多く - みる会図書館


検索対象: 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神
425件見つかりました。

1. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

242 の種類だけの党派にわかれた。山の人たちは全力をつくして 人民的政体を欲した、平地の人々は有力者たちの統治を、海 第十八篇法と地味の性質の関係 に近い人々はこの二つの混合した政体を支持した。」 第二章同じ題目のつづき 第一章地味の性質がいかに法に影響するか かの肥沃な土地たるや最強者にたいしては何も争うことの できぬ平野である。だから人々はこやつに服従する。しかし 一国の地味の肥沃はそこに自然的に従属制を成立させる。 人民の主要部分をなす農民はその自由をたいしてたいせつに てこやつに降参すれば、自由の精神はそこに戻ってこられな しなし。かれらはかれらの個人的仕事にあまりにも忙がしく いであろう。農村の財貨は忠誠の担保である。しかるに、山 あまりにも熱中している。財貨に豊かな農村は掠奪を恐れ、 の地方では人々はその有するものを保持することができる、 冫いった、「よい党をつくそして、保持すべきものは少ししかない。自由すなわち人々 軍隊を恐れる。キケロはアチクスこ るものはだれか。商人や農民が君主政に反対であるとわれわが享有する統治、これが防衛に値いする唯一の財産である。 れが想像するのでない限り、この連中であろうか。安楽になしたがって自由は自然がより恩恵をあたえたようにえる地 れさえすれば、どんな政体でも同じことだというこの連中で方よりも、山の多い、不遇な地方により多く君臨する。 あろうか」と。 山人たちはより制限的な政体を保持する。なぜなら、かれ らは征服の危険に強くさらされないから、かれらは容易に自 かくのごとく一人統治の政体は肥沃の地方にいっそうしば しば見いだされ、多数統治の政体は肥沃でない地方に見いだ己を防衛できる。かれらを攻撃するのは困難である。かれら される。それはときとして損害補償みたいなものだ。 にたいし武器食糧を集めて輸送するのは非常に費用がかか アッチカ ( アテネ ) の地味の不毛はそこに人民的政体を成る。その土地はそれをまったく供給しない。したがってかれ らに戦を宣するのはより困難であり、それを計画するのはよ 立させ、スパルタの地味の肥沃は貴族政体を成立させた。な り危険である。それで人民の安全のためにつくられる法のす ぜかというと、この時代には、ギリシャでは一人統治を人々 は少しも欲していなかったから。ところで、貴族政体は一人べてはそこではつくられる理由が少ない。 統治の政体とより多くの関連を持っている。 第三章もっとも耕作される地方はどんな地方か 。フリュタルクはいう、「猥褻騒動がアテネでしすまるや、 この都市は昔ながらの紛争におちいり、アッチカにある土地 国土はその肥沃に比例して耕作されるものではなく、その シロ

2. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

訳注一。フリュタルク「ソロン伝」九。 俗の腐敗している人民においては、後見権は母にあたえるは うがよい。市民の習俗に法が信用をおいている人民にあって 鋓二十一一章同じ題目のつづき は、後見権は財産相続者か、または母にあたえられ、時とし 人民がよい習俗を持っ時は、法は簡単になる。プラトンは てはその両者にあたえられる。 ( 原注一 ) ( 訳注こ いう、ラダマントスがきわめて宗教心の厚い人民を支配して ローマの法についてよく考えてみれば、その法の精神がわ いた時、各告訴箇条について宣誓をとるだけで、すべての訴 たしのいったことと一致することがわかるであろう。十二表 、力し、つ 訟を手つ取り早く片づけた。だが、と同じ。フラトイ 法が作られた時代にはローマの習俗は賞讃すべきものであっ 人民の宗教心がうすい場合には、宣誓する者が裁判官や証人 た。相続の利益を持ちうる者が後見の負担をおうべきである のように利害関係のない場合のほかは、宣誓に頼ることはで との考えから、後見権は未成年者の最近の親族にあたえられ きない、 た。未成年者の生命がかれの死によって利益をうくべき者の 原注一。フラトン「法律論』第一二篇。 手に握られていても、未成年者の生命が危険にあると人々は 訳注一 Rhadamanthus. ジュ。ヒテルの息子、地獄の三人の裁判官の一人。 考えなかった。ところがローマの習俗が変わった時、立法者 もまた考え方を変えた。カイウスとユスチニアヌスはいっ 第二十三章法はいかに習俗にしたがうか た。「もし、未成年者補充指定において、遺言者が、補充者 ローマ人の習俗が淳朴であった時代には公金横領にたいす が未成年者にたいし陥穽を設けることを恐れるならば、かれ る特別な法はなかった。この犯罪が現われだした時、それは は普通補充指定を空白にしておき、未成年補充指定は、一定 きわめて不名誉で、取ったものの返還をいい渡されること の期間後に非ざれば開くをえぬ遺一言書の一部の中に入れるこ ( 原注一 ) が、重い刑罰とみなされたほどだ。スキ。ヒオの判決がそれを とができる」。これは初期のローマ人の知らなかった懸念と 用心である。 原注一「テイトス・リヴィウス』第三八篇第三章。 原注一普通補充指定 ()a substitution vulgmre) とは、「もし甲が相続を 訳注一 Peculatus. 公金の管理者がそれを着服すること。 しない時は、余は乙をもって甲の補充とする」ことである。未成年者補充 定 ()a substitution pupillaire) とは「もし甲が成年以前に死亡する時は、 第二十四章同じ題目のつづき 余は乙をもって甲の補充とする」ことである。 第母に後見の権利をあたえる法は、未成年者の一身の保全に 第二十五章同じ題目のつづき より多くの注意を払うものであり、これを最近親の相続者に あたえる法は財産の保全により多くの注意を払っている。習 ローマ法は結婚以前に互いに贈与をすることの自由をあた ( 訳まこ

3. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

れらの持っている衣服は、適当なものをその国土がかれらに 第三章南部の人民の欲望は北部の人民のそれと異 ( 訳注こ 供給する。それに、かれらの上に非常な支配権をおよぼして なること いるかれらの宗教は、われわれの食料となるものにたいしか ヨーロツ。 ( には南部の諸国民と北部の諸国民との間に一種 れらに嫌悪の情をおこさせる。したがってかれらは価値の表 徴であるわれわれの金属を必要とするのみで、それにたいしの平衡がある。前者は生活のためのすべての便宜をもち、僅 てはかれらの質素とその国土の性質とが豊富にかれらに供給かしか欲望を持たぬ。後者は多くの欲望を持ち、僅かしか生 活のための便宜をもたぬ。前者には自然は多くをあたえた、 する商品をあたえる。インドについて語った古代の著者は、 施政につき、生活様式につき、習俗につき、インドを描いてそしてそれらの国民は自然に僅かしか求めない。後者には自 いるが、それは今日われわれが見るところと変わらない。イ然は僅かしかあたえない、そしてそれらの国民は自然に多く ンドは現在あるがごとく、過去においてもあったし、未来にを求めている。平衡は、自然が南部の諸国民にあたえた怠惰 おいてもあるであろう。しかしてあらゆる時代において、イ と北部の人民にあたえた勤勉と活動力とによって維持され ンドで取引をする人々はそこへ貨幣をもたらすであろう、そる。後者は大いに働くことをよぎなくされる、そうしなけれ ばかれらはあらゆる物が手に入らす、野蛮人になるであろ して持ち帰ることはあるまい。 原注一 Plinius, 「博物学』第六巻第二三章、残りは第六章。 う。これが南方人民において奴隷制を風土化させたものであ る。すなわち、かれらは容易に富なしですますことができる 第二章アフリカの諸人民について から、さらにいっそう自由なしですますことができるのであ ( 訳注二 ) アフリカ海岸の大部分の人民は未開人か野蛮人だ。これは る。ところが北方の人民は自由を必要とする。そしてこの自 主としてほとんど人の住めない地方が住みうる小国を互いに由はかれらに自然があたえたすべての欲望を充足させる、よ 孤立させていることに基づくとわたしは思う。かれらは勤労り多くの手段を獲得させる。北方人民はそれゆえ、自由であ も技芸も持たぬが、自然の手から直接受け取る貴金属を豊富るか野蛮になるかをよぎなくされる状態にある。ほとんどす 部に持っている。すべての開化人民はかれらと有利に取引する べての南方人民は奴隷でなくても、一種の暴力状態にある。 四ことができる。すなわち、かれらになんらの価値もないもの 訳注一この章は、始めの諸版では、現在の第四章の後に置かれていた。 訳注二この節はもとは第二章の終わりにあり、その代わりに現在の第四章 第を高く評価させ、非常に高い代価をそれから受け取ることが の最後の二つの節がおかれてあった。 できる。

4. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

さえも豊かな暮らしをもとめに行くであろう。 なんとなれば離れ離れの征服地はそれを弱めるであろうか しっそう侵略者とならぬであ ら。この島の地味がよければ、、 商業国民は驚くべきほど多くの小さな特殊利益を持つもの ろう。なんとなれば富裕になるために戦争を必要としないで である。したがってかかる国民は数限りない形で立腹させた あろうから。また、いかなる市民も他の市民に依存しないでり、させられたりしうる。この国民もこの上なく嫉妬深いで あろうから、各人は二、三の市民またはただ一人の光栄よりあろう。それで、自己の繁栄を楽しむ以上に、他国の繁栄に ( 訳注九 ) も自己の自由を尊ぶであろう。 胸を痛めるであろう。 、、、、し、よし ここでは軍人は有益ではありうるかも知れなしガ またその法は、他の問題ではおだやかで、親しみやすいの ば国を危うくする商売の人々、その勤務は骨が折れるかも知だが、この国で外国人が行なうであろう通商や航海に関して はきわめて厳酷で、あたかも敵とのみ取引しているかのよう れないが、国民にとっても厄介な連中とみなされるであろ ( 訳注一一 ) う。それで文官の地位のほうがここでは尊ばれる。 に見える。 平和と自由とが安楽にするであろうこの国民は破壊的な偏 もしこの国民が遠方に植民を送るとすれば、それはその支 見から解放されて、商業国民となる傾向を有する。もし労働配権を拡張するよりも貿易を拡張するためにであろう。 自家に設けられてあるものをよそにも設けることを人は好 者の手が大なる価格をあたえる商品を作るに役立っ原料の中 の何かを持つならば、この国民はこの天分の賜の恩恵を全面むものであるから、この国民はその植民地の人民に自分自身 的にうけるに適した施設をつくりうるであろう。 の政治形態をあたえるであろう。しかしてこの政体が行くと この国民が北方にくらいし、多数の余剰の物産を持っとすころには繁栄がもたらされるから、その植民する森林の中に れば、他方風土に適さぬ多くの商品にこと欠くであろうか も、大きな人民が形成されるであろう。 ら、南方の諸民族と必要な、しかし、大規模な貿易をいとな おそらくこの国民はかって隣接せる一国民を征服したこと むことであろう。そして、この国民が有利な貿易の恩恵をあ があるであろう。後者はその位置、その港湾の良好、その富 たえてやる国家を選んで、その選んだ国民との間に相互に有の性質によってこの国民に嫉妬を招くであろう。それで、こ ( 訳注一 0 ) 部益な条約を結ぶであろう。 の国民はあいてに自分自身の法をあたえたとはいえ、はなは 一方において、富裕が極端になり、他方において税が過重だしき従属的地位に置くであろう。かくて、そこの市民は自 ( 訳注一二 ) 第になる国家においては、わずかの財産をもって勤労せずに生由であるが、国家そのものは奴隷となるであろう。 ( 訳生一三 ) 活することはほとんどできぬであろう。多くの人々が、旅行 この被征服国家はきわめてよい統治を持つであろうが、万 または健康を口実として、故国から立ち退き、隷属制の国に民法によって圧制されるであろう。すなわち、一国民より他

5. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

であった。かりに今日夕ルタル人がヨーロッパに入寇すると りなさい」と。国王の収入が当時、かれらの直轄領に存した フィナンンエ ことは明瞭である。 町したら、この連中にわれわれの間にいる徴税請負人とはいっ たい何者であるかを理解せしめるのは大仕事であろう。 原注一後出、本篇第二〇章参照。 『ルイ柔和王伝』の不詳の作者はシャルルマンニュがアキテ 第十四章 census といわれたものについて ーヌに設けたフランク国民の伯爵その他の役人について述べ るにさいしていっている。大帝はかれらに国境の警備、王位 蛮民たちがその故郷を出た時、かれらはその慣行を成文に に属する直轄地の軍事権および監察権をあたえた、と。これ編纂しようとした。しかしローマ字でゲルマンの語を書くこ は第一一王統における君主の収入状態を示している。君主は直とは困難であったので、これらの法をラテン語で公布した。 征服とその進展との混乱のなかにあって、事物の多くは性 轄領を保留しておいた、そしてそれを自己の奴隷たちに耕作 せしめた。しかしローマ皇帝時代に自由人の身体または財産質を変えた。それらをともかくも表現するためには、新慣行 に課せられた臨時税 (indictio) 、人頭税その他の租税は、国ともっとも類似点のある古いラテン語を用いねばならなかっ ( 原注こ た。それで、ローマの昔の cens 境を警備し、または戦争に行くという義務に変わった。 所税 ) の観念を呼びおこ しうるものを、 census, tributum などと名づけた。そして、 この同じ伝記によると、ルイ柔和王が父君シャルルマンニ ュに会いにドイツに行ったとき、後者は国王たる汝がいかに事物が cens となんの関係も持たなかった場合には、ゲルマ してかくも貧乏でありうるのかとたずねた。するとルイは答 ン語をできるだけローマ字をもちいて表現した。このように して、 fredum えて、わたしが国王というは名のみであり、藩主たちがわた という語がつくられたが、それについ しの直轄地をほとんど全部手に握っているというので、シャ ては次の諸章において大いに述べるであろう。 ルルマンニュはこの若い君主が軽率にあたえたものをかれ自 census および tributum の語がこのように恣意的に用 身の手で取り戻すならばかれらの愛情を失うであろうと憂慮 いられたので、そのことは第一王統および第一一王統において して、査察官を派遣して事態を回復せしめた。 これらの語の持っていた意味にいくらかのあいまいさをあた ル・ンヨーヴ 司教たちは、シャルル禿頭王の兄弟ルイに手紙を送ってい えた。それで現代の著者のうちで特殊な学説を持っている者 った。「聖職者の家をたえず渡り歩き、かれらの農奴を輸送は、これらの時代の文書の中にこの語を見いだした時、 census のために疲労せしめるべく余儀なくされぬよう、御自分の土と呼ばれたものは正確にローマ人の cens であると判断し 地をたいせつになさいーと。かれらはさらにこうもいうのでた。それでかれらはそこから、わが始めの両王統の諸王はロ あった。「身の暮らしをたて、使節を迎えられるようにおな ーマ皇帝の地位について、かれらの行政になんらの変更も加

6. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

インド人を嫌う、かれらは豚を食うから。 慮すべきであろう。 原注一カトリック教徒は南方により多く、プロテスタント教徒は北方によ 第二十三章祭典について り多い 訳注一カナダとパタゴニヤのインディャン。 宗教が労働の休止を命ずる時は、お祝いをされる存在の偉 大さよりも、お祝いをする人間の必要をより考慮すべきだ。 第一一十四章地方的な宗教の法について アテネにおいては祭典の多すぎることが大きな不便であっ ( 沢在こ た。この有力な人民のところへは、ギリシャのすべての都市 諸宗教には多くの地方的法がある。だからモンテスマがス が争いを裁いてもらいにきたので、政務を十分に行なう時間 。ヘイン人の宗教はかれらの国土によく、メキシコの宗教はか 、力学 / 、刀ュ / れの国によいと執拗にいいはった時、かれは非条理なことを コンスタンチヌスが日曜は休日と定めた時、かれはこの命 いったのではなかった。なぜなら、実際に立法者たちは自然 令を都市にたいして出したのであり、農村の人々にたいして がかれらより前に定めたものに配慮せざるをえなかったから 出したのではなかった。かれは都市では労働が有用であり、 農村では労働が必要であることを知っていた。 輪廻説はインドの風土むきにできている。極度の暑さがす 同じ理由によって、商業によって維持される国において べての田野をこがす。そこにはきわめて僅かの家畜しか養え は、祭典の数はこの商業自体に関係せねばならぬ。プロテス ない。農耕用にそれが不足する危険はつねにある。牛はそこ タント国とカトリック国は、地理的に前者は後者よりも労働ではあまり繁殖しない。それは多くの病気に犯されがちだ。 ( 原注一 ) の必要が多い位置にある。祭典の廃止はカトリック国よりも したがって牛を保全する宗教の法はこの国の政治にきわめて 。フロテスタント国により適していた。 適している。 草原が日にこがされる間に、稲と野菜はそこで用いうる水 ダン。ヒエールは、人民の娯楽は風土にしたがって変わるこ によってよく育つ。したがってこれらの食物だけしか許さぬ とを指摘した。暑い地方は多くのうまい果物を産するから、 蛮民はただちに必要品を手に入れることができるので、遊び 宗教の法はこれらの風土における人々にとって非常に有益で ( 訳注一 ) により多くの時間を費す。寒い地方のインディャンはそれほある。 そこの家畜の肉は味がよくない。そして家畜から取る乳も ど暇を持たなし糸 、。色えず魚を取り、獣を狩らねばならぬ。そ れでかれらの間には舞踏や音楽や宴会が少ない。 これらの人 。ハターも人々の生活資料の一部である。だから牛を食ったり 民の間に定着する宗教は、祭典の設定において、この点を考殺したりすることを禁ずる法はインドでは不合理ではない。

7. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

205 第三部 冷たい空気はわれわれの肉体の外部的繊維の末端を締めつ ( 原注一 ) ける。そのことはそれら繊維の弾性を増大し、末端より心臓 へ向かう血の帰還を助長する。それはこの同じ繊維の長さを ( 原注二 ) 減少せしめる。したがってそれは、さらにそれによってそれ らの力を増大する。これに反し、暑い空気は繊維の末端をゆ るめ、かっ繊維を延ばす。したがってその力と弾性とを減少 ( 訳注一 ) する。 したがって寒い風土の人々はより多くの体力を持つ。心臓 の作用と繊維の末端の反作用とがよりよく行なわれ、体液は よりよく均衡をたもち、血液は心臓に向かっていっそう強く みちびかれ、逆に、心臓はより多くの力を持つ。このより大 第一章大意 なる力は多くの結果を生ぜざるをえない。たとえば自己にた 精神の特性、心の諸情念が各種の風土において極度に異な いするより大なる信頼、すなわち、より多くの勇気、自己の っていることが真であるならば、法というものはこれらの情優越についてのより多くの認識、すなわち、復讐にたいする 念の相違にたいしても、また、これらの性格の相違にたいし より小なる欲求、より多くの自己の安全感、すなわち、より ( 訳注一 ) ても、相対的なものであるべきである。 多くの率直、より少ない猜疑・政略・詭計 : : : をつくりださ 訳注一モンテスキューの名を冠せられる風土理論 (Théorie des climats) ざるをえないのである尸結局、それは非常に異なった性格を の大意である。かれを祖述するといわれる地理学的決定論 ( 例、デム 1 ラン つくりだすに違いないのである。試みにある人間を暑い締め 「アングロ・サクソンの優越は何にもとづくか』 Démoulin: ゝミき ぶ 5 にト e こ 0 こ des ゝ、 ~ ミ 9S0 ミ冫じと異なり、モンテスキューは人間理 きった場所に入れて見よ。上述の諸理由によって、かれは非 性の発現たる法が、各種の条件によっていかに修正せられ、また、それらの 常に大なる心臓の衰弱に悩まされるであろう。かかる情況の 条件が、人間理性たる法によっていかに変史されるかの、関連を研究したの もとでかれに大胆な行動を提案せんとすれば、はなはだ気乗 であって、いわゆる決定論者ではない。 りがしないだろうとわたしは思う。かれの現在の衰弱がかれ の魂の中に意気銷沈をもたらすであろう。自ら何もなしえな 第二章人間は種々なる風土においていかに異なる いと感じるがゆえに、かれは万事を恐れるであろう。暑い国 の民族は老人のように臆病である。寒い国の民族は青年のご 第三部 第十四篇法と風土の関係 ( 訳注二 )

8. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

出した。 国にたいして大なる奉仕を行なうという唯一の希望・唯一の 祖国愛は善良な習俗へみちびき、善良な習俗は祖国愛へ案幸福に限定する。市民は祖国にたいして全部が同等の奉仕を 内する。われわれが個別的情念を充足することが小であれば 行なうことはできない。しかしかれらはすべてひとしく祖国 あるほど、一般的情念にいっそう傾倒するのである。修道僧 に奉仕すべきなのである。この世に生をうけたとき、人は祖 達があれほどかれらの教団を愛するのはなぜか。これぞまさ国にたいし莫大な債務を負い、決してそれを返済しきること しく教団をかれらにとってたえがたいものとなさしめている はできないのである。 点によってである。かれらの戒律は通常の情念をささえてい かくてここでは栄誉も平等の原理から生する。たとえ巧妙 るあらゆるものをかれらから奪い去っている。それで残るも な勤務や優秀な才能によって平等が排除されているように見 のは、かれらを苦しめている戒律そのものにたいするあの情える場合でさえもそうである。 念だけである。それが厳格であればあるほど、すなわちかれ 質素の愛は所有欲を自己の家族を養うに必要なものを手に らの嗜好を切り取れば切り取るほど、残った嗜好に強度を加 入れ、進んでは余剰を祖国のためにたくわえんという心がけ えるのである。 だけに制限する。富は力をあたえるが、それを市民は自己の 訳注一 Etat politique. 語原的には、ポリス ( 国家 ) を構成する平等なる ために行使できない。なんとなれば、かれは平等でなくなる 人間の集団 Politeia である。したがって共和政とほ・ほ同義となる。 であろうから。それはまた、種々の快楽をあたえるが、これ も市民は決して享受すべきでない。なんとなれば、これもま 第三章民主政において国家にたいする愛とは何で ったく同様に、平等をきすつけるであろうからである。 あるか かくてよい民主政は家庭生活の質素を確立してアテネやロ 民主主義国における国家に対する愛とは、民主政にたいす ーマで行なわれたように公共支出に門戸を開いた。この場 る愛であり、民主政にたいする愛とは平等にたいする愛であ合、壮麗も豪奢も質素そのものの基礎から生じたのである。 る。 そして神々に供物をそなえるには手を清浄にしておくことを 民主政の愛はさらに質素の愛である。各人はそこでは同一 宗教が要求するごとく、人々が祖国に貢献するようにと、法 の幸福と同一の利益を持たねばならぬのであるから、同一の は質素な習俗を望んだのであった。 ( 訳注一 ) 楽しみを味わい、同一の希望をいだかねばならぬ。これは一 個人の良識と幸福とはその才幹、その富貴の中庸の中にお 般的な質素をほかにしては期待できないことである。 もに存するのである。法が多くの中庸人をつくりあげた共和 平等の愛は、民主政においては、野心を他の市民以上に祖国は、賢人によ 0 て構成されるとすれば、賢明におさめられ

9. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

シャルルマンニュは『サリ法』を改めて、この場合に三ス 族までも侮辱事件にはきわめて積極的に参加した。それでか ーの贖罪金しか定めなかった。この君主が軍紀を弱めようと れらの法典はすべてこの点に基づいている。ロイハルジャ人 この変化が武器の変化から の法は従者をつれた者が、恥辱と嘲笑をあびせかける目的欲したのかと疑ってはならない。 で、そなえをしていない者を打つならば、かれを殺した場合きたことは明らかだ。そして、この武器の変化に多くの慣行 の起源が求められる。 に支払わねばならない贖罪金の半分を支払うべきこと、また 同じ動機により、相手を縛ったならば、同じ贖罪金の四分の 第二十一一章決闘に関する習俗について 三を支払うべきことを定めている。 そこで次のようにいおう。われわれの父祖は侮辱にたいし われわれの女性との関係は感覚の快楽に結びついた幸福、 てきわめて敏感であったが、特定の種類の侮辱、例えば一定愛し愛される魅力、さらにまたかの女たちの気に入ろうとい の道具で、身体の一定の場所に、また、一定の方式であたえう欲求に基礎を置いている。なんとなれば女性は個人的才能 られた打撃を受けるというような侮辱は、まだかれらは知らを構成する事物の一部についてはきわめて見識のある裁判官 なかった。これは皆打たれる侮辱の中にふくまれていた。そ だからである。この気に入りたいという一般的欲・求が風流 して、その場合に、暴行の大小が侮辱の大小となっていたの (galanterie) を生む。これは恋愛ではなく、恋愛についての である。 気のきいた、軽い、不断の虚言なのである。 各国民における、各世紀における異なる諸情況にしたがっ 原注一「ポーマノワ 1 ル』第六四章三二八頁参照。 ( 訳注一 ) 原注二かれらは楯と杖だけしか持たなかった。「ポーマノワール』第六四 て、愛は以上の三つの物の中の一つに向かって、他の二つに 章三二八頁。 よりも、動いてゆくのである。ところで、わたしの考えで カラントリ ーの精神が当然勢力を は、わが決闘の時代には、。 第二十一章ゲルマン人における体面についての新 しめるべきたった。 わたしはロイハルジャ人の法の中に次の規定を見いだす。 タキトスはいう。「ゲルマン人においては、戦闘において決闘者の一人が魔法につごうのよい草を身に帯びていれば、 そ 0 楯を捨てたと」う = と = 大きな不面目あ「た。それ裁判官はそれを取り 0 そか 0 、もはやる草も身」「け一」 第このような不幸の後には、多くの者が自殺した」と。それで いないと宣誓させる。この法は世間一般の意見に基礎を置い 『旧サリ法』はその楯を捨てたと罵られた人に十五スーの贖ているだけだ。つまり、これらの種々な妖術を想像せしめた 罪金をあたえている。 ものは、多くのものごとを考え出させたといわれる恐怖なの

10. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

もりだくさんの食事が、わざわざきてくれたかれらにたいす 多くの者は牛乳・乾酪および肉だけでくらしている。何人も 自己に固有な土地も境界も持たず、各国民の君主と執政者る一種の給料である。君主は戦争と略奪によってのみ、その 恩恵をほどこすことができる。この人たちに土地を耕して、 は、個人にその欲する土地のわりあて分を、その欲する場所 においてあたえ、翌年には他処へ移るべく強制する。」タキ収穫を待てと説得するよりも、敵を招いて傷を受けろと説得 トスはいう。「各君主はかれに結着し、かれにしたがう一群するほうがはるかに楽であろう。かれらは流血によって獲ら の人々を持っている」と。この著者は、かれの言語たるラテれるものを汗によって獲ることはないであろう。」 かくのごとく、ゲルマン人の間には家臣はあったが、封地 ン語で、これらの人々の身分と関連する名称をかれらにあた さむらい (fief) はなかった。君主はあたうべき土地を持たなかったか え、かれらを家臣 (comites フランス衄では compagnons) と呼んだ。かれらの間には君主のもとにおいてなんらかの特ら封地はなかった。というよりもむしろ封地というべきもの が軍馬、武器、食事であったのだ。家臣は存在していた。な 別待遇を受けんとする異常な競争があり、君主間において んとなれば約言によって拘東を受けた信義の人、戦争のため も、その家臣の人数と勇敢とに関して同じような競争があっ に召し抱えられ、その後において封地をあたえられたことに た。タキトスは付言する。「つねに自ら選んだ青年の一群に たいしてなしたとほ・ほ同一の奉仕をなした人が存在していた 取りかこまれていることは威厳であり、権力である。それは から。 平時においては装身具であり、戦時においては城砦である。 自己の家臣の人数および勇気によって他をしのぐ場合は、自 第四章同じ題目のつづき 国民の間において、また近隣の諸民族の間において令名が高 くなる。すなわち、贈り物を受け、四方八方より使節がくる。 カエサルはいう。「君主の一人が会議において、遠征の ニ = ロ しばしば名声が戦争の勝敗を決する。戦闘においては、勇気画を立てたと宣言し、どうそわれにしたがわんことをと要 の点で人に劣るのは君主にとって恥辱である。軍隊にとってする場合、かれを首長と仰ぐことと、その計画とを承認する は、君主の勇気に匹敵しないことは恥辱である。君主を死な人々は立ち上がって、援助を中し出るのである。かれらは群 集によって賞賛される。しかし、その約東を果たさぬ場合に せて生き残ることは永遠の卑行である。最も神聖な任務は、 かれを守るということである。ある都市が平和な時には、君は、かれらは公衆の信頼を失い、人々はこの連中を逃亡者・ 主たちは戦争をやっている諸都市に行く。かくのごとくなす裏切者とみなす」と。 ここにカエサルがいっていること、前章でわれわれがタヤ 9 ことによってかれらは多数の味方を保持する。後者はかれら トスにつづいていったことが第一王統の歴史の萌芽である。 から軍馬と恐るべき投槍を受けとる。あまり美味でないが、