にちがいなく、それとともにそれらを流通させるのに使用さ に使用されるであろう。だから、毎年、そうでないばあいに その国の土地と労働の年々の生産物の価値であったはずのもれうる貨幣の量もまた、減少するにちがいない。しかし、生 産物のこの年々の減少によって国内流通から年々なげだされ のから、やはりいくらかの減少がおこったであろう。 この費用は、外国の財貨ではなく、金銀のいささかの輸出る貨幣は、なにもしないでいることはゆるされないであろ もひきおこさないのだから、従来と同一量の貨幣が国内にのう。だれであれ、それを所有する人の利害関心は、それが使 こるであろうと、たしかにいわれるかもしれない。だがもし用されることをもとめる。けれども、国内ではなににも使用 このようにして不生産的な人手によって消費された食物と衣されないので、それはあらゆる法律と禁止にもかかわらす、 国外におくられるであろうし、そして、国内でいくらか役に 服の量が、生産的な人手のあいだに分配されていたならば、 かれらはその消費の全価値を、利潤をそえて再生産したであたっかもしれぬような、消費しうる財貨を購買するのに使用 されるであろう。それの年々の輸出は、このようにしてしば ろう。このばあいにも、同一量の貨幣はやはり国内にのこっ らくは、ひきつづいて、その国の年々の消費に、その国自身 たであろうし、そのうえそこには、ひとしい価値の消費しう の年々の生産物の価値をこえて、あるものをつけくわえるで る財貨の、再生産がおこなわれたであろう。そこには、一つ て あろう。その国の繁栄の日々にその年々の生産物のなかから の価値のかわりに二つの価値があることになっただろう。 っ しかも、同一量の貨幣が、どこの国であれ年々の生産物の貯蓄されて、金銀を購買するのに使用されたものが、逆境に 用価値が減少しつつあるところに、ながくとどまることはありおけるその消費をささえるのに、ある短期間は寄与するであ ろう。金銀の輸出は、このばあいに、その国の衰退の原囚で えない。貨幣の唯一の用途は、消費しうる財貨を流通させる はなくて、結果なのであり、ある短期間はその衰退によるみ ことである。それを媒介として、食料品、材料、完成品が、 売買され、その本来の消費者に分配される。したがって、あじめさを緩和するものでさえありうるのである。 性 の る国で年々使用されうる貨幣の量は、そのなかで年々流通す 反対に、貨幣の量は、どこの国においても、年々の生産物 る、消費しうる財貨の価値によって、決定されるにちがいな の価値が増加するにつれて、自然に増加する。その社会のな これらの財貨は、その国自身の土地と労働の直接の生産かで年々流通する、消費しうる財貨の価値が、おおきくなる 第 物であるか、あるいは、その生産物のある部分をもって購入のだから、それらを流通させるために必要な貨幣の量もおお 9 されたものであるにちがいない。したがって、それらのものきくなるであろう。したがって、増加した生産物の一部分は とう、せんに、のこりのものを流通させるのに必要な金銀の追 の価値は、その生産物の価値が減少するにおうじて減少する
しかし、消費用外国商業の収益は、国内商業のそれとおな商業の収益に依存せざるをえないので、さらに一層おそくな じく急速であることはめったにない。国内商業の収益は一般 りがちなことだけが、ちがうのである。リガの亜麻と大麻 に、その年がおわるまえに、はいってくるし、ときには年に が、ヴァージニアのたばこで購買されるとして、後者がプリ 三回か四回はいってくる。消費用外国商業の収益が、その年テンの製造品で購買されていたものであるならば、その商人 のおわりよりはやくはいってくることは、めったにないし、 が同一の資本を、おなじような量のブリテンの製造品を再購 ときには二、三年たってからでなければ、はいってこない。 買するのに使用しうるようになるには、そのまえに二つの別 もし、ヴァ したがって、国内商業に使用される資本は、消費用外国貿易別の外国商業の収益を、またなければならない。 に使用される資本が一回の操作をしてしまうまえに、ときに ジニアのたばこが、ブリテンの製造品によってではなく、 は十二回の操作をするであろう。すなわち十二回、おくりだそれらの製造品で購入されたジャマイカの砂糖とラム酒によ されてもどってくるであろう。だから、もし資本がひとしい って、購入されていたとすれば、かれは三つの商業の収益を ならば、一方は他方より二十四倍おおくの奨励と支持を、そまたなければならない。もし、それらの二つまたは三つの別 の国の勤労にあたえるであろう。 別の外国商業が、たまたま二人または三人の別々の商人によ て 国内消費のための外国の財貨は、ときには、国内の勤労の っていとなまれることになって、かれらのうちの第二のもの っ 生産物ではなくて、なにか他の外国の財貨で、購入されう が、第一のものによって輸入された財貨をかい、第二のもの によって輸人された財貨を、第三のものがふたたび輸出する る。けれども、この後者は、直接に国内の勤労の生産物で、 あるいはそれですでに購入されていたなにか他のもので、購ためにかうとすれば、このばあいに各商人が、自分の資本の 蓄入されたものにちがいない。なぜなら、戦争と征服のばあい 収益をうけとることは、たしかにはやくなるであろう。だ 質 をのそけば、外国の財貨は、国内ですでに生産されていたな が、この商業に使用される資本全体の最終的な収益は、ちょ の うどまえとおなじく、おそいであろう。このような迂回商業 にかと、直接に、あるいは二つないしそれ以上のちがった交 換を経由して、交換されるのでなければ、けっして獲得され に使用される全資本が、一人の商人に属するか三人の商人に 篇 えないからである。したがって、そういう迂回的な消費用外属するかは、個々の商人にかんしてはちがいがあるかもしれ 第 ないにしても、その国にかんしては、ちがいはありえない。 国商業に使用される資本の効果は、あらゆる点で同一種類の 3 もっとも直接的な商業に使用される資本の効果とおなじであ一定の価値のブリテンの製造品を一定の量の亜麻および大麻 って、ただ、最終的な収益が、二つまたは三つの別々の外国と交換するために、その製造品とその亜麻および大麻とが直
は、この一ギニイ貨とそれで購入しうるものとの双方にでは いさくもなるにちがいない。かれらすべてをいっしょにした なく、それら二つのひとしい価値のどちらか一方だけに、ひものの全収入は、あきらかに、その貨幣とその消費財との双 としいのであって、そして、どちらがてきとうかといえば前方にではなく、それらふたつの価値のうちの一方か他方だけ 者よりも後者に、すなわち一ギニイ貨よりもむしろ一ギニイ に、ひとしいのであって、そして前者にというより後者にひ 貨の値うちに、ひとしいのである。 としいという方がてきとうなのである。 もしそういう人の年金が、かれに金で支はらわれずに、毎 したがって、われわれはしばしばある人の収人を、かれに 週一ギニイの手形で支はらわれたとすれば、まちがいなくか年々支はらわれる金属片で表現するけれども、それは、それ れの収入は、その一片の紙だというよりは、それとひきかえらの金属片の額が、かれの購買力の規模、すなわちかれが年 にかれが入手しえたものであるという方がてぎとうだったで年消費することができる財貨の価値を、規制するからなので あろう。一ギニイは、その近隣のすべての商人にたいする、 ある。それでもなおわれわれは、かれの収入を、この購買力 必需品と便宜品の一定量についての手形だと、みなすことが または消費力にあるものとみなすのであって、それをもたら できる。それが支はらわれる当人の収人は、その金片にあるすその金属片にあるとはみなさない。 て というよりも、かれがそれとひきかえに入手しうるもの、つ しかし、もしこのことが、個人に関してさえ十分にあきら っ にまりかれがそれと交換しうるものであるという方が、てきと かであるとすれば、社会に関してはさらにあきらかである。 使うなのである。もしそれがなにものとも交換されえなかった 一個人に年々支はらわれる金属片の額は、しばしば、かれの 積ならば、それは、破産者にたいする手形に似て、もっとも役収入に正確にひとしいし、その理由で、かれの収人の価値のも にたたぬ紙片の価値しかないであろう。 っとも簡単でもっともいい表現なのである。しかしながら、 性 どこの国でもそのさまざまな住民のすべての、週収入またひとつの社会のなかで流通する金属片の額は、そのすべての の 第は年収入は、おなじようにして、かれらにたいして貨幣で支成員の収入にひとしいものでは、けっしてありえない。きょ はらわれることが可能であるし、しばしば現実にそうされてう、ある人の毎週の年金を支はらうのと、同一のギニイ貨は、 いるのだが、そうだとしてもしかし、かれらのほんとうの富、あすは他の人のそれを支はらうことがあり、あさってはさら すなわちかれらすべてをいっしょにしたもののほんとうの、 に他の人のそれを支はらうことがあるのだから、どこの国で 週収入または年収人は、つねに、かれらすべてがこの貨幣をも、年々流通している金属片の額は、それらによって年々支 もって購入しうる消費財の量に比例して、おおきくもなりちはらわれる貨幣年金全体よりも、つねにずっとすくない価値
に購買しうる生活資料の量に比例して、おおいあるいはすく の減少とむすびつくときは、損失はしばしば、さらにおおき ない量の労働を購買するであろう。だから、穀物で留保され 、。鋳貨の表示額が、イングランドでかっておこなわれたこ ともないほどおおきな変更をうけた、スコットランド、およ た地代は、こだ、一定量の穀物が購買しうる労働の量の、変 び、それがスコットランドでもこれまでおこなわれたことも動の影響をうけるだけである。ところが、他のどれかの商品 ないほどに、さらにおおきな変更をうけたフランスでは、もで留保された地代は、ある一定量の穀物が購買しうる労働の とはかなりの価値であった若干のふるい地代が、これとおな 量の変動だけでなく、その商品のある一定量で購買しうる穀 じゃりかたで、ほとんど無になってしまった。 物の量の変動からも、影響をうけるのである。 ひとしい金銀の量、あるいは他のどんな商品の量をもって しかし注意すべきことは、穀物地代の実質価値が、世紀か するよりも、穀物すなわち労働者の生活資料のひとしい量をら世紀にかけては、貨幣地代のそれよりも変動がすくないの もってする方が、へだたった時点にいては、ひとしい労働量に、年々にははるかにおおきく変動するということである。 にちかいものが購買されるであろう。したがって、へだたっ 労働の貨幣価格は、わたくしがのちに示そうとっとめるよう た時点における等量の穀物の方が、同一の実質価値にちかい に、年々に穀物の貨幣価格とともに動揺するものではなく、 であろうし、すなわち、その所有者を、他の人々の労働の同どこにおいても、その生活必需品の一時的または偶然的な価 一量にちかいものを購買または支配できるように、するであ格にではなく、平均的または通常的な価格に、対応している ろう。それが、ほとんど他のどんな商品の等量よりも、この ようにおもわれる。さらに、穀物の平均的または通常的な価 ことを近似的にするであろうと、わたくしはいうのだが、な格は、おなじくわたくしがのちに示そうとっとめるように、 ・せなら、等量の穀物でさえも、正確にそうしはしないだろう 銀の価値により、その金属を市場に供給する鉱山の豊度によ からである。労働者の生活資料すなわち労働の実質価格は、 り、それのある特定の量を鉱山から市場にもってくるのに使 わたくしがのちに示そうとっとめるように、さまざまなばあ用されるべき労働の量、したがって消費されるべき穀物の量 により、規制される。しかし、銀の価値は、ときには世紀か 、に、非常にことなるのであって、静止している社会におい てよりも、富裕へむかって前進している社会においての方ら世紀へおおきく変動するが、年々におおきく変動すること はめったになく、半世紀あるいは一世紀全体にわたって、同 が、気まえよくあたえられ、後退しつつある社会においてよ りも、静止している社会の方が、そうである。けれども、他一あるいは同一にきわめてちかいことがしばしばある。した のどんな商品も、ある一定の時点において、それがそのとき がって、穀物の通常的または平均的な貨幣価格は、そういう
あろう。かれはそこでおおくの豪華さをみたが、カづよさをおくの便益をひきだすのであって、ただし、商人がそこに居 わすかしかみす、おおくの召使をみたがわずかの兵士しかみ住する国がひきだす便益は、一般に最大である。なぜなら、 なかった、というのである。 かれは一般に、他のどの特定の国よりもかれ自身の国の、欠 金銀の輸入は、ある国民がその外国貿易からひきだす主要乏をおぎない、よけいなものをはこびだすのに、従事するか らである。鉱山をなにももたない国々に、もとめられるかも な便益ではなく、まして唯一の便益ではない。外国貿易が、ど しれない金銀を輸入するのは、うたがいもなく、外国商業の んな場所と場所とのあいだでいとなまれようとも、かれらは すべて、ふたつの区別される便益をそれからひきだす。それしごとの一部分である。しかしながら、それは、きわめてと はかれらの土地と労働の生産物のうちで、かれらのあいだに るにたりない一部分なのである。この理由だけによって外国 貿易をいとなんだ国は、一世紀に一隻の船をやとう必要も、 は需要がない剰余部分を、はこびだして、それとひきかえに、 そこに需要が存在するなにかほかのものを、もちかえる。そほとんどありえなかった。 れはかれらのあまりものを、なにかほかのものと交換するこ アメリカの発見がヨーロッパを富ませたのは、金銀の輸人 とによって、あまりものに価値をあたえるのであり、ひきかえ によってではない。アメリカの諸鉱山の豊富さによって、そ にえられたものはかれらの諸欲望の一部をみたし、かれらのれらの金属は廉価になった。ひとそろいの金銀食器は、いま て 享受を増大させうるのである。その手段によって、国内市場では、それが十五世紀に要したであろう穀物あるいは労働の、 にのせまさが、技術や製造業のどの個別部門においても、分業約三分の一で、購買されうる。労働および諸商品の、おなじ 年々の支出をもって、ヨーロ ッパは、その時代に購買しえた 体が最高の完成に到達させられるのを、さまたげることがなく なる。かれらの労働の生産物のうちのどの部分であれ、国内金銀食器の約三倍を、年々購買することができるのである。 学 しかし、一商品が、それの平常の価格であったものの三分の 済消費をこえうるものにたいして、もっとひろい市場をひらく 治ことにより、それは、かれらがその生産諸力を改良し、その 一で、うられるようになるばあいは、まえにそれを購買した 政 年生産物を最大限に増加させるようにはげまし、そうするこ人々が、かれらのまえの量の三倍を購買しうるだけでなく、 四 とによってその社会の実質的な収入と富を増大させる。これそれは、はるかにおおきな数の購買者、おそらく、まえの数 らのおおきくしかも重要な奉仕を、外国貿易は、それがいとの十倍以上、おそらくは一一十倍以上の購買者の水準にまで、 ひきさげられる。こうして、アメリカの諸鉱山の発見がけっ なまれるさまざまな国のすべてにたいして遂行することに、 たえす従事しているのである。それらはすべて、それからおしてなされなかったら、ヨーロッパが現在のように改善され
を獲得した人およびそれを手ばなすかなにかほかのものと交 第五章諸商品の実質価格および名目価格換しようとのそむ人にとってもつ、真実のねうちは、それに よってかれ自身が節約しうる苦労と手数であり、それが他の について、あるいは、それらの労 人々に課しうる苦労と手数である。貨幣または財貨でかわれ るものは、われわれ自身の身体の苦労によって獲得されるも 働価格とそれらの貨幣価格につい のとおなじく、労働によって購買されるのである。その貨幣 て あるいはそれらの財貨は、たしかに、われわれからこの苦労 各人は、人間生活の必需品、便宜品、娯楽を享受する能力をのそいてくれる。それらは、一定量の労働の価値をふくみ、 それをわれわれは、そのときに等量の労働の価値をふくむと が、どのていどあるかに応じて、富裕または貧乏なのである。 考えられるものと交換する。労働は、すべてのものにたいし しかし、ひとたび分業が十分におこなわれるようになってか て支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣 らは、それらのうちで、かれ自身の労働がかれに供給しうる 部分は、非常にちいさいものにすぎない。それらのうちの圧である。金によってでも銀によってでもなく、労働によっ て、世界のあらゆる富は、もともと購買されたのであって、 倒的大部分を、かれは、他の人々の労働からひきださねばな らす、かれが支配しうるその労働の量、すなわちかれが購買それを所有していてなにかあたらしい生産物と交換したい人 する能力のあるその労働の量に応じて、かれは富裕であり貧人にとって、それの価値は、それがかれらに購買または支配 乏であるにちがいない。したがって、ある商品を所有し、みさせうる労働の量に、正確にひとしい。 ずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の しかし、労働がすべての商品の交換価値の真実の尺度であ 諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、 るとはいえ、それらのものの価値がふつうに評価されるの それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとし は、それによってではない。ふたつのちがった労働量のあい い。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺 だの比率をたしかめるのは、しばしば困難である。ふたつの 度なのである。 ちがった種類のしごとについやされた時間だけが、かならす あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しょ しもつねに、この比率を決定するのではない。たえしのばれ うとのそむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得たつらさと、はたらかされた創意との、程度のちがいもまた するさいの苦労と手数である。あらゆるものが、すでにそれ同様に、計算にいれられなければならない。一時間の困難な
外におくられる剰余についてさえ、その大部分は一般に、他うことは、けっしてありえない。人々が貨幣をほしがるの の外国の財貨の購買にあてられるのである。だから、金銀は、それ自身のためではなくて、かれらがそれによって購買 しうるもののためなのである。 が、それらを購買するのにあてられた諸財貨とひきかえに、 えられないにしても、その国民は破減しないであろう。それ 消費しうる諸商品は、まもなく消失させられるが、これに 反して金銀は、それらより耐久的な性質のものであり、この はたしかに、若干の損失と不便をこうむるかもしれないし、 貨幣にとってかわるのに必要な諸方策のうちのあるものを、 継続的な輸出がなかったならば、諸時代にわたってすっと蓄 とらざるをえなくなるかもしれない。しかし、その土地と労積されて、この国のほんとうの富の信じられない増大をひき 働の年々の生産物は、平常とおなじであるか、おなじにきわおこしたかもしれない、といわれる。だから、どこの国にと めてちかいであろう。なぜなら、おなじか、おなじにきわめ っても、そのような持続的な商品をそのような消減しやすい てちかい、消費しうる資本が、それの維持に使用されるであ商品と交換することを内容とする貿易にもまさって、不利益 ろうからである。そして、財貨は、貨幣が財貨をひきよせる なものはありえない、と主張される。しかしながらわれわれ ように手がるに、貨幣をかならずしもつねにひきよせるとは は、イングランドの金物とフランスのぶどう酒との交換を内 かぎらないが、ながいあいだには、諸財貨は貨幣を、貨幣が容とする貿易を、不利益だとはみなさない。それでも、金物 それらをひきよせるのにくらべてさえも、もっと必然的にひ はひじように耐久的な商品であって、もしこの継続的な輸出 きよせるのである。諸財貨は、貨幣を購買するほかに、おおがなかったならば、数時代にわたってすっと蓄積され、この国 くの目的に役だちうるが、貨幣は財貨を購買するほかには、 のなべ類の信じられない増大をひきおこしたかもしれない。 なんの目的にも役だちえない。したがって、貨幣は必然的に だが、すぐ心にうかぶのは、つぎのことである。すなわち、 財貨のあとをおうが、しかし財貨は、つねにあるいはかなら各国におけるそういう器具の数は、必然的に、そこにそれら ず、貨幣のあとをおうものではない。かう人は、かならすし にたいして存在する、用途によって限定されるということ、 もつねに、ふたたびうることを意図しているのではなく、しそこで通常消費される食物の調理に、必要であるよりもおお ばしば、使用あるいは消費することを意図している。ところくのなべ類をもつのは、ばかげているということ、そしてもし が、うる人はつねに、ふたたびかうことを意図しているので食物の量が増加することになれば、それにつれて容易に、なべ ある。前者はしばしば、かれのしごとの全体をしてしまった類の数は増加するであろうし、そのばあい食物の増加量の一 かもしれないが、他方は、その半分以上をしてしまったとい 部はそれらを購買するためか、それらをつくるのをしごとと
あらゆる種類の財貨が、売買され、相互に交換されるのであわちすべての商品の実質価格は、どこにあるか る。 第二に、この実質価格を構成する、つまりつくりあげる、 人々が財貨を貨幣とあるいは財貨を相互に、交換するにあさまざまな部分はなんであるか。 そして、さいごに、価格のこれらのさまざまな部分の、あ たって、自然にまもる諸規則がなんであるかを、わたくしは るものを、あるいはすべてを、それらの自然率ないし通常率 これからしらべはじめよう。これらの規則は、諸財貨の相対 価値あるいは交換価値とよびうるものを、決定するのであより、ときにはたかく、ときにはひくくする、さまざまな事 る。 情はなんであるか。あるいは、諸商品の市場価格すなわち実 注意しなければならないのは、価値ということばが、ふた際価格が、それらの自然価格とよびうるものと正確に一致す つのちが「た意味をもち、ときには、ある特定の物体の効用るのを、ときどきさまたげる諸原因は、なんであるか。 わたくしは、この三つの主題をつぎの三章で、できるだけ をあらわし、ときにはその物体の所有がもたらすところの、 くわしく明瞭に、説明することにつとめよう。それにたいし 他の財貨を購買する力をあらわす、ということである。一方 て、わたくしは、読者の忍耐と注意力とをともに、非常に真 。最大の は「使用価値」、他方は「交換価値」とよんでいし 剣に懇請せざるをえない。かれの忍耐とは、若干の場所では 使用価値をもつ物も、しばしば、交換価値をほとんどまたは ま 0 たく、もたぬことがある。そして、反対に、最大の交換おそらく不必要に冗長だとおもわれるかもしれぬ、こまかい 良 点をしらべるためのものであり、かれの注意力とは、わたく 改価値をもつ物も、しばしば、使用価値をほとんどまたはまっ しがあたえうるもっともくわしい説明ののちにも、おそらく たく、もたぬことがある。水ほど有用なものはないけれども、 なお、あるていどあいまいにみえるかもしれぬことを、理解 それはほとんどなにも購買しないだろう。どんなものも、そ するためのものである。わたくしはいつでも、明確を期する 産れと交換に手にいれることは、ほとんどできないのである。 ために、い くらか冗長になることをあえてするつもりがある のその反対に、ダイアモンドは、ほとんどなんの使用価値もも 労たないけれども、非常に大量の他の財貨が、しばしば、それし、そして、明確であろうとしてできるだけの苦心をはら「 たのちにも、なおいくらかのあいまいさが、それ自体の本質 篇と交換にえられるであろう。 上極度に抽的になっている主題については、のこっている 第諸商品の交換価値を規制する諸原理を、研究するために、 ようにみえるかもしれない。 わたくしは、つぎの点をしめすことにつとめよう。 第一に、なにがこの交換価値の真実の尺度であるか、すな
れよりすくない精密さしか必要ではないだろう。それでも、 に、金属の量を比例させることができたであろう。 さまざまな金属が、さまざまな国民によって、この目的のもし貧乏人が、一ファージングのねうちの財貨を売買する機 ために使用されてきた。古代ス。 ( ルタ人のあいだでは、鉄が会があるごとに、一ファージングのおもさをはからなければ 商業の共通の用具であったし、古代ローマ人のあいだでは銅ならないとすれば、われわれは、それが途方もなく面倒であ ることに気づくだろう。純度をはかる操作は、もっとむずか が、またすべての富裕で商業的な国民のあいだでは金銀が、 そうであった。 しく、もっとたいくつであって、しかも、その金属の一部分 がるつ、ほのなかで、適当な熔剤とともに、十分にとけないか これらの金属は、もともとは、刻印もなく鋳造もせすに、 組製の棒のかたちで、この目的のために使用されていたらし ぎり、そこからひきだされうるどんな結論も、極度にふたし 、 0 かである。しかしながら、鋳造貨幣がもうけられるまでは、 そこで、プリニウスがレメウスとよばれる古代の一著作 者を典拠として、われわれにつげるところによれば、セルウ人々は、このたいくつでむずかしい作業をやりとげるのでな イウス・テュリウスの時代まで、ローマ人は鋳造貨幣をもたければ、つねにもっともひどい詐欺瞞着にさらされていたに ずに、刻印のない銅棒を、かれらが必要とするすべてのものちがいなく、かれらの財貨と交換に、一ポンドの重量の純銀 を購買するのにつかった。だから、これらの組製の棒は、当または鈍銅ではなくて、もっとも粗野でやすい材料でつくら れながら、しかし、みかけは銀や銅ににせられた、不純な合 時にあっては貨幣の機能をはたしたのである。 こういう弊害をふせぐた この未開状態における金属の使用は、ふたつのたいへんお成物をうけとったかもしれない。 おきな不便をともなった。それは第一に、それらのおもさをめ、交換をよういにするために、それによってさらに、あら ゆる種類の産業や商業を奨励するために、改良にむかってい はかるのに手数がかかること、第二に、これらの純度をはか るのに手数がかかることである。量がすこしちがうと価値のくらかでもとるにたりる前進をとげたあらゆる国では、それ おおきなちがいが生じる貴金属については、適当な正確さをらの国で一般に財貨の購買に使用されていた特定の諸金属 もっておもさをはかるというしごとでさえ、すくなくともきの、一定の量に、公的な刻印をおすことが必要だとわかって わめて精密なおもりとはかりとを必要とする。とくに金のおきた。ここに鋳造貨幣の起源があり、造幣局とよばれる役所 もさをはかるのは、あるするどい識別を必要とする操作であの起源があるのであって、それらは、毛織物や亜麻織物のそ る。もちろん、ちいさなまちがいがたいした結果をひきお一」れぞれの検査官と、まったくおなじ性質の制度である。それ らはすべてひとしく、公的な刻印によって、それらのさまざ さない、もっと粗悪な金属においては、うたがいもなく、こ
364 らの消費財を購買する手段をもっているならば、そこで外戦で維持されるものがすくなくなる。そこで流通させられる財 を維持することができるのである。 貨はすくなくなり、それらを流通させるに必要な貨幣は、す 一国民は、とおい国における軍隊の給与と食料品を、三つ くなくなる。また、イングランドにおける大蔵省証券、海軍 のちがったやりかたで購買することができる。第一に、その手形、銀行手形のような、あれこれの種類の紙幣の、異常な 蓄積された金銀のある部分を、国外におくることによって、 量が、そういうばあいには一般に、発行され、そして、流通 あるいは第二に、その諸製造業の年々の生産物のある部分する金銀にとってかわることにより、それのもっとおおきな を、そうすることによって、あるいはさいごに、その年々の 量を国外におくる機会をあたえる。しかしながら、これらの 組生産物のある部分をそうすることによってである。 すべては、おおきな費用がかかり何年もつづく外戦を、維持 どこの国でも、その国のなかに蓄積されたとかたくわえらするためには、ひとつの貧弱な財源を提供しうるにすぎない。 れたとか、正当にみなされうる金銀は、三つの部分に区別し 個々の家族の金銀食器の熔解は、あらゆるばあいにおい ていいであろう。第一は流通している貨幣、第二は個々の家て、さらにそれよりとるにたりぬ財源であることがわかっ 族の金銀食器、そしてさいごには、多年の節約によってあった。フランス人は、さいきんの戦争のはじめに、この方策か められ、君主の金庫に貯蔵されてきたであろう貨幣である。 ら、流行の損失をつぐなうだけのおおくの利益を、ひきだし よしよかっこ。 その国の流通貨幣のなかからおおくのものをひきだしうる ということは、めったにおこりえないのであって、なぜなら、 君主の蓄積された財宝は、い せんには、もっとおおきくも そういう貨幣のなかには、おおくの余剰はめったにありえな っと持続的な財源を、提供した。現代においては、プロイヤ いからである。どこの国でも、年々売買される財貨の価値は、 ンの王をのそけば、財宝を蓄積することはヨーロッパの君主 それらの財貨のてきとうな消費者たちにそれらを流通させ分たちの政策の、どんな部分でもないようにおもわれる。 配するのに、一定量の貨幣を必要とし、それ以上の貨幣には業 歴史が記録しているなかでおそらくもっとも費用がかかっ 務をあたえることはできない。流通の水路は、それをみたすた、現世紀の諸外戦を維持した基金は、流通貨幣、個々の家 に十分な金額を、必然的にひきよせるのであり、それ以上は族の金銀食器、君主の財宝の、どれの輸出にもほとんど依存 しなかったようにおもわれる。さいきんの対フランス戦争・ いくらかでも、けっしてうけいれない。しかし、一般には、 外戦のばあいにはこの水路から、あるものがひきぬかれる。 は、グレート・ブリテンにとって、九千万以上かかったので 国外で維持される人々のたいへんおおきな数のために、国内あり、それは、契約された新公債七千五百万だけでなく、地