ちかごろの紛争のはじまるまえ にかかれた。〔第二版と第三版では、現在の紛争。〕 一一 GJI) * バーンの「救貧法史」における、貧民の生活維持につ いての、かれの計画をみよ。〔この注は第二版でつけられた。〕 三 ( 芫 ) 労働の価格の増大はその量の減少によって、つぐなわれ てあまりがあるほどなのである。 第九章 一穴五 ) すくない費用で。〔キャナン版九五ページ注四によれば、 このあとの「まえよりたかくうることができる」が、初版では 「まえよりやすくうることができる」となっていたとされている。 これは注の位置をまちがえたらしく、じっさいには、ここにしめ したように、あとの版の「すくない費用で」が、初版では「やす くーとなっていたのだから、意味にはかわりがない。〕 = 穴 0 〔このあとに、あたらしいパラグラフが追加される。〕 じっさいには、高利潤の方が高賃金よりもずっとおおく、しごと の価格をひきあげる傾向がある。たとえば、亜麻織物の製造業に おいて、もし、しごとをするさまぎまな人々すなわち亜麻繊維の 調整工、紡績工、織布工などの賃銀が、すべて一日に二ペンス上 昇するとすれば、一反の亜麻布の価格を、それに使用された人数 にひとしい倍数の二ペンスに、かれらがそのように使用されてい た日数を乗じたものだけ、たかめることしか必要ではないであろ う。その商品の価格のうちで、賃銀に分解する部分は、その製造 業のさまぎまな段階のすべてをつうじて、賃銀のこの上昇にたい する算術的比率で上昇するにすぎないであろう。しかし、もしそ れらのしごとをする人々の、さまぎまな使用者のすべての、利潤 が五パーセントひきあげられるとすれば、その商品の価格のうち で利潤に分解する部分は、その製造業のさまぎまな段階のすべて をつうじて、利潤のこの上昇にたいする幾何学的比率で、上昇す るであろう。亜麻繊維の調整工の使用者は、かれの亜麻繊維をう るにあたって、かれがその職人たちに前貸しした材料と賃銀の全 価値にたいする、追加的な五パーセントを要求するであろう。紡 績工の使用者は、亜麻繊維の前ばらい価格と、紡績工の賃銀と の、双方についての追加的な五バーセントを要求するであろう。 織布工の使用者は、おなじような五バーセントを、亜麻糸の前ば らい価格と織布工の賃銀との双方について、要求するであろう。 商品価格をひきあげる点で、賃銀の上昇は、負債の累積における

9. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

ツ。、の するであろう労働あるいは他の諸財貨の量は、ヨーロ しいのは、総生産の六分の一である。かれによれば、若干の 諸銀山におけるそれの価格だけでなく、支那の諸銀山におけものはそれよりおおくを提供し、若干のものはそれだけの額 るそれの価格にも、いくらかの影響をもつにちがいなし 、。。へを提供しない。総生産物の六分の一はまた、スコットランド ツ。、の銀山は、その大部分が ルーの諸鉱山の発見後、ヨーロ , における、いくつかのきわめてゆたかな鉛鉱山の地代でもあ る。 放棄された。銀の価値が非常にひきさげられたので、それら フレジェやウリョアがわれわれにかたるところでは、ベル の鉱山の生産物はもはや、経営する費用を支はらえなかっ た。すなわちその作業において消費された衣食住その他の必 ーの銀山では、所有者はしばしば、鉱山の経営者から謝礼と 需品を、利潤をともなって回収しえなかったのである。ポト して、後者が前者の砕石場で鉱石をひいて、前者に通常の砕 ( 四ソ シ諸鉱山の発見以後の、キュー ハと聖ドミンゴの諸鉱山のば鉱料すなわち砕鉱の価格をはらうことしか、要求しない。工 あいも、またベルーのふるい諸鉱山のばあいでさえも、こう ーニヤ王の税は、たしかに、標準銀の五分の一にたっし、 だったのである。 それは、世界でしられているかぎりもっともゆたかな、ベル ーの銀山の大部分における、実質地代とみなしていいのであ それで、各鉱山におけるそれそれの金属の価格は、世界で もっとも豊度がたかく、じっさいに経営されている鉱山におる。もしそこに税がなかったなら、この五分の一はとうぜん、 ける、それの価格によって、ある程度規制されるのだから、 地主に属したであろうし、現在はこの税を提供しえぬために 改 大部分の鉱山においては、それは、経営の費用を支はらう以経営ができない、おおくの鉱山が経営されえたであろう。コ る ーンウォール公の錫税は、その価値の五パーセントすなわち 上のことはほとんどできないし、地主に非常にたかい地代を お 衄提供しうることはまれである。したがって、地代は、大部分二十分の一にた「するものと、想定される。そして、かれの 生の鉱山においては、卑金属の価格のうちのわずかな部分をし比率がどんなものであれ、もし錫が無税であったなら、それ 働めるにすぎず、貴金属の価格のうちのさらにわずかな部分をもまたとうぜんに鉱山の所有者に属したであろう。だが、も しめるにすぎないとおもわれる。労働と利潤が、両者のうちし六分の一に二十分の一をくわえるならば、コーンウォール の錫鉱山の総平均地代は、ベルーの銀山の総平均地代にたい 一の大部分をなすのである。 第 錫鉱山地方の教会副監督であるポーレス師がわれわれにか して、十三対十二であることがわかるであろう。銀にたいす 引たるところでは、世界でしられているかぎりでもっとも豊度るたかい税はまた、錫にたいするひくい税よりも、密輸にた のたかい いしておおきな誘惑をあたえるし、そして密輸は、かさのお コーンウォールの錫鉱山の、平均地代とかんがえて

10. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

422 税をかけられ、五バーセントをこえることはめったになかった。 塩、酢は、たしかに除外さ フランスのぶどう酒、ブランディー、 れたが、それは、これらの商品が他の法律によって、あるいはお なじ法律の特別な条項によって、ほかのもっとおもい関税をかけ られたからである。一六九六年には、さいしょの二十五。ハーセン トが十分な抑制だと考えられなかったために、さらに二十五パ セントの関税が、プランディーをのぞくすべてのフランスの財貨 にかけられた。それとともに、フランスのぶどう酒一トンにつき あらたに二十五ポンドの関税、フランスの酢一トンにつきさらに 十五ポンドの関税が、かけられたのである。フランスの財貨は、 課税表に列挙されているすべての、あるいはほとんどの財貨にか サプシディズ けられていた、 一般上納金すなわち五パーセント関税のうちの、 どれをも免除されたことはなかった。もしわれわれが、三分の一 上納金と三分の二上納金とを、両者があわさってひとつの完全な 上納金をなすものと、計算すれば、それらの一般上納金は五つあ ったことになる。そこで、現在の戦争がはじまるまえには、フラ ンスで育成、生産、製造された財貨の、大部分にかけられた最低 の関税は、七十五パーセントだったとみなすことができる。だ が、大部分の財貨にたいしては、それらの関税は禁止にひとし フランス人はそのかわりにかれらの方で、われわれの財貨と 製造品を、ちょうどおなじようにきびしくとりあっかってきた と、わたくしは信じる。もっとも、かれらがそれらに課した個々 の悪条件については、わたくしはそれほどよくしってはいない。 それらの相互抑圧は、両国民のあいだのほとんどすべての公正な 商業を消滅させ、プリテンの財貨をフランスに、あるいはフラン スの財貨をプリテンに、といういずれのばあいにも、密輸業者が いまでは主要な輸人業者となった。わたくしがまえの章で検討し てきた諸原理は、それらの起源を私的利害関心と独占の精神に有 するものであり、わたくしがこの章で検討しようとする諸原理 は、国民的な偏見と憎悪に起源をもつものである。 四 ( 三九三 ) 〔このパラグラフのかわりに、つぎのふたつのパラグラ フがはいるが、第一のパラグラフの内容は、初版ではあとにでて くる。本訳書四〇五ページ。〕しかし、為替の通常の相場が、ど こでもふたつの場所のあいだの、債務と債権の通常の状態の十分 な指標であるとみとめられるにしても、それだからといって、貿 易差額が、債務と債権の通常の状態が有利である場所にとって、 有利だということにはならないだろう。どこでもふたつの場所の あいだの、債務と債権の通常の状態は、かならずしもつねに、か れら相互の取引の通常の経過によって規制されるのではなく、し ばしば、それぞれと他のおおくの場所との取引の通常の経過によ って、影響される。たとえば、もしイングランドの商人たちが、 ハンプルク、ダンツイヒ、リガなどからかう財貨にたいして、ホ ラントあての手形で支はらうのがつねであれば、イングランドと ホラントとのあいだの債務と債権の通常の状態は、それら二国の 相互の取引の通常の経過によって完全に規制されることなく、イ ングランドとそれらの他の場所との取引の、通常の経過によって 影響されるであろう。イングランドは、ホラントへの年々の輸出 しわ がそこからの年々の輸人をはるかにこえるとしても、また、、 ゆる貿易差額がイングランドに非常に有利だとしても、ホラント に毎年、貨幣をおくらざるをえないかもしれないのである。 そのうえ、為替の平価がこれまで計算されていた方法では、通 常の為替相場は、通常の為替相場が有利であるようにみえる国、 あるいは有利であると想定される国にとって、債務と債権の通霍 の状態が有利であるという、十分な指標をなにも提供しない。い