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検索対象: 世界の大思想15 スミス 国富論<下>
163件見つかりました。

1. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

重要なものでなくなる。かれらの行動に影響するのとおなじ院にも、しばしばひろまる。 つまらない情念が、かれの行動にも影響する。かれが、かれ 平時における倹約の不足は、戦時において負債を契約する の領域において、この種の快楽に無感覚な唯一の富者である必要をひきおこす。戦争が到来するとき、平時編成の通常の と、どうして考えられうるであろうか。もしかれが、ひじよ 経費をまかなうのに必要なだけしか、国庫には貨幣はない。 うにしがちなことなのであるが、その国の防衛力をひじよう戦時には、その経費の三倍あるいは四倍の編成が、国防のた によわめるほどかれの収人の大部分をそれらの快楽に費消しめに必要となり、またしたがって、平時の収入の三倍あるい ないとしても、かれが、防衛力を維持するのに必要なだけをは四倍の収入が必要となる。主権者が、もっていることはま こえる収入部分のすべてをそれらの快楽に費消しないとは、 れなのであるが、かれの支出の増大に比例して収入を増大さ あまり期待されえない。かれの通常の支出は、かれの通常の せる即座の手段をもっていると仮定しても、しかもなお、収 収入と等しくなり、しばしばそれをこえることがなければ、 入のこの増加がひきだされてこなければならない租税の徴収 うまくいっているのである。財宝の蓄積は、もはや期待されは、おそらく租税が賦課されたあと十か月あるいは十二か月 のちまで、国庫にはいりはじめないであろう。しかし、戦争 えないし、途方もない緊急必要事が途方もない出費を必要と するばあいには、かれは必然的に、途方もない援助をかれの がはじまるとき、あるいはむしろはじまりそうにおもわれる 臣民に依頼しなければならない。プロイセンの現在および先とき、軍隊は増加されなければならないし、艦隊は艤装され なければならないし、守備隊の駐留する都会は防衛体制には の国王だけは、一六一〇年のフランスのアンリ四世の死以 て いらなければならないし、その軍隊、その艦隊、それらの守 来、かなりの財宝を蓄積したと考えられている偉大な主権者 備隊駐留都会は、武器、弾薬および食糧を供給されなければ にである。蓄積にみちびく倹約は、王制においてとほ、ほ同様、 ならない。危険のさしせまったときには、即座のおおきな出 収共和制においてもまれとなった。イタリアの諸共和国、ネー 費をまねくことにならざるをえないのであるが、さしせまっ 家デルラント連合諸州は、すべて負債をおっている。ベルン月 ま、 かなりの財宝を蓄積したヨーロッパにおける唯一の共和た危険は、あたらしい租税の漸次的な、ゆっくりした徴収を またないであろう。この緊急事態において政府は借りる以外 五国である。その他のスイスの諸共和国は、蓄積していない。 第 ある種の美観、すくなくともすばらしい建物、およびその他に他に財源をもちえないのである。 の公共的装飾にたいする趣味は、もっとも偉大な国王の。せい 道徳的諸原因の作用により、このようにして借りる必要に たくな宮廷と同様、ちいさな共和国の外見的には地味な元老政府をたちいたらせる、社会のそのおなじ商業的状態が、臣

2. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

の産業を、ほんのわずかでさえ増大させることなく、反対に う。もし利潤がおとるならば、商業的使用が土地の改良か 減少させて、そうするのである。 ら、資本をひきぬくであろう。したがって、商業利潤率をひ 独占は、その国の資本がある特定のときにどんな規模であぎあげるものはなんでも、改良の利潤の優位を減少させる るにしても、それが、独占のないばあいに維持するであろう か、劣位を増大させるかするのであり、はじめのばあいに ほどおおくの生産的労働の量を、維持することをさまたげる は、資本が改良におもむくのをさまたげ、あとのばあいに し、また、それが、独占のないばあいに提供するであろうほ は、資本をそれからひきぬく。だが、改良しようという気持 どおおくの収入を、勤労する住民に提供するのをさまたげる。 をおさえることによって、独占は必然的に、収入のもうひと ところで、資本は収入からの節約によってのみ増大させられつのおおきな根源的なみなもとである土地の地代の自然的な うるのだから、独占は、それがないばあいに資本が提供した増大をおくらせる。独占は利潤率をあげることによって、ま であろうほどおおくの収入を、提供するのをさまたげること た、市場利子率を、そうでなかったらなったであろうより によって、必然的に資本が、それがないばあいに増大するほ も、必然的にたかくしておく。だが、提供する地代に比例す ど急速に増大するのを、さまたげ、そしてそのけつか、資本る土地の価格、すなわち、土地にたいしてふつうに支はらわ が、さらに一層おおきな量の生産的労働を維持し、さらに一 れる何年分かの収益相当価格は、利子率が上昇すれば必然的 て 層おおきな収人をその国の勤労する住民たちに提供するの に下落し、利子率が下落すれば必然的に上昇する。だから、 にを、さまたげる。そこで、収入のひとつのおおきな源泉であ独占は、地主の利益を、ふたつのちがったやりかたで、きす しつでも、それがないば 觴る労働の賃銀を、独占は必然的に、、 つけるのであって、第一には、かれの地代の自然的増大をお 輯あいより、ゆたかさのすくないものとしたにちがいない。 くらせることによって、第二には、かれの土地が提供する地 マーカンタイル 学 済 商業利潤率をひきあげることによって、独占は土地を改代に比例して、かれが自分の土地とひきかえに手にいれるで 治良しようという気をおこさせない。改良の利潤は、土地がじあろう価格の、自然的増大をおくらせることによって、そう っさいに生産しているものと、一定の資本の適用によってそするのである。 四の土地が生産するようになりうるものとの、差に依存する。 たしかに独占は、商業利潤率をたかめはするし、それによ 第 もしこの差が、ひとしい資本から、どんな商業的使用におい って、われわれの商人たちのもうけを、いくらか増加させは てひきだしうるよりも、おおきな利潤を提供するならば、土する。しかし、それは資本の自然的増大をさまたげるので、 地の改良は、あらゆる商業的使用から資本をひきぬくであろその国の住民たちが資財の利潤からひきたす収入の、総額を

3. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

う。したがって、なにか論証らしいことをうまくやるには、 の増大は、まったく、それを使用する資本の増大に依存する かれらがじっさいにやったように、自己を表現することが必 にちがいない。そして、その資本の増大はまた、その資本の 要だったのである。そうすればこの論証は、かりにものごと使用を管理し指揮する特定の人々か、あるいはかれらにそれ が、じっさいに、それが仮定するようにおもわれるとおりでを貸すだれかほかの人々かの、収入からの節約の額に、正確 あるとしてさえ、きわめてあいまいなものとなるのである。 にひとしいにちがいない。もし、商人、手工業者、製造業者 第四に、農業者と農村労働者は、手工業者、製造業者、商が、この体系が想定しているらしいように、自然に、土地所 人とおなじく、倹約しないでは、かれらの社会のほんとうの有者と耕作者よりも、倹約と節約への気持をおおくもって、 収人、すなわち土地と労働の年々の生産物を、増加させるこ るならば、かれらは、そのかぎり、かれらの社会のなかで使 とはできない。 どんな社会でも、その土地と労働の年々の生用される有用労働の量、したがってそのほんとうの収入、す 産物は、ふたつのやりかたでのみ、増加させることができる。 なわちその土地と労働の年々の生産物を、増大させる可能性 第一に、そのなかでじっさいに維持される有用労働の生産力も、おおいのである。 におけるある改良によってか、第二に、その労働の量におけ 第五に、そしてさいごに、各国の住民たちの収入が、この るある増大によってかである。 体系が想定しているらしいとおりに、まったく、かれらの勤 て 有用労働の生産力における改良は、第一に、職人の能力の労がかれらにたいして確保しえた生活資料の量にあると、想 に改良に、第二に、かれがそれでしごとをする機械装置の改良定されたとしても、それでもなお、この想定にもとづいてさ 系に、依存する。ところで、農業者および農村労働者の労働に え、ある貿易と製造業の国の収入は、他のものごとがひとし くらべて、手工業者と製造業者の労働は、もっと細分するこ いとして、貿易または製造業をもたない国のそれよりも、つ 学 済とが可能であり、各職人の労働はもっと単純な操作に解消すねにはるかにおおきいにちがいない。貿易と製造業によっ て、ある特定の国に、それ自身の土地がそのじっさいの耕作 ることが可能であるから、それだけやはり、これらの種類の 政 改良をいすれも、すっと高度におこなうことが可能である。 の状態において提供しうるであろうよりも、おおくの量の生 だから、この点で、耕作者の階級は、手工業者と製造業者の活資料が年々輸入されうる。都会の住民たちは、しばしばか 階級にたいして、どんな種類の利点をも、もちえない。 れら自身の土地を所有しないとはいえ、かれらの勤労によっ て、かれらのしごとの原料だけでなくかれらの生計の資をも * 第一篇第一章をみよ。 どの社会においても、じっさいに使用される有用労働の量供給するだけの量の、他の人々の土地の粗生産物を、自分た

4. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

の点では、それらの奨励の効果は、輸出奨励金の効果とおなじ な目的に悪用されたことは、よくしられている。しかしなが である。それらによって、その国の資本の一部は、価格が費 ら、国内市場がかれらの財貨で供給過剰になるということ、 すなわち生産奨励金がときどきひきおこすかもしれぬ事態用を、資財の通常の利潤とともにつぐなわない財貨を、市場 は、これらすべての方策の偉大な発明者である商人と製造業にもたらすのに使用される。しかし、それらの漁業への奨励 者の、利益ではないのである。輸出奨励金は、かれらが余剰金は、国民の富裕に貢献しないにしても、おそらく、その船 部分を国外におくり、そして国内市場にのこるものの価格を員と船舶の数を増加させることにより、その防衛に役だつも ( 二八 ) つりあげておくのを、可能にすることによって、これを有効のとして、弁護されうるだろう。このことはしばしば、そう ( 三 0 ) いう奨励金によって、平時において常備軍とおなじゃりかた に阻止する。だから、それは、重商的体系のあらゆる方策の うちで、かれらがもっともこのむもののひとつである。あるで、わたくしがこういう表現をつかってよければ、一大常備 ワークス 特定の仕事場のさまざまな企業家たちが、かれらのあいだで海軍を、維持するよりも、ずっとちいさな費用でなされうる ひそかに協定して、かれらがとりあっかう財貨のうちの一定のである。 他のいくつかの奨励金は、おそらくおなじ原理にもとづい の割合の輸出にたいして、かれら自身のポケットから奨励金 て、弁護されうるだろう。王国がその防衛に必要な製造業に をあたえることにしているのを、わたくしはしっていた。こ ついてその隣人たちに依存するのを、できるだけすくなくす の方策はたいへん成功して、そのために、それは、生産にお けるたいへん顕著な増大にもかかわらす、国内市場でのかれることは、重要であり、もしこれらの製造業がそうでなけれ ば、国内で維持されえないならば、それらを支持するために らの財貨の価格を、二倍以上にした。穀物にたいする奨励金 の作用は、もしそれがその商品の貨幣価格をひくめたとすれ他のすべての部門の産業が課税されても、妥当である。アメ リカからの船用塗料の輸人、ブリテン製の帆布、ブリテン製 ば、ふしぎにもちがったものであったにちがいない。 の火薬にたいする、奨励金は、おそらく三つとも、この原理 しかしながら、生産奨励金のようなものが、ある特定のば にもとづいて擁護されうる。第一のものは、グレート・ブリ あいには交付されてきた。塩づけ鰊や捕鯨にたいしてあたえ テンで使用されるための、アメリカの生産物にたいする、奨 いくらかこの性質をもつものと、 られた奨励は、おそらく、 想定されうるであろう。それらの奨励は、直接にはその財貨励金である。他のふたつは、輸出奨励金である。 奨励金とよばれるものが、ときにはもどし税にほかなら を、国内市場で、そうでないばあいにじっさいの生産の状態 ( 二四 ) においてなるであろうよりも、やすくする傾向がある。ほかす、したがって、ほんらいの奨励金であるものとおなじ反対 ( 二三 ) ( ニ七 ) ( 一一五 )

5. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

8 いなもののようにおもわれ、費用のかかる奢侈の方が、かれ 増大させるよりもむしろ減少させることになる。おおきな資 の境遇のゆたかさにふさわしいようにおもわれる。だが、お 本にたいするちいさな利潤の方が、一般に、ちいさな資本に たいするおおきな利潤よりも、おおきな収入を提供する。独おきな商業資本の所有者たちは、必然的に、あらゆる国民の 産業全体の、指導者であり指揮者である。そして、かれらの 占は、利潤の率をひきあげるが、しかしそれは利潤の額が、 それがないばあいにたかまったであろうところまで、たかま実例は、他のどんな人々の階層のそれよりもはるかにおおき な影響を、あらゆる国民のうちの勤労的な部分の全体の、生活 るのをさまたげる。 態度にたいしてもっている。職人は、もしかれを使用するも 収人のすべての根源的なみなもと、すなわち、労働の利 のが細心で倹約であるならば、やはりそうなることが、きわ 潤、土地の地代、および資財の利潤を、独占は、それがない ばあいになったであろうよりも、豊富さのすくないものとすめてありがちである。しかし、もし主人がしまりがなく無秩 る。一国における一小階層の人々の、ちいさな利益を促進す序であれば、自分の製品を主人が指示する模範にしたがって かたちづくる、召使〔使用人〕は、かれの生活をもまた、主 るために、それは、その国の他のすべての階層の人々の利益、 および他のすべての国のすべての人々の利益を、きすつける人がかれにしめす実例におうじてかたちづくるであろう。こ のである。 うして、蓄積は、蓄積をする性向がほんらいはもっともおお い人々の手で、阻止され、そして、生産的労働の維持にあて 通常の利潤率をひきあげることによってのみ、独占は、あ られた基金は、ほんらいはそれをもっともよく増加させるべ るひとつの特定階層の人々にとって有利であることを、じっ さいに明したのだし、あるいは証明することができたはずき人々の収入から、なんの増加をもうけないのである。その なのである。だが、高利潤率の必然的けつかとしてすでにの国の資本は、増大するどころか、徐々に縮小していく。そし べておいたような、その国一般にたいするあらゆるわるい効て、そこで維持される生産的労働の量は、日に日にすくなく なっていく。カディスとリスボアの商人たちの、途方もない 果にくわえて、ひとつの、おそらくこれらすべてをいっしょ ーニヤとポルトガルの資本を、増加させてきた にしたよりも致命的な、しかもわれわれがもし経験から判断利潤が、エスパ していいならば、それと不可分にむすびついている、わるい だろうか。それらの利潤が、そのふたつの乞食のような国の、 効果がある。高利潤率は、どこにおいても、べつの状況では貧困を軽減してきたであろうか。産業を促進してきたであろ 商人にとって自然な性格である、倹約を、破壊させるように うか。そのふたつの貿易都市の商人の支出の調子は、それら おもわれる。利潤がたかいばあいには、あの謹厳な徳はよけの途方もない利潤が、その国の資本一般を増加させるどころ サーヴァント

6. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

う。その間に、人々は、もっともたえがたい租税のあるもの消費税は、人々の数および税率に比して、イングランドにお から、すなわち生活必需品あるいは製造業の原材料にたいしけるよりも徴収がすくない。麦芽にたいする税率は、品質の て課せられている諸租税から、すくわれるであろう。こうし相違が考えられるためにことなっている。消費税のこれら特 て労働貧民は、よりよく生活し、よりやすく仕事をし、かれ定の部門においては、密売買はどちらがおおいということは らの財貨をよりやすく市場におくることを可能とされるであないと、わたくしはおもう。醸造所にたいする税と関税の大 ろう。かれらの財貨のやすさは、それらにたいする、またし部分とは、課税商品の消費のよりちいさいことだけでなく、 たがってそれらをつくりだす人々の労働にたいする需要を増密売買の容易さがよりおおきいことのために、それぞれの国 大させるであろう。労働にたいする需要のこの増加は、・労働 における人々の数に比して、イングランドよりもスコットラ 貧民の、数を増大させ境遇を改善するであろう。かれらの消 ンドにおいて徴収額はすくない。アイアランドにおいては、 費は増大するであろうし、またそれとともに、租税が存続す下層階級の人々はスコットランドにおけるよりもなおますし ることをゆるされるかれらの消費諸物品すべてから生じる収く、また国のおおくの部分がほとんど人口が稀薄である。そ 入も、増大するであろう。 れゆえ、アイアランドにおいては、課税商品の消費は、人々 しかしながら、この租税制度から生じる収入は、その制度の数に比して、スコットランドにおけるよりもなおすくなく、 また密売買の容易さはほとんどおなじである ? アメリカおよ のもとにおかれる人々の数に比例してただちに増大するとは かぎらないであろう。いぜんには慣行としてなかった諸負担び西インドにおいては、白人は、最下層でさえ、イングラン て のもとにおかれる帝国の諸属州にたいして、しばらくは、 ドにおけるおなじ階層の人たちよりよい境遇にあり、また かれらが通常享受しているすべての奢侈品の消費は、おそ におおきな寛容が当然であろうし、また同一の租税ができるか らくはるかにおおきい。大陸における南部諸植民地および 収ぎり正確にどこででも課せられるようになるばあいでさえ、 ーよ、人々の数に比例した収入をかならずしもどこでも西インド諸島の住民の大部分をしめている黒人は、どれい状 家諸属廾ー うむとはかぎらないであろう。まずしい国では、関税と消費態にあるから、なるほど、疑いもなく、スコットランドある いはアイアランドのいずれかにおけるもっともまずしい人々 五税とをかけられる主要商品の消費は、ひじようにちいさいし、 第 よりわるい境遇にある。しかしながら、われわれは、そのた 人口のすくない国では、密売買の機会がひじようにおおきい めに、かれらの食物はよりわるいとか、あるいは適度の税を スコットランドの下層階級の人々における麦芽酒の消費は、 . ひじようにちいさく、また麦芽、ビール、エールにたいする課せられる諸商品のかれらの消費は、イングランドにおける

7. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

ウ・デッカーその他の著作者によって、過度で不適当な課税る。ところがこの大海軍力は、それらの戦争のいずれにおい 様式、労働の高価格、奢侈の増大、等々のなかにもとめられても、航海条例によるものではありえなかった。それらのう てきたが、その諸原因のすべては植民地貿易の過度の成長のちの最初の戦争のあいたに、その条例の計画がちょうどっく なかに、みいだすことができる。グレート・ブリテンの商業られたばかりだった。そして、第二の戦争がはじまるまえに、 資本は、きわめておおきいとはいえ無限ではないのだし、まそれは法的権威によって完全に制定されていたとはいえ、そ た、航海条例いらいおおいに増大したとはいえ、それでも植れのどの部分もまだ、なにかとるにたりる効果をうみだすた 民地貿易とおなじ比率で増大したのではないから、その貿易めの時間を、もっことができなかった。そして、諸植民地と の排他的貿易を樹立した部分は、とくにそうであった。当時 は、他の貿易諸部門からその資本のある部分をひきぬくこと なしには、つまり、したがってそれらの他の部門のある衰退は諸植民地もそれらの貿易もともに、現在と比較すれば、と なしには、とうていいとなまれえないであろう。 るにたりなかった。ジャマイカ島は、不健康な荒地で、わす かしか住民がなく、さらにわすかしか耕作されていなかっ イングランドは、一大貿易国であったということに、注意 ヨークとニュ ジャージーは、オランダ人の すべきである。その商業資本は、航海条例が植民地貿易の独た。 占を樹立するまえどころか、その貿易がたいへん重要なもの占有下にあったし、サン・クリストファーの半分は、フラン ス人の占有下にあった。アンティーガ島、両カロライナ、ペ になるまえにも、ひじようにおおきかったし、なお日に日に おおきくなる可能性があったのである。クロムウエルの統治ンシルヴェニア、ジョージア、およびノーヴァ・スコーシア のあいだの、対オランダ戦争において、イングランドの海軍は、植民されていなかった。ヴァージニア、メリランドおよ びニュ ー・イングランドは、植民されていた。そして、それ はホラント〔オランダ〕のそれにまさっていた。チャールズ二 世の治世のはじめに勃発した対オランダ戦争においては、そらはおおいに繁栄しつつある植民地ではあったが、それでも れはすくなくとも、フランスとホラント〔オランダ〕の連合海おそらくその当時のヨーロツ。 ( にもアメリカにも、それらが 軍と対等であったし、おそらくまさっていた。その優越性そのときいらい、富と人口と改良においておこなった急速な は、おそらく、現在では、そのときよりおおきいとは、ほと 進歩を、予見したもの、あるいはすくなくとも、そうなりは んどおもわれないであろう。すくなくとも、オランダの海軍しないかとうたがったものは、ひとりもなかった。ようする ーベイドーズ島だけが、当時のその状態が現在のそれと が、オランダの商業にたいして、その当時たもっていたのと いくらかでもにている、唯一の、ブリテンのとるにたりる植 おなじ比率を、いまでもたもつものとしたならば、そうであ

8. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

要をこえるであろうような、諸部分にたいして、とおくはあって、ふるい市場から生産物を、ふるい業務から資本を、ひ るがおおきい、ひとつの市場をひらくことである。植民地貿きぬくのである。植民地貿易におけるわれわれのわけまえ 易は、その自然で自由な状態においては、それらの市場にこを、そうでないばあいになったであろうよりも増加させるこ れまでおくられたことのある生産物のうちの、どんな部分も とが、その独占の公然たる目的である。もし、その貿易にお それらからひきぬかずに、グレート・ブリテンがその剰余をけるわれわれのわけまえが、独占がないばあいになったであ ひきつづき増大させるように刺激するのであって、その剰余ろうよりも、おおきくないということになれば、独占を樹立 と交換にあたらしい諸等価物をひきつづき提供することによする理由はありえなかったであろう。しかし、他の諸貿易の って、そうするのである。植民地貿易はその自然で自由な状大部分よりも回収が、ゆるやかで時間がかかる一貿易部門 態においては、グレート・ブリテンにおける生産的労働の量 に、どこの国であれその国の資本のうちの、おのずからその を増大させることになるが、そこでまえに使用されていた生部門へいくであろうよりもおおきな部分を、おしこむものは 産的労働の方向を、どんな点においても変更しはしない。植すべて、必然的に、そこで年々維持される生産的労働の全体 民地貿易の自然で自由な状態においては、他のすべての国民の量と、その国の土地と労働の年々の全生産物を、そうでな の竸争が、あたらしい市場においてもあたらしい職業にお、 いはあいになるであろうよりも、すくないものとする。それ ても、利潤率がふつうの水準をこえて上昇することを、さま は、その国の住民たちの収入を、自然に上昇するであろうよ たげるであろう。あたらしい市場は、ふるい市場からなにも りも、ひくくおさえつけ、そうすることによって、かれらの ひきぬくことなしに、それ自身に供給するためのあたらしい 蓄積力を減少させる。それはあらゆるときに、かれらの資本 生産物を、もしそういっていいならば、創造するであろう。 が、さもないばあいに維持したであろうほどの大量の生産的 そして、そのあたらしい生産物は、あたらしい業務をいとな労働を、維持することをさまたげるだけでなく、かれらの資 むための、あたらしい資本をかたちづくるであろう。あたら本が、さもないばあいに増大したであろうほどに急速に、増 しい業務もまた、おなじようにして、ふるい業務からなにも大することをさまたげ、そして、したがって、さらに大量の びきぬかないであろう。 生産的労働を維持することを、さまたげるのである。 反対に、植民地貿易の独占は、他の諸国民の競争を排除す しかしながら、植民地貿易の自然的ないい諸効果は、グレ ることによって、また、それにより利潤率をあたらしい市場 ート・ブリテンにとって、独占のわるい諸効果を相殺してあ においてもあたらしい業務においても、ひきあげることによ まりがあり、そのために、独占とその他すべてをふくめてこ

9. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

な租税にたよらざるをえなかった。公共の収入のかなりの解におもわれる。しかしながら、この理由から、グレート・プ リテンが、いかなる負担をも維持できるとあわてて結論して 放が実現されるまえにはじめられ、その進行のうちにさきの もならないし、あるいはグレート・ブリテンが、すでににな 戦争ほど高価になる次の戦争は、不可抗的な必然性により、ブ ーニヤわされているものよりわずかおおきいだけの負担を、たいし リテンの租税制度をホラントのそれ、あるいはエス。ハ た困難なしに、ささえることができると、あまりに自信をも のそれとさえおなじていどに重苦しくするであろう。実際、 っことさえ、ならないのである。 われわれの現在の租税制度にとって名誉なことに、それはこ 国債がひとたび一定のていど蓄積されると、公正かっ完全 れまで、勤労にたいしてひじようにわすかな困惑しかあたえ にそれらが支はらわれた例は、ひとつもないと、わたくしは なかったから、もっとも高価な戦争のあいだでさえ、個人の 倹約と善良な行動とは、貯蓄と蓄積とにより、政府の浪費と信じている。公共の収入の解放は、とにかく実現されたこと 乱費とが社会の総資本につくったすべての破れ目を補修する があるとしても、つねに破産により、ときとして公一一 = 口された ことができたようにおもわれる。グレート・。フリテンがこれ破産により、しかしつねに、たとえいつわりの支はらいによ までたたかったもっとも高価な戦争であるさきの戦争のおわるばあいがしばしばであっても真の破産により、実現された りのときに、いぜんとおなじように、その農業は繁栄し、製ものである。 鋳貨の名目のひきあげは、真の公共的破産が、いつわりの 造業は多数かっ完全に操業しており、また商業は広範であっ た。それゆえ、産業活動のそれらすべての部門を支持してい 支はらいの外観のもとでまぎらわされるもっともふつうの手 て 段であった。たとえは六ペンスが、議会の法令あるいは勅令 た資本は、いぜんに存在した量と等しかったにちがいない。 っ により一シリングの名目にひきあげられ、また二十個の六。へ 平和以来、農業はさらにいっそう改良されたし、家賃は国の ンスがイングランド正貨一ポンドの名目にひきあげられれ 収すべての町や村で騰貴し、これらは人々の富と収入との増加 ば、古い名目のもとで二十シリングあるいは銀をほ、ほ四オン 家の証拠であった。また古い租税の大部分、とくに消費税およ 国 ス借りたものは、あたらしい名目のもとでは二十個の六シリ び関税の主要部門の年々の量は、持続的に増大してきてお 篇 り、これも消費の増大、したがってその消費をそれだけが支ングあるいは二オンス以下で、償還するであろう。グレ 五 第 ト・ブリテンの、長期公債化されたものもされないものもす 持することのできる生産の増大の、おなじく明瞭な証拠であ 、、、勺一意一一千八百万ポンド 3 る。グレート・ブリテンは、半世紀まえにはだれもささえる べてふくめた、負債の元本にち力し糸— こと鼻できるとは信じなかった負担を、容易に維持するよう の国債は、このようにしてわれわれの現在の貨幣の約六千四

10. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

ることがすくなかったにしても、ひとしく偉大なものであっ によれば、かれらは、日本人の実例をのぞけば、どこか他の たとおもわれる。したがって、双方の国は、ときとして飢饉 国民の実例によって自己を改良する機会を、ほとんどもたな いのである。 にみまわれるけれども、たいへんな肥沃さをもって有名だっ たのである。両者はともに、きわめて人口がおおかったけれ 古代エジプトの政策もまた、そしてインドスタンのジェン トウー政府のそれも、他のあらゆる職業にたいしてよりも農ども一応の豊年には、ともに大量の穀類を、近隣に輸出する ことができた。 業にたいして、好意的であったとおもわれる。 古代エジ。フトにおいてもインドスタンにおいても、国民の 古代エジプト人は、海にたいする迷信的な嫌悪をもってい 全体がさまざまな身分や種族にわかれていて、そのおのおの た。そして、ジェントウーの宗教は、その帰依者たちが水上 は、父から息子へと、特定の一業務あるいは一種類の業務で火をつけることも、したがってどんな食物を料理すること に、限定されていた。僧侶の息子は必然的に、僧侶であっ も、ゆるさないから、それは、かれらにたいして、あらゆる た。兵士の息子は兵士であり、労働者の息子は労働者であ遠洋航海を禁止するというけつかになる。エジプト人もイン り、織布業者の息子は織布業者であり、仕立屋の息子は仕立 ド人もともに、かれらの剰余生産物の輸出については、他の 屋である、等々であった。双方の国において、僧侶の身分は諸国民の航海に、ほとんどまったく依存していたにちがいな て 最高の階級とみなされ、兵士のそれは、そのつぎであり、そ 。そしてこの依存性が、市場を局限したにちがいないし、 にして双方の国において、農業者と労働者の身分は、商人およ同様に、この剰余生産物の増大をさまたげたにちがいない び製造業者の諸身分に優越していた。 それはまた、粗生産物の増大よりも、製造品の増大の方を、お っ おきくさまたげたにちがいない。製造業は、土地の粗生産物 双方の国の政府は、とくに、農業の利害に注意ぶかか のうちのもっとも重要な部分よりも、はるかにひろい市場を 済た。エジプトの古代の主権者たちによって、ニール河の水の 適切な分配のために、建設された諸施設は、古代において有必要とする。ひとりの靴屋は、年に三百足以上の靴をつくる 政 名であったし、それらのうちの若干のものの荒廃した遺跡であろうし、かれの家族はおそらく、六足をはきつぶしはし ないであろう。だから、かれが、かれ自身のような家族のす は、いまなお旅行者たちの称讃するところである。インドス 四 タンの古代の主権者たちによって、ガンジス河の水を他のおくなくとも五十からなる顧客を、もつのでなければ、自分自身 の労働の全生産物を処置しえないであろう。もっとも数のお おくの河の水と同様に、適切に分配するために建設された、 おなじ種類の諸施設は、前者にくらべれば、ほめたたえられおい手工業者の階級でさえも、おおきな国では、そのなかに ランク カスト