しかしながら、ポルトガルの権力が没落していらい、どの たがって、この第二の種類の独占の背理性は、第一のものの ヨーロツ。ハ国民も、インドの諸海洋における排他的航海権をそれよりも、はるかに明白である。 主張したことはなく、それらの海洋の主要諸港は、いまでは これらの種類の独占はともに、その社会の資財の自然的分 すべてのヨーロッパ国民の船舶にたいして、開放されてい 配を、おおかれすくなかれ、くるわせる。だがそれらは、そ る。とはいえ、ポルトガルにおいては、またここ数年のあいだれをつねにおなじゃりかたで、くるわせるのではない。 はフランスにおいても、そうではないがヨーロッパの各国 第一の種類の諸独占は、つねに、独占が樹立される特定の において東インド貿易は、ひとつの排他的会社の支配下にお貿易に、その社会の資財のうちで、おのずからその貿易にい くであろうよりもおおきな部分を、ひきよせる。 かれてきた。この種の諸独占は、ほんらい、それらを樹立す るその国民自体に敵対して、設置されるのである。それによ 第二の種類の諸独占は、事情のちがいにおうじて、ときに って、その国民の大部分は、かれらの資財のある部分をふり は独占が樹立されている特定の貿易に資財をひきよせ、とき むけることがかれらにとって好都合であるかもしれない、ひ にはその貿易からそれをおいだす。ますしい国々では、それ とつの貿易から排除されるだけでなく、その貿易がとりあつらはとうぜんその貿易に、そうでなかったらそこにいくであ かう諸財貨を、もしそれがその国のすべての人に開放されてろうよりも、おおくの資財をひきよせる。富裕な国々では、 て いるとしたばあいよりも、いくらかたかくかうことを余儀なそれらはとうぜんその貿易から、そうでなかったらそこにい にくされる。たとえば、イングランド東インド会社の設立いら くであろう、かなりの資財を、おいだすのである。 体い、イングランドの他の住民たちは、その貿易から排除され たとえばスヴェーデンやダンマークのようにまずしい国々 éていることにくわえて、かれらが消費してきた東インドの諸は、おそらく、東インド貿易がひとつの排他的な会社の支配 学 済財貨の価格のなかにふくめて、つぎのものにたいして支はら下におかれていなかったならば、おそらくそこへ一隻の船さ えおくることは、けっしてなかったであろう。そういう会社 治わなければならなかった。すなわち、その会社が、かれらの 独占の帰結としてそれらの財貨についてもうけたであろう、 の設立は、必然的に、冒険家たちを奨励する。かれらの独占 叫すべての異常な利潤にたいしてだけでなく、そのような大会は、あらゆる競争者に対抗して国内市場をかれらに確保する 社の事務の運営からきりはなすことのできない詐欺と悪習し、かれらは外国諸市場については、他の諸国民の貿易業者 貰が、必然的にひきおこしたにちがいないすべての異常な浪費たちと、同一の機会をもつ。かれらの独占はかれらにたいし て、すくなからぬ量の財貨についてのおおきな利潤が、かく にたいしても、支はらわなければならなかったのである。し
の産業を、ほんのわずかでさえ増大させることなく、反対に う。もし利潤がおとるならば、商業的使用が土地の改良か 減少させて、そうするのである。 ら、資本をひきぬくであろう。したがって、商業利潤率をひ 独占は、その国の資本がある特定のときにどんな規模であぎあげるものはなんでも、改良の利潤の優位を減少させる るにしても、それが、独占のないばあいに維持するであろう か、劣位を増大させるかするのであり、はじめのばあいに ほどおおくの生産的労働の量を、維持することをさまたげる は、資本が改良におもむくのをさまたげ、あとのばあいに し、また、それが、独占のないばあいに提供するであろうほ は、資本をそれからひきぬく。だが、改良しようという気持 どおおくの収入を、勤労する住民に提供するのをさまたげる。 をおさえることによって、独占は必然的に、収入のもうひと ところで、資本は収入からの節約によってのみ増大させられつのおおきな根源的なみなもとである土地の地代の自然的な うるのだから、独占は、それがないばあいに資本が提供した増大をおくらせる。独占は利潤率をあげることによって、ま であろうほどおおくの収入を、提供するのをさまたげること た、市場利子率を、そうでなかったらなったであろうより によって、必然的に資本が、それがないばあいに増大するほ も、必然的にたかくしておく。だが、提供する地代に比例す ど急速に増大するのを、さまたげ、そしてそのけつか、資本る土地の価格、すなわち、土地にたいしてふつうに支はらわ が、さらに一層おおきな量の生産的労働を維持し、さらに一 れる何年分かの収益相当価格は、利子率が上昇すれば必然的 て 層おおきな収人をその国の勤労する住民たちに提供するの に下落し、利子率が下落すれば必然的に上昇する。だから、 にを、さまたげる。そこで、収入のひとつのおおきな源泉であ独占は、地主の利益を、ふたつのちがったやりかたで、きす しつでも、それがないば 觴る労働の賃銀を、独占は必然的に、、 つけるのであって、第一には、かれの地代の自然的増大をお 輯あいより、ゆたかさのすくないものとしたにちがいない。 くらせることによって、第二には、かれの土地が提供する地 マーカンタイル 学 済 商業利潤率をひきあげることによって、独占は土地を改代に比例して、かれが自分の土地とひきかえに手にいれるで 治良しようという気をおこさせない。改良の利潤は、土地がじあろう価格の、自然的増大をおくらせることによって、そう っさいに生産しているものと、一定の資本の適用によってそするのである。 四の土地が生産するようになりうるものとの、差に依存する。 たしかに独占は、商業利潤率をたかめはするし、それによ 第 もしこの差が、ひとしい資本から、どんな商業的使用におい って、われわれの商人たちのもうけを、いくらか増加させは てひきだしうるよりも、おおきな利潤を提供するならば、土する。しかし、それは資本の自然的増大をさまたげるので、 地の改良は、あらゆる商業的使用から資本をひきぬくであろその国の住民たちが資財の利潤からひきたす収入の、総額を
さいしてはらいもどされるとしても、もどし税を正当化する たらすのにとくにてきしていると、想定されたのである。し かしながら、仲継貿易はたしかに特別の奨励にあたいするもであろう。このばあいにはたしかに、消費税収入はいくらか のではないとはいえ、またその制度の動機は、おそらく、完損失をうけるし、関税収入は、それよりずっとおおく損失を うけるであろう。しかし、つねにおおかれすくなかれそうい 全におろかなものであったとはいえ、その制度自体は、十分 う税によって攪乱される、産業の自然的均衡、労働の自然的 に妥当なものであるとおもわれる。そういうもどし税は、こ な分割と分配は、そういう規制によって、再建にちかづくで の貿易に、その国の資本のうちで、輸入税がまったくなかっ あろう。 たら自発的にそこへいったであろうよりもおおきな部分を、 しかしながら、これらの理由がもどし税を正当化するの 力すくでいれることはできない。それらはただ、そういう関 は、まったくの外国で独立している諸国に輸出される財貨に 税によってそれがまったく排除されるのを、阻止するにすぎ かんしてのみであって、われわれの商人と製造業者が独占を ない。仲継貿易は、優先させるにはあたいしないとはいえ、 さまたげられてはならす、他のすべての貿易と同様に、自由享受している諸国に、輸出される財貨にかんしてではないで に放任しておくべきである。それは、その国の農業にも製造あろう。たとえば、ヨーロッパの財貨の、われわれのアメリ 業にも、その国の国内商業にも消費むけ外国貿易にも、業務カ植民地への輸出にかんする、もどし税は、それなしに生じ たであろうよりもおおきな輸出を、かならすしもつねにひき をみいだしえない資本にとって、ひとつの必要な方策である。 税関の収入は、そういうもどし税のために害をうけることおこしはしないであろう。われわれの商人と製造業者がそこ なく、関税のうちで保留される部分だけ、利益をえる。もで享受している独占によ「て、たとえ全関税が保留されたと し、全関税が保留された〔はらいもどされない〕ならば、それしても、おそらく、同一の量がそこへおくられることが、し ばしばあるであろう。したがって、もどし税は、貿易の状態 らが支はらわれる外国財貨は、市場がないために、めったに 輸出されえなかったであろうし、したがって輸入されえなかをかえることも、どんな点でそれを拡大することもなしに、 消費税および関税の収人にとって、しばしばまったくの損失 ったであろう。だから、その一部が保留される関税は、けっ となりうるのである。そういうもどし税が、われわれの植民 して支はらわれなかったであろう。 これらの理由は、もどし税を正当化するのに十分であると地の産業の、適切な奨励として、どこまで正当化されうる おもわれるし、たとえ全関税が、国内産業の生産物にたいすか、あるいは、植民地が、かれらの他のすべての同胞臣民が るものであれ外国財貨にたいするものであれ、つねに輸出に支はらう税を免除されるということが、母国にとってどこま トレード
要をこえるであろうような、諸部分にたいして、とおくはあって、ふるい市場から生産物を、ふるい業務から資本を、ひ るがおおきい、ひとつの市場をひらくことである。植民地貿きぬくのである。植民地貿易におけるわれわれのわけまえ 易は、その自然で自由な状態においては、それらの市場にこを、そうでないばあいになったであろうよりも増加させるこ れまでおくられたことのある生産物のうちの、どんな部分も とが、その独占の公然たる目的である。もし、その貿易にお それらからひきぬかずに、グレート・ブリテンがその剰余をけるわれわれのわけまえが、独占がないばあいになったであ ひきつづき増大させるように刺激するのであって、その剰余ろうよりも、おおきくないということになれば、独占を樹立 と交換にあたらしい諸等価物をひきつづき提供することによする理由はありえなかったであろう。しかし、他の諸貿易の って、そうするのである。植民地貿易はその自然で自由な状大部分よりも回収が、ゆるやかで時間がかかる一貿易部門 態においては、グレート・ブリテンにおける生産的労働の量 に、どこの国であれその国の資本のうちの、おのずからその を増大させることになるが、そこでまえに使用されていた生部門へいくであろうよりもおおきな部分を、おしこむものは 産的労働の方向を、どんな点においても変更しはしない。植すべて、必然的に、そこで年々維持される生産的労働の全体 民地貿易の自然で自由な状態においては、他のすべての国民の量と、その国の土地と労働の年々の全生産物を、そうでな の竸争が、あたらしい市場においてもあたらしい職業にお、 いはあいになるであろうよりも、すくないものとする。それ ても、利潤率がふつうの水準をこえて上昇することを、さま は、その国の住民たちの収入を、自然に上昇するであろうよ たげるであろう。あたらしい市場は、ふるい市場からなにも りも、ひくくおさえつけ、そうすることによって、かれらの ひきぬくことなしに、それ自身に供給するためのあたらしい 蓄積力を減少させる。それはあらゆるときに、かれらの資本 生産物を、もしそういっていいならば、創造するであろう。 が、さもないばあいに維持したであろうほどの大量の生産的 そして、そのあたらしい生産物は、あたらしい業務をいとな労働を、維持することをさまたげるだけでなく、かれらの資 むための、あたらしい資本をかたちづくるであろう。あたら本が、さもないばあいに増大したであろうほどに急速に、増 しい業務もまた、おなじようにして、ふるい業務からなにも大することをさまたげ、そして、したがって、さらに大量の びきぬかないであろう。 生産的労働を維持することを、さまたげるのである。 反対に、植民地貿易の独占は、他の諸国民の競争を排除す しかしながら、植民地貿易の自然的ないい諸効果は、グレ ることによって、また、それにより利潤率をあたらしい市場 ート・ブリテンにとって、独占のわるい諸効果を相殺してあ においてもあたらしい業務においても、ひきあげることによ まりがあり、そのために、独占とその他すべてをふくめてこ
的特権をもっこともあるが、もたないこともある。 制規会社は、あらゆる点で、ヨーロッパのすべての国々の大小 コーレーション の都会にごくふつうにみられる諸営業の同業組合に、にているの であって、これと同種の、いっそう拡大した独占体ともいうべきも のである。どんな都会の住民も、かれがまず同業組合の自由権を 取得していなければ、組合がつくられている営業をすることがで きないが、それとおなじように、どんな国民も、制規会社の設立さ れているある部門の外国貿易をいとなむには、たいていのばあい に、まずその会社の成員になっていなければ、合法的にそうする ことができない。この独占の厳格さのていどは、加人条件の困難 のていどおよび会社の重役たちのもっている権限の大小、すなわ ら、かれらがその貿易の大部分を、かれら自身とその特定の友人 たちとに制限してしまうように管理する力をどのていどもってい るか、ということに依存する。最古の制規会社では、その徒弟の 特権は、他の同業組合のばあいとおなじであって、会社の一成員の ところで年期を勤めあげたものは、なにも加入金を支はらわない で、もしくは、他の人々からとりたてられるものよりもはるかに すくない加入金を支はらうだけで、みずから成員になる資格をあ たえられた。すべての制規会社においては、法がとりしまらない ばあいにはどこでも、通例の同業組合的精神がひろがっている。 それらがその自然の本質にしたがって行為することをゆるされて いたばあいには、それらはつねに、競争をできるだけ小人数に制 限するために、その貿易を、おおくのわずらわしい規制のもとに おこうとっとめた。こうすることを法がとりしまると、それらは まったく無用でとるにたりないものになってしまった。 グレート・プリテンに現存する外国貿易のための制規会社は、 今日ふつうハンプルク会社とよばれている旧冒険商人会社、ロシ ア会社、イーストランド会社、トルコ会社、およびアフリカ会社 である。 ハンプルク会社への加入条件は、いまではまったく 容易だとい われており、その重役たちはその貿易を、なにかあるわずらわし い制限ないし規制のもとにおく権限をもっていないか、もしく は、すくなくとも、最近ではその権限を行使しなくなってしまっ てした。これまではかならずしもつねにそうではなかった。前世 紀のなかごろに加入金は五十ポンドであったし、一時は百ポンド であった。そして、この会社の運営は、はなはだしく圧制的だと いわれていた。 一六四三年、一六四五年および一六六一年に、イ ングランド西部の毛織物業者および自由〔独立〕貿易業者は、 その会社が貿易を制限してこの国の製造業を圧迫する独占業者だ と、議会に不平を申したてた。これらの不平の申したてによって は、議会の法律がうまれはしなかったけれども、これはおそらく、 この会社をおどして、理事たちにその運営を改めさせるほどの効 果をあげたようである。すくなくとも、それ以来、かれらにたい する不平はきかれなくなったのである。ウィリアム三世の第一〇 年および第一一年の法律第六号で、ロシア会社への加入金は五ポ ンドにひきさげられ、チャールズ二世の第二五年の法律第七号 で、イーストランド会社への加入金は四十シリングにひきさげら れたが、同時に、スヴェーデン、ダンマーク、ノールウェイなどす べてのバルト海北岸の諸国は、それらの会社の排他的特許状から 除かれることになった。それらの会社の運営が、おそらくこうい う二つの議会の法律を制定させたのであろう。それいぜんに、ジ ョサイア・チャイルド卿は、この両会社およびハンプルク会社がき わめて圧制的だと主張し、そのそれぞれの特許状に含まれる諸国 にたいして、当時われわれがいとなんでいる貿易の状態が不振で
373 訳注 十二ポンドの重さのなめし皮につき、一ハンドレッド・ウェイト あたりわすか一シリングという少額の税を支はらうことにより、 この独占からまぬがれることとなった。かれらは同様に、かれら の製品をそれ以上加工せずに輸出したときにも、それに課せられ た物品税の三分の二のはらいもどしをうけることとなった。なめ し皮製品はすべて無税で輸出しうるし、輸出者はさらに消費税の 全額のはらいもどしをうけることができる。牧畜業者はいまなお ふるい独占におさえられつづけている。牧畜業者は相互にはな れ、農村のさまざまな地方のすべてに分散しているので、同胞市 民に独占をおしつけたり、あるいはほかの人々からおしつけられ た独占からのがれたりするために、団結することがきわめて困難 なのである。あらゆる種類の製造業者は、すべての大都市に多数 の集団をなしてあつまっているので、容易に団結することができ る。家畜の角笛さえ輸出を禁止されている。そしてこの点では、 角笛業者と櫛製造業者というふたつの些細な営業が、牧畜業者に たいする独占を享受しているのである。 完成品ではなく、半加工品の輸出を、禁止あるいは関税で抑制 することは、皮革製造業にかぎられたことではない。ある財貨を すぐ使用し消費できるようにするために、まだなにか手をくわえ なければならないかぎりは、われわれの製造業者はかれら自身で それをやるべきだと考えている。羊毛織糸やウーステッドは、羊 毛とおなじ刑罰をもって輸出を禁止されている。白布さえ、輸出 税をかけられており、そのかぎり、われわれの染色業者は、われ われの織布業者にたいして、独占をえているのである。われわれ の織布業者はおそらくこの独占にたいしてみすからを守りえたで あろうけれども、じっさいには、たまたまわれわれの主要な織布 業者の大部分は、同様に染色業者でもあるのである。懐中時計の 外側、柱時計の外側、柱時計や懐中時計の文字盤は、輸出を禁止 されている。われわれの柱時計や懐中時計の製造業者は、この種 のしごとの価格が、外国の競争によって、かれらにたいしてたか められることを、このまないようにおもわれる。 エドワード三世、ヘンリ八世、エドワード六世のいくつかのふ るい条例によって、金属の輸出はすべて禁止された。ただ鉛と錫 だけが除外されたが、これはおそらくこれらの金属がたいへん豊 富なためであろう。当時、この王国の貿易のかなりの部分は、こ れらの金属の輸出からなっていたのである。鉱業を奨励するため に、ウィリアムおよびメアリ第五年第一七号の法律は、プリテン の鉱石による鉄、銅、および可鍛鋼を、この禁止から除外した。 のちに、ブリテン産のみでなく外国産のものも、銅棒はすべて、 ウィリアム三世第九年第一〇年第二六号の法律によって、輸出を 許可された。未加工の真鍮、いわゆる砲金、鐘金、台所道具金属・ の輸出はいまなお禁止されている。真鍮の加工品はすべて無税で 輸出することができる。 製造業原料の輸出は、完全に禁止されていないばあいには、お おくのばあい、たかい関税をかけられている。 ジョージ一世第八年第一五号の法律により、グレート・プリテ ンの生産物または製造品で、それいぜんの条例により課税されて た全財貨の輸出は免税となった。しかし以下の財貨は除外され た。すなわち、明ばん、鉛、鉛鉱石、錫、なめし皮、緑ばん、石 炭「梳毛機、白毛織物、とたん、あらゆる種類のうすい皮、にか わ、兎の毛、野兎の毛、あらゆる種類のながい毛、馬、および黄 . 色酸化鉛。このうち馬をのぞけば、これらはすべて製造業原料、 または半製造品 ( これはさらに製造されるための原料と考えてい い ) 、または営業用具である。この条例は、それらのものを、
て、最大の損害をうけやすい。それがかれにたいして一般に されるよりもおおきな量の勤労が、穀物を生産するのに年々 かきたてる憤慨によってだけでなく、かれがこの憤慨のけっ使用される。さらに、それがまず地中からでてくるとき、そ かをまぬかれるにしても、それが季節のおわりに必然的にかれは必然的に、他のどんな商品のばあいよりもおおきな数の、 れの手にのこす穀物の量によって、そうなるのであり、かれ所有者のあいだに分割される。そしてこれらの所有者はけ はその穀物の量を、もしつぎの季節がたまたま順調だとわか っして、多数の独立製造業者のようにひとつの場所にあつめ れば、かれがそうでないばあいにえたであろうよりも、ずつ ることが、できないのであって、かれらは必然的に、農村の とひくい価格で、つねにうらなければならないのである。 さまざまな地方のすべてにわたって、散在している。これら カンパニ たしかに、もし商人たちの一大組合が、ひとつの広範な国のさいしょの所有者は、かれら自身の近隣の消費者たちに直 の全収穫を、自分たちで所有することが可能であるならば、 接に供給するか、あるいはかれらが他の内陸取引商に供給し、 オランダ人がモルッカ諸島の香料についてやっているといわ後者がそれらの消費者に供給する。したがって、穀物の内 れるように、それをとりあっかって、それの相当な部分を破陸取引商たちは、農業者と製パン業者をふくめて、必然的に、 棄しまたはなげすてることによって、のこりの部分の価格を他のどんな商品の取引商よりも、数がおおいし、そしてかれ らがちらばっている状況は、かれらがなにかの一般的結合を 維持するのが、おそらくかれらの利益であろう。しかしなが ら、穀物についてそのように広範な独占を樹立するのは、法つくることを、まったく不可能にする。だから、ある凶作の っ 律をおかしてさえも、めったに可能ではない。そして、法律年に、かれらのうちのだれかが、季節がおわるまえに時価で が商業を自由にしているところではどこでも、穀物はすべて処分することを期待しうるよりも、かなり多量の穀物をもっ の商品のなかで、その大部分をかいとる少数大資本の力によていることがわかったとすると、かれは、この価格を維持し の 済てかいしめられたり独占されたりすることが、もっともあてかれ自身の損失と、かれの敵である競争者だけの便益とを もたらそうとは、けっしてしないで、あたらしい収穫がはい 治りえないものなのである。その価値が、少数の私人の資本が 政 ってくるまえにかれの穀物をさばいてしまうために、ただち 購買しうるところを、はるかにこえているだけでなく、もし かれらの資本がそれを購買しうると想定しても、それが生産に価格をひきさげるであろう。だれかひとりの取引商の行動 第 されるしかたが、この購買をまったく実行不可能なものとすをこうして規制するであろうものと、同一の動機、同一の利 る。それはあらゆる文明国において年々の消費がもっともお害関心が、他のすべての取引商の行動を規定し、かれらすべ おきい商品であるから、他のどんな商品を生産するのに使用てが一般に、かれらの最善の判断によってその季節の豊凶に
ら排除されたこと、国のある部分から他の部分への財貨の輸運営がそれであって、その裁判の連営は、もっともつまらぬ 送にたいする、さらに一層不当な課税によって、国内市場をプリテン臣民の諸権利をも、もっとも上流の臣民にとって尊 せまくしたこと、しかしすべてにまさって、つぎのような、 敬すべきものたらしめ、また、各人にかれ自身の勤労の成果 無原則で不公平な裁判の運営が、それである。すなわち、その安全を保証することによって、あらゆる種類の勤労にたい の裁判はしばしば、富裕で権力ある債務者を、かれによって して、最大でもっとも効果的な奨励をあたえるのである。 侵害をうけた債権者の訴追にたいして保護するのであり、そ しかしながら、もしグレート・ブリテンの諸製造業が、じ してまた、国民のうちの勤労的な部分が、高慢高位の人々の っさいにまちがいなくそうしたように、植民地貿易によって 消費のための財貨を、調達するのをおそれるようにするので 前進してきたとすれば、それは、その貿易の独占によってで ある。かれらは、そういう人々にたいして、信用でうるのをはなく、独占にもかかわらず、そうなったのである。独占の 拒否することができないし、しかも返済についてはまったく 効果は、グレート・ブリテンの諸製造品の量を増加させるこ あてにできないのである。 とではなく、それらのうちの一部の質と形態をかえることだ 反対に、イングランドでは、植民地貿易の自然のいい諸効 ったのであり、また、そうでなければ、回収の度数がおおく 果が、他の諸原因によってたすけられて、おおきな程度にお間隔がみじかい市場に適応させられていたであろうものを、 いて、独占のわるい諸効果を克服した。それらの原因は、つ回収の速度がおそく間隔がおおきい市場に、適応させること ブリテンの ぎのものであるとおもわれる。すなわち若干の拘東があるに であった。したがってそれの効果は、グレート・ もかかわらず、他のどんな国にくらべても、すくなくともひ資本の一部分を、一層おおきな量の製造産業を維持したであ としく、おそらくはまさっている、貿易の一般的自由。国内ろう使用から、ずっとすくない量を維持する使用へふりむ 産業の生産物であるほとんどあらゆる種類の財貨を、無関税け、そうすることによって、グレート・ブリテンにおいて維 で、ほとんどどんな外国へも、輸出することの自由と、さら持される製造産業の全体の量を、増大させるかわりに減少さ せることであった。 にそれよりおそらく重要なのは、それらを、われわれ自身の 国のどの部分から、他のどんな部分へでも、どんな公共の役 だから、植民地貿易の独占は、重商的体系の、他のあらゆ 所へのどんな説明も義務づけられることなく、どんな種類のるいやしく悪意ある方策と同様に、他のすべての国の産業、 とくに主として諸植民地の産業をおとろえさせるものであ 尋問や検査をうけることもなく、輸送できるという、無制限 り、しかも、それの設定によって支持をあたえられるべき国 の自由。だが、すべてにまさって、あの平等で公平な裁判の
が、航海条例いごしばらくのあに維持するのに、貢献した。 民地であった。イングランド 、、フリテンの資本のうち 植民地貿易の独占は、グレート。 いだにわたってさえ、一部分しか享受しなかった、諸植民地 いったであろうよりもおおきな部分 で、おのすからそこへ との貿易 ( なぜなら航海条例は、制定後何年かたつまでは、 ひじようにきびしく実施されはしなかったから ) は、その当を、必然的にその貿易へひきよせ、それとともに、すべての 時は、イングランドのおおきな貿易の原因でも、その貿易に外国資本のしめだしによって必然的に、その貿易に使用され る資本の全体の量を、自由貿易のばあいに自然になったであ よってささえられた大海軍力の原囚でも、ありえなかった。 その当時、大海軍力をささえた貿易は、ヨーロッパとの貿易ろうよりも、ひくいところにひきさげた。しかし、貿易のそ の部門における諸資本の競争を減少させることによって、そ であり、地中海をかこむ諸国との貿易であった。しかし、グ レート・ブリテンが、現在、その貿易のうちで享受しているれは必然的に、その部門における利潤率をひきあげた。さら に、他のすべての貿易部門におけるブリテンの諸資本の竸争 わけまえでは、とてもそういう大海軍力をささえることがで ぎないであろう。諸植民地との成長しつつある貿易が、すべを、減少させることによって、それは必然的にそれらの他の ての国民にたいして自由なままにしておかれたならば、その部門のすべてにおけるブリテンの利潤率をひきあげた。航海 うちでグレート・ブリテンの手に帰したであろうわけまえ条例の樹立いらいの、どの特定の時期においても、グレ て ト・ブリテンの商業資本の、状態または規模がどのようなも は、どんなものであろうともすべて、それがまえに所有して っ いたこのおおきな貿易への、追加であったにちがいない。そのであったにしても、植民地貿易の独占は、その状態のつづ くかぎり、ブリテンの利潤の通常の率を、ブリテンの貿易の 体して、おそらく、たいへんおおきなわけまえが、その手に帰 のしたとおもわれるのである。独占のけつかとして、植民地貿その部門と他のすべての部門との双方において、それがない 学 ばあいにそうなったであろうよりもたかいところへ、ひきあ 済易の増大は、グレート・ブリテンがまえにもっていた貿易に 経 こ、するおおきな追加をひきおこしたというよりも、その方げたにちがいない。もし航海条例の樹立いらい、プリテンの 治オし 政 利潤の通常の率が、たしかにじっさいそうであったように、 向における完全な変化をひきおこしたのである。 かなりさがったとすれば、それは、その条例によって樹立さ 四第二に、この独占は必然的に、ブリテンの貿易のさまざま 第 な部門のすべてにおいて、利潤率を、すべての国民がプリテれた独占がそれをたかめておくのに貢献しなか 0 たならば、 さらにひくくさがったにちがいない ンの諸植民地にたいする自由貿易をゆるされたとした、はあい だが、どこの国においても、利潤の通常の率を、それがな に、それが自然にそうなったであろうよりも、たかいところ
したがって、一七七三年の規定は、この会社のインドでの統治 の乱脈をおわらせなかった。同社は、一時的に善行をする気分に なって、そのあいだに一時は、カルカッタの金庫にイングランド 正貨三百万以上をあつめたにもかかわらず、また、その後、インド のもっとも富裕で肥沃な地方のうちの若干の広大な接収地域にた いする、同社の支配もしくは掠奪を拡張したにもかかわらす、す べては浪費され、うしなわれてしまった。同社は、ハイデル・ア リの襲撃を阻止ないしこれに抵抗する準備がまったくないこと に気づいた。これらの乱脈のけつか、この会社は現在 ( 一七八四 年 ) 未曽有の困難に直面している。さしせまった破産を阻止する ために、それはもう一度、政府の援助を襃願するところにおいこ まれている。諸党派によって、その業務の管理を改善するため の、さまぎまな提案が、議会に提出されてきた。だが、これらす べての提案は、たしかにいつも十分あきらかであったこと、すな わち同社がその所有する領土を統治するにはまったく不適当だと いうことを、想定する点で一致しているようにおもわれる。この 会社自身でさえも、そこまでの能力はないと自覚しているようで あって、そのために、すすんで、それらの領土を政府にたいして 手ばなそうとしているようである。 遠方の未開の国々で要塞や守備隊をもっ権利には、それらの国 国で和戦をする権利が、かならすむすびついている。前者の権利 をもっていた合資会社は、たえず後者の権利を行使してきたし、 またしばしば、それらの会社に明示的に授与されたその権利をも っていた。それらの会社がふつうそれを行使するにあたって、ど れほど不正で、どれほど気ままで、どれほど残酷であったかは、 最近の経験から、あまりにもよくしられている。 商人たちの会社が、自己の危険負担と費用で、ある遠方の未開 国民とあたらしい貿易をはじめようとくわだてたばあいに、かれ らを合資会社として団体化し、かれらが成功したばあいにある一 定の年数にわたる貿易の独占権をあたえることは、不合理ではな いであろう。かれらは、危険で費用のかかる実験をあえてくわだ てたのであり、その利益をあとで公共がかりとちはずなのだか ら、そうするのが、それにたいして国家がむくいることのできる もっとも容易で、もっとも自然な方法なのである。この種の一時 的な独占権は、あたらしい機械のおなじような独占権がその発明 者にあたえられ、あたらしい書物のそれがその著者にあたえられ るのとおなじ原理にもとづいて、擁護することができる。しか し、この期間の満了のさいには、むろん独占はおわらなければな らない。要架および守備隊は、それを設置する必要があるとわか ったばあいには、政府の手にうっされて、その価値がこの会社に 支はらわれなければならないし、そして、この貿易はその国家の あらゆる臣民に開放されなければならない。永久的な独占がゆる されれば、他のすべての臣民は、二つのことなる仕方で、ひじよ うに不合理に税をかけられることになる。すなわち、第一は、諸 財貨の高価格である。自山貿易のばあいには、かれらはこれより もはるかにやすくそれらをかうことができたであろう。第二は、 かれらの多数にとっては、それをいとなめば使宜でもあり、有利 でもあったはずの事業部門から、かれらが完全に排除されること である。そのうえ、こうして、かれらが税をかけられるのは、す べての目的のなかで、もっとも無価値なことのためなのである。 それはただ、この会社が自社の使用人の怠慢、浪費および汚職を 援助することを可能にするためのものでしかない。だが、その使 用人たちの乱脈な行状は、この会社の配当が、まったく自山にな っている貿易の通常利潤率をこえることをめったにゆるさない