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検索対象: 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神
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1. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

ての奴隷制にほかならず、かれらはこの自由を擁護すること権力は、もつばら阻止する権能によってのみ立法に参与すべ になんらの関心も持たぬであろう。なんとなれば大部分の議きであって、命令する権能によってすべきではない。 決はかれらの利益をそこねるものであろうからである。した わたしが命令する権能 (faculté de statuer) とよぶのは、 がってかれらが立法にたいして持っ割前 ( 権利の度合 ) はか 自ら命令し、または他によって命ぜられたことを修正する権 れらが国家内に持っ他の利点と比例すべきである。これが行利である。わたしが阻止する権能 ( facu ま d'empécl 】 (r) と なわれるには、人民がかれらの企図を阻止する権利を持つよ よぶのは、他人によって行なわれた議決を無効ならしむる権・ うに、かれらも人民の企図を阻止する権利のある団体を構成利であり、ローマの護民官の権力がそれであった。また、阻 すべぎである。 止する権能を持つ者はまた、同意権をも持ちうるけれども、 かくて、立法権は貴族団と、また、人民を代表するために選この場合、この同意はかれがその阻止する権能を行使しない 出された団体とに委託されるであろう。両者はそれそれ別個 という宣言であって、この権能から生じたものである。 の集会・討議を持ち、別個の見解・利害関係を持つであろう。 執行権は一人の君主の掌中にあるべきである。なんとなれ ( 訳注六 ) すでに述べた三権のうち、裁判権はある意味で無力であば、統治のこの部門はほとんど必す即刻の行動を必要とし、 る。残るのは二つだけである。そしてこの二つはこれを調節多数よりも一人によって、よりよく管理されるからである。 するための規正権力を必要とするから、立法府のうち、貴族これに反し、立法権に属するものは、一人よりも多数によっ をもって構成される部分がこの効果を生ぜしめるにきわめててしばしばよりよく処置される。 ( 訳注七 ) 適している。 もしも君主が存在せず、執行権が立法府から選ばれたある 貴族団は世襲的でなければならぬ。それは第一にその本性人数の人々にゆだねられるとするならば、もはや自由は存在 によって然りであるが、さらにまた、貴族団はその特権を保しないであろう。なんとなれば、同じ人々がときとしては、 持することに非常な関心を持たざるをえないのである。かか この二つの権力に参与しているし、また、つねに参与しうるの る特権は、それ自体において忌むべきものであるから、自由であるから、両権は合一されてしまうであろうからである。 部 な国家にあってはたえず危険にさらされざるをえない もしも立法府が長期間召集されずにあるとすれば、もはや 一一しかし、世襲的権力はその特殊的利益を追求し、人民の利 自由はないであろう。なんとなればその場合、二つのことの 第益を忘却するようにみちびかれるかも知れぬゆえ、この権力うち一つが発生するであろうから。すなわち、あるいは、立 を腐敗させればだれかがこの上ない利益をえられるというよ法府の議決がもはやなくなり、国家は無政府状態におちいる うな事項、たとえば金銭の徴収に関する法においては、この であろう。あるいはまた、かかる議決は執行権によってなさ

2. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

らに非常に多くの要求を出しているが、事実上、天使でなけ ルイジャナの未開人が果実をえようとする時には、樹木を ( 訳注こ ればこれだけの注意、これだけの英知、これだけの信条、こ根本から伐って果実を採取する。これが専制政体である。 れだけの知識は持ちえない。いまから君主政というものが解 訳注一壬ンテスキューの前後に盛んに用いられた比喩。「農夫は柴を必要 とする時、枝を切るが木の根本は切らない。」 体するまでに、こんな君主や大臣がありえようとはほとんど 自信をもっていいきれる者はない。 第十四章法は専制政体の原理といかに関係するか よき国家の下に住む人民が、規律なく指導者なく森の中を さまよう人民より幸福なるごとく、自国の基礎法の下に生活 専制政体は恐怖を原理とする。しかし、臆病な、無知な、 する国王は、人民の心も自分の心も規正すべきなにものも持打ちひしがれた人民には、多くの法は必要でない。 たない専制君主よりも幸福である。 ここではすべてが二つか三つの観念を基礎として動くべき であるから、新しい観念は必要はない。諸君が馬を仕込む 原注一「法律論』第三篇第一〇章。 原注二この点については、第二篇第四章注一参照。 時、諸君は教師、課業、歩調を変えさせないように十分注意 原注三枢機官ド・レス (CardinaI de Retz ) の覚え書き、その他の史書。 する。そして、二つか三つの動作をその頭脳にたたき込む 原注四政治上の遣言。 (Testament politique) が、それ以上はやらない。 訳注一フランスの高等法院 (ParIement) をさす。国王の命令は高等法院 が記録しなければ法の効力を発生しない。 君主がハレムに閉じ込められている場合、かれはかれを逸 楽の住居に引き止めておく人々を当惑させることなしには、 第十一一章同じ題目のつづき そこから外へ出られない。それらの人々はかれの一身とその 専制国家に闊達・豪侠を求めるべきではない。そこの君主権力が他人の手に移ることを容認できない。したがってかれ は彼自身の持っていない尊貴をけっして与えることはないで は親しく自ら戦争を行なうことはまれであり、代理の将軍を あろう。彼のもとには栄光は存しない。 遣わして戦争しようともあえてせぬ。 君主政においてこそ、君主の身辺をかこんで臣下が彼の放 このような君主は、かれの宮殿において、まったく抵抗を っ光輝を受け取るのを見ることができるのである。ここでこ見出さぬ癖がついているから、かれにたいして武器を手にし そ各人はいわばより広い場所を占めて、独立ではなく尊貴をてする抵抗にあえば憤慨する。それで、通常かれは怒りか復 霊魂に与えるような諸徳行を修めることができる。 讐の念に動かされている。それだけでなく、かれは真の光栄 の観念をもっことができない。だから、専制国家では戦争は 第十三章専制主義の観念 その自然的な狂暴さのうちに行なわれるはずであり、万民法

3. 世界の大思想16 モンテスキュー 法の精神

絶するほどの貪欲をあたえたものは、必要とおそらくは風十 これこれしかじかの挨拶をするということはそれ自体におい てどうでもよいことだ。しかしこのような外面的な実践がすの性質である。それで法はそれを阻止しようとは考えなかっ た。暴力によって獲得することが問題になると、すべてが梺 べての心の中に彫りつける必要のある一つの感情ーー・そし て、それはすべての心から発して帝国を支配する精神を形成止されている。策略や頭脳によって獲得する場合には、すべ するのだが にたえず立ち戻らせることに注意するならてが許されている。だからシナ人の道徳とヨーロツ。ハの道徳 ば、このような特殊的行為が行なわれる必要があることがわとを比較するのはよそう。シナでは各人は自己に有益なこと へてん師が自己の利益に専心 に注意を払うべきだったのだ。。 かるであろう。 したのなら、ひっかけられる者も自己の利益に注意すべきな 第二十章シナ人についての逆説の説明 のだ。ス。ハルタでは、盗むことが許されていた。シナではだ 奇妙なことがあるが、それはその生活が完全に礼によってますことが許されている。 導かれているシナ人がそれにもかかわらず世界で一番インチ 第一一十一章法はいかに習俗および生活様式と関係 キな人民であることだ。正直は本来商売につきものなのだ せねばならぬか が、インチキは特に商売に示され、それはかれらに正直の気 持をおこさせたことがなかった。買物をする人は自分の秤を このように本来別々のもの、すなわち法、習俗、生活様式 持って行かねばならぬ。それは、。 との商人も三つの秤を持つを混同するのは特異な制度だけである。しかし、それらは分 ているからだ。すなわち、買うための重いのを一つ、売るた 離してはいるものの、やはり互いの間には大きな関係があ めの軽いのを一つ、用心深いお客のための標準秤を一つ。わる。 ある人がソロンに問うた、アテネ人にかれがあたえた法は たしはこの矛盾を説明できると思う。 シナの立法者たちは二つの目的を持った。すなわち、かれ最良の法であるかどうか、と。答えていうには、「わたしは ( 沢注一 ) かれらが耐えられる法のうち最良のものをあたえた」と。よ らは人民が従順で平穏であることと、筋肉労働、頭脳労働に い言葉だ、すべての立法者の含味すべきものであった。全知 はげむことを望んだ。気候と土地の性質によって、この人民 は不安定な生活をしている。頭脳と筋肉の労働によらなけれの神がユダヤ民族に「なんじらによくない掟をあたえた」と いった時、その掟は相対的善良性を持つにすぎないという意 ばその生活は保証されない。 すべての人が服従し、すべての人が働く時、国家は恵まれ味だ。これはモーゼの法に対してなされうべきあらゆる苦情 た状貪 . 冫 こある。すべてのシナ人に金もうけにたいする想像をを拭い去る海綿である。

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460 ると宣言した。 らに、フランスでは被告はその証人を提出せず、弁疏事情 皇帝たちの動機についてわたしのいうことはきわめて真実 ( 『 a デ」 ustificatifs) といわれるものを認めることがきわめ であって、自殺した者の財産は、自殺の原因となった犯罪が てまれであるが、イギリスではあらゆる方面からの証言が受 没収を伴うものでなかった場合には、これを没収しないこと理されるというべきである。このフランスの三つの法はきわ にかれらが同意したほどだ。 めてまとまった、条理のとおった一つの体系をなしている。 イギリスの三つの法もそれに劣らずまとまって条理のとおっ 第十章相反するように見える法が時としては同じ た体系をつくっている。犯罪者にたいする拷問を許さぬ『イ 精神に由来すること ギリス法』は、被告からその犯罪の自白を引きだす望みが僅 人を裁判所に召喚するためには今日ではその人の自宅に行 かしかない。だから第三者の証言をあらゆる方面から求め、 く。しかしこれはローマでは行なわれえなかった。 死刑の恐怖のために証人の元気を失わさせるようなことはあ 判に召喚することは暴力的行為であり、一種の身体強制 えてしない。『フランス法』は、今一つ余分の手段翁 ) を持 のようなものであった。それで、今日民事上の負債のために っているから、証人をおびやかすことをそれほど恐れない。 敗訴の言い渡しを受けた人をその自宅で身体強制をしに行く それどころか、理性はかれらをおびやかすことを要求してい ことができぬように、裁判に召喚するために、人の家に行く る。『フランス法』は一方の証人のいうことしか聞かぬ。そ ことはできなかった。 れは原告官の提出する証人である。そして被告の運命はかれ 『ローマ法』もわれわれの法も、各市民は避難所として自己らの証言のみにかかっている。 の家を持ち、そこではなんらの暴力も受くべきではないとい ところが、イギリスでは両方の証人を認め、事件はいわば う原理を等しく認めている。 かれらの間で争われる。ここでは偽証の危険はより少ない。 被告はここでは偽証にたいする方策を持っている、これに反 第十一章いかなる方法で二つの異なる法が比較さ し『フランス法』はそれを少しもあたえていない。したがっ れうるか てこれらの法のどちらの体系がより条理に合しているかを判 フランスでは偽証者にたいする罰は死刑だが、イギリスで断するためには、これらの法の一つずつを比較すべきではな はそうでない この二つの法のどちらがよいかを判断するた く、これらの法を総体として採り上げて、全体をいっしょに めには、フランスでは犯罪者にたいする拷問が行なわれる 比較しなければならぬ。 が、イギリスではそうでないことを付言すべきだ。そしてさ

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114 ( 原注二 ) ら、人々は婦人の自由が面倒を起こすことを恐れる。かの女の裁判官をもっていなかった。監察官は共和国のほかの人間 らの反目、不謹慎、嫌忌、性癖、嫉妬、怨みだとか小人と女にたいすると同じ注意しか女子に払わなかった。家内裁判所 子が偉い人々の心を引きつけるあの技巧は、そこでは重大な 制度がギリシャに設けられていた、かの裁判官の代わりとな 結果を惹き起こさせずにはおかぬであろう。 しかのみならず、これらの国家では君主が人間性を無視す 夫は妻の親族を召集して、かれらの前でかの女を籤判し ( 原注三 ) るので、かれらは多数の妻を持つ、それでさまざまな考慮か オナガこの同 た。この裁判所が共和国内に習俗を維持しこ。ど、、、 らかの女らを幽閉せざるをえない。 じ習俗がこの裁判所を維持した。というのは、この裁判所は 共和政においては、婦人は法によって自由であり、習俗に単に法の侵害のみならず、習俗の侵害も裁判せねばならなか よって囚われている。奢侈はそこから追放せられ、それと共ったが、習俗の侵害を裁判するためには習俗をもたねはなら に堕落も悪徳も追放される。 ないのだ。 この裁判所の刑罰は恣意的であらざるをえなかった。そし ギリシャの諸都市、男性の間でさえも習俗の純潔が徳性の 一部であると定めているあの宗教の下で人々が生活していなて実際、そうであった。なぜなら、習俗に関するすべてのこ と、謙譲の規律に関するすべてのことを法典の中に包含させ かったところの、盲目的な或る悪習が気儘に行なわれていた ギリシャの諸都市、愛はちょっと口にするをはばかる一つのることはほとんどできないことだ。他人にたいして負うとこ 形式しか持たぬのにたいし、結婚生活には友情だけが引き籠ろのことを法によって規定するのは容易であるが、自分自身 ( 原注一 ) にたいして負うところのことを法の中に包含させることはむ っていたギリシャの都市においては、婦人の徳性、無邪気、 純潔は非常なものであって、この点についてよりよき秩序をずかしい。 ( 原注二 ) 家内裁判所は女子の一般的行動を監視した。ところがこの 持った民族はいまだかってないほどだ。 裁判所の批判のほかに、さらに国家の弾劾にも服さなければ 原注一プリュタルクいわく、「真の愛に関しては、女性はなんら関与しな ならぬ一つの犯罪があった。それは姦通であった、そのわけ い」と。「道徳論集」「愛論」第六〇〇頁。彼は彼の世紀のごとくに語った。 クセノフォン、対話「イエロン」参照。 は、共和国において、これほど大きな習俗の侵害は政体に関 原注二アテネには婦人の行状を監視する特別の役人があった。 するからであるにせよ、妻の乱行は夫のそれにも疑惑をもた ( 京注一 ) せるからであるにせよ、最後に、まじめな人物までもこの犯 第十章ローマにおける家内裁判所について 罪を罰するよりは、隠そうと欲し、これに報復するよりは、 ローマ人はギリシャ人のように女子の行動を監視する特別知らぬ顔をすることをえらぶからにせよ。

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162 の列に加えている。だが、一方は専制国であり、他方は共和れらの子孫に伝えた。かれらは国王であり、司祭であり、裁 ( 原注二 ) 判官であった。これはアリストテレスが語る五種の君主政の 国であったことが解らぬものがいようか。 一つであり、君主政体の観念を呼び起こしうるただ一つのも 古代人は、一人統治の政体における三権の配分を知らなか ったから、君主政について正確な知識を持っことはできなか のである。しかしこの政治構造の設計は今日のわれわれの君 主国のそれとは反対である。 原注一「政治学』第三篇第一四章。 そこでは三権は次のように分配され、人民は立法権をも ( 原注三 ) ち、そして、国王は執行権と裁判権を持っていた。これにた 第十章その他の政治学者の考え方 いし、われわれの知っている君主政においては、君主は執行 一人統治の政体を緩和するために、エビロスの王アリ ・ ( ス権と立法権を、少なくも、立法権の一部をもつが、かれは裁 は共和政しか考えおよばなかった。モロシア人 ( 。 古代ビ ) は同 判しない。 一権力をいかにして制限したらよいか解らず、二人の国王を 英雄時代の諸王の政体においては、三権の分配され方は悪 ( 原注一 ) ( 訳注一 ) おいた。それによって人々は命令権より以上に国家を弱め かった。これらの君主権は存続しえなかった。なぜなら、人 た。人々は競争者を置こうと思って、敵を置いてしまった。 民が立法権を手に入れるや否や、どこでもそうしたように、 二人の国王はスパルタのほかでは堪えられるものではなか かれはごく小さな気まぐれで、王政を廃止することができた った。かれらはスパルタの国家構造を形成するものではなか からである。 ったが、国家構造の一部分であった。 立法権を持つ自由な人民、都市の中に閉じこもっている人 原注一アリストテレス「政治学』第五篇第九章。 民、ーーそこではすべて存在するいとわしいものが、一そう 訳注一モンテスキューはアリストテレスを読みそこなった。工。ヒロスには いとわしくなるーーにおいては、裁判権を適当にどこへおく 王は一人しかいなかったという。 べきかを知ることが、立法の傑作である。だが裁判権は執行 第十一章ギリシャにおける英雄時代の諸王につい 権をすでに持っている者の手の中に置かれること以上に悪い て ことはなかった。この瞬間から君主は恐るべきものとなっ ギリシャにおいて、英雄時代には、一種の君主政が立てら た。だが、同時に、かれは立法権を持っていなかったので、 ( 原注こ れたが、長つづきしなかった。技芸を発明した者、人民のた立法権にたいして身を護ることができなかった。つまりかれ めに戦争を行なった者、散在している人々を集めた者、ある は過大の権力を持ちながら、十分な権力を持っていなかっ いはかれらに土地を配分した者は、王権を獲得し、それをか

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はできない。それは少なくも第一王統の中葉か末期に属する カピチュレール 第十三章フランク人の君主政においてローマ人お っ ものに違いなかった。八六四年の一法令がことさらにい よびゴール人の負担は何であったか ているところによれば、自由人が軍役につき、その上に、わ 征服されたローマ人、ゴール人がローマ皇帝の下においてれわれがすでに述べた車馬の費用を負担することは昔からの 負担させられていた租税を引きつづき支払ったかどうかを検慣習であ 0 た。この負担はかれらに固有であ「て、封地を保 討できぬこともないが、議論をより速やかに進行させるため有する人々は後にわたしが証明するごとく、これを免除され ていた。 に、わたしは左のごとくいうに止めておこう。すなわち、か なおこれのみにとどまらず、これらの自山人に年貢を課す れらは始めのうちはそれらを支払ったとしてもまもなく免除 され、これらの年貢は軍役に変えられた、と。ところで率直るを許さぬ一つの規則があった。四つの荘園を持つ者は必す にいえば、フランク人が最初そんなに苛斂誅求の味方であっ戦争に行かねばならなかった。三つだけしか持たぬ者は一つ だけしか持たぬ自由人と結びつけられるが、後者は前者に四 たとすればどうしてとっぜんまったくそれから離れたかがわ 分の一だけ費用を支弁して自宅に止まった。同じように各々 たしには理解できぬのである。 カビチュレール ルイ柔和王の法令の一つはフランク王国における自由人二つの荘園を持っ二人の自山人を結びつけ、二人のうち、戦 の置かれていた状態をきわめてよくわれわれに説明する。モ争に行く者は家に止まる者から費用の半額の支弁を受けるの であった。 ール人の圧迫を逃れたゴート人かイベール人の数群がルイの かてて加えて、自由人の保有する土地または支配地にたい 領地に受け入れられた。かれらとの間にとりきめられた協定 し封地の諸特権を付与する無数の特許状がある、しかしてそ には左のごとく記されてある。他の自由人と同しく、かれら ( 原注一 ) れについては後におおいに述べるであろう。これらの土地は もかれらの伯爵とともに軍におもむくべきこと、行軍におい ては、その同じ伯爵の指揮のもとに衛兵勤務をなし、斥候を伯爵その他国王の役人がそれにたいして要求したあらゆる負 なすべきこと、勅使にたいし、また、国王の宮廷を出発しあ担からまぬかれる。しかしてそれらの負担は全部特別に枚挙 るいはそこにおもむく使節にたいし、輸送用の馬ならびに車されているにもかかわらず、年貢の問題がぜんぜん出てこな いから、租税は取り立てなかったことは明らかである。 六輛を提供すべきこと、その他の点ではかれらはなんらの賦課 ローマの苛斂誅求がフランク王国において自ら消減するの を受くることはありえないで、他の自由人と同じく待遇され はわけもないことであった。それはきわめてこみいった技術 るであろうこと、と。 で、これらの素朴な民族の観念にも、計画にも上らない技術 これが第二王統の初期に生じた新慣習であったということ マノワール

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失うのであり、感性的被造物としては、無数の情念に耽溺す怯懦は極端であろう。もしこの点について経験の力を借りる る。かかる存在は、いつでも、その創造主を忘却することも必要があるとすれば、森林中に発見された未開人を見れば ( 原注一 ) ありえた。そこで神は宗教の法によってかれを御許に呼び戻よい。すべてがかれらをおののかせ、すべてがかれらを逃走 された。かかる存在は、いつでもおのれ自らを忘却すること させるのである。 この状態においては、各人は自己を劣等と感じ、ほとんど もありえた。そこで哲人は道徳の法によって教戒した。社会 の中に生活するように作られていながら、他人を忘却するこ各人は自己を平等と感じない。そこで人は攻撃しあうつもり ともありえた。そこで立法者は政法と市民法によってかれをはまったくないから、平和が第一の自然法であろう。 おのれの義務に引き戻したのである。 ホッブズがたがいに征服しあう欲求をまず人間にあたえて いるのは合理的でない。権勢とか支配とかの観念は非常に複 原注一プリュタルクいわく、法は死あるもの、不死なるもの、すべての君 主なり。道徳論集中、「君主は学識あるを要すること」の鑰。 合的なものであり、他の多くの観念に依存しているから、そ れは人間が最初に持っ観念ではあるまい 第一一章自然法について ホッブズはたずねる、「もし人間が生まれながらにして戦 これら諸法の存する前にあたって自然の法がある。かく名争状態にあるのでないとすれば、なぜっねに武装して歩く か。またなぜその家を閉めるために鍵を持っているか」と。 づくるゆえんは、もつばらわれわれ人間の存在の構造のみよ しかしかれは社会の成立以前の人間に、成立以後にはじめて り生ずるからである。これらをよく知るためには社会成立以 かれらの経験しうるもの、たがいに攻撃し、防禦する動機を 前の人間を考察しなければならない。自然法とはかかる状態 かれらにあたえるものを帰属せしめていることを忘れている において人間が受けるであろうと思われる法のことである。 われわれ自身の中に創造主の観念を植えつけ、帰依の心をのだ。 自己の劣弱感にたいし人間は自己の欲望の感情を結びつけ 起こさしめるこの法は自然法の中で、その緊要さによって第 るであろう。かくしてもう一つの自然法は身を養うことに努 一のものなのであって、その序列においてではない。人門 部は、自然状態においては知識を持っているというよりむしろめる気持をかれに起こさせる法であろう。 一知る能力を持つものであろう。かれが最初にえる観念は決し すでに述べたごとく恐怖は人間をしてあい忌みあい避ける 第て思弁的なものでないことは明瞭である。かれは自己の存在傾向をあたえる。しかし相互的恐怖の表象はかれらをうなが の起源を探究する前に自己の存在の保全を考えるであろう。 してまもなくあい接近せしめるであろう。それにまた、動物 かかる人間は最初自己の劣弱を感じるのみであろう。かれの が同種の動物の接近にたいして感じる快楽によって人間は接

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166 って、執政官から立法権のうち市民の習俗を規正する部分あった。また、あらかじめ元老院に提出され、元老院議決に と、国家の諸機関の一時的取締権とが奪われた。執政官に残よって認可された案のほかは、ここでは人民に提案すること トリプ ( 原注四 ) された主要な特権は人民の大会議を主宰し、元老院を召集はできなかった。だが、部落による区分においては、鳥占も し、軍隊を指揮することであった。 元老院議決も問題でなかった。それで貴族はそこから除外さ ( 三 ) 神聖法は護民官を設置し、これは貴族たちの侵害をれた。 ケントリヤ ところで、人民は百人組別によって行なわれる慣例であっ いつでも阻止することができ、私的損害のみならず公的損害 をも予防した。 た集会を種族別によって行ない、種族別によって行なわれて トリプ いた集会を部落別によって行なうようにたえず努めた。その 最後に、平民は公的議決においてその勢力を増大した。ロ 結果、政務は貴族の手から平民の手に移された。 ーマの人民は三様に区別されていた。すなわち、百人組 ( cen ・ このようにして、平民が貴族を裁判する権利を獲得する turia) により、種族 (curia) により、部落 (tribu) により ( 訳注二 ) 区別されていた。そして人民が投票を行なう時には、この三や、それはコリオラヌス事件の時にはじまったが、平民はか ( 原注し ) れらを百人組によらす。部落によって集合せしめて裁判しょ 種の手段の一つによって召集された。 うと欲した。そして人民のために護民官や按察官などの新官 . 第一の区分においては、貴族、有力者、富者、元老院、そ ( 原生八 ) れはほどんど同じものであったが、これがほとんどすべての職が設けられた時、人民はそれらを任命するため、種族によ・ り集会する許可をえた。そしてその権力が確立されると、そ 権力をもっていたが、第二においてはその権力はより少な れらが部落による集会において任命されることの許可をえ く、第三においては、さらに一そう少なかった。 ( 原注九 ) 百人組による区分は、人の区分であるよりはむしろ、土地、 ( 原注五 ) 財産による区分であった。全人民は百九十三の百人組に分か 原注一「テイトス・リヴィウス』十巻本の一、第六篇。 原注一一 Quaestores parricidii ・ Pom 夏 ) 三 u 一 e ・ a ff. de 0 ュ g. Jur. たれ、そのおのおのが一票を持っていた。貴族と有力者はそ 原注三プリュタルク「ププリコラ伝」第六章。 の最初の九十八組を構成し、残余の市民は他の九十五組に分 原注四 Comitiis Centuriatis 散していた。したがって、この区分では、貴族が投票の支配 原注五上記「テイトス・リヴィウス』第一篇第四三章、および、「ド ダリカルナス」第四篇および第七篇参照。 者であった。 ( 原注六 ) 原注六「ドニ・ダリカルナス」第七篇。 種族による区分においては、貴族は上と同じ利点を持たな 原注七古い慣行に反すること、「ドニ・ダリカルナス」に見えるとおりで かった。だがともかく利点を持っていた。すなわち、鳥占に ある。第五篇第三二〇頁。 伺いをたてる必要があったが、鳥占者は貴族たちの勢力下に 原注八同前、第六篇第四一〇頁・第四一一頁。 クーリヤ

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516 同じく、役務を課せられていた。そのことが多分、ある程度によったものであった。宮宰は末期においてはメロヴィンガ 王朝のうちでかれらの欲する者を王座に乗せはしたが「他の までシャルル・マルテルが封地としてあたえたと同しように 自由所有地としてあたえたことの理由であった。 家門から王を選んだことはなかった。しかして、一定の家門 に王冠をあたえる古い法はフランク人の心から消え去っては 第十五章同じ題目のつづき いなかった。国王の一身はほとんど王国内で知られていなか 封地は変じて教会財産となり、教会財産は封地に変えられったが、王権はそうでなかった。シャルル・マルテルの子ペ たので、封地と教会財産は交互に相手方の何ものかを帯びる パンはこの二つの資格を混淆するのが適当であると信じた。 に至ったことは注目に価する。このようにして教会財産は封この混淆は王権が世襲なりや否やの問題にたえす不確定を残 地の特権を取り、封地は教会財産の特権を持った。この時代すことになる。しかしそれは王権に一大権力を結合した人に に生まれた教会内における貴賓の名誉権などがこれである。 とっては十分であった。その時、宮宰の権威は王の権力に結・ そしてこの権利は今日いわゆる封地と呼ばれるものよりも、 びつけられた。この両権威の混淆において、一種の和解が行 領主の上級裁判権 (haute justice) につねに属していたから、 なわれた。かっては宮宰は選挙により、国王は世襲であった 家産裁判権はこの権利と同じ時に設けられたという結果にな が、第二王統の初期においては、王位は、人民が選挙するが る。 ゆえに、選挙的であり、人民は必ず同一家門より選ぶがゆえ に、それは世襲的となった。 第十六章王権の宮宰権との混淆。第一一王統 ル・コワント神父はあらゆる史料が証拠だてるにもかかわ 問題の順序のためにわたしは時間の順序をみだしてしまっ らず、法王がこの大変革を承認したことを否定する。かれの た。それでペパン王のもとにおいて行なわれた王冠のカロヴ議論の一つは法王のやったことが不正になるであろうからと インガ王朝への移転のかの著名な時期について述べるまえ いうのである。歴史家が人のなしたことをそのなすべかりし に、シャルルマンニュについて述べた。この王位の移転は、 ことによって判断するとはまことに恐れいったことた。この 通常の事件とは異なり、それがちょうどおこった時代におけ ような論法をもってすれば、もはや歴史はなくなるであろ るよりも恐らく今日のほうがいっそう注目をひいているのでう。 ある。 それはさておき、ペパン公爵の戦勝の時いらい、かれの家 国王はなんらの権威を持たなかったが、かれらは家がらをが君臨し、メロヴィンガ家は君臨しなかったということは確 持っていた、国王の資格は世襲的であり、宮宰のそれは選挙かである。かれの孫のペパンが戴冠した時には、儀式が一つ