リヤとスペインの慣行はより不合理であろう。修道制度がそには一文もかからぬし、子供は生まれることによってこの技 ( 訳注一 ) こには設けられていて、しかも父の同意なしに結婚できる。 術の要具となりさえするのである。かかる人々は富めるまた 訳注一これもまたカトリック教会法規の規定である。 は迷信的な国で繁殖する。なんとなればかれらは社会の負担 をになわず、かれら自身が社会の負担であるからだ。しかる 第九章娘について に、苛酷な統治のもとに住むがゆえにのみ貧乏な人々、自分 結婚によってのみ快楽と自由に導かれる娘、考えることをの畑を生存の基礎としてよりも、汚吏に苦しめられるきっか あえてせぬ頭を持ち、感じることをあえてせぬ心を持ち、見けとみなす人々、これらの人々はあまり子供をつくらないと ることをあえてせぬ眼を持ち、聞くことをあえてせぬ耳を持わたしはいう。かれらは自分たちの生きるためのものさえ持 っていなし ち、力であることを示すためにのみ姿を示し、・ハカ話とお し力にしてそれをわかちあたえようと考ええよ 説教の刑に処せられている娘を結婚させるのは容易である。 うか。かれらは病気にかかっても養生することができぬ。 乗る気になっても乗り気にならぬのは息子のほうだ。 かにして幼年期という不断の病気の中にある者を育てえよう 、刀 第十章婚姻を決意せしむるもの 臣民が貧乏であればあるほど、家族の人数が多くなり、租 一一人の人間が心持よく生活しうる場所があるところではど税の負担が重ければ重いほど人々はそれを支払うことができ こでも、結婚が行なわれる。自然は生存の困難によって阻止るように励むといわしめたものはロ巧者と吟味能力の欠如を されぬ限り、人を結婚に向かわせる。 示すものだ。この二つの詭弁はつねに君主政を亡ぼしてき 新興人民は大いに増殖する。独身生活はかれらの国では大た、そして永久に君主政を滅ぼすであろう。 きな不便であろうが、多くの子供を持っことはけっして不便 統治の苛酷は自然的感情自体によって自然的感情を破壊す ではない。国民が一人前に仕上がると、反対のことがおこっ るまでにいたりうる。アメリカの女たちは自分たちの子供が てくる。 これほど残酷な主人を持たすにすむようにと、堕胎したでは 、、 0 十 / し、カ 第十一章統治の苛酷について 第十一一章諸国における女児と男児の数について ぜんぜん何も持たぬ、乞食のような人々は多くの子供を持 っている。それはかれらが新興人民の場合にあるからであ 前述のごとく、ヨーロッパでは女児より男児がより少しば ( 原注一 ) る。すなわち、父親にとって子供にその技術をあたえるため かり多く生まれる。日本では男児より女児が少しばかり多く
を消費するからである。若干の古代共和制においてはかくの であるから。 ごとくであった。 訳注一 aux 讐直訳すれば技芸なるも、ここでは工業一般をさす。 しかるに今日のわが諸国家においては、土地基本は不平等 第十六章種の増殖についての立法者の関心につい に分配せられ、それはそれを耕作する人々が消費しうる以上 て の果実を生ずるので、もしこれらの国家で工業が閑却され、 市民の人数についての調節は多くの事情に依存する。自然 人々が農業にのみ専念するとすれば、人口は多く〕なりえな がすべてを行なった国もある。立法者はそこでは何もするこ し。耕作しまたはせしめる人々は余分の果実をもっことにな とがない。風土の豊饒が十分の人口をあたえている時、法に るから、何ものもかれらをして次の年労働すべく誘うことは よって繁殖を勧めることがなんの役に立とうか。時には気候 でぎない。果実はけっして働かぬ人々によって消費されぬで あろう。なんとなればこの人々はそれを買うに要する物を持が土地よりも ( 増殖に ) 好適であることがある。人口は増殖 たぬであろうから。したがって工業をおこし、果実が農耕者し、飢饉がそれを亡ぼす。シナの場合がこれである。それで 一言にそこでは父は娘を売り、子を棄てる。トンキンでも、同じ原 と工業者によって消費されるようにせねばならない。 していえば、これらの国家は多くの人々が自己に必要なもの因が同じ結果を生じている。そしてルノードが見聞談をあた えているアラビヤの旅行家のように、この原因を輪廻の説に を超えて耕作することを必要とする。そのためにはかれらに 余剰をえんとの欲望をあたえなければならぬ。しかるにそれ求める必要はない。 同じ理由で、台湾島では、宗教が女子に三十五歳になるま をあたえる者は工業者のみである。 この年齢までは、尼僧がその 技術を短縮するのを目的とするような機械は必すしもつねでは子を生むことを許さない。 に有益ではない。もしもある工作品の値段がころあいで、そ腹をつついて堕胎させる。 れを買う人にも、製作した労働者にもひとしく適したもので 第十七章ギリシャとその住民の数について あるとするならば、その製造を簡単にする、すなわち、労働 者の人数を減らすような機械は有害であろう。だから水車が 東洋のある地方における自然学的原因に基づく、この結果 いたるところに設けられていないとすれば、わたしはそれをを、ギリシャでは政体の特質が生んだ。ギリシャ人は、それ 人々がいうほどに有益なものとは信じないことであろう。なぞれその政体とその法を持っ都市から構成された一大国民で んとなれば水車は無数の人手を遊ばせることになり、多くのあった。それらの都市は今日のスイス、オランダ、ドイツの 人々から水の使用を奪い、多くの土地に豊饒を失わしめたの諸都市と同じく征服的ではなかった。それそれの共和国で
195 第二部 ものによらねばならない たいし報鑽をあたえる。より大なる労働にたいしては、より 大なる報償を結びつけるから、人間を勤勉ならしめるのであ 第二章租税の大なることはそれ自体においてよい る。しかるにもしも恣意的権力が自然の報償を奪うならば、 ことであるというのは謬論であること 人々は再び労働をいやがり、無為が唯一の善事のように思わ 若干の王国内で租税を免除されている小邦が周辺の租税にれてくる。 圧倒されている地方と同じくらい貧窮なのが見られた。その 第三章人民の一部が耕地奴隷である国における貢 主たる理由は、囲まれた小国家は、かれを囲んでいる大国家 物について によって無数な仕方によって妨害を受けるから、工業も手工 耕地奴隷制は時には征服後に成立する。この場合、耕作す 業も製造工業も持ちえないということにある。かれを囲む大 ( 訳注一 ) る奴隷は主人にたいし収益分割小作であるべきだ。労働すべ 国家は工業・製造工業・手工業を持ち、それらのすべての利 く運命づけられている人々と享楽すべく運命づけられている 益をえられるような規則をつくる。したがってその小国家 いかにわずかしか租税をとらなくても、必然的に貧困に人々を和解させうるものは損失と利益の結合以外にはない。 訳注一 9 一 on を三 a e 地主との契約によって収穫物を分割する小作人。 なる。 普通の小作人 (fermier) は毎年一定額を金納または物納するのにたいし、 しかしながら人々はこれらの小邦の貧困ということから、 これは豊凶により額は一定しない。地主と収穫物を折半する者を特に折半小 人民が勤勉になるためには、重税が必要だと結論した。むし 作人 (métayer) という。 ろそのことから重税をかけてはならぬと結論したほうがよか ったであろう。これらの場所に無為に暮らそうとしてひきこ 第四章同様の場合における共和政について もるのは周辺のすべての困窮者達なのである。すでに労働の 苦しさに落胆して、かれらはその幸福のすべてを懶惰の中に 共和国が他国民を自分に代わって土地を耕作すべく余儀な もとめているのだ。 くさせた時、市民が奴隷の貢物を増加しうることを許しては 一国の富の効果はすべての人の心に向上心を持たせること ならぬ。ス。ハルタでは決してそれを許さなかった。農奴 ()i ・ にある。貧乏の効果はそこに絶望を生ぜしめることにある。 lotes) はその隷従が加重されないであろうと知る時、よりよ 向上心は労働によって刺激せられ、絶望は懶惰によって慰め く土地を耕作するであろうと人々は考えたのである。また、 られる。 主人は慣習上受け取ることになっている物以上を欲しがらぬ 自然は人間にたいして公正である。かの女は人間の労苦に時、よりよき市民になるであろうと人々は信じたのである。
222 妻に手をつければ、奴隷夫婦は一一人とも自由人になるであろ ( 原注三 ) 第十一一章奴隷制の濫用 。」主人たちの淫奔を厳しすぎない程度に予防し、阻止す ( 原注こ 回教諸国においては女奴隷の生命、財産のみならず、貞操るための立派な妥協策だ。 または名誉と呼ばれるものもまた、その所有者の自由にまか ローマ人はこの点についてよい取締法をもたなかったよう されている。国民の最大の部分が単に他の部分の逸楽に奉仕だ。かれらは主人たちの淫行を全く自由に委せた。かれらは するためだけに生まれてきているということはこれらの国のある意味でかれらの奴隷から結婚の権利を奪いさえもした。 不幸の一つである。この奴隷制は、このような奴隷が享有し奴隷は国民の最も賤しい部分であったが、いかに賤しくと も、かれらに習俗をもたしむべきであった。それだけでな ている懶惰によって償われているが、これはさらに国家にと って新たな不幸である。 く、かれらから結婚を奪い去ったことは、市民の結婚を腐敗 セライ ( 原注二 ) 東洋の後宮を、そこに幽閉される人たちにとってさえも悦させたのであった。 楽の場所たらしめるのはこの懶惰である。労働をのみ恐れる 原注一シャルダン「。ヘルシャ旅行』参照。 原注二「シャルダン』第二巻中「イザグール市場の描写」参照。 人々はこの静かな場所にかれらの幸福を見出すことができ 原注三第一篇第三二項第五節。 る。しかし、それによって奴隷制設立の精神を傷つけさえも することがわかる。 第十三章奴隷の多数による危険 理性は主人の権力がそのサーヴィスに属することがらを越 奴隷の多いことは政体によって異なる結果を持つ。それは えて拡がらぬことを望んでいる。奴隷制は効用のために存す べきであって、逸楽のために存すべきではない。貞潔の法は専制政体においては少しも負担にならない。国家全体の政治 自然権に属すもので、世界のすべての国民によって尊重され的奴隷制が市民的奴隷制を感じ難くしている。自由人と呼ば れる人々も、ここでその呼称を持たない人々より、大して るべきものだ。 もしも奴隷の貞潔を維持する法が、恣意的な権力がすべて自由ではない。そして、後者は宦官、被解放者、奴隷などの をもてあそぶ国々においてよいものであるならば、それは君資格で、ほとんどすべての仕事を手に収めているから、自由 主国ではどれほどよいであろうか、さらに共和国ではどれほ人の地位と奴隷のそれとはきわめて接近している。したがっ てそこに奴隷として生活する人が多いか少ないかはほとんど どよいであろうか。 ロン・ハルジャ人の法に一つの規定があるが、それはあらゆどうでもいいことなのだ。 ところが、制限国家においては、奴隷が多すぎないという る政体にとってよい規定だと思われる。「主人がその奴隷の
部 223 第 ことはきわめて重要である。ここでは政治的自由が市民的自廃止した。かれらは、国庫に属するすべての被解放者は戦争 に赴くべく、それに反すれば奴隷とされるべしと定めた。か 由を貴重なものにしており、後者を持っていない者はさらに 前者も持「ていない。かれは幸福な社会を見るが、かれはそれらは、それそれのゴート人はその奴隷の十分の一を戦場に れの構成員にすらなれない。かれは安全が他人のために設けつれて行き、武装さすべしと命じた。この人数はとどま「た 人々と比べてあまり大きくはなかった。その上、これらの奴 られ、かれのために設けられていないのを見出す。かれは、 その主人が向上できる魂を持つのに、かれの魂は絶えす低下隷は、その主人に戦場につれて行かれて、別個の一団とはな らなかった。かれらは軍隊にあったが、いわば従来どおり一 するのを余儀なくされているのに気づく。自由人の間で生活 しながら自分は奴隷であるということほど、人を獣類の地位家の中にあ 0 たのである。 に近づかしめるものはない。 このような人々は当然社会の敵 第十五章同じ題目のつづき であり、かれらの数が多いことは危険である。 国民全体が好戦的である時には、武装した奴隷は一そう恐 それで、制限政体では、国家は奴隷の叛乱で混乱させられ ( 原注一 ) たが、専制国家ではそれは非常に稀にしか起こらなかったこれるにたりない。 アルマン人の法によれば、預かった物を盗んだ奴隷は自由 とは驚くにあたらない。 人に課せられるべき刑罰に処せられた。しかしかれが暴力に 原注一マムリュク (Mameluks) の叛乱は特殊の場合であった。それは兵 団であって、帝国を簒奪した。 よってそれを奪った場合には、奪った物を返遠しさえすれば よかった。アルマン人の間では、勇気と力を原理とする行動 第十四章武装した奴隷について はけっして憎むべきものでなかったのだ。かれらはその戦争 奴隷を武装させることは君主政においては共和政よりも危にかれらの奴隷を使用した。大部分の共和国では、奴隷の勇 険が少ない。そこでは好戦的人民と貴族団がそれら武装した気を弱めようと常に努力した。ところが、自分の力を信じて 奴隷を十分抑制するであろう。共和政においては、市民だけ いるアルマン人民はその奴隷の大胆さを増大しようと考え である人々は、武器を手にすれば市民と平等になる人々を抑た。常に武装しているので、かれらはその奴隷を少しも恐れ 制することはほとんどできないであろう。 なかった。奴隷はかれらの掠奪や光栄の道具であった。 ゴート人はスペインを征服して、その地方に拡がったが、 第十六章制限政体において払うべき注意 間もなくきわめて弱くなった。かれらは三つの重要な規則を 作った。かれらはローマ人との異族結婚を禁じた古い慣習を 奴隷にたいして示す人情は制限国家においてかれらのあま
も、だれにたいしても服従しないであろう。習俗も、秩序に たいする愛も、つまり徳行ももはや存しないであろう。 第八篇三政体の原理の腐敗について クセノフォンの『饗宴』には人民が平等を濫用した一共和 政のありのままの描写が見られる。各会食者は順ぐりになぜ 自己に満足しているかの理由を述べる。カルミデスはいう、 第一章本篇の大意 「わたしが自分に満足しているのは、わたしの貧困ゆえにであ ( 訳注二 ) る。金持ちだった時分には、密告者達のご機嫌とりをよぎな 各政体の腐敗はほとんど必ず原理の腐敗に始まる。 くされていた。この連中に害を加えるよりもかれらから害を 第二章民主政の原理の腐敗について 受ける状態にあることをよく知っていたからである。国家は たえすわたしに新たな金額を要求していた。それでわたしは 民主政の原理の腐敗は、たんに人々が平等の精神を失うと きのみならす、極端な平等の精神を持ち、各人が自分に命令家をあけることができなかった。貧乏となってからは、わた しは権勢をえた。だれ一人わたしをおびやかす者はなく、わ すべきものとして選ぶ人々と平等たらんと欲するときにも、 たしは他人をおびやかしている。立ち去ることも止まること 生する。 も自由である。すでに富者はかれらの席から立ち上がり、わ こうなると人民は、自ら委託した権力すら忍ぶことができ なくなり、万事を自ら行なわんと欲し、元老院にかわって審たしから身を避ける。わたしはいわば王様である。昔はわた 議し、執政者にかわって執行し、裁判官全部を罷免せんと欲しは奴隷であった。国家に年貢を納めていたのに、今日では する。 国家が養ってくれる。もはや失う心配はなく、獲得の期待が 国家にはもはや徳行はありえない。人民は執政者の権能をあるのみだ。」 行なわんと欲してかれらをもはや尊敬しない。元老院の審議 人民がかかる不幸におちいるのは、かれが身を託した人々 はもはや威厳がない。それで人々はもはや元老院議員にたい が、かれら自身の腐敗を隠さんがために、かれを腐敗させよ ( 訳注こ 部し、したがって、老人にたいし敬意を表さぬ。老人に敬意をうとっとめるときにである。かれがかれらの野心を見ないよ うにと、ひたすらかれの偉大さを語り、かれらの貪欲に気が 一表さぬとなると、父親にたいしてもまた同様であろう。夫も 第それ以上の恭敬に値しないし、主人も服従に値しない。世をつかぬようにと、たえずかれの貪欲におもねるのである。 腐敗は腐敗させる人々の間に増大し、さらにすでに腐敗せ あげて無秩序の自由を愛するにいたり、命令の束縛も服従の それと同様に、わすらわしいものとなろう。女も子供も奴隷しめられた人々の間に増大するであろう。人民は国帑のすべ
510 に、多くの規則を設けた理由である。そのことは単に、かれそのなかでかれはすでに、かれの土地財産のほとんどすべて が教会にあたえられてしまったと嘆いている。かれはいう、 の時代には大部分の恩給地はまだ終身的であったこと、した がって人々は恩給地よりも自由所有地を大切にしていたこと「わたしの王庫は貧しくなった。わたしの財産は教会に移転 されてしまった。今では君臨しているのは司教たちである。 を証明するにすぎない。しかし、そのことは人々が自由人で かれらは権勢をほしいままにしている。わたしは日蔭者だ。」 あるよりもさらにいっそう国王の家臣となることを望んだこ 領主たちを攻撃することはあえてしなかった宮宰が教会か とを妨げはしない。人々は封地の特定の部分を処分するため の理由は持ちえたが、その栄位自体を封地とともに失うこと ら巻き上げた理由がここにある。そしてペパンがスーストリ は欲しなかったのだ。 ーに入り込むためにあげた理由の一つは、教会のすべての財 さらに、シャルルマンニュがある勅令において、二、三の産を奪う国王、すなわち宮宰の侵害を阻止するために僧侶た 場所においては、自己の封地を所有地として贈与し、その後ちによってそこに招かれたため、というのであった。 でそれを所有地として買い戻す人たちがいるのを嘆いていた オーストラジーの宮宰、すなわち、ペパン家は、教会をヌ ーストリ ことも、わたしはよく知っている。だが人々が用益権よりも ーやプルゴンニュの宮宰よりもより穏和に取りあっ 所有権のほうが好きでなかったとは、わたしはいわない。わかっていた。そしてこのことはわれわれの年代記にきわめて たしがいうのはただ、自由所有地を相続人に移転されうる封明瞭である。そこでは修道士たちがペ。ハン家の信心と布施と 地に変えることができる場合、つまり、わたしが上に述べたを口をきわめて賞めそやしている。かれら自らが教会の主要 文例の場合がそれであるが、人々はそうすることに大変な利のポストを占めていたのだ。シルペリックが司教たちにいっ たように、「からすはからすの眼をえぐらない。」 益を見いだしたということだ。 ペパンはヌーストリーと・フルゴンニュをしたがえた。しか 第九章いかにして教会の財産が封地に変わったか し宮宰たちや国王たちを亡ぼすために教会にたいする圧迫を 王庫土地財産はフランク人を新たなる遠征に誘うため国王口実としていたので、その大義名分と矛盾することなしに が行なうことあるべき贈与に役立つ以外の目的を持っていな は、教会を掠奪して、国民を弄んでいたことを示すわけには かったに違いない。そしてその遠征が他方において王庫土地 いかなかった。しかし二大王国の征服と、反対党の破壊は、 財産を増加したのであった。これが、わたしのいったよう かれの隊長たちを満足させるための十分の手段をかれに提供 に、国民の精神であった。ところが贈与はほかの過程をとっ た。クロヴィスの孫のシルペリックの演説が残っているが、 ペパンは僧侶階級を保護して君主政の主人となった。そし
るであろうし、幸福な人々によって構成されれば、きわめて 第五章いかにして法は民主政の中に平等を打ちた 幸福であろう。 てるか 訳注一 médiocrité= juste milieu 古代共和制の理論は富の平等をもとめ る。モンテスキューの筆は行き過ぎだ。才幹の平等をもとめた共和制はない。 昔のある立法者、リクルグスやロムルスは土地を均等に分 配した。このようなことは、新たな共和国の創立の場合か、 第四章平等と質素の愛はいかにして妓吹されるか それとも、古い共和国が非常に腐敗して、貧者はこのような 平等の愛と質素の愛とは、法がその両者を確立している社救済策を求めざるをえないと信じ、富者もそれを容認せざる 会の生活では、平等・質素自体によって極度に鼓舞される。 をえないと考えるほどに人心が傾いている場合でなければ行 君主政や専制国家においては、何人も平等を願わない。そなわれえなかった。 れは頭に浮かんでくることさえない。各人はそこでは優越を 立法者がこのような均分を行なう場合、もしもそれを維持 望む。最も下賤の身分の人々がその身分から脱せんと欲するするための法を与えないならば、かれは一時的な国家組織を のはひたすら他人の主人たらんがためである。 作ったにすぎぬ。不平等は法が防禦しなかった方面から入り 質素についても同じことがいえる。質素を愛するためには 込み、そして共和政は減び去るであろう。 質素を楽しまねばならない。質素な生活を愛する者は決して だから、均分維持の目的のためには、女子の嫁資、贈与、 快楽によって腐敗した人々ではないであろう。そして、これ相続、遺言など、結局においてすべての契約方法を規定しな が自然な、通常のことであったとすれば、アルキビアデスはければならぬ。なぜなら、もしも人がその欲する者に、また 世界の驚嘆の的となりはしなかったであろう。また、他人のその欲する方法で自己の財産を与えることが許されるとすれ 奢侈を羨んだり、賞賛する人々も質素を愛する者ではないで ば、それそれの個別的意志が基礎法の規定をみだすであろう あろう。富める人や、自己と同じような貧困者のみを眼の前 からである。 ( 原注一 ) に見ている人々も自己の貧困を嫌悪するのみで、貧困を終止 ソロンは、アテネにおいて子供をもっていないかぎり、遣 部せしめるものを愛そうとも知ろうともしない。 言によって人は自己の財産を自分の欲する者に残すことを許 したがって、共和国において平等と質素が愛されるために たが、かれは財産は遺言者の家族内に止まるべきことを命 ( 原注二 ) 第は、法がそれらをそこに確立しておらねばならぬというの じていた古い法に違反したのであったし、また、かれ自身の は、極めて真なる格律である。 法にも違反したのであった。なぜなら、債務を破毀した時、 かれは平等を求めていたのであるから。
216 また、貴族政においても、この政体の本性が許容しうるだけ 第二に自由人がその身を売ることができるというのは事実 すべての人々が平等となるように、法はその努力をつくすべ でない。売るという以上は代価が前提されるわけだが、奴隷 きなのであるから、奴隷は国家組織の精神に反する。奴隷は は身を売ったときに、かれの全財産は主人の所有権に属する 市民が持つべからざる権力と奢侈とを市民にあたえるに役立 ことになり、したがって、主人は何もあたえず、奴隷は何も つにすぎない。 受け取らないことになろう。人あるいはいうであろう、奴隷 は特有財産 (Peculium) を持つであろうと。しかし特有財 第二章ローマ法学者における奴隷制の権利の起源 産は一身に付属するものである。自殺をすることが祖国を逃 奴隷制を設定したものが憐憫の情であり、この情がこの制避することになるから許されないとすれば、身を売ることは 度のための三つの方法で動いたなどと信するものはなかろ いっそう許されない。各市民の自由は公の自由の一部であ ( 原注一 ) る。この資格は、人民的国家においては主権の一部ですらあ 万民法は、捕虜は、人がこれを殺さぬために、奴隷とすべ る。自己の市民たる資格を売ることは人間において想像しえ ( 原注三 ) しと定めた。ローマ人の市民法は債権者によって虐待される られざるほどの不条理な行為である。自由が買手にとってあ 恐れのある債務者に、その身を売ることを許した。しかして る値段を持っとしても、売手にとっては値段のつけられない 自然法は奴隷たる父親がもはや養いえない子供たちは、その ほど貴いものである。人々に財産の分配を許した市民法がこ 父親のごとく奴隷たるべしと定めた。 の分配をなすべき人々の一部を財産の中に数えたということ かかる法学者たちの議論はまったく道理にかなっていな はありえない。当事者の一方のなんらかの損害を包含する契 ( 訳注一 ) 。第一、戦争において、緊急必要の場合以外に人を殺すこ約を無効とする市民法は、すべての中で最も大きい損害を含 とが許されるというのは誤りである。しかるに、ある人間がむ合意を無効とせざるをえない。 第三説は出生であるが、これも前一一者とともに崩れ去って 他の人間を奴隷とした以上は、かれが相手を殺す緊急必要の 場合にあったなどということはできない。なんとなれば、か しまう。なんとなれば、人間が身を売ることができなかった せがれ れは相手を殺さなかったのだから。戦争があたえうる捕虜に とすれば、さらにいっそう生まれていないその伜を売ること たいする権利のすべては、捕虜がもはや害をなしえぬように、 はできなかった。捕虜が隷属状態におちいりえぬとすれば、 その身体を拘東するということである。軍人によって、戦闘 いわんやその子供は奴隷になりえない。 の熱狂の後に、冷静に行なわれる殺人は世界のすべての国民 犯罪人の死を適法なことがらとなすものは、かれを罰する ( 原注二 ) によって排斥されている。 法はかれの利益のためにつくられたものであるということで
国家はもはや破減したにひとしい。 象を変じ、人々はかって愛していたものを、もはや愛さなく イギリス人が自分達の間に民主政を樹立しようとして無益なる。人々は法と共にあって自由であったのが、法に反して な努力をやっているのを見るのは、前世紀におけるかなり面自由でありたいと思う。各市民はその主人の家から逃れた奴 白い観物であった。政務にたずさわった連中はまったく徳性隷のごとくである。かっては格律であったものが、今日では ( 原注一 ) くびき をそなえす、かれらの野望は一番思いきってふるまった奴の厳酷と呼ばれ、規範であったものは軛と呼ばれ、親切であっ アヴァー 成功に激発され、ある徒党の精神は他党のそれによらすんば たものが威嚇と呼ばれる。今日、しみったれというのは質素 制圧されなかったので、政体はたえす変わっていた。人民はのことであり、強欲のことではない。昔は個人の財産が国庫 驚愕して民主政を探しまわったがどこにも見いだせなかっ なのであったがいまや国庫は個人の家産となった。国家は一 た。結局、、 しろいろの変動、衝撃、動揺の後に、かって排撃つの獲物であり、国家の力はもはや若十の市民の権力と万人 した政体そのものの中に休息せざるをえなかった。 の放恣であるにすぎない シルラ (Sylla または Lucius Cornelius Sulla) がロー アテネはあれほどの光栄をもって覇をとなえていた間も、 マに自由を復活させようと思「たとき、ローマはもはやそれあれほどの屈辱をもって隷属した間も、その内部には同一の を受け取ることができなかった。もはや徳性のなごりしか持兵力を持「ていたのである。ベルシャ人にたいしてギリシャ 「ていなか 0 たのである。そして、その徳性の残りもますまを護「たときも、ス。 ( ルタと覇を争「たときも、シチリヤを す減る一方だ「たので、カ = サル、ティベリウス、カイウス、攻撃したときも、二万の市民を持「ていた。ファレアのデメ クロード、ネロ、ドミチャンらの皇帝が続いた後に覚醒する トリウスがあたかも市場で奴隷を勘定するかのごとくにかれ どころか、たえず奴隷的になるばかりであ「た。打撃は全らの人口調査をや「たときにも一一万の市民を擁していた。マ 部、僭主に加えられ、僭主政にはまったく加えられなかっ ケドニヤのフィリップがおこがましくもギリシャで覇をとな えんとしたとき、かれがアテネの城門にその姿を現わしたと 人民的政体裡に生活していたギリシャの政治家達はかれらき、アテネの失「たものはまた時機でしかなか「た。デモ を支持しうる力として徳性のカ以外を認めなかった。今日の ステネスの演説を見ればアテネを覚醒させるためいかなる苦 政治家どもは工業、商業、財政、財貨と奢侈そのもの労が必要であ 0 たかが解る。アテネがフ ィリップを恐れてい についてしかわれわれに語らない。 たのは、自由の敵としてではなく、なんと、逸楽の敵として かかる徳性が喪失するとき、野望がそれを受け入れうる人であったのである。あれほど多くの敗戦に抵抗したこの都 人の心に入りこみ、強欲がすべての心に入りこむ。欲求は対市、幾多の破壊から再生したこの都市は、ケロネで敗れ、そ マニュファクチュール