170 政官もこれについては王にならった。この権力に基づいて執 民事事件からはじめる。 プラエトール ( 原注一 ) 国王放逐後は執政官が裁判した。執政官の後には法務官が政官ブルートスは自分の子供たちとタルキヌス王家のために 裁判したのと同様である。セルヴィウス・トルリウスは民事陰謀を企てたすべての者を死刑に処したのである。この権力 は法外のものであった。執政官はすでに軍事権をもっていた 事件の裁判を手放していた。執政官もまたそれらを裁判しな ( 原注二 ) かった。極めて稀な場合ーーーその理由によって非常と呼ばれので、それを市の政務にまで行使した。そしてかれらの手続 はこの限りではなかったが。かれらは裁判官を任命は裁判の形式を欠いていたから、判決というよりむしろ暴力 的行為であった。 し、裁判を行なうべき裁判所を設けることで満足した。ド ( 原注三 ) ニ・ダリカルナスの中のア。ヒウス・クラウデイウスの演説に これがヴァレリヤ法を作らせたのだ。この法は市民の生命 よると、ローマ紀元二五九年以来、これはローマにおける確を危険にさらすかも知れぬすべての執政官の命令につき、人 民に訴えることを許した。執政官はもはや、人民の意志によ 定した慣習とみなされていたようだ。だからこの慣習をセル ヴィウス・トルリウスに帰せしめるのは時代を非常に前にさ らずには、ローマ市民に死刑を宣することはできなかった。 かのぼらせることにはならぬ。 タルキヌス王家復辟の第一回陰謀においては執政官ブルー トスが犯人を裁いたのを見たが、第二回には、裁判のため元 毎年法務官はかれの執務年間裁判官の職務を行なうために ( 原注七 ) ( 原注四 ) 選んだ人々の名簿または表を作成した。各事件について十分老院と民会とが召集された。 なだけの人数がそこからえらばれた。これはほ、ほ同様にイギ 神聖法と呼ばれた法は平民に護民官をあたえたが、その護 リスにおいて行なわれている。それに、自由にとって非常に民官は一団を形成し、それは当初莫大な要求を持っていた。 ( 原注六 ) ( 原注一れ ) 有利だったことは、法務官は当事者の同意をえて裁判官をと平民における要求する卑しい大胆さと、元老院における与え ったことである。今日イギリスにおいて多くの忌避が行なわる寛容、またはだらしなさと、どちらが一そう大であったか、 われわれには解らない。ヴァレリヤ法は人民、すなわち、元 れているのは、ほ、ほこの慣行にしたがっているのだ。 これらの裁判官は事実問題のみを決した。たとえば、ある老院議員、貴族、平民で構成された人民への上訴を許した。 金額が支払われたかどうか、ある不法行為が犯されたかどう平民は、かれらにたいして上訴は提出されるべきだと定めた 間もなく、平民は貴族を裁判しうるかどうかが問題になっ か、を決した。だが法律問題については、それは一定の能力 を必要とするので、それは百人法院 (tribunal des centum- た。これはコリオラヌス事件によって惹起され、この事件と 共に終わった論争の題目であった。コリオラヌスは護民官に virs) に提出された。 王は刑事事件の裁判は自分の手に保留していた、そして執よって人民の前に弾劾されたが、自分は貴族であるから執政
その情熱は指揮することにあり、その野望はすべてを服従ない、陸海軍を指揮し、同盟国の軍隊を処置した。かれらは 州において共和国のすべての権力を持っていた。被征服国民 させることにあり、今まで簒奪をこととしてきたが、なおも に平和をあたえ、かれらに平和の条件を課し、またはかれら 簒奪をつづけていたローマは、たえす重大な事件をもってい を元老院に差し向けた。 た。それでローマの敵がかれにたいして陰謀をめぐらしてい 初期においては、人民が戦争と講和に関する事務にある程 るか、それともローマがかれの敵にたいして陰謀をくわだて 度参与していたころは、人民はその執行権より、むしろ立法 ていたのである。 一方には、英雄的勇気を持「て、他方には完全な英知を持権を行使していた。人民は国王、そしてその後においては執 って、行動することをよぎなくされたローマにおいては、事政官または元老院の行なったことを確認する以外のことはほ 態は元老院が政務の指揮権を持っことを必要としていた。人とんどやらなか「た。人民が戦争をやるかどうかの決定者で 民は立法権のあらゆる部門を元老院と争った。なぜならかれあったどころか、執政官や元老院がしばしば人民の護民官の は自己の自由を愛惜していたから。だが執行権の諸部門はこ反対にもかかわらず戦争を行な「たのをわれわれは見るので れを元老院と争おうとはしなかった。なぜなら人民はその光ある。だが繁栄に酔いしれて、人民はその執行権を増大し た。そこで人民は自ら軍団長を任命した。これはその時まで 栄に愛着していたから。 元老院の執行権にたいする参与は非常に大であ 0 てポリビ将軍が任命したものである。そして第一回ポ = = 戦役の少し ( 原注一 ) 前には、人民のみが宣戦の権利をもっと定めた。 ウスの説では、外国人はみなローマを貴族政だと考えていた。 原注一第六篇。 ( 訳補 ) polybius ギリシャ著名の歴史家、四〇巻におよ 元老院は公金を処理し、国庫収入を請負わせた。それは同盟 ぶ「ローマ史』あり。 国間の事件の仲裁者であった。それは戦争と講和を決定し、 原注二ローマ紀元四四四年 ( 「テイトス・リヴィウス」第一部第九篇第三 〇章 ) 。マケドニヤ王。ヘルセウスにたいする戦争が危うくなった時、元老 この点においては、執政官を指揮した。かれはローマの軍隊 議決はこの法が停止されるべきことを命じ、人民はそれに同意した ( 「テイト と同盟国の軍隊の数を定め、諸州と軍隊の指揮を執政官また プラエトール ス・リヴィウス』第五部第二篇 ) 。 は法務官に分配した。そして統帥の任期が終了すると、かれ 原注一一一 Freinshemius はいう、「人民はそれを元老院から奪い取った。」 らに後継者をあたえることができた。それは戦勝をいいわた ( 第二部第六篇 ) 。 一一した。外交使節を派遣し、接受した。諸王を任命し、報償し、 第十八章ローマの統治における裁判権について 第処罰し、裁判し、かれらにローマ人民の同盟者の称号をあた 裁判権は人民、元老院、長官、特定の裁判官にあたえられ えたりまたは失わせた。 た。それがどのように分配されたかを見る必要がある。ます 執政官はかれらが戦争に率いてゆくべき軍隊の召集をおこ コンスル
もちろんわたしは、イタリヤ諸共和国の純粋な世襲貴族政しても行使されるのではないから。一方は国家の一般的意志 はアジアの専制政治とまったく同じではないと考える。執政たるのみであり、他方はこの一般的意志の執行にすぎぬがゆ 者の数の多いことはときとしてその職をおだやかなものとすえに。 しかし、裁判所が固定的であってはならぬとしても、判決 る。すなわちすべての貴族が必すしも同一の計画に協力する とは限らない。そこには多様な機関がつくられ、たがいに抑はまさに法の明文にほかならぬというほどに固定的であるべ 制する。だから、ヴェネチャでは、大評議会は立法権を持ち、 きである。それがかりに裁判官の個人的意見であるとすれ 。フレガディ (prégadi) は執行権を、クワランチャ (quaran ・ ば、人々は社会においてとり結んだ契約を正確に知ることな ( 訳注四 ) tia) は裁判権を持っていた。だが不幸にして、これらのあい しに社会生活を営むことになろう。 異なる機関は同一団体から出た執政者から形成せられる。こ 裁判官は被告と同じ地位の者、つまり同輩たることも必要 れでは単一の権力であるのとあまり変わりがない。 である。それは被告がおのれを害さんとしている人々の掌中 裁判権は常設的な元老院にあたえらるべきではない。それにおちいったと思いこむことがないようにするためにであ は一年のある時期に、法に規定されてある方法で、必要な期る。 間だけしか存続しない裁判所を構成するため人民集団より選 自己の行動について保証を提供しうる市民を監禁する権利 ( 原注三 ) び出された人々によって行使さるべきである。 をもしも立法権が執行権にあたえるならば、もはや自由はな このようにして、世の中できわめて恐ろしい裁判権も、あ い。ただし、法が死罪と定めた告訴にたいし遅滞なく答弁す る身分にも、ある職業にも結びつかないときには、いわば眼るために逮捕される場合はこの限りでない。 この場合には、 に見えない、存在しないかのごときものと化する。眼の前に市民は事実上自由なのである。なんとなればかれらは法の権 たえず同じ裁判官の姿を見ているということは決してなく、 力に服従させられているにすぎないのであるから。 判官職を恐れるとしても、判官を恐れなくてすむ。 しかし、国家にたいするなんらかの陰謀または外敵との内 重大な公判においては、犯罪人は法と協同して自ら裁判官応によって立法権が自ら危険にさらされていると感じた場合 部を選ぶべきでありさえもする。少なくとも非常に多数の裁判 には、短い、制限された時間を限って、執行権に嫌疑ある市 一一官を忌避しえて、残った者はかれが選んだ者とみなしてよい 民を逮捕させることを許可しうるであろう。これらの市民は 第ほどであるべきである。 一時的にその自由を失うであろうが、それは永久にこれを保 他の二つの権力はむしろ常置的な執政者ならびに団体にあ有するためにである。 ( 訳注五 ) たえてよかろう。なんとなればそれらはいかなる個人にたい しかしてこれそスパルタのエフォルス (ephorus) の暴虐
401 第五部 国民が排除しうるのならば、まして、その国民は抛棄せし い。警察の行為は迅速であり、毎日繰り返しておこる事柄に める権利を持っている。もしもその国民が特定の結婚がその たいして行なわれる。だから大きな処罰はそれには適当でな 独立を失わしめ、または国土の分割におとしいれるかもしれ 。警察権は絶えず小さな事項を取り扱う。それで大きな範 ぬ結果を持ちはせぬかと恐れる場合には、その国民は当然婚例はそのために設けられてない。それは法よりはむしろ規則 姻の契約者たちと、かれらから生まれるべき人たちに、その によって支配される。警察権に属する人たちは絶えず執政者 国にたいしかれらが持っことのあるあらゆる権利を放棄せし の眼の下にある。したがって、もしその人たちがやりすぎれ めることができるであろう。そして放棄する者も、放棄によ ば、執政者の罪になる。だから法のはなはだしい侵犯と単な って不利益をこうむる者も、国家はかれらを排除する法をつ る警察犯とを混同してはならぬ。これらのことは異なる秩序 くっておくことができたのであるから、不平を鳴らすことは に属するのだ。 ( 訳注こ できないであろう。 このことから次のようにしし 、うる。火器の携帯が死をもっ 原注一これについては、第五篇第一四章、第八篇第一六ー二〇章、第九篇 て罰せられ、それを悪用することはそれを携帯するより致命 ( 原注一 ) 第四ー七章、第一〇篇第九章・第一〇章参照。 的でないイタリヤのあの共和国においては、人々は事物の自 訳注一ルイ十四世の主張にたいする諷刺。スペイン王フィリップ四世の死 に際し、その娘であるフランス王妃マリ・テレーズはフランドルとフランシ然にしたがわなかったのだ。 ュ・コンテ相続の権利ありと主張して戦を開いた。 さらにこうもいえる。不正行為の現場を押えたパン屋を串 差しの刑に処したかの皇帝の非常に賞讃された行為は、トル 第二十四章警察規則は他の市民法とは別の秩序に コ皇帝の行為であって、正義自体を踏みにじることによって 属すること のほか、正しくありえないのだ。 原注一ヴェネチャ。 執政者が処罰する犯罪人があるが、またその矯正する犯罪 ( 訳注一 ) 人もある。前者は法の権力に服せしめられ、後者は執政者の 第二十五章それ自身の性質から引出される特殊な 権威に服せしめられる。前者は社会から排除され、後者は社 規定にしたがうべき事物に関する場 会の規律にしたがって生活するように強制される。 合、市民法の一般的規定にしたがって 警察権の執行においては、罰する者は法よりもむしろ執政 はならぬこと 者である。犯罪の裁判においては、罰する者は執政者よりも むしろ法である。警察事項は毎瞬おこる事柄であり、通常と 航海中に同じ船の船員間において約定されたすべての市民 るにたらぬ事件である。したがって手続はあまり必要でな的債務が無効であるとする法は良法であるか。フランソワ・
174 いて」にあるこの著者の断章。 は文武の執行権を持っているから、たしかに立法権もまた持 原注一七「徳性と悪徳について」より引用の、かれの歴史の断片。 たねばならぬ。なぜなら、かれのほかにだれが法を作るであ 原注一八「徳性と悪徳について」第三四篇の断章。 ろうか。かれが裁判権を持っこともまた必要である。なぜな 訳注一この時かれはアジアの州長官であった。 ら、かれと独立してだれが裁判できようか。かくて共和国の 第十九章ローマの州政治について 派遣する総督は、ローマ諸州におけるごとく、三権を持たざ ( 原注二 ) るをえぬ。 都市ローマにおいて三権はこのように分配されたが、州に 君主政はより容易にその政体を伝えることができる。なせ おいては三権が同じように分配されていたどとろではない。 ならその派遣する官吏のある者は文治的執行権を持ち、他の 自由は中央にあった、そして暴政は辺境にあった。 ローマがイタリヤで支配していただけの間は、諸人民は連者は軍事的執行権をもっから。そのことは専制主義をもたら 盟国として統治された。そしてそれぞれの共和国の法は遵奉さない。 人民によるのでなければ裁判されえないということはロー された。だが、ローマがその征服を拡大し、元老院の眼が州 に直接とどかなくなり、ローマにいる執政者たちがもはや帝マ市民にとって非常に重大な特権であった。それがなけれ プロコンスルプロプラエトル ば、ローマ市民は州においては地方総督や代官の恣意的権 国を統治できなくなった時、法務官や地方総督を派遣するこ とが必要となった。そうなると、三権のあの調和はもはや存力に服せしめられたであろう。ローマ市は少しも暴政を感じ 在しなくなった。派遣された人々はローマのすべての官職のなかった、暴政は被征服国民に対してのみ行なわれた。 こういうわけで、ローマ世界においては、ス。ハルタにおけ 権力を合一した権力をもっていた。それどころか、元老院の ( 原注一 ) 権力さえも、人民の権力さえも持ったのである。それは派遣るごとく、自由な人間は極度に自由であり、奴隷は極度に奴 された場所の遠隔さに大いに適した、専制的執政者であっ隷であった。 た。かれらは三権を行使した。こんな一一一口葉を使ってよいとす 市民たちが租税を払っていた間、それは極めて公正に徴収 された。セルヴィウス ・トルリウスの制度が遵奉されて、そ れば、かれらは共和国のパシャ ( ト 地加 : ) であ 0 た。 われわれが他の場所で述べたことだが、共和政では同じ市れは全市民をその富の順序にしたがって六階級に分かち、そ の租税の負担分を各人が統治においてもっ割前に比例して定 民が事物の性質上、文武両職をもたねばならなかった。その 結果、征服を行なう共和国はそれ自身の政体を伝えて、被征めたのである。そこから、権力の大なるために租税の大なる ことに苦しんだり、租税の小なることによって権力の小なる 服国家を自己と同じ政治形体の下に統治することはほとんど できない。事実、その共和国が統治のために派遣する執政者ことを我慢するということが起こるのであった。
168 を有する団体自体の上に立法権を行使した。キケロはいっ 第十六章ローマ共和政における立法権について た、「戸口調査官ティベリウス・グラックスは被解放者を都 トリプ 十大官の下では、奪い合うような権利がなかった。ところ市の部落に移したのはその雄弁によってではなく、ただ一語 と、一挙動によってであった。もしかれがそうしなかったと が、自由が戻ってくると嫉妬が再燃した。貴族たちに特権が 少しでも残っているかぎり、平民たちはそれをかれらから取すれば、今日われわれがやっと支えているこの共和政は、も はやもたないであろう」と。 り上げた。 他方において、元老院は都統の創設冫 こよって、共和政 もし平民が貴族たちからその特権を奪うことに満足し、貴 族たちの市民たるの資格までも傷つけなかったならば、災はを人民の手から、いわば、奪う権力をもっていた、この都統の 少なかったであろう。人民が種族により、または百人組によ前では主権者も頭をたれ、もっとも民衆的な法も沈黙の中に ( 原注れ ) とどまった。 って集合した場合、それは元老院議員、貴族および平民によ ( 原注一 ) 原注一「ドニ・ダリカルナス」第一一第七二五頁。 って構成されていた。論争において、平民は、貴族もなく、 原注二神聖法によって、貴族が集会に加わることなしに、平民だけで平民 元老院もなく、かれらだけで平民会議決 (Plebiscitum) と呼 会議決をなしえた。「ドニ・ダリカルナス」第六篇第四一〇頁および第七 ( 原注二 ) ばれる法を作ることができるという主張を貫いた。そしてこ 第四三〇頁。 トリプ 原注三十大官放逐後作られた法により、貴族は平民会で投票をなしえなか れらの法が作られた民会は部落による民会と呼ばれた。こん ( 原注三 ) ( 原注 ) ったにもかかわらず、平民会議決に服せしめられた ( 「テイトス・リヴィウ なわけで、貴族が全然立法権に参加しないで、国家の他の団 ス」第三篇 ) 。そしてこの法はローマ紀元四一六年、都統ププリウス・フィ 体の立法権にしたがわされる場合があった。これは自由の逆 口によって確認された ( 「テイトス・リヴィウス』第八篇 ) 。 原注四ローマ紀元三一二年、執政官はまだ戸口調査を行なっていたと「ド 上状態というべきであった。人民は民主政を立てるために、 ニ・ダリカルナス』によれば考えられる ( 第一一篇 ) 。 民主政の原理そのものを破ったのである。このように法外な 原注五すべての執政者の命令にたいして人民に訴えることを許した法のご 権力は元老院の権力を消減させるにちがいなかろうと思われ たたが、ローマは驚嘆すべきいくつかの制度をもって 第十七章同じ共和政における執行権について た。とりわけ二つの制度をもっていた。その一つによって人 民の立法権は規正された。他方によって、それは制限され 人民はその立法権に愛着したとしても、その執行権につい てはそれほどでもなかった。かれはそれをほとんど全部、元 ル コンスル ( 原注四 ) 戸口調査官が、そしてそれ以前冫。 こよ執政官が五年ごとに、 老院や執政官に託し、自分には公職者を選任し、元老院と将 いわば人民の団体をかたどり、創ったのだ。かれらは立法権軍の行為を確認する権利だけを保留した。 こ 0 ディクタトール
494 り、その大きな部分を武力と暴力によってしたがえるのを見ない事実については、それを否定する者の権威はそれを主張 た場合、そして、その後まもなく国家全体が、降参の仕方にする者の権威に等しい。それのみならすわたしにはそれを否 ついて歴史は何もいわないが、降参した場合、事件はその始定する一つの理由がある。グレゴワール・ド・トウールは、 まった時と同じように終わったのだと信ずべききわめて正当執政官職については語っているが、地方総督については何も な理由がある。 いっていない。そしてこの地方総督の職も、およそ六カ月っ この点で間違いを犯したとすると、デュ・ポス神父の全体づきえたにすぎなかったであろう。クロヴィスは執政官に任 系が雪だるまのように溶けてしまうのを見るのは容易なこと命された後一年半で死んだ。地方総督の職を世襲と主張する だ。そしてかれが、ゴールはフランク人によって征服された ことは不可能である。最後に、執政官職と、もしお望みなら のではなく、フランク人はロ 1 マ人から招待を受けたのだ、 ば、地方総督の職がかれにあたえられた時には、かれはすで という原理から何か帰結を引きだすたびごとに、それは嘘だ に君主国の支配者であった。そしてすべてのかれの権利は確 とつねにいうことができる。 立されていたのである。 デュ・ポス神父はクロヴィスが授与されたローマの諸栄典 デュ・ポス神父の引証する第二の証拠は、ユスチニアヌス によって、かれの原理を証明する。クロヴィスは軍の統領帝がゴールにたいする帝国のすべての権利を、クロヴィスの (magister militiae) の職をその父シルデリックから継いだ子供たちと孫たちに譲渡したことである。この譲渡について のだとかれは主張する。だがこの二つの職は純粋にかれの創 はわたしには大いに言い分がある。フランク人の諸王がこれ 設にかかるものだ。デュ・ポス神父が根拠としている聖ル、、 に示した関心は、かれらがその条件を執行した方法によって からのクロヴィスへの手紙は、かれの即位にたいする祝辞に 判断しうる。しかも、フランク人の諸王はゴールの主人であ すぎない。文書の書かれた目的が知られている時に、なぜ神った、平和を好む主権者であった。ュスチニアヌス帝はそこ 父はそれに知られざる目的をあたえるのか。 に寸土といえども持っていなかった。西口ーマ帝国は減びて クロヴィスはその治世の末期に、アナスタシウス帝によっすでに久しく、東ローマ皇帝はゴールにたいして単に西口ー コンシュル て執政官とされた。だが、ただ一年かぎりの権力がかれにい マ皇帝を代表するものとして権利を有するにすぎなかった。 かなる権利をあたえたであろうか。デュ・ポス神父がいうに これは権利にたいする権利であった。フランク王国はすでに は、同じ免許状によって、アナスタシウス帝はクロヴィスを建設されていた。フランク人の定住の規則はつくられた。王 プロコンシュル 地方総督としたふしがある、と。だがわたしは、かれはそう国内に住む個人間の、および諸民族間の相互的権利は認めら しなかったふしがあるというであろう。なんらの根拠を持たれた。それぞれの民族の法はあたえられ、しかも成文に編纂
原注九同前、第九篇第六〇五頁。 した。十大官がかれらの暴虐をたくましくした時、ローマは 訳注一 inter-rex 王位空白の場合、国王の職務代理執行を委嘱された役人。 自分のあたえた権力に驚いたのであった。 共和政時代には執政官が死亡または職務を行ないえぬ場合、その代理をする だが、これはなんという奇妙な暴政の制度であったこと ため元老院によって任命された貴族の役人。 訳注二 CorioIanus コリオル人を破ったカイウス・マルシウスのあだ名。 か。この暴政は市民的事務の知識だけで政治的、軍事的権力 前五世紀の有名な将軍。後ヴォルスク人と通じて、ローマに叛旗をひるがえ を獲得したにすぎない人々、まさにこの時に、内においては おとなしく統治されるままになっているように、市民たちの 怯懦を必要とし、外においては自分たちを守ってくれるため 第十五章ローマは共和政の繁栄状態において、 の市民たちの勇気を必要としていた人々によって作り出され かにして突然その自由を失ったか たのだ。 貴族と平民の間の火のような論争のうちで、後者は判決が 貞操と自由のために自分の父親の手でいけにえに捧げられ たヴィルギニアの死の光景は、十大官の権力を消減させた。 今後は気まぐれな意志や恣意的な権力の結果でないように、 固定した法が与えられることを要求した。多くの抵抗の後各人は自由になった、それは各人が侮辱されたからである。 に、元老院はそれに同意した。これらの法を作成するためにすべての人が市民となった、それはすべての人が父親だった 十大官が任命された。かれらには大きな権力があたえられねから。元老院と人民は滑稽な暴君たちに託されていた自由に ばならぬ、なぜなら、かれらはほとんど相容れぬ両当事者に復帰した。 スペクタクル ローマの人民は、ほかの人民よりも。見せものによって感 対して法をあたえなければならぬから、と人々は信じた。ほ コミチア リュクレチャの血に染んだ身体を見せら とんどすべての官職への任命が停止された。そして民会にお動するのであった。 れると、王政を廃した。傷だらけになって広場に現われた債 いてかれら十大官は共和国の唯一の管理者として選ばれた。 かれらは執政官の権力と護民官の権力とを身につけた。その務者は共和政の形態を変えさせた。ヴィルギニアの姿は十大 ( 訳注こ 一方がかれらに元老院を召集する権力をあたえた、他方が人官を放逐させた。マンリウスを断罪するためには、人民にカ ビトールを見せてはならなかった。カエサルの血染の寛衣は 民を召集する権利をあたえた。だがかれらは元老院も人民も 召集しなかった。共和国において十人だけが、全立法権、全ローマを再び奴隷状態におとしいれた。 訳注一 ManIius ガリヤ人に包囲されたカ。ヒトリウムの丘にあるジュビテル 第執行権、および全裁判権を掌握した。ローマはタルキヌスの 神殿を救ったので、マンリウス・カビトリヌスと呼ばれたローマの執政官。 暴政と同じほど残酷な暴政に服従させられた。タルキヌスが ローマ人はこの神殿の見えるところでかれを死刑にすることはできなかっ その暴虐を行なった時、ローマはかれが簒奪した権力に立腹
に参与すべきである。しからずんばまもなくその特権を失っ 古代の共和国にして、人民が全体として間題の討議をなし てしまうであろう。しかし、立法権が執行権に参与するなら たところでは、執行権がそれを提案し、人民とともにそれを ば、執行権はやはり、同じように減亡するであろう。 討議したのは当然のことである。しからすんば、議決に異常 もしも君主が命令する権能によって立法に参与するならの混乱が生じたことであろう。 ば、もはや自由はないであろう。しかしながら、かれは自己 もしも執行権が国帑の徴収にたいして、その同意以外の方 防禦のために立法に参与せざるをえないから、その阻止権に法で決定を行なえば、もはや自由は存在しないであろう。な よって参与すべきである。 んとなれば、執行権が立法の最も重要な点において立法権的 ローマにおいて政体が変わ 0 た原因は、執行権の一部を持になるであろうからである。 っていた元老院と、他の部分を持っていた執政者とが、人民 もしも立法権が、一年ごとでなくして永久的に、国帑の徴 のごとく、阻止する権能を持っていなかったからである。 収について規定するならば、立法権はその自由を失う危険を したが「てわれわれが説くところの政体の基礎的構造は次おかすことになる。なんとなれば、執行権はもはや立法権に のごとくである。そこでは立法府は二部からなるゆえ、その依存しなくなるであろうからである。しかも、かくのごとき 相互的な阻止する権能によ「てあい東縛されるであろう。両権利を永久に保有するとなれば、この権利を自身よりえたも 者ともに執行権に東縛されるが、後者自身も立法権によって のか、他より、えたものかということはどうでもよいことにな 東縛されるであろう。 る。立法権が執行権に託すべき陸海軍にたいし、一年ごとで これら三権は休止または不活動の状態を形成するはすだと なしに、永久的に規定する場合も、事情は同様である。 いうかもしれぬが、事物の必然的連動によって、進行を強制 執行する者が圧制しえぬようにするには、かれに託される されるから、これら一二権は足なみそろえて行進することをよ軍隊が「リウスの時代までのロー「におけるごとく、人民で ぎなくされるであろう。 あり、人民と同一の精神を持たねばならない。そして、かく 執行権はその阻止する権能によってのみ、立法権に参与すあるためには、二つの方法しかない。あるいは軍隊に採用さ るのであるから、それは問題の討論に加わることはできぬでれる人々が、他の市民にたいしその行動の責に任ずるだけの あろう。提案することさえ必要ではない。なんとなればいっ財産を持ち、ローマにおいて行なわれたごとく、一年を限っ でも議決を否認しうるのであるから、行なわれなければよか て軍籍に編入されるべきである。あるいはまた、国民の最も ったと思「た提案の採決をいつでも拒否することができるの下賤な部分である兵よりなる常備軍があれば、立法権はその であるから。 欲する瞬間にこれを罷免しえて、兵士は市民といっしょに住
152 は永続的に法をつくり、 既存の法を改正または廃止する。第 ヨーロッパの多数の王国においては、政体は制限的であ 二のものにより、講和または戦争を行ない、外交使節を交換る。なんとなれば君主は一と二の権力を持「ているが、第三 し、安全を保ち、侵略を予防する。第三のものにより、犯罪の権力の行使はこれをその臣下にゆだねているからである。 シュルタン を罰し、または個人間の争訟を裁判する。二つの執行権の トルコにおいてはこれらの三権は皇帝に集中せられており、 中、この最後のものを裁判権と称し、他をたんに国家の執行むごたらしい専制政治が君臨している。 権と呼んでよい イタリヤ諸共和国においても、これら三権が集中している 各市民における政治的自由とは各人が自己の安全について ので、わが諸君主国におけるよりも自由の存することが少な いだく意見にもとづく精神の安穏である。しかして人々がこ ( 原注一 ) い。かくて、この政体が維持されるためには、トルコの政体 の自由を持っためには、市民が他の市民を恐れることはあり と同じく強暴な手段を必要とする。国家の糺問官 (lnquisi ・ ( 原注二 ) えないように政治が行なわれなければならない。 teurs d'Etat) ならびに賞金めあての密告者のだれでもが一 同一人物の手に、または、同一官職団体の手に、立法権と通の書面で告訴を投げこむことのできる告訴函はその証左で 執行権とがかねられるとき、自由は存在しよ、。 オしなんとなれある。 ば、同一君主または同一元老院が暴政的な法をつくってそれ これらの共和国における市民の地位がいかなるものであり を暴政的に執行する恐れがありうるからである。 うるかを見よ。同一の執政団体が立法者としてその手に握っ 裁判権が立法権および執行権と分離していない場合もま た全権力を、法の執行者として持っているのである。この団 た、自由は存しな、。 この権が立法権と結合しておれば、市体はその一般的意志によ 0 て国家を劫掠することができる 民の生命および自由にたいする権力が恣意的なものとなろ し、また、裁判権を持つがゆえに、その特殊的意志によって う。裁判官が立法者となるわけであるから、この権が執行権各市民を破減させることもできる。 と結びついているとすれば、裁判官は圧制者の力を持ちうる そこではすべての権力が唯一であり、専制君主を明らかに であろう。 示す外観的壮麗はないけれども、各瞬間に専制君主の存在が もしもただ一人の人物、もしくは有力者であれ、貴族であ感知されるのである。 れ、または人民であれ、それらの一団体だけがこれらの三 だから専制的になろうと欲した君主は必す、ます一身にあ 権、すなわち法をつくる権、公の議決を執行する権、ならびらゆる長官の職を集めだしたのであり、ヨーロツ。、 / の多くの に犯罪もしくは個人間の争訟を裁判する権を行使するとすれ国王もその国家のすべての重要な官職を一身に集中せんとし ば、すべては失われるであろう。