働は、ある特定の対象または販売しうる商品に、固定し実現 するのであって、それらのものは、その労働がすんだあとで 第三章資本の蓄積について、あるいは も、すくなくともしばらくの間は存続する。それはいわば、 生産的労働と不生産的労働につ 一定量の労働が必要に応じて他のあるばあいに使用されるた めに、集積貯蔵されているのである。その対象、あるいはそ れと同一のことだが、その対象の価値は、のちになって、必 要ならば、それをはじめに生産したのとひとしい量の労働 ひとつの種類の労働があって、それは、それが投下される 対象の価値を増加させる。もうひとっ別の種類の労働があ 0 を、活動させうる。反対に、家庭の召使の労働は、どんな特 て、それはそういう効果をもたない。前者は、それが価値を定の対象または販売しうる商品にも、固定し実現することが ない。かれの労務は一般に、それがおこなわれたまさにその 生産するために、生産的とよばれうるし、後者は不生産的労 マニュファクチャラー 瞬間に消減するのであって、あとになってひとしい量の労務 働とよばれうる。こうして、製造工の労働は一般に、か をひきかえに入手できるだけの、なにかの痕跡ないし価値 れが仕あげる材料の価値に、かれ自身の生活維持費の価値と て を、背後にのこすことはめったにないのである。 かれの主人の利潤の価値とをつけくわえる。これに反して、 っ 学識と創意においてすぐれたあるフランスの著者たちは、 家庭の召使の労働は、どんなものの価値をも増加させること 用 使 それらのことばをちがった意味でつかっている。わたくしは第 がない。製造工はその賃金を、かれの主人から前ばらいして 四篇のさいごの章で、かれらの意味が不適当なものであること 積もらうとはいっても、じっさいは、かれは主人にとって、す を、示すのに努めるであろう。 こしも費用がかからないのであって、なぜなら、その賃金の 社会におけるもっとも尊敬すべき諸階層のうちの、若干の 性価値は一般に、かれの労働が投下された対象の増大した価値 ものの労働は、家庭の召使の労働のようになんの価値も生産 財のうちに、利潤をともなって回収されるのだからである。し しないし、また、労働がすんだのちまで持続して、のちに等 かし、家庭の召使の生活維持費は、けっして回収されない。 量の労務をひきかえに入手しうるような、どんな永続的な対 一一人は多数の製造工を使用することによって、金持になるが、 かれは多数の家庭の召使を使用することによって、貧乏にな象つまり販売しうる商品にも、固定ないし実現するのではな い。たとえば、主権者はかれのもとにつかえるすべての司法 る。けれども、後者の労働は、前者の労働とおなじように、 その価値をもち、その報酬にあたいする。ただ「製造工の労官僚および軍将校とともに、そして陸海軍の全体も、不生産
的労働者である。かれらは、公共の召使であって、他の人々 にちがいない。したがってある一年に、それのうちで不生産 囲の勤労の、年々の生産物の一部で維持されているのである。 的な人手を維持するのに使用される部分が、すくないかおお かれらの労務は、どれほど名誉であり、どれほど有用であり、 いかによって、生産的な人手のためにのこされるものは、一 あるいはどれほど必要であるにしても、あとで等量の労務を方のばあいにはおおく、他方のばあいにはすくないであろう ひきかえに入手しうるような、なにものをも生産しない。共し、それに応じてつぎの年の生産物は、おおきくもちいさく 同社会の保護、安全、防衛、すなわちかれらの今年の労働のもなるであろう。年々の全生産物は、われわれが大地の自然 成果は、来年におけるそれの保護、安全、防衛を、購入しな的な生産物を除外すれば、生産的労働の成果なのだからであ る。 いであろう。同一の分類に位置づけられるべきものには、も 各国の土地と労働の年々の全生産物は、うたがいもなく、 っとも荘重で重要な職業のうちの若干と、もっともとるにた りぬ職業のうちの若干とがあって、それはすなわち、聖職究極的には、その国の住民の消費にたいして供給し、かれら に収入をもたらすように、さだめられているにしても、それ 者、法律家、医者、あらゆる種類の文筆家と、俳優、道化師、 がはじめて、地中から、あるいは生産的労働者の手中からで 音楽家、オペラ歌手、オペラの踊り手などである。これらの うちのもっともいやしいものの労働でさえ、ある一定の価値てくるときは、二つの部分にわかれるのがとうぜんである。 をもち、その価値は他のあらゆる種類の労働の価値を規制す二つのうちのひとつで、しばしば最大である部分は、第一 るのと、まさしく同一の原理によって規制される。そして、 に、資本の回収、すなわち、資本からひきだされていた食料 品、材料、完成品の更新に、あてられる。他方の部分は、こ ・もっとも高貴でもっとも有用なものの労働でも、のちに等量 の労働をひきかえに購入ないし入手しうるような、なにもの の資本の所有者にたいして、かれの資財の利潤としての収入 をも生産しない。俳優のせりふや、演説家の熱弁や、音楽家を、あるいは他のある人物にたいして、かれの土地の地代と の演奏のように、かれらすべてのしごとは、それが生産されしての収入を、形づくるのにあてられる。だから、土地の生 たまさにその瞬間に、きえうせるのである。 産物は、その一部分が農業者の資本を回収し、他の部分がか 生産的および不生産的労働者の双方と、まったく労働しなれの利潤と地主の地代を支はらい、そしてこのようにして、 い人々とは、すべてひとしく、その国の土地と労働の年々の この資本の所有者にたいしてはかれの資財の利潤として、他 生産物によって維持される。この生産物は、。 とんなにおおきのある人物にたいしてはかれの土地の地代として、ともに収 いとしても、けっして無限ではありえず、一定の限界をもっ入を形づくる。おなじように、大製造業の生産物のうち、つ ンウエルス コモ
ろすことの自由によってである。すべての大都会で、毎晩、 らあまって流入するものもあるので、雇用をもとめる競争は、 数人が路上にすてられたり、子犬のように水中でおぼらされそこにおいて非常におおきくなって、そのために労働の賃銀 る。このおそるべき職務の遂行は、ある人々がそれによっては、労働者のもっともみじめでとぼしい生活資料にまでひき 生活資料をかせぐ公認の事業だとさえ、いわれているのであさげられるであろう。おおくの人々はこの悪条件においてさ る。 え雇用をみつけることができないで、餓死するか、あるいは、 しかしながら、支那は静止しているかもしれないにして乞食により、またはおそらく最大の非道をおかすことによっ て、生活資料をもとめざるをえなくなるかの、いずれかであ も、後退しているようにはおもわれない。その都会は、どこ ろう。欠乏、飢餓、死亡が、たちまちこの階級をおおい、そ でも、住民によってみすてられてはいない。ひとたび耕作さ こからすべての上流諸階級にひろがっていって、ついにその れた土地は、どこでも放置されてはいない。だから、同一な いしそれにきわめてちかい、年々の労働が、ひきつづき遂行国の住民の数が減少して、その国に残存する ( 他のものを破 されているにちがいなく、したがってそれの維持にあてられ減させた圧政や災厄をのがれた ) 収人と資源によって、容易 に維持されうるにいたるまで、つづくであろう。これがおそ た基金は、めだって減少していないにちがいない。それで、 らく、べンガルその他の、東インドにおけるイングランド植 最下層階級の労働者たちは、かれらの生活資料のとぼしさに もかかわらず、あれこれのしかたでやりくりして、かれらの民地の現状にちかいものである。肥沃な国で、まえに非常に 人口が減少し、したがって生存があまり困難ではないはすな 改通常の数を維持するていどに、かれらの種族を存続させてい のに、それにもかかわらま一年に三十万か四十万の人々が けるにちがいない。 お 餓死するならば、われわれは、労働貧民の維持にあてられた にしかしながら、労働の維持にあてられる基金がめだって減 アメリカを 産退しつつある国では、そうではないであろう。毎年、召使と基金が急速に減退しつつあると確信していし」 の労働者にたいする需要は、さまざまな種類の事業のすべてに保護し統治するプリテンの政治機構の精神と、東インドで抑 労おいて、その前年よりもすくないであろう。高級な種類〔の圧し権勢をふるう商事会社の精神とのちがいは、これらの国 篇事業〕のために訓練されてきたおおくの人々が、かれら自身国の状態のちがいによって、おそらくもっともよく例証され 第の事業において雇用をみいだしえないで、最下級の事業にそうるであろう。 したがって、労働にたいする気前のいい報酬は、増大する れをよろこんでもとめるであろう。最下級の種類は、それ自 身の職人で供給過剰であるだけでなく、他のすべての種類か国民の富の、必然的なけつかであるとともに、自然の徴候で
れなのにある特定の業務においては労働の生産力が一一倍にし か改良されなかった、すなわち一日の労働がそれがまえにし ていたしごとの量の二倍しか、生産しえなかったと、想定し 第八章労働の賃銀について よう。大部分の業務における一日の労働の生産物を、この特 定の業務における一日の労働の生産物と交換するにあたっ て、前者におけるもとのしごとの量の十倍は、後者における 労働の生産物は、労働の自然的な報酬あるいは賃銀をかた もとの量の二倍しか、購買しないであろう。したがって、後 ちづくる。 土地の領有と資財の蓄積とに先だっ、ものごとの本源的な者におけるどんな特定量も、たとえば重量一ポンドは、まえ 状態においては、労働の全生産物は、労働者に属する。かれの五倍にたかくなったようにみえるであろう。しかしな : ら、じっさいは、それは二倍やすくなるであろう。それを は、それを自分とともにわかちあう地主も親方ももたない。 この状態がつづいたならば、労働の賃銀は、分業がもたら買するには、五倍の量の他の財貨が必要になったとはいえ、 それを購買するにせよ生産するにせよ、半分の量の労働しか、 すその生産力のあらゆる改良とともに、増大したであろう。 必要としないであろう。だから、獲得は、まえの一一倍だけ容 すべてのものは、しだいにやすくなったであろう。それらは、 まえよりすくない量の労働で生産されたであろうし、そし易になるであろう。 て、ものごとのこの状態においては、ひとしい量の労働によ しかし、労働者がかれの労働の全生産物を享受した、もの って生産された諸商品は、とうぜんに相互に交換されるであごとのこの本源的な状態は、土地の領有と資財の蓄積とのさ ろうから、おなじように、それらはまえよりすくない量の いしょの導入のあとまでは、継続しえなかった。したがって 〔労働の〕生産物をもって、購買されたであろう。 それは、労働の生産力のもっともいちじるしい改良がなされ るずっとまえに終了したのであって、労働の報酬すなわち賃 しかしながら、すべてのものがじっさいにやすくなったと しても、見かけでは、おおくのものがまえよりたかくなった銀にそれがあたえた影響がどんなものでありえたかを、この かもしれないし、まえよりおおくの量の他の財貨と交換され点をこえてたどることは、なんの役にもたたないであろう。 土地が私有財産となるやいなや、地主は、労働者がそこか たかもしれない。たとえば、大部分の業務において労働の生 ら産出または採集しうるどんな生産物についても、わけまえ 産力が、十倍に改良された、すなわち一日の労働が、それが もともとしていたしごとの十倍の量を、生産しえたとし、そを要求する。かれの地代が、土地に使用される労働の、生産
である。だから、いつでも、いくらかが地主の地代のために、 較において、および製造品との比較において ) についての、 のこるのである。 別々の考察は、この章を三部にわけることになるであろう。 ノールウェイおよびスコットランドの、もっとも荒涼たる 湿原でさえ、家畜のためのある種の牧草を生産するのてあっ 第一部つねに地代を提供する土地生産物に て、その家畜のミルクと増殖とは、家畜を世話するに必要な すべての労働を維持し、農業者あるいは牛や羊の群の所有者 に通常の利潤を支はらうだけでなく、さらにある少額の地代 人間は、他のすべての動物と同様に、かれらの生存の手段 に比例して自然に増加するものであるから、食物は、つねにを地主に提供するにたりるよりも、つねにおおいのである。 地代は、牧草地がよくなるに比例して、増大する。同一面積 おおかれすくなかれ需要されている。それはつねに、大なり 小なりある量の労働を、購買または支配しうるし、それを獲の土地が、よりおおくの数の家畜を維持するだけでなく、家 得するためになにかをする意志のある人が、いつも見いださ畜がよりちいさな地域内にいれられるので、それを世話し、 れうる。それが購買しうる労働の量は、も 0 とも倹約なやりその生産物をあつめるために必要な労働も、すくなくなる。 かたできりまわしたばあいにそれが維持しえたであろう労働地主は、両方で、すなわち、生産物の増大と、それによ「て 維持されなければならぬ労働の減少とで、もうけるのであ 良の量と、ときどき労働にたいしてあたえられる高賃銀のため る。 かならすしもつねにひとしいといえないことは、たしか 土地の地代は、その生産物がなんであろうとその肥沃度に おである。しかし、それはつねに、それが維持しうる労働の量 よって、また、その肥沃度がどうであろうとその位置によっ かを、その近隣地方でふつうにその種の労働が維持されている て、変動する。都市の近隣にある土地は、農村のとおい部分 生ばあいの率におうじて、購買しうる。 の だが、土地は、ほとんどどんな位置にあっても、そこに生にあ「て肥沃度のひとしい土地よりも、おおきな地代をあた 労 える。一方を耕作するのに、他方を耕作するよりもおおくの、 産される食物を市場にもたらすのに必要なすべての労働を、 一労働を維持するこれまでのやりかたのうちでも 0 とも気まえ労働がいるわけでもないだろうが、遠隔の土地の生産物を市 のいいやりかたで維持するにたりるよりも、おおくの量の食場にはこぶには、つねに他方よりおおくの労働がいるにちが しない。だから、他方よりおおくの量の労働が、それによっ 物を生産する。剰余もまたつねに、その労働を使用した資財 て維持されなければならないし、そして、農業者の利潤と地 を、それの利潤とともに回収するにたりるよりも、おおいの
オしカれが関係によって、保護されている。それのどんな部分も、生産 ちの消費とひきかえに背後になにものこしはしよ、。、 四年々貯蓄する部分は、利潤をめざしてただちに資本として使的な人手以外のなにかの維持に、あとになってかりにも使用 用されるのだから、おなじゃりかたで、しかもほぼ同時に消されるならば、それをこうして本来の使途からそらせて悪用 費されるのであるが、しかし、べつの一組の人々、すなわちする人にとって、あきらかな損失とならすにはおかない。 浪費家はそれを、つぎのようにして悪用する。すなわち、 かれらの年々の消費の価値を利潤とともに再生産する労働 かれの支出をかれの収入の範囲にかぎらぬことによって、か 者、製造業者、および手工業者によってなのである。かれの 収入が、かれに貨幣で支はらわれると想定しよう。かれがそれは自分の資本をくいつぶすのである。ある敬神的な財団の の全体を、費消してしまったならば、その全部で購入しえた収入を漬神的な諸目的に悪用する人のように、かれは、自分 の先祖の倹約が勤労の維持のためにいわば聖化しておいた基 だけの衣食住は、まえの一群の人々のあいだに分配されたで あろう。それの一部分を貯蓄するならば、その部分は利潤を金をもって、怠惰の賃金を支はらうのである。生産的労働の えるためにただちに資本として、かれ自身かだれか他の人に使用にあてられた基金を減少させることによって、かれは必 よって使用されるのだから、そうすることにより、それをも然的に、かれに依存する範囲内で、投下された対象に価値を って購買されうる衣食住は、必然的に後者のために留保されつけくわえる労働の量を減少させ、したがって、国全体の土 る。消費は同一であっても、消費者はちがうのである。 地と労働の年々の生産物の価値、その住民の真実の富と収人 倹約な人は、かれが年々貯蓄するものによって、その年まを、減少させる。ある人々の浪費が、他の人々の倹約によっ たはつぎの年についての、生産的な人手の数の追加分の維持てつぐなわれないならば、各浪費者の行動は、勤勉なものの パンをもって怠惰なものをやしなうことにより、かれ自身を 費を、提供するだけではなく、かれは、公共労役場の設立者 のように、将来のあらゆるときに同一数を維持するための永こじきにするだけでなく、かれの国をますしくすることにな 久基金を、設置するようなものである。この基金の永久的な わりあてと使途は、かならすしもつねに、なんらかの実定 浪費者の支出が、すべて国産商品についてなされ、そのい かなる部分も外国商品についてなされるのではないとして 法、なんらかの信託権や永久寄付行為によって、保護されて いるのではないことはたしかである。けれどもそれは、つねも、それが、その社会の生産的基金にあたえる効果は、同一 に、きわめて強力な原理、すなわち、それのいくらかのわけであろう。毎年、生産的な人手を維持すべきであったはす の、一定量の食物と衣服が、やはり、不生産的な人手の維持 まえが属するすべての個人の、わかりやすくあきらかな利害 る。
を獲得した人およびそれを手ばなすかなにかほかのものと交 第五章諸商品の実質価格および名目価格換しようとのそむ人にとってもつ、真実のねうちは、それに よってかれ自身が節約しうる苦労と手数であり、それが他の について、あるいは、それらの労 人々に課しうる苦労と手数である。貨幣または財貨でかわれ るものは、われわれ自身の身体の苦労によって獲得されるも 働価格とそれらの貨幣価格につい のとおなじく、労働によって購買されるのである。その貨幣 て あるいはそれらの財貨は、たしかに、われわれからこの苦労 各人は、人間生活の必需品、便宜品、娯楽を享受する能力をのそいてくれる。それらは、一定量の労働の価値をふくみ、 それをわれわれは、そのときに等量の労働の価値をふくむと が、どのていどあるかに応じて、富裕または貧乏なのである。 考えられるものと交換する。労働は、すべてのものにたいし しかし、ひとたび分業が十分におこなわれるようになってか て支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣 らは、それらのうちで、かれ自身の労働がかれに供給しうる 部分は、非常にちいさいものにすぎない。それらのうちの圧である。金によってでも銀によってでもなく、労働によっ て、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、 倒的大部分を、かれは、他の人々の労働からひきださねばな らす、かれが支配しうるその労働の量、すなわちかれが購買それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人 する能力のあるその労働の量に応じて、かれは富裕であり貧人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配 乏であるにちがいない。したがって、ある商品を所有し、みさせうる労働の量に、正確にひとしい。 ずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の しかし、労働がすべての商品の交換価値の真実の尺度であ 諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、 るとはいえ、それらのものの価値がふつうに評価されるの それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとし は、それによってではない。ふたつのちがった労働量のあい い。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺 だの比率をたしかめるのは、しばしば困難である。ふたつの 度なのである。 ちがった種類のしごとについやされた時間だけが、かならす あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しょ しもつねに、この比率を決定するのではない。たえしのばれ うとのそむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得たつらさと、はたらかされた創意との、程度のちがいもまた するさいの苦労と手数である。あらゆるものが、すでにそれ同様に、計算にいれられなければならない。一時間の困難な
8 である。だから、社会のすすんだ状態においては、他の人々本を、すくなくともその通常の利潤とともに、回収するもの と、期待されるにちがいない。異常な手ぎわと技倆を必要と がひまつぶしにおこなうことに、職業として従事するのは、 すべてきわめてますしい人々である。漁夫は、テオクリトウする業務のどれかのために、おおくの労働と時間をついやし て教育された人間は、それらの高価な機械のひとつに、比較 スの時代以来、そうであった。密猟者は、グレート・ブリテ ンでよ、。 とこにおいても、たいへんまずしい人である。法律されうる。かれがその遂行を習得するしごとは、ふつうの労 の厳格さが、密猟者の存在をゆるさぬ国々では、免許をうけ働の平常の賃銀をこえて、かれの教育の全費用を、すくなく これらのとも価値のひとしい資本の通常の利潤とともに、かれに回収 た狩猟者も、それよりたいしていい状態ではない。 させるであろうと、期待されるにちがいない。それはまた、 業務にたいするうまれつきの嗜好から、それに従事する人々 このことをある妥当な期間内に、しなければならないのであ の数は、それによって快適に生活しうるよりも、おおくな って、なぜなら、それより確実な機械の持続についてとおな り、かれらの労働の生産物は、その量のわりに、つねにたい じように、人間の生命の非常に不確実な持続についての顧慮 へんやすく市場にでるので、労働者のもっともと、ほしい生計 がなされるからである。 費以上のものを、とうてい提供しえないのである。 スキルド 技倆労働の賃銀と、ふつうの労働のそれとのちがいは、こ 不快であることと体面をけがすことは、労働の賃銀にたい してとおなじようにして、資財の利潤にたいしても、影響をの原理にもとづく。 ヨーロツ。ハの政策は、すべての機械工、手工業者、製造業 あたえる。宿屋や居酒屋の亭主は、けっしてかれ自身の家の 主人ではなく、あらゆるよっぱらいの乱暴にさらされている者の労働を、技倆労働とみなし、すべての農村労働者のそれ のだが、かれはけっして、たいへん快適な、あるいはたいへを、ふつうの労働とみなしている。それは、前者の労働の方 が後者の労働よりも、精密で繊細な性質のものだと、想定し ん面目をほどこす事業を、しているわけではない。しかし、 ふつうの職業で、ちいさな資財がこれほどおおきな利潤をうているようにおもわれる。若干のばあいにはおそらくそのと むものは、めったにないのである。 おりであろうが、大部分のばあいには、まったくちがうので 第二に、労働の賃銀は、その事業の習得が容易で安価でああって、そのことをわたくしは、しだいに示そうとっとめる るか、困難で費用がかかるかにおうじて、変動する。 だろう。したがって、ヨーロッ / 。、の法律と慣習は、前者の種 ある高価な機械がすえつけられるばあい、それが磨減する類の労働をおこなう資格を、どんな人物にゆるすにも、きび までに遂行するはずの異常なしごとは、それに投下された資しさの程度はところによってちがうとはいえ、徒弟奉公の必
ある。他方、労働貧民のとぼしい生計は、ものごとが静止し しせまった生計についてまったくわれわれに依存するものと ていることの、そしてかれらの飢餓状態は、ものごとが急速か は、このようにとりあっかわれはしないであろう。かれの に後退していることの、自然の徴候である。 日々の生計は、かれの日々の必要に対応させられるであろう。 現在では、グレート・ 、、フリテンの労働の賃銀は、あきらか 第二に、労働の賃銀は、グレート・ブリテンでは、食料品 とこにおいて に、労働者が家族を扶養しうるのにちょうど必要なところよ価格とともに動揺することがない。食料品は、。 りも、おおいようにおもわれる。この点についてわれわれが も、年々に変動し、しばしば月々に変動する。しかし、おお 満足するためには、このことを可能にする最低額はどんなも くのところで、労働の貨幣価格は、ときには半世紀にわたっ のでありうるかについて、なにも、たいくつな、あるいはうてずっと、一貫して同一のままである。だから、もしこれら たがわしい計算に、はいりこむ必要はないであろう。労働の のところで、労働貧民が、食料品の高価な年にその家族を維 賃銀がこの国のどこにおいても、ふつうの人類愛と一致する持しうるならば、かれらは、かなり豊富なときには、らくで この最低率によって規制されてはいないということの、おおあるにちがいないし、特にやすいときには、ゆたかであるに くの明白な徴候が存在する。 ちがいない。さいきん十年間の食料品の高価格は、この王国 第一に、グレート・ブリテンのほとんどどの部分でも、最のおおくの部分で、労働の貨幣価格の、いくらかでもめだっ 低の種類の労働においてさえも、夏の賃銀と冬の賃銀との区ほどの上昇を、ともなわなかった。ある部分では、たしかに 別がある。夏の賃銀は、つねに最高である。しかし、燃料費がそうであったが、おそらく、食料品価格の増大よりも、労働 よけいにかかるために、一家族の生活維持費は、冬にもっと需要の増大による方が、おおきいであろう。 もおおくかかる。したがって、賃銀はこの経費が最低のとき 第三に、食料品価格は労働の賃銀よりも、年による変動が に最高なのだから、それが、この経費に必要なところによっ おおきいが、他方では、労働の賃銀は食料品価格よりも、と て規制されずに、しごとの量と想定価値によって規制されて ころによる変動がおおきし 、。パンと食肉の価格は、一般に、 いることは、明白だとおもわれる。労働者は、かれの冬の費連合王国の大部分にわたって、同一またはそれにきわめてち 用をまかなうために、夏の賃銀の一部を節約しなければなら かい。労働貧民がすべてのものをかう方法である小売で、う ないとか、一年全体をつうじては、賃銀は、かれの家族を一られるこれらおよびその他たいていのものは、一般に、大都 年全体をつうじて維持するに必要なところをこえないとか、 会においては、この国の遠隔の地方でと、まったくおなじよ たしかにいうことができる。しかしながら、どれいとか、さ うにやすいか、あるいはそれよりもやすいのであって、その
の時期に、おそらく、同様のことがなにかおこなわれたにち れる。もし、たとえば狩猟者の国民のなかで、海狸一頭をこ ろすのに 、一頭の鹿をころす労働の一一倍が、通常かかるとすがいないのである。 ものごとのこの状態においては、ある商品を獲得または生 ると、とうぜん、一頭の海狸は一一頭の鹿と交換される、すな わちそれだけのねうちがあることになるであろう。通常一一日産するのに、通常使用される労働の量が、その商品が通常購 または一一時間の労働の生産物であるものが、通常一日または買、支配、あるいは交換されるべき、労働の量を規制しうる 一時間の労働の生産物であるものの、一一倍のねうちをもつの唯一の事情である。 はとうぜんである。 資財がひとたび個々の人々の手中に蓄積されてしまうと、 もし、ある種の労働が、他種の労働よりもはげしいとすれただちに、かれらのうちのあるものは、とうぜんそれを、勤 ば、この困難の差について、とうぜんいくらかの評価の加減勉な人々をしごとにつかせるのに使用するであろう。かれら がなされるであろうし、一方のやりかたでの一時間の労働の は、その人々に原料と生活資料とを供給して、その人々の生 生産物は、しばしば、他のやりかたでの二時間の労働の生産産物の販売により、すなわち、かれらの労働が原料の価値に 物と、交換されるであろう。 つけくわえるところにより、利潤をえようとするのである。 あるいはまた、ある種の労働が、なみなみならぬ程度の、 完成品を、貨幣か労働か他の財貨と交換するにあたって、原 手ぎわと独創を必要とすれば、そのような才能にたいして人料の価格と職人の賃銀とを支はらうにたりるであろうところ 人がもっ尊敬は、とうぜん、それらの才能の生産物に、それをこえて、このしごとの企業者の利潤として、いくらかがあ についやされた時間に相当するであろうところよりも、すぐ たえられなければならないのであって、かれはこの冒険に自 れた価値をあたえるだろう。そういう才能は、ながい精励の分の資財をあえて投じたのである。したがって、職人が原料 につけくわえる価値は、このばあいに、それ自体がふたつの けつかでなければ、めったにえられないのであって、それら の才能の生産物がもっすぐれた価値は、しばしば、それらの部分にわかれる。そのうちのひとつは、かれらの賃銀を支は らい、もうひとつは、かれらの使用者が前ばらいした原料と 才能を獲得するのについやされなければならぬ時間と労働に たいする、妥当なつぐないをこえるものではないかもしれな賃銀との資財全体にたいして、かれの利潤を支はらう。かれ らの生産物の販売から、かれが、かれの資財を回収するより 、。社会の進歩した状態においては、困難や技倆がまさって いくらかおおくを、期待したのでなければ、かれは、かれら いることにたいするこの種の手加減が、労働の賃銀において なされるのがふつうであり、それで、そのもっとも初期未開を使用するのになんの関心も、もちえなかったであろう。そ