ロンドン - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想14 スミス 国富論<上>
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1. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

るいはかれがそれらをかった銀の量と、かれがそれらをうるする日常生活のしごとの、ほとんど全体を規制するのは、財 ことになりそうな銀の量との差額のほかには、なにも考慮す貨の名目価格つまり貨幣価格なのであるから、それの方が、 実質価格よりも、はるかにおおくの注意をむけられてきたと べきものはない。半オンスの銀は、支那の広東では、ロンド ~ 。し力ないのであ・ ンでの一オンスよりも、労働の量と生活の必需品および便宜しても、われわれはふしぎにおもうわけこよ、 る。 品の量とを、ともにおおく支配するかもしれない。そうなる と、広東で銀半オンスでうられる一商品は、そこでそれを所 だが、本書のような著作で、ひとつの特定の商品の、ちが 有する人にとっては、ロンドンで銀一オンスでうられる一商った時と所における実質価値のちがいを比較すること、すな わち、それがさまざまなばあいにおいて、それを所有する人 品が、ロンドンでそれを所有する人にとってそうであるより も、そこにおいては実質的に高価であり実質的重要性もおお人にあたえたであろうところの、他の人々の労働を支配する 力の、ていどのちがいを比較することは、ときには有用であ きいであろう。けれども、もしロンドンの一商人が広東で、 りうる。このばあいわれわれは、それがふつうにうられた銀 銀半オンスをもって一商品をかうことができて、それをあと の量のちがいよりも、むしろ、それらのさまざまな銀の量が で、ロンドンで一オンスでうることができれば、かれはこの 取引によって百パーセントをもうけるのであり、それはちょ購買しえた、労働量のちがいを、比較しなければならない。 うど、ロンドンでの一オンスの銀が広東でのそれと正確におところが、へだたった時と所における労働の時価が、いくら なじ価値であるのと、おなじことなのである。半オンスの銀かでも正確さをもってしられうることは、ほとんどないので が広東で、ロンドンにおいて一オンスの銀がなしうるよりある。穀物の時価は、それらが規則ただしく記録されていた も、おおくの労働と多量の生活の必需品および便宜品とにつ場所はわずかしかないとはいえ、一般には、前者よりもよく いての、支配をかれにあたえたであろうということは、かれわかっているし、歴史家やその他の著作家によって注目され ロンドンでの一オンスは、つねることが、前者よりもしばしばであった。そこでわれわれは、 にとっては重要ではない。 に、広東での半オンスがなしえたであろう量の二倍の、これ一般的には穀物の時価で満足しなければならないのであっ らすべてのものにたいする支配を、かれにあたえるであろうて、そのわけは、それらがつねに正確に、労働の時価と同一 の比率をもっていたということではなく、ふつうに入手しう し、これこそまさに、かれの欲することなのである。 るもののなかでは、その比率にもっとも近似的だからなので したがって、すべての購買と販売が慎慮にかなうかどうか を、さいご的に決定し、そうすることによって、価格に関連ある。わたくしはあとで、この種のいくつかの比較をおこな

2. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

トレーダ 貿易商人たちの私的利害関心によってかきたてられている、 規制されるにちがいないといわれる。それらのいずれもが、 国民的偏見と憎悪が、それにかんするあらゆる問題について他方から、それが他方に輸出するよりおおきな額を、輸入し の、われわれの判断をみちびく一般的諸原理なのである。し ないばあいは、おのおのの債務と債権は相互に相殺されう かしながら、そういうばあいにしばしば、よりどころとされる。しかし、かれらの一方が他方から、それが他方に輸出す てきたふたつの規準があって、それは税関の帳簿と為替の相るよりおおくの価値を輸入するばあいは、前者は必然的に、 場である。わたくしの考えでは税関の帳簿がきわめて不確実後者にたいして、後者が前者にたいしておうにいたる債務よ りも、おおきな額の債務をおうこ 冫いたる、それぞれの債務と な規準であることは、、 しまでは一般にみとめられているので あり、その理由は、そこで大部分の財貨が課税されるさいの債権は相互に相殺せす、貨幣が、債務が債権をこえる差額を 。したがっ もっ場所から、おくりだされなければならない 評価の不正確さである。為替相場は、すくなくとも、これま で推定されてきたとおり、おそらく、ほとんどひとしく不正て、ふつうの為替相場は、ふたつの場所のあいだの債務と債 確である。 権の通常の状態の指標なのであるから、同様にして、それら これ ロンドンとパリというようなふたつの場所のあいだの為替の輸出と輸出の通常の経過の指標であるにちがいない。 らは必然的に、その状態を規制するのだからである。 が、平価であるばあいに、ロンドンからパリへ支はらわれる ( 四 ) て しかしながら、この学説のうちのある部分はおそらく、す べき諸債務が、パリからロンドンへ支はらわれるべき諸債務 っ によって相殺されることの、しるしであるといわれる。これ くなからずうたがわしいものではあるが、この学説がかりに きわめてたしかだと想定されたにしても、為替の平価がこれ リあての手形にたいしてロンドンでプレミアム 体に反して、 が支はらわれるばあいには、ロンドンからパリへ支はらわれまで計算されてきたやりかたは、それからいままでにかりに 済るべき諸債務が、。 ( リからロンドンへ支はらわれるべき諸債もひきだされたすべての結論を、不確実なものとするのであ 語務によって相殺されないで、差額が貨幣で。 ( リからおくられる。 政なければならないことのしるしであるといわれる。それを輸 もし、イングランド造幣局の規準におうじて一定のオンス の純銀をふくむ、イングランドで支はらわれる貨幣額にたい 四出することの危険と手数と費用とにたいして、そのプレミア 第 して、フランス造幣局の規準におうじてひとしいオンスの純 ムが要求されもし支はらわれもするのだというのである。だ 銀をふくむ、フランスで支はらわれるべき貨幣額の手形を、 が、それらの二都市のあいだの債務と債権の通常の状態は、 それらの相互のとりひきの、通常の行程のなかで、必然的にあなたがうけとるとすれば、為替はイングランドとフランス

3. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

うの評価では、一方は他方と同列ではない。富くじにおいて差額はしばしば、これほどおおきくないのである。平時に おおきな賞金の数がすくなければ、ちいさい賞金の数はおおは、そして商船勤務では、ロンドン価格は、一暦月あたり一 いにちがいない。したがって、ふつうの船員は、ふつうの兵ギニイないし約一一十七シリングである。ロンドンのふつうの 士よりもしばしば、、 しくらかの財産と昇進をえるし、そし労働者は、週に九ないし十シリングの率で、一暦月あたり四 て、それらの賞金をえるという希望が、主として、この職業十ないし四十五シリングをかせぎうる。船員はたしかに、か をこのませるのである。かれらの技倆と手ぎわが、ほとんどれの給与のうえに、食料品をあたえられる。だがその価値は どんな手工業者のそれにも、はるかにまさっているにしても、 おそらく、かならずしもつねに、かれの給与とふつうの労働 また、かれらの全生涯が、ひとつの継続した困苦と危険の場者のそれとのちがいを、こえるものではないだろう。そし 面であるにしても、それでも、この手ぎわと技倆のすべてに て、ときにはそれをこえるだろうが、その超過分は、船員に たいして、また、それらの困苦と危険のすべてにたいして、 とって純粋のもうけではないだろう。なぜなら、かれはそれ かれらがふつうの船員の境遇にとどまるかぎり、うけとる報を、かれの妻子とわかちあうことはできないからであって、 酬は、前者を行使し、後者を克服するよろこびのほかには、 かれは自分の賃銀のなかから、家庭でかれらを維持しなけれ ほとんどないのである。かれらの賃銀は、港のふつうの労働 ばならないのである。 者のそれよりも、おおくはなく、後者が水夫の賃銀の率を規 冒険生活における危険やきわどい脱出は、わかい人々の気 繝する。かれらはたえす、港から港へと移動するので、グレ持をくじくどころか、しばしばある職業をこのませるように ート・ブリテンのすべてのさまざまな港から出航する人々 おもわれる。ひくい階層の人々のあいだでは、やさしい母親 の、月々の給与は、これらのさまざまなところにいる他のど は、自分のむすこを海港都市の学校にやることを、しばしば んな職人たちのそれよりも、同一水準にちかいのであって、 おそれるのであって、それは、船をみたり、船員たちの会話 最大多数が出航し入航する港、すなわちロンドン港におけるや冒険談をきいたりすることが、船員になるようにかれを誘 率が、他のすべてにおけるそれを規制する。ロンドンでは、 惑してはこまるからである。勇気と手腕とをもってすれば脱 さまざまの種類の職人の大部分の、賃銀は、エディン・ハラに却するのそみのある危険が、とおくにみえるのは、われわれ にとって不快なことではないし、それは、どんな業務の労働 おける同種のそれの、約一一倍である。しかし、ロンドン港か ら出航する船員は、リ ース港から出航する船員よりも、月に の賃銀をも、ひきあげはしない。勇気と手腕がなんの役にも 三、四シリング以上おおくかせぐことは、まれであり、その たたない危険については事情がちがう。非常に不健康だとし

4. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

ようにおもわれる。しかしながら、たいていのところでは 霜がつよいときも天気があれているときも、しごとができな ( というのは、普遍的にそうなのではないからだが ) 、かれの いし、そうでないあらゆるばあいに、かれの雇用は、かれの 一日の賃銀の方がいくらかひくい。かれの業務は、その顧客 顧客のときどきのもとめに依存する。したがってかれは、し のときどきの要求に、おおいに依存するとはいえ石工ほど完 ばしばなにも業務をもたぬことに、なりがちである。そこで、 かれが使用されているあいだにかせぐものは、かれがぶらぶ全にではなく、天候によってさまたげられがちでもない。 らしているあいだ、かれを維持しなければならぬだけでな 一般に恒常的な業務を提供する諸営業が、ある特定のとこ く、そのように不安定な状態を考えることから、ときどきおろで、たまたまそうでないということになると、その職人た こらざるをえない焦躁と失望の瞬間について、いくらかのっちの賃銀はつねに、ふつうの労働の賃銀にたいする通常の比一 ぐないをしなければならない。したがって、製造業者の大部率よりも、かなりたかくなる。ロンドンでは、ほとんどすべ 分のかせぎの推定が、ふつうの労働者の一日の賃銀とほぼ同てのやとい手工業者は、他のところにおける日やとい労働者 一の水準にあるところでは、石工や煉瓦つみ工のそれは一般たちとおなじようにして、かれらの親方たちによって、その に、それらの賃銀の一倍半ないし二倍である。ふつうの労働 日その日、その週その週に、やとわれたり解雇されたりしが 者が週に四、五シリングをかせぐところでは、石工や煉瓦っちである。したがって、ふつうの労働の賃銀が十八ペンスと み工は、しばしば七、八シリングをかせぐ。前者が六シリン推定されうるのに、最下層の手工業者であるやとい仕立職人 グをかせぐところでは、後者はしばしば九、十シリングをか は、そこでは半クラウン〔三十ペンス〕をかせぐのである。小 せぐ。そして、ロンドンのように、前者が九、十シリングを都会およびいなかの村では、やとい仕立職人の賃銀は、ふつ かせぐところでは、後者は十五ないし十八シリングをかせぐ うの労働のそれにかろうじてひとしいことが、しばしばであ のがふつうである。けれども、どんな種類の技倆労働でも、 るが、ロンドンでは、かれらは、何週間も業務がないことが、 石工と煉瓦つみ工のそれよりも習得がやさしいものは、ない とくに夏のあいだには、たびたびなのである。 ようにおもわれる。ロンドンの椅子かつぎは、夏のあいだは、 業務が恒常的でないことが、しごとのつらさ、不愉快さ、 ときどき煉瓦つみ工として使用されるといわれる。だから、 きたなさとむすびつくばあいは、それはときどき、もっとも それらの職人の高賃銀は、かれらの技倆の報酬であるよりふつうの労働の賃銀を、もっとも技倆のある手工業者のそれ は、かれらの業務の不定性にたいするつぐないなのである。 よりも、たかいものにする。出来高でしごとをする炭坑夫は、・ 家大工は、石工よりもむしろ精巧で巧妙な営業をいとなむ ニューカスルでは、ふつうの労働の賃銀の約二倍をかせぐの

5. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

419 訳注 きな比率で、増大する。だから、一定の時期がたっと、それらの 金属の年々の消費は、このようにして、それらの年々の輸人にひ としくなるにちがいない。 これは、輸入がたえす増大しないもの としてであって、現在ではそういう事実はないと想定されるので ある。 年々の消費が年々の輸人にひとしくなったばあいに、もし、年 年の輸人が徐々に減少するとすれば、年々の消費は、しばらくの あいだ、年々の輸入をこえるであろう。それらの金属の量は、徐 徐に、気づかれないで減少するであろうし、それらの価値は徐々 に気づかれないで上昇するであろう。そして、ついには、年々の 輸人はふたたび一定になるであろうから、年々の消費は徐々に気 づかれないで、年々の輸入がまかないうるところに適応するであ ろ、つ。 五五 (l<l) 〔「そのうえ」を削除。〕 契 (l<l) おそらく、おおくの人に : (l<) 〔「おそらく」を削除。〕 犬 ( 一九三 ) *Lib. x. c. 29. 〔第二版。〕 究 ( 一九三 ) * Lib. ix. c. 17. 〔第二版。〕 六 0 ( 一智 ) * Kalm's Travels, vol. 1.. を . 343 , 3 に . 〔第二版。〕 六一 ( 一一 0 五 ) vol. i. c. 5 , 6. and および vol. =. c. 176. 〔初版 の注は書名だけをしめしている。〕 ーニヤから : 窒 ( 一一 0 五 ) エスパ 六三 ( 一一 0 五 ) 他のいくつかの国。 会 ( 一三六 ) キャナン版の 3 叫は誤植とおもわれる。 、。 0 ーい 4 。 12 第一一篇 第一一章 一 ( 一一六四 ) 本文でのべられた方法は、それらの冒険家が、ときど き流通によって貨幣を調達した、もっともふつうの方法でも、も っとも高価な方法でも、けっしてなかった。エディンバラの < が、ロンドンのが第一の為替手形をはらえるようにするため に、それの期日がくるまえに、日付後三か月ばらいの第二の手形 をおなじあてにふりだすということが、しばしば発生した。こ の手形は、かれ自身の指図人に支はらわれるべきものであったか ら、はこれをエディンバラで平価でうった。そしてその代金で、 の指図人に一覧ばらいとなっているロンドンあての手形をかっ て、それをに郵送した。ちかごろの戦争のおわりに、エディン ハラとロンドンとのあいだの為替は、しばしばエディンバラにと ーセント不利であった。それで、そういう一覧ばらい手 形は、 << にとってはしばしば、それだけの打歩の費用がかカった にちがいない。したがって、この取引は、年にすくなくとも四回 はくりかえされたし、一回のくりかえしについてすくなくとも二 ーセントの手数料を課せられたから、その当時は、に 分の一バ っここ ~ り、か・ とってすくなくとも年に十四パーセントの費用がかカナー いない。他のばあいには、 <t がつぎのようにして、が第一の為 替手形を決済できるようにすることが、よくあった。すなわち、 それが期日になる数日まえに、日付後二か月ばらいの第二の手形 を、にたいしてではなく、ロンドンにいる第三者たとえば O に たいして、ふりだすことによってである。この第二の手形は、 の指図人に支はらわれるようになっていて、は、それを O にひ

6. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

くはもたないだろうが、しかし、それが今夜くずれおちると のどんな種類の債務にもとづくばあいよりも、容易に貨幣が いうことは、まずありえないだろうから、わたくしは、今夜 前貸しされたし、とくにそれが、日付後二、三か月というよ はおもいきってそのなかでねむろうとおもう。 うな短期に支はらわれるものであれば、そうであった。もし その手形の期日がきたとき、引受人がそれを呈示されてただ エデイイ ( ラの商人が、ロンドンのにたいして、日付 ちに支はらわないならば、かれはその瞬間から破産者にな 後二か月払いの手形をふりだすと想定しよう。じっさいに は、ロンドンのは、エディン。ハラの << にたいしてなんの債 る。手形には拒絶証書がつくられ、振出人にもどされるので あり、かれがただちにそれを支はらわなければ、おなじよう務もないのであって、かれがの手形をひきうけることを承 に破産者になる。もしそれが、引受人にたいして支はらいを知したのは、支はらい期限がくるまえにエディン・ハラのに もとめてそれを呈示する人のところへくるまえに、他の数人たいして、同一金額に利子と手数料をくわえただけの手形 の手をとおり、それらの人々が、たがいにそれの内容を貨幣を、おなじように日付後二か月ばらいで逆ふりだししていし という、条件においてなのである。はそこで、最初の二か または財貨で、つぎつぎに前貸ししてきたのであって、また、 エディン・ハラのにたいしてこの手形 月が経過するまえに、 おのおのが順々にそれらの内容をうけとったことを表現する て ために、すべてが順番にしたが 0 てうらがきした、つまりかを逆ふりだしする。はふたたび、第二の二か月が経過する っ れらの名前を手形のうらにかいた、とするならば、それそれまえに、ロンドンのにたいして、第二の手形を、おなじよ 使のうらがき人は、順々に、それらの内容について、その手形うに日付後二か月ばらいでふりだし、そして、第三の二か月 が経過するまえに、ロンドンのはエディン・ハラのにたい 菰の所持者にたいして債務をおうのだし、またもしかれが支は らいえないなら、かれもまたその瞬間から破産者になるのでして、やはり日付後一一か月ばらいの、べつの手形を逆ふりだ しするのである。この慣行はときどき、数か月どころか数年 性ある。手形の振出人、引受人、裏書人が、すべて、信用のう にもわたって、つづけられたのであって、そのばあい手形は 財たがわしい人々であるにしても、それでも期限のみじかいこ 資 とが、手形の所持者にいくらかの保証をあたえる。かれらの つねに、それ以前のすべての手形についての蓄積された利子 「すべてが破産者になる可能性が、たいへんおおきいかもしれと手数料をともなって、エデイイ ( ラのにかえってくるの 第 ないにしても、もしかれらのすべてがそれほどの短期間にそである。利子は年に五パーセントであったし、手数料は一回 うなるということは、まずありえぬことなのである。つかれのふりだしについて〇・五パーセント以下ということはけっ してなかった。この手数料は、年に六回以上くりかえされる た旅人がひとりごとをいう。この家はがたがたであまりなが

7. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

きうけてもらうと、ロンドンのある銀行業者にわりびいてもらっ た。そしては、それが期日になる数日まえに第三の手形を、同 様に日付後二か月ばらいで、ときにはかれの最初の取引先である にたいして、ときにはある第四または第五の人物たとえばや にたいして、ふりだすことによって、 O がそれを決済できるよ うにする。この第三の手形は、 0 の指図人に支はらわれるように なっていて、 ro は、それがひきうけられるとすぐ、おなじように してロンドンのある銀行業者にわりびいてもらった。このような 操作が、年にすくなくとも六回くりかえされ、くりかえすたびに ーセントの手数料を、五パーセントの法 すくなくとも二分の一。、 定利子とともに、課せられたから、この貨幣調達法は、本文での べられたのとおなじように、 << にとって八バーセントをいくらか ・ ) 、 ) 、つここちかいない。しかしなから、そ こえるだけの費用カカカナ : れはエディンバラとロンドンとのあいだの為替を省略することに よって、この注のはじめの部分にのべられたものよりも、費用が すくなかった。だが、そのばあいには、それは、ロンドンで一つ 以上の商社にたいして、確固たる信用をもっことを必要としたの であって、そのことは、これらの冒険家のうちのおおくの人々に とってとうてい、つねに手にいれやすいものではありえない、有 利な地位であった。 = (IPI) ジョージ一世第三年法律第八号にしたがって、銀行は、 棒引きにされる国庫証券二百万を、ひきわたした。ジョージ一世 第八年・ : 。〔キャナン 三 (IPII) 一七六三年における、あるばあいには : 版では指摘されていない。〕 第五章 一 (If10P) それが直接に活動させる・ : = ( 三 0 どそれが直接に使用する・ : 三 ( 三 00 直接に活動させ : ・ 四 ( 三一四 ) そのうえ、どんな財貨も、輸送によっていたむことが、 これらよりすくないものはない。 第三篇 第一一章 一 ( 三一一四 ) 外見。 第三章 一 ( 三三四 ) * B 「 ad ) 「・ 0 historical ( 「 eatise ま Cities and Bu 「「 oughs• や 3 陸 c. をみよ。〔第二版。〕 = ( 三三四 ) * Madox Firma Burgi. p. 18. H 一 40 0 ( the Exche- quer, chap. 10. sect. v. P. 223. first edition をみよ。〔第二版。〕 三 ( 三三五 ) *Madox Firma Burgi をみよ。またシ = ワーベン王 朝のフリートリヒ二世とかれの後継者たちのもとでの、注目すべ きできごとについての、プフェッフェルをみよ。〔第二版。〕 四 ( 三三六 ) * マドックスをみよ。 三 ( 三一石 ) * プフェッフェルをみよ。 六 ( 三三九 ) 十三世紀のあいだにルッカで繁栄した、絹、びろう ど、錦のふるい製造業がそういうものであったらしい。それら は、マキアヴェルリの作品の中心人物のひとりであるカストルツ チオ・カストラカーニの暴政によって、そこから追放された。一 三一〇年に、九百家族がルッカからおいだされ、そのうち三十一家 族はヴェネッィアにしりぞいて、そこに絹織物製造業を導人しょ うと申しでた。かれらの申出はうけいれられ、おおくの特権があ たえられ、そしてかれらは三百の職人でその製造業をはじめた。 またフランドルで二

8. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

261 のだから、この便法によってが調達しうる貨幣がどれほど ハラのある銀行または銀行業者にわりびいてもらい、また、 であろうとも、それは必然的に、年に八パーセントをいくら ロンドンのがエディン・ハラの << にたいして逆ふりだしした かこえるだけ、かかったにちがいないし、ときどきは、手数手形を、おなじく規則的に、イングランド銀行またはロンド ンの他のある銀行業者にわりびいてもらった。そういう流通 料がたまたまたかくなるとか、まえの手形の利子と手数料と に複利を支はらわざるをえないとかいうばあいには、それよ手形にもとづいて前貸しされるものはすべて、エデイイハラ りずっとおおくかかることも、あったにちがいない。 この慣では、スコットランドの諸銀行の銀行券で前貸しされたし、 ロンドンでは、それらがイングランド銀行でわりびかれたと 行は、流通による貨幣調達とよばれた。 ある国における商業的な事業企画の大部分の、資財の通常きは、その銀行の銀行券で前貸しされた。この銀行券が前貸 しされるもとである手形は、すべて、期日がくるやいなや順 の利潤が、六パ ーセントから十パーセントにわたると想定さ れるばあい、その収益が、それをいとなむための貨幣をこの順に返済されたのではあるが、最初の手形にもとづいてじっ ようにして借りるさいの巨額の費用を、つぐないえただけでさいに前貸しされた価値は、それを前貸しした諸銀行に、け なく、そのうえに企画家に十分な余剰利潤を提供しえたとすっしてじっさいにもどってはこなかった。なぜなら、それぞ れば、それは非常に運のいい投機だったにちがいない。しかれの手形が期日になるまえに、べつの手形が、まもなく支は しながら、おおくの巨大で広汎な事業企画が着手されて、数らわれるべきその手形よりもいくらかおおきい額で、つねに ふりだされたのであり、このべつの手形のわりびきをするこ 年にわたって、この巨額の費用をかけて調達されたもののほ とは、まもなく期日になる手形の支はらいについて、どうし かには、なにもそれを維持する資金なしに、いとなまれた。 ても必要だったのだからである。したがって、この支はらい 企画家たちはうたがいもなく、かれらの黄金の夢のなかに、 この大利潤を、くらべものもなくはっきりとみたのだが、し は、まったくみかけだけのものであった。それらの流通為替 かしかれらが、その企画のおわりに、あるいはもうこれ以上手形によって、ひとたび銀行の金庫から流出するようにしむ それをすすめえなくなったときに、目をさますと、幸運をみけられた流れは、じっさいにそこにながれこむどんな流れに いだすことはきわめてまれであったと、わたくしは信じるの よっても、けっしてうめあわせられることがなかったのであ である。 エディン・ハラの < がロンドンのにたいしてふりだした手 それらの流通為替手形にもとづいて発行された紙幣は、お 形を、それらが期日になる二か月まえに規則的に、エディン おくのばあいに、農業、商業、あるいは製造業の、ある巨大

9. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

にわたって業務をいとなむことができた。それが閉鎖のやむ ときに、その銀行にキャッシュ・アカウントをひらいたし、 重役たちは、かれらの株主たちを、他のすべての人々をあつなきにいたったとき、それは銀行券で約一一十万ポンドを、流 かうのと同一の気まえのよさで、とりあっかう義務があると通させていた。発行されるやいなや銀行にたえずもどってき 考えて、かれらのおおくのものにたいして、かれらが後続のているそれらの銀行券の流通を支持するために、それはたえ ず、ロンドンあてに為替手形をふりだすという慣行をつづけ すべての分割はらいこみではらう金額を、このキャッシュ たのであり、その数と価値はたえず増大しつつあった。そし アカウントにもとづいてかりることをゆるした。したがっ てそれが閉鎖したときには、六十万ポンドをうわまわるにい て、そういうはらいこみは、一瞬間まえにひとつの金庫から たったのである。したがってこの銀行は、二年をほとんどこ とりだされたものを、べつの金庫にいれるだけのことであっ た。だが、もしこの銀行の金庫が十分にみたされたことがあえぬうちに、さまざまな人々に、八十万ポンド以上を五。 ( ったとしても、それがやった過剰流通は、つぎのような破減セントで前貸ししたことになる。それが銀行券で流通させた 的な便法以外のどんな便法によって補充しうるよりもはや二十万ポンドについては、この五。 ( ーセントは、おそらく、 、金庫をからにしたにちがいないのであって、破減的な便営業費のほかはなにも控除しないで、純利得とみなしていし て 法とは、ロンドンあての手形をふりだし、それが期日になっ であろう。しかし、銀行がそれについてたえすロンドンあて にたときは、同地あてにもうひとつの為替手形をふりだすことの為替手形をふりだしていた六十万ポンド以上について、そ 用によって、利子と手数料をそえてまえの手形を決済する、とれは利子および手数料として八パーセント以上を支払ってい いうのである。その銀行の金庫が、それほどとぼしい内容 たのだし、したがってそれは、そのとりひき全体の四分の三 ーセント以上の損失をうけつつ をこえるものについて、三。 ( だったので、銀行は業務をはじめてからわずか数か月のあい この緊急手段にたよらざるをえなくなったのだといわあったのである。 性 / 冫 の れる。この銀行の株主たちの資産は、数百万の値うちがあっ この銀行の操作は、それを計画し指揮した個々の人々によ って意図されたところに、まったく反する効果をうみだした たし、かれらがこの銀行の原証書つまり原契約に署名したこ ようにおもわれる。かれらは、当時その国のさまざまな部分 二とによって、その資産はじっさいに、銀行のあらゆる債務に 第 応じるための担保とされたのである。そのようにおおきな担でいとなまれていて、かれらが活気ある諸企業だとみなした 保が必然的に銀行にあたえた、おおきな信用によって、銀行ものを、支持しようと意図したらしく、そして同時に、すべ はその気まえのよすぎるやりかたにもかかわらす、一一年以上ての銀行業務を自分たちにひきよせることによって、他のす

10. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

えうるのである。ロンドンの商人はつねにかなりの額の貨幣 ての事業家は、それらの会社とこういうキャッシュ・アカウ ントをもつのが便利であることをしり、そして、そのために、 を、かれ自身の金庫にか、あるいはそれについてかれに利子 トレード それらの会社の営業を促進することに関心をもつのであつをあたえぬ銀行業者の金庫に、保有していなければならな て、かれらは、それらの会社の手形をあらゆる支はらいにさ 。それは、かれが信用で購入する財貨の支はらいについ いしてよろこんでうけとったり、かれらがなにかの影響力をて、たえすかれのところへきている請求に、応じるためであ もっすべての人々に、そうするようにすすめたりして、促進る。この金額の通常のおおきさが、五百ポンドであると想定 するのである。銀行は、その顧客が貨幣をもとめると、一般しよう。かれの倉庫のなかの財貨の価値は、もしかれがそれ に自分の約東手形でかれらに前ばらいする。その手形を商人 だけの額を使用せすに保有することを、よぎなくされていな かったばあいよりも、つねに五百ポンドだけすくないにちが は、財貨にたいして製造業者に、製造業者は材料と食料品に しない。かれが一般に、その手もちの全資財を、すなわちか たいして農業者に、農業者は地代として地主にはらいわた し、地主はそれを商人に、後者が前者に供給する便宜品や奢れの手もちの全資財の価値だけの財貨を、年に一回だけうり 侈品にたいして、はらいもどすのであって、そして商人はふさばくと想定しよう。それほどおおきな金額を使用せすに保 たたびそれを銀行に、かれのキャッシ = ・アカウントの帳尻有せざるをえないので、かれは一年に、そうでなかったばあ いになしえたであろうよりも、五百ポンドの値うちだけすく にをあわせるため、つまりかれがそこからかりたであろうもの ない財貨を、うるにちがいない。かれの年々の利潤は、かれ を返却するために、かえすのである。こうして、この国のほ 版とんどすべての貨幣業務が、約東手形によっておこなわれが五百ポンドの値うちだけおおくの財貨の販売によって、も うけることができたはずの利潤の全部だけ、すくないにちが る。それで、それらの会社の営業がおおきいのである。 いないし、かれの財貨を市場にだすようにととのえるのに使 性それらのキャッシュ・アカウントによって、各商人は、そ の うでないばあいにかれがなしえたよりも、おおきな営業をし用される人々の数は、五百ポンドだけおおくの資財が使用し えたはずの全人数だけ、すくないにちがいない。他方、エディ ても、慎慮をかくのではないということになりうる。二人の 二商人が、一方はロンドンに、他方はエデイイハラにいて、同イハラの商人は、そのような随時の請求に応じるために、貨 一部門の営業にひとしい資財を使用するとしよう。エディン 幣を使用せすに保有することがない。じっさいに諞求がかれ ハラの商人は、慎慮をかくことなしに、ロンドンの商人より にたいしてなされるときは、かれはそれらの請求を、銀行に もおおきな営業をおこない、おおくの数の人々に業務をあた おける自分のキャッシュ・アカウントによってみたし、かり