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検索対象: 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神
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1. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

468 見ることができない。それを見るには土を掘らねばならな 第三十篇 第二章封建法の淵源について ローマ帝国を征服した諸民族はゲルマニヤから出てきた。 第一章封建法について かれらの習俗を描いた古代の著者はわずかしかないけれど この世に一度おこったが、恐らく二度とふたたびおこらな も、われわれはきわめて権威のある二人の著者を持ってい いある事件を、もしわたしが黙殺するとすれば、わたしの作 る。カエサルはゲルマン人と戦って、ゲルマン人の習俗を叙 品には大穴があくことになると思う。全ヨーロッパにわたっ した。しかして、その習俗に基づいてかれの戦略をきめた。 て突如として現われ、それまでに知られていた法とは無関係この問題に関するカ〒サルの数頁は数巻に匹敵する。 な法、数知れぬ善事と悪事を行なった法、領地が譲渡されて タキトスはゲルマン人の習俗についての正確な著作をもの も諸権利は残した法、同一物または同一人物にたいして多く している。短いことは短いが、この著作は、すべてを見たが の人に多様な種類の領主権をあたえながら、領主権全体の重ゆえに、すべてを要約したタキトスの著作である。 圧を軽減した法、拡がりすぎた諸帝国内にさまざまの境界を これら二人の著者はわれわれの持っている蛮民法典ときわ 置いた法、無政府状態への傾向を持った規律と、秩序と調和めて一致しているから、カエサルとタキトスを読めばいたる への向を持った無政府状態とを作り出した法とを、もしわところにこれらの法典が見いだされるし、これらの法典を読 たしが黙殺するとすれば、わたしの作品には大穴があくことめばいたるところにカエサルとタキトスが見いだされるほど になると思う。 だがこの仕事に取り組むとすれば、それ専門の著作を必要 封建法の探究において、正道から迂路にみちた暗い迷宮に ( 訳一 ) とすることであろう。しかし、本書の性質にかんがみて、読わたしが入りこむとしても、わたしは糸の端をしつかり握っ 者はこれらの法の概論よりもむしろその概観をここに見いだ ており、進んで行けるものと信じている。 訳注一テセウスのごとく。 すであろう。 封建法はみごとな展望を示している。昔ながらの標の木が 第三章家臣制 Vasselage の起源 そびえ立っている。遠方より眼はその緑滴る葉の波を見る。 カエサルはいう。「ゲルマン人は少しも農業に専心せず、 近よればそのたくましい幹が見える。しかしその根は少しも 」 0

2. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

るものは、われわれの身分・財産をたいせつにすることはた になる行為をわれわれに命じてはならぬ、それはわれわれが しかに許容されるが、生命をたいせつにすることは絶対に禁 彼につかえることを不可能にするであろうから : : : と。 じられているということである。 クリョン (Crillon) はギーズ公を暗殺することを拒否し 第二の規範は、われわれが一たびある地位に置かれた場合 たが、公と雌雄を決せんとアンリ三世に申し出た。聖。ハルテ ーの虐殺の後、シャルル九世が全国の知事に新教徒をすには、自己をこの地位そのものよりも以下であると感じてい ることを人に知られるようないかなることを行なってもなら べて殺戮すべしと命を発するや、・ハイヨンヌをおさめていた ドルト子爵 (vicomte d'Orte) は国王に書を呈して、「伏しぬし、認容してもならぬということである。 第三の規範は、名誉が禁止することは、法がその禁止にま て陛下に奏す、臣がおさむる民、臣がひきいる兵の中には、 しっそう厳重に禁止され、名誉 ったく協力しない場合には、、 ただ善良なる市民、勇敢なる軍人あるのみにして、一人の悪 人も見いだしえす。ここにかれらと臣と、聖慮を仰がんと欲が要望するところは法が要求しない場合にはいっそう強く要 す、願わくばわれらが腕とわれらが命とを可能事にもちいた望されるということである。 原注一ここに述べたのは、あるがままのことであって、あるべきことでは まわらんことを」と。この偉大にして高潔な精神は卑劣な行 ない。名誉は宗教が、あるときは破壊し、あるときは、規制しようとっとめ 為を不可能事と観じたのである。 うらもの ている一種の偏見である。 名誉が貴族に命するところ、打物とって君の馬前に働くに 訳注一もちろん、国王のことである。 まさることはない。実際それは晴れの仕事である。なんとな 訳注二同じく国王を指す。 ればその武運、その勝利、否、非連さえも権勢にみちびくか 第三章専制政体における教育について らである。ところが、この法を課しながら、名誉はその審判 者たらんと欲する。それで、名誉がきずつけられることがあ 君主国においては教育が心情をたかめようとひたすら努め れば、戦場からひきあけることを要求し、または、許容する るように、専制国家においてはそれを低めようとするばかり のである。 である。ここではそれは奴隷的であるのが当然だ。命令する 部名誉は官職を平然と望んだり、拒否したりできることを欲立場においてさえも、こうした教育を受けておいたことがた 一している。すなわち、それはこの自由を富貴そのものを超えめになるであろう、ここではだれも同時に奴隷とならすに暴 君にはなれないのだから。 第たものと考えているのである。 極端な服従は服従する者が無知であることを前提とする 名誉はそれゆえその最高の諸規範を持っている。だから教 ( 原注一 ) が、命令する者までもそうであることを前提とする。すなわ 育もそれに順応することを余儀なくされる。その規範の主た

3. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

訳注一 comte 国王の役人で、領地の一区域の総督。その後、第一級の藩・ 主とともに進むべきだといわんとしていることは明らかであ 領すなわち国工に直属する藩領の資格者。次の章と第三一篇第二八章参照。 る。 それなのにデュ・ポス神父の主張によると、『勅令集』のな 第十八章二重の役務について かで個々の領主に従属する人について述べられている場合は だれかの軍事的権力の下にある者は、その市民的権力にも もつばら隷民のことが問題になっているのだ、と。そしてかれ また服するというのが、君主政の基本的原理であった。それ は西ゴート人の法とこの人民の慣行をその根拠としている。 で、八一五年のルイ柔和王の勅令は自由人にたいする伯爵の 勅令集自体を根拠としたほうがよかったであろうに。わたし 軍事的権力とその市民的裁判権とに同一歩調をとらしめてい が引用したばかりの勅令は明白にその反対のことをいってい ル・ショーヴ る。したがって自由人を戦争に連れていった伯爵の placita る。シャルル禿頭王とかれの兄弟たちとの間の条約も同様に 。一 ~ また ) は自由人の裁判所と呼ばれた。自由に関する問題 自由人について語 0 ているが、その人たちは自己の選択にし ( よ たがって領主または国王をえらんでこれにしたがうことがでを裁判しうるのは伯爵の裁判所においてだけであって、かれ の役人の裁判所においてではないという格率は、恐らくこれ きた。そしてこの規定はほかの多くのものと符合している。 に由来したのである。このように、伯爵は司教や僧院長の家 それゆえ、三種の軍隊があったと結論できる。国王の禁衛 の武士または股肱の軍隊、そしてかれら自らもその部下にほ臣を戦争に連れていかなかった。なぜならかれらはかれの市 かの股肱を持っていた。司教そのほかの聖職者の軍隊。最後民的裁判権に服していなかったから。このように、かれは禁 衛の武士の陪臣を戦争に連れていかなかった。このように に、自由人を率いた伯爵の軍隊。 ヴァッサル 『イギリス法の難語辞典』は、サクソン人が coples と呼んで 家臣は伯爵に従属しえなかったとわたしはけっしていわな いた者はノルマン人には comtes. compagnons と呼ばれ 。特殊的指揮権を持つ者はより一般的な指揮権を持つ者に た。な・せならかれらは国王とともに裁判上の罰金を分配した 従属するものであるから。 ヴァッサル から、といっている。このようにあらゆる時代に、あらゆる 伯爵や国王の特派使は家臣にたいし、かれらがその封地の 義務を果たさなかった場合には、 b 目すなわち一種の罰金を家臣のその領主にたいする義務は、武器をとることと領主の 法廷においてその同輩を裁判することであったことがわか 六支払わしめることができたことさえ見いだされる。 同様に、国王の家臣が掠奪をした時に、むしろ国王の懲戒る。 この裁判権をこのように戦争に引率する権利に結びつけて に服することを望まないかぎり、伯爵の懲戒に服せしめられ フィスク いた理由の一つは、戦争に引率した者は同時に王庫の租税を たのた。

4. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

を焼かせた。帝は妻にいった。「わたしは皇帝だ。それなの拡がらない。 訳注一インドのポルトガル植民地の首都。 におまえはわたしをガリー船の船頭にする。もしもわたしが 貧しい人々の仕事までもやるならば、かれらは何によって暮 第二十一章君主政における貴族の商業について らしを立てうるであろうか。」帝は次の文句を付け加えるこ とができたことであろう。もしもわたしが独占をやれば、だ 君主政において貴族が商業を営むことは、商業の精神に反 ( 訳注こ れが阻止することができようか。だれが私の義務を履行する する。皇帝ホノリウスおよびテオドーズいわく、「それは都 ことを強制するだろうか。わたしが営むこの商売を、廷臣た市にと「て有害となろう。しかも、商人と庶民との間の売買 ちもやりたがるであろう。かれらはわたしよりもさらに貪欲の自由を奪うことになろう」と。 で、さらに不正であろう。人民は私の正義にたいして信頼を 貴族が商業を営むことは君主政の精神に反する。イギリス 持つ。わたしの富裕にたいしてはなんらの信頼も持たぬ。人において貴族に商業を許した慣行はこの国の君主政体を弱め ( 訳注二 ) 民の貧困の原因であるこんなに多くの税金は、わたしの貧困 るのに最も貢献した事物の一つである。 の確実な証拠だ、と。 訳注一前者 ( 三九五ー四二三 ) は後者 ( 三七九ー三九五 ) の子。 訳注一ビザンチンの皇帝、八二九ー八四一一。 訳注二モンテスキューの友人にして先輩、サン・。ヒエール神父はフランス の富国策として貴族がイギリスのごとく商業に従事すべきことを主張した。 第一一十章同じ題目のつづき 第二十一一章個人的考察 ポルトガル人とカスチリヤ人が東インドで支配力を持って ある国々で行なわれているところに感じて、フランスでも いた時、商業は非常に儲けの多い部門を持っていたので、か 貴族に商業をなすのを奨励する法があるべきだと考える人た れらの君主たちはその部門を手に収めることを忘れなかっ ( 訳注こ 。だが、そのおかげで世界のこの部分におけるかれらの植ちがある。それは商業にと「てなんの利益にもならないで、 フランス貴族を亡ぼす手段となるであろう。この国の慣行は 民地を荒廃させた。 ( 訳注一 ) きわめて賢明である。ここでは商人は貴族ではないが、貴族 ゴアの副王はある個人たちに排外的の特権をあたえてい 四た。このような連中を人民は全然信用しない。それで商業になりえる。かれらは貴族の現実的不便をもたないが、貴族 の身分をえる希望を持っている。かれらはその職業から外へ 第は、それを委される人が絶えず変わるため、中断される。だ ( 訳注一 ) 進出するには、それにいそしむか、それを名誉をもって行な れもこの商業を育てていこうとは考えす、後継者に無傷で引 ( 訳注三 ) うよりもより確実な方法はない。そしてこれは通常能力と結 き継がせようとも思わない。利潤は個人の懐に入り、ほかに

5. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

人々は、その存在を感じているが、どんなものだかほとん らに身を向けがちになろうし、また何をえられる期待もない ど知らない、そして、だれかがその姿をごまかすかもしれぬ すべての人々は執行権を攻撃することであろう。 そこではあらゆる情念が自由であるから、憎悪・羨望・嫉ある利益が失われることを恐れている。しかもその恐れはた えす対象を大きくして見せるものだ。人民は自己の地位にた 妬・致富と名をあげる熱望などがその全貌を現わすであろ いして不安を感じ、最も安全なときにさえも、危険にせまら う。しかして、もししからすんば、国家は病に打ちのめさ れ、精力が抜けたがゆえに情念を持たない人のようになるでれていると考えるであろう。 執行権にたいしてもっとも猛烈に反対する人々は、その反 あろう。 両党派間の憎悪は永続するであろう。なんとなれば、それ対の利己的動機をうちあけるわけにゆかないので、はたして 危険にあるのかどうかを正確には決して知らない人民の恐怖 はつねに無力であろうから。 に油を注ぐであろうから、ますます不安ははなはだしくな これら党派は自由人から構成されているので、一方があま る。しかしそのこと自体が、その後に人民が自らをさらすこ り優勢になると、その党派は引き下ろされ、これにたいし、 倒れかかった身体に腕を貸すように、市民達がやってきて他とあるべき真の危険を避けさせることに役立つであろう。 しかし立法府は人民の信頼をえており、人民より見識があ 方を引き上げるという結果を自由が生ぜしめるであろう。 るから、その受けた悪い印象を払いのけさせ、その激昻をし 各個人はつねに独立的で、非常に自己の気まぐれ、好奇心 にしたがうであろうから、しばしば党派を変えるであろう。 ずめることができるであろう。 これはこの政体が、人民が直接的な権力を持っていた古代 すなわち、一つの党派を去り、そこに自分のすべての友人を 見捨てて、自己のすべての敵がいる他の党派と結ぶこともあ民主政にたいして持つ、大きな利点というべきだ。なんとな ろう。かくてこの国民においては、しばしば友情の法も憎悪れば、雄弁家たちが人民を煽動したとき、それらの煽動はっ ねにその効果をあげていたからである。 の法も忘られうるであろう。 かくて、人民にあたえた恐怖がまったく明確な対象を持た 党派の点では君主も個人の場合と同じであろう。それで、 ぬ場合には、いたずらなる喧騒と罵言をもたらすにすぎぬで 慎重が通常教える格律に反して、もっともかれの機嫌をそこ ねた人々に信任をあたえ、かれにもっともよくつかえた人々あろう。そしてあらゆる政治機関に緊張をもたらせ、全市民 第をしりぞけることをしばしばよぎなくされるであろう。他のを注意深くさせるというよい結果をすら生むであろう。しか 君主が選択によって行なうことをかれは必要にせまられてやしこの恐怖が基礎法の転覆にさいして生まれるとすれば、そ ( 訳注三 ) れは他人のことばに耳を貸さぬ、わざわい多き、残忍なもの るのであるから。

6. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

する。自然と風土とがほとんどもつばら未開人を支配し、生ないであろう。この国民には浮薄な仕事を真剣に、まじめな 活様式はシナ人を支配し、法は日本に暴威をふるい、習俗は仕事を快活にやらせておくのがよいのだ。 訳注一ここと次の数章ではフランス国民が問題になっている。 むかしスパルタの核心となり、政体の格律と昔の習俗がロー マの核心となった。 第六章すべてを矯正してはならぬこと 第五章国民の一般精神を変えないように、いゞ われらをあるがままに放任せよと、われわれが素描した国 注意を払わねばならぬか 民と非常によく似た国民のある貴族がいった。自然はすべて もしもこの世に社交的な性質で、腹蔵なく、陽気で、趣味をつくろう。自然はわれわれに活気をあたえたが、それは人 がよく、容易にその考えを伝える能力のある国民、剌としを傷つけることもあり、われわれにあらゆる敬意を失わしめ て、愉快で、時として軽率な、しばしば無遠慮な国民、それがちである。だがこの同じ活気は、自然が世間にたいし特に に加えて、勇気、雅量、率直、ある種の面目を持「ている国婦人との交際にたいする趣味をわれわれに妓吹して、われわ れに持たせる礼儀によって訂正される。 民があるならば、その徳性をそこなわぬためには、法律によ われわれをあるがままに放任せよ。われわれの無遠慮な性 ってその生活様式をきゅうくつにさせてはならぬであろう。 一般的にい「て性格が善良であれば、多少の欠点が見出され質は悪意の欠如と結び合「て、われわれの間の社交的気質を 阻害するような法をわれわれに不適当ならしめる。 ても大して問題にはならない。 この国の女子を抑圧し、かの女たちの習俗を矯正し、その 第七章アテネ人とスパルタ人について 奢侈を制限する法を作ろうと思えば作れるだろうが、国民の この貴人は付け加えていった。アテネ人はわれわれの人民 富の源泉であるある種の趣味と、この国に外国人を引きつけ となにか似かよった人民であった。かれらは仕事の中に陽気 る一種の教養が失われはしないだろうか。 さを入れていた。冷やかしの言葉が劇場においても議政壇場 国民の精神が政体の原理に反しない場合には、それにした 部 がうのが立法者の仕事である。なぜなら、自由に、また、わにおいても、人民を喜ばせた。かれらの会議に見出された湲 れわれの本来の天分にしたがって行なうこと以上にわれわれ剌さは執行にも見うけられた。スパルタ人の性格は重厚で、 まじめで、無愛想で、無ロであった。スパルタ人におかしな 第はよく行ないえないのだから。 ことをいってもこれから利益を引き出せないと同じく、アテ 本来快活な国民に衒学の精神をあたえても、国家はそれに よって、国内においても国外においてもなんの利益もえられネ人を退屈させても、これから利益を引き出せない。

7. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

について語りながら、その残酷さ自体によってこの法を弁護慮あり落ち着いた少数の人たちのなかへ連れていくべきだ。 している。法が残酷なおかげで、債務者がその能力以上に借ある酒の釀酵がほかの酒のたった一滴で止められうるような ( 原注一 ) ものだ。 りることが阻止されているのだというわけである。そうする と、もっとも残酷な法が最良の法であろうか。善は極端に存 第四章立法者の意図に反する法について するのか、また事物のすべての関係は破壊さるべきなのか。 原注一セルリウスは、この刑罰が科せられたのを見たことも読んだことも 法のうちには立法者がよく理解しなかったために、その立 ないが、多分この刑はけっして設けられなかったのだろうといっている。 てた目的自体に反対なものがある。フランスにおいて、聖職 二、三の法学者の意見では、十二表法は売られた債務者の代金の分割につい 禄つきの聖職 ( bénéfice ) にたいする二人の求職者の一人が死 て語っているだけだというが、これがほんとうらしい。 ぬ時は、その聖職禄つきの聖職は生き残った奴のものとなる 第三章立法者の意図から遠ざかっているように見 と定めた人たちは、勿論争いを消減させようと思ったのだ。 える法がしばしばそれに適合していること ところが、それから反対の結果がでてきた。坊主たちは攻撃 しあい、たたきあい、ブルドッグのように死んでも噛みあう 反乱がおこった時、どの側にも参加しないようなすべての のた。 者を恥知らずだと宣したソロンの法はきわめて異様に見え た。しかし当時ギリシャが置かれていた情況を考慮しなけれ 第五章同じ題目のつづき ばならない。ギリシャはきわめて小さな国家に分かれてい ( 訳在一 ) わたしがここに述べようとする法はエスキネスによって伝 た。内部的分裂によって苦しんでいる共和国において、もっ えられた次の誓約のなかに見いだされる。「わたしは誓う。 とも用心深い人たちが安全なところに身を隠し、それによっ て事態が救うべからざるところに至るのを恐れねばならなかわたしはアンフィクチオニヤ同盟加盟の都市をけっして破壊 っこ 0 しない。わたしはその都市の流水の方向をけっして変えな い。もし何かこのようなことをする人民があれば、わたしは これらの小国におこった反乱において、市民の大部分は争 部闘に参加するか、争闘を行なった。われわれの大君主諸国にその人民に戦を宣し、その諸都市を破壊するであろう。」こ おいては、党派は少数の人々によって構成されており、人民の法の最後の項は第一項を確認しているように見えるが、実 ( 訳注二 ) 第はのんびりと暮らしたいと思っている。この場合には反乱者際にはそれに反している。アンフィクチオは人がギリシャ諸 を市民の大部分に連れ戻し、市民の大部分を反乱者のところ都市をけっして破壊しないことを望んでいるのに、かれの法 はこれらの都市の破壊に門戸を開いている。ギリシャ人の間 へ連れていかないのが自然である。だが、上の場合には、思

8. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

ら、政治的権力は必然的に多数の家族の結合を包含するので宗教に、かれらの性情・富・人数・商業・習俗・生活様式に ある。 調和しなければならない。最後にそれらの法はそれら相互間 それゆえ、自然に最も適した政体とは、その特有の性格に関係を持つ。それらの起源、立法者の目的、それらの法の が、その政体制定の対象となった民族の性情によりよく調和立脚点となっている事物の秩序と関係を持つ。これらすべて する政体であるといったほうがよろしい の観点よりこれらの法は考察されねばならないのである。 個々の力はすべての意志の結合なくしては結合されえな これぞこの著書において行なわんと計画しているところの ものであり、わたしはこれらの関係をことごとくきわめるで 。「これらの意志の結合がいわゆる市民状態である」とは、 これもまた、グラヴィナの至当の論である。 あろう。これらの関係がすべていっしょになって、いわゆる 法は、一般的には、地上のすべての民族を支配する限りに法の精神を構成するのである。 おいて、人間理性である。そして各国民の政法・市民法はた わたしは政法を決して市民法と分離しなかった。なんとな ( 訳注二 ) んにこの人間理性が適用される個々の場合であるべきであれば、わたしは決して法をとりあっかうのではなく法の精神 る。 をとりあっかうのであり、この精神は法が諸他の事物との間 これらの法はそれが作られた対象となっている民族にきわに持っことあるべき諸他の関係の中に存するのであるから、 めて特有なものであるべきで、一国民のそれらの法が他の一わたしは法の自然的順序よりも、これらの関係ならびにこれ 国民に適しうることがあれば、それは非常な偶然というべきらの事物の順序に従わざるをえなかった。 わたしはまず法が各政体の本性とその原理との間に持っ諸 ほどである。 それらの法はすでに樹立されている、あるいはこれから樹関係を検討しよう。しかしてこの原理は法にたいして最高の 影響力を持つものであるから、わたしはこれをよく知ること 立しようと思っている政体の性質と原理とに調和しなければ に専心するであろう。一度わたしがこれを設定することがで ならぬ。政法のごとくに政体を形成するものであれ、また、 りきれば、法はあたかもその源泉より噴出するごとくに流出す 市民法のごとく、それを維持するものであれ、問題に変わ るのが見えるであろう。わたしはその次に、より特床的と思 部はない。 これらの法は国土の身体に、すなわち極寒・極熱または温われる他の諸関係に移るであろう。 訳注一 Giovanni Vincenzo Gravina ( 16 望ー 1718 ) De ortu et progressus 第暖なる風土に、土地の性質、その位置、その広狭に、農耕・ juris civilis の著者。 狩猟・遊牧等民族の生活様式に相対的なものでなければなら 訳注二法の精神という伝統的な日本訳は、必ずしも正しくない。「 E もユ t ー ぬ。これらの法は国家構造が許しうる自由の程度に、住民の intelligence. モンテスキュ 1 は存在するものを理解し、その理を説かんとし

9. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

どり屋になりうる。 かく尊大なこの人々は、多くのときを自分たちだけで暮ら し、ときどき未知の人々の間に出て行くであろうが、そのと きにはかれらは臆病であろう。それでかれらのうちにぎこち ない羞恥と傲慢の奇妙な混合が見いだされるであろう。 この国民の性格はとくにその精神的作品の中に現われるで あろう。それらの作品には静思する、また、ただ独りで考え た人々が見いだされるであろう。 社交はわれわれに滑稽を感じることを教え、籠居はわれわ れに悪徳を感ずるにより適当ならしむる。それでかれらの諷 ( 訳注一九 ) 刺的著作は残酷であろう。それでこの国には、一人のオラー ( 訳注ニ 0 ) スを見いだす以前に、多くのジュヴェナルが見いだされよ 極度に専制的な君主政においては、歴史家は真理を裏切 る。なんとなれば、それをいう自由を持たないから。極端に 自由な国家でも、かれらはその自由そのものが原因で、真理 を裏切る。自由はつねに分裂を生するがゆえに、各人はあた かも専制君主の奴隷であるのと同じように自己の党派の偏見 の奴隷となる。 この国の詩人は趣味があたえるある種の繊細よりも、しば 部しば創作の独創的な荒々しさを持つであろう。そこにはラフ 一 = ア = ルの優雅よりもミケランジ = ロの力に近い何ものかが見 ( 訳注ニ一 ) 第 いだされるであろう。 ( 訳注二ニ ) 原注一第六章。 原注二イギリス人はあまり丁重ではないが、決して無礼ではない ( イギリ スについての覚え書 ) 。 訳注一この章においてモンテスキューが描くイギリス国民の肖像はきわめ て有名で、しばしば引用されている。 訳注二その結果、執行権の味方をするホイッグ党と議会制度の支持者ト ー党が生じた。 訳注三「この国では大臣たちが国王である」とジョージ二世はいった。 訳注四一六四一年の革命の前、この「恐るべき静寂」の時期があった。 訳注五明らかに、ルイ十四世を後楯としたジャック二世にたいする、一六 八八年の革命をさす。 訳注六検閲制度は、一六九五年に廃止された。 訳注七当時のフランス。 訳注八イギリスの大蔵証券を論ず。 訳注九この点ではモンテスキューは甘すぎた。この島の海賊はエリザベス を頭目としてすでに一大植民帝国を建設しつつあった。 訳注一〇一七〇三年のポルトガルとの通商条約をさす。この「相互に有益 な貿易」のおかげでポルトガルの民族的産業は破滅的な打撃をこうむった。 訳注一一航海条例 ( 一六五一 ) 。 訳注一二アイルランド。 この国の宗教と政治を抹殺せんとするクロムウエル以来のイギリ 訳注一三 スの政策にたいしモンテスキューは公正を欠く。 ベルフィード 訳注一四議会をさす。フランス人が「不誠実なアルビョソ Albion ( 訳 注、ギリシャ人がイギリスを呼んだ名称 ) 」といいならわした国にたいし、 モンテスキューはあまりに好意的である。 訳注一五チュードル王朝のヘンリ 1 七世 ( 一四八五ー一五〇八 ) とヘンリ ー八世 ( 一五〇九ー一五四七 ) の間。 訳注一六チュ 1 ドル王朝が不寛容と暴力によって再興をはかったカトリッ ク教。 訳注一七 Se séparer ・国民と離れる、すなわち三部会に見られるごとく、 貴族、第三階級と別個に一階級をなすこと。この文はフランスの坊主が税金 を払わず、道楽三昧に暮らせることを批判したもの。難解だと見えて、来 の邦訳はいずれも「 : : : 僧侶は、分離するかわりに、むしろ俗人と同じ職務 を勤め : : : 」等、玄妙な解釈を下している。

10. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

538 のあいだ、ポルドー大学で法律学をまなんだ。 以後、父が死んでラ・プレードにかえるまで、モン ~ ・像テスキ = ーは。 ( リで生活したが、そのあいだのことは 著よくわからない。しかし、その地のアカデミーの例会 のに出席して、啓蒙運動の先端にふれ、科学アカデミー 器の終身秘書、フォントネル Fontenelle 、中国事情に明 るるいフレレ F ま t 、ナポリ生まれの学者、ベルナル あ ド・ラーマ Bernardo Lama 、マホメット伝をかいた こ 館ブーランヴィリエ BoulainviIIiers などを知ったこと 図は知られている。 市一七一三年、父が五十八歳で死んだ。郷里にかえっ のたモンテスキューは二十六歳の春に結婚した。妻は近 一在のジャンヌ・ド・ラルティーグ Jeanne de Larti ・ ル gue という、一生ュグノーとして生きた人である。一 ボ 〇万リーヴルの持参金があったので、モンテスキュー の生活は楽になった。一一人のあいだにもうけられた子 供は三人、上が男子のジャン・。ハティスト、あと二人は女 の遺産をついでラ・ブレード男爵となった。 十一歳のときから五年間、ジイイ Juilly 学園で学ん子、マリとドニーズとであった。 ここでモンテスキューの人柄についてのべておこう。 だ。そこはオラトリオ会の経営にかかり、イエズス会やポー 肉体についていうと、背丈はひくくやせていた。青い眼の ル・ロアイヤールの教育が古典に明るい人間を養成したのと はちがって、教養の万般に注意し、当時のフランスにおける視力は弱く、眠では一生なやんだという。かれの容貌をつた えるものとしては、スイス人のダシ工という人の作ったメダ もっともリべラルな教育を授けた学校だといわれる。モンテ ルが一番よい。モンテスキュー自身もその出来ばえには満足 スキューにたいする影響の一番大きかったものは、哲学者マ ール・フランシュ Malebranche にたいする尊敬を覚えたことであったというが、鼻がとび出ていて、好男子とよ、 には正装すがたの肖像が であった。われらの主人公はこの学園を卒えてのち、三カ年る。そのほかポルドーのアカデミー