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検索対象: 世界の大思想15 スミス 国富論<下>
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1. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

8 いなもののようにおもわれ、費用のかかる奢侈の方が、かれ 増大させるよりもむしろ減少させることになる。おおきな資 の境遇のゆたかさにふさわしいようにおもわれる。だが、お 本にたいするちいさな利潤の方が、一般に、ちいさな資本に たいするおおきな利潤よりも、おおきな収入を提供する。独おきな商業資本の所有者たちは、必然的に、あらゆる国民の 産業全体の、指導者であり指揮者である。そして、かれらの 占は、利潤の率をひきあげるが、しかしそれは利潤の額が、 それがないばあいにたかまったであろうところまで、たかま実例は、他のどんな人々の階層のそれよりもはるかにおおき な影響を、あらゆる国民のうちの勤労的な部分の全体の、生活 るのをさまたげる。 態度にたいしてもっている。職人は、もしかれを使用するも 収人のすべての根源的なみなもと、すなわち、労働の利 のが細心で倹約であるならば、やはりそうなることが、きわ 潤、土地の地代、および資財の利潤を、独占は、それがない ばあいになったであろうよりも、豊富さのすくないものとすめてありがちである。しかし、もし主人がしまりがなく無秩 る。一国における一小階層の人々の、ちいさな利益を促進す序であれば、自分の製品を主人が指示する模範にしたがって かたちづくる、召使〔使用人〕は、かれの生活をもまた、主 るために、それは、その国の他のすべての階層の人々の利益、 および他のすべての国のすべての人々の利益を、きすつける人がかれにしめす実例におうじてかたちづくるであろう。こ のである。 うして、蓄積は、蓄積をする性向がほんらいはもっともおお い人々の手で、阻止され、そして、生産的労働の維持にあて 通常の利潤率をひきあげることによってのみ、独占は、あ られた基金は、ほんらいはそれをもっともよく増加させるべ るひとつの特定階層の人々にとって有利であることを、じっ さいに明したのだし、あるいは証明することができたはずき人々の収入から、なんの増加をもうけないのである。その なのである。だが、高利潤率の必然的けつかとしてすでにの国の資本は、増大するどころか、徐々に縮小していく。そし べておいたような、その国一般にたいするあらゆるわるい効て、そこで維持される生産的労働の量は、日に日にすくなく なっていく。カディスとリスボアの商人たちの、途方もない 果にくわえて、ひとつの、おそらくこれらすべてをいっしょ ーニヤとポルトガルの資本を、増加させてきた にしたよりも致命的な、しかもわれわれがもし経験から判断利潤が、エスパ していいならば、それと不可分にむすびついている、わるい だろうか。それらの利潤が、そのふたつの乞食のような国の、 効果がある。高利潤率は、どこにおいても、べつの状況では貧困を軽減してきたであろうか。産業を促進してきたであろ 商人にとって自然な性格である、倹約を、破壊させるように うか。そのふたつの貿易都市の商人の支出の調子は、それら おもわれる。利潤がたかいばあいには、あの謹厳な徳はよけの途方もない利潤が、その国の資本一般を増加させるどころ サーヴァント

2. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

民のうちに、貸す能力と性向とをうみだす。もしそれが、通るすべての人々に強制することに、規則的に使用されるとは 常それとともに借りる必要をもたらすとすれば、同様にそれ考えられない、国家である。商業と製造業とは、ようする は、それとともにそうすることの容易さをもたらす。 に、政府の司法行政に一定の信頼がないいかなる状態におい ても、繁栄することはほとんどできない。通常のばあいに、 商人および製造業者がおおくいる国には、必然的につぎの ような種類の人々がおおくいる。すなわち、かれら自身の資おおきな商業および製造業者をして、かれらの財産を特定の 本だけでなく、かれらに貨幣を貸すか、あるいはかれらに財政府の保護にゆだねる気をおこさせる、そのおなじ信頼が、 貨を預託するすべての人々の資本も、かれらの手中を営業も異常なばあいに、かれらをして、その政府にかれらの財産の しくは事業でなく所得で生活している個人の収入がかれの手使用をゆだねる気をおこさせる。政府に貨幣を貸すことによ り、かれらは、一瞬といえども、かれらの商業および製造業 中をとおりすぎるのとおなじくしばしば、あるいは、もっと しばしば、かれらの手中をとおりすぎる、そういう人たちでをいとなむ能力を減退させはしない。逆に、かれらはふつ う、それを増大させる。その国の必要が、ほとんどすべての ある。このような人の収入は、規則的に年にただ一度だけ、 ばあいに、政府を、きわめて貸手に有利な条件で借りる気に かれの手中をとおりすぎることができる。しかし、収益がひ させる。それがはじめの債権者にあたえる保障は、他のいか じようにはやくあがる営業に従事する商人の、資本と信用と なる債権者にも移転可能とされ、そしてその国の司法行政に の全量は、ときとして、一年に一一度、三度あるいは四度、か れの手中をとおりすぎる。商人と製造業者とがおおくいる国たいする普遍的信頼から、一般に、はじめに支はらわれたよ は、それゆえ、必然的に、もしそうしたければひじように多りもたかく市場でうれる。商人あるいは貨幣所有者は、政府 に貨幣を貸すことによって金をもうけ、そしてかれの取引資 額の貨幣を政府に貸しつける力を、いつでももっているとい う種類の人々がおおくいる。ここから、商業国家の臣民にお本を減少させるのではなく、増大させる。それゆえ、行政府 がかれに、あたらしい起債にたいする最初の応募への参加を ける貸しつけ能力が生じる。 商業と製造業とは、つぎのようないかなる国家においてもゆるすときには、かれは一般にそれを、恩恵だとかんがえ ながく繁栄することはできない。その国家とは、正常な司法る。ここから、商業的国家の臣民における、よろこんで貸す 行政を享受せず、そこにおいて人々がかれらの財産の所有の気質あるいは意欲が生じる。 このような国家の政府は、異常なばあいにかれらの貨幣を 安全をかんぜす、契約のちかいが法により支持されず、また その国家の権威が、負債の支はらいを、支はらうことのでき貸す臣民のこの能力および意欲を、ひじようにあてにしがち トレイド

3. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

にかんする精神は、なおさらそうである。その行政は必然的て完全におろかなことは、ありえない。すなわち、一万マイ ルはなれたところにあり、したがってほとんどまったく目の 肥に、商人たちの会議によって構成されるのであって、その職 業は、うたがいもなくきわめて尊敬されはするが、しかし、 とどかない、一大営業所の事務員たちが、かれらの主人たち からの一片の命令で、かれら自身の計算でどんな事業をする 世界のどこの国においても、自然に国民を畏怖させる種類の 権威をともなうものではなく、かれらの自発的な従順を獲得ことも、ただちにやめ、ひと財産つくろうというあらゆる希 する力をもつものではない。そういう会議は、かれらがとも望を、そのための手段を自己の手中にもちながら永久に放棄 なっていく軍事力によってのみ、従順さを獲得できるのであし、その主人たちがかれらにあたえる穏当な俸給で、満足す り、したがってかれらの統治は、必然的に軍事的かっ専制的るだろうと、期待することである。しかもその俸給は、穏当 である。しかしながら、かれらのほんらいの事業は、商人の であることはそのとおりだが、その会社の営業のほんとうの それである。それは、かれらの主人たちの計算において、か 利潤が提供しうるかぎりのおおきなものであるのがふつうだ れらにゆだねられたヨーロッパの財貨をうり、ひきかえにヨ から、増加することはめったにありえないのだ。そのような ーロッパ市場むけのインドの財貨を、かうことである。それ状況において、会社の使用人たちがかれら自身の計算で営業 は、一方をできるだけたかくうり、 他方をできるだけやすくするのを禁止することは、高級使用人たちが、かれらの主人 かうことであって、したがって、かれらが店をだしているそ たちの命令を実施するというロ実で、下級使用人たちのうち の特定の市場から、あらゆる競争相手をできるだけ排除するで不幸にもかれらの機嫌をそこねてしまった人々を、抑圧す ことである。だから、この行政の精神は、会社の営業にかんることを可能にする以外には、ほとんど効果をもちえない。 するかぎり、指揮の精神とおなじである。それは、統治を独使用人たちは、とうぜんに、かれら自身の私的な営業のため 占の利害関心に奉仕させることになりやすく、したがって、 にも、会社の公的な営業のためのものとおなじ独占を、樹立 その国の剰余生産物のうちの、すくなくともいくつかの部分しようとっとめる。もしかれらが、したいとおもうであろう の、自然的増加を、その会社の需要におうじるのにようやく とおりに行動することをゆるされるならば、かれらは自分た たりるところで阻止することに、なりやすい ちがとりあっかうものとしてえらんだ諸品目についての営業 そのうえ、行政府の全成員は、かれら自身の計算でおおかを、他のすべての人々にたいしてまったく禁止することによ って、この独占を公然かっ直接に樹立するであろう。そして れすくなかれ営業をするのであり、かれらがそうするのを禁 止しても効果がない。つぎのような期待をもつのにもまさっ これがおそらく、それを樹立する最善の、もっとも抑圧的で

4. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

よって、とくにきわだっていたといわれる。だが、精励で事定の調子と性格をあたえるかれらの能力において、かれらは 情につうじた法廷でだけ宣誓することにならされている人々近代のどんな教師たちよりも、ずっとまさっていたようであ は、暴徒のような無秩序な集会でおなじことをするのになら る。近代にあっては、公共的な教師たちの精励は、かれらをそ されている人々よりも、自分たちがちかうものごとにつ の特定の専門的職業における自分の成功と名声にたいして、 て、はるかに注意ぶかいのがとうぜんであろう。 おおかれすくなかれ無関係なものとする事情によって、おお ギリシャ人とローマ人の、市民的および軍事的などちらの かれすくなかれ腐敗させられるのである。かれらの俸給もま 能力も、どの近代国民のそれらの能力にも、すくなくともひた、かれらと競争しようと熱望するであろう私的な教師を、 としいものであったことは、容易にみとめられるであろう。 すくなからぬ奨励金をえて営業する商人たちと竸争して、奨 われわれの先人見は、おそらく、むしろそれらを過大評価す励金なしで営業しようとくわだてる商人と、同一の状態にお る。けれども、軍事訓練に関連することがらにおいてのほか くのである。もしかれが自分の財貨を竸争者たちのそれとほ は、国家はそれらの偉大な能力を形成しようとして骨をおっ とんどおなじ価格でうるならば、かれはおなじ利潤をえるこ たとはおもわれない。わたくしは、ギリシャ人の音楽教育とはできないで、破産や破減とまでいかなくても、すくなくと が、それらを形成するのにおおきな役割をはたしえたと、信も貧困や乞食の状態がかれの運命であることは、まちがいが じる気にはなれない。しかしながら、それらの国民のうちの ないであろう。もしかれが商品をもっとたかくうるならば、 上流の人々が指導をうけておくことが、かれらの社会の事情かれはひじようにわすかな顧客しかえられそうもなく、それ て によって必要となり好都合となった、あらゆる人文学および で、かれの状態はかなりよくなるというほどではない。その っ 科学について、かれらを指導するための教師たちは、みつか うえ、卒業の諸特権は、おおくの国において、学問的職業を 収 ったようである。こういう指導にたいする需要は、それがつもったいていの人々にとって、すなわち、学問的な教育を必 ねにうみだすもの、すなわち指導をあたえる才能を、うみだ要とする人々のうちの圧倒的大部分にと「て、必要であるか、 国 したのである。そして、無制限な競争がけっしてかきたてすすくなくとも極度に好都合である。ところが、それらの特権 にはおかない対抗意識が、その才能をきわめて高度の完全に は、公共的な教師たちの講義に出席することによってのみ、 五 第 到達させたらしい。古代の哲学者たちがたかめた注目におい 獲得しうる。どんな私的な教師のもっとも有能な指導に、も っとも注意ぶかく服しても、かならすしもつねに、それらの て、かれらがその聴講者たちの意見と原理にたいして獲得し これらのさまざまな理山 た絶対支配において、それらの聴講者たちの行動と会話に一特権を要求する資格はえられない。

5. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

われる。しかしおおくの国では、すぐにあるいはぎわめてす大貴族たちは、国王がかれらの小作人がえた利潤に貢納税を かけることに同意していたぐらいだから、いわんや貴族の利 みやかに消費される商品が、この方法で課税されている。ホ ラントでは人々は、茶をのむ許可証にたいして一人あたりい 益を保護しない階層の人々の利益にも同様に、国王が貢納税 くらかの税を支はらっている。すでにわたくしがのべたよう をかけることにちゅうちよしなかったのである。こうした無 こ、パンにたいする税も、それが農家や農村で消費されるか知の時代には、商人の利潤が直接に課税しえない対象である ぎり、そこでは同一の方法で課税されるのである。 とは理解されなかった。すなわち、そうした租税すべての最 消費税というのは、おもに、国内消費むけの国産品に課さ終的な支はらいが、相当の追加的負担をくわえて、消費者に れるものである。これは、ごく一般的に使用されている少数帰着することになるとは理解されなかったのである。 の種類の財貨にだけ課されている。これらの税がかけられる 外国人商人の利得はイギリス人商人のそれよりもはるかに 財貨にかんしても、各種の財貨がうける特定の税にかんして不利にとりあっかわれた。したがって、外国人商人の利得の も疑問なところはまったくありえない これはほとんど全方が、イギリス人商人の利得よりもすっと重い税がかけられ 部、わたくしが奢侈品とよぶものにかけられているのであっ たのは当然であった。外国人にたいする税とイギリス人商人 て、すでにのべた塩、石けん、皮革、ろうそくにたいする四にたいする税とのあいだのこの差別は、無知からはじまった つの税は、つねにその例外であり、また青色ガラスもおそら ものであるけれども、独占の精神によって、すなわち、わが くその例外であろう。 国の商人に国内市場と外国市場の双方での利益をあたえるた デューティズ・オヴ・カスタムズ て 関 税というのは、消費税よりも、はるかに沿革めに、その差別がずっと継続されてきたのである。 カスタムフ 昔の関税は、このように差別してでほあるが、あらゆる種 にの古いものである。これが習慣とよばれるようになったの は、これによって、いつごろかわからないほどの昔からおこ類の財貨に、必需品にも奢侈品にも、輸出品にも輸入品に カスタマリー も、ひとしく課されたのである。ある種の財貨を販売する者 家なわれてきた習慣的支はらいを、表示するためであったよう 国 である。それははじめは商人の利潤にたいする税たと考えら が、他の種類の財貨を販売する者よりもどうして恩恵をうけ 五れていたようである。封建的な無政府状態の野蛮な時代のあるべきなのか、すなわち、輸出商人の方が輸入商人よりもど いだ、商人は、ほかの自治都市の住民たちすべてとおなじよ うしてすっと恩恵をうけるべきなのか、と考えられてたよ うに、解放された農奴とあまりかわらないものと考えられ、 うにみえる。 その人格は軽べっされ、かれの利益金はうらやましがられた。 昔の関税は三つの部門にわけられた。第一の、そしておそ ェクサイズ

6. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

被害をうけ、そのため臨時支出をまねいた。そうしたばあい の信用の破減と事業の失敗とがあまりにもたびたびおこると いうことをかれらはしっているからである。そうした事業に に人々は集会をひらき、各人が所有している財産をひじよう まったく関係のないまじめで倹約な人々は、そうした隠匿が に正直にのべ、それによって課税されたという。チューリヒ の法律は、必要なばあいに、すべての人はその収入に比例し必要であるとはおもわないものである。 て課税され、かれはその額を神に誓って宣言すべきことを、 ホラントでは、故オラニエ公が都市総統職についた直後、 ーセントの税つまりいわゆる五 命じている。かれらは自分たち市民どうしのうちだれかが裏すべての市民の総資産に一一バ 切るだろうとはおもわないという。・ハ ーゼルでは国家の主要十分の一ペ = イ税が課された。すべての市民は自己査定し な収入は輸出品にかかる少額の関税からあがったものであて、ハンブルクとおなじ仕方で、この税を支はらった。しか る。市民全体が、法律にしたがって賦課されるすべての税をもその税はひじように信頼をもって支はらわれたと一般にみ 三か月ごとに支はらうと神に宣誓する。すべての商人はもちなされていた。当時人々は、この新しい政府を大暴動によっ ろんすべての宿屋の主人さえもが、領土の内外で販売した商て自分たちでうちたてたばかりであったので、その政府にた 品の勘定を自分たちでするのをまかされている。かれらは、 いしておおきな愛着をもっていたのである。この税は、非常 三か月の終わりごとにこの計算書を、その下のところに税額時に国家を救うために、ただ一度支はらわれることにな 0 て の計算をつけて、会計官吏のところにおくるのである。右に 、こ。じっさいこれはあまりに重くて、ながくつづけること のべた信頼から、収入が損失をうけるなどとはうたがわれな ーセント以上に ・はできなかった。市場利子率がめったに三。ハ て ーセントの税は、ふつう資財からひき ならない国では、二パ っ * 前掲書 tome 一 . p. 163. 18 , 171. だされる最大純収人一ポンドにつき十三シリング四ペンスの ーセントの税を、多少とも資本にくいこ 収こうしたスイスの諸州においては、すべての市民に自分の額になる。この二パ 家財産額を神に誓って公に宣言する義務をおわせることがむずむことなしに、支はらいうる人は、ほとんどいないであろう。 かしいとはおもわれないにちがいないとおもわれる。ハン・フ 非常時においては、人々は、ひじような愛国的情熱からおお 五ルクではそれはひしように困難だとおもわれるだろう。商人きな努力をし、国家救済のために自分の資本の一部さえ手放 第 たちは危険な取り引き事業に従事するのに、自分たちの財産すだろう。だがかれらが相当ながい時期にわたってそうしつ づけることは不可能である。そしてたとえそういうことがで 事情のほんとうの状態をさらけださねばならないことに、 きたとしても、そうした税はすぐに、国家を維持することが つもふるえるおもいをしているのである。そのけつかかれら 、 0

7. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

いする税がそうである。 う。これらの商品が国内消費むけに搬出されるばあいは、そ 国内消費むけの国産の、もっとやすい奢侈品にたいする税 の輸入業者はかれの財貨をある商人かある消費者にうりわた は、すべての階層の人々に、各人の支出に比例してかなり す機会をもつまでは税を前ばらいしなくてもいいのだから、 かれはその財貨をつねに、輸入時にただちに税を前ばらいさ平等に負担されている。貧乏な人々は、麦芽、ホップ、ビー ル、エールにたいする税を、かれら自身の消費におうじて支 せられるばあいにくらべると、安く販売しうるであろう。こ はらっており、富裕な人々はそれらを、かれら自身の消費と うして、おなじ税がかけられても、被課税商品にかんしてさ かれらの使用人たちの消費におうじて支はらっている。 え、消費むけの外国貿易は、いまよりはるかに有利にいとな 下層の人々あるいは中間階層以下の人々の消費の全体は、 まれうるであろう。 ( ート・ウォルポール卿のあの有名な消費税案の目的どこの国でも量においてだけでなく価値においても、中間階 は、ぶどう酒とたばこにかんして、以上に提案されたものと層および中間階層以上の人々の消費の全体よりもはるかにお おきい、ということに注意しておかねばならない。下層の人 あまりちがわない制度をうちたてることであった。しかし、 人の支出の総計が上層の人々のそれよりはるかにおおきいの そのとき議会にだされた法案には、右の二つの商品だけしか 含まれていなかったけれども、それは一般に、同種のもっとである。第一に、すべての国のほとんどすべての資本が、年々 広範囲な計画案の前ぶれを意味するとおもわれていた。密輸下層の人々のあいだに、生産的労働の賃金として配分される。 第二に、土地の地代と資財の利潤の双方からえられる収入の 商人の利害と結びついた徒党がその法案に反対するひじよう にはげしいがひじように不法な騒ぎをひきおこしたので、大うちのおおきな部分が、年々おなじ階層の人々のあいだに、 召使その他の不生産的労働者の賃金や生活維持費として配分 臣がその法案をひきさげるのが適当だと考えたほどである。 そしておなじような騒ぎをよびおこすのをおそれて、かれのされる。第三に、資財の利潤のうちのある部分は、下層の人々 の小資本の使用からえられる収入として、この階層の人々に 後継者たちはだれもその計画をあえてふたたびとりあげよう 属する。すべての種類の小商店業者、小商人、および小売商 としなかった。 国内消費のために輸入される外国産奢侈品にたいする税人が年々つくりだす利潤の総計は、どこにおいても相当の額 は、ときには貧乏人の負担になることもあるが、主として中に達し、また年々の生産物の相当おおきな部分を占めている 流あるいは中流以上の財産家たちの負担になる。たとえば外のである。第四にそして最後に、土地の地代でさえも、そのあ る部分はこの階層の人々に属するのであって、そのうちかな 国産ぶどう酒、コーヒー、チョコレート、茶、砂糖などにた

8. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

この国の商業を保護するために戦争がくわだてられたのだか まったく不可能になるほど完全に、かれらを破減させてしま ら、商人たちは、これによって利益をおさめているはすであ 2 うであろう。 るし、これを支持するために納税すべきであると、主張され イングランドの地租法で資財に課される税は、資本に比例 たのである。 するものではあるが、資本をすこしでも減少させたりとりさ しかし、ある特定の商業部門で使用されている資財の利潤 ったりする意図をもつものではない。その意図するところ は、この税を、地代税と同率の貨幣利子税にする、という点にたいする税が、終局的にその商人たちの負担に帰着するこ とはけっしてありえない。 ( かれらは通常のばあいつねに、 にあるにすぎないのであって、そのゆえに、前者が一ポンド 冫ーしかないのであって、しか あたり四シリングのときには、後者もまた一ポンドあたり四適当な利潤をおさめないわけこよ、 も、竸争が自由であれば、それ以上の利潤を手にいれること シリングであろう。ハン。フルクの税や、これよりもっとかる はめったにできないのである。 ) そうではなくて、その税は いウンターワルデンやチ = ーリヒの税なども、おなじように、 つねに消費者に帰着するのであって、消費者は財貨の価格を 資本にではなくして、資財の利子あるいは純収入にかけるこ とおして、商人が前ばらいする税を、しかもたいていいくら とを、意図した税である。ホラントの税は資本にかかること か余計に、支はらわされる。 を意図した税であったのである。 この種の税は、これが商人の商売のおおきさに比例すると 特定の業務の利潤にたいする税 きは、終局的には消費者によって支はらわれ、すこしも商人 ある国々では、資財の利潤に特別税が課されている。すなを圧迫しない。しかし、それが商売のおおきさに比例しない で、すべての商人に一律に同額の税が課されるときには、や わちときには資財が商業の特定部門で使用されているばあい に、ときにはそれが農業で使用されているばあいに、右の特はりこのばあいも最終的には消費者によって支はらわれはす 別税が課されている。 るが、それでもこの税は大商人を有利にし、小商人をいくらか 第一の種類のものとしては、イングランドでは、呼売商人圧迫する。すべての貸馬車一台に週五シリングの税、あるい はすべての貸いすかご一基に年十シリングの税を課すれば、 や行商人にたいする税、貸馬車や貸いすかごにたいする税、 この税が貸馬車と貸いすかごのそれぞれの所有者によって前 あるいはエールや蒸溜酒を小売りするための免許状にたいし て居酒屋の主人たちが支はらう税などがある。最近の戦争中ばらいされるかぎり、それはそれら所有者のそれぞれの取引 のおおきさに十分正確に比例する。それは大商人を有利にす には、同種類の税がもう一つ、店舗にたいして提案された。

9. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

饉をもたらしうるし、あるいは、もしかれらが穀物を市場に ーターにつき約一一十八シリングであるのがふつうであり、他 もってくるならばそのことは、人々がそれを、季節のおわるの穀類については、これに準じていた。したがって、欠乏の まえに必然的に飢饉をひきおこすにちがいないほどに急速に年には、穀物商人はかれの穀物のうちのおおきな部分を通常 消費することを可能にし、可能にすることによって奨励する。価格でかい、それをずっとたかい価格でうる。だが、この異 穀物商業の無制限無拘東の自由は、飢饉の悲惨を有効に予防常な利潤が、かれの営業を他の営業にたいして公正な水準に する唯一のものであるように、払底の諸不便についての最善おき、かれが他の機会に、その商品自体の腐敗しやすい性質 の緩和剤なのである。というのは、ほんとうの欠如の諸不便とその価格のひんばんで予見されぬ変動との双方からこうむ は、すくいえないのであって、それらは緩和されうるにすぎ る、おおくの損失をつぐなうのに、十分なところをこえてい ないからである。どんな商業も、これ以上に、十分な法律の ないということは、つぎの事情だけによって、すなわちこの ( 言にあたいするものではなく、どんな商業も、これだけお営業で大財産がつくられるのは他のどんな営業においてとも おくそれを必要とするものではない。なぜなら、どんな商業おなじくまれである、ということによって十分にあきらかだ も、民衆の反感にこれほどさらされてはいないからである。 とおもわれる。しかしながら、それが非常に利潤をうむもの 欠乏の年には、下層階級の人々は、かれらの困窮を、かれでありうる唯一の年である、欠乏の年に、それに民衆の反感 て らの憎悪と憤慨の的となる穀物商人の、貪欲のせいにする。 がっきまとうということは、名声と財産のある人々に、それ にはいるのをきらわせる。それは、ある種の下層商人にまか にしたがって、そういうばあいには、かれは利潤をえるかわり 系 に、しばしば、まったく破減させられ、自分の倉庫がかれらせられるのであって、製粉業者、製パン業者、ひきわり業 体 の暴力で掠奪され破壊されるという、危険にさらされる。し者、穀物問屋、それにくわえて多数のみじめな行商人が、国 学 済かしながら、価格がたかい欠乏の年において、穀物商人はか内市場において栽培者と消費者とのあいだにはいる、ほとん れの主要な利潤をえることを期待する。かれは一般に、若干ど唯一の仲介者なのである。 ロッパのむかしの政策は、公共にとってこれほど有益 の農業者と契約をむすんで、かれらがかれに、一定の年数に 凡わたって一定量の穀物を一定の価格で供給するようにきめてな営業にたいする、この民衆の反感に、反対するのでなく、 第 いる。この契約価格は、穏当で妥当な、すなわち通常のある かえってそれを承認し奨励していたようにおもわれる。 エドワー、ド 六世第五、第六年の法律第一四号によって、つ いは平均の価格と想定されるところにおうじて、さだめられ ていて、それはちかごろの欠乏の年のまえには、、 乙麦一クオ ぎのことがさだめられた。すなわち、なにかの穀物あるいは

10. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

かったであろう。この理由によって、店舗にたいする税の ることも、小商人を圧迫することもない。エール販売免許状に 年一一十シリングの税を課し、蒸溜酒販売免許状に四十シリン案はしりぞけられたのであり、そのかわり一七五九年の上 グの税を課し、ぶどう酒販売免許状にさらに四十シリングの金が採用されたのである。 フランスで動産人頭税とよばれているものは、農業で使Ⅲ 税を課するようなばあいには、これはすべての小売商人にた される資財の利潤にたいする税として、ヨーロッパのあら ( いして同額であるから、どうしても大商人をいくらか有利に るところで徴収されているもののなかで、おそらくもっと。 し、小商人をいくらか圧迫せざるをえない。前者は後者より も、より容易に、この税を財貨の価格をとおしてとりもどせ重要なものである。 ッパは混乱し亠 封建政治がゆきわたっているころ、ヨーロ るにちがいない。しかしこの税は少額であるから、こうした 不公平もそれほど重大化してはいない。しかもおおくの人た状態にあったのだが、このときには、主権者は、租税支は いを拒絶するには力が弱すぎた人たちに課税することにあ ~ ちは、ちいさな居酒屋の増加についてそれをなにか妨害する んじなければならなかった。大領主たちは特別な突発事件 ( のが不当だとはおもっていないだろう。店舗にたいする税は、 さいには国王に手をかそうとしたけれども、そうでないと すべての店舗に均一であるよう意図されていた。どうもそう は税はどんなものでも負担することをたえす拒絶したし、 するほかはなかったのである。自由国家ではまったくがまん た国王も領主たちに強制できるほど強くはなかったので + のできないほどの取調べをしないでは、店舗にたいする税を、 る。ヨーロッパ中いたるところで、土地の占有者の大部分 1 かなり正確に、そこでいとなまれる取引のていどに比例して て ッパの大部分のところでかれ。 課税することは、不可能であっただろう。もしこの税が相当もとは農奴であった。ヨーロ っ はしだいに解放された。そのうちのあるものはイングランい 重いものだったとすれば、これは小商人を圧迫し、この小売 1 ・ホルダ 収業の全部を大商人の手にひきわたすことになったろう。こうの昔の謄本保有権者のように、ときには国王と、ときには ~ 家してこの小商人の竸争がとりのそかれるから、大商人はこのる別の大領主のもとで、ある平民的なまたは不名誉な土地〔 商業の独占を享受し、ほかの独占者と同様に、やがて結託し有権〔賦役労働を条件とする借地契約〕によって保有する土 ( 保有権を獲得した。べつのものは、この土地所有権を獲得、 て、租税の支はらいに必要な水準をはるかにこえてその利潤 五 第 をひきあげたであろう。この税の最終支はらいは、商店業者ないで、自分たちの領主のもとで、かれらが占有している土 ( ではなくして、消費者に帰着したであろうが、そのうえ消費の定期小作権を獲得し、こうすることによ「て領主にほと , ど依存しなくなった。大領主たちは、この下層階級の人々 者には、商店業者の利潤のための相当多額の追加的負担がか