は、あきらかに、査定されるまえにはどれだけ支はらわなけれるほどの量しか、財貨を市場に供給しないようにあらゆる ればならないかをけっして確定することはできなかったので気をくばる。かれらのうちある人々は、その商売からかれら の資財の一部をひきあげ、こうして市場の供給はまえよりと ある。税が査定されたあとでもかれには確定的ではありえな 、。もし税を免除しなければならないような人がだれか課税ぼしくなる。財貨の価格があがり、その税の最終支はらいは されているとすれば、あるいはもしだれかが自分の割当以上消費者に帰着する。けれども、農業で使用される資財の利潤 に課税されたとすれば、両者ともいちおうそのとき支はらわに税が課されるときは、この使用から資財の一部をひきあけ なければならないけれども、もしかれらが不平をいい、苦情るのは、農業者の利益にならない。それぞれの農業者は一定 量の土地を占有し、それにたいして地代を支はらう。この土 を実証するとしたら、それを弁償するために翌年教区全体に それが再賦課される。もし納税者のだれかが破産したり支は地にふさわしい耕作をするためには、一定量の資財が必要で ある。そしてこの必要量のどの部分をひきあげてみても、農 らい不能者になったりしたら、収税吏はかれの税を前ばらい しなければならす、そしてその翌年に教区全体が、収税吏に業者は地代か租税をよりよく支はらえるようになりそうもな いのである。租税を支はらうためには、かれの生産物量をへ 弁償するために再課税されるのである。まんいち収税吏じし んが破産するようなことになれば、その収税吏をえらんだ教らすことも、したがってまえよりすくなく市場に供給するこ 区が、その課税分区の収税長官にたいしてかれの行為の責任とも、どちらもけっしてかれの利益になりえない。だから、 をおわなければならない。だが収税官が教区全体に責任の遂この税は、かれには、かれの生産物の価格をひきあげること て も、その最終支はらいを消費者に転嫁してみすからのつぐな 行を要求することは骨のおれることなので、もっとも富裕な いにすることもけっしてできないであろう。しかしながら、 に納税者のうち五、六人の気にいった人をえらび、収税吏の支 収はらい不能によってうける損失を補償するようかれらに強制農業者も、ほかのすべての商人とおなじように正当な利潤を えなければならず、そうでないと、かれはその営業をやめるほ 家する。のちに教区が、この五、六人の納税者を補償するため この種の税が課されたあと、かれがこの正当な利 に再課税される。そうした再課税はつねに、特定の年にかれかーなし 潤をうけとりうるのは、ただ、地主への地代支はらいをへら 五らが課税される人頭税をこえるものである。 * Mem01res concernant les Droits, c. tome 一一、 p. 17. すことによってだけである。租税としてかれが支はらわねば ならないものがおおいほど、地代としてかれが支はらいうる 商業のある特定部門の資財の利潤に税が課されるときは、 ものはすくない。借地契約の継続期間中に課されたこの種の 商人たちは、税の前ばらいを十分賠償してもらえる価格でう 、 0
五つのポンド税で、各二十シリングの価値にたいして四シリ ランディであり、また砂糖、ラム、たばこ、カカオの実のよ ング九ペンス二十分の九の税がかけられる。税率表はきわめうなアメリカと西インドの若干の物産、さらに茶、コーヒ て広範なものであり、ひじように多様な品目を列挙している 、陶器、各種香料、数種の織物など東インドの若干の物産 が、そのおおくはほとんど使用されず、したがってよくしら であるようにおもわれる。これらのさまざまな品目は、おそ れていないものである。このため、特定の種類の財貨がどの らく現在、関税からえられる収人の大部分を提供している。 ような品目に分類されるべきか、そして結局、その財貨はど右に数えあげたもののうち少数の品目にかけられている税を のような税を支はらうべきかが、 のぞけば、いまだに外国の製造品にかけられている税は、そ はっきりしないことがしば しばおきる。これについてのまちがいから、税関吏が身を破の大部分は収入ではなく独占を目的にして、つまりわが国の 減させることもしばしばであり、輸入業者におおくの迷惑と商人に国内市場で有利な地歩を占めさせるために課されてき 経費と煩雑さとをよくもたらすのである。しこ ナがって、明 たのである。 いっさいの禁止を廃止するとしても、またいっ 快、正確、明りようといった点では、関税は消費税にくらべ さいの外国産製造品に、経験からしられているように、各品 てはるかにおとっている。 目ごとに、公共にとって最大の収入をもたらすような適度な どんな社会であれ、社会の大部分の成員を、各人の支出に税をかけるとしても、それでもなおわが国の職人は国内市場 比例して公共収入に寄与させるためには、その支出の一つ一 で相当の利益をあげうるだろうし、また、おおくの物品につ つの対象物すべてに課税する必要はないようにおもわれる。 いて、そのうちのあるものは現在、政府にまったく収人をも て 消費税によって徴収される収入は、関税によるばあいとおな たらさないし、またべつのものはほとんどとるにたりないほ じくらい平等に、納税者によって負担されているものと考えどの収入しかもたらさないのだが、これらの物品がきわめて 収られるが、それでも消費税は、ごく一般的に使用され消費されおおきな収人をもたらすようになるだろう。 重い租税は、ときには課税された商品の消費を減少させる 家ている少数の物品にかぎって課されているにすぎないのであ 国 ことにより、ときには密輸を奨励することによって、政府に、 る。管理の仕方が適当であれば、公共収入を減少させず、か もっとひかえめな税であればえられたかもしれない収入より 臨えって外国貿易を有利にしながら、関税を同様に少数の品目 第 だけに限定しうるだろう、という意見をもつ人もおおかった。 もすくない収入しか提供しないことが、しばしばである。 グレート・ 収人の減少が消費の減少のけつかによるものであれば、た ブリテンでごく一般的に使用され消費されてい った一つの救済、すなわち税を軽くするということがあるた る外国品は、現存のところ主として、外国産のぶどう酒とプ
ことによって、必要な排水やかこいこみ、およびその他すべ たばあいのもっとも高価な戦争の時期とおなじである。 公債の利子の支はらいについては、左手に支はらうのは右て本来地主がつくり維持すべき高価な諸改良を、つくり維持 手であるということが、いわれてきた。貨幣は、その国からすることによってである。しかし、さまざまな地租により、 でていくわけではない。他人に移転するのは、一組の住民の地主の収人は、きわめて減少させられ、また生活の必需品お よび便宜品にたいするさまざまな租税によりその減少した収 収入の一部分であり、そして国民は、いささかもますしくな るわけではない。 この弁解は、まったく重商的体系の詭弁入は真実価値をきわめてちいさくされるであろうから、かれ にもとづくものであって、わたくしがすでにその体系にくわは、それら高価な諸改良をつくり維持することがまったくで きないことをしるであろう。しかしながら、地主がかれの役 えたながい検のあとでは、おそらくそれについてさらにな 割をおこなうことをやめるときには、小作人が自分の役割を にごとかをかたることは不必要であろう。そのうえそれは、 公債のすべてはその国の住民によると想定しているが、それおこないつづけることは、まったく不可能である。地主の困 はこ、、こしくないことがある。オランダ人は、 いくつかの他の窮が増大するにつれて、その国の農業は必然的に衰退しなけ 諸外国国民同様、われわれの公債をひじように多量にわけもればならない。 っている。しかしたとえ全負債がその国の住民によるとして 基本資財の所有者および使用者が、それからどれだけの収 も、そのためにそれが有害でなくなるわけではないであろう。 入をえようとも、生活の必需品および便宜品にたいするさま キャビタル・ストック 土地と基本資財とは、私的および公共的双方のすべての ざまな租税により、特定の国において、ほとんどすべての他 て 収人のふたつの根源的源泉である。基本資財は、農業、製造 のどんな国においても同額の収入が購買するとおもわれるの に業あるいは商業のいずれに使用されるかをとわす、生産的労と同量のそれらの必需品および便宜品を購入しないことをし るばあいには、かれらは、ある他の国にうつる気になるであ 厭働の賃銀を支はらう。収入のそれらふたつの根源的源泉の管 理は、ことなる一一組の人々、すなわち土地の所有者と基本資ろう。そしてそれらの租税を徴収するために、商人および製 国財の所有者あるいは使用者とにぞくする。 造業者のすべてあるいは大部分、すなわちおおきな資本の使 五土地の所有者は、かれ自身の収人のために、かれの領地を、 用者のすべてあるいは大部分が、租税徴収人のいらだたしい 第 かれにとってできるかぎり良好な状態にしておくことに、利訪間にたえすさらされているようになるばあいには、この移 害関心をもつのであって、かれはそのことをつぎのようにし動したい気持は、すぐに現実の移動にかわるであろう。その ておこなう。すなわち、かれの小作人の家を建築し補修する国の産業店動は、それを支持した資本の移動とともに必然的 マーカンタイル・システム
が、行政権力によってきわめて適切に運営されているという にみえようとも、しかしじっさいには、一大帝国の収人の管 ことは、わたくしの理解するところではすくなからずうたが理と支出においてふつうにおこる諸弊害とくらべれば、ほと んどっねに、きわめてささやかなものでしかない。そのう わしいのだが、たとえほんとうであるにしても、ヨーロッパ のどこかの部分でそれがその権力によって、がまんできる程え、それらは、匡正がずっと容易である。グレート・、、フリテ ンにおいて、治安判事の地方的または州的な管理のもとで、 度に運営される可能性は、ものごとの現在の状態がつづくか ぎり、すこしも存在しないのである。 農村の人々が公道修理のために提供しなければならない六日 間の労働は、おそらく、いつもきわめて賢明に適用されてい その性質上、自己を維持するための収入をなにも提供しえ くらかでも残酷なあるいは抑圧 ないような公共事業であっても、それによる便宜がある特定るわけではないだろうが、い の場所あるいは地方に、ほぼ限定されているものは、地方ま的な状況で強制されることは、とうていめったにないのであ アンタンダン アドミニストレーション たは州の行政機関の連営下において、地方または州の収人る。フランスでは知事の管理下において、その適用は、か ならずしもつねに、もっと賢明ではなく、その強繝はしばし によって維持する方が、行政権力がつねに運営するにちがい コルヴェ ば、もっとも残酷で抑圧的である。いわゆる強労役は、知 ない国家の一般収人によって維持するよりも、つねにまさっ ( 一四 ) コミュノーテ ている。もし、ロンドンの街路が、国庫の費用で照明され舗事が、不幸にもかれの機嫌をそこねた教区または共同体を、 こらしめるための圧制の主要な手段のひとっとなっている。 装されることになったならば、それらが現在のようによく、 しかもあのようにちいさな費用で照明され舗装されたという 可能性が、すこしでもあるだろうか。そのうえ、このばあい 第ニ項青少年の教育のための諸機憫の費用につ ににその費用は、ロンドンのそれそれの個別的な街路、教区、 収あるいは地区の、住民たちへの地方税によって調達されるか 青少年の教育のための諸機関は、おなじようなやりかた 家わりに、国家の一般収入でまかなわれるであろうし、したが 国 って、王国の全住民への税によって調達されるであろう。全で、それら自体の費用をまかなうに十分な収入を、調達する ことがでぎる。学生が教師に支はらう授業料あるいは謝礼 住民の大部分は、ロンドンの街路の照明と舗装から、どんな 種類の便益もひきだしはしないのである。 が、とうぜん、この種の収入をかたちづくる。 地方または州の収入を地方または州の行政機関が管理する 教師の報酬が、この自然的収入だけから生じるのではない さいに、ときどきしのびこむ諸弊害は、どんなに巨大なもの ばあいでも、それはかならずしも、たいていの国で徴収と使 ( 一五 )
担に帰着せざるをえないのである。したが「て、この税の最るために支出する。富裕な人のおもな出費をひきおこしてい 終的支はらいは、一部はその家の居住者に帰着し、かれは、 るのは生活上の奢侈品と虚飾品であって、壮大な邸宅は、か 自分の負担分を支はらうために、自分の便益の一部を放棄されがもっているほかのあらゆる奢侈品と虚飾品を飾りたてひ せられるであろう。また他の一部は、敷地の所有者に帰着し、 きたたせるのにもっとも有利である。だから家賃税は一般に かれは、自分の負担分を支はらうために、自分の収入の一部富裕な人にいちばんおもくかかるだろう。そしてこの種の不 を放棄させられるであろう。この最終的支はらいが、どんな平等には、おそらく、ひじように不合理なものはなにもない 割合で両者のあいだに分割されるかをたしかめるのは、おそだろう。富裕な人が公共の経費にたいして、その収人に比例 らくそう簡単ではないであろう。おそらくこの分割は、さま してだけでなく、 いくらかそれ以上に寄与するというのは、 ざまな事情のもとで、ひじようにちがったものになるであろひじように不合理なことではないのである。 レント レント うし、この種の租税は、こうしたさまざまな事情しだいで、 家の家賃は、、 しくつかの点で土地の地代に似ているが、一 ひじように不平等に、家の居住者と敷地の所有者との双方に、 つの点でそれと本質的にちがっている。土地の地代は生産的 影響するであろう。 物件の利用にたいして支はらわれる。地代を支はらう土地 この種の税がさまざまな敷地地代の取得者の負担となりう が、地代を生産する。家の家賃は不生産的物件の利用にたい るばあいの不平等は、まったく、この分割の偶然的な不平等して支はらわれる。その家もそれがたっている敷地も、なに から生じるであろう。だが、それがさまざまな家の居住者のも生産しない。だから、家賃を支はらう人は、この物件とは て 負担となりうるばあいの不平等は、これからだけでなく、そ別個の、それらから独立した、なにかほかの収人源から、家 にのほかの原因からも生じるであろう。家賃支出の全生活費に賃をひきださねばならない。家賃税のほうも、居住者にかか 取たいする割合は、財産の程度のちがいに応じてことなる。おるかぎり、この家賃そのものとおなじ源泉からひきだされね 家そらく、最高程度の財産のばあいにこの割合も最高である。 ばならないのであって、それは、労働の賃金か資財の利潤か そしてしたいに財産のていどがさがるにおうじてこの割合も土地の地代かのいずれからひきだされるにしても、ともかく 五減少し、こうして、最低ていどの財産においては一般にこの居住者の収人から支はらわれねばならない。家賃税が居住者 割合も最低となる。生活必需品は、貧乏人にとっておおきな にかかるかぎりでは、これは、ただ一つの収人源だけにではな く、三つのことなる収入源のすべてに、無差別にかかる諸税 出費をひきおこす。かれらにとっては食物をえることが困難 なのであって、かれらのちいさな収入の大部分を、それをえ の一つであって、あらゆる点で、その他のすべての種類の消
にか別の商業用具への需要、あるいは、購入のためにかれら 戦争と戦争準備は、近代において、すべての大国の必要経 の金貨や銀貨の大部分を国外へおくらなければ入手できない 費の大部分をひきおこす、二つの事情である。しかし、ギリ ほど多量の消費資財への需要であり、第二は、この方策を利 シャやイタリアの古代共和国では、全市民が兵士であって、 用する政府にたいする信用であり、第三は、それを利用する 自分の費用で兵役をつとめまたその準備をととのえていた。 うえでの節度、すなわち、信用証券の全額が、それが存在し だから、右の二つの事情のどちらも、おおきな国家経費をひ なかったばあいにかれらの流通をいとなむのに必要な、金貨きおこすことはありえなかったのである。きわめて穏当な領 や銀貨の総額をけっしてこえないことである。他のいくつか地の地代で十分に、政府のほかの必要経費のすべてをまかな いえたであろう。 のアメリカの植民地も、さまざまなばあいに、このおなじ方 策を採用した。だがこの節度がかけていたために、そのうち ョロッパのむかしの君主国では、当時の風俗習慣が十分 の大部分が、便利よりもはるかにおおくの混吼をまねいた。 に、人民のおおきな集団を戦争にたいしてそなえさせた。そ しかし、資財や信用の不安定で消減しやすい性質は、それして従軍するときには、かれらは、封建的な土地保有条件に らを、確実で安定的で永続的な収入の、主要な財源として信もとづいて、自己または直属領主の費用で維持されることに 頼するには、不適当なものとするのであって、そういう確実なっていたから、主権者にはなにもあらたな負担がかからな で安定的で永続的な収入だけが政府に安全と威厳を付与する かった。政府のそのほかの費用は、その大部分は、きわめて のである。牧畜国の域をぬけでたどの大国民の政府も、これ穏当なものだった。すでにしめされたように、司法行政は、 て までその公収入の大部分をそうした源泉からひきだしたこと支出の原因ではなくて、収人の源泉だったのである。収穫の にがあったとはおもわれない。 前後それそれ三日間の地方住民の労働は、その地方の商業に 収土地はもっと安定的で永続的な性質の財源である。そこ必要だとおもわれるすべての橋、公道、その他の公共事業を 家で、公有地の地代は、牧畜国の域をはるかにぬけでた多くの建設維持するのに十分な基金であると、考えられていたので 国 キリシャやイタリアのある。当時、主権者の主要経費は、その家族と家計の維持費 大国民の公収入の主要財源であった。。 五古代共和国は、ながいあいだ、国家の必要経費をまかなう収だったようである。だからそのころ、かれの家計の役人はそ 第 入の大部分を、公有地の生産物または地代からえていたので のまま国家の大官であったのである。財務長官がかれの地代 ある。王領地の地代は、ながいあいだ、ヨーロ ッパのむかしをうけとった。執事長や侍従長が、かれの家族の費用の面倒 の主権者たちの収人の大部分を占めていたのである。 をみた。かれの廐舎の世話は馬匹長や儀典長にまかされた。 ファンド ファンド
洋 とも一七一一年以降、この会社は、すべての競争者から解放され て、イングランドの東インド貿易の独占を完全に手にいれたの で、貿易をいとなんで成功をおさめ、その利潤から年々株主に、 穏当な配当をした。一七四一年にはじまったフランスとの戦争の あいだに、ポンディシェリのフランス総督デプレークス氏の野 心は、同社をカーナティック地方の戦いやインドの王侯たちの政 争にまきこんだ。おおくの大成功やおおくの大損失ののちに、同 社はついに、当時インドにおける同社のおもな定住地であったマ ドラスをうしなった。それはエクス・ラ・ンヤベルの条約で同社に 返還されたが、この当時は、戦争と征服の精神がインドの同社の 使用人たちの心をとらえており、以来かれらの念頭からさること がなかったようにおもわれる。一七五五年にはじまったフランス との戦争のあいだに、同社の軍隊は、グレート・ブリテンの陸海軍 全体にわたる武連のわけまえにあずかった。同社の軍隊は、マド ラスを防衛し、ポンディシェリを占領し、カルカッタを奪回して、 当時年額三百万以上になるといわれていた、富裕で広大な領土の 収入を獲得した。同社は何年かにわたって、この収人を無事にも ちつづけてきた。しかし、一七六七年に行政府は、王権にぞくす る権利によるものとして、同社の獲得した領土およびそこからあ がる収人を要求した。そこで同社は、この要求への代償として、 年額四十万ポンドを政府におさめることに同意した。これよりま ーセントから一〇パーセン えに、同社は漸次にその配当を約六。 トに増頡していった。換言すれば、同社は三百二十万ポンドのそ の資本にたいして、配当を十二万八千ポンドだけ増額したのであ って、つまり、配当を年額十九万二千ポンドから三十二万ポンド へひきあげていたのである。このころ、同社はさらにそれをひき あげて、一二・五バーセントにしようとくわだてていたか、もし そうなると、同社がその株主たちに年々支はらう額は、同社が政 府に年々納めることに同意したものと等額、すなわち年額四十万 ポンドになっただろう。しかし、同社と政府との協定が実施され ることになっていた二年間に、あいついで制定された二つの議会 の法律によって、同社は、それ以上の増配をおさえられてい その目的は、同社が、当時イングランド正貨で六百ないし七百万 、いっそうすみやかに返済する 以上と見つもられた同社の負債を 一七六九年に、同社は政府と ことを可能にするためであった。 の協定をさらに五か年間にわたって更新し、その期間の経過中 に、同社はその配当を漸次に一二・五パーセントまでひきあげて 、、、こごし、それを一年に一バ い ~ 、こし」をゆるされるがオ 上は、けっして増加しないという条項をいれた。したがって、こ の増配がその最高限にたっしたときでも、それは同社の株主およ び政府にたいする年々の支はらい額を合わせて、最近における同 社の領土獲得のまえよりも、わすかに六十万八千ポンドしか増加 させなかった。これらの獲得した領土からの総収人がどのくらい になると想定されたかという点は、すでにのべたところである。 一七六八年にクラッテンドウン・イースト・インディアマンがも たらした報告によると、全控除額および軍事費を除けば、その純 収入は二百四万八千七百四十七ポンドである、とのべられてい た。同社は、それと同時に、一部は土地から生じ、主として同社 のさまぎまな定住地に設立された税関から生じる、べつの収人を もっており、これは四十三万九千ポンドになったといわれていた。 同社の貿易の利潤もまた、同社理事長の下院での証言によると、 この当時すくなくとも年額四十万ポンドになったし、同社の会計 係の証言によると、すくなくとも五十万ポンドになったから、こ れは、最低に見つもっても、すくなくとも、同社の株主たちに支
重要なものでなくなる。かれらの行動に影響するのとおなじ院にも、しばしばひろまる。 つまらない情念が、かれの行動にも影響する。かれが、かれ 平時における倹約の不足は、戦時において負債を契約する の領域において、この種の快楽に無感覚な唯一の富者である必要をひきおこす。戦争が到来するとき、平時編成の通常の と、どうして考えられうるであろうか。もしかれが、ひじよ 経費をまかなうのに必要なだけしか、国庫には貨幣はない。 うにしがちなことなのであるが、その国の防衛力をひじよう戦時には、その経費の三倍あるいは四倍の編成が、国防のた によわめるほどかれの収人の大部分をそれらの快楽に費消しめに必要となり、またしたがって、平時の収入の三倍あるい ないとしても、かれが、防衛力を維持するのに必要なだけをは四倍の収入が必要となる。主権者が、もっていることはま こえる収入部分のすべてをそれらの快楽に費消しないとは、 れなのであるが、かれの支出の増大に比例して収入を増大さ あまり期待されえない。かれの通常の支出は、かれの通常の せる即座の手段をもっていると仮定しても、しかもなお、収 収入と等しくなり、しばしばそれをこえることがなければ、 入のこの増加がひきだされてこなければならない租税の徴収 うまくいっているのである。財宝の蓄積は、もはや期待されは、おそらく租税が賦課されたあと十か月あるいは十二か月 のちまで、国庫にはいりはじめないであろう。しかし、戦争 えないし、途方もない緊急必要事が途方もない出費を必要と するばあいには、かれは必然的に、途方もない援助をかれの がはじまるとき、あるいはむしろはじまりそうにおもわれる 臣民に依頼しなければならない。プロイセンの現在および先とき、軍隊は増加されなければならないし、艦隊は艤装され なければならないし、守備隊の駐留する都会は防衛体制には の国王だけは、一六一〇年のフランスのアンリ四世の死以 て いらなければならないし、その軍隊、その艦隊、それらの守 来、かなりの財宝を蓄積したと考えられている偉大な主権者 備隊駐留都会は、武器、弾薬および食糧を供給されなければ にである。蓄積にみちびく倹約は、王制においてとほ、ほ同様、 ならない。危険のさしせまったときには、即座のおおきな出 収共和制においてもまれとなった。イタリアの諸共和国、ネー 費をまねくことにならざるをえないのであるが、さしせまっ 家デルラント連合諸州は、すべて負債をおっている。ベルン月 ま、 かなりの財宝を蓄積したヨーロッパにおける唯一の共和た危険は、あたらしい租税の漸次的な、ゆっくりした徴収を またないであろう。この緊急事態において政府は借りる以外 五国である。その他のスイスの諸共和国は、蓄積していない。 第 ある種の美観、すくなくともすばらしい建物、およびその他に他に財源をもちえないのである。 の公共的装飾にたいする趣味は、もっとも偉大な国王の。せい 道徳的諸原因の作用により、このようにして借りる必要に たくな宮廷と同様、ちいさな共和国の外見的には地味な元老政府をたちいたらせる、社会のそのおなじ商業的状態が、臣
うところをこえて、ほとんどすべての国で非常に注目すべき ば、それらの道路上を往来して輸送することが必要になる財 貨の、量と重さとともにである。橋のつよさは、そのうえを量の収入を、主権者にあたえる。 公道または橋を通過する車両、および可航連河を航行する 通過しそうな車両の数と重さとに、適合させられなければな はしけが、それらの重量あるいはそれらのトン数に比例し らない。可航運河の深さと給水は、そのうえで財貨をはこぶ ことになりそうなはしけの、隻数とトン数とに、比例させらて、通行税を支はらうならば、それらは、そういう公共事業 れなければならない。港のひろさは、そこに碇泊しそうな船の維持のために、それらがひきおこす消耗に正確に比例して 支はらうのである。そのような事業を維持するのに、これよ 舶の数にたいして、そうである。 りも公正な方法を案出することは、めったにできないとおも それらの公共事業の費用が、ふつうによばれているところ にしたがえば公収入なるものによって、まかなわれることわれる。この税すなわち通行税もまた、輸送業者によって前 ばらいされるとはいえ、けつきよくは消費者によって支はら は、必要だとはおもわれない。その公収入というのは、たい われるのであって、それはつねに財貨の価格のなかで、消費 ていの国において、徴収と使用が行政権力の任務とされてい るのである。そういう公共事業の大半は、その社会の一般収者にかけられざるをえない。しかしながら、輸送の費用は、 入になにも負担をかけないで、それら自身の費用をまかなうそのような公共事業によ「て、たいへんおおきくひきさげら にたりる個別収入を提供するように、運営することが容易にれるので、それらの財貨は、通行税にもかかわらす、消費者 のところへは、そうでないばあいになされたよりも、やすく できる。 て たとえば、公道、橋、可航運河は、たいていのばあい、そ到達する。それらの価格は、輸送の低廉によ 0 てひきさげら にれらを利用する輸送にたいして、少額の通行税をかけることれるほどには、通行税によ「てひきあげられはしないからで 収によ「て、つくられも維持されもするであろう。港はそこである。この税を最終的に支はらう人物は、したが「て、それ 家荷をつんだりおろしたりする船舶の、トン数にたいする適度を支はらうことによ「てかれがうしなうよりもおおくを、そ 国 の人港税によって、そうされるであろう。商業に便宜をあたの使用によってもうける。じっさいには、ハれはそのもうけ の一部分を、のこりの部分をえるために、手ばなすことを余 えるもうひとつの施設である、貨幣鋳造は、おおくの国にお 第 いて、それ自身の費用をまかなうだけでなく、主権者に少額儀なくされるだけなのである。これよりも公正な徴税方法 は、想像できぬようにおもわれる。 の収人すなわち鋳貨手数料をあたえる。おなじ目的のための ぜいたくな車両にたいする通行税、すなわち四輪馬車や駅 もうひとつの施設である郵便局は、それ自体の費用をまかな
ひくにちがいないのである。政府は、その直接監督のもとて、情容赦はなく、納税者たちが全部破産しても、もしその に、この請負人が組織しているのと同じような種類の行政機破産がかれらの租税請負が満期になったあとにおこったとす 構を確立することによって、すくなくとも、ほとんどっねにれば、かれらの利益にはたいして影響をあたえないだろう。 法外な額に達しているこの利潤を、節約することができょ国家の最大の危急においては、必然的に主権者の収入が確実 う。公共収人の相当の部門を請負制にするには、おおきな資に納められているかどうかについての主権者の心配が最大に なるのだが、そのばあいには、請負人たちは現実に設けられ 本か、おおきな信用かがいる。そして、この事情は、そうし た仕事にたいする競争をきわめて少数の人々に制限することている法律以上にもっと法律をきびしくしないでは、かれら になるだけだろう。この資本あるいは信用をもっている少数がいつもの請負料を支はらうことさえ不可能になるだろうと いう不平をよくいうのである。こうした困難のばあいには、 の人のうち、もっと少数のものしか、必要な知識あるいは経 験をもっていない。それはまたさらにいっそう競争を制限すかれらの要求は反対されえない。したがって、公収入法はし るもう一つ別の事情となる。竸争者になる条件にあるきわめ だいにますますきびしくなっていく。このもっとも残忍な法 て少数のものは、ともに団結し、競争者となるかわりに協同規はいつも、公共収入の大部分が請負制である国々でみられ 者になり、そして、請負が竸売にかけられるときには、真るのである。それが主権者の直接の監督下で徴収される国々 実の価値よりはるかにひくい賃料でなくては落札しないことでは、もっとも寛大な法規である。たちの悪い主権者でさえ がはるかに自分たちの利益になると考える。公共収入が請負も、かれの収入の請負人から期待できるよりもはるかに国民 て 制である国々では、徴税請負人は一般に、もっとも裕福な人にたいして憐れみを感じるものである。主権者は、自分の家 に人である。かれらの富のみでも、一般の憤激をひきおこすだ族の永遠の栄光がかれの国民の繁栄に依存していることをし っており、またかれは、かれ自身の何であれ一時的な利益の 収ろう。またそうした成りあがりものにほとんどいつもっきま の とっている虚栄心、すなわち一般にかれらがその富をみせび ためにも、その繁栄を、けっして意識的には破壊しないだろ 家 国 らかすばかげた見栄つばりは、その憤激をさらにいっそうか う。主権者の収入をとりたてる請負人はそうではない。かれ 篇 きたてるのである。 の栄光はその破壊の成果であって、国民の繁栄の成果ではな 五 第 いことがしばしばありうるのである。 公共収人の請負人たちは、租税の支はらいを回避しようと する試みは何であれ処罰する法律を、苛酷すぎるとはけっし 租税は一定の賃料を払って請負わされることもあるが、さ ておもわない。かれらは自分の臣民ではない納税者にたいし らにそのうえ、その請負人が被課税商品の専売権をもっこと