たがって行使することであり、専制政体のそれは、唯一者が その意志とその気まぐれによって統治することである。それ 第三篇三政体の原理について ら三者の原理をわたしが見いだすためには、上に述べたこと だけで十分である。これらの原理はここからおのずから出て くるのである。まず共和政体、それも民主政体から始めよ 第一章政体の本性とその原理との差異 各政体の本性との関係における法がいかなるものであるか 第三章民主政の原理について を検討した後冫 ( こよ、その原理との関係における法を考察すべ 君主政体または専制政体の保全・持続のためには、篤実な きである。 ( 原注一 ) どということはあまり必要ではない。前者における法の威 政体の本性とその原理との間には次の差異がある。すなわ 力、後者における君主のつねに振り上げた拳固が万事を決定 ち、その本性とは政体をしてしかくあらしめるものであり、 し、万事を制圧するからである。しかし人民的国家において その原理とは政体をして活動せしめるものである。一はその は、徳性というそれ以外の原動力が必要なのである。 特有の構造であり、他はそれを活動せしめる人間の情念であ わたしのいうところは歴史の全体によって確認され、事物 る。 の自然にきわめて適応している。なんとなれば、法を執行せ しかるに、法は各政体の本性に劣らすその原理と関係すべ しめる者が自己を法の上にあると考えている君主政において きものである。したがってその原理いかんを探求しなければ は、法を執行せしめる者が自分自身も法に服従させられてお ならぬ。これが本篇においてわたしの行なわんとするところ り、その重圧を受けるであろうと思っている人民的政体にお のものなのである。 けるよりも、徳性の必要が少ないことは明白である。 原注一この区分はきわめて重大であり、わたしはそこから多くの結果を引 き出すであろう。この区分こそ無数の法の鍵である。 なおまた、悪い助言や怠慢によって、法を執行せしめるの を止めた君主は容易にそのあやまちをつぐないうることも、 第二章各種の政体の原理について 明白である。かれはたんに顧問官を変更するなり、こうした 第すでに述べたるごとく、共和政体の本性は、人民全体、ま怠慢自体をあらためさえすればよいのである。しかし、人民 たは特定の諸家族がその主権を持っことであり、君主政体の的政体において、法が執行されることを止めた場合は、それ それは君主がその主権を持つけれども、それを一定の法にしは共和政の腐敗からでなくては起こりえないのであるから、
売官制度は君主国においてはよい。なぜならばそれは徳性 はやぶさに追われて懐中に逃げ込んだ雀を殺したアテネ アレオパゴス アレオパゴス のために行なおうとは思わない仕事を家業として人々に行な最高法院の判事の処罰を見てわれわれは驚く。その最高法院 わしめ、各人をその義務につかしめ、国家の等族を一層永続が自分の鳥の眼をえぐった少年を死なしめたと聞いてはびつ 的にするから。アナスタジウスはすべての官職を売って帝国くりする。しかし、ここの問題は犯罪にたいする宣告ではな を一種の貴族政に変えてしまったとスイダスがいったのはも く、よい習俗の基礎の上に立っている一共和国における習俗 ( 訳注三 ) っともである。 裁判なのだということに注意すべきだ。 ( 原注六 ) 君主国においては、監察官は無用である。君主政は名誉の 。フラトンはこの売官制度を認めることができない。かれは いう、「これはまるで船中において、ある者をかれの金次第基礎の上に立っており、名誉の本性は世間全体を監察官とす で水先案内にしたり水夫にしたりするようなものだ。この規ることにある。名誉を失う者はすべて、全く名誉をもたない 則が人生の他のどんな仕事にも悪いのに、ただ国家を連営す人たちの批難にさえもさらされる。 るためにだけよいなどということがありえようか」と。だが ここに監察官をおけば、かれらはまさにその矯正すべき人 。フラトンのいう国家は徳性に基礎を置く共和政の話であっ たちによって腐敗させられるであろう。かれらは君主政の腐 て、われわれの述べているのは君主政についてである。とこ敗にたいしては役に立たないが、君主政の腐敗はかれらが抵 ろで、官職が国家の規則で売買できなくなろうとも、宮廷貴抗するには余りに強すぎるであろう。 族の貧窮と貪欲とは相変わらず売ることであろう。偶然のほ 専制政体において監察官が必要でないことは、だれにもよ うが君主の選択よりもよい臣下を与えるであろう。最後に、 く解る。シナの例はこの規則に反するように見える。し ( 訳注四 ) 富裕によって栄達する方式は勤労を鼓舞し、かん養する。こ し、本書においてこの繝度の特別な理由を後述するであろ ( 原注】こ れはこの種の政体がきわめて必要とすることなのだ。 問題の五。どんな政体に監察官が必要であるか。共和政に 原注一プラトンはその「共和国』第八巻において、このような拒絶を共和 である。そこでは政体の原理が徳性であるから。徳性を破壊 政腐敗の徴候のうちに数えている。その「法律論』第六篇において、それを 部するものは単に犯罪のみではなく、怠慢、過失、祖国愛にお 罰金によって罰せよといっている。ヴェネチャでは、それを追放によって罰 する。 一けるある種のなまぬるさ、悪い例や堕落の萌芽など、法を侵 原注二ヴィクトル・アメデ。 第害するものではなくても、法網をくぐるもの、法を破壊はせ 原注三若干の百人隊長が以前占めていた職につくことを求めるため人民に ぬが、弱体化させるもの、すべてこうしたものは監察官によ 呼びかけた時、一人の百人隊長がいった。「わが仲間たちょ、諸君が祖国を 守るためのすべての地位を名誉あるものと考えるのが正しい」と。 って矯正されねばならない。 ォルドル 0
領地に分散するや否や、かれらはそうすることができなくな 第八章なぜ古代人は君主政について明確な観念を った。しかし国民がその政務を討議しなければならなかった 持たなかったか ことは、征服前と同じであった。そこで国民は代表者によっ 古代人は貴族団体に基礎をおく政体を知らず、国民の代表てそれを行なった。以上がわれわれの間に見るゴート的政体 の起源である。それははじめは貴族政と君主政との混交した 者からなる立法府に基礎をおく政体はなおさら知らなかっ た。ギリシャおよびイタリヤの諸共和国は都市であって、そものであった。それは下層民が奴隷だという欠点を持ってい た。だが、それはそれ自らの中に、よりよくなる素質を持っ れぞれその政府をもち、その市民をその城壁の中に集めてい たよい政体であった。やがて解放状を付与する慣習が生じ、 た。ローマ人がすべての共和国を併呑してしまう前には、ど さらに間もなく人民の市民的自由、貴族と僧侶の特権、国王 こにも、イタリヤにも、ガリヤにも、スペインにも、ドイツ ( 訳注一 ) にもほとんど全く王は存しなかった。それはすべて小さな人の権力がみごとな調和を現出するに至った。だからこの調和 民、または小さな共和国であった。アフリカでさえも、一大の続いた時代にはヨーロツ。 ( の各部分の政体ほどに立派に調 共和国の下にあった。小アジアはギリシャ植民地によって占節されていた政体が地球上にあったとはわたしは信じない。 また、ある征服人民の政体の腐敗が人間の想像しうる最良の められていた。だから都市代表や等族会議の例は全くなかっ 種類の政体を形成したということは驚嘆に値する。 た。ただ一人の統治の政体を見出すにはベルシャにまで行か 訳注一だが、同時代にマケドニヤ、シリヤ、エジ。フト等に王が存在した。 ねばならなかった。 (Crevier) 連邦的共和国があったことは事実である。数多の都市がそ の代表を議会に送っていた。だが、この模型に基づく君主政 第九章アリストテレスの考え方 は全く存しなかった、とわたしはいうのである。 われわれの知っている君主政の最初のひな型がどのように アリストテレスの困惑は、かれが君主政を論ずる場合に、 ( 原注一 ) して作られたかは次のごとくである。ローマ帝国を征服した明らかに見られる。かれは五種類の君主政を設けている。 部ゲルマン諸民族は、人も知るごとく、極めて自由であった。 が、かれはそれらを国家構造の形態によって区別せす、君主 この点についてはタキトス『ゲルマン人の習俗について』をの徳性とか悪徳とかいうごとき偶有的事物により、または、 第読みさえすればよい。征服者たちは国内にひろがった。かれ暴政の簒奪とか暴政の相続とかいうごとき、非本質的事物に らは田舎に住み、あまり都会には住まなかった。かれらがゲより区別する。 ルマニヤにあった時は、全国民が集会することができた。占 アリストテレスはベルシャ帝国も、スパルタ王国も君主政
556 地理的ないしは社会地理的な意味に用いて、熱帯、温帯、寒して生活様式とは経済生活の実体にもとづくものにほかなら 帯の風土が人間の精神や社会や政治や文化にたいする影響をない。モンテスキューの経済論は重金主義とジョン・ローの ば実証的に明らかにしようとした。この問題の提出の意義投機的金融理論にたいする明確な批判にもとづいて、農業、 は大きい。つぎに、宗教問題が自由な論断のむつかしかった工業、商業の均衡のとれた発展をのぞむところにあり、その 間題であったことは容易に想像できようが、モンテスキュー 際、生産様式の内部にまで入って論ずることは行なわれてい は終始宗教的寛容の必要を説いた。かれ自身の立場は理神論ないが、「利益こそこの世における最大の君主だ」 ( 手紙の一 であったといわねばならないが、国家が宗教的寛容をもって〇六 ) と語るかれは初期資本主義にもとづく国民経済を構想 多数の宗派を認めることによって、独断的な不寛容の盲目か していたと、いえるであろう。 ら社会を解放し、理性に光あらしむべきことを説いた。ジョ さて最後に、いま一度、モンテスキューの相対主義、比較 ン・ロックの寛容論がカトリックの国に根づいたのである。 論的態度に言及しておこう。相対主義や比較論は、何か一つ 政体の格率について注目すべきものは、モンテスキュ の基準になるものが中心に据えられないかぎりは、成り立た 古来の政体論とは異なる理論を提出したということである。 ない。モンテスキューのばあいにはその基準は何であったの 、 0 、刀 自由こそはそれであった。一般精神を形づくる諸要 アリストテレスの政体論 ( 君主制、貴族制、民主制 ) はヨー ロッパの大きな思想的遺産であったが、これは権力の座の相素の影響は、それが社会的自由を促進するか抑圧するかが測 違にかかわっていた。モンテスキューのそれ ( 共和制、君主定されることによって、正常であるか異常であるか、健全で あるか腐敗しているかの判定を受けたのであった。絶対主義 制、専政制 ) は権力行使の仕方のちがいにもとづいており、 社会の動きに着目する著者の眼力はここにも現われている。 的専制政治にたいする批判は、かれの政治論の核心である。 大体に、かれの政治論には、当時支配的な自然法学者のほか ただしモンテスキューは自分の見聞にもとづいて、その社会 に、マキャベリの理論が大きな作用を及、ほしているのであ的自由がヨーロツ。ハには実現していて、東洋社会には無縁の る。三権分立論も著者の新しい理論として世に残っている。 ものであったことを確信していた。この種の思想はかれ以後 一般に政治理論についていうと、著者はイギリスの、しかも の社会思想においても長く名残りをとどめるものである。 ウィッグ党の政治理論から受けた影響が大きいと、いわれて 結局、モンテスキューの思想は、自然法思想を基調としな がら、まれにみる実証的精神につらぬかれた社会思想の全分 いる。習俗についていえば、ここにモンテスキューは社会の 基本的で内在的な要素を認めていたといってよい。そしてこ野の一大。ハノラマであるということができる。社会科学がま ど成熟しなかった当時として、社会を見、批判する鑑として の習俗を生むものは生活様式であると考えていたらしい。そナ ~ 、刀
( 原注一 ) 法はこの政体の構造が与えうるあらゆる商業を援助すべき めにである。 代承相続人掃定は財産を家族の中にとどめさせ、ほかの政である。それは、臣民が君主とその宮廷の絶えず増大する欲 体においては不適当であるが、この政体においては非常に有望を満足させても、死なずにすむためにだ。 法は租税の徴収方法に一定の秩序を設けるべきだ。徴収方 益であろう。 親族の買戻権は、一人の放蕩な親族が手放した土地を貴族法が税金自体よりも負担にならないようにするためにだ。 課税の重荷は、はじめのうちは労働を生む。労働は疲労 の家に取戻させるであろう。 貴族の土地は貴族たる人と同じく特権をもつべきであろを、疲労は怠惰の精神を生む。 原注一商業は人民にだけしか許されていない。 De et mercant ・ う。君主の尊厳を王国の尊厳と切り離すことはできない。そ oribus 法典第三法を見よ。それは良識にみちている。 れと同じく貴族の尊厳をかれの封地の尊厳から引き離すこと 訳注一貴族の買戻権を行使するためには、一年と一日の猶予期間があっ は、ほとんどできないことだ。 以上のすべての特権は貴族階級だけに特有のものであるべ 第十章君主政における執行権の敏速について く、人民の手に移ってはならない、もしも、君主政の原理を 君主政体は共和政体に対して一大長所をもつ。すなわち、 傷つけることを望まず、貴族の力も人民の力も減少させたく 政務がただ一人によって運転されるのだから、執行にはより ないならば。 多くの敏速さがある。しかし、この敏速が悪くすると急速に 代承相続人指定は商業を妨げる。親族の買戻権は限りない 訴訟を必要にする。そして王国のすべての売られた土地は少変わるかもしれぬから、法は執行にある程度の緩慢さをあた ( 訳注一 ) えねばならない。法はただそれぞれの政体の本性を助長する なくも、一年間はいわば無主の土地である。封地に結びつい だけでなく、この同じ本性の結果として生するかもしれぬ弊 ている特権は、その特権の下に立たされる人々にとって非常 害の矯正もしなければならないのだ。 にわずらわしい権力をあたえる。これらは貴族階級に特有な ( 原注一 ) 枢機官リシュリューは、君主政においては万事について面 不便なのだが、貴族階級があたえる一般的効用の前に消減し てしまう。だが、この特権を人民にも移すと、すべての原理倒を起こす結社のとげにさされるのを避けるべきだといって いる。かりにこの人物がその胸のうちに専制主義をもってい を無益に侵害することになる。 なかったとしても、頭の中にはそれをもっていたのであろう。 君主政においては財産の最大部分を子供の一人に残すこと 法の保管に任する団体は、遅い歩調であるく時、そして、 これは君主政以外のどこの政体でもよくない を許してよい 君主の政務に対して、国家の法についての宮廷の無知から 許容とさえいえる。 こ 0
君主の真の職能は裁判官を置くことであ「て、自ら裁判すうかを審査した。元老院がそれを保持するのが適当と判断す ると、元老院はその団体の中から選ばれた一名の法務官を任 ることではない、ということを人々はまだ発見しなかった。 ( 原注こ 命し、これが国王を選ぶ。元老院がその選出を承認し、人民 その反対の政治が一人統治の政体を堪えがたいものとした。 がそれを確認し、鳥占がそれを保証する。この三つの条件の - キリシャ人は一人統治の これらすべての国王は放逐された。。 一つが欠ければ、また別の選挙をしなければならなかった。 政体における三権の真の分配を考えだせなかった。かれらは 政体は君主政的、貴族政的、また民衆政的であった。そし 多数統治の政体においてのみそれを頭にえがくをえた。そし ( 原注四 ) ( 訳注一 ) て権力はよく調和していたから、はじめの治世には嫉妬も争 てこの種の政体をポリスと呼んだ。 論もおこらなかった。国王は軍を統帥し、いけにえの監督権 原注一アリストテレス「政治学』第三篇第一四章。 ( 原注二 ) ( 原注三 ) 原注一一同上。 を持っていた。かれは民事・刑事の裁判権を持っていた。か 原注三プリュタルクが「テシウス伝』第八章でいっていることを参照。 れは元老院を召集し、人民を会同せしめ、ある種の事務はこ ( 原注四 ) 「ツキジテス」第一篇も参照。 れに諮り、他は元老院と共にこれを処理した。 原注四アリストテレス「政治学」第四篇第八章。 デモクラシー 訳注一ポリビウスが「民主政」とよんだものと同じである。 元老院の権威は甚大であった。国王はしばしば元老院議員 を選んでかれらといっしょに裁判した。また人民に事務を付 ( 原注五 ) 第十一一章ローマの王政について、および、その三 議するには、あらかじめ元老院に審議せしめた。 ( 原注六 ) 権分配の態様 人民は公職者を選挙し、新たな法を承諾する権利をもち、 ローマの王政はギリシャの英雄時代の王政といくらか似てまた国王がそれを許せば、宣戦、講和の権を有した。だが裁 いる。それは後者同様、その一般的欠点によって亡びた。そ判権は全く持っていなかった。トルルス・ホスチリウスがホ ラチウスの裁判を人民に付議したのは、特殊な理由があった れ自体において、また、その特殊的性質において、それは非 ( 原注七 ) からだ。それはドニ・ダリカルナスを読んで貰いたい。 常によかったのであるが。 ( 原注八 ) この政体はセルヴィウス・トルリウスの下で変わった。元 この政体をよく説明するため、わたしは最初の五人の王の 政体と、セルヴィウス・トルリウスのそれと、タルキヌスの老院はかれの選挙にはあずからなかった。かれは自分を人民 に王と宣せしめた。かれは民事裁判権を手放して、刑事裁判 それとを区別したい。 第 権のみをその手に保留した。かれはすべての政務を直接人民 王位は選挙制であった。そして最初の五人の王の下では、 に付議し、人民の租税を軽減し、その重荷をすべて貴族に課 元老院が選挙に最大の勢力を持っていた。 した。このように、かれは王権と元老院の権力を弱めるにつ 国王が死ぬと、元老院は既存の統治形態を保持すべきかど
哲学的に論すれば国家のあらゆる部分をみちびいているも君主は何らの規則も持たす、彼の気まぐれは他のすべての気 のは賢の名誉であるというのは正しい。しかしこの賢物の名まぐれを破壊する。 誉も、本物がそれを持ちうる個人があるとすればその人にと 名誉は、専制国家には知られておらず、そこにはしばしば ( 原注一 ) って有益であろうと同じ程度に公共にとって有益なのであそれを表現すべき言葉さえないのであるが、君主国家には君 る。 臨している。それはそこにおいては、政治体の全体に、法 また、人々をしてすべての困難な、骨の折れる行動をする に、そして徳行にさえも生命を与えるものなのである。 原注一。ヘリ (Perry) 四四七頁参照。 ように強制しながら、これらの行動の反響」以外に報 酬をやらすに済むというのはたいしたことではないか。 第九章専制政体の原理について 第八章名誉はけっして専繝国家の原理ではないと 共和政には徳性を、君主政には名誉を必要とするごとく、 いうこと 専制政体には恐怖が必要である。徳性に関しては、それはこ ここでは人間は 専制国家の原理はけっして名誉ではない。 こにはまったく必要がなく、名誉にいたっては有害であろ すべて平等であるから、自己を他人より尊重することはでき ない。そこでは人間はすべて奴隷であるから、自己を物以上 君主の広大無辺の権力はかれがこれをゆだねた人々に全部 に尊敬することはできないのである。 移ってゆくから、自己を非常に高く評価することのできる人 その上、名誉にはそれ自身の法と規則とがあって、勝手に人の中には、そこに革命を起こすことができるかもしれな ( 訳注こ 屈曲できないであろうから、また、それはそれ自身の気まぐ 。それゆえ、恐怖がすべての人の心をうちひしぎ、野心の れに依存するものであって、他人の気まぐれに依存するもの情の影をも消減せしめることが必要なのである。 ではないから、国家構造が定立していて、確定的な法の存す 繝限政体は、その欲する限り、また、危険なしに、その機 る国家の中にのみ存在しうる。 関を休ませることができる。それはその法とそのカ自体によ これがいかにして専制君主のもとで許容されえようか。名って維持されるから。しかるに、専制政体において、君主が 誉は生命を軽んずることを光栄としている。しかるに専君一瞬でもその腕を振り上げるのをやめるとき、枢要の地位を ( 原注こ 主の権たるや生命を除きうることにのみ懸っているのであしめる人々を一瞬にして消減せしめえないときには、万事は る。名誉はいかにして専制君主を許容しえようか。それは秩終りとなる。なんとなれば恐怖というこの政体の原動力がも はやそこにないのであるから、人民はもはや保護者を持たな 序ある規則を持ち、鼻息の荒い気まぐれを持っている。専制
152 は永続的に法をつくり、 既存の法を改正または廃止する。第 ヨーロッパの多数の王国においては、政体は制限的であ 二のものにより、講和または戦争を行ない、外交使節を交換る。なんとなれば君主は一と二の権力を持「ているが、第三 し、安全を保ち、侵略を予防する。第三のものにより、犯罪の権力の行使はこれをその臣下にゆだねているからである。 シュルタン を罰し、または個人間の争訟を裁判する。二つの執行権の トルコにおいてはこれらの三権は皇帝に集中せられており、 中、この最後のものを裁判権と称し、他をたんに国家の執行むごたらしい専制政治が君臨している。 権と呼んでよい イタリヤ諸共和国においても、これら三権が集中している 各市民における政治的自由とは各人が自己の安全について ので、わが諸君主国におけるよりも自由の存することが少な いだく意見にもとづく精神の安穏である。しかして人々がこ ( 原注一 ) い。かくて、この政体が維持されるためには、トルコの政体 の自由を持っためには、市民が他の市民を恐れることはあり と同じく強暴な手段を必要とする。国家の糺問官 (lnquisi ・ ( 原注二 ) えないように政治が行なわれなければならない。 teurs d'Etat) ならびに賞金めあての密告者のだれでもが一 同一人物の手に、または、同一官職団体の手に、立法権と通の書面で告訴を投げこむことのできる告訴函はその証左で 執行権とがかねられるとき、自由は存在しよ、。 オしなんとなれある。 ば、同一君主または同一元老院が暴政的な法をつくってそれ これらの共和国における市民の地位がいかなるものであり を暴政的に執行する恐れがありうるからである。 うるかを見よ。同一の執政団体が立法者としてその手に握っ 裁判権が立法権および執行権と分離していない場合もま た全権力を、法の執行者として持っているのである。この団 た、自由は存しな、。 この権が立法権と結合しておれば、市体はその一般的意志によ 0 て国家を劫掠することができる 民の生命および自由にたいする権力が恣意的なものとなろ し、また、裁判権を持つがゆえに、その特殊的意志によって う。裁判官が立法者となるわけであるから、この権が執行権各市民を破減させることもできる。 と結びついているとすれば、裁判官は圧制者の力を持ちうる そこではすべての権力が唯一であり、専制君主を明らかに であろう。 示す外観的壮麗はないけれども、各瞬間に専制君主の存在が もしもただ一人の人物、もしくは有力者であれ、貴族であ感知されるのである。 れ、または人民であれ、それらの一団体だけがこれらの三 だから専制的になろうと欲した君主は必す、ます一身にあ 権、すなわち法をつくる権、公の議決を執行する権、ならびらゆる長官の職を集めだしたのであり、ヨーロツ。、 / の多くの に犯罪もしくは個人間の争訟を裁判する権を行使するとすれ国王もその国家のすべての重要な官職を一身に集中せんとし ば、すべては失われるであろう。
部 127 アリストテレスがカルタゴ共和国について述べているの 共和政の本性からいって、それは小さな領土しか持たない、 は、きわめてよく規正されている共和国としてである。ポリ 然らずんばそれはほとんど存続しえない。大共和国には、大 ビウス (Polybius) の話では、それから百年後の第二ポエニ きな財産が存在して、したがって人心に節度があまりない。 戦役には元老院がほとんどすべてのその権威を失ったという余りにも大きな寄託物を一市民の掌中に委ねなければなら 欠陥をカルタゴは露呈していた。『テイトス・リヴィウス』 ぬ。種々の利益が特殊化される。人はまず、祖国なしにで の語るところでは、ハンラハルがカルタゴに戻ってきた時、 も、幸福であり、偉大であり、光栄あるものたりうると感す かれの眼に映ったのは、執政者や市民の有力者が国庫収入をる。そして間もなく、祖国の荒廃の上に立って独り偉大であ 横領し、権力を乱用していることであった。すなわち執政者りうると思う。 の徳性も元老院議員の権威と共に下落したのである。万事が 大共和国においては、公共福祉は無数の考慮の儀牲に供せ 同一原理から流れ落ちたのである。 られる。それは例外に従属せしめられ、偶発事に依存させら ローマにおける戸口総監職の習俗是正の偉功は人の知るとれる。小共和国では、公益はよりよく感得され、よりよく認 ころである。それが重荷になった時代があったが、ローマの識され、各市民のより身近にある。弊害はそこではより小現 腐敗はいまだその奢侈に及はなかったので、この制度は支持模であり、したがってかばわれることが少ない。 された。クラウデイウスはこれを弱体化した。そして、この ス。ハルタをあれほど久しく存続せしめたものは、そのすべ 弱体化によって、腐敗は奢侈よりも一層甚だしくなった。かての戦争の後も、依然として昔ながらの領土に止まったこと くて戸口総監制は、いわばおのずから廃止されたのである。 である。スパルタの唯一の目的は自由であった。その自由の この制度は妨害され、要請され、復活され、放棄された後、 唯一の利益は、光栄であった。 無益なものとなる時まで、完全に中断された。つまりアウグ 自分の作った法に満足すると同様に、自分の土地に満足す ストスやクラウデイウス帝の治世までである。 るというのがギリシャ諸共和国の精神であった。アテネが覇 心を起こしスパルタに感染させた。しかしそれは奴隷を支配 第十五章三原理保全に最も有効な手段 せんがためというよりも、むしろ自由な諸人民を指揮せんが 次の四章を読みおえてからでなければわたしのいうことは ため、連盟を破砕せんがためよりも、連盟の牛耳を取らんた 解らないであろう。 めのものであった。一君主国の興るに及び万事は終わった。 この政体の精神は一層領土拡張に向かっているからである。 ( 原注一 ) 第十六章共和政の特質 特別な事情がない限り、共和政体以外のいかなる政体も単
175 第二部 賞讃すべきことが、ほかにも一つあった。それはセルヴィ 第二十章本篇の結尾 ウス・トルリウスの階級別は、いわば国家構造の根本原理な われわれの知っているすべての制限政体において、三権の ので、租税の徴収における公平は政体の根本原理に基づいて 配置がどうなっているかを探究し、また、それによってその いて、政体を廃するのでなければ廃することができなかった のである。 各々が享有しうる自由の程度を計ってみたいとわたしは思う のであるが、読者に何もなす余地を残さぬほどに論題をきわ しかし、ローマ市が租税を苦痛なしに支払うか、あるいは ( 原注三 ) めることは必すしも必要でない。ものを書くは読ませるため 全く払わなかった時に、州は騎士たちに荒廃させられた、か れらは共和国の収税請負人であった。われわれはかれらの猛でなく考えさせるためであるから。 猛しい強奪ぶりについて述べた、そして歴史全体がそれで満 ちている。 ミトリダテスはいった。「全アジアはその救い主としてわ ( 原注 ) たしをまっている。地方総督の略奪や、収税人の徴発や、裁 ( 原注履 ) 判の屁理屈がローマ人にたいしておそるべき憎悪をまき起こ したのだ」 州の力が共和国の力に何ものも付け加えるところなく、反 対にそれを弱めただけにすぎなかったわけは以上の通りであ る。州はローマの自由の消減をもって自分たちの自由の創設 の時代とみなしたわけは以上の通りである。 原注一かれらは州に入るや、その布告を作った。 原注二第五篇第一九章。第二篇、第三篇、第四篇、第五篇もまた参照のこ と。 原注三マケドニヤの征服以後は、租税はローマでは廃された。 原注四「ユスチヌス」第三七篇第四章に報告され、トログス・ポンべイウ スより引用の演説。反ヴェレス演説参照。 原注五ゲルマン人を叛乱せしめたのはヴァルスの裁判所であったことは人 の知るところである。