ってしまう。そうなると人びとは彼らを説得したと思うのだ一 ていない、味わいもない、すぐにも腐ってしまう早熟な果実 、、、、実は、子供がたんにやりきれないと思ったか、あるいは を生み出させることになろう。つまり若い博士や老いこんだ 子供を持っことになろう。幼年期には特有のものの見方、考おじけづいてしまったにすぎないのである。 その結果はどうなるだろうか。第一にあなた方は、子供た え方、感じ方がある。それの代わりにわれわれの見方、考え 方、感じ方を与えようとするほど分別を欠いたやり方はなちが感じてもいない義務を彼らに押しつけることによって、 、。したがって十歳の子供に判断力を要求するのは、子供にあなた方の圧制に対する不快な思いを植えつけ、あなた方を 五フィートの身長を要求するようなものだ。実際その年頃で愛さなくなるようにする。つぎに報酬をせしめたり、罰をま 理性がなんの役に立ったろうか。理性は力を制御するもので ぬがれたりしようとして、猫をかぶり、ごまかし、嘘をつく ある。ところが子供にはそういう制御を必要としないのだ。 ようになることを彼らに教える。そして最後には、あなた方・ あなた方は生徒たちに服従の義務を説得しようとして、そは秘密の動機をつねにうわべの動機で隠すように彼らをしつ の説得と称するものに力と脅しを、あるいはもっと悪いことけて、たえずあなた方をだまし、自分たちの真の性格をあな た方に知られないようにし、機会があればあなた方や他人を には、お世辞と約東とを加えている。だから利益に釣られる かまたはカに強繝されて、生徒たちは理性〔道理〕によってむなしい言葉でいいくるめる方法を、あなた方自身で彼らに 説得されたようなふりをする。あなた方に服従か反抗かを感与えているのである。法律は良心にとって義務的なものでは づかれたとなるとすぐに彼らには服従すれば得があり、反抗あるが、成人に対してもやはり拘東カを及ぼすものだ、とあ なた方はいうだろう。わたしもそう思う。しかしそういう大 すれば損をするということがよくわかる。しかしあなた方は 生徒たちに不愉快なことしか要求しないし、他人の意志によ人とは、教育のため堕落した子供にほかならないではないか。 って何かするのはいつもつらいことだから、彼らは隠れて自それこそまさに防止しなければならないことだ。子供にはカ 分の意志を実行し、不服従を知られなければよくやっているを用い、大人には理性を用いるのがよい。それが自然の秩序、 だ。賢人は法律を必要としない。 のだと確信し、しかしそれが見つかったなら、もっと大きな あなた方の生徒をその年齢にしたがって扱わなければいけ 篇苦痛を恐れて、すぐに悪いことをしたことを認める。義務の ない。まず彼をその位置におき、彼がそこから抜け出そうと 二理由は彼らの年齢ではわからない。それをほんとうに彼らに しないように、きちんと固定しなければいけない。そうすれ 第感得させることのできる人は、この世の中にはいない。しか ば知恵とはなにかを知らないうちに、彼はそのもっとも重要 し罰を恐れ、許してもらおうと期待し、しつつこく問われ、 8 な教えを実行することになる。けっして彼に命令してはいけ 返答に窮して、彼らは白状しろといわれたことはなんでもい
202 きよう。生きるためにはやむをえない卑劣なことや悪いこと ないのだ。まず、アカデミー に入会していなければならな 。そうなっても、壁の片隅にどこか目だたない場所を手を、どうして軽蔑することができよう。あなた方は富に依存 に入れるにも庇護者がいなければならないのだ。定規や絵筆しているだけだったが、いまでは富める人に依存している。 、 - 辻馬車をやとって、門から門へと駆けあなた方は隷属状態をいっそうはなはだしいものにし、その は捨ててもらしたい。、、 うえ貧困という重荷まで背負いこんだだけなのだ。いまやあ こうしてはじめて名声をかちうることにな まわるがよい なた方は、自由を失って貧乏になったのだ。それは人間がお る。ところで、あなた方も御承知のはずだが、そういう名士 の家の門にはかならず番兵や門番がいて、その連中ときたらちこむ最悪の状態だ。 しかし、からだを養うためではなく魂を養うためにできて 身ぶりでなければ言葉は通じないし、彼らの耳は手の中につ いるそういう高尚な知識にたよって生活しようとしたりはし いているというわけだ。あなた方は学んだことを教えようと するのか。そして、地理学とか、数学とか、語学とか、音楽ないで、必要が生じたときにはあなた方の手に、そして手を とか、デッサンとかの教師になろうとするのか。それにした使ってできることに、助けを求めるようにするなら、すべて ところで、生徒を見つけなければならない。したがってはやの困難は消えうせ、すべての手管は無用になる。この生活手 し立ててくれる人間を見つけなければならない。有能である段は使おうとするときにはいつでも使える用意ができてい る。誠実さとか名誉を重んずる心とかはもう生活のさまたげ ことよりも山師であることが必要なのであり、自分の本職の にはならない。あなた方はもう、高貴の人の前で卑屈な態度 ほかには職業を知らないとしたら、いつまでたってもあなた 方は無知な人間にすぎないことになるのだ、と覚悟したがよをしたり、嘘をついたりする必要はない。詐欺師どもの前で ペこペこして這いつくばったり、あらゆる人の下劣な御機嫌 とりをしてまわる必要もない。金を借りたり盗んだりするこ だから、こういう輝かしい生活手段がみなどんなに基礎の ともない。なにももっていなければ、借りるのも盗むのもほ 不確かなものだか、それを利用するためには、他にどんなに とんど同じことだ。他人の意見など少しも気にならない。誰 多くの手段があなた方にとって必要となるか、わかっていた にもお世辞をつかう必要はないし、ばか者に媚びることも、門 だきたい。それに、そんないじけたいやしい状態におちいっ 番をなだめすかすことも、娼婦に金をやることも、もっと悪い たとしたら、あなた方はどうなることだろう。失敗はあなた ことだが、おべつかをつかうこともしないですむのだ。なら 方を教えることはなく、卑しくするばかりだ。いままでより もいっそう世論にもてあそばれていながら、どうしてあなたず者が国政をにぎっていたところで、あなた方にはなんのか かわりもない。そういうことは、あなた方が世に知られない 方はあなた方の運命を支配している偏見にうちかっことがで
思ったことのないものが、あなた方の中にいるだろうか。なそ、苦痛の数を多くして、理性の時期に苦痛をまぬかれさせ ぜあなた方は、この幼い無邪気なものたちの手から、たちま るようにすべきだと。しかしそういう処置がすべてあなた方 ちすぎ去るほんの東の間の楽しみと、彼らが乱用することもの意のままに行なわれうると誰があなた方にいっているの 知らぬきわめて貴重な幸福とを取り上げようとするのか。あか。また、あなた方が子供のか弱い精神を悩ましているこの りつばな教育が有益であるどころか有害になるというような なた方にとって再び戻ってくることもあり得ないとともに、 彼らにとってももはや戻ってくることのない、あんなにも速ことが、いつの日か起らないと誰がいえようか。あなた方が やかにすぎ去るあの最初の数年を、なぜあなた方は苦々しさ子供にやたらと与える悲しみによって、何らかの苦しみをま と苦痛とでみたそうとするのか。父親たちょ、死があなた方ぬがれさせてやっているのだと、誰があなた方にうけあうの か。現在の苦しみが将来の苦しみを軽くするという確信もな の子供を待ちかまえている時を、あなた方は知っているの いのに、なぜ子供の状態では耐えられないほどの苦しみを彼 か。自然が子供たちに与えているこのほんのわずかな時を彼 に与えるか。またあなた方がなおしてやると称するそれらの らから奪うことによって、あなた方は後悔のたねをつくるよ うなことをしてはならない。子供たちが生きる喜びを感じら悪い傾向が、自然から由来するよりもむしろあなた方の誤っ れるようになったら、すぐにそれを楽しませてやるがよい。 た心づかいから生まれているのではないことを、どんなふう 彼らがいっ神に呼ばれようとも、人生を味わいもしないうちにわたしに証明してくれるのか。まことに悲しむべき先見の に死ぬことのないようにしてやるがよい。 明ではないか、一人の人間を将来幸福にしてやるという根拠 わたしに反対する声が実におびただしくあげられるような のあやふやな希望にもとづいて、現在の彼を惨めにしている 気がする。あのいつわりの知恵がさわぎたてるのが遠くから とは ! もしもこういう俗悪な理屈を立てる連中が、放縦を 自由と混同し、子供を幸福にすることを子供を甘やかすこと 聞えてくる。われわれをたえずわれわれの外へ駆りたて、 つも現在を無意味なものと評価し、進むにつれて逃れ去る未と混同しているなら、彼らにそれを区別するすべを教えてや 来を休みなく追い求め、われわれを現在いないところへ移そることにしよう。 篇うとするあまり、将来われわれの達しそうにもないところへ 空想を追い求めないために、なにがわれわれの条件に似っ 一一移してしまうあのいつわりの知恵が、騒ぎ立てるのが遠くか かわしいかを忘れないようにしよう・人間は万物の秩序のな 第ら聞えてくる。 かにその地位を占めている。幼年時代は人生の秩序のなかに あなた方はこう答えるだろう。今こそ人間の悪い性向を矯その地位を占めている。だから、大人を大人として考え、子 正する時だ。苦痛を一番感じることの少ない幼年時代にこ供を子供として考察しなければならない。おのおのにその地
識を持 0 ていない間は、子供が見ても都合がよいものだけをに手を打「てやるがよい。子供たちの心を義務に向けさせ、 父親たちに寛大な心をもたせるがよい。幸福な結婚に尽力し 彼の最初の視線に触れさせるように、子供に近づくすべての 人に心がけてもらう余裕がある。あなた方が誰からも尊敬さてやり、人を立腹させるようなことはさけさせるがよい。正 . しい裁きを拒絶され、権力から圧迫を受けている弱い者のた れるようにし、まず愛されるようにするがよい。そうすれば 誰でもあなた方の気にいろうと . っとめるものだ。もしあなために、あなた方の生徒の両親の信用を惜しみなく使ってやる 方が子供のまわりにいるすべての人びとの先生になれなけれがよい。 あなたは不幸な人たちの保護者であると高らかに宣言する ば、けっして子供の先生にはなれないだろう。そしてその権 威は、美徳に対する尊敬の念にもとづいているのでなけれがよい。正しく、人間的で、親切であれ。ただ施し物をする だけでなく、慈善事業を行なえ。慈悲ぶかい行ないは金銭よ ば、けっして十分とはいえないだろう。財布の底をはたい りも多くの苦しみをやわらげる。他人を愛せ、そうすれば彼 - て、惜しげもなく金銭をばらまくことが問題なのではない。 らもあなた方を愛するだろう。彼らのためにつくしてやれ。 金銭によって愛された人というのを、わたしはかって見たこ そうすれば彼らもあなた方のためにつくすだろう。彼らの兄 とがない。貪欲であったり、酷薄であったりしてはならない し、またやわらげてやれる不幸をただ同情するだけでもいけ弟になるがよい。そうすれば彼らは、あなた方の子供になる ない。しかしあなた方がいくら金庫を開いても、自分の心をだろう。 ルを田舎で育てたいという理 これもまた、わたしがエ 開かなければだめで、相手の心はあなた方に対して、つねに 閉ざされているだろう。あなた方の時間を、心づかいを、愛由の一つである。そうすれば主人につぐ人間のくずである卑 情を、あなた方自身を与えなければならないのだ。というのしい下僕から離れ、またうわべの飾りが子供たちにとって魅 は、あなた方にどんなことができようとも、あなた方の金銭惑的で感染しやすい、都会の悪い風俗からも離れるからであ る。一方、農民たちの悪徳は飾りけがなくてまったく粗野な は少しもあなた方自身ではないことを、人びとはいつも感じ ものであるから、真似ようという気さえなければ、子供たち ているからだ。どんな贈物をするよりももっと効果があり、 の心をひくよりかいや気をささせるのに適している。 篇実際にもっと有益でもある、関心と好意のあらわし方がある。 村にいれば、教師は生徒に見せたいと思うものを、はるか 二どんなに多くの不幸な人や病人が、施し物よりも慰めを必要 に自由に手にいれることができる。教師の評判や言葉や模範 第としていることか。金銭よりも保護のほうをありがたく感じ るしいたげられた人たちが、どんなに多くいることか。仲違は、都会ではもてないほどの権威をもっことになる。彼はど いをしている人たちを仲直りさせ、裁判沙汰にならないようの人にとっても役にたつ人間なので、誰でも熱心に彼に好
を示し、彼から尊敬されたがり、教師が実際にそうあっても っちゃにし、ひっくり返し、あなた方をいらいらさせ、時には らいたいと望むような姿を、弟子の前に示そうとするように 思いもかけぬ反論で、あなた方を失望させる。そしてあなた なる。そして、悪徳の矯正ができないとしても、恥さらしに方が沈黙する羽目におちいるか、または彼のほうが沈黙させ られることになる。けれどもあれほど話し好きな人が黙って なるようなことはひかえることになる。われわれの目的のた いるのを見て、子供はどう思うだろうか。かりに彼がそんな めに必要なのはそれだけである。 あなた方自身の過ちを、他人のせいにするのはやめなけれふうに勝利を得たとしたら、しかもそれに気がついたとした ばいけない。子供たちの眼にうつる悪は、あなた方から教わら、教育はおしまいだ。その瞬間からなにもかもだめにな り、子供はもう学ぼうとはせす、あなた方を反駁しようとす る悪ほどには彼らを堕落させない。い つも説教したり、 も道徳家づらをしたり学者ぶ 0 たりしていると、あなた方るだろう。 熱心な教師たちょ、率直で、慎しみ深く、控えめであれ。 は、子供たちに自分で善いと信じている観念を一つ与えれ ば、同時になんの価値もない観念を二十も与えることになる相手の行為をさまたげるため以外は、けっしてあわてて手を のだ。自分の頭に浮ぶことだけに心を奪われ、あなた方は子出してはいけない。わたしはたえず繰り返していいたいのだ 供たちの頭のなかにひき起す結果を見ていないのだ。たえずが、よい教育をできるだけ延期するがよい。それが悪い教育 となってはいけないからだ。自然が人間の最初の楽園とした 子供たちを悩ましているあなた方のあの長いおしゃべりのな この地上では、無垢な心に善悪の知識を与えようとして、誘・ かに、子供たちが意味をとり違えていることばは一つもない とでも思っているのだろうか。子供たちがあなた方の長たら惑者の役割を演ずることを恐れるがよい。子供が外で実例に 冫。しかないのだから、そ しい説明を自分流に解釈するようにならないか、自分の能力ならって学ぶのをさまたげるわけこよ、 ういう実例が子供にふさわしい形で、子供の精神に刻みこま にできる体系を作り上げる材料をそこから見つけ出し、機会 を見てそれでもってあなた方に反対できるようにならないかれるようにしてやることだけはせいぜい心がけるがよい。 とはあなた方は考えているのだろうか。 激しい情念は、それを目撃した子供に大きな影響を及・ほ いま教えこまれたばかりの小僧っ子のいうことをよく聞い す。というのは、そういう情念は非常に目立った特徴を表わ てみるがよい。その子にしゃべらせ、質問させ、勝手に無茶すので、それは子供の心を打ち、いやおうなしに子供の注意を なことをいわせてみるがよい。そうすれば、あなた方は、自ひくからだ。とりわけ怒りは興奮状態にある時じつに験々し 分のたてた理屈が彼の精神のなかで、奇怪な表現を取ってし いものだから、近くにいれば気がっかずにはいられない。そ、 まったことに驚くだろう。すなわち、その子はなにもかもご んな場合こそ、教育者にとってりつばなお説教を試みる機含
243 に観察される感情とについて、多くの反省を行なった後には 崖に飛びこませるようなものだ。 青年のこの烙は教育の妨げになるどころか、それによってじめて、彼は自分の個人的な観念を人類という抽象的な観念 に一般化し、自分の個人的な愛情に、彼を自分の種〔人類〕 こそ、教育は最後の仕上げをうけ、完成されるのだ。それこ に同化することができる愛情を結びつけることができるよう そ、青年があなた方と力において変らないようになったと 彼になるだろう。 き、彼の心を捉える手がかりをあなた方に与えるものだ。 , 愛着をいだくことができるようになると、彼は他人の愛着 の最初の愛情は、あなたにとって彼のあらゆる心の動きを導 に敏感になり、またそのためにもその愛着のしるしに注意深 . く手綱となる。彼は自由だったのに、今は服従している身だ くなる。彼に対して自分がどんな新しい支配力を持とうとし ということがわかる。なんにも愛していない間は、彼は自分 ているか、あなた方におわかりだろうか。あなた方は彼が気 自身と自分の欲求にしか縛られていなかった。愛するように なるとたちまち、自分の愛情に縛られている。こうして、彼づかないうちに、どれほど多くの鎖を彼の心の周囲に巻きめ ぐらしたことか ! 彼が自分に対して眠を開き、あなた方が を人類に結びつける最初の絆がつくられる。彼の生まれたば 自分にしてくれたことを知るとき、また、自分を同じ年頃の かりの感受性を人類のほうへ導くにあたって、彼の感受性が 最初からあらゆる人間を抱擁するとか、この人類という言葉青年と比べ、あなた方を他の家庭教師と比べることができる ようになったとき、彼はどんなに多くのものを感じることだ が、彼にとってなんらかのものを意味するなどと考えてはな この感受性は、はじめは、自分の仲ろう。彼が知るときとわたしは言ったが、あなた方が自分か らない。そうではない。 間の同類に対してだけ働くだろう。そして彼にと「て、自分ら彼にそれを言うことは控えなければならない。もしあなた の同類とは知らない人びとではなく、自分に関係のある人た方のほうから言えば、もう彼は知ることができなくなる。も しあなた方が、彼のためにしてやった配慮へのお返しとし ち、習慣によって自分に親しいか、必要になっている人た て、彼に服従を求めるとすれば、彼はあなた方にだまされた ち、自分と共通な考え方、感じ方をしていることが自分には と思うだろう。つまり、あなた方は無償で親切を施すように つきりわかる人たち、かって自分がうけた苦しみにさらさ れ、自分が味わった楽しみを感じることがわかっている人た見せかけて、彼に負債を負わせ、彼が同意したことのない契一 約で彼を縛るつもりだったのだ、と彼は考えるだろう。あな ち、一言でいえば、本性の同一性がほかの人よりもはっきり た方が、彼に要求していることは彼自身のためにほかならな 現われていて、たがいに愛し合いたいという気持をいっそう 、といくら付け加えたところでむだだろう。結局、あなた 強く感じさせる人たちである。彼の天性をさまざまなやり方 で育ててみた後にはじめて、また、自分の感情と他人のうち方は、要求しているのだし、彼が承認してもいないのにして
に入れさせることは、いつも他人がひきうけてくれるので、 のは、思い違いをしないでいただきたい、彼にさきほどの質 彼らは自分でそんな心配をする必要は全然ないし、有用とは 問をするのは、彼のほうでも同じ質問をするようにと教える どういうことかも知らないからである。 ことになるからだ。だから、あなた方は、その後どんな提案 「それがなんの役に立つのですか。」これが以後神聖な言葉をするにしても、彼もあなた方にならって、必ず、「それが となる。それは、われわれの生活上のあらゆる行動におい なんの役に立つのですか」と言うだろう、と覚悟していなけ て、彼とわたしとどちらが正しいかを決定する言葉なのだ。 ればならない。 これが彼のすべての質問にたいして間違いなくわたしのほう さてここにはどうやら教師にとって避けることの至難な落 から発せられ、無数のばかげたくだらない質問を封じること し穴があるようだ。もし、子供に質問されて、ただもうその 、ができる質問なのだ。子供たちはたえすそういう質問をして場をきりぬけることばかり考えて、彼にはまだ理解できない は、まわりにいる者すべてをいたずらに疲れさせるものだが、 ような理由をただの一つでも引き合いに出そうものなら、子 それは、そこからなにか利益を引き出すためというよりは、 供は、あなた方が彼の観念にもとづいてではなく、あなた方 むしろ、まわりの者にある種の権勢をふるうためなのだ。もの観念にもとづいて議論していることを見てとり、あなた方 が言っていることはあなた方の年頃の人にはけっこうだが、 っとも重要な教訓として、有用なもののほかにはなにも知ろ うとしてはいけないと教えられている子供は、ソクラテスの彼くらいの年の者にはそうではないと考えるだろう。彼はも うあなた方を信用しなくなり、それでなにもかもおしまいに ような質問のしかたをする。彼は自分で理由が納得できない なる。ところが、生徒への返答では行きづまったことにして、 ような質問はけっしてしない。相手は質問に・答えるよりもさ 進んで自分の非を認めようとする先生はどこを探したらよい きに、理由をきくだろう、と承知しているからだ。 あなた方の生徒にはたらきかけるのに、どれほど強力な道だろう。どの先生もみな、たとえ自分に非があっても、それ 具をわたしはあなた方の手にゆだねているか、見ていただきを認めないことにしている。しかし、わたしは、たとえこち たい。なにごとについても理由を知らないと、あなたがたのらに非はなくても、わたしの理由を生徒にわからさせること 篇生徒は、てきめんに、あなた方の好きなときに、ほとんど沈ができなければ、やはりこちらが悪いと認めることにした 、 0 こうして、わたしのすることは、彼にはいつも手にとる 三黙させられてしまうのだ。それにひきかえ、あなた方の知識 第と経験とは、あなた方が生徒に言ってやることがみな役に立ようにはっきりしているので、けっして疑念をもたせるよう なことはないだろう。そして、わたしとしても、自分にも落 っということを明らかにするうえに、あなたがたをどれほど 有利な立場に立たせているかわからないではないか。というち度がありそうだとあらかじめ認めておいたほうが、彼らが
263 第四篇 らに対して片意地になるかが、あらかじめわかるようなぐあ 彼を落し穴に落ちこませたり、単純な彼を罠にかけようとし いに、いろいろな機会をつくりだし、いろいろな勧告を按排 ているなどとは、なおさら考えるべきでない。そこで、この 二つの不都合を同時に免れるには、どうしたらよいだろう して、彼を経験から得た教訓ですっかり取巻き、彼をあまり か。もっとも善くてもっとも自然なことは、生徒と同じよう大きな危険にけっしてさらさないようにすることである。 に単純で真正直であることだ。彼に降りかかろうとしている 彼が過ちに陥らないうちに警告してやるがよい。もし過ち 危険を警告してやることだ。彼にその危険をはっきりと、身に陥ってしまったなら、それを咎めてはいけない。そんなこ にしみてわかるように教えてやることだ。ただし誇張しない とをすれば、彼の自尊心をたきつけ、反抗させるだけのことに ように、不機嫌にならないように、衒学的な文句をならべた なろう。人に反抗心を起させるような教訓は、なんの役にも てたりしないようにしなくてはならない。 とりわけあなた方立たない。「あれほどよく言っておいたのに。」というこの言 の忠告を与えるときには、それが命令とならざるを得なくな葉ほど、とりえのない言葉をわたしは知らない。彼にかって り、その威圧的な口調が絶対に必要となってくるまでは、命言っておいたことを思い出させる最良の方法は、それを忘れ 令として与えないようにしなくてはならない。 よくあることてしまったようなふりをすることである。反対に、彼があな なのだが、命令として与えた後でも頑固に聞かない場合は、 た方の言ったことを信じなかったのを恥じていると思われた もうなにも言ってはいけない。彼の自由にさせるがよい、彼ら、その恥すかしさを優しい一言葉でそっと拭い消してやるが の後についてゆき、彼の真似をするがよい。しかも、陽気よい。彼はあなた方が彼のために自分を忘れてくれ、完全に こだわりなくそうするがよい。できれば、彼と同じよう彼を打ちのめすようなことはしないで、慰めてくれるのを見 たら、彼はきっとあなた方に愛着を感じるようになるだろ に自分を忘れて、楽しむがよい もしその結果があまりにも う。しかし、もしもあなた方が悲嘆にくれている彼にさらに 重大になったら、いつでもそれを阻止する用意をしておくこ 非難を加えるようなことをすれば、彼はあなた方に憎しみを とだ。そうするうちに、あなた方の先見の明と親切心とをよ く識っている青年は、一方では大いに心驚かされ、他方では感じるようにになり、あなた方の忠告の重要さをあなた方と 深く感動させられることにならないはすがない。彼の過ちは同じようには考えていないそということを示しているつもり すべて、必要に応じて自分を引き止めてくれるようにと、彼で、もはやあなた方の言うことには耳を傾けないことにきめ てしまうだろう。 があなた方に預けている手綱のようなものである。ところ あなた方の慰めの表現も、彼がそれを教訓だとは気づかな で、この場合、教師のもっとも重要な技術となることは、青 いだけに、なおさら彼にとって有益な教訓となることもあり 年はどんなときにこちらの言うことに従い、どんなときこち
り、恩人のことを考えるたびに、感動せずにはいられない・ やったことを理由にして、要求しているのだ。貧しい男が なにか思いがけない奉仕をすることによって、自分が恩人か 相手がくれると見せかけた金を受け取ったために心ならずも ら受けた奉仕をいつも忘れないでいることを示す機会が見つ 軍籍に入れられてしまっているとしたら、あなた方はそれは かったとしたら、彼は、どんなに心の満足を感じながら、感 不正だと叫ぶだろう。生徒が承諾してもいない世話を焼きな がら、その代償を彼に要求するとは、あなた方のほうがなお謝の念を表わすことだろう。どんなに快い喜びをもって、自 いっそう不正なことをしているのではないか。 分が誰であるかを知らせることだろう。どんなに感激してそ の人に言うことだろう。「わたしの番になりました」と。こ、 高利で恩を売ることが今ほど世に知られていなければ、忘 恩だってもっと少なくなるはすだ。人は自分のために利益にれこそほんとうに自然の声だ。真の恩恵はけっして恩知らず なることをしてくれる者を愛する。これほど自然な感情はあをつくりはしなかった。 るまい。人間の心の中にあるのは、忘恩ではなくて、利害の だから、もし感謝の念が自然な感情であり、あなた方の過 念だ。恩を受けてそれを忘れる者は、利害の念から恩を施すちでその効果を台なしにするようなことがなければ、こう確 者よりも少ない。 もしあなた方がわたしに贈り物を売りつけ信してもよい、あなた方の配慮をこちらから値ぶみしてみせ ようとするなら、わたしはそれを値切るだろう。しかし、く るようなことさえしなければ、あなた方の生徒は、次第にそ れるようなふりをしながら、後でそれを自分の言い値で売りの値打ちを知るようになって、それをありがたく思うように なるし、また、あなた方の配慮は、生徒の心に、なにものにも つけようとするなら、あなた方は詐欺をはたらいていること になる。贈物は、無償であ「てこそ、はかりしれない値打ち破られないあなた方の権威を植えつけることになる、と。け れども、こういう優位を確保しないうちに、あなた方は、生 が出てくるのだ。心は自分以外の掟は認めない。人の心は、 つなぎとめようとすれば、手放すことになり、自山にさせて徒に対して自分の功績を誇って、その優位をみすから失わな いよう気を付けるがよい。彼のためにしてやったことを彼に おけば、つなぎとめることになる。 自慢すれば、それは彼には我慢できないのになる。それを 漁夫が水中に餌をまけば、魚がやってきて、警戒もせすに 忘れることが彼に思い出させることになる。彼を大人として そのまわりから離れない。しかし、餌に隠された針にかかっ 四 て、糸がたぐられるのを感じると、逃げだそうとする。漁夫扱える時期がくるまでは、あなた方に対するどんな義務が彼 にあるかをけっして問題にしてはならない。ただ、自分に対す 第は恩人といえるだろうか。魚は恩知らすといえるだろうか。 るどんな義務が彼にあるかを取りあげるべきである。彼を従 恩人に忘れられた人が、その恩人を忘れるようなことがある だろうか。反対に、その人はいつも喜んで恩人のことを語順にするには、完全な自由を彼に与えるがよい。あなた方は
とも避けなければならない。もしあなた方が子供を苦しむま ある。拒絶を乱発してはいけない。しかし拒絶をしたなら、 まにほおっておけば、子供の健康、子供の生命を危険にさら けっしてそれを取り消してはならない。 とりわけ子供には、むなしい儀礼的なおきまり文句を教えし、彼らを現実に不幸にすることになる。しかしもしあなた ないように気をつけるがよい。それは必要に応じて、周囲の方があまりに気を使いすぎて、子供たちからあらゆる種類の ものすべてを自分の意志にしたがわせ、自分の気にいるもの不快をとり除いてやるとしたら、あなた方は将来彼らに大き な不幸をもたらすことになる。おかげで子供たちは虚弱にな を即座に手に入れるための魔法の言葉として子供に役に立っ り、敏感になる。あなた方は彼らを人間の状態から引き出し ことになる。金持のもったいぶった教育では、誰も反対でき てしまうのだが、 彼らはあなた方の意向に反して、いずれそ ないような言葉の使い方を教えこむものだから、子供たちは こへ戻ってしまうだろう。子供たちを自然の不幸にさらすま 必すていねいな一一一口葉で押しつけがましいことをいう。金持の いとして、自然が与えもしなかった不幸をあなた方は作り出 子供たちは、嘆願するような調子やいい方を知らない。彼ら しているのだ。あなた方はこういうだろう。けっして来ない は物を頼む時にも命令する時と同じように横柄だし、あるい かも知れない遠い未来の時代のことを考えて、子供たちの幸 はもっと横柄である。そのほうが確実に相手がこちらの言う 福を儀牲にしているといって、わたしがかって非難したあの 通りになると思うからだ。彼らの言葉で「お気に召すなら 悪い父親たちの場合にわたしが陥っているのだ、と。 ば」〔どうぞ〕というのは、「わたしの気にいっている」〔ぜひ そんなことはない。というのは、わたしがわたしの生徒に とも〕という意味であり、「お願いします」というのは「命令 します」という意味であることはすぐにわかる。まことに見与える自由は、彼に味わわせているわずかな不快さを十分に 上げた礼儀正しさではないか。彼らにとっては言葉の意味をつぐなっているからである。わたしは腕白小僧たちが雪の上 で遊んでいるのを眺めている。紫色に凍えて、ほとんど指を 変えることにしかならず、命令的な物のいい方以外はけっし ル動かすこともできないでいるようだ。彼らは自分で暖まりに てできなくなってしまうのだから。わたしとしてはエミー 行きさえすればよいのだが、それをいっこうしない。無理に が祖野になるよりか横柄になるほうが心配なのだから、彼が それをさせたりすれば、子供は、寒さの厳しさよりも、東縛 「お願いします」といって命令するよりは、「こうしなさい」 といって頼むほうがはるかによいと思う。わたしにとって重の厳しさを百倍も強く感じるだろう。だからあなた方はいっ たい何が不平なのか。自分で承知で耐え忍ぼうとしている苦 要なのは、彼が使う言葉ではなくて、その言葉に与えている 痛を子供に味わわせたにすぎないのに、あなた方の子供をわ 意味なのだ。 きすぎた厳格と同時にゆきすぎた寛大さもあって、両方たしが不幸にすることになるだろうか。わたしは子供を自由