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検索対象: 世界の大思想14 スミス 国富論<上>
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1. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

第二篇資財の性質、蓄積、使用に の労働の生産物は、かれのそのときどきの諸欲望の、きわめ てちいさな部分しかみたしえない。諸欲望のうちのはるか大 部分は、他の人々の労働の生産物によってみたされるのであ り、かれはそれを、かれ自身の労働の生産物で、あるいは、 おなじことだが、その生産物の価格で、購買するのである。 しかし、この購買は、かれ自身の労働の生産物が完成するだ けでなく、売却されてしまったときでなければ、おこないえ ストック ない。したがって、さまざまな種類の財貨の貯蔵が、すくな くともこれらのことが達成されうるときまで、かれを維持し、 かれのしごとの材料と道具をかれに供給するに十分なだけ、 どこかにたくわえられていなければならない。織布工が、か れの特殊なしごとにまったく専念しうるには、そのまえに、か 分業がなく、交換がまれにしかおこなわれず、各人がすべれがその織物を完成するだけでなく売却してしまうまで、か てのものを自分で調達するという、社会の未開状態においてれを維持し、かれのしごとの材料と道具をかれに供給するに は、その社会のしごとをすすめていくために、なんの資財も、十分なだけの、資貯が、かれ自身の所有であれだれか他人の 所有であれ、どこかにたくわえられていなければならない。 まえもって蓄積されたりたくわえられたりする必要はない。 資財の蓄積が、ものごとの性質上、分業に先行せざるをえ 各人は、かれ自身のそのときどきの欲望を、それらがおこる ないように、それにさきだって蓄積される資財がますますお に応じて、自分の勤労によってみたそうと努力する。かれが 空腹なときには、かれは森に狩猟にいく。かれの上衣が着ふおくなるのに比例してのみ、労働は細分されうるのである。 おなじ数の人々がしあげることができる材料の量は、労働が るされれば、かれがさいしょにころすおおきな動物の皮を、 身にまとう。そして、かれの小屋がこわれはじめると、かれますます細分されてくると、おおきな割合で増大する。そし こ、ますますおおきな程度の単純 て、各職人の作業がしだい冫 はいちばん小屋にちかい樹木と芝土で、できるかぎりうまく、 さにひきさげられるにつれて、それらの作業をよういにした それを修理する。 しかし、分業がひとたび十分に導入されると、ある人自身り省略したりするために、さまざまなあたらしい機械が発明 1 一 1 一口

2. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

( 三 ) て、すなわち、自分の娘を嫁にやっていいということ、自分おおきく広汎な司法権がかれらにあたえられた。 おそらく、自己の公収入を請負うことをみとめられたよう の子供が相続するということ、また遣言により自己の動産を 処分しうるということである。それ以前にこのような諸特権な都会に、その市民に支はらいを義務づけるある種の強制的 が、商業の自由とともに個人としての特定の市民たちに、通司法権をゆるすことは、必要であっただろう。これらの混乱 した時代においては、それらの都会が、この種の裁判を他の 常ゆるされていたかどうかは、わたくしはしらない。わたく いずれかの法廷にもとめるままに放置されるのは、きわめて しは、その直接の証拠をなにも提供しえないけれども、それ はありえないことではないとおもう。しかし、このことがど不便であったろう。しかし、ヨーロッパのさまざまな国のす うであれ、このようにして隷農状態およびどれい状態のおもべての主権者たちがこのようにして、その収入のうちで、自 な属性がかれらから除去されたから、かれらはすくなくとも分自身の費用も注意もはらうことなしに、ものごとの自然の 経過によって増大するみこみが、他のすべてにくらべてもっ このとき、自由ということばのわれわれの現在の意味におい ともつよかった部門を、もうけっして増額しない確定賃料と て、真に自由となった。 これだけではなかった。同時にかれらは一般に、つぎのよ交換したこと、そのうえかれらが、このようにして自発的 に、自分の領土の中心に一種の独立共和国を建設したこと うな特権をもっ共同社会あるいは団体に、昇格させられた。 て は、途方もないようにおもわれるにちがいない。 すなわち、かれら自身の行政官と市参事会とをもち、かれら このことを理解するためには、当時ヨーロツ。ハのおそらく に自身の統治のために自治体条例を制定し、かれら自身の防衛 のために障壁をきすき、その全住民に不断の監視を義務づけどの国でも、主権者はその領土全域にわたって、臣下のうち のることによってかれらを一種の軍規のもとにおく、という特比較的よわい部分を大領主の抑圧から保護しえなかったとい うことが想起されねばならない。法が保護しえない、また自 進権である。不断の監視とは、むかしそれが理解されていたと 裕ころでは、それらの壁を、夜も昼とおなじく、あらゆる攻撃己を防衛するにたりるほどっよくない人々は、ある大領主の 保護にたよって、その保護をえるためにかれのどれいあるい と奇襲にたいして守備し防禦することである。イングランド は従士となるか、あるいは、たがいに共同で保護しあうため 三では、かれらは一般に、区や州の裁判所へうったえられるこ に相互防衛の同盟にはいるかの、いずれかをせざるをえなか とを免除されていた。そして、かれらのあいだで生じるよう 川事訴訟をのそいて、かれら自身の行政った。都市および都会の住民は、単一の個々人としては、自 なすべての訴訟は、」 官の決定にゆだねられた。他の国々では、しばしば、ずっと分たちを防衛する力をもっていなかったが、しかし隣人の相 ・トレーーに・

3. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

互防衛同盟をむすぶことにより、かれらはあなどりがたい抵王になにか相当おおきな支持をあたえうるようにも、しえな 抗をおこなうことができた。領主は市民を軽蔑していたので かったであろう。かれらにかれら自身の都会の徴税請負を世 あって、かれらは市民を、別の階層のものとみなしただけで襲財産としてゆるすことにより、国王は、自分の友人に、ま なく、自分たちとはほとんど別の種の、解放どれいの一団と、 たこういってよければ同盟者に、したいとのぞんでいた人々 考えた。市民の富は、、 しつもかれらの羨望と憤怒とをひきお から、国王がいっかのちになって、かれらの都会の徴税請負 こさずにはおかず、かれらはあらゆる機会に、なさけ容赦も賃料を増額するか、あるいはそれをある他の徴税請負人にあ なく市民を掠奪した。市民はとうぜん、領主をにくみおそれたえるかによって、かれらを抑圧するかもしれないという警 た。国王もまた、かれらをにくみ、おそれたが、しかしかれ戒心と猜疑心の、一切の根源を除去したのである。 は市民を、おそらく軽蔑したかもしれないけれども、にくむ 自分の貴族たちともっともなかがわるかった君主が、それ 理由もおそれる理由もなかった。したがって、相互の利害が、 に応じて都市にたいするこの種の授与に、もっとも寛大であ 市民たちに国王を支持する気持をおこさせ、国王に貴族に反ったようにおもわれる。たとえば、イングランドのジョン王 対してかれらを支持する気持をおこさせた。かれらは国王の は、かれの諸都会にたいして、もっとも気前のいい恩人であ 敵の敵であったし、かれらをそれらの敵からできるだけ安全ったようである。フランスのフィリップ一世は、かれの貴族 かっ独立にすることが、国王の利益であった。市民にかれら たちにたいする権威をまったくうしなった。かれの治世のお 自身の行政官をもっことをゆるし、かれら自身の統治のためわりごろ、のちにルイ肥満王の名でしられた息子は、ダニエ に自治体条例をつくる特権、かれら自身の防衛のために障壁 ル神父によれば、大領主たちの横暴を抑制するもっとも適当 をきすく特権、またその全住民を一種の軍規のもとにおく特な手段について、国王の直領内の司教たちと相談した。かれ 権を、ゆるすことにより、国王は、かれらを貴族にたいしてらの忠告は二つのちがった提案からなっていた。一つは、国 安全かっ独立にするために、かれのカであたえうるすべての王の直領内の相当おおきなすべての都会に、行政官と市参事 手段をかれらにあたえたのである。この種のある正規の統治会とをもうけることにより、あたらしい司法秩序をうちたて の確立がなければ、すなわち、ある一定の計画もしくは組織ることであった。他は、それらの都市の住民たちを、かれら にしたがって行動するように住民に強制する、ある権威がな 自身の行政官の指揮のもとに、適当な機会に国王の援助に出 ければ、相互防衛の自発的な同盟は、かれらになにも恒久的陣させることにより、あたらしい民兵を形成することであっ な保障をあたえることもできなかっただろうし、かれらが国た。フランスの史実研究家たちによれば、われわれは、フラ ( 四 )

4. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

ない ) 、それらの二つの目標のうちで、前者にかんしてよりもでなく、もっともうたがいぶかい注意をもって、ながく念い 後者にかんしての方が、はるかに信頼できるのである。かれりに検討してからでなければ、けっして採用すべきではな 。それは、つぎのような人々の階層からでてくるのであっ らがいなかの郷士にまさっているのは、公共の利益について て、すなわち、かれらの利害はけっして公共のそれと正確に のかれらの知識においてであるよりも、郷士がかれの利益に 同一ではなく、かれらは一般に、公共をだますこと、抑圧さ ついて有する知識よりも、かれらがかれら自身の利益につい えすることを、利益とするのであり、したがってかれらは、 て、すぐれた知識をもっていることにおいてなのである。か おおくのばあいに、それをだましたり抑圧したりすること れら自身の利益についての、この優越した知識によって、か れらはしばしば、かれの、寛大さにつけこみ、かれを説得しを、ともにやってきたのである。 て、かれ自身の利益と公共の利益とをともに放棄させてきた い、かれの利益ではなくかれらの のであって、かれはそのさ 利益が公共の利益なのだという、きわめて単純だが正直な信 念から、そうさせられたのである。しかしながら、商業や製 造業のどの特定部門における商人の利害も、つねになにかの 点で、公共の利害とくいちがうし、対立的でさえある。市場 るをひろげ競争をせばめることは、つねに商人の利益である。 お市場をひろげることは、しばしば、公共の利益とも十分に一 か致できるであろう。しかし競争をせばめることは、つねにそ 生れに反せざるをえないし、また商人たちがかれらの利潤を、 働自然にそうなるであろうよりもたかく維持することによっ て、自分たちの利益のために他の同胞市民から背理的な税を 一とりたてうるようになるのに、役だっことができるだけであ る。商業上のなにかあたらしい法律か規制について、この階 幻層からでてくる提案には、つねにおおきな警戒をもって耳を かたむけるべきであって、しかも、もっとも周到な注意だけ

5. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

の都市は、それらの軍隊の、こういってよければ兵站部だっ 注意しなければならないのは、大国はすべて、国内である 種の製造業がいとなまれることなしには、、 たのであり、そして、かってヨーロッパ諸国民をおそったう しまだかって存立 ちでもっとも破壊的な狂乱が、それらの共和国にとっては富 しなかったし、しえなかったということである。そしてこの 裕の源泉だったのである。 ような国について、製造業がないといわれるばあいに、それ はつねに比較的上質で改良されたもの、あるいは遠隔地販売 商業都市の住民は、それより富裕な諸国の改良された製造 品や高価な奢侈品を輸人することにより、大土地所有者たちに適当なもののことだと、理解されなければならない。すべ ての大国においては、国民の圧倒的大部分の衣服および家具 の虚栄心をいくらか満足させたのであって、かれらは熱心に それらを自分自身の土地の大量の粗生産物をもって購人し はともに、かれら自身の勤労の生産物である。このことは、 た。したがって当時におけるヨーロツ。ハの大部分の商業は、 普通に製造業がないといわれるまずしい国々において、それ おもにかれら自身の組生産物ともっと文明化した諸国民の製が豊富にあるといわれる富裕な国々においてよりも、普遍的 造品との、交換にあった。このようにしてイングランドの羊にあてはまる。後者において、あなたは一般に最下層の階級 の人々についてさえ、その衣服と家具の双方に、前者におけ 毛は、フランスのぶどう酒やフランドルの上質織物と交換さ るよりもはるかにおおきい割合の外国製品をみいだすであろ れるのがつねであった。それはちょうど、現在ポーランドの またフランスやう。 穀物がフランスのぶどう酒やブランディー、 遠隔地販売に適した諸製造業は、二つのことなる方法で、 にイタリアの絹織物およびビロードと、交換されるのとおなじ ようなやりかたであった。 さまざまな国に導人されたようにおもわれる。 比較的上質で改良された製造品をもとめる趣味は、こうし ときどきそれらは、上述のようにして、特定の商人および の 企業家の資財の、こういってよければ乱暴な運用によって、 進て外国商業によって、このようなしごとがいとなまれていな 裕い国々に導入された。しかしこの趣味がかなりの需要を喚起導入されたのであって、かれらは、同種のある外国製造業を するほど一般的となったとき、商人たちは、輸送費を節約す模倣して、それらを設立した。したがって、このような製造 三るために、とうぜん、かれら自身の国に同種の若干の製造業業は、外国商業の子孫であり、また十三世紀のはじめにヴェ を建設することにつとめた。ローマ帝国が没落したあとでヨ ネッィアに導人された絹、。 ヒロードおよび錦のふるい製造業 ーロッパ西部諸属州に建設されたようにおもわれる、遠隔地は、このようなものであったようにおもわれる。むかしフ 販売むけの最初の製造業の起源はここにある。 ランドルにおいて繁栄し、エリザベス治世下のはじめにイン

6. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

に、高関税と禁止が課せられるのである。また、それで、貿ようにして、かれらの近隣諸国民の製造業者たちにとって 易差額がわれわれにとって不利だと想定される国々から、すは、うたがいもなくひじように危険な競争者でありうる。し なわち、たまたまきわめてはげしくもえあがらされた国民的 かしながらまさにこの競争が、人民の大集団にとっては有利 憎悪の、対象である国々からの、ほとんどあらゆる種類の財なのであって、かれらはそのうえに、そういう国民のおおき 貨の輸入について、異常な抑制がおこなわれるのである。 な支出が、他のあらゆる方面でかれらに提供するいい市場に しかしながら、となりの国民の富は、戦争と政治においてよって、おおいに利益をえる。財産をつくりたいとおもう私 は危険であるにしても、貿易においてはまちがいなく有利な人たちは、その国の僻遠で貧困ないなかに引退することをけ のである。それは、敵対状態においては、われわれの敵が、 っして考えないで、首府か、大商業都会のうちのどこかに われわれ自身にまさる艦隊と軍隊を維持するのを、可能にす いくのである。わずかの富しか流通していないところでは、 るかもしれない。だが、平和と商業の状態においては、それわずかしかえられないが、大量のそれがうごいているとこ , っ はおなじようにして、かれらがわれわれと、一層おおきな価では、そのうちのいくらかのわけまえが、かれらの手におち 値の交換をおこない、 一層すぐれた市場を、われわれ自身の るかもしれないということを、かれらはしっている。このよ 勤労の直接生産物にたいして、あるいはその生産物で購買さ うにして一人、十人、二十人の個人の常識をみちびくのがっ て れるどんなものにたいしても、提供するのを可能にするにちねであるのと、同一の諸格律が、百万、千万、二千万の個人 にがいない。富裕な人が貧乏人よりも、かれの近隣地方におけの判断を規僴するであろうし、そして、一国民全体がその隣 体る勤勉な人々にとって、いい顧客となりがちであるように、 人たちの富を、自分たちが富を獲得する可能性のおおきい原・ が富裕な国民も同様にしてそうである。みすから製造業者であ因および機会とみなすように、なるであろう。外国貿易によ 学 済る富裕な人は、たしかに、おなじ商売をするすべての人々に って富裕になろうとする国民は、その隣人たちがすべて富裕 治とって、きわめて危険な隣人である。しかしながら、近隣地で勤勉で商業的な国民であるばあいに、たしかにもっともそ 方の他のすべての人々、すなわち圧倒的な最大多数は、かれうなりやすい。すべての周辺を放浪の未開人と貧困な野蛮人 四の支出がかれらに提供するすぐれた市場によって、利益をえ にとりかこまれている、ひとつの大国民は、うたがいもな る。かれらは、かれが、自分とおなじ商売をしていて自分よ く、それ自身の土地の耕作と、それ自身の内部商業によっ り貧乏な職人たちとくらべて、やすくうるということによっ て、富を獲得することができるが、外国貿易によってではな てさえ、利益をえる。富裕な国民の製造業者たちは、おなじ 、。古代エジ。フト人と近代支那人が、かれらのおおきな富を

7. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

を獲得した人およびそれを手ばなすかなにかほかのものと交 第五章諸商品の実質価格および名目価格換しようとのそむ人にとってもつ、真実のねうちは、それに よってかれ自身が節約しうる苦労と手数であり、それが他の について、あるいは、それらの労 人々に課しうる苦労と手数である。貨幣または財貨でかわれ るものは、われわれ自身の身体の苦労によって獲得されるも 働価格とそれらの貨幣価格につい のとおなじく、労働によって購買されるのである。その貨幣 て あるいはそれらの財貨は、たしかに、われわれからこの苦労 各人は、人間生活の必需品、便宜品、娯楽を享受する能力をのそいてくれる。それらは、一定量の労働の価値をふくみ、 それをわれわれは、そのときに等量の労働の価値をふくむと が、どのていどあるかに応じて、富裕または貧乏なのである。 考えられるものと交換する。労働は、すべてのものにたいし しかし、ひとたび分業が十分におこなわれるようになってか て支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣 らは、それらのうちで、かれ自身の労働がかれに供給しうる 部分は、非常にちいさいものにすぎない。それらのうちの圧である。金によってでも銀によってでもなく、労働によっ て、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、 倒的大部分を、かれは、他の人々の労働からひきださねばな らす、かれが支配しうるその労働の量、すなわちかれが購買それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人 する能力のあるその労働の量に応じて、かれは富裕であり貧人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配 乏であるにちがいない。したがって、ある商品を所有し、みさせうる労働の量に、正確にひとしい。 ずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の しかし、労働がすべての商品の交換価値の真実の尺度であ 諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、 るとはいえ、それらのものの価値がふつうに評価されるの それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとし は、それによってではない。ふたつのちがった労働量のあい い。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺 だの比率をたしかめるのは、しばしば困難である。ふたつの 度なのである。 ちがった種類のしごとについやされた時間だけが、かならす あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しょ しもつねに、この比率を決定するのではない。たえしのばれ うとのそむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得たつらさと、はたらかされた創意との、程度のちがいもまた するさいの苦労と手数である。あらゆるものが、すでにそれ同様に、計算にいれられなければならない。一時間の困難な

8. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

黒海、アジアにおけるアラビア湾、ベルシャ湾、インド湾、 分を、他人の労働の生産物のうちでかれが必要とする部分 べンガル湾、シャム湾のように、 このおおきな大陸のおくのと、交換することによって供給する。各人はこうして、交換 諸地方にまで水運商業を普及させるための、おおきな内海が によって生活し、 しいかえれば、あるていど商人となり、そ くらかと ひとつもない。そして、アフリカの大河はまた、い して社会自体は、適切にはひとつの商業社会というべきもの るにたりるほどの内陸水運をひきおこすには、相互にとおく に転化する。 はなれすぎている。そのうえ、多数の支流や水路にわかれな しかし、さいしょに分業がおこりはじめたときは、この交 いで、海に達するまえに他の領土にながれこむ河によって、 換能力は、しばしば、その作用を非常に妨害され阻止された ある国民がいとなみうる商業は、けっしてたいしたものでは にちがいない。ある人が一定の商品を、かれ自身が必要とす ありえない。なぜなら、上流の国と海とのあいだの交通をさ る以上にもっているのに、他の人はそれ以下にしかもたない またげることは、その領土を所有する諸国民の手中に、いっと、仮定しよう。そのけ「か、この余剰品の一部を、前者は もにぎられているからである。ドナウの航行は、。ハイエル よろこんで手ばなすだろうし、後者はよろこんで購買するだ ン、オーストリア、 ( ンガリーという諸国にとって、もしそろう。だが、もしこの後者がたまたま、前者の必要としてい れらの国のどれかが、ドナウが黒海にそそぐまでの全流路をるものをなにももたないなら、かれらのあいだには交換はお 所有しているとしたばあいにくらべて、ほとんど無用にちか こなわれえない。肉屋はその店に、かれ自身が消費しうるよ りもおおくの肉をもち、酒屋と。ハン屋はそれぞれ、その一部 分を購買したいとおもっている。それなのに、かれらは、そ れそれの職業のちがった生産物のほかには、交換に提供する ものをもたず、そして肉屋はすでに、かれがさしあたって必 第四章貨幣の起源と用途について 要とするパンとビールのすべてを、調達しているのである。 いかなる交換もおこ このばあいには、かれらのあいだには、 なわれえない。かれはかれらの商人でありえないし、かれら 分業がひとたび完全に確立されてしまうと、ある人の労働 こうしてかれらは、すべて、 もかれの顧客ではありえない。 の生産物が供給しうるのは、かれの欲望のうちのきわめてち 相互にあまり役にたたないのである。こういう状況の不便を いさな部分にすぎない。かれはその欲望の圧倒的大部分を、 かれ自身の労働の生産物のうちでかれの消費をこえる剰余部さけるために、分業がはじめて確立されて以来の社会のあら

9. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

まうと、それぞれまったく独立で、それの自然の状態におい の行手をさえぎろうと努力する。しかしながら、これは、な んの契約のけつかでもなくて、かれらの情念がその特定のとては、他のいきものの援助を必要としない。しかし、人間は、 ほとんどっねに、かれの同胞たちの助力を必要とするし、か きに、特定の対象において偶然に競合したことの、けつかな のである。ある犬が、びとつの骨を、他の大のもっている骨れがそれを、かれらの仁慈だけに期待してもむなしいのであ る。もしかれが、かれらの自己愛を、かれに利益をあたえる と、公正で熟慮した交換をするのを、だれもみたことはない。 ある動物が、その身ぶりとうまれつきの叫びとで、他の動物ようにうごかしうるならば、そして、かれがかれらにたいし てもとめていることを、かれらがかれにしてやると、かれら にむかって、これは自分のものでそれはおまえのものなので 自身の利益になるのだということを、かれらに示しうるなら あり、自分はそれとひきかえにこれをあたえたいのだという ば、その方が成功しやすいであろう。他人にある種の交易を ことを、示しているのをだれもみたことはない。ある動物が、 申しいれるものは、だれでも、こうすることを提案するので 人または他の動物からなにかを、えようとのぞむならば、か れがなにかをしてもらおうともとめている相手の、好意を獲ある。わたくしののぞむそれを、わたくしにください、そう 得する以外には、説得の手段をもたないのである。子犬は母すれば、あなたは、あなたののそむこれを手にいれるでしょ 大に、じゃれついて甘えるし、スパニエル犬は、主人から餌う、というのが、そういう申しいれのすべてが意味すること こ、自分たちが必要としている である。われわれがおたがい冫 をもらおうとおもうときは、さまざまな芸をして、食事中の 主人の注意をひこうと努力する。人間はときどき、その同胞世話の圧倒的大部分を獲得するのは、このようにしてなの だ。われわれは夕食を、肉屋や酒屋や。ハン屋の仁慈に期待す たちにたいしておなじ技術をつかうのであって、かれらを自 るのではなくて、かれら自身の利害についてのかれらの関心 分の意向におうじて行為させる手段を、ほかにもたぬばあい に、期待するのである。われわれがよびかけるのは、かれら は、かれらの好意をえるために、あらゆる卑屈でヘつらいの 奉仕によって努力する。けれどもかれは、どんなばあいにもの人類愛にではなく自己愛にであり、われわれはかれらにむ かって、かたるのは、けっしてわれわれ自身の必要について そうするだけの余裕があるのではない。文明社会において ではなく、かれらの利益についてなのである。乞食のほか は、かれはつねに、おおぜいの人の協同と援助を必要として は、だれも、かれの同胞市民の仁慈に、主としてたよろうと いるのに、他方では、かれの全生涯をついやしても、数人の はしない。乞食でさえも、それにまったくたよるのではな 友情をえるのにかろうじてたりるにすぎないのである。他の い。たしかに、気だてのいい人々の慈善は、かれの生存の全 ほとんどすべての種類の動物において、各個体は成熟してし

10. 世界の大思想14 スミス 国富論<上>

種類の産業に、おおきな奨励をあたえ、そしてしばしば、それ自身の利益であって、その社会の利益ではない。しかし、 の社会の労働と資財の双方のうちから、そうでなかったばあかれ自身の利益についての研究は自然に、というよりむしる いにその業務にむかったであろうよりも、おおきな部分をそ必然的に、かれをみちびいて、その社会にとってもっとも有 れへふりむけるということは、うたがいえない。だが、それ利な業務をえらばせるのである。 が、その社会の総勤労を増大させる傾向をもっか、あるい 第一に、各個人はかれの資本を、できるだけ自分にちかい は、もっとも有利な方向をそれにあたえる傾向をもっかは、 ところで、したがってできるだけおおく国内勤労〔産業〕を支、 おそらく、まったくそれほどたしかではない。 持するように、使用することにつとめる。ただし、つねに、 その社会の総勤労は、その社会の資本が使用しうるところかれがそうすることによって通常の、あるいは通常よりあま を、けっしてこえることはできない。ある個別的な人間が業 りすくなくない、資財の利潤を獲得しうると、仮定してのは なしである。 務につかせておくことができる職人の数は、かれの資本にた いして一定の比率をもつにちがいないが、同様に、あるおお こうして、利潤がひとしいか、ほとんどひとしければ、す きな社会のすべての成員によって継続的に使用されうる人々 べてのおろしうり商人は、消費のための外国貿易よりも国内、 の数は、その社会の全資本にたいして一定の比率をもつにち商業をこのみ、仲継貿易よりも消費のための外国貿易をこの : いなく、けっしてその比率をこえることはできない。商業むのが、とうぜんである。国内商業においては、かれの資本 についてのどんな規制も、ある社会における勤労の量を、そは、消費のための外国貿易においてしばしばそうであるよう の資本が維持しうるところをこえて、増大させることはでき にながいあいだ、かれの視野のそとにあることはけっしてな ない。それはただ、その一部を、そうでなかったらいかなか い。かれは〔外国貿易のばあいにくらべて〕自分が信用すべき人 . ったであろう方向へ、それさせることしかできない。そし 間の性格と境遇をよくしることができるし、またもしかれが て、この人為的な方向がその社会にたいして、それがおのすだまされるということでもおこれば、かれは自分が救済を からいったであろう方向よりも、有利になりそうかどうか とめるべきその国の法律を、よくしっている。仲継貿易にお は、けっしてたしかではないのである。 いては、その商人の資本は、いわば二つの外国のあいだに分 各個人は、かれが自由にしうる資本がどんなものであれ、 割され、そのどの部分も、けっして必然的には、国内にもっ それにたいするもっとも有利な業務をみつけようと、たえずてこられるとか、かれ自身の直接の監視と支配のもとにおか っとめている。たしかに、かれが眼中においているのは、かれるとかいうことはない。アムステルダムの一商人が、穀物