税の停止を必要にした特別のばあいには、輸出がつねに禁止もっている。そしてそれは、完全な自由からはほどとおいと された。したがって、この法体系によって、仲継貿易は事実はいえ、ヨーロ " ノ。ハの他のどの部分においてとも、おなじく 上、あらゆるばあいに禁止されたのである。 自由であるか、それより自由である。 だから奨励金の設置とむすびついているその法体系は、そ グレート・ブリテンの最大の繁栄と改良の時期は、奨励金と れにあたえられてきた賞讃のどんな部分にも、あたいしない むすびついている法体系より、あとのことであったとはいえ、 ようにおもわれる。あのようにたびたびそれらの法律に帰せわれわれは、その理由でそれを、それらの法律のせいにすべ られてきた、グレート・ブリテンの改良と繁栄は、きわめてきではない。それは、おなじように、国債よりあとであった。 容易に、他の諸原因によって説明されうる。グレート・ブリ だが、国債はきわめてかくじつに、それの原因ではなかった。 テンにおける法律が各人にあたえている、各人はかれ自身の 奨励金とむすびついている法体系は、エスパ ーニヤおよび 労働の成果を享受すべきだという安全保証は、それだけで、 ポルトガルの政策と正確に同一の傾向、すなわちそれがおこ これらの、およびその他の二十の、背理的な商業諸規倒にも なわれる国における貴金属の価値を、いくらかひくめる傾向 かかわらす、どんな国でも繁栄させるに十分なのである。こをもつ。とはいえ、グレート・ブリテンはまちがいなく、ヨ の安全保証は、〔名誉〕革命によって完成されたのであって、 ーロッパでもっとも富裕な国のひとつであり、それにたいし て それは奨励金が設置されたのとほとんど同時であった。自分て = スパ ニヤとポルトガルはおそらく、もっとも貧乏な国 に自身の境遇を改善しようとする各個人の自然的努力は、自由にぞくする。しかしながら、この状況のちがいは、ふたつの と安全保証とをもって活動するにまかせられているばあい ちがった原因から、容易に説明されるであろう。第一に、金 ~ 諸は、ひじように強力な衝動〔原理」であ「て、そのために、 銀の輸出にたいするエスパ ニヤでの課税、ポルトガルでの それだけでなんのたすけもなしに、その社会を富と繁栄にい 禁止と、それらの法律の実施をみまもるゆだんのない警察と 治たらせることができるだけでなく、あまりにしばしばそれの は、双方で年にイングランド正貨六百万以上を輸入する、き 作用をじゃまする人間の法律のおろかさの、百個の僭越な障わめてまずしい二国において、穀物法がグレート・・フリテン 物碍をのりこえることができるのであって、これらの障碍の効で作用しうるよりも、も 0 と直接にというだけでなく、はる・ 果がつねに、おおかれすくなかれ、その自由を侵犯するか、 かに強力に、そこでのそれらの金属の価値をひきさげるよラ ポリシー その安全保証を減少させるかするにもかかわらず、そうなの に作用するにちがいない。そして第二に、このわるい政策は、・ インダストリ である。グレート・ プリテンでは、産業は完全な安全保証をそれらの国では人民の一般的な自由と安全保証とによって、
え、それでも、前者にたいしてなにか直接の、あるいは意図との調整と分配においてであれ、もっとも重要な改良のすべ 的な奨励をあたえたというよりも、むしろあとの諸業務を阻ては、自由人たちによって発見されてきた。ひとりのどれい 止したようにおもわれる。ギリシャの古代諸国家のうちのい が、この種のなにかの改良を、提案するとしよう。そうする くつかのものにおいて、外国貿易はまったく禁止されたし、 とかれの主人は、その提案を怠惰のあらわれ、そして主人の 他のいくつかのものにおいて、手工業者と製造業者の業務は、費用においてかれ自身の労働を節約しようという欲求のあら 人体のつよさとすばしこさとに有害だとみなされた。それにわれと、みなすことにひじようになりがちであろう。あわれ よって人体が、かれらの軍事的および体育的な訓練が人体の などれいは、報酬のかわりに、おそらくたいへんなののしり なかに形成しようと努力した諸習癖を、おこないえなくなるをうけるであろうし、なにかの処罰をうけるかもしれない。 からであり、そうなることによって人体が、戦争の苦難にた したがって、どれいによっていとなまれる製造業においては、 え危険にたちむかう能力を、おおかれすくなかれうしなうか 自由人によっていとなまれるそれよりも、一般におおくの量 らである。そういう生業は、どれいにのみふさわしいものと の労働が、おなじ量のしごとを遂行するのに、使用されたに みなされ、その国家の自由人はそれらをおこなうことを禁止ちがいない。その理由で、前者のしごとは、一般に後者のそ 、。ハンガリーの諸鉱山は、 された。そういう禁止がなかった諸国家においても、ローマれよりもたかかったにちがいなし て やアテナイにおいてのように、国民のおおきな集団は、じじそれらの近隣のトルコの諸鉱山にくらべて、豊富であるわけ ではないが、つねにすくない費用で、したがっておおきな利 につ上、現在ふつうに都会の下層の種類の住民によっておこな 体われている、すべての営業から除外された。そういう営業潤をもって、経営されてきたと、モンテスキュウ氏はのべて 諸 いる。トルコの諸鉱山はどれいをつかって経営されていて、 の は、アテナイとローマでは、すべて、富裕な人々のどれいた 学 トルコ人がかって使用するのをおも 済ちによってしめられていて、このどれいたちは、それをかれそれらのどれいの腕が、 いついた唯一の機械なのである。ハンガリー人の鉱山は、自 治らの主人たちの便益のためにおこない、主人たちの富と権力 と保護は、貧乏な自由人が、富裕な人のどれいたちと竸争す由人をつかって経営されていて、かれらはかなりの機械装置 四ることになったばあいに、かれのしごとの市場をみつけるこを使用し、それによってかれらは自分たちの労働を、容易にし 第 とをほとんど不可能にした。しかしながら、どれいたちが創省略するのである。ギリシャ人やローマ人の時代の製造品の 恥意にとんでいることは、きわめてまれである。そして、機械価格についてしられている、きわめてわずかなことから、上 装置においてであれ、労働を容易にし省略するような、しご等な種類のものが極端に高価であったと、おもわれるであろ
あたえることはすっと容易であるし、ふつうの人情から自然こんで餌とするように、命じたとき、皇帝はかれにたいし に、かれは、そうしたいという気持をもつ。為政者の保護て、そのどれいだけでなく、かれにぞくする他のすべてのど は、どれいを、かれの主人の目からみて、〔それがないばあい れいをも、ただちに解放せよと、激怒をもって命令した。共 よりも〕軽蔑すべきでないものとするのであって、主人は、 和政下においては、どんな為政者も、どれいを保護するに十 それによって、かれをみるのにまえよりおおくの尊敬をもっ分な権威をもちえたことはなく、ましてその主人を罰する権 てし、かれをとりあっかうのにまえよりおおくのおだやかさ威は、とてもなかった。 をもってするように、なってくる。おだやかな使用は、どれ フランスの砂糖諸植民地、とくにサント・ドミンゴの大植 いを、まえよりも誠実にするだけでなく、もっとものわかり 民地を、改良してきた資財は、ほとんどまったく、それらの よくするのであって、したがって、二重の理由で、有用性も植民地の徐々の改良と耕作から、調達されてきたものである おおきくなるのである。かれは、自由な召使の状態にちかく ことに、注意すべきである。それは、ほとんど全部、植民者 なるし、かれの主人の利益にたいして、あるていどの忠実と たちの土壌と勤労の生産物、あるいは、おなじことになるが、 愛着をもつであろう。これらの徳は、しばしば、自由な召使その生産物の価格が、すぐれた運営によって徐々に蓄積さ がもつのではあるが、主人が完全に自由で安全である国々でれ、さらにおおきな生産物をうみだすために使用されたもの て ふつうにどれいがとりあっかわれているような、とりあっか であった。しかし、イングランドの砂糖諸植民地を改良し耕 にいをうけているどれいが、もつものではけっしてありえな 作してきた資財は、そのうちのおおきな部分がイングランド 物し からおくりだされたのであって、けっしてすべてが、植民者 の どれいの状態が、自由政府のもとでよりも専制政府のもと たちの土壌と勤労の生産物だったのではない。イングランド 学 済での方がしし 、ということは、あらゆる時代とあらゆる国民の砂糖諸植民地の繁栄は、おおきなていどにおいて、イング 経 の歴史によって、支持されているとわたくしは信じる。ロー ランドのおおきな富によるのであり、それの一部がそれらの マ史において、われわれがはじめて、為政者が、どれいをそ植民地にあふれでたのだと、だれかがもしいうならば、そう 四の主人の暴力から保護するために干渉するのを、よむのは帝 いってもいいのである。だが、フランスの砂糖諸植民地の繁 第 政下においてである。ウェデイウス・ポリオが、アウグスト栄は、まったく、植民者たちのりつばな態度によったのであ ウスの面前で、自分のどれいのうちの一人がわすかなあやま り、したがってそれは、イングランドの植民者たちの態度よ ちをおかしたのにたいして、かれをきりきざみ魚の池になけりも、いくらか卓越していたにちがいない。そしてこの卓越 ( 一 0 )
186 は、ひじようにおおきくはない。けれども、そういう上級者の意志へのへつらいによって、また、その意志のために、か たちがかれに強制しうるのは、せいぜい、一定の時間数だけれが成員である団体の諸権利、利益、名誉を、ぎせいにしよう と、いつもまちかまえていることによってである。フランス かれの生徒たちにつきそうということ、すなわち週または 年に一定数の講義をするということである。それらの講義が の大学の連営に、 いくらかながいあいだ従事したことのある どんなものであるかは、やはりその教師の精励に依存せざる人ならだれでも、この種の恣意的で外部的な管轄権から自然 をえないし、その精励は、かれがそれを実行しようとおもう にうまれる諸効果に、気がつく機会をもったにちがいない。 諸動機に、比例することになりやすい。そのうえ、この種の ある学寮または大学に、その教師たちの価値または名声に 外部的管轄権は、無知かっ恣意に行使されがちである。その かかわりなく、一定の数の学生を強制するものは、どんなも 本質上、それは恣意的専断的であるし、それを行使する人々 のでも、その価値または名声の必要性を、おおかれすくなか は、みすからその教師の講義に出席するのでもなく、おそられ減少させる傾向がある 0 く、かれがおしえるのを業務とするその科学を理解するので 人文諸笋、法律、医学および神学の、大学卒業者の諸特権 もないから、それを判断力をもって行使しうることはまれで は、それらが、一定の大学に一定年間在籍するだけで獲得さ ある。職務上のごうまんさによってもまた、かれらはしばしれうるばあいには、必然的に一定数の学生をそういう大学 ば、自分たちがどのようにそれを行使するかについて無関心 に、その教師たちの価値または名声にかかわりなく、強制す であり、そして、気まぐれに、しかもなにも正当な理由なし るのである。大学卒業者の諸特権は、徒弟条例の一種であっ に、かれの職務についてかれを非難したり、職務をうばっこ オて、それが教育の改善にたいしてしてきた貢献はといえば、 アーツ りする傾向が、きわめてつよい。そういう管轄権に従属する他の徒弟条例が技術および製造業の改善にたいしてしてきた 人物は、それによって必然的に地位をひくめられ、その社会のとちょうどおなじである。 でもっとも尊敬すべき人物のひとりであるかわりに、もっと 研究費、奨学金、給費などの、慈善的な基金は、必然的 もいやしく軽蔑すべき人物のひとりとされる。強力な保護に に、一定数の学生を一定の学寮に、それらの個々の学寮の価 よってのみ、かれは、自分がつねにさらされている悪習にた値にまったくかかわりなく、しばりつける。もし、そういう 慈善的基金に依存する学生たちが、かれらのもっともこのむ いして、有効に自己をまもることができるのであって、この 学寮をえらぶ自由を、ゆだねられるならば、そういう自由は 保護をかれがもっとも容易に手にいれるのは、かれの職業に おける能力または精励によってではなく、かれの上級者たちおそらく、さまざまな学寮のあいだに、ある競争をひきおこ ( 一七 )
ものであり、そしておそらくもっと重大なことには、そうい ようという気持、そして、不穏で党派的な臣民であるかわり う行為はつねに、その国民を統治する部分の私的利益に反すに、われわれのも「とも誠実で愛情にみち、寛大な、同盟者 るのであって、この部分はそれによって、信用と利益のある になろうという気持を、もたせるかもしれない。そして、古 おおくの地位と、富と身分を獲得するおおくの機会との処分代ギリシャの諸植民地とそれらが発生した母都市とのあいだ 権を、うばわれるであろう。もっとも不穏で、その国民の大に、存在するのがつねであったのと同一種類の、一方におけ 部分にとってもっとも不利益な、属州の所有でさえも、その る親の愛情と他方における子の尊敬とが、グレート・ブリテ 処分権を提供しえないことはめったにないのである。もっと ンとその諸植民地とのあいだに、復活するかもしれない。 も空想的な熱狂家でさえも、いまいったような方策を、すく ある属州が、それが属する帝国にとって利益あるものとな なくともそれがいっかは採用されるという、なにかまじめな るためには、それが平時には、それ自身の平時編成軍備の全 希望をもって、提案しうることはまれであろう。しかしなが費用をまかなうに十分であるだけでなく、帝国の一般的統治 ら、もしそれが採用されるならば、グレート・ブリテンはたの維持にたいするそれの分担部分を拠出するに十分な、収入 だちに、諸植民地の平時編成軍備の年々の全費用から解放さを公共に提供しなければならなし 、。どの属州も必然的に、お れるであろうし、それだけでなく、それらの植民地とのあい おかれすくなかれ、その一般的統治の費用を増大させる原因 だに、自由貿易を効果的に保証するような通商条約を、むすとなっている。だから、もし、ある特定の属州が、この費用 ぶことができるであろう。自由貿易は、グレート・、、フリテンをまかなうための自分のわりまえを、拠出しないならば、不 が現在享受している独占よりも、国民の大部分にとっては有平等な負担が、帝国のうちの他のある部分に、なげかけられ 利であるが、ただし商人にとっては逆なのである。こうして、 るにちがいない。各属州が戦時に公共に提供する非常収入も しい友人たちとわかれることによって、われわれのちかごろ また、帝国全体の非常収入にたいして、同様な理由で、平時 の不和が、おそらくほとんどまったく消減させてしまった、 におけるその通常収入がもつのとおなじ比率を、もつべきで 諸植民地の母国にたいする自然の愛情が、急速によみがえるある。グレート・ブリテンがその諸植民地からひきだす通常 であろう。それは、かれらに、われわれとの別離にあたって収入も非常収入も、ブリテン帝国の全収入にたいして、この比 自分たちがむすんだ通商条約を、数世紀の全体をつうじて尊率をたもっていないということは、容易にみとめられるであ 重しようという気持を、もたせるかもしれないだけでなく、 ろう。独占が、グレート・ブリテンの国民の私的収入を増大 貿易においてと同様に戦争においても、われわれの味方をし させることによって、また、それでかれらがもっとおおい租
196 体として優越していたからである。それらの古代の賢人の、 り、それらは同様によく目的をはたしたようにおもわれる。 しかし、ローマ人のあいだには、ギリシャ人の音楽教育に対かれらの祖先の諸制度への尊敬が、おそらくかれらの気持を みちびいて、おそらくひとつのふるい慣習にすぎないものの 応するものは、なにもなかった。それにもかかわらす、ロー なかに、おおくの政治的英知をみるようにしむけたのであろ マ人の道徳は公私双方の生活において、ギリシャ人のそれと ひとしいだけでなく、全体としてはそれよりかなりまさってう。その慣習というのは、それらの社会のもっとも初期の時 代から、それらの社会がかなりの程度の文明に到達したとき いたようにおもわれる。かれらが私生活においてまさってい たことについては、われわれは、双方の国民を熟知している まで、中絶せずにつづいたものなのである。音楽と舞踊は、 ほとんどすべての野蛮国民の、おおきな娯楽であり、だれも ふたりの著者、すなわちポリビウスとハリカルナススのディ がその仲間をもてなすのにもふさわしいとみなされる、おお オニシウスの、明白な証言をもっている。そして、ギリシャ 史とローマ史の全体の調子は、ローマ人の公共道徳の優越をきな身だしなみである。今日では、アフリカ海岸の黒人たち のあいだでそうである。古代ケルト人のあいだで、古代スカ 立証する。抗争する諸党派のすぐれたおちつきと節度とは、 ンディナヴィア人のあいだで、そして、ホメロスからしりう 自由な人民の公共道徳におけるもっとも本質的な事情である るように、トロイ戦争に先行する時代の古代ギリシャ人のあ とおもわれる。ところが、ギリシャ人の諸党派は、ほとんど いだで、そうであった。。 キリシャの諸氏族が自分たちでちい つねに暴力的で流血的であり、これにたいして、ローマのど の党派においても、グラックス兄弟のときにいたるまで、血さな諸共和国を形成したときに、それらの身だしなみの研究 がながされたことは一度もなかった。そしてグラックス兄弟が、ながいあいだその人民の公共的でふつうの教育の、一部 のときからは、ローマ共和国は、じっさいには解体したもの分となったのはとうぜんである。 と、みなしていいのである。したがって、プラトーン、アリ わかい人々を、音楽あるいは軍事訓練において指導した教 ストテレース、ポリビウスというきわめて尊敬すべき権威に師たちは、ローマでも、またその法律と慣習がもっともよく もかかわらず、またモンテスキュウ氏がその・罹威を支持しょ しられているギリシャ共和国たる、アテナイにおいてさえ うとっとめた、きわめて巧妙な推論にもかかわらす、ギリシ も、国家によって支はらわれなかったようであり、任命さえ ヤ人の音楽教育がかれらの道徳を向上させるのにおおきな効されなかったようである。国家は、すべての自由市民が、戦 時にその防衛にあたるにふさわしくなっているべきこと、そ 果をもたなかったというのは、ほんとうらしくおもわれる。 なぜなら、そういう教育なしにも、ローマ人の道徳の方が全してその理由で軍事訓練を習得すべきことを、要求した。し
おいて、維持する。。ヒョートル大帝がロシア帝国に導人したおもわれる。為政者の安全保障が、その国の主要な人民によ 諸改良を、注意してしらべる人はだれでも、それらのほとん って支持されていても、民衆のあらゆる不満によって危険に どすべてが、よく規制された常備軍の確立によるものである なるところでは、すなわち、ちいさな騒動が数時間のうちに ことが、わかるであろう。それは、かれの他のすべての規制大革命をひきおこしうるところでは、政府の権威のすべては、 を実施し維持するための、道具なのである。それいらいずっそれに反対するあらゆるつぶやきと不平を抑圧し処罰するの と、その帝国が享受してきた、秩序と国内平和の程度は、ま に、使用されなければならない。反対に、自分が、その国の ったくその軍隊の影響におっている。 自然の貴族層によってだけでなく、よく規制された常備軍に 共和主義の人々は、常備軍を、自由にとって危険なものと よっても、支持されていると感じる主権者にとっては、もっ して警戒してきた。それはたしかに、将軍の利益および主要とも粗野で、もっとも無根拠で、もっともかってな抗議も、 な将校の利益が、その国家の基本構造を支持することに、必 ほとんど動揺をあたえることはできない。かれはそれらを、 然的にむすびついていないところでは、どこでも危険であゆるしたり放置したりしても安全でありうるし、かれ自身の る。カエサルの常備軍は、ローマの共和国をほろ、ほした。ク 優越性についての自覚は、自然に、そうしようという気持を ロムウエルの常備軍は、長期議会をおいだした。しかし、主権かれにもたせる。放恣にちかい程度の自由が、ゆるされうる 者がみずから将軍であり、その国の主要な貴族と郷士が軍隊のは、主権者がよく規された常備軍によって安全を保障さ シヴィル の主要な将校であるところでは、すなわち、政治的権威を維れている国々においてだけである。そういう国々においての 持することに最大の利益を有する人々、かれら自身がその権み、公共の安全は、この放恣な自由の、見当ちがいの奔放さ に威の最大部分に参与しているためにそうである人々の、指揮にさいしてさえ、それを抑圧するためのどんな裁量権をも、 収のもとに軍事力がおかれているところでは、常備軍はけっし主権者に信託すべきことを必要としないのである。 家て、自由にたいして危険なものではありえない。反対に、そ したがって、その社会を、他の独立の社会の暴力と不正か 国 れは、若干のばあいには自由にとって有利であるだろう。そら防衛するという、主権者の第一の義務は、しだいに、社会 五れが主権者にあたえる安全保障は、あのやっかいな警戒心をが文明において進歩するにつれて、費用のかかるものとなっ 不必要にするのであって、その警戒心は、若干の近代共和国てくる。もとは平時においても戦時においても、主権者にと においては、もっともこまかい行動にわたっても注視し、 ってなんの費用もかからなかった、社会の軍事力は、改良の つでも各市民の平和をみだそうとまちかまえているように、 進行につれて、はじめは戦時においてかれによって維持さ
のはじまりにおいてさえ、この規則ただしさ、秩序、即座の の部隊の周知の卓越性が、かれらの訓練における卓越した熟 服従を、一応の程度に維持することを、きわめて困難にする達におうところが非常におおきい、といわれることは、それ が今日においてもとても軽視できない重要性をもっというこ にちがいない。古代の戦闘においては、人間の声から生じた もののほかには、なんの騒音もなかったし、煙もなく、死傷とを、われわれに納得させるであろう。 の原因で目にみえぬものもなかった。各人は、なにか致命的 兵士たちが、かれらの将校に、週に一回あるいは月に一回 とんな点 な武器がじっさいにかれに近づくまでは、そういう武器がか しか服従する義務がなく、他のすべてのときには、。 れのちかくにないことを、はっきりみていたのである。こうでもかれにたいして責任をおうことなしに、自分たちのこと がらを自分たちのやりかたで処理する自由をもっとすると、 いう状況においては、こうして、人々が自分たちの武器の使 、刀 用についての技倆と手ぎわにある自信をもっている部隊のな かれらはけっして、つぎのような兵士たちとおなじには、 かにおいては、ある程度の規則ただしさと秩序を保持するこれのまえにあるときかれを畏敬し、かれにすすんで服従しょ とは、古代の戦闘のはじめにおいてだけでなく、その全進行 うという気持をもっことは、できないのであって、その兵士 過程にわたり、かっ、両軍の一方の敗色があきらかになるま たちとは、毎日の生活と行動の全体をかれによって指揮さ で、〔近代にくらべて〕困難さがかなりちいさかったにちがい れ、そして、毎日、起床し就寝するにさえ、あるいはすくな ない。だが規則ただしさ、秩序、命令への即座の服従という くとも営舎へひきあげるには、かれの命令によっている、そ 習慣は、おおきな団体で訓練される部隊によってのみ、取得 ういう兵士なのである。いわゆる規律において、すなわちた されうるのである。 だちに応じる服従の習慣において、民兵が常備軍につねにお とることは、それがときどきいわゆる肉体的訓練すなわちそ にしかしながら、民兵は、それがどんなやりかたで規律また 収は訓練をうけようとも、つねに、よく規律と訓練をしこまれの武器の操作と使用においておとることがありうるところよ りも、はなはだしいにちがいない。だが、近代の戦争におい 家た常備軍に、はるかにおとるにちがいない。 国 ては、ただちに応じる即座の服従の習慣が、武器の操作にお 週に一回あるいは月に一回しか訓練されない兵士たちが、 五毎日あるいは一日おきに訓練される兵士たちのように、かれける相当な優越よりも、ずっとおおきな重要性をもつのであ 第 る。 らの武器の使用に熟達することはけっしてありえない。そし て、この事情は、近代においては、古代におけるほどにおお タタール人やアラブ人の民兵のように、平和のときにかれ きな重要性をもたないではあろうが、それでも、プロイセン らが服従しつけていると同一の首長のもとで、戦争にいく民
414 ス自身の意図をこえてひろがり、一方では新興産業都市の市 民たちの政治参加の要求となり、他方では、イングランド北 部の、ヨークシャーの自由土地保有農民たちの、租税負担軽 減を目ざす政治運動となった ( ワイヴィル指導下のヨークシャー 運動がそれである ) 。ところが、租税負担軽減運動の最大目標 シヴィル・リスト は、なんであったかといえば、対内的には王室費 ( 議員買収 費までふくむ ) 、対外的には植民地維持費 ( 主として軍事費 ) であ って、とくに北アメリカ植民地との関係は、一七六四年の砂 糖条例、六五年の印紙条例によって、悪化の一途をたどりつ つあったため、そのはねかえりとして本国の租税負担はとう ぜん増大した。もちろん、租税を負担しても、植民地経営か らそれ以上の利潤をひきだしている人びとは、我慢ができる けれども、ヨークシャーの農業者にせよ毛織物業者にせよ 政治と経済のなかで、あたらしい激動がはじまりつつあっ租税をとられるだけで、植民地利潤とは無関係であった、 た。政治的には、国内で選挙法改正連動、国外で北アメリカ ら、自分たちの役にたっ安い政府を、自分たちの手でつくろ 植民地の反抗が、イギリス政府のおおきななやみの種となっ うという要求がでてきたのである。アメリカ植民地のがわか てきた。経済的な激動とは、 いうまでもなく産業革命の開始らも、本国議会に代表をおくる権利をあたえられていないの である。一七六三年のウイルクス事件にはじまって、一八三 だから、本国に税金を ( しかも自分たちを抑圧するためのものを ) 一一年の選挙法改正で一段落をつげるこの運動は、基本的に支はらう義務はな、 という主張がなりたつ。その背後に は、産業ブルジョアジーの政治的発一言権増大の要求であっ は、アメリカがもはやイギリスにとって、独占貿易の対象て た。ウイルクスが『ノース・ブリトン』誌上で国王を批判し はなくなったという、アメリカ経済の発展があった。 て議会を除名されると、選挙区はかれの再選三選をもって、 このようにして、選挙法改正、アメリカ独立、産業革命の 国王と政府の弾圧にこたえた。「ウイルクスと自由」という 開始は、産業資本家が歴史の舞台の前面にでてきたことの、 スローガンができたほどであった。運動は、むしろウイルク 三つのちがった側面だったのである。産業革命の開始の指標 ツ、 反革命の思想冢バーク
れの事業をおこなうための、つまりかれの財貨をか 0 てそれ犯であ「て、したが「て不正であ「た。そしてそれらはまた ともに、不正であるのとおなじく、不得策でもあった。この を処分するための、たいへん容易で手がるな方法を獲得して、 それによ「て同一の資本でず 0 とおおきな量の事業を、かれ種のものごとがけ「して、強されも妨害されもしないの はおこなうことができるのである。一方が、かれのしごとをが、あらゆる社会にと「ての利益である。自分の労働あるい は自分の資本を、かれの境遇が必要とするより多様な方法で はるかにやすく提供しうるのがふつうであるように、他方は、 かれの資財と注意がともにそれより多様な対象について使用使用する人が、かれの隣人よりもやすくうることによってこ されるとしたばあいにくらべて、かれの財貨をいくらかやすの隣人をきすつけることは、け「してありえない。かれは、 く提供しうるのがふつうである。大部分の製造業者は、かれかれ自身をきずつけることがありうるのであ「て、一般に、 じっさいにきずつけるのである。なんでも屋が富裕になるこ ら自身の財貨を、油断がなく活動的な商店業者ほどにやすく とはけっしてないと、ことわざにいわれる。しかし、法律は 提供することはできないであろう。この商店業者は、それら の財貨をおろしでか 0 て、ふたたび小売りすることを、かれつねに、人民自身の利害についての配慮は、かれら自身にゆ だねるべきであって、かれらは自分たちの地域的境遇におい の唯一の事業とするものである。大部分の農業者はかれら自 身の穀物を、かれらの大部分からおそらく四「イルか五「イては、一般に、立法者がなしうるよりもよく、それについて ルはなれている都会の住民たちに、汕断なく活動的な穀物判断しうるにちがいないからである。しかしながら、農業者 が穀物商人の営業をおこなわざるをえなくした法律は、ふた 商人ほどやすく提供することは、さらにできないであろう。 つのなかで比較にならぬほどもっとも有害であった。 そういう穀物商人は、穀物をおろしでかって大倉庫にあっ それは、どの社会にとってもそれほど有利である、資財使 め、それをふたたび小売りすることを、唯一の事業とするの 用の分割を妨害したばかりでなく、おなじように土地の改良 である。 製造業者が商店業者の営業をおこなうのを禁止した法律と耕作を妨害した。農業者がひとつのかわりにふたつの営業 は、資財の使用におけるこの分割を、そうでないばあいになを、いとなまざるをえなくしたことによ「て、それはかれを 0 たであろうよりも、カずくではやくすすめようと、つとめ強制してその資本をふたつの部分に分割させたのであ「 ( 、 た。穀物商人の営業をおこなうように農業者を強制した法律そのうちのひとつだけが耕作に使用されえたのである。だ が、もしかれが自分の全収穫を、脱穀しうるやいなや穀物商 は、それがそのように急速にすすむのを、さまたげようとっ とめた。ふたつの法律はともに、自然的自由のあきらかな侵人にうる自由をも「ていたならば、かれの全資本はただちに