ヨーロッパの他のすべての国にたいする金銀の分配者であ金銀をとどめておくことができないのである。かれらがこの ーニヤおよびポ量をもっとき、ダムはいつばいなのであって、そのあとでな るということは、鉱山所有者としてのエスパ がれこむながれのすべては、あふれでるにちがいない。した ルトガルの、特有の状況である。したがって、それらの金属 ッ ーニヤとポルトガルからの、金銀の年々の輸出 がってエスパ ニヤおよびポルトガルでは、ヨーロ はとうぜん、エスパー ( の他のどの部分においてよりも、いくらかやすいはずであは、どんな計算によっても、これらの抑制にもかかわらず、 る。しかしながら、そのちがいは、運賃と保険の額をこえる年々の全輸入に、ほとんどひとしいのである。しかしなが ら、水がつねに、ダムの背後の方がその手まえよりもふかい はずはなく、そして、それらの金属のおおきな価値とちいさ ニヤと にちがいないのとおなじく、これらの抑制がエスパ な容積とのために、それらの運賃はたいしたものではなく、 ポルトガルにひきとめる金銀の量は、かれらの土地と労働の それらの保険料は、ひとしい価値の他のどんな財貨のそれと ーニヤとポルトガルは、もし年々の生産物にたいする比率において、他の国々にみいださ も、同一である。だからエスパ ダムがたかくつよけれ れる量よりもおおきいにちがいない かれらがその政治制度によって、かれらの特有の状況からく る不利を増大させなかったならば、その状況からきわめてわばそれだけ、その背後と手まえの水深の差はおおきいにちが いない。税がたかければそれだけ、禁止を有効にするための ずかの損害しかうけえなかったであろう。 て 0 、 刑罰がおもければそれだけ、法の実施をみまもる警察が油断 ニヤは、金銀輸出への課税によって、ポルトガル ニヤとポルトガルの にはそれの禁止によ「て、輸出にたいして密輸の費用をせおわがなくきびしければそれだけ、 = ス。 ( ー 体せ、他の諸国におけるそれらの金属の価値を、かれら自身の土地と労働の年々の生産物にたいする金銀の比率と、他の諸 国のそれにたいする金銀の比率との、差はおおきくなるにち が国におけるよりも、この費用の全額だけたかいものとする。 学 がいない。だから、その差はきわめておおきいといわれるし、 済水流をダムでせきとめるばあいに、ダムがいつばいになるや いなや、そこにダムがま「たくなか「たばあいとおなじ量のそして、そこでは、家のなかにおびただしい金銀器がみられ 政 ながら、他の諸国でこの種の豪華にふさわしいとか対応する 水が、ダムをこえてながれるにちがいない。輸出禁止はエス ー = ヤとポルトガルのなかに、かれらが使用する能力のあと考えられるであろうようなものが、ほかになにもないとい るよりもおおくの量の、すなわち、かれらの土地と労働の年うことが、しばしばだといわれる。金銀がやすいこと、ある いは、おなじことだがすべての商品がたかいことは、貴金属 年の生産物がかれらに、鋳貨、食器、鍍金、その他の金銀の のこの過剰の必然的なけつかであって、それは、エスパー 装飾に使用することをゆるすであろうよりもおおくの量の、
5 解説 べての税によって維持できるよりも、はるかにおおきな軍事と、すなわちフランスが一〇州の大部分を征服してしまうま ーニヤのかわら 力を必要とするであろう。その部分の近隣にあるということで、フランスのかわらぬ同盟者とし、エスパ が、他のすべての州のねたみと敵意を活漫にしておくであろぬ敵としたのである。 うし、必然的にかれらを、グレート・ブリテンの敵たちとの 同盟に、おいやるであろう。もし、ネーデルラント一七州の ーニヤの支配から完全に自己を解放したと すべてが、〒スパ すれば、かれらの位置のために、独立が承認されるやいなや かれらは、フランスのうまれながらの敵に、したがってエス ーニヤのうまれながらの味方に、なっていたであろう。工 ーニヤは、反乱のまえの数年にわたってそれ自身の統治 の全費用をけっしてつぐなわなかった、ひとつの大国にたい する、支配をうしなうというくやしさ以上のものを、ほとん どこうむらなかったであろう。このくやしさのつぐないとし ーニヤは、そのすべての敵のなかでもっともおそ て、エスパ るべきものにたいする、強力でおそらく誠実な同盟という堅 ーニヤ王国の転落の諸原 固な利点を、えたであろう。エスパ 因を、注意して考察する人はだれでも、それが七州の喪失よ りも一〇州の回復によるところがおおきかったことが、わか るであろう。これらの一〇州は、アメリカのどの部分より も、はるかに富裕で肥沃な国である。その当時は、連合一三 植民地の全部をあわせたよりも人口がおおかったのだが、エ ーニヤがそこに維持しておかざるをえなかった陸軍の費 用の、十分の一をけっしてつぐなわなかった。それらの軍隊 がちかくにいることが、連合七州を、約百年にわたってすっ
認すべきだと、わたくしはおもうのである。 背おうかれらの唯一の動物だったのであり、そのつよさは、 エスパ ふつうのろばのつよさより、相当おとっていたようにおもわ ニヤ人の定住ののちには、ポルトガル人の・フラ プラウ れる。犁は、かれらのあいだではしられていなかった。かれジルにおけるそれが、どこであれヨーロッパ国民の、アメリ らは、鉄の使用について無知であった。かれらは、鋳造され力における最古のものであった。しかし、さいしょに発見さ た貨幣をもたなかったし、どんな種類にせよ、確立された商れてからながいあいだ、金山も銀山もそこではみつからなか 業用具をなにももたなかった。かれらの商業は、物々交換に ったので、そして、それは、その理由で王権にたいしてほと よっていとなまれた。一種の木製の鋤が、かれらの主要な農んどまたはまったく、収入を提供しなかったので、ながいあ 業用具であった。とがった石が、かれらにとっては、ものを いだおおいにそれは無視された。しかもこの無視状態のあい きるためのナイフや斧として役だった。魚の骨や特定の動物だに、それはおおきな、強力な植民地へと、成長したのであ のかたい腱が、かれらにとっては、ものをぬう針として役だ る。ポルトガルがエスパ ーニヤの支配下にあったあいだに、 った。そして、これらが、かれらの主要な職業用具であったブラジルはオランダ人の攻撃をうけ、かれらはプラジルがわ らしい。ものごとのこの状態においては、それらの帝国のうけられていた十四の州のうちの七つを占領した。かれらはま ちのどちらも、現在のようにおおいに改良されうることも、 もなく、のこりの七つを征服するつもりになったが、そのと て 現在のようによく耕作されうることも、不可能だったように きポルトガルはブラガンサ家の即位によって、独立を回復し におもわれる。現在では、かれらは、あらゆる種類のヨーロッ た。そこでオランダ人は、エス。ハ ニヤ人の敵として、十ル 系 ハの家畜を豊富に供給され、また、鉄、犁、およびヨーロッ トガル人の味方となった。後者も同様にエスパ ーニヤ人の敵 ハの技術のうちのおおくのものの、使用が、かれらのあいだ だったのである。したがってかれらは、、フラジルのうちでか 学 済に導人されたのである。だが、あらゆる国で人口の密度のおれらが征服してしまっていなかった部分を、ポルトガル王の 治おきさは、その改良と耕作の程度に比例するにちがいない。 手にのこすことに同意した。 ,. 後者は、かれらが征服してしま 政 征服につづいて原住民を惨酷に絶減したにもかかわらす、こ った部分を、かれらにゆだねることを、そのようにいい同盟 のふたつの大帝国は、おそらく現在では、いぜんのどんなと者とあらそうにあたいしない問題として、同意した。だがオ きよりも人口がおおいし、人民はたしかに、ひじようにちが ランダ政府は、まもなくボルトガル人の植民者たちを抑圧し クリオリョ っている。すなわち、エスパ ーニヤ人移民が、おおくの点で はじめたのであり、かれらは、不平をいってみすからなぐさ むかしのインディアンにまさっていることを、われわれは承めるかわりに、かれらのあたらしい主人たちにたいして武崙 スペード
ヤとポルトガルの農業と製造業とをともに阻害し、諸外国民表現あるいは代表されるであろう。だが、それらの実質価値 がかれらに、おおくの種類の粗生産物とほとんどすべての種はまえとおなじであろうし、同量の労働を維持し支配し使用 類の製造品とを、かれらが国内でそれらを栽培したりつくっするのに十分であろう。かれらの財貨の名目価値は下落する たりするばあいに交換しうるよりも少量の金銀とひきかえ であろうから、かれらの金銀のうちで残存するものの実質価 に、供給することを可能にする。税と禁止は、ふたつのちが値は上昇するであろう。そしてまえより少量のそれらの金属 ニヤとポルト が、まえにはもっと大量を使用したのと同一の、商業と流通 ったやりかたで作用する。それらは、エスパ ガルにおける貴金属の価値を、きわめておおきくひきさげるのすべての目的に、こたえるであろう。国外にでる金銀は、た だで国外にでるのではなく、なにかの種類の財貨の、ひとし だけでなく、そうでなければ他の諸国に流出するであろうそ い価値をもちかえるであろう。またそれらの財貨は、すべて れらの金属の一定量を、そこにとどめておくことによって、 がただの奢侈と出費の材料であって、それらを消費するかわ それらの他国における金銀の価値を、そうでないばあいにな るであろうよりも、いくらかたかく維持し、そうすることに りになにも生産しない怠惰な人々によって、消費されるため ニヤおよびポルトガルとの商業のものであるということは、ないであろう。怠惰な人々のほ よりそれらの国に、エスパー において二重の有利さをあたえる。水門をひらけば、ただちんとうの富と収入が、金銀のこの異常な輸出によって増加さ にダムの上流の水はヘって下流の水はふえ、それはまもなくせられないであろうから、かれらの消費もそれによって、お 両者同一の水準になるであろう。税と禁止を除去すれば、金おきく増加させられはしないであろう。それらの財貨は、お 銀の量はエスパ ーニヤとポルトガルでかなり減少するであろそらくその大部分が、そしてそのある部分はたしかに、利潤 をともなって自分たちの消費の全価値を再生産する勤勉な人 うから、他の諸国ではいくらか増加するであろうし、そして、 それらの金属の価値、土地と労働の年々の生産物にたいする人の、使用と維持のための原料と道具と食料品であろう。そ それらの比率は、まもなくすべてにおいて同一水準またはその社会の死蔵資財の一部が、こうして活動する資財に転化さ インダストリ ニヤとポルト れるであろうし、まえに使用されていたよりも大量の勤労 れにほとんどひとしくなるであろう。エスパー ガルが、かれらの金銀のこの輸出によって、こうむるかもしを、連動させるであろう。かれらの土地と労働の年々の生産 れない損失は、まったく名目上、想像上のものであろう。か物は、ただちにすこし増加させられるであろうし、数年のう ちにはおそらく、おおいに増加させられるであろう。かれら れらの財貨と、かれらの土地および労働の年々の生産物の、 インダストリ 名目価値は下落するであろうし、まえより少量の銀によって の産業がこうして、それが現在くるしんでいるもっとも抑圧
332 におとろえるであろうし、商業および製造業の破減が、農業 長期公債化の慣行は、それを採用したすべての国を次第に よわめた。イタ . リアの諸共和国が、それをはじめたようにお の衰退につづくであろう。 もわれる。独立の存在を主張することのできる、のこってい 土地および基本資財という、収入のふたつのおおきな源泉 るただふたつの国、ジェノヴァとヴェネッィアとは、ともにそ の所有者から、すなわち土地のすべての特定の部分の良好な ニヤは、イタリア諸共和国か 状態と基本資財のすべての特定の部分の良好な管理とに直接れにより弱体化した。エスパ に利害関心をもつ人々から、他の一組の人々 ( このような特らその慣行をまなんだようにおもわれ、そして ( その租税はお 別の利害関心をもたない公共の債権者 ) へ、いずれかから生そらくそれらの共和国のよりも思慮を欠いているから ) その じる収入の大部分を移転することは、結局において、土地の自然の力との比率では、さらにいっそう弱体化した。エスパ 無視と基本資財の浪費あるいは移動をひきおこさざるをえな ニヤの負債はひじように古くからのものである。それは、 、。公共の債権者は、疑いもなく、その国の農業、製造業おイングランド が一シリングでも借りるよりもおよそ百年まえ よび商業の繁栄に一般的利害関心をもち、またしたがってその、十六世紀のおわりいぜんに、かなり負債をおっていた。 の国の土地の良好な状態とその国の基本資財の良好な管理と フランスは、その自然資源にもかかわらす、おなじ種類のお に利害関心をもっている。これらのものごとのうちのどれか もい負担にあえいでいる。〔ネーデルラント〕連合諸州は、ジ における一般的な失敗あるいは衰退があれば、さまざまな租エノヴァあるいはヴェネッィアとおなじくらいその負債によ 税の徴収額は、もはや、かれに支はらわれるべき年金あるい り弱体化している。グレート・ブリテンにおいてだけ、他の は利子をかれに支はらうにたりなくなるであろう。しかし公すべての国に弱体化あるいは荒廃をもたらした慣行が、まっ たく無害であることが、ありうるであろうか。 共の債権者は、たんにそういうものとして考えられたかぎり では、土地のある特定の部分の良好な状態、あるいは基本資 それらのさまざまな国において樹立された租税制度は、イ 財のある特定の部分の良好な管理になんら利害関心をもたな ングランドのそれにおとると、いわれるかもしれない。わた 。公共の債権者として、かれは、このような特定部分のい くしはそうだと信じている。しかし、もっとも賢明な政府で かなるものの知識をももこよ、。、 ナオしカれはそれを監視しない。 さえ、すべての適正な課税課目をつかいはたしたときには、緊 かれはそれについて配慮することができない。それの破減は、 急の必要事のばあいに、不適当な課目にたよらざるをえない ほとんどすべてのばあいにかれにしられないであろうし、ま ことが、想起されるべきである。賢明なホラント共和国は、 ときとして、エスパ た直接にかれに影響することもできない。 ーニヤのそれの大部分とおなじく不都合
ところが、このあとの国民の海軍力のおとろえが、それ以上、 をとった。そして、母国の黙認はたしかにあったが公然たる 援助はなにもなしに、かれら自身の勇気と決意によって、オ他のヨーロッパ諸国民の定住を阻止することを、かれらのカ のおよばぬものとしたのであって、そのおとろえは、十六世 ランダ人をブラジルからおいだした。それでオランダ人は、 紀のおわりちかくに生じた、かれらのいわゆる無敵艦隊の敗 その国のどんな部分をも自分たちのものとして保持すること 北または失策のけつかであった。したがって十七世紀の進行 が、できないのをしって、その全部がポルトガル王権によっ につれて、イングランド人、フランス人、オランダ人、ダン てとりもどされるのにあまんじた。この植民地には、ポルト クリオウロ マーク人、スヴェーデン人、つまり大洋になにかの港をもっ ガル人かその子孫である移民、初代混血人、およびポルトガ ル人とブラジル人との混血種族が、六十万人以上いるといわていたあらゆる大国民が、新世界にいくつかの定住地をつく れる。アメリカにおけるどの植民地も、ひとつでこれだけおろうとくわだてた。 おきな数のヨーロッパ出身の人々をもっているとは、想定さ スヴェーデン人は、ニュ ・ジャージーに定着した。そし れない。 て、そこにいまなおみられるスヴェーデン人家族の数は、こ の植民地が母国によって保護されていたならば、繁栄する可 十五世紀のおわりにちかく、また十六世紀の大部分にわた って、エスパ ーニヤとポルトガルは、大洋における一一大海軍能性がおおいにあったことを、十分に証明する。しかし、そ 力であった。というのは、ヴェネッィアの商業は、ヨーロッ れはスヴェーデンによって無視されたので、まもなくニュー 。ハのあらゆる部分におよんでいたが、その船隊が地中海をか - 者はさらに、一 ヨークのオランダ人植民地に併合された。後 りにもこえていくことは、まれであったからである。エスパ 六七四〔一六六四〕年に、イングランド人の支配下におちいっ ニヤ人は、さいしょに発見したことを理由に、アメリカ全たのである。 体を、自分たちのものとして主張した。もっとも、かれら 聖トマスおよびサンタ・クルーズというちいさい島だけ が、新世界においてダンマーク人がかって所有したことのあ は、ポルトガルのそれのようにおおきな海軍力がブラジルに 定住地をつくるのを、阻止しえなかったが、当時においてか る国々である。これらの小定住地もまた、ひとつの排他的な れらの名があたえる脅威は、ヨーロ。 ノバの他の諸国民の大部会社の統治のもとにあった。その会社は、植民者たちの剰余 分が、そのおおきな大陸の他のどの部分にも、定着するのを生産物を購買し、かれらが必要とするような他国の諸財貨を おそれたほどのものであった。フロリダに定住しようとくわ供給するという、双方についての単独の権利をもっていたの であり、したがって、その購買と販売の双方においてかれら だてたフランス人は、すべてエスパ ーニヤ人に謀殺された。
の、一定積載量の船をおくることをゆるされた。この年々おくら れる船がゆるされた十回の航海のうち、同社がかなりの利益をあ げたのは、一回、すなわち一七三一年のロイヤル・カロライン号 の航海だけで、そのほかはほとんどすべて、おおかれすくなか れ、損失をこうむったといわれている。同社の代理商や代理人に ーニヤ政府の強奪や圧制のせいだ よれば、その不成功は、エスパ とされた。しかし、これはおそらく、主として、これらの代理商 しもオカれらのなかのあ や代理人自身の浪費や掠奪にもとづ、て、こ。 ) るものは、ただ一年間でさえ巨額の財産をつくったといわれてい る。一七三四年に、この会社は、この貿易ではわずかしか利潤が ニヤ国 あがらないから、年々貿易と配船を手ばなして、エスパ 王から人手できるだけの等価物をうけとることを許可してもらい と国王に請願した。 一七二四年に、この会社は、捕鯨業をくわだてた。もっとも、 これについては、同社はなにも独占権をもっていなかった。しか し、同社がそれをいとなんでいたあいだは、ほかのプリテンの臣 一民はだれもそれに従事していなかったようにおもわれる。同社の 船は、八回グリー ンランドへ航海したが、そのうち、同社が利益 をあげたのは一回だけで、そのほかはすべて損失をこうむった。 その最後の八回目の航海のあとで、同社がその船舶と備品および 什器をうったときに、この事業部門での全損失が、資本および利 子をふくめて、二十三万七千ポンド以上になった、ということが わかった。 一七二二年に、この会社は議会に、その全額が政府に貸出され ていた三千三百八十万ポンド以上の莫大な資本を、二つに等分す ることを許可してもらいたい、と請願した。すなわち、一半、つ まり千六百九十万ポンド以上は、ほかの政府の年金と同等にあっ かって、この会社の理事たちがその商業上の企画の遂行にあたっ て契約した債務なり、こうむった損失なりにたいして責をおわな しようにし、他の一半は、、・ しせんとおなじように、営業資本のま まにしておいて、これらの債務および損失にたいして責をおうよ うにしたい、 というのである。この請願はもっともであったの 一七三三年に、同社はふ で、許可しないわけにはい、よかった。 たたび議会に請願した。同社の営業資財の四分の三を年金資財に 転化し、営業資財のままにしておくもの、つまり同社の理事たちの 経営の失敗から生じる危険にさらされるものを、わずかに四分の というのである。同社の年金資財と営業資財は、と 一にしたい、 もに、このときまでに、数回にわたる政府の支はらいによって、 それぞれ二千万ポンド以上減少していた。したがって、この四分 の一というのは、わずかに三、六六二、七八四ポンド八シリング 一七四八年に、エクス・ラ・シ 六ペンスになるにすぎなかった。 ャベル条約によって、アシェント協約によるこの会社のエス。ハ ニヤ国王にたいする全請求権は、等価とおもわれるものとひきか ーニヤ領西インドとの貿易はおわ えに放棄された。同社のエスパ りをつげ、同社の営業資財ののこりは、年金資財に転化された。 そこで、この会社はあらゆる点からいって、貿易会社であること をやめたのである。 同社がその年々の配船によっていとなんだ貿易は、南海会社か かなりの利潤をあげると期待された唯一の貿易であったが、これ には、国外市場および国内市場のどちらにおいても、競争者がい カルタへナ、ポル たということが指摘されなければならない。 ト・べロおよびラ・べラ・クルスで、同社は、同社の船の往路の 積荷と同種のヨーロッパ産の諸財貨を、カディスからこれらの市 ーニヤの商人たちの競争にあわなければ 場へはこんできたエス。ハ
は、かれらのどれいたちの良好な管理において、どこにおい 樹立した。ポルトガルのユダヤ人は、宗教裁判所によって迫 てよりもはっきりと、あらわれていた。 害され、かれらの財産を剥奪されて、ブラジルへ追放された さまざまなヨーロツ。ハ国民の、かれらの植民地にたいする のであるが、かれらは、その植民地にはじめに居住していた 政策の、一般的な輪郭は、このようなものであった。 流刑の重罪人や売春婦のあいだに、自分たちの実例によって したがって、ヨーロ イ ( の政策は、アメリカの諸植民地ある種の秩序と勤労を導入し、その人々に砂糖きびの栽培を の、最初の設立においても、そのごの繁栄についても、ほとおしえた。これらすべての、さまざまなばあいにおいて、ヨ ロツ。、 んどほこるべきものをもたないのである。 , の諸政府の知恵と政策ではなくて無秩序と不正義 が、アメリカに人々を居住させ、そこを耕作させたのであ 愚行と不正が、それらの植民地を設立する最初の企画を、 支配し指導した原理であったようにおもわれる。金銀鉱山をる。 これらの設立物のなかのもっとも重要なもののうちの、 あさる愚行と、一国を貪欲に所有したがるという不正がそう くつかを実現させるにあたって、ヨーロ ッパの諸政府は、そ であって、その国の無害な住民は、ヨーロ " ノバの人々をかり れらを企画したことについてとおなじく、ほとんど功績をも にもきすつけたことがあるどころか、最初の冒険者たちを、 たなかった。メキシコの征服は、エスパ ーニヤの国務会議の 親切と歓待のあらゆるしるしをもって、むかえたのであっ 企画ではなく、キュー パの一総督の企画であったし、そして のちに設立されたもののうちのいくつかを形成した冒険者それは、そのことをまかせられた大胆な冒険家の精神によっ て、まもなくそういう人物に委任したことを後悔した総督 たちが、金銀鉱山の発見という途方もない企画に、もっと妥 当でもっと称讃すべき別の諸動機を、むすびつけていたこと が、それを妨害するために全力をつくしたにもかかわらず、 はたしかであるが、しかしそれらの動機でさえも、ヨーロッ実現されたのである。チリとベルーおよび他のほとんどすべ ハの政策に、ほとんど名誉をあたえるものではない。 ての、アメリカ大陸におけるエスパ ーニヤの定住地の、征服 イングランドの。ヒュアリタンたちは、本国で迫害され、自者たちは、定住地建設と征服を〒ス。 ( ーニヤ国王の名におい 由をもとめてアメリカにのがれ、そこにおいてニュ ておこなうという、一般的許可のほかには、なにも公共的な グランドの四つの政府を、樹立した。イングランドのカソリ 奨励をたすさえていったのではない。それらの冒険はすべ ックは、ひとしい不正のとりあっかいをうけて、メリラン て、冒険家たちの私的な危険と費用によるものであった。工 トのそれを樹立し、クエイカーはペンシルヴェニアのそれをス。ハ ーニヤの政府は、それらのうちのどれにたいしても、ほ ( 一三 )
で、またかれが訪問したかぎりの新世界の他のすべての部分ったのである。 で、みいだしたものは、まったく森林におおわれ、耕作され コロンブスのこのまちがいのけつかとして、それいらいず ず、はだかでみじめな未開人の若干の種族だけがすんでいる っと、それらの不幸な国々には、インドという名前がくつつ いてはなれなかった。そしてついに、あたらしいインドがふ 国に、ほかならなかった。しかしながらかれは、それらがマ るいインドとまったくちがうものであることが、はっきりと ルコ・ポーロによってのべられた国々のうちのあるものと、 同一でないことをなかなか信じようとしなかったのであっ発見されたとき、前者は、東インドとよばれた後者と反対に、 西インドとよばれた。 て、マルコ・ポーロは、支那あるいは東インドを訪間した、 しかしながら、コロンブスにとって重要だったのは、かれ あるいはすくなくともそれらについてのなにかの叙述をのこ ニヤの宮 が発見した国々が、なんであったにせよ、エスパ した、最初のヨーロッパ人であった。そして、サント・ドミ ンゴの山であるシ。ハオの名称と、マルコ・ポーロがのべたシ廷にたいしては、ひじようにおおきな意味をもつものとして 。 ( ンゴ〔日本〕の名称とのあいだに、かれがみいだした類似説明されることであった。そして、あらゆる国の真の富を構 のような、きわめてわすかな類似がしばしば、かれをこの愛成するものである、土壌の動物的および植物的な生産物に 好する先入見に、もっともあきらかな証拠に反するものであは、それらの国をそのように説明することを十分に正当化し て っても、たちかえらせるに十分であった。フェルナンドとイ うるものが、その当時はなにもなかった。 コリは、ねすみとうさぎの中間のようなもので、ビュフォ にザベリヤへの、かれの手紙のなかで、かれは自分が発見した 既国々をインドとよんだ。かれは、それらが、マルコ・。ホーロ ン氏によってブラジルのアベリアとおなじだと想定されてい の によって叙述された国々のはてであるということ、それらが るが、それがサント・ドミンゴにおける最大の胎生四足獣で 学 ガンジスから、あるいはアレクサンドロスによって征服されあった。この種は、けっしてひじように多数であったことが た国々から、ひじようにとおくはないということについて、 ないらしく、エスパ ーニヤ人の大と猫が、さらにもっとちい すこしもうたがいをもたなかった。それらがちがうものであさい他のいくつかの種族とおなじように、ずっとまえにそれ 四ることを、ついに納得したときでさえ、かれはなお、それらをほとんど完全に絶減してしまったといわれる。しかしなが 第 らこれらは、イヴァナあるいはイグアナとよばれる、かなり の富裕な国がとおくないところにあるのだと、うぬぼれてい おおきなとかげとともに、その土地が提供する動物性食物の、 たのだし、それだから、あとの航海では、それらをもとめて 主要部分をなしていた。 大陸の岸にそって、ダーリエン〔パナマ〕地峡へむかってい
であって、それらのおのおのは、旧世界よりもずっとおおきめに確保しようとっとめる諸規制でさえも、しばしば、それ 、すっとひろい。そして、それらのうちのひとつの、市場らの設置によって利益をうけるはずの国々にとって、それら が対抗しようとする国々にとってよりも、有害なのである。 は、なお日に日におおきくなりつつある。 アメリカの諸植民地を所有し、東インドと直接に貿易をす他の国々の産業にたいする不正な抑圧は、もしそういってよ このおおきな商業のみかけのよさとはければ、抑圧者たちの頭上にはねかえってくるのであり、そ る諸国は、たしかに、 なやかさの全体を享受する。しかし、他の国々は、かれらをれは、それらの他国の産業を破壊する以上に、かれらの国の産 業を破壊する。たとえば、それらの規制によって、ハンプルク 排除する意図をもつ、あらゆる不快な拘東にもかかわらず、 の商人は、アメリカ市場むけの亜麻布をロンドンにおくらな それのじっさいの便益のうちの大半のわけまえを、享受する ニヤとポルトガル ければならず、そこからかれは、ドイツ市場むけのたばこを ことがしばしばある。たとえば、エスパ ニヤと。ホ もちかえらなければならない。なぜなら、かれは前者を直接 の諸植民地があたえるほんとうの奨励は、エス。 ( にアメリカにおくることも、後者を直接にアメリカからもち ルトガルの産業にたいしてよりも、他の国々のそれにたいし かえることも、できないためである。この抑制によって、か ての方が、おおきい。亜麻布というひとつの品目だけにおい ても、それらの植民地の消費は、年にイングランド正貨三百れはおそらく、そうでないばあいにしたであろうよりも、 万以上にたっするといわれる。ただし、わたくしは、この量者をいくらかやすくうらざるをえず、後者をいくらかたかく ところが、このおおきな消かわざるをえない。それによってかれの利潤は、おそらくい にを保証するとはあえていわない。 くらか削減される。しかしながら、 ( ンプルクとロンドンと 体費はほとんどまったく、フランス、フランドル、ホラント、 ニヤとポ のあいだのこの貿易において、かれはまちがいなく、かれの がおよびドイツによって、供給されている。エス。 ( 学 ルトガルは、その一小部分を提供するにすぎない。諸植民地資本の回収を、アメリカとの直接貿易においてかれがたぶん 済 にこの大量の亜麻布を供給する資本は、それらの他国の住民なしえたであろうよりも、すっとはやくうけとる。たとえわ れわれが、アメリカの支はらいがロンドンのそれとおなじく たちのあいだに、年々分配され、かれらに収入を提供する。 ニヤとポルトガルで消費されて、そ規則ただしいという、けっして事実でないことを想定すると 四その利潤だけがエスパ 第 こにおいてカディスとリス、ボアの商人たちのぜいたくな乱費してさえも、そうなのである。したがって、それらの規制に よってハイフルクの商人がとじこめられたこの貿易にお をささえるたすけとなるのである。 て、かれの資本は、かれがしめだされた貿易においてそれが 各国民がそれ自身の諸植民地との排他的貿易を、自分のた