によ「て損も得もしないのであって、付加税はまったく、古る農業資財の通常の利潤をそえて、かれに回収させるのに十 い査定から生じる不公平を解消するのに用いられる。この付分たりる。もしも十分の一税がなければ、かれは、のこりの 加税の使用は、徴税区の知事の裁量によって、かなりおおき半分を、あるいはおなじことだがのこりの半分の価値を、地 く規制されるのであって、したがって、おおきなていどにお代として地主に支はらう余裕があっただろう。しかし、もし いて恣意的となるにちがいない。 も生産物の十分の一がかれから十分の一税としてとりさられ * ld. tome ii p. 139 年 c. るならば、かれはこの地代の五分の一の軽減を要求しなけれ ばならない。でなければかれは、かれの資本を通常の利潤を 地代にてはなく土地の生産物に比例する税 ともなって回収することができない。 このばあいには、地主 土地の生産物にたいする税は、ほんとうは、地代税であの地代は全生産物の半分、すなわち十分の五にはたっしない る。これははじめに農業者によって前ばらいされるかもしれで、その十分の四にしかならないだろう。反対に、もっとやせ ないが、終局的には地主によって支はらわれる。生産物のあた土地では、ときには生産物がひじようにすくなく耕作の費 る部分が租税として支はらわれねばならないときには、農業用がひじようにおおきいため、農業者にその資本を通常の利 者は、この部分の価値が年々の平均でどのくらいになりそう潤をそえて回収させるには、全生産物の五分の四が必要なこ かをできるだけよく計算して、かれが地主への支はらいに同ともある。このばあいには、十分の一税がなくても、地主の 意する地代のなかから、これにおうじた分をさしひく。この地代は全生産物の五分の一、すなわち十分の二以上にはなり 種の地租である教会の十分の一税が、年々の平均でどれくら えないだろう。しかしもしも農業者が生産物の十分の一を十 いの額になりそうかを、あらかじめ計算しないような農業者分の一税として支はらうならば、かれは地主の地代から同額 は一人もいない。 の軽減を要求しなければならす、こうして地代は全生産物の 十分の一税と、その他すべてのこの種の地租は、外見は完 たった十分の一にヘらされるだろう。十分の一税は、ゆたか 全に公平にみえるが、じつはひじように不公平な税である。 な土地の地代にたいしては、ときにはわずかにその五分の一、 なぜなら、生産物の一定割合は、事情がちがえば、地代のひすなわち一ポンドにつき四シリングの税になることもある じようにちがった部分に等しいものであるからである。ある が、他方、やせた土地の地代にたいしては、その半分、すな ひじようにゆたかな土地では生産物がおおいから、その半分わち一ポンドにつき十シリングの税になることもありうる。 で、耕作につかわれた農業者の資本を、その近隣地方におけ 十分の一税はしばしば地代にたいしてひどく不公平な税で
256 費される商品にたいする税とおなじ性質をもつ。おそらくた る文明国において、富裕で上流の家族のほとんどすべてを破 いていのばあい、ある人の支出全額の気前のよさと手がたさ減させるだろう。この国でもっとも富裕で上流の諸家族のう は、どんな支出あるいは消費の項目によるよりも、かれの家ちのあるものがすんでいる、都会や農村のさまざまな家屋を、 賃によって、よく判断されうる。この特定の支出項目にたい 注意ぶかくしらべてみるならば、だれでも次のことがわかる する、つり合いがとれた税は、おそらく、これまでヨーロッ であろう。すなわちかれらの家賃は、建物のはじめの費用のた パのどんな部分においてひきだされたよりも注目すべき収入だの六・五パーセントないし七パーセントの割で計算しても、 をうみだすであろう。たしかに、もしこの税がきわめて高か かれらの領地の純地代全体にほぼ等しいのである。それは、ひ ったなら大部分の人々は、もっとちいさな家でがまんするこ きつづく数世代の、蓄積された出費であって、投下された対 とによって、そしてまたかれらの支出の大部分をなにかべっ象は、たしかにひじように美しくかっ壮大ではあるが、費用 の水路にむけることによって、できるだけそれをのがれるよ がかかったわりには交換価値がきわめてちいさいのである。 うに努力するだろう。 敷地地代は、家賃よりももっと適切な課税対象である。敷 家賃は、通常の地代を確認するのに必要であるだろうのと地地代にたいする税は、家賃をたかめないであろう。それは おなじ種類の方針で、十分な正確さをもって、容易に確認さすべて敷地地代の取得者にかかるであろうし、かれはつねに れうるだろう。居住者のいない家屋は税を支はらう義務はな独占者としてふるまい、かれの敷地の利用にたいして、とれ 。それらにたいする税はまったく、所有者にかかるであろう るかぎりおおくの地代をとりたてる。それによって手には、 し、こうしてかれは、自分にたいして便宜も収入も提供しない るものが、おおいかすくないかは、競争者たちがたまたま富 物件の税を課せられることになるであろう。所有者が居住し裕であるか貧しいか、すなわちかれらが特定の地点にたいす ている家屋には、その建築のときにかかったかもしれぬ費用る自分たちの好みを満足させるために提供しうる費用がおお にしたがってではなくて、それを借家人に賃貸したばあいに きいかちいさいかに、依存するのである。あらゆる国におい もたらしそうだと、公正な裁定が判断するにちがいない家賃て、富裕な竸争者のほとんどが首都にすんでおり、したがっ にしたがって、見つもられねばならない。もし建築のさいにか てここがいつも最高の敷地地代がみられるところである。そ かったであろう費用にしたがって税が見つもられるなら、一れらの競争者たちの富は、どんな点からみても敷地地代税に ポンドにつき三ないし四シリングの税が、他の諸税と合わさ よって増大させられないのだから、おそらくかれらは、敷地を って、この国および、わたくしの信じるところでは他のあらゆ利用するのにそれ以上を支はらう気にはならないだろう。こ ( 四 )
にか別の商業用具への需要、あるいは、購入のためにかれら 戦争と戦争準備は、近代において、すべての大国の必要経 の金貨や銀貨の大部分を国外へおくらなければ入手できない 費の大部分をひきおこす、二つの事情である。しかし、ギリ ほど多量の消費資財への需要であり、第二は、この方策を利 シャやイタリアの古代共和国では、全市民が兵士であって、 用する政府にたいする信用であり、第三は、それを利用する 自分の費用で兵役をつとめまたその準備をととのえていた。 うえでの節度、すなわち、信用証券の全額が、それが存在し だから、右の二つの事情のどちらも、おおきな国家経費をひ なかったばあいにかれらの流通をいとなむのに必要な、金貨きおこすことはありえなかったのである。きわめて穏当な領 や銀貨の総額をけっしてこえないことである。他のいくつか地の地代で十分に、政府のほかの必要経費のすべてをまかな いえたであろう。 のアメリカの植民地も、さまざまなばあいに、このおなじ方 策を採用した。だがこの節度がかけていたために、そのうち ョロッパのむかしの君主国では、当時の風俗習慣が十分 の大部分が、便利よりもはるかにおおくの混吼をまねいた。 に、人民のおおきな集団を戦争にたいしてそなえさせた。そ しかし、資財や信用の不安定で消減しやすい性質は、それして従軍するときには、かれらは、封建的な土地保有条件に らを、確実で安定的で永続的な収入の、主要な財源として信もとづいて、自己または直属領主の費用で維持されることに 頼するには、不適当なものとするのであって、そういう確実なっていたから、主権者にはなにもあらたな負担がかからな で安定的で永続的な収入だけが政府に安全と威厳を付与する かった。政府のそのほかの費用は、その大部分は、きわめて のである。牧畜国の域をぬけでたどの大国民の政府も、これ穏当なものだった。すでにしめされたように、司法行政は、 て までその公収入の大部分をそうした源泉からひきだしたこと支出の原因ではなくて、収人の源泉だったのである。収穫の にがあったとはおもわれない。 前後それそれ三日間の地方住民の労働は、その地方の商業に 収土地はもっと安定的で永続的な性質の財源である。そこ必要だとおもわれるすべての橋、公道、その他の公共事業を 家で、公有地の地代は、牧畜国の域をはるかにぬけでた多くの建設維持するのに十分な基金であると、考えられていたので 国 キリシャやイタリアのある。当時、主権者の主要経費は、その家族と家計の維持費 大国民の公収入の主要財源であった。。 五古代共和国は、ながいあいだ、国家の必要経費をまかなう収だったようである。だからそのころ、かれの家計の役人はそ 第 入の大部分を、公有地の生産物または地代からえていたので のまま国家の大官であったのである。財務長官がかれの地代 ある。王領地の地代は、ながいあいだ、ヨーロ ッパのむかしをうけとった。執事長や侍従長が、かれの家族の費用の面倒 の主権者たちの収人の大部分を占めていたのである。 をみた。かれの廐舎の世話は馬匹長や儀典長にまかされた。 ファンド ファンド
ふくまれる全家族数の五十分の一か百分の一をこえることはおいて、その国の国内市場を、製造業のいくらかでもおおき めったにないであろう。ところで、フランスとイギリスのよ な多様性をささえるには、せますぎるものとしたにちがいな うな大陸において、農業に使用される人々の数は、その国の全 したがって、インドスタンのうちでふつうに最大の量の 住民のうちで、ある著作者たちによれば、二分の一、他の著米を輸出する州であるべンガルは、その穀類の輸出について 作家たちによれば三分の一と計算されてきたのであ「て、わよりも、たいへん多様な製造品の輸出について、いつも目だ たくしのしっているどの著作者によっても五分の一をくだる っていた。反対に、古代エジプトは、若干の製造品、とくに とはされなかった。しかし、フランスとイングランドの双方上等の亜麻布を、他の若干の財貨とともに、輸出したとはい の農業の、生産物は、その圧倒的大部分が国内で消費される え、つねにその穀類のおおきな輸出によって、きわだってい のだから、これらの計算によると、農業に使用される〔従事 た。それはながいあいだ、ローマ帝国の穀倉であった。 する〕各人が、かれ自身の労働の全生産物を処理するために 支那、古代エジプト、およびインドスタンがさまざまな時 必要とする顧客は、かれ自身の家族とおなじような家族の、 代に分割されていたさまざまな王国の、主権者たちは、いっ ひとっかふたっ、あるいはせいぜい四つを、ほとんどこえな もかれらの収入の全体、あるいはとびぬけてもっとも重要な 、。したがって、農業は局限された市場という障碍のもと部分を、ある種の地租または地代から、ひきだしていた。こ で、製造業よりもす「とよく、自己をささえることができの地租または地代は、ヨーロツ。 ( における十分の一税のよう る。古代のエジプトとインドスタンの双方においては、たし に、土地の生産物の一定の割合であって、それは五分の一と かに、外国市場の局限がおおく・の内陸航行の便宜によって、 いわれる。それは、現物でひきわたされるか、一定の評価に あるていどっぐなわれていたのであって、その内陸航行は、 もとづいて貨幣で支はらわれるかの、どちらかであり、した もっとも有利なやりかたで、国内市場の全範囲を、それらの がって、生産物のあらゆる変動におうじて、年によって変動 国のあらゆるちがった地区の生産物の、あらゆる部分にたし した。したがって、それらの国の主権者たちが、農業の利害 して開放したのである。インドスタンのおおきな面積もま に特別の注意をはらうということは、とうぜんだったのであ た、その国の国内市場をひじようにおおきなものとし、製造 って、それの繁栄または衰退に、かれら自身の年収入の増減 業のおおきな多様性をささえるに十分なものとしたのであが、直接に依存していたのである。 る。だが、古代エジプトのちいさな面積は、けっしてイング ギリシャの古代諸共和国の政策、およびローマのそれは、 ランドにひとしくなかったのであり、それはあらゆるときに農業を製造業や外国貿易よりも名誉あるものとしたとはい
の税が、居住者によって前ばらいされるべきか敷地の所有者あるいはある特定の地域の居住者たちの勤労を保護している から、かれらは、かれらの家のたてられている敷地の真実の によって前ばらいされるべきかは、ほとんど問題とするにた りないだろう。居住者が支はらわねばならぬ税がおおければ価値よりそれだけにおおくを支はらいうるのであるし、敷地 がこのように利用されているため敷地の所有者がうけるであ おおいほど、かれは敷地にたいしてはそれだけすくなく支は ろう損失をつぐなうよりも、それだけおおくのことを、かれ らおうとするであろう。そこで、この税の最終的支はらいは、 にたいして、してやることができるのである。その存在が国 すべて敷地地代の取得者の負担になるであろう。居住者のい 家の良好な統治のおかげであるような基金が特別に課税され ない家屋の敷地地代については、税を支はらう義務はない。 ること、あるいはこの基金がほかの大部分の基金よりもいく 敷地地代も通常の地代も、その取得者が、おおくのばあい みずからはなにも配慮も注意もしないで、享受するような種らかよけいに、その統治を維持するために寄与すること、こ 類の収入である。この収入の一部は国家の費用をまかなうたれほど合理的なことは、ほかにないはすである。 ヨーロツ。ハのおおくのちがった国々で、家賃に税がかけら めにかれからとりあげられはするが、それによって、どんな 種類の勤労も阻害されはしないだろう。その社会の土地と労れていたけれども、敷地地代が、課税の対象としてきりはな 働の年々の生産物、すなわち国民のうちのおおきな集団の真されて考えられている国については、わたくしはなにもしら ない。おそらく税の発案者は、家賃のうちどれだけを敷地地 実の富と収入とは、この課税のまえとあととで、すこしもか わりがないであろう。したがって敷地地代と通常の地代と代とみなし、どれだけを建物賃料とみなすべきかを、確定す るのに、ある困難を感じたのであろう。けれども家賃のうち は、おそらく、ある特定の税をかけられるのにいちばんよく これら二つの部分をたがいに区別するのは、ひじようにむす 9J 耐えうるような種類の収入なのである。 かしくはないようにおもわれる。 この点で、敷地地代の方は、特定の課税対象として、ふつ 収 の グレート・ブリテンでは、家賃は、いわゆる年額地租によ うの地代よりいっそう適切であるようにさえおもわれる。ふ 家 って、土地の地代とおなじ割合で課税されるものと想定され つうの地代は、おおくのばあい、すくなくとも部分的には、 ている。さまざまな教区や地区がそれそれ、この税の査定を 五地主の注意と良好な管理のおかげである。ひじようにおもい 第 面額は、いつも同一である。その うけるときの基礎となる評イ 税はこの注意と良好な管理を過度に阻害するかもしれない。 敷地地代は、それがふつうの地代をこえるかぎり、もつばら評価額ははじめからきわめて不平等であったのであり、現在 主権者の良好な統治のおかげであって、この統治が国民全体でもまだすっとそうである。王国の大部分にわたって家賃に
この種類の地租は、たしかに、イングランドの地租より公れの資本のおおきな部分をうばいさり、そのために土地を耕 平である。これは、おそらくイングランドのそれとくらべて、 作する能力を大幅によわめるから、借地人は低い地代を支は まったくおなじくらいには確定的でないかもしれないし、そらうのに、そうでないばあいにたかい地代を支はらうのより の税の査定が、地主に、かなりおおきな手数をかけることもし も、いっそうおおきな困難を感じるほどである。かれの耕作 ばしばおこるだろう。また、その徴収費もかなりにおおきい 能力をよわめるものはすべて必然的に、共同社会の収入のも かもしれない。 っとも重要な部分を、そうでないばあいになったであろうよ しかしながら、おおきなていどにおいて、この不確定性をりもひくくおさえておく。この一時金にたいする税を、ふつ 阻止するとともにこの費用を抑制するであろうような、行政うの地代にたいする税よりもずっとおもくすることによっ 制度が、おそらく案出されうるであろう。 て、この有害な慣行はよわめられて、さまざまな当事者すべ たとえば地主と借地人が連名でその借地契約を公共登記簿てに、すなわち地主、借地人、主権者、さらに共同社会全体 に記録するように義務づけることもできるだろう。諸条件の に、すくなからぬ利点をもたらすだろう。 うちのなにかの隠匿や偽記にたいしては、適当な罰金を課す ある借地契約は、借地人に、全借地期間にわたって特定の ることができるし、また両当事者の一方が他方の隠匿や偽記 耕作方法や作物の特定の栽培順序を指定する。この条件は を告発し証言したばあいに、もしその人にそういう罰金の一 ( それは一般に地主が、自分の方が知識がすぐれているとお 部をあたえることにすれば、両方が結託して公共収入をごま もう、うぬ。ほれのけつかであり、そのうぬぼれはたいていの て かすのを有効にふせぐことができよう。借地条件はすべて、 ばあい、ひじように根拠薄弱である ) 、つねに一種の追加地 っ このような記録によって十分しりうる。 代、すなわち貨幣地代にかわる労役地代と、みなされるべき 収ある地主は、地代をひきあげないかわりに、借地契約の更である。一般にばかなものであるこの慣行を抑制するため 家新にたいする一時金をうけとる。この慣行は、たいていのば に、この種の地代はむしろたかめに評価し、したがってふつ 国 あい浪費者の方便であって、かれはある額の即金をうけとっ うの貨幣地代にたいしてよりもややたかめの税を課してい 五て、それよりすっとおおきな価値の将来の収入をうるのであであろう。 第る。だからこれは、たいていのばあい地主に有害である。ま ある地主は、貨幣地代のかわりに、穀物、家畜、家禽、ぶ 5 た借地人にとってはしばしば有害であり、そして共同社会に どう酒、油などの現物地代をもとめ、他の地主はまた労役地 とってはつねに有害である。それはしばしば借地人から、か代をもとめることがある。このような地代は、いつでも、地 ( 三 )
はむけられえないだろうからである。したがって、租税の全 土地の地代も利潤も減少させることはできないだろう。しか し、制度を変史してビールやエールに醸造される麦芽一クオ負担が地代と利潤に、正確にいえばそのぶどう園の地代にか ーターにたいする税を、二十四ないし二十五シリングから十かってくるだろう。砂糖にたいしてなにか新しい税をかける ことが提案されたとき、われわれの砂糖農園主たちは、そう 八シリングに軽減させれば、その需要は減少するよりもむし ろずっと増加するであろう。そのうえ、大麦をつくる土地のした税の全負担が消費者にではなく生産者にかかってくると 地代や利潤は、同等に肥沃で、同等によく耕作された他の土よく不満をいった。かれらは課税後には、それいぜんよりも かれらの砂糖の価格をたかくあげることがけっしてできない 地の地代や利潤に、いつもほとんど等しいにちがいない。も からである。価格は課税まえには独占価格であったらしい しそれが低ければ、大麦をつくる土地のある部分はすぐに、 あるべつの目的にむけられるであろうし、またもしそれがたそして砂糖は課税対象として不適当であるということを示す かければ、もっとおおくの土地がすぐに、大麦の栽培にむけために引用された議論は、おそらくそれが適当な課税対象で られるだろう。土地のなにか特殊な生産物の通常価格が、独あることの証拠ともなったのである。独占業者の利得は、そ 占価格といわれるかもしれないものであるばあい、それにたれを手にいれることができるときはいつでも、あらゆる課税 いする税というものは必然的に、それを産出する土地の地代対象のうちでたしかにもっとも適当なものであるからであ る。しかし大麦の通常価格はけっして独占価格ではなかっ と利潤を減少させる。ぶどう酒が有効需要をみたすのにひじ た。また大麦をつくる土地の地代と利潤は、同等に肥沃で、 ように不足していて、その価格がいつも、他の同等に肥沃で、 同等によく耕作された土地の生産物の価格との自然的な比率同等によく耕作された、他の土地の地代と利潤にたいする自 をうわまわるほどの貴重なぶどう園において、その生産物に然的な比率をけっしてこえなかったのである。麦芽、ビール、 エールにかけられていたさまざまな税は、大麦の価格をけっ たいする税は、このぶどう園の地代や利潤をかならず減少さ してさげなかったし、大麦をつくる土地の地代や利潤をけっ せるだろう。ぶどう酒の価格は、すでに市場にふつうにおく してひきさけなかった。醸造業者にとって麦芽の価格は、そ られる量にたいして、えられる最高の価格になっているのだ から、その量を減少させないでは、その価格はもっとたかくれに課せられた税に比例して、たえず上昇した。しかもこの なりえないだろうし、また、その量は、もっとおおきな損失税は、ビールやエールにたいするさまざまな税とともに、価 をともなわないでは、ヘらしえないだろう。なぜなら、その格をひきあけるか、あるいは、同じことになるのだが、消費 . 土地は、なにかべつのおなじような価値のある生産物の方に者にとってこれらの商品の品質を低下させたのである。これ
ば、それは右にのべた地代の半分、いやほとんど確実に四分 いてそれが分配される、さまざまな階級の人々のあいだでい の一をも、とても提供しえないだろう。現在、グレート・ プとなまれるはずの一定の生活と支出様式において、維持しえ リテンの王領地は、それが私人の所有地であるばあいに、お たであろう人口だけ、すくないであろう。 そらくそこからひきだしうるであろう地代の四分の一をも、 ヨーロッパでは現在、その公収入の大部分を国家の所有し 提供していないのである。もしも王領地がもっとひろけれている土地の地代からえている文明国は一つもないが、それ ば、おそらくその管理はもっとわるいだろう。 でもいまだに、ヨーロッパのすべての大君主国には、王権に フォレスト 人民のおおきな集団が土地からひきだす収入は、地代に比属する大領地がたくさんある。それはたいてい猟場なのだ が、なかには数マイルにわたって一本の木さえみることので 例するのではなく、土地の生産物に比例する。各国の土地の 年々の全生産物は、種子として保留されるものをのぞけば、 きない猟場もあって、これはまったく、生産物についても人 ツ。、の 人民のおおきな集団によって年々消費されるか、かれらが消口についても、国土の荒廃と損失でしかない。 費するほかのなにかと交換される。ほかの仕方でなら上昇し大君主国はすべて、その王領地を売却すれば、巨額の貨幣を たであろう土地の生産物を、それよりひくくおさえておくよ つくりだすことができよう。そしてこれを公債の支はらいに うなことがらは、土地所有者の収入を減少させる以上に、人あてれば、それまで王権が王領地からえていたよりもはるか 民のおおきな集団の収入を減少させる。土地の地代、すなわに大きな収入を、担保にしないですむであろう。ひじように ち土地所有者のものになる生産物部分は、グレート・ブリテ よく改良されよく耕作されて、うるときに、その土地から無 て ンのどこででも、全生産物の三分の一をこえていると想定さ理なくとれるかぎりのおおきな地代をうんでいる土地が、通 にれることは、めったにない。ある耕作状態のもとで土地が年常、収益三十年分の価格で売れるような国においては、改良 にイングランド正貨千万の地代を提供し、他の状態のもとでも耕作もされてもおらず地代もひくい王領地などは、四十、 の は二千万の地代を提供するとすれば、どちらのばあいも地代五十、あるいは六十年分の収益の価格で売れると予想しても 家 国 よかろう。王権はただちに、この巨額の売価が担保から解放 は生産物の三分の一とみなされるから、土地所有者の収入は 一方のばあいには他方のばあいより年に千万少ないだけであするはすの収入を、享受しうるだろう。数年ののちには、王 第 ろうが、このばあい、人民のおおきな集団の収人は、種子と権はきっと、別の収人をも享受することになろう。王領地が して必要なものだけを別にして、年に三千万も少ないだろ私有財産になれば、土地は数年のあいだに、よく改良され耕 う。一国の人口も、この年に三千万が、つねに種子を差しひ作されるであろう。土地の生産物の増大は、国民の収入と消
封建法の臨時上納税というのは、土地の、死者から生存者慣習が廃止されてしまっているのに、この土地譲渡税はまだ、 ( 八 ) 主権者の収入のうち相当の部門をしめつづけている。ベルン へとともに生存者から生存者への移転にたいする税である。 ノープル・フィーフ 古代には、ヨーロッパ中いたるところでこの税が国王の主要 州ではそれは、全上級封土の価格の六分の一ほどになり、全 イグノープル・フィーフ な収入部門の一つをなしていた。 下級封土の価格の十分の一ほどのたかさになる。ルツェ ルン州では、土地売却税は州全部でおこなわれているのでは 国王のすべての近臣の相続者は領地の叙任をうけとると き、一定の税、一般的には一年分の地代を支はらった。相続なく、一定の郡のみでおこなわれている。しかしもしだれか 者が未成年であるばあい、そのあいだずっとその土地の地代がその地域から引っこすために自分の土地を売るばあいに 全体は、主君に帰属し、そこからは、未成年者の生活を維持すは、その売却価格全体の十パーセントを支はらうのである。 るものと、財産継承権のある未亡人がいるばあいには、そのあらゆる土地かあるいは一定の借地人に保持されている土地 かどちらかの土地の売却にたいするおなじような種類の税 土地についての寡婦産の支はらいとをのぞいては、ほかにな が、その他おおくの国々でも生じており、大なり小なり主権 んの費用も支出しないでもよい。未成年者が成年にたっする ようになったときには、相続上納金とよばれる別の税がさら者の収入の相当な部分をなしている。 * Mem01res concernant les Droits, 陸 c. tome i. p. 151. に主君のものになったのであり、それは一般に、おなじよう * * ld. p. 157. に一年分の地代の額であった。未成年の期間が長いばあいに そうした取引には、印紙税か登記税かによって、間接的に は、現在ではそれが大領地をそのあらゆる負債からまぬがれ て させ、家族に昔の栄光をとりもどすこともめすらしくないの課税されうる。しかもこれらの税は、移転される物件の価値 に比例するばあいもしないばあいもある。 にであるが、その当時では、そうした効果はおこりえなかった。 グレート・ブリテンでは、印紙税は移転される財産の価値 収財産は浪費され負債はそのままになっているというのが、未 に比例するよりはむしろ ( 金額の最大額の契約証書でも、十 家成年期間の長いことのふつうのけつかであった。 国 八ペンス、ないし半クラウンの印紙でたりたのだが ) 、証文 封建法によれば、家臣は主君の同意なしには譲渡すること の性質によって高低がきまる。最高額は、各用紙あるいは羊 五ができず、主君はふつう、その同意にたいして上納金または 第 内諾金を要求したのである。この上納金は、はじめは恣意的皮紙ごとに六ポンドをこえないし、この高額の税は主とし て、物件の価値にはいっさい関係しないで、国王からの免許 1 なものであったが、おおくの国で、土地価格の一定割合にきめ ブリテン られるようになった。若干の国では、他の大部分の封建的諸状や一定の法律手続にかかるのである。グレート・
あるが、おなじように、それはつねに、地主の改良と農業者の インド会社の手中におちるいぜんに、その国のマホメット政 耕作との両者をひどく阻害する。その費用の一部分さえ投じ府にずっと支はらわれていた地租すなわち地代は、生産物の ない教会が、その利益のそれほどたいへんおおきなわけ前に五分の一ぐらいにたっしていたといわれる。古代エジプトの あすかるばあいには、地主は、もっとも重要だが概してもっ地租は、同様に五分の一にたっしたといわれるのである。 とも費用のかかる改良を敢行することができないし、農業者 アジアでは、この種の地租が、主権者に土地の改良と耕作 への利害関心をもたせるといわれている。支那やマホメット は、もっとも価値があるが概してまたもっとも費用もかかる 作物の栽培を敢行することができないのである。あかねぐさ政府下にあったあいだのべンガルや古代エジプトの主権者た の栽培は、この十分の一税のおかげで、ながいあいだ低地連ちは、多大の注意をはらって立派な道路や可航連河をつくり 合州〔ネーデルラント〕にかぎられていた。それは長老派諸国維持して、そのけつか土地のあらゆる生産物にかれら自身の で、そのためこの破壊的な税をまぬがれていたので、ヨーロ領土が提供しうるかぎりの広範な市場を提供することによっ ッパの他の部分にたいして、この有用な染料について一種の て、その量と価値とをできるだけ増大させることを目ざした 独占を享受したのである。イングランドにこの植物の栽培をといわれる。教会の十分の一税は、たいへんちいさな部分に 導入しようとしたちかごろのくわだては、あかねぐさにたい わけられていて、そのために、その所有者たちのうちのだれ するあらゆる種類の十分の一税のかわりに、エーカーあたり も、この種のどんな利害関心ももっことができない。教区の 五シリングをうけとるように制定されたために、やっと実行牧師としては、自分の特定の教区の生産物の市場を拡大する て ために、その国のとおい部分に道路や運河をつくることにつ されたのである。 っ いての、かれ自身の根拠をみつけることが、けっしてできな ヨーロッパの大部分にわたって教会がそうであったよう かった。こうした税は、国家の維持にあてられるならば、あ に、アジアのおおくのさまざまな国では、国家は、地代に比 収 るていどその不都合を緩和するのに役立ちうる、若干の利点 家例するのではなくて土地の生産物に比例する地租によって、 をもっている。教会の維持にあてられるときは、この種の税 主として維持されている。支那では、主権者の主要な収入は、 にともなうものは不都合以外なにもない その帝国のすべての土地からあがる生産物の十分の一からな っている。しかしこの十分の一は非常にひかえめに見つもら 土地の生産物にたいする税は、現物でか、あるいは一定の れていて、そのためにおおくの州では、通常の生産物の三十評価にしたがって貨幣でか、そのいすれかによって徴収され 分の一をこえないといわれる。べンガルがイングランドの東うる。