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検索対象: 世界の大思想15 スミス 国富論<下>
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1. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

アンファンデイド・デット である。それは、借りることの容易さをみこして、それゆ グレート・ブリテンの一時借人金とよばれるものは、そ え、貯蓄する義務からみすからを解放する。 れらふたつの方法のうちまえの方法により契約される。それ 社会の未開状態においては、おおきな商業資本あるいは製は、一部は、次のような負債、すなわち、なんら利子を生ま 造業資本はない。いかなる金額にせよ、たくわえることので ないか、あるいは利子を生まないと考えられ、そして個人が きる貨幣をすべて退蔵し、その退蔵金をいんとくする諸個人貸借勘定により契約する負債ににている負債であり・また一 は、政府の司法行政についての不信から、すなわち、かれらが、部は、利子を生み、そして個人が為替手形あるいは約東手形 により契約するものににている負債である。異常な業務のた もし、退蔵金をもっていることと、その退蔵金がどこにみい めにか、あるいは準備がなされていないか、またはおこなわ だされうるかとが、しられるならば、すばやく略奪されるで あろうというおそれから、そうするのである。ものごとのこれるときに支はらわれない業務のために、とうぜんな負債、 のような状態においては、異常な緊急事のさいに政府に貨幣すなわち陸軍、海軍および軍需品の特別手当の一部、外国諸 をかすことができる人々は、ごくわずかしかいないであろう王侯にたいする補助金の支はらい遅延、船員給与の支はらい し、またよろこんでそうする人はだれもいないであろう。主遅延などは、通例、第一の種類の負債となる。ときとしてこ 権者は、このような緊急事にたいして貯蓄することによりそのような負債の一部の支はらいのために、またときとして他 なえなければならないとかんじる。なぜならかれは、借りるこ の目的のために発行される海軍手形および大蔵省証券は、第 とが絶対不可能であることを予想しているからである。この 二の種類の負債となる。大蔵省証券は、発行される日から、 て 予想が、さらにいっそう、かれの生来の貯蓄心を増大させる。海軍手形は発行後六か月のちに、利子を生む。イングランド っ 銀行は、任意に、それらの手形を時価で割引くことによって 現在ヨーロッパのすべての大国民を抑圧し、そしてついに か、あるいは一定の手数料で大蔵省証券を流通させること、 収はおそらく破減させるであろうとおもわれる、巨大な負債の 家進行は、ほぼ一様であった。諸国民は、個人と同様、負債のすなわちその証券を額面価格でうけとり、たまたま支はらい 国 支はらいのためになんらかの特定の基金を譲渡あるいは抵当期限にきている利子を支はらうことを、政府と協定すること にいれることなく、個人的信用とよばれうるものにもとづい により、それらの価値を維持し流通を容易にし、そしてそれに 五 第 て、一般に借りはじめたのであった。そして、この方策が諸よってしばしば、政府がこの種のひじように多額な負債を契 国民の役にたたなかったとき、かれらは、特定の基金の譲渡約することができるようにする。銀行がないフランスでは、 あるいは抵当権設定によって借りることにすすんだ。 国債はときとして、六〇パーセントおよび七〇パーセントの

2. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

の点では、それらの奨励の効果は、輸出奨励金の効果とおなじ な目的に悪用されたことは、よくしられている。しかしなが である。それらによって、その国の資本の一部は、価格が費 ら、国内市場がかれらの財貨で供給過剰になるということ、 すなわち生産奨励金がときどきひきおこすかもしれぬ事態用を、資財の通常の利潤とともにつぐなわない財貨を、市場 は、これらすべての方策の偉大な発明者である商人と製造業にもたらすのに使用される。しかし、それらの漁業への奨励 者の、利益ではないのである。輸出奨励金は、かれらが余剰金は、国民の富裕に貢献しないにしても、おそらく、その船 部分を国外におくり、そして国内市場にのこるものの価格を員と船舶の数を増加させることにより、その防衛に役だつも ( 二八 ) つりあげておくのを、可能にすることによって、これを有効のとして、弁護されうるだろう。このことはしばしば、そう ( 三 0 ) いう奨励金によって、平時において常備軍とおなじゃりかた に阻止する。だから、それは、重商的体系のあらゆる方策の うちで、かれらがもっともこのむもののひとつである。あるで、わたくしがこういう表現をつかってよければ、一大常備 ワークス 特定の仕事場のさまざまな企業家たちが、かれらのあいだで海軍を、維持するよりも、ずっとちいさな費用でなされうる ひそかに協定して、かれらがとりあっかう財貨のうちの一定のである。 他のいくつかの奨励金は、おそらくおなじ原理にもとづい の割合の輸出にたいして、かれら自身のポケットから奨励金 て、弁護されうるだろう。王国がその防衛に必要な製造業に をあたえることにしているのを、わたくしはしっていた。こ ついてその隣人たちに依存するのを、できるだけすくなくす の方策はたいへん成功して、そのために、それは、生産にお けるたいへん顕著な増大にもかかわらす、国内市場でのかれることは、重要であり、もしこれらの製造業がそうでなけれ ば、国内で維持されえないならば、それらを支持するために らの財貨の価格を、二倍以上にした。穀物にたいする奨励金 の作用は、もしそれがその商品の貨幣価格をひくめたとすれ他のすべての部門の産業が課税されても、妥当である。アメ リカからの船用塗料の輸人、ブリテン製の帆布、ブリテン製 ば、ふしぎにもちがったものであったにちがいない。 の火薬にたいする、奨励金は、おそらく三つとも、この原理 しかしながら、生産奨励金のようなものが、ある特定のば にもとづいて擁護されうる。第一のものは、グレート・ブリ あいには交付されてきた。塩づけ鰊や捕鯨にたいしてあたえ テンで使用されるための、アメリカの生産物にたいする、奨 いくらかこの性質をもつものと、 られた奨励は、おそらく、 想定されうるであろう。それらの奨励は、直接にはその財貨励金である。他のふたつは、輸出奨励金である。 奨励金とよばれるものが、ときにはもどし税にほかなら を、国内市場で、そうでないばあいにじっさいの生産の状態 ( 二四 ) においてなるであろうよりも、やすくする傾向がある。ほかす、したがって、ほんらいの奨励金であるものとおなじ反対 ( 二三 ) ( ニ七 ) ( 一一五 )

3. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

感じさせることによって、かれらがもし価格のやすさにそそ 生する価格なのだ、ということである。 のかされて、季節のほんとうの欠乏に適応しているよりも急 第二に、それは、穀物が人民に損害をあたえるほどに先買 いされそうな、すなわち、同一市場でまもなくふたたびうる速に消費したばあいに、たしかに感じるであろうようにきび しく、それらの不便をあとになって感じるのを、予防するの ためにかいきられそうな、一定の価格があると想定する。し かし、もしある商人が、特定の市場にい「て、あるいは特定である。欠乏がほんとうであるばあいには、人民のためにな されうる最善のことは、それの諸不便を、その年のさまざま の市場にあって、かりにも穀物をかいきり、それをまもなく な月、週、日のすべてにわたって、できるだけひとしく分割 同一市場でふたたびうろうとするならば、そのわけはかなら ず、かれが、その市場が季節の全体にわた「て、その特定のすることである。穀物商人の利害関心は、かれができるかぎ り正確にこのことを目ざすようにする。そして、他のどんな 機会のように豊富には供給されえないと、判断し、したがっ て価格がまもなく上昇するにちがいないと、判断するからで人間も、かれがするようにそれを正確にするための、おなじ 利害関心、あるいはおなじ知識、あるいはおなじ能力を、も ある。もしかれが、この判断をまちがえるならば、またもし 価格が上昇しないならば、かれは自分がこのようにして使用ちえないのであるから、商業のこのも 0 とも重要な操作は、 しし、刀 する資財の、全利潤をうしなうだけでなく、その資財自体のま「たくかれにゆだねられるべきである。あるいは、 て 一部分を、穀物の貯蔵と保存に必然的にともなう費用と損失えるならば、穀物商業は、すくなくとも国内市場の供給にか っ によ「て、うしなうのである。したが「て、かれは、その特んするかぎり、完全に自由に、放任されるべきである。 かいしめと先買いとについての、一般化した恐怖は、魔法 体定の市場日に特定の人々が調達するのをさまたげるかもしれ についての一般化したおそれとうたがいに比較されうる。こ の「なしが、その人々にたとえ損害をあたえることがありうると のあとの犯罪について非難された不幸な気のどくな人々は、 灑しても、それよりもはるかに本質的な損害をかれ自身にあた 経 えるのであ 0 て、な。せなら、その人々は、あとで、いつでも他前者について非難された人々におとらす、かれらのせいにさ 政 の市場日に、ちょうどそれだけやすく調達しうるだろうかられた災難について罪がなか「たのである。魔法にたいするす 蹶である。かれがただしく判断するならば、人民の大集団に損べての迫害を終了させた法律、隣人をその想像上の犯罪につ いて非難することによって自分自身の悪意を満足させること 害をあたえるかわりに、かれはかれらに、きわめて重要な奉 が、だれにもできないようにした法律は、それらの恐怖とう 仕を提供するのである。かれは、そうでないばあいにかれら たがいを、それらをそそのかし支持したおおきな原因を除去 が感じうるよりもいくらかはやく、払底の諸不便をかれらに

4. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

う。したがって、なにか論証らしいことをうまくやるには、 の増大は、まったく、それを使用する資本の増大に依存する かれらがじっさいにやったように、自己を表現することが必 にちがいない。そして、その資本の増大はまた、その資本の 要だったのである。そうすればこの論証は、かりにものごと使用を管理し指揮する特定の人々か、あるいはかれらにそれ が、じっさいに、それが仮定するようにおもわれるとおりでを貸すだれかほかの人々かの、収入からの節約の額に、正確 あるとしてさえ、きわめてあいまいなものとなるのである。 にひとしいにちがいない。もし、商人、手工業者、製造業者 第四に、農業者と農村労働者は、手工業者、製造業者、商が、この体系が想定しているらしいように、自然に、土地所 人とおなじく、倹約しないでは、かれらの社会のほんとうの有者と耕作者よりも、倹約と節約への気持をおおくもって、 収人、すなわち土地と労働の年々の生産物を、増加させるこ るならば、かれらは、そのかぎり、かれらの社会のなかで使 とはできない。 どんな社会でも、その土地と労働の年々の生用される有用労働の量、したがってそのほんとうの収入、す 産物は、ふたつのやりかたでのみ、増加させることができる。 なわちその土地と労働の年々の生産物を、増大させる可能性 第一に、そのなかでじっさいに維持される有用労働の生産力も、おおいのである。 におけるある改良によってか、第二に、その労働の量におけ 第五に、そしてさいごに、各国の住民たちの収入が、この るある増大によってかである。 体系が想定しているらしいとおりに、まったく、かれらの勤 て 有用労働の生産力における改良は、第一に、職人の能力の労がかれらにたいして確保しえた生活資料の量にあると、想 に改良に、第二に、かれがそれでしごとをする機械装置の改良定されたとしても、それでもなお、この想定にもとづいてさ 系に、依存する。ところで、農業者および農村労働者の労働に え、ある貿易と製造業の国の収入は、他のものごとがひとし くらべて、手工業者と製造業者の労働は、もっと細分するこ いとして、貿易または製造業をもたない国のそれよりも、つ 学 済とが可能であり、各職人の労働はもっと単純な操作に解消すねにはるかにおおきいにちがいない。貿易と製造業によっ て、ある特定の国に、それ自身の土地がそのじっさいの耕作 ることが可能であるから、それだけやはり、これらの種類の 政 改良をいすれも、すっと高度におこなうことが可能である。 の状態において提供しうるであろうよりも、おおくの量の生 だから、この点で、耕作者の階級は、手工業者と製造業者の活資料が年々輸入されうる。都会の住民たちは、しばしばか 階級にたいして、どんな種類の利点をも、もちえない。 れら自身の土地を所有しないとはいえ、かれらの勤労によっ て、かれらのしごとの原料だけでなくかれらの生計の資をも * 第一篇第一章をみよ。 どの社会においても、じっさいに使用される有用労働の量供給するだけの量の、他の人々の土地の粗生産物を、自分た

5. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

379 訳注 かれらに干渉して、有力な保護をあたえることもできるように、は からうことが必要であろう。戦争または同盟の目的では公使をお く必要がすこしもなかった諸外国に、商業上の利害がしばしば、 そうすることを必要にした。トルコ会社の商業が、はじめてコン スタンティノボリスに常駐の大使をおかせた。イングランドがロ シアへはじめて使節を派遣したのも、まったく商業上の利害から であった。こういう利害が必然的にヨーロッパのさまぎまな国民 のあいだにひきおこした不断の酌突が、おそらくすべての隣接諸 国に、平時でも常駐する大使や公使をおく慣行をつくりだしたの であろう。とおい昔にはしられていなかったこの慣行がうまれた のは、十五世紀末か十六世紀初頭、つまり、商業がはじめてヨーロ ツ。ハ諸国民の大部分にひろがりはじめ、かれらがはじめてその利 害に注意をむけた時代よりも、ふるくはないようにおもわれる。 ある特定の商業部門を保護するのに必要な、特別の費用が、そ の特定の部門にたいするある穏当な課税でまかなわれるべきだと いうことは、不当とはおもわれない。すなわち、たとえば、商人 がその特定の部門にはじめて参加するとき支はらわなければなら ない穏当な料金とか、あるいは、これよりも公平なのだが、かれ らが特定の取引相手国へ輸入したり、そこから輸出したりする財 貨にたいして何パーセントかを課する特別な関税とかに、よるの である。貿易一般を海賊や掠奪者から保護することが、最初の関 税制度をつくりだしたといわれている。しかし、もし貿易一般を 保護する費用をまかなうために、貿易にたいして一般的な税を課 すことが妥当だと考えられたのならば、それとおなじように、特 定の商業部門を保護する特別の費用をまかなうには、その部門に 特定の税を課すことが、妥当だとみなくてはならない。 貿易一般の保護は、これまでつねに、国家の防衛にとって不可 欠であり、それゆえに、行政権力の義務の欠かせぬ部分だとみな されてきた。したがって、一般的関税の徴収と使用は、つねにこ の権力にゆだねられてきた。しかし、ある特定の貿易部門の保護、 は、貿易の一般的保護の一部分であり、したがって、この権力の 義務の一部分である。そこで、もし諸国民がつねに首尾一貫して 行動したとすれば、そのような特定の保護のために課される特定 の関税も、おなじように、その権力の処分につねに委ねられるべ きであったであろう。ところが、他のおおくの点とおなじよう に、この点においても、諸国民はかならずしも首尾一貫して行動 しはしなかった。そして、ヨーロッパ商業国家の大部分では、特 定の商人たちの諸会社「組合〕が立法府を説得して、主権者の義 務のなかのこの部分の履行を、それと必然的にむすびついている すべての権限とともに、かれらにゆだねさせてしまった。 これらの会社は、国家が実行することを有利とは考えなかった 実験を、自費でおこなうことによって、いくつかの商業部門をは じめておこしたという点では、おそらく有用であったのだろう が、しかしながいあいだには、一般にわずらわしいものか、無用 なものになってしまって、その貿易をやりそこなうか、制限して しまうかした。 これらの会社が合資制で貿易をするのではなく、適当な資格が ある人なら、だれでも一定の加人金の支はらいと会社の諸規制に したがう約東とを条件に参加することをゆるし、各成員が自分自 身の資本で、また自己の危険負担において貿易するのを認めるこ とになっているならば、これは制規会社とよばれる。それらが、 合資制で貿易をやり、各成員が各自の出資持分に比例して共同の ンヨイント・ストック 損益にあずかるならば、これは合資〔株式〕会社とよばれる。制 規会社であっても、合資会社であっても、そういう会社は、排他

6. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

年々の生産物のほんとうの価値を、増大させるかわりに減少な一個人あるいは少数の個人の利益でもけっしてありえない させる。 ものであって、なぜなら、その利潤は、。 とんな一個人あるい は少数の個人の費用をも、けっしてはらいもどすことはでき したがって、優先の体系であれ抑制の体系であれ、すべて ないであろうからである。ただし、それはしばしば、ひとっ がこうして完全に除去されるならば、明白で単純な自然的自 のおおきな社会にたいしては、はらいもどす以上のことを、 由の体系が、おのすから樹立される。各人は、かれが正義の 諸法をじゅうりんしないかぎり、かれ自身の利益をかれ自身することがあるのである。 のやりかたで追求するままに、完全な自由にゆだねられ、か 主権者の、それらの若干の義務の適切な遂行は、必然的 れの勤労と資本を他のどんな人または人々の階級と競争させ に、一定の費用を想定する。そしてこの費用はまた必然的 ることも、完全な自由にゆだねられる。主権者は、つぎのよ に、それをささえる一定の収入を、必要とする。した。 うなひとつの義務から、完全に解除されるのであって、その て、つぎの篇でわたくしは、つぎのことを説明しようとっと 義務とは、それを遂行しようとくわだてれば、かれは無数の めるであろう。第一に、なにが主権者または国家の必要な諸 欺瞞につねにさらされるにちがいないし、それの適切な遂行費用であるか、それらの費用のうちでどれが、全社会の一般 のためには、人間のどんな知恵または知識も、けっして十分的貢献によってまかなわれるべきであるか、それらのうちで ではありえないものであって、すなわち、私人たちの勤労をどれが、その社会のある特定の部分だけの、すなわちある特 監督する義務、およびそれをその社会の利益にもっとも適し定の成員の貢献によってまかなわれるべきか。第二に、社会 た業務にふりむける義務である。自然的自由の体系にもとづ全体にかかる諸費用をまかなうのに、全社会が貢献させられ けば、主権者は、三つの義務だけに注意すべきである。三つうるさまざまな方法はなんであるか、それらの方法のそれぞ の義務は、おおきな重要性をもつにはちがいないが、しかし、 れがもつ、主要な利点と不便はなんであるか。そして第三に、 ふつうの理解力にとっては、平明でわかりやすいものであほとんどすべての近代の政府を、この収入のある部分を抵当 る。第一に、その社会を、他の独立の諸社会の暴力と侵入に にいれたり、債務契約をむすんだりさせた諸理由および諸原 たいして、保護する義務、第二に、できるかぎり、その社会因はなんであるか。そして、その社会のほんとうの富、土地 の各成員をそれの他の各成員の不正または抑圧から、保護すと労働の年々の生産物にたいする、それらの債務の効果はな る義務、第三に、一定の公共事業と一定の公共施設を設立しんであったか。したがって、つぎの篇は、とうぜん、三つの 維持する義務である。それらを設立し維持することは、どん章に分割されるであろう。

7. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

153 に優越する。常備軍においては、兵士の性格が、他のあらゆなかで兵士がそれぞれ個別的に、かれらの武器の使用におい る性格に優越する。そして、この区別のなかに、軍事力のそて最大の技倆と手ぎわをもっていたばあいであった。身体の つよさと敏捷さとが、最高の重要性をもっていて、ふつうは れらのふたつのちがった種類のあいだの、本質的なちがいが 戦闘の運命を決定した。しかし、かれらの武器の使用におけ あるようにおもわれる。 る、この技倆と手ぎわは、剣可が現在そうやって取得される 民兵には、 いくつかのちがった種類のものがあった。ある 国々においては、国家を防衛すべくさだめられた市民たちのとおなじく、おおきな団体のなかにおいてではなく、各人 がべつべつに、特定の学校で特定の教師のもとで、あるいは、 は、訓練をうけていただけで、編隊ーーといっていいならば されることはなかったらしい。つまり、分離独立した諸かれ自身の特定の同輩や仲間とともに、練習することによっ 部隊にわけられて、そのおのおのが、それ自身の固有で永続てのみ取得されえたのである。火器の発明以後は、身体のつ よさと敏捷さ、あるいは武器の使用における非常な手ぎわと 的な将校たちのもとで、訓練を実行したのではなかったらし 。古代のギリシャとローマの諸共和国では、各市民は、家技倆でさえも、なんの重要性もないどころではないにして 庭にのこっていたかぎり、かれの訓練を、分離独立して、あも、しかしながら重要性がすくないのである。その兵器の性 るいは、かれの同胞のなかでかれがもっともこのむ人々とと質が、不器用なものを技倆あるものとおなじ水準におくので は、けっしてないとはいえ、かれを、まえにはけっしてそう もに、練習したらしく、かれが戦場に参加することをじっさ ではなかったほど、それに近づける。その兵器の使用に必要 いに要求されるまでは、どの特定の部隊にも配属されはしな かったらしい。他の国々では、民兵は、訓練をうけただけでなすべての手ぎわと技倆は、おおきな団体で練習することに よって、十分に取得されうると想定されている。 なく、編隊された。イングランドにおいて、スイスにおいて、 ツ。、の他のす 規則ただしさ、秩序、命令への即座の服従が、近代の軍隊 さらに、わたくしは信じるのだが、近代ヨーロ / においては、兵士たちがかれらの武器を使用する手ぎわや技 べての国において、なにかこの種の不完全な軍事力が樹立さ れてきたところでは、各民兵員は、平和なときでさえ、ひと倆よりも、戦闘の状態を決定するのに重要な性質である。し かしながら、火器の轟音、硝煙、それに各人が、大砲の射程 つの特定の部隊に配属されていて、その部隊は、それ自身の にはいるやいなや、しかもしばしば、戦闘がはじめられたと 固有で永続的な将校たちのもとで、その訓練を実行するので はとてもいえない、ずっとまえから、あらゆる瞬間に自己が ある。 火器の発明以前には、ある軍隊がすぐれていたのは、そのさらされていると感じている、みえない死とは、近代の戦闘

8. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

な市場である国内市場を、減少させることになり、そしてそ って自分たちをきわだたせることができないので、とうぜ うすることによって、さらに農業をさまたげる。 ん、かれらの衣服が多数で多様であることによって、そうし ようと努力するであろう。 したがって、農業を他のすべての業務に優先させて、それ を促進するために製造業と外国貿易に抑制を課する、諸体系 各国民の商業の最大で最重要な部門は、すでにのべておい たように、都会の住民と農村の住民とのあいだにいとなまれは、それらが企図する目的そのものと反対に、行為するので あり、間接には、それが促進しようとおもう種類の産業その るものである。都会の住民は農村から粗生産物をひきよせ、 それは、かれらのしごとの原料とかれらの生計の資との双方ものを、さまたげるのである。それらはおそらく、そのかぎ りで、重商的体系にさえもまさって、一貫性をかくのであ をなす。そしてかれらは、この粗生産物にたいして、それの る。あとの体系は、農業よりも製造業と外国貿易を奨励する 一定の部分を直接に利用するように製造し調製して、農村に ことによって、その社会の資本の一定部分を、有利な種類の おくりかえすことによって支はらう。それらのふたつのちが った組の人々のあいだにいとなまれる交易は、究極的に、一産業の支持から、有利性のすくない種類の産業の支持へ、ふ 定量の粗生産物が一定量の製造品と交換されることにある。 りむける。しかし、それでもそれは、じっさいに、終局的に まど、前者はやすい。そして、 だから後者がたかければたかいを は、それが促進しようとおもう種類の産業を、奨励する。反 て どこの国でも、製造品の価格をたかめることになるものはす対に、それらの農業的諸体系は、じっさいに、終局的に、そ にべて、土地の粗生産物の価格をひくめ、そうすることによっれら自身が支持する種類の産業を、さまたげるのである。 こうして、異常な奨励によって特定種類の産業へ、その社 体て農業をさまたげることになる。あるあたえられた量の粗生 いったであろうよりもおおき が産物、あるいは、おなじことになるが、あるあたえられた量会の資本のうちで自然にそこへ なわけまえを、ひきよせようと努力するか、あるいは、異常 済の粗生産物の価格が、購買しうる製造品の量がちいさければ な抑制によって特定種類の産業から、資本のうちで、さもな 治ちいさいほど、そのあたえられた量の粗生産物の実質価値は ちいさく、地主が土地の改良によって、農業者が土地の耕作ければそこで使用されたであろうあるわけまえを、むりにひ によって、その量を増大させるように奨励されることもすく きだそうと努力するかする、あらゆる体系は、じっさいは、 ないのである。そのうえ、どこの国においても、手工業者とそれが促進しようとおもう大目的を破壊するのである。それ 製造業者との数を減少させることになるものはなんでも、土は、その社会がほんとうの富と偉大さにむかって進歩するの 地の粗生産物にたいするすべての市場のなかでもっとも重要を、加速するかわりに阻止するのであり、その土地と労働の

9. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

税を支はらいうるようにすることによって、諸植民地の公収も、主権者の直接の眼下におかれていたのに、そのような連 営方式のもとにおくことができたのは、すなわち、かれら自 入の不足をつぐなうのだと、想定されていたことはたしかで ある。ところがこの独占は、わたくしがしめそうとっとめて身の国の政治的および軍事的な機関についてさえ、支持のた めの交付金について十分に寛大にすることができたのは、な きたように、諸植民地にたいするひじようにくるしい租税で あるとはいえ、そして、グレート・ブリテンにおける一特定がいあいだかかってのことであった。イングランドの議会に 階層の人々の収入を増大させうるにしても、その国民の大部かんしてさえも、そういう運営方式が確立されたのは、この政 分のそれを、増大させるかわりに減少させるのであり、その治的および軍事的な機関から生じる諸官職か、あるいはそれ らの官職の処分権かの、おおきな部分を議会の特定の議員た けつか、国民の大部分の、租税支はらい能力を、増大させる かわりに減少させるのである。独占によって収入を増大させちに分配することによってのみ、可能だったのである。しか られる人々はまた、一特定階層を構成していて、それにたい し、植民地諸集会の主権者の目からの距離、それらの数、そ して、他の諸階層にたいする比率をこえて課税するのは、われらのちらばった位置、それらの多様な構成は、それらをお たくしがつぎの篇でしめそうとっとめるであろうように、絶なじゃりかたで運営することを、たとえ主権者がそうするた 対的に不可能であるとともに、その比率をこえて課税しようめのおなじ手段をもっていたにしても、きわめて困難にする て っ とくわだてることさえも極度に拙劣なのである。した。 であろう。しかも、それらの手段は、欠如しているのだ。す にて、この特定の階層からは、なにも特別な財源をひきだすこ べての植民地集会のすべての指導的議員のあいだに、ブリテ とができない。 ン帝国の一般的統治から生じる諸官職あるいは諸官職の処分 諸植民地は、それら自身の集会〔議会〕か、グレート・ブ権の、わけまえを分配して、かれらがその国での人気を放棄 学 リテンの議会かによって、課税されうる。 して、帝国の一般的統治を支持するための税をかれらの選挙 済 シヴィル 植民地集会が、それら自身の政治的および軍事的な機関を人たちにかけようという、気持をおこさせるほどのことをす つねに維持するにたりるだけでなく、ブリテン帝国の一般的るのは、絶対的に不可能であろう。その一般的統治の諸利益 四統治の費用のうちの、かれらの正当なわりまえをも支はらうの、ほとんど全体が、選挙人たちにとってはみしらぬ人々 第にたりるだけの、公収入をそれらの選挙人たちから徴収するのあいだに、わけられることになっているのである。そのう 5 ように え、それらのさまざまな集会のさまざまな議員の、重要性の かりにも運営されうるということは、きわめて可能 性がおおきいとはおもわれない。イングランドの議会でさえ比較についての行政府の不可避的な無知、しばしばあたえら アセンプリ

10. 世界の大思想15 スミス 国富論<下>

353 訳注 がひきあげうるよりもずっとおおきく、ひきさげるほどになるで あろうと、かれらは想像するのである。 三 (ll) 〔このまえに、「追加と訂正」で次のふたつのパラグラフ がはいる。したがって、「わたくしはこたえる」が二度くりかえ されることになる。〕 わたくしはこたえる。奨励金によってひきおこされうる外国市 場の拡大は、どんなものであっても、それぞれの特定の年に、ま ったく国内市場のぎせいにおいてひきおこされうるのであって、 すなわち、奨励金という手段によって輸出され、奨励金がなけれ ば輸出されなかったであろう、どの一ブッシェルの穀物も、国内 市場にのこって消費を増大させ、その商品の価格を低下させるこ とになったであろうからである。穀物奨励金は、他のどんな輸出 奨励金ともおなじように、ふたつのちがった税を人民に課すもの だということに、注意すべきである。第一は、奨励金の支はらいの ために、かれらが納付せぎるをえない税であり、第二は、国内市場 におけるその商品の価格の上昇から生じる税であって、後者は、 人民の全体が穀物の購買者であるために、この特定の商品におい て、人民の全体によって支はらわれなければならないのである。 したがって、この特定の商品においては、ふたつのうちでは、こ の第二の税の方が、はるかに重い。年々を平均して、小麦一クオ ーターの輸出にたいする五シリングの奨励金が、国内市場でのそ の商品の価格を、それがないばあいに収穫のじっさいの状態にお いてそうなったであろうよりも、一ブッシェルでわずか六ペン ス、すなわち一クオーターで四シリングだけ、ひきあげると想定 しよう。このきわめてひかえめな想定にもとづいてさえ、人民の 大集団は、輸出される小麦の一クオーターごとに五シリングの奨 励金を支はらう税を、納付するだけでなく、そのうえに、べつの 四シリングを、かれら自身が消費する一クオーターごとに、支は らわなければならない。だが、穀物貿易についての諸論文の、き わめて事情につうじた著者によれば、輸出される穀物の、国内で 消費される穀物にたいする平均比率は、一対三十一をこえない。 だから、第一の税を支はらうためにかれらが納付する五シリング ごとに、かれらは第二の税を支はらうために六ポンド四シリング を納付しなければならない。生活の第一の必需品にたいする、こ のようにひじように重い税は、労働貧民の生計をひきさげるにら がいないし、そうでなければかれらの金銭的な賃銀をかれらの生 計の金銭的な価格の増大に比例して、いくらか増大させるにちが いない。それが一方の方向へ作用するかぎり、それは、労働貧民 がかれらの子どもたちを教育しそだてあげる能力を、ひきさげる にちがいなく、それだけその国の人口を抑制することになるにち がいよい。それが、もうひとつの方向へ作用するかぎり、それは、 貧民の使用者たちがそうでないばあいに使用しえたであろうほど の多数を、使用する能力をひきさげるにちがいなく、それだけそ の国の産業を抑制することになるにちがいない。したがって、 奨励金によってひきおこされる異常な穀物輸出は、それぞれの特 定の年において、外国市場と外国消費を拡大するのとまさにおな じだけ、国内のそれを減少させるのみならす、その国の人口と産 業を抑圧することによって、それの究極的傾向は、国内市場の徐 徐の拡大を妨害し抑制することにある。こうしてながいあいだに は、穀物の市場と消費の全体を、増大させるよりもむしろ減少さ せるのである。穀物の貨幣価格のこのひきあげは、しかしながら、 その商品を、農業者にとってまえよりも利潤のおおきいものとす ることによって、必然的に、それの生産を奨励するにちがいない と、考えられてきた。