の剰余部分は自然に、国内での手工業者と製造業者の使用造品のおおくを、おいだすであろう。 に、むかうであろう。ところで、それらの手工業者と製造業 それらの農地諸国民の、粗生産物と製造品との双方の、継「 者とは、かれらのしごとの原料とかれらの生計の資料とをと続的な増大は、適当な期間のうちに、通常の利潤率をもって農 もに国内で入手するので、ただちに、技術と技倆ははるかに業においても製造業においてもそこで使用されうるよりも、 おとるとしても、そういう商業国家の同様な手工業者や製造おおきな資本をつくりだすであろう。この資本の剰余は、自 業者とおなじくやすく、しごとができるであろう。後者は、両然に、外国貿易にむかうであろうし、それ自身の国の組生産物 者をともに遠距離からもってこなければならないのである。 と製造品のなかで国内市場の需要をこえるような諸部分を、 技術と技倆の不足から、かれらがしばらくのあいだは、おな諸外国に輸出するのに使用されるであろう。農地国民の商人 じくやすくはしごとができないかもしれないとしても、それたちは、かれら自身の国の生産物の輸出にあたって、商業諸 でも、国内に市場をもっために、かれらはそこでかれらのし国民の商人たちにたいして、その手工業者と製造業者がそう いう諸国民の手工業者と製造業者とにたいしてもったのと、 ごとを、そういう商業国家の手工業者や製造業者のそれとお なじようにやすく、うることができるかもしれない。後者の おなじ種類の一利点をもつであろう。それは、他方の商人 しごとは、たいへんな遠距離からでなければ、そこへもってたちがとおいところでさがさざるをえなかった、〔船の〕積荷 くることができないのである。そして、かれらの技術と技倆 と備品と食料品を、国内にみいだすという利点である。した が改良されると、かれらはまもなく、それを後者よりもやすがって、航海の技術と技倆がおとっていても、かれらは外国、 く、うることができるであろう。したがって、そういう商業市場でその積荷を、そういう商業諸国民の商人たちとおなじ、 諸国家の手工業者と製造業者は、それらの農地諸国民の市場ようにやすくうることができるであろう。そして、ひとしい において、ただちに競争をうけるであろうし、そのごまもな技術と技倆をもってすれば、かれらよりもやすくうることが ( 4 こ 安うりにまけて、それからまったくおいだされるであろでぎるであろう。だから、かれらはまもなく、かれらの外国 う。技術と技倆がしだいに改良されるけつかとしての、これ貿易のこの部門において、それらの商業諸国民と競争するで らの農地諸国民の製造品の低廉さは、適当な期間のうちに、 あろうし、適当な期間のうちにかれらをそれからまったくお いだすであろう。 それらの販売を国内市場をこえて拡大するであろうし、それ らをおおくの外国市場にはこぶであろう。それらはそこか したがって、この自由で寛大な体系によれば、農地国民が ら、おなじようにして、しだいに、そういう商業諸国民の製それ自身の手工業者、製造業者、商人を育成しうるための、
た陣地をかこいこむのにも、適するものとする。そういう農 が、しばしば、ある征服集団または征服氏族の、首長の支配 のもとに統一された。そして、アジアの荒廃とじゅうりん耕者たちの通常の娯楽は、牧畜者たちのそれとおなじもので は、つねにかれらの統一をあらわすものであった。もうひとあり、しかも、おなじようにして戦争をかたどっている。た つのおおきな牧畜国民である、アラビアの住みにくい砂漠のだし、農耕者は、牧畜者にくらべると余暇がすくないので、 かれらは、牧畜者ほどたびたびは、これらの娯楽をおこなわ 住民たちは、ただ一度をのそいては統一されたことがまった 、、こど、〔牧畜者にくらべると〕兵 オしカれらは兵士であるがナオ くないのであって、その一度とは、マホメットとかれの直接よ、。、 の継承者のもとにおいてであった。かれらの統一は、征服の士としての訓練をまったく十分に身につけているとはいえな い兵士なのである。かれらはこういうものであるにしても、 けつかであるよりも宗教的熱狂のけつかであったが、おなじ かれらを戦場に適するように準備するには、主権者または国 やりかたで表明された。アメリカの狩猟諸国民が、牧畜者に 家にとってほとんどなんの費用もいらないのである。 なることが、もしあるとすれば、かれらの近隣地方は、ヨー ロッパの諸植民地にとって、現在よりもはるかに危険なもの 農業は、そのもっとも未開で低級な状態においてさえ、固 であろう。 定した居住地を前提とする。おおきな損失なしには放棄する ことができない、ある種の固定した居住地を、前提するので さらにそれよりも進歩した社会の状態において、すなわ ち、外国商業をほとんどもたす、ほとんどすべての個々の家ある。したがって、農耕者だけの国民が、戦争にいくとき 族が自家用につくる粗雑な家庭用のもの以外には、製造業をは、全人民がいっしょに戦場にくわわることはできない。老 て もたない、農耕諸国民のあいだでは、各人は、おなじように人、女性および子どもたちはすくなくとも、家庭にのこっ て、居住地の世話をしなければならない。しかしながら、軍 にして、戦士であるか、あるいは容易にそういうものになるの 収である。農業によって生活する人々は、一般に、一日のすべ事年齢のすべての男性は、戦場に参加しうるし、そしてこの 家てを野外ですごし、季節季節のあらゆるきびしさにさらされ種のちいさな諸国民においては、それがしばしばおこなわれ 国 ている。かれらの通常の生活における頑丈さが、かれらを、 てきた。あらゆる国民において、軍事年齢の男性は、その人 五戦争の諸労役に適するものとするのであって、それらのうち民全体の約四分の一か五分の一にたっするものと想定され オキュペイション 第 のあるものは、かれらにとって必要な職業活動とたいへん類る。もし、戦闘もまた、種子まきの時期のあとにはじまっ 似している。溝ほり人としての必要な職業活動は、かれを、 て、収穫のまえにおわるのだとすれば、農耕者とかれの主要 ざんごうのなかではたらき、陣営の防備をかためるのに、ま な労働者たちは、おおきな損失をひきおこさないで、農場か
しかしながら、ポルトガルの権力が没落していらい、どの たがって、この第二の種類の独占の背理性は、第一のものの ヨーロツ。ハ国民も、インドの諸海洋における排他的航海権をそれよりも、はるかに明白である。 主張したことはなく、それらの海洋の主要諸港は、いまでは これらの種類の独占はともに、その社会の資財の自然的分 すべてのヨーロッパ国民の船舶にたいして、開放されてい 配を、おおかれすくなかれ、くるわせる。だがそれらは、そ る。とはいえ、ポルトガルにおいては、またここ数年のあいだれをつねにおなじゃりかたで、くるわせるのではない。 はフランスにおいても、そうではないがヨーロッパの各国 第一の種類の諸独占は、つねに、独占が樹立される特定の において東インド貿易は、ひとつの排他的会社の支配下にお貿易に、その社会の資財のうちで、おのずからその貿易にい くであろうよりもおおきな部分を、ひきよせる。 かれてきた。この種の諸独占は、ほんらい、それらを樹立す るその国民自体に敵対して、設置されるのである。それによ 第二の種類の諸独占は、事情のちがいにおうじて、ときに って、その国民の大部分は、かれらの資財のある部分をふり は独占が樹立されている特定の貿易に資財をひきよせ、とき むけることがかれらにとって好都合であるかもしれない、ひ にはその貿易からそれをおいだす。ますしい国々では、それ とつの貿易から排除されるだけでなく、その貿易がとりあつらはとうぜんその貿易に、そうでなかったらそこにいくであ かう諸財貨を、もしそれがその国のすべての人に開放されてろうよりも、おおくの資財をひきよせる。富裕な国々では、 て いるとしたばあいよりも、いくらかたかくかうことを余儀なそれらはとうぜんその貿易から、そうでなかったらそこにい にくされる。たとえば、イングランド東インド会社の設立いら くであろう、かなりの資財を、おいだすのである。 体い、イングランドの他の住民たちは、その貿易から排除され たとえばスヴェーデンやダンマークのようにまずしい国々 éていることにくわえて、かれらが消費してきた東インドの諸は、おそらく、東インド貿易がひとつの排他的な会社の支配 学 済財貨の価格のなかにふくめて、つぎのものにたいして支はら下におかれていなかったならば、おそらくそこへ一隻の船さ えおくることは、けっしてなかったであろう。そういう会社 治わなければならなかった。すなわち、その会社が、かれらの 独占の帰結としてそれらの財貨についてもうけたであろう、 の設立は、必然的に、冒険家たちを奨励する。かれらの独占 叫すべての異常な利潤にたいしてだけでなく、そのような大会は、あらゆる競争者に対抗して国内市場をかれらに確保する 社の事務の運営からきりはなすことのできない詐欺と悪習し、かれらは外国諸市場については、他の諸国民の貿易業者 貰が、必然的にひきおこしたにちがいないすべての異常な浪費たちと、同一の機会をもつ。かれらの独占はかれらにたいし て、すくなからぬ量の財貨についてのおおきな利潤が、かく にたいしても、支はらわなければならなかったのである。し
他の一一階級を抑圧することは、けっして不生産的階級の利である。 益ではありえない。不生産的階級を維持し使用するのは、土 もしそうよんでいいならば、それらの農地国民の利益は、 地の剰余生産物、すなわち、まず耕作者の、つぎに土地所有者けっして、そういう商業国家の勤労を、かれらの営業あるい の生活維持費を、控除したあとにのこるものなのである。こ はかれらが提供する諸商品にたいする高税によって、意欲を の剰余がおおきければおおきいほど、同様にして、不生産的そいだりこまらせたりすることではありえない。そういう税 階級の維持も使用もおおきいにちがいない。完全な正義、完は、それらの商品をたかくすることによって、かれら自身の 全な自由、完全な平等の樹立が、三階級のすべてに最高度の土地の剰余生産物の実質価値を下落させることだけに、役だ 繁栄を、もっとも効果的に確保する、きわめてかんたんな秘ちうるであろう。その剰余生産物をもって、あるいは、おな 訣である。 じことになるがそれの価格をもって、それらの商品が購買さ ホラントやハンブルクのように、主としてこの不生産的階れるのである。そういう税は、その剰余生産物の増大を阻止 級からなる商業諸国家の、商人、手工業者、製造業者は、おな し、そのけつか、かれら自身の土地の改良と耕作を阻止する のに、役だっことができるだけであろう。反対に、その剰余 じゃりかたで、まったく土地の所有者および耕作者の費用で 維持され使用されているのである。ただひとつのちがいは、 生産物の価値をひきあげるため、その増大を奨励し、そのけ て つかとしてのかれら自身の土地の改良と耕作を奨励するため 商人、手工業者、製造業者から、きわめて不便な距離をもっ にたところに位置していて、かれらにたいしてそのしごとの原の、もっとも効果的な方策は、すべてのそういう商業諸国民 体料と生計の資料とを供給する、それらの土地所有者と耕作者の営業に、もっとも完全な自由をゆるすことであろう。 この営業の完全な自由は、かれらが自国にもっていないす が、大部分、他の諸国の住民であり、他の諸政府の臣民であ 学 済るということである。 べての手工業者、製造業者、商人を、適当な期間内にかれら に供給し、かれらがそこにおいて感じていたきわめて重要な 治しかしながら、そういう商業諸国家は、それらの諸外国の 住民にとって、ただ有用であるだけでなく、おおいに有用なすき間を、もっとも適切で有利なやりかたでみたすためにさ 四のだ。かれらは、きわめて重要なすき間をあるていどみたすえ、もっとも効果的な方策であるだろう。 ものであり、そして、それらの国の住民たちが国内にもつべ かれらの土地の剰余生産物の継続的な増大は、適当な期間 . きであるのに、自分たちの政策のある欠陥から国内にもたな内に、通常の利潤率をもって土地の改良と耕作に使用されう るよりも、おおきな資本をつくりだすであろうし、そしてそ 商人と手工業者と製造業者の、地位にとってかわるもの ランデド
めに、買収する必要にせまられないためか、それらの議会は の政府は、これまでのところ、やはり〔本国よりも〕共和的で おそらく一般に、かれらの選挙権者たちの意向によって影響あった。 ニヤ、ポルトガル、およびフラン される方が、おおきいであろう。植民地の立法府においてグ これと反対に、エスパ レート・ブリテンの上院に対応する、会議は、世襲貴族層に スの、絶対的統治が、かれらの諸植民地においておこなわれ よって構成されていない。諸植民地のうちの若干において ている。そして、そういう政府がふつうにそのすべての下級 は、たとえばニュ ー・イングランド諸政府のうちの三つにお官吏に委任する裁量権は、そこでは、距離がおおきいために、 いてのように、それらの会議は国王によって任命されるので通常よりもひどい暴力をもって行使されるのがとうぜんであ る。すべての絶対的統治のもとでは、首府においては、その はなく人民の代表者たちによってえらばれるのである。イン グランドの諸植民地のどこにも、世襲貴族層はない。それら国の他のどんな部分においてよりもおおくの、自由がある。 のすべてにおいて、たしかに、他のすべての自由な国におい 主権者自身は、正義の秩序をみだしたり、人民の大集団を抑 てとおなじように、ふるい植民家族の子孫は、同等の功績と圧したりする、利害関心も意向もけっしてもっことはありえ 財産をもつなりあがりものよりも、尊敬されている。しか ない。首府では、かれの存在が、おおかれすくなかれ、かれ し、かれは尊敬される点でまさっているだけで、自分が隣人のすべての下級官吏を畏怖させるのであり、かれらは、人民 て もっと たちの厄介ものとなりうるような特権は、もたないのであの不満が主権者にたっする可能性がもっとすくない、 にる。現在の紛争が開始されるまえには、植民地議会は、立法僻遠の諸州では、自分たちの暴政をはるかに安全に行使する 体権だけでなく行政権の一部分も、もっていた。コネティカト ことができるのである。ところが、アメリカにおけるヨーロ とロード・アイランドでは、それらは総督を選挙した。他の ツ。ハの諸植民地は、これまでしられたかぎりの最大の諸帝国 諸植民地では、それらは、それそれの議会によって課せられの、もっともとおい諸属州よりも、僻遠である。それほどと おい州の住民たちに完全な安全保証をあたええたのは、イン る租税をあつめる収入官を、任命した。それらの収入官は、 そのそれそれの集会にたいして、直接に責任をもったのであグランドの諸植民地の統治がおそらく、世界がはじまってい 四る。したがって、イングランドの植民者たちのあいだには、 らい唯一のものである。けれども、フランスの諸植民地の行 第 ーニヤおよびポルトガルの諸植民地のそ 母国の住民たちのあいだにおけるよりも、おおくの平等性が政はつねに、エスパ ある。かれらの風習は〔本国よりも〕共和的であり、かれらのれよりも、温和にひかえめに処理されてきた。行政処理のこ 政府、とくにニュ ー・イングランド諸州のうちの三つのもの の卓越は、フランス国民の性格にも、また各国民の性格を形
ができるのは、国家の知恵だけである。そして、諸国家は、 かならずしもつねにこの知恵をもたす、たとえかれらの境遇 こういう状況においては、国家が公共の防衛のためにとに かく一応の配慮をなしうる方法は、二つしかないようにおも が、かれらの存在を維持するためにかれらがその知恵をもっ われる。 ことを必要とするにいたったばあいでも、そうであった。 牧畜者は、おおくの余暇をもつ。農耕者は、農耕の粗野な それは、第一に、非常にきびしい政策によって、かっ、人 状態においては、 いくらかの余暇をもつ。職人あるいは製造民の利益、才能、性向のあらゆる方向を無視して、軍事訓練 の練習を強制し、軍事年齢の市民のすべて、あるいはかれら 業者は、まったくもたない。第一のものは、なんの損失もな のうちの一定の数を、かれらがたまたま、他のどんな営業や しに、かれの時間のおおくを軍事訓練に使用しうる。第二の ものは、そのある部分を使用しうる。しかし、さいごのもの専門職業をいとなんでいようとも、あるていど兵士の営業を は、一時間でもそれらに使用すれば、若干の損失なしにはい それにつけくわえるように、義務づけることができよう。 られないし、かれ自身の利益への注意が自然にかれをみちび それとも第二に、一定数の市民を、扶養し雇用して、たえ いて、それらをまったく無視するにいたらせる。技術と製造す軍事訓練を練習させておくことにより、国家は兵士の営業 業の進歩が必然的にひきおこす、農耕の諸改良もまた、農耕を、他のすべてから独立し区別された、特定の営業とするこ 者に、職人とおなじくわすかの余暇しか、のこさない。軍事とができよう。 訓練は、農村の住民たちによって、都会の住民たちによって もし国家が、それらの二つの方策のうちの、第一のものに て とおなじく、おおいに閑却されるようになる。そして、人民たよるならば、その軍事力は民兵にあるといわれ、もし第一一 っ の大部分は、まったく非好戦的になる。それと同時に、農業のものにたよるならば、それは常備軍にあるといわれる。 収と製造業の改良につねにともない、かっ、じっさいはそれら軍事訓練の練習は、常備軍の兵士たちの唯一または主要な生 業であり、国家がかれらに提供する生活費または支はらいが、 家の改良の蓄積された成果にすぎない、あの富というものが、 国 かれらのすべての隣人の侵略を誘発する。勤勉で、そしてそかれらの生計の主要かっ通常の資金である。軍事訓練の練習 は、民兵の兵士たちについては、臨時の生業にすぎないので 奩のために富裕である国民は、あらゆる国民のなかで、もっと 第 も攻撃されやすいのであり、しかも国家が、公共の防衛のたあって、かれらは自分たちの生計のための主要で通常の資金 めになにかあたらしい手段をとらぬかぎり、人民の自然的慣を、なにかほかの生業からひきだすのである。民兵において 習は、かれらを、まったく自己を防衛できないものとしてし は、労働者、職人、あるいは商人の性格が、兵士という性格 プロフェッション まう。 ファンド
下層の人々のそれにくらべてさえすくないとか、想像してはあきらかにひじように簡単で容易な変更のけつか、関税と消 ならないのである。かれらがよくはたらくために、かれらの費税とは、もっとも人口の稀薄な地方においても、現在もっ とも稠密な地方であげているのと同程度の、その消費に比例 主人の役畜がそうされることがかれの利益であるのとおなじ やりかたで、かれらが十分に食糧をあたえられ、良好な気分した収入を、おそらくあげるであろう。 アメリカ人は、金貨あるいは銀貨をもたないと、なるほど にされることが、かれの利益である。したがって黒人は、ほ いわれる。その国の国内商業は紙幣によりいとなまれ、そし とんどどこででも、白人召使と同様に、ラム酒と糖蜜ビール 」カてときとしてかれらのなかにはいってくる金および銀は、わ あるいはとうひビールの追加手当をもらっており、この自日 手当は、それら諸物品が適度の税をかけられるべきであるとれわれからうけとる諸商品のかわりにグレート・ブリテンに しても、おそらくとりあげられることはないであろう。それおくられる、と。しかし、金および銀なしでは、租税を支は らうことができないと、つけくわえられる。われわれはすで ゆえ、課税商品の消費は、住民の数に比して、おそらくアメ リカおよび西インドにおいてはブリテン帝国のいかなる地方に、かれらのもっているすべての金および銀を、入手してい る。かれらがもたないものをかれらからひきだすことが、ど ともおなじであろう。密売買の機会は、なるほど、はるかに うしてできるだろうか。 おおきいだろう。アメリカは、国のひろさに比して、スコッ アメリカにおける現在の金貨および銀貨の稀少は、その国 トランドあるいはアイアランドのいずれよりも人口が稀薄だ の貧困のけつかでも、その国民がそれら金属を購買する能力 からである。しかしながら、もし現在麦芽および麦芽酒にた いするちがった税により徴収されている諸収入が、麦芽にたをもたないことのけつかでもない。労働の賃銀がイングラン ドよりもはるかにたかく、食糧の価格がはるかにやすい国で いする単一の税により課せられることになるとすれば、消費 は、国民の大部分は、もしそうするのがかれらにとって必要 税のもっとも重要な部門における密売買の機会は、ほとんど まったく除去されるであろう。そして関税が、ほとんどすべもしくは便宜であるならば、より多量の〔金および銀〕を購買 てのさまざまな輸人商品に課せられるのでなく、もっとも一する資力をたしかにもっているにちがいない。それゆえそれ 般的に使用され消費される少数のものにかぎられるとすれらの金属の稀少性は、選択のけつかであ「て、必然のけつか ば、またそれらの関税の賦課が消費税法にしたがうとすれではないにちがいない。 金貨および銀貨が必要もしくは便宜であるのは、国内ある ば、密売買の機会はそんなに完全に除去されないとしても、 いは国外の取引をおこなうためである。 きわめていちじるしく減少するであろう。それらふたつの、
いてよりも、必然的に、はるかにちいさい。文明社会におい 複雑な科学となったとき、戦争のなりゆきが、社会のはじめ ては、兵士たちはまったく、兵士でない人々の労働によって の時代におけるようにひとつの偶発的な小。せりあいや合戦で 維持されるのであるから、前者の数は後者が、かれら自身 決定されるものではなくなるとき、だがしかし、闘争が、い くつかのちがった戦闘の合成であるのがふつうで、そのおのと、かれらが維持しなければならない、その他の統治と法律 にかんする役人たちを、それぞれの地位にふさわしいやりか おのが年の大部分のあいだつづくというときは、戦争におい たで維持したうえで、さらに維持しうるだけのものをけっし て公共に服務する人々を、すくなくともかれらがその服務に てこえることができない。古代ギリシャのちいさな農業諸国 使用されているあいだは、公共が維持するということが、ひ においては、人民全体の四分の一あるいは五分の一が、自分 ろく必要になってくる。戦争にいく人々のふつうの職業が、 たちを兵士とみなしていたし、そしてときには戦場に参加し 平時においてなんであったにせよ、これほど長びく高価な服 ようとした、といわれる。近代ヨーロッパ文明諸国民のあい 務は、そうでなければ〔公共による維持がなければ〕かれらにた だでは、どの国でもその住民の百分の一をこえるものが兵士 いして、とんでもない過重な負担だったであろう。そこで、 第二ベルシャ戦争のあとでは、アテナイの軍隊は、一般に傭として使用されて、かれらを使用する費用をになう国の破減 兵の諸部隊によって構成されていたらしい。それらの一部分をともなわぬことは、ありえないと計算されるのがふつうで はたしかに市民からなっていたが、一部分は外国人からもなある。 軍隊を戦場にむけて準備する費用が相当なものになったの っ・ていて、そして、かれらすべてはひとしく、国家の費用で て は、どんな国民においても、戦場においてそれを維持する費 やとわれ支はらわれていたようである。ウェイイの包囲のと にきから、ローマの軍隊は、かれらが戦場にとどま「ているあ用が完全に主権者または国家の肩に転嫁されてしま 0 てか ら、すっとあとのことであったようである。古代ギリシャの 収いだの服務にたいして、支はらいをうけた。封建的諸政府の さまざまな共和国のすべてにおいて、軍事訓練をまなぶこと 家もとで、大領主の軍務もかれらの直接の従者のそれもとも 国 は、あらゆる自由市民にたいして、国家が課した、教育の必 に、一定の時期がたっとひろく貨幣による支はらいにかえら れ、その貨幣は、かれらのかわりに服務する人々を維持する要部分であった。どの都市にも、ひとつの公共の広場があっ 第 のに使用された。 たらしく、そこで、公共の役人の保護のもとに、わかい人々 はさまざまな教師によってかれらのさまざまな訓練をおしえ 戦争にいくことができる人々の数の、人民の全体の数にた いする比率は、社会の文明状態においては、粗野な状態におられたのである。このたいへん単純な制度のなかに、あらゆ
穀類はとうぜん、すべての新植民地の耕作における、第一 貨をかうにも、ともに妥当な価格ですることができるように かっ主要な目的である。それらの植民地にたいして、穀類に なる。どが、 ナわれわれの諸植民地がまだ幼少期にあったとき ついてのひじように広範な市場をゆるすことによって、その に、プリマス会社が解体していらい、これがつねにイングラ ンドの政策であ「た。それはまた一般に、フランスの政策で法律は、それらがこの耕作を、稀薄な住民をもつ国の消費を はるかにこえて拡大し、こうして、たえず増大する人口のた もあったのであり、イングランドでふつうにかれらのミシシ 。ヒ会社とよばれているものの解体いらい、一貫してそうであめにた「ぶりした生活資料を、まえも 0 て準備するように、 った。したがって、フランスとイングランドがそれらの植民奨励するのである。 まったく森林でおおわれていて、そのために材木がほとん 地といとなむ貿易の利潤は、うたがいもなく、もし竸争が他 どまたはまったく価値をもたない国では、土地をきりひらく のすべての国民に開放されているとしたばあいよりも、いく らかたかい冫 こしても、それでもけ「して途方もないものでは費用が、改良にと 0 ての主要な障碍である。諸値民地に、そ ない。そして、ヨーロッパの財貨の価格は、それだから、その原木材についてのひじように広範な市場をゆるすことによ れらの国民のどちらの、諸植民地の大部分においても、法外「て、その法律は、それがなければほとんど価値がなか 0 た であろう一商品の、価格をひきあげることによって、かっ、 にたかくはないのである。 そうすることによって、かれらが、それがなければまったく かれら自身の剰余生産物の輸出においてもまた、グレ っ ト・ブリテンの諸植民地は、一定の商品についてのみ、母国の失費だ 0 たであろうものから、いくらかの利潤をあげるこ これらの商品は、航海とを可能にすることによ 0 て、改良に便宜をあたえようと、 の市場に局限されているにすぎない。 っとめるのである。 条例および他の若干の後続条例に列挙されてきたので、その 半分も人民がいないか、半分も耕作されていない国では、 瀝理由にもとづいて列挙商品とよばれてきた。のこりは、非列 家畜は、住民の消費をこえて自然に増加し、そしてしばしば 治挙商品とよばれ、それらは、所有者と四分の三の船員がブリ 政 テン臣民であるブリテンまたは植民地の船によるならば、直その理由で、ほとんどまたはま「たく、価値をもたない。し かし、すでにしめされたのだが、家畜の価格が穀物の価格に 蹶接に他の諸国に輸出することができる。 非列挙商品のなかに、アメリカと西インドのも 0 とも重要たいして一定の比率をもっことは、どの国においても土地の 7 な生産物のうちのいくつかがある。あらゆる種類の穀類、原大部分が改良されうる前提として、必要である。生死のあら ゆる形態におけるアメリカの家畜に、ひじように広範な市場 木材、塩づけ食料品、魚、砂糖、ラム酒がそうである。
かった時代、どんな敵もかれらに敵対しうるとおもわれなかある国民の民兵をやとって、他の国民の民兵に敵対させるこ とによってのみであった。西〔ローマ〕帝国の没落は、古代史 ったときには、かれらの重装甲は、不必要に重荷になるとし ておしのけられ、かれらの骨のおれる訓練は、不必要に面倒がなんらかのはっきりした、あるいは詳細な説明を保持して なものだとして閑却された。そのうえ、ローマの皇帝たちのきたかぎりでの、人類のことがらにおける第三の大革命であ る。それは、野蛮国民の民兵が文明国民のそれにたいしても もとでは、ローマの常備軍、とくにゲルマニアおよび。 ( ンノ つ、不可抗的な優越性によって、ひきおこされたのである。 ニアの国境を守備していた軍隊は、かれらの主人たちにとっ て危険なものとなった。その主人たちに対抗してかれらが、 その優越性は牧畜者の国民の民兵が農耕者、職人、製造業者 の国民の民兵にたいしてもつものである。民兵によってえら 自分たちの将軍をおしたてることが、よくあったのである。 かれらの手ごわさをすくなくするために、ある著者たちによれてきた勝利は、常備軍にたいするものではなくて、訓練と ればディオクレティアヌスが、他の著者たちによればコンス規律においてかれら自身におとる、他の民兵にたいするもの キリシャの民兵がベルシャ帝 であるのが、ふつうであった。、、 タンティススが、はじめてかれらを国境からひきあげて、さ 国のそれにたいしてえた勝利は、そういうものであったし、 まざまな地方都会に小集団として、ちらばらせたのであって、 国境においてはかれらはそれまでつねに、ふつうはそれぞれのちの時代にスイスの民兵が、オーストリア人およびブルゴ ーニュ人のそれにたいしてえた勝利もまた、そうであった。 二、三の軍団からなる大集団として、駐屯していたが、地方 西〔ローマ〕帝国の廃墟のうえに国をたてた、ゲルマンおよ 都会では、侵略を撃退するのに必要になったばあいのほか て びスキタイの国民の、軍事力は、かれらのあたらしい定住地 は、かれらがそこから移動させられることはめったになかっ こた。小集団で商工業都会に宿営し、それらの営舎から移動すにおいても、ひきつづきしばらくのあいだは、かれらのもと の国においてと、おなじ種類のものであった。それは、牧畜 収ることのまれな、兵士たちは、かれら自身が、商人、職人、 家製造業者になった。市民的性格が軍事的性格に優越するよう者および農耕者の民兵であって、戦時には、平時にかれらが 国 になり、こうしてローマの常備軍は、しだいに堕落して、腐服従しつけているのと同一の首長たちの、指揮のもとに戦場 に参加した。したがってそれは、かなりよく訓練されていた 五敗し、放任され、規律のない、民兵となった。それは、その 第 ごまもなく西〔ローマ〕帝国を侵略したゲルマンとスキタイのし、かなりよく規律をあたえられていた。しかしながら、技 民兵の攻撃に、抵抗できなかったのである。皇帝たちがしば術と産業がすすむにつれて、首長たちの権威はしだいにおと ろえたし、人民の大部分は、軍事訓練にさく時間の余裕が、 らくのあいだ自己を防衛しえたのは、それらの国民のうちの